仏道修行のゼロポイント

ゴータマ・ブッダの原像とヒンドゥ・ヨーガ

ハミと手綱で駿馬を調御する:瞑想実践の科学9

眉間の急所を万が一の緊急ブレーキ(欲動のキル・スイッチ)として、耳たぶの裏から後頭部にかけての触覚刺激をハンドルやアクセルとして、象使いは象たちを様々なシチュエーション下で見事に調御し、操縦する。 そして、これら象の調教における急所のポイン…

象の首に坐り、カギ棒を額に構え、耳で操縦する:瞑想実践の科学8

前回は、ブッダとセーラ・バラモンとの間で起きた「広長舌相」のエピソードの流れから、牛を調御する『急所』について考えて行った。 牛を調御する急所は鼻の穴であり、その牛の鼻を捕まえて調御する譬えが、パーリ仏典にも存在する。 そこにおいて、穀物を…

牛を鼻で捕まえ、額を打つ:瞑想実践の科学7

前回までに、セーラ・バラモンとの対話でブッダが「舌をもって耳と鼻と額を舐めた」という、広長舌相のエピソードについて、様々な角度から考えてみた。 ブッダが舌で舐めたと言う耳と鼻と額が、インド女性がピアスとビンディを付ける部位と重なると言う視点…

六官の防護と『理法』:瞑想実践の科学3の補遺

私は2012年頃からパーリ経典を読みつくそうと発心して、まずは以前から持っていた岩波文庫の中村元訳シリーズを読み切り、続いて春秋社版の原始仏典シリーズを読み進めていった。 何故か相応部のⅡの方から入ってしまい、全6巻を読破。続いて長部と中部を収録…

煩悩の「密林」としての脳髄:瞑想実践の科学6の補遺

パーリ仏典において愛執・渇愛・妄執・煩悩・愛欲、であるところの “つる草” と喩えられているものとは、実は私たちの身体全身に “はびこって” いる血管ではなかったか? それが前回までの論旨だった。 私たちの全身には、血管の網の目がはびこっており、特…

ヴィシヴァカルマン賛歌にみる世界の測量と建造、そして出生

前回に引き続き、今回も中村元先生の選集「ヴェーダの思想」より引用しつつ、古代インド人がイメージしていた『世界の創造』について、色々と考えていきたい。 アーリヤ人は、知識程度が高まると共に、宇宙はどのようにして創造されたか、という問題に思いを…

輪軸世界観と一元論・二元論

これまで私は『輪軸世界観』というものが、如何に汎インド教思想の根幹を支える重要なものであるか、という事についてくどいほど言及して来た。 今回は、インド教世界の中で長きにわたって論争が繰り広げられてきた「一元論・二元論」と『輪軸世界観』、とい…

煩悩の水辺にはびこる蔓草:瞑想実践の科学6

前回私は煩悩の現場である六官の門に顕著な体水と体毛と、そこにおける『触』について論じ、それが瞑想実践の具体的な作用機序とも密接に関わりを持った、とても重要な部分だ、と示唆した。 今回はそこに登場した植物の喩えと脳髄との関係性から入って、もう…

煩悩の水辺に繁茂するものとアーサヴァ、そして「触」:瞑想実践の科学5

前回までに私は、 苦悩の現場=脳髄、という認識は現代に生きる私たちにとって自明な事柄である、というだけでなく、古代インド人にとっても、その日常経験に従って、主観的に極めて自然な、当たり前の自明の理解だった。 と書き、そして、 パーリ仏典におい…

核心としての『呼吸』: 瞑想実践の科学4

私たちの心の背中には、眼耳鼻舌身意の六官(六処)を出先機関とした大脳辺縁系というオンブお化けがしがみついていて、私たちの身口意のすべての行いを操っている。 以前の投稿で、私はその様に書いた。 そしてこの辺縁系によって惹起される激しい情動は、…

アナパナ・サティと六官の防護:瞑想実践の科学3

これは本来、「瞑想実践の科学」シリーズの冒頭に置かれるべきものだが、今回は最初に一枚の画像を見て頂く。それは脳底を下からのぞき込む形で視認した脳幹部の画像だ。 Wikipediaより:脳底部から見た脳幹と脳神経分布 これはいわゆる「脳神経」について解…

聖音オームと『母音』の関係

前回、私は以下のように書いた。 音節(シラブル)の中心となるのは母音だった。詠唱を構成する基本単位である音節の、さらに中心となるのが母音になる。 そしてオーム(AUM)が実際にヨーギやバラモンによって唱えられるのを聞くと「おぉーぅM」という感じ…

輪軸世界観からみた「聖音オーム」とブラフマン

前回の流れで、聖音オームと絶対者ブラフマンの同一視について考えてみたい。 以下、中村元選集第9巻 ウパニシャッドの思想 P40~ 抜粋 ヴェーダ祭儀における祈祷の文句は、聖音(オーム)のうちに集約的に表現されている。祈祷の文句をつづけて唱える場合に…

「広長舌相」とヨーガ・元祖ヨーギンとしてのブッダ:瞑想実践の科学2

前回は謎の『広長舌相』について考察した。私がこの、一見突飛な、荒唐無稽にも思える広長舌相のエピソードにこだわるには、もうひとつ理由がある。 それは、前回の読み筋とほぼ並行して始まったもので、ヨーガと深く関わりを持った視点だった。 広長舌相に…

広長舌相の謎:瞑想実践の科学1

これまで私は、『ブッダの言葉』をはじめとした岩波文庫版パーリ仏典シリーズを、各巻4~5回以上は読んでいるのだが、初めて読んだ時から更に回を重ねても、しばらくの間まったく理解不能だった一節がある。 何しろ、2500年前の人々が口承で伝えた文言を、…

村上春樹の1Q84を読んで

あるひとつのきっかけがあって、村上春樹の1Q84を全巻読んだ。遅ればせながらの感はもちろん否めないが、しかし、私にとっては中々に面白い物語だった。 クリックでAmazon詳細画面へ 面白い物語ではあったが、完璧ではなかった。何よりそれは途中から(特にB…

「苦脳」としての激流の大海 と『意官』

(本投稿内容には解剖学的図版が含まれます) しばらく続いたヴィーナ話から体内の輪軸世界に戻ろう。 前回までに私は、 「身体の中にある水において、最も重要なふたつ、それは妊婦において胎児をはぐくむ羊水と、明らかに他の臓器とは異なったありようを示…

ヴィーナと比丘、それぞれの『仕事(Kamma)』

箜篌(くご=ヴィーナ)の喩えとは、単なる「バランスのとれた中ほど(中道)の修行」などという抽象的な一般論的人生訓話ではなく、瞑想実践における具体的な『進め方』についての『技術的な』アドバイスであった。 そのような視点から、『チューニング』と…

箜篌の喩えと『チューニング(調弦)』

前に、“Mukha”という言葉をひとつの焦点に、空洞(空胴)としての共鳴器を持つ箜篌(ヴィーナ)と、瞑想修行をする比丘の身体を重ね合わせる視点について、考えてみた。 このソーナ・コーリヴィサ比丘の箜篌の喩えのエピソードは色々な意味でとても興味深い…

『ヴィーナである身体』の上に瞑想する者は2

インド音楽の起源とも言われるサーマ・ヴェーダは、ヤジュナと呼ばれる犠牲祭(供儀)を盛り上げるボーカル・ミュージックとして発展・形成されたもので、この時、このヤジュナの歌詠の伴奏を務めたのが、ヴィーナと総称される弦楽器だった。 そしてその歌詠…

『ヴィーナである身体』の上に瞑想する者は1

本論に戻ろうと思ったのだが、どうもヴィーナという楽器の成り立ちについて気になって仕方がない。前回引用した、 There is a beautiful analogy, in the rig veda, between the God-made veena, the human body, and the man-made one.リグ・ヴェーダには神…

神の手によるヴィーナ、としての『身体』

前回私は、A symbolic approach of Veena からの引用で以下のように書いた。 The Vedic representation of the human spinal cord as the musical instrument (Veena) . 意訳:ヴェーダ的な脊椎骨の連なりのひとつの表現形がヴィーナという楽器なのだ。 なん…

「箜篌の喩え」とヴィーナとしての『身体』

今回は『箜篌(くご)』の喩え、というエピソードを取り上げたい。仏教についてある程度学んだ人なら、誰でもが知っているだろう、あの絶妙なる喩え話だ。 パーリ律蔵(Vinaya) 大品(Mahavagga) 「ソーナよ。 汝はどう思うか? もしも汝の琴の弦が張りすぎ…

【尼僧の告白】に見る『身体の中の大海』

さきに私は、 「坐禅の形に足を組んで坐った身体が筏であり、その筏で渡るべき輪廻の大海、あるいは煩悩の激流とは、実はその身体の中にある」 と書いた。 そして、 「成人の身体の60~70%は水であり、私たちの身体とは、たっぷたぷの水袋である」 と続けた…

『世界の起源』『輪廻の現場』としての大水(胎)

(本ブログ記事には解剖学的な画像が含まれます) 今回投稿はYahooブログ「脳と心とブッダの覚り」2014年7月15日記事を移転するものだが、既に本ブログ「仏道修行のゼロポイント」に投稿した内容と若干の重複部分がある。 けれど、くどいようだが最も重要な…

大地の車輪としての『骨盤』:これはドゥッカの車輪である2

(今回投稿には一部リアルな解剖学的画像が含まれます) 前回投稿では、大宇宙(マクロ・コスモス)を直立した輪軸に喩える世界観から身体(ミクロ・コスモス)にも輪軸構造が内在する、という思想が導かれ、その中で天界に重ねられた頭蓋の底部に六本スポー…

煩悩うず巻く激流の大海と『身体』

前回投稿では、日本でも人口に膾炙している『彼岸』と言われるものが、一体何処にあるのか?という点について、須弥山世界観を参照しつつ古代インド人の心象風景に基づき紐解いてみた。 今回は、その須弥山世界観の適用範囲をもう一段拡大しつつ『煩悩激流の…

『彼岸』は何処にあるか?

私たち日本人にとって最も人口に膾炙したなじみ深い仏教用語に、『彼岸』という言葉がある。これは第一には春と秋年二回のお彼岸であり、主に先祖供養と結びついた仏事として私たちの生活に定着している。 以下Wikipediaより、 彼岸(ひがん)は、雑節の一つ…

ビルマにおける近代ヴィパッサナーの夜明け2

前回に引き続いて、Patrick PrankeというUniversity of Louisvilleの仏教研究者が書いた『On saints and wizards PDF』から引用抄訳する(P458-461)。 The core of Medawi’s meditation manual is a discourse on the three marks of existence: anicca, duk…

ビルマにおける近代ヴィパッサナーの夜明け1

前回投稿では、欧米的なマインドフルネス批判からの流れで、ミャンマーなどテーラワーダ圏における仏教の信仰や瞑想実践がどのように大衆を支配する道具として活用されて来たか、という事に言及した。 そこで今回は、そのミャンマー(ビルマ)におけるヴィパ…