仏道修行のゼロポイント

ゴータマ・ブッダの原像とヒンドゥ・ヨーガ

『ヴィーナである身体』の上に瞑想する者は1

本論に戻ろうと思ったのだが、どうもヴィーナという楽器の成り立ちについて気になって仕方がない。前回引用した、

There is a beautiful analogy, in the rig veda, between the God-made veena, the human body, and the man-made one.
リグ・ヴェーダには神の手によって造られたヴィーナである人間の身体と、人間の手によって作られたそれ(ヴィーナ)というひとつの美しいアナロジーがある。
4to40.comさんのIndian Musical Instruments: Stringed Instruments より(リンクは消失)

この『リグ・ヴェーダには』、という典拠を確認したくて仕様がない。

そこでまたまたネットの海を彷徨い歩き、いくつかの面白い情報をゲットした。

まずはsreenivasarao's blogsさんからの引用だ。

Sama Veda Samhita
1.1. The earliest form of organized Music that we know about is the Music of Sama Veda or the Saman.

Sama Veda is linked to music through Yajna.

The Yajna-s, were at the very heart of the Vedic way of living.

During the Yajna-s, it was customary to invoke and invite devas (gods) by singing hymns dear to them or dedicated to them ; and to recite the mantras while submitting to them offerings (havish) through Agni, the carrier (havya-vahana).

The group of priests who sang (Samaga or Chandoga) the Mantras, initially, compiled a text for their use by putting together selected Mantras from Rig-Veda (the oldest known text) that could be sung during the performance of a Yajna or a Soma Yaga.

That collection of lyrical Mantras came to be known as Sama Veda Samhita; and was regarded as the fourth Veda.

抄訳:私たちが知りえる最古のよく組織された音楽システムはサーマ・ヴェーダの音楽、もしくはサーマン(賛歌)である。サーマ・ヴェーダは犠牲祭(ヤジュナ)を通じて音楽と結びつく。
ヤジュナとはヴェーダ的なウエイ・オブ・リビングの核心にあたる。ヤジュナ祭が施行される間神々が招来され、ヴェーダの聖語の歌が彼らに捧げられ、彼らを喜ばす。

ここで出てきた『ヤジュナ(供犠祭)』だが、現代ヒンドゥ教と違ってブッダの時代以前のバラモンヴェーダの祭祀は、多くの場合犠牲動物を殺して神々に捧げ、それを持って彼らを喜ばせて人間の望みをかなえてもらおうという思想をその中心に持っていた。

有名なアシュヴァメーダ(馬祀祭)というのはその典型にして最大のものだ。動物(時に人を含む)を殺してその命と肉を捧げるというのは、世界中のプリミティヴな社会に見られる慣習であり、その最中には観衆の熱狂は最高潮に達する。

ヴェーダの祭式には他にソーマ祭など「殺さない」祭祀もあったが、ブッダの時代前後の盛大な祭式の場合は、やはり動物供犠がメジャーなものとして多く行われていたようだ。

サーマ・ヴェーダとは、第一義的にはそのような供犠祭(ヤジュナ)において、場を盛り上げ神々を悦ばす祈祷であり余興でありBGMである音楽としても発展した。

現在の菜食と不殺生(アヒンサー)に傾斜したヒンドゥをみるとあまり想像できないが、インド音楽の原点と呼ばれるサーマ・ヴェーダは、そのような血ぬられた歴史を秘めていたのだ。

さらに同サイトからの引用を進める。

Derivation of Svaras

8.1 . Naradiya Shiksha (1.5.3; 1.5.4) explains that each Sama-svara was derived from the sounds made by a bird or an animal in its appropriate season.

For instance, bulls roar was Rishabha; kraunchaka’s (heron) cry was Madhyama; elephant’s trumpet was Nishadha; and koel’s (cuckoo) melodious whistle was Panchama and so on. Please see the table below.

Name in Sama Music
Symbol Sama VedaSvara / Bird & animal Sound associated

Madhyama Ma svarita / heron
Gandhara Ga udatta / goat
Rishabha Ri anudatta / bull
Shadja Sa svarita / peacock
Nishadha Ni udatta / elephant
Daiwatha Dha anudatta / horse
Panchama Pa svarita / koel

抄訳:サーマ・ヴェーダの音楽にはSwaraと呼ばれる音階があって、音階のそれぞれの音は特定の動物の鳴き声やその季節と結びつけて把握されていた(あとは動物の名前以外専門用語過ぎてスルーw)。

ここでは、人間が歌い楽器が奏でる音の諧調が、動物の鳴き声の声調と重ねあわされていた事が見てとれる。

すでに言及してあるヴィーナの音色と人間の音声の重ね合わせと、さらに動物の啼き声の重ね合わせだ。つまり人間・ヴィーナ・動物のそれぞれの音声が三つ巴に重ねられている。

(ここでは人間のひとつの能力の内『音声』を動物のそれと重ね合わせているが、この様な動物と人間との重ね合わせは古代インドにおいて普遍的に見られるもので、仏伝中の『仏の32相』などにも典型的に現れている)

上の表中のSa,Ri,Ga,MA,Pa,Dha,Ni,Sa, というのはいわゆるインド音階のドレミファソラシドに相当するもので、現在では西洋的に言うと半音?などを含めて22から24の音階が整理・確立されているようだ(専門外なので興味のある方はググって欲しい)。

Music and spiritual progress

11.1. Music in the Vedic times was sung and played for entertainment. Its other main use was during the performance of the Yajna; and it was here that Sama-gana was born.

意訳:ヴェーダの時代の音楽はエンターテインメントの為に歌われた。その他の主な音楽の目的は、ヤジュナ(犠牲)祭のパフォーマンスにおいてであり、それがサーマ・ガナ(歌謡としてのサーマン)の起源である。

Samaという言葉につなげて、GanaとかSwaraとかいろいろな複合語があるのだが、興味のある方は同サイトを(英文ですが)精読してみて欲しい。

日常的なエンターティンメントとしても、もちろん音楽は奏でられたのだろうが、そもそも古代においては宗教とエンターテインメントの境界は曖昧なもので、それは日本の伝統的な祭りひとつをとっても良く分かるだろう。

Musical instruments
12.1 Vocal music was accompanied by lot of musical instruments in the Rig-Veda.
Some of the instruments of Rig-Veda are: Dundubhi, Vaana, Nadi, Venu, Karkari, Gargar, Godha, Ping and Aghati. The sound of Dundubhi has been described as sound of clouds.

Veena commonly denoted string instruments.

The other instruments mentioned are: Venu or Vamsha (flute) and Mridanga (drums).

抄訳:リグ・ヴェーダの中では、ヴォーカル・ミュージックはいくつもの楽器によって伴奏されている。

その中のいくつかは、Dundubhi, Vaana, Nadi, Venu, Karkari, Gargar, Godha, Ping and Aghati.である。Dundubhiの音は雲の音(雷?)に喩えられる。Veenaという名前は一般的な弦楽器を指す。

その他にも、Venu や Vamsha (flute) やMridanga (drums)の言及もある。

12.2. The string instruments such as Veena were played during a Yajna. Vana was the most popular string instrument of Vedic period. Among string instruments, frequent references were made to the bow-shaped harp Vana.

Vana (RV 1.85.10; 6.24.9 etc.) was a lyre; a plucked string instrument like a harp. Rig Veda (10.32.4) mentions the seven tones (varas of the Vana (vanasya saptha dhaturit janah).

抄訳:ヴィーナの様な弦楽器はヤジュナ(犠牲祭)の時に演奏される。Vana(ヴァナ)はヴェーダの時代に最もポピュラーだった弦楽器だ。多くの弦楽器の中でも弓型をしたヴァナというハープはしばしば登場する。
ヴァナとは弦をつま弾くハープに似た竪琴である。リグ・ヴェーダには、このヴァナの七つの音階についての言及がある。

ヴェーダの時代の弦楽器はハープ型のVanaがメインだったようだ。私はVeenaで検索したのだが、見つからないはずだ。

これを読むと、琵琶タイプよりも弓型ハープタイプの方が、このヴェーダの時代ヤジュナ祭で使われていたようだ。私としては、ブッダの時代のヴィーナは琵琶タイプだと考えているが、中村元先生がそれを箜篌と訳したのはこの辺りに根拠があるのかも知れない。

それはともかく、ここでは、ヴィーナの伴奏がヴェーダの祭式、とくにヤジュナという犠牲祭と密接に関わっていた事が明記されている。

そして、文中引用があったのでRig Veda Book 10: Hymn 32-4を調べてみた。

तदित सधस्थमभि चारु दीधय गावो यच्छासन्वहतुं न धेनवः |
माता यन मन्तुर्यूथस्यपूर्व्याभि वाणस्य सप्त धातुरि ज्जनः ||

tadit sadhasthamabhi cāru dīdhaya ghāvo yacchāsanvahatuṃ na dhenavaḥ |

mātā yan manturyūthasyapūrvyābhi vāṇasya sapta dhāturi jjanaḥ ||

4 This beauteous place of meeting have I looked upon, where, like milch-cows, the kine order the marriage train; 

Where the Herd's Mother counts as first and best of all, and round her are the seven-toned people of the choir.

かなりめんどくさい古形英語なので訳さないが(手抜き 笑)、原文の
वाण=vāṇa が people of the choirになっている。このChoir(クワイヤ)というのは読みにくいが、少年聖歌隊などをクワイヤ・ボーイズと言って楽団という意味もある。おそらくは歌手(としての祭官)と楽器の伴奏の両方を含意している訳なのだろう。

もちろん、ここでवाण=vāṇaと言っているのが弓型ヴィーナだと思われる。このseven-tonedつまり七色の音色を持つヴィーナと歌唱のハーモニーは、当時の人々にとってすこぶる魅力的に響いたのだろう。

The other kinds of Veena mentioned are : Aghati, Ghatlika or Apghatika, Pichchola or Pichchora stambalveena, Taluk Veena, Godha Veena, Alabu, and Kapishirshni etc.
In fact, all string instruments were called Veena.

意訳:その他言及されているヴィーナは、~エトセトラである。結局、全ての弦楽器はヴィーナと呼ばれるのだ。

リグ・ヴェーダには多くの弦楽器が登場して、祭式を主としたヴェーダの民にとってヴィーナ、つまり弦楽器が中心的な楽器であったのは間違いないだろう。

そして最後にこう書いてあった。

Musical instruments were basically used as accompaniments to singing and dancing. There are no references to playing them solo; or in an orchestra.

楽器たちは基本的にヴォーカルの歌唱と踊りの伴奏として用いられて、楽器それ自体の独奏や器楽のみのオーケストラ演奏の用例は知られていない。

ヴェーダ的な日常営為の中で、中心となるのはブラフマンの語源となった『言葉(人間の音声)がもつ呪(祈祷)の力』、が主役になるので、楽器の演奏はあくまでも中心ヴォーカルの伴奏としてそのユニゾン&ハーモニーによってボーカルの魅力をいや増す為にその威力を発揮したのだろう。

このような背景があって初めて、The sacred instrument “Veena”という言葉の意味が実感を伴って来る。

しかし、ヴィーナを意味する様々な単語でリグ・ヴェーダを検索しても、冒頭に再掲した、There is a beautiful analogy, in the rig veda, between the God-made veena, the human body, and the man-made one. という英文の典拠を見つけられない。

その代わりにいくつかの情報がヒットした。

まずはKnow your Instrument: Saraswati Veena さん(リンク切れ)から、

“The strings of a Veena can be played in three different ways, by pressing it, pulling it and by making it vibrate.

Because of this variety, a Veena can sound very close to a human voice,” says Sampat. [ALSO READ: Decoding Carnatic Music]

意訳:サムパットさんというヴィーナの名手の言葉として「ヴィーナの演奏は弦を押して弾いたり引いて弾いたり、振動させたり、という三つの異なった奏法によってなされる。

この多様性によって、ヴィーナは人間の声の多様さに非常に近似した音色を奏でる事が出来るのだ」

ここでも、明らかに人間(本来はサーマンのヴォーカル)の声と楽器ヴィーナの音色の重ね合わせが見られる。人間のヴォーカルの究極の器楽的な再現を目指して、現行のサラスワティ・ヴィーナなどは少しずつ開発されていったのだろう。

その他にもいくつものサイトで同様の言及があったのだが、煩雑になるので割愛する。ここまで来ると、人間の身体とヴィーナ、その音声と音色がひとつの分かち難いセットとして考えられてきた、というインド世界の心象は、もはや誰の眼にも明らかだと思われる。

ここで一つ注意しておきたい事があって、本ブログを読むような方ならば承知の事と思われるが、このサーマンという聖なる詠唱(賛歌)の祈祷の呪の力こそがブラフマンの原義であり、これはより正確にいえば、賛歌を歌うその歌声の力な訳だ。

当然ながら、そのような呪の力を持つサーマン音声の伴奏であるヴィーナの音色にも、同じように神々を動かす呪の威力が宿っていると考えられただろう。

このあたりまで調べが進んだ時、私はふと、サイト上に広がる英語の海の中から気になる言葉を見つけた。

それは「リグ・ヴェーダ所属のプラーナとかアーラニヤカ」とかいう概念だ。

私はうっかりThere is a beautiful analogy, in the rig veda, between the God-made veena, the human body, and the man-made one. という英文のリグ・ヴェーダを、リグ・ヴェーダ・サンヒター(本集)に限定して考えてしまったのだが、それは最狭義のリグ・ヴェーダであり、広義ではリグヴェーダに所属するプラーナやアーラニヤカ、ウパニシャッド諸文献なども、リグ・ヴェーダの名前によって括られて語られるのだ。

どうしても上記英文の原典を捕まえたくてしょうがない私は、覚悟を決めて、これらリグ・ヴェーダに所属する諸文献の全てを端から検索していく事にした。

リグ・ヴェーダに所属する文献は大まかにアイタレーヤとカウシータキの二つの名前で、それぞれにプラーナとアーラニヤカとウパニシャッド文献を形成しているのだが、ネット上で英語で検索して最初にヒットしたのがアイタレーヤ・アーラニヤカだった。

このアーラニヤカとは日本語で森林書とも呼ばれ、時代的にはプラーナ文献と古ウパニシャッド文献の間をつなげるものだ。

(という事は、間違いなくブッダ以前になる)

そして、私は多分、とても運が良かったのだろう。その英語版原典であるアイタレーヤ・アーラニヤカをざっとチェックしていくと、ついにあの人間の身体とヴィーナを重ねるアナロジーの原文にたどり着いたのだった。

以下はarchive.orgさんの「The Upanishad by Müller, F. Max 1879」からP263~の抜粋・引用だ。

Aitareya Aranyaka : Ill ARANYAKA, 2 ADHYAYA, 5 KHANDA, P263

3. Next comes this divine lute (the human body, made by the gods). The lute made by man is an imitation of it.

4. As there is a head of this, so there is a head of that (lute, made by man). As there is a stomach of this, so there is the cavity (in the board) of that. As there is a tongue of this, so there is a tongue - in that. As there are fingers of this, so there are strings of that. As there are vowels of this, so there are tones of that. As there are consonants of this, so there are touches of that. As this is endowed with sound and firmly strung, so that is endowed with sound and firmly strung. As this is covered with a hairy skin, so that is covered with a hairy skin.

5. Verily, in former times they covered a lute with a hairy skin.

6. He who knows this lute made by the Devas(and meditates on it), is willingly listened to, his glory fills the earth, and wherever they speak Aryan languages, there they know him.

ここでDevine Luteとされているのが、前後の文脈から『神の手によるヴィーナである人の身体』であるのは明白だろう。そこには今まで引用して来た諸心象の原像が、はっきりと記されている。

それだけではなく、そこには新しい概念も登場していた。それは6の赤字部分、「meditates on itその上に瞑想する」だ。

もちろんこの it 「神の手になるヴィーナ」である『人の身体』に他ならない。つまりそれは「身体の上に瞑想する」事を意味している。

ここで漸くにして、長かった私の探求はヴィーナと『ブッダの瞑想法』との接続点を見出した事になる。

相当に長くなるので、日本語訳とその考察は、次回に譲りたい。 

 

 (本投稿はYahooブログ2016年1月15日記事「楽器ヴィーナの心象世界」を加筆修正の上移転したものです)

 

 


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