仏道修行のゼロポイント

ゴータマ・ブッダの原像とヒンドゥ・ヨーガ

2020-02-01から1ヶ月間の記事一覧

『外なる悪しき祭祀』とマーラ、『内なる善き祭祀』とブラフマー《30》

『祭祀の内部化』という前回までに取り上げたテーマは、ブッダの瞑想法とそれに至る沙門シッダールタの内的遍歴を考える上で極めて重要な意味を持つものなので、繰り返しを恐れずに念を押していきたい。 バラモン教とは祭祀の宗教だった。 その祭祀とは、第…

『至高の内なる祭祀法』としての比丘サマナの瞑想修行道《29》

ジャイナ教の開祖マハヴィーラなどに代表されるサマナ修道者が好んで行った苦行や、ブッダの瞑想行法が、バラモン教的な『外的祭祀』の代替となる『内部化された祭祀』だった、と前回までに書いた。 この点に関して、まずは典拠を示して、『内なる祭祀』とい…

内部化された祭祀としての “苦行”と「坐の瞑想」《28》

賛歌と言うバラモン教的な『瞑想実践』に対するオルタナティブとして提示されたのが『ブッダの瞑想法』であり、『賛歌のデバイスである(ヴィーナとしての)ウドガートリ祭官の身体』は『瞑想のデバイスである(ヴィーナとしての)比丘サマナの身体』と、完…

苦行者シッダールタの日常風景:「これはドゥッカの車輪である1」の補遺

頭蓋内部には明確に車輪と重ね合されるような構造が存在し、その事実をシッダールタたち古代インドの求道者は知っていた可能性が高い。そう私は前に書いた。 今回はその根拠について若干追記して述べよう。 6本スポーク状に仕切られた脳内 当時、シッダール…

「賛歌」のオルタナティブとしての『ブッダの瞑想行法』《瞑想実践の科学27》

ここまで私は、パーリ経典における数少ない実践的な瞑想ガイダンスの中で、最も重要なフレーズとして、 parimukhaṃ satiṃ upaṭṭhapetvā(Maha Satipatthana Sutta)顔の周りに思念(サティ)をとどめて(春秋社:原始仏典Ⅱ)fixes his awareness in the area…

ウドガートリ祭官の「歌詠瞑想」と“発声器官”《瞑想実践の科学26》

今回は最も根源的かつ素朴な疑問から話を始めたい。それは、そもそもインドにおいて『瞑想』という時、その名称と営為はどこに起源するのか、という問題だ。 これについてはこれまでにも何回か取り上げたが、インダス文明の遺跡で発見された印章の彫刻に、ヨ…

「身体とヴィーナ」における『発声器官』、そして『純粋呼吸瞑想』《瞑想実践の科学25》

牛が「モ~」と鳴く時、その啼いている姿の全体像は、全身が一本の共鳴管、あるいはラッパの様に、腹腔・肺・気道・咽喉・口腔が一直線の管になったかのようにして、そのモ~という声を鳴らしている。 前二回にわたって、牛が鳴く姿と絡めて“Mukha”という言…

”Mukha”の原像と『声門』という新たな焦点《瞑想実践の科学24》

(本投稿には解剖学的画像が含まれます) 前回私は、『コップと言うものの本質とは一体何だろうか?』と設問し、その答えを例示した。それはすなわち、何らかの液体の容れ物である事を可能たらしめる "開口し奥行きのある空処性" だった。 同じように "Mukha…

『核心』としての「Kha」すなわち「空処」《瞑想実践の科学23》

ブッダの瞑想法の原像を復元するに際して、もっとも重要であると考えられるパーリ経典の文言は、 parimukhaṃ satiṃ upaṭṭhapetvā顔(口)の周りに、気付き(サティ)を、とどめて というものであり、中でも気づき(サティ)のポイントを明示するものとしてpa…

アートマンの棲み処と「こころ」の所在

(※本投稿には解剖学的な画像がふくまれます) 本ブログではこれまで、インド思想の核心とも言える「苦である輪廻からの解脱」、その立脚点である苦、すなわち『ドゥッカ Dukkha』という概念が、『車輪』という事物と密接に関わって生まれたという事実を繰り…

"mukha" の原風景に見る「牛」と「Kha=空処」《瞑想実践の科学22》

パーリ経典の多くで共有されている『サティを顔の周りに留めて坐る』という一節。繰り返し述べて来た事だが、これはブッダの瞑想法の原像について考究する時に、もっとも重要なものだと私は見ている。 ゴエンカ・ジーはこの『顔の周り=parimukham』を “口の…

ゴエンカジーの偏頭痛と「Mukhaの周りに気づきを留めて」《瞑想実践の科学21》

ブッダの瞑想行法、そのメソッドの焦点となるのは、“五官・六官の防護” である。それがこれまでの考察から導き出された結論だった。 そしてブッダの瞑想法と呼ばれる『止観』のうちの “止(サマタ)瞑想” 、その具体的なメソッドの焦点になるのが、五官六官…