仏道修行のゼロポイント

ゴータマ・ブッダの原像とヒンドゥ・ヨーガ

「賛歌」のオルタナティブとしての『ブッダの瞑想行法』《瞑想実践の科学27》

ここまで私は、パーリ経典における数少ない実践的な瞑想ガイダンスの中で、最も重要なフレーズとして、

parimukhaṃ satiṃ upaṭṭhapetvā(Maha Satipatthana Sutta)
顔の周りに思念(サティ)をとどめて(春秋社:原始仏典Ⅱ)
fixes his awareness in the area around the mouth(ゴエンカジー

に注目し、その最重要ワードとしてParimukham(顔、口の周りに)を取り出し、様々な考察を試みてきた。

そして、ParimukhamのコアとなるMukhaというパーリ単語について、その意味を紐とき、さらにその語源にまで遡って論述した。

Mukha (nt.) [Vedic mukha, fr. Idg. *mu, onomat., cp. Lat. mu facere, Gr. muka /omai , Mhg. mūgen, Lat. mūgio to moo (of cows), to make the sound "moo";

上の説明を私のできる範囲でたいへん大雑把に意訳すると、

ヴェーダのmukhaと同義。mu(ムー)というonomat(擬声語に由来。ラテン語ギリシャ語などにもこのmuを有する同義語がある。その語源は牛がモーと啼く、その音声に由来する。

となる。

Mukhaという単語のMuの原像とは牛が「モ~」となくその擬声語であり、Khaとは空処・空間を意味する。その二つを合わせた「牛がモーと啼く、その音声が発せられる(奥行きをもった)開口部」がMukhaという単語のそもそもの原像だった。

つまり、ブッダの瞑想法において、特にアナパナサティにおいて、その呼吸に対する気づきのポイントとして唯一明示されている “Mukhaの周り”、というその Mukhaとは、そのそもそもの語源・語義において、牛がモーと鳴く、つまり “発声する器官” であった事になる。

これは現代人であれ古代インド人であれ、ある種自明の真実だろう。口(及び補助的に鼻)というものは、誰にとっても発声し話したり歌ったりする器官なのだから。 

次に私は、Mukhaの “Kha” が意味する所を語義に遡って考察した。

今回改めて読んでみても、正にこのKhaという言葉の中に、あらゆるインド思想の核心が包含されている事実を前に、率直に私は戦慄を禁じ得ない。

続けて私は、Mukha(口)を大きく開けて牛がモ~と鳴いているリアルな姿をYoutubeに探し求め、その “全体腔性” とでもいうものに着目し、その身体を “一本の共鳴管” として把握した。

そして同じように一本の共鳴管であるホルンのような管楽器(チベットのラグドゥン)をイメージし、「では牛がモーと鳴く時のその “音源” はどこか?」という視点から “声門” の重要さに着目した。

そして、声門を音源としその音声を共鳴させていく「管楽器」としての身体、と言う視点から、自ずから想起されたのが、以前に取り上げた箜篌(ヴィーナ)の喩え」だった。

一般にこの箜篌、すなわち楽器ヴィーナの喩えは、その弦の張り具合について

「きつ過ぎず緩み過ぎず、中ほどがよい」

仏道修行もそのように励み過ぎず怠け過ぎず中ほどがよい」

などという様に理解されがちだが、私は『直感的に』これに対して異を唱えてきた。 

ヴィーナの喩えにおいて、具体的にはその「弦の張り」に焦点が置かれている。この点に関しては誰も異論がないだろう。

だが、ブッダがもし仮にこのヴィーナという楽器が持つ共鳴器(胴)の空処性を身体における空処性と重ね合わせ、ヴェーダの伝統的な同置思想である「身体はヴィーナである」という心象を前提としていたならば、どうなるだろう。

前述したように、身体において『弦』に相当する音源部位・器官はまず『声帯』と考えるのが自然だ(この点に関しては、弦と舌を重ねる記述がヴェーダにあり、またブッダの「歯と舌の行法」とのからみから『舌』も有力候補で、読み筋の分岐となる)

そう、この「箜篌の喩え」において、弦の張り具合についてブッダが喩え話を用いた、その真意の焦点は、ヴィーナにおける音源であると、同じ様に身体において音源となる声帯、この両者の重ね合わせにこそ意味があったのではないのか、という視点だ。

parimukhaṃ satiṃ upaṭṭhapetvā
“Mukha”の周りに、気付き(サティ)をとどめて

という文脈においてparimukhaṃと言う時、それは「牛がモ~(Muu)と啼くその音源となるところのKha、すなわち 声門(声帯)のまわりを意味し、その全文では、声門(声帯)のまわりに気づき(サティ)を留めて、と読む事も充分に可能なのだ。

上の文章は、微妙にこう言い変えることもできる。

『声帯を起点とした “発声器官” としての “Mukha” のまわりに気付きを留めて』と。

これはゴエンカジーが主唱する様な「上唇から鼻腔にかけての『外周り』」という解釈からは文字通り一歩踏み込んだ、「内部的な構造と広がり」に視程を広げたものだ。

次に私は、箜篌の喩えとチューニング」という視点から、ヴィーナにおける発声(発音)の “音源” であるの、その “チューニング” という観点について振り返った。

箜篌の喩えを通じてブッダが言いたかった事は、ヴィーナなどの楽器演奏において大前提であり生命線ともいえる “チューニング” の大切さについてであった、と。

チューニングと言う『作業』は、「きつ過ぎず緩すぎず中ほどが丁度よろしい」などという「ユルい」ものではなく、極めて厳密かつ精緻な「最適化」のプロセスだと。

そのヴィーナにおけるチューニング(調弦)の重要性とその要諦を、何よりもまず第一に “瞑想修行” における実践的な “勘どころ” として、喩え話に託して、ブッダはソーナ比丘に説いたのである、と。

"What do you think about this, Sona ? When the strings of your lute were neither too taut nor too slack, but were keyed to an even pitch, was your lute at that time tuneful and fit for playing ?"

‘‘Taṃ kiṃ mannasi, soṇa, yadā te vīṇāya tantiyo neva accāyatā honti nātisithilā, same guṇe patiṭṭhitā, api nu te vīṇā tasmiṃ samaye saravatī vā hoti, kammannā vā’’ti?

汝はどう思うか? もしも汝の琴の弦が張りすぎてもいないし、緩やかすぎてもいないで、平等な(正しい)度合いを保っているならば、そのとき琴は音声にこころよく妙なるひびきを発するであろうか?

 

"Even so, Sona, does too much output of energy conduce to restlessness, does too feeble energy conduce to slothfulness."

‘‘Evameva kho, soṇa, accāraddhariya uddhaccāya saṃvattati, atilīnariya kosajjāya saṃvattati.

それと同様に、あまりに緊張して努力しすぎるならば、こころが昂ぶることになり、また努力しないであまりにもだらけているならば怠惰となる。

 

Therefore do you, Sona, determine upon evenness in energy and pierce the evenness of the faculties and reflect upon it."

Tasmātiha tvaṃ, soṇa, riyasamataṃ adhiṭṭhaha, indriyānanca samataṃ paṭivijjha, tattha ca nimittaṃ gaṇhāhī’’ti.

それ故に汝は平等な(釣り合いのとれた)努力をせよ。もろもろの器官平等なありさまに達せよ。

 

ここで中村元博士が「努力」と訳してしまっている riya が英語では端的に “Energy” になっている。この「努力」という訳こそが通俗的な一般論へと堕する道であり、英語の エナジー こそが、ブッダの真意を照射する鍵となるのだ、と。

今見ても、上記引用した「箜篌の喩え」のパーリ原文には、これでもか、と言うほどにブッダの瞑想実践において重要な意味を持つキーワードがせめぎ合っている。

same guṇe 、 saravatī 、kammannā 、vīriyaṃ 、indriyā 、samataṃ 、nimittaṃ 、などなど。これらの用語については、また次回以降に改めて考察しよう。

取りあえず今回は、saravatī、という単語について、前回記事の「賛歌瞑想と “発声器官”」と今回をつなげるキーワードとして、考察を進めていきたい。

このsaravatī という単語、中村先生は「音声にこころよく」と訳し、英訳は “Tuneful” となっているが、その真意とは一体何だったのだろうか?

前回記事で私は以下のように書いている。

その(バラモン祭祀における賛歌と言う)『瞑想』の「核心」にあったのは、神々について一心に『想う』(それは歌詞の内容でもある)と同時に、意識と無意識の境界領域において自らの『発声器官』のコントロールに『専念』しつつ賛歌を歌いあげる、そんな心的状態だった。

そして、その『瞑想』という言葉の前段にある「ヴィーナである人の身体を知り、その上に」、という文脈は、直接的に、発声器官としての身体の仕組みを知悉し、それを緻密にコントロールする事を意味している。

(その「緻密なコントロール」こそが、正に「チューニング」に他ならない!)

「ヴィーナである人の身体を知り」と言う事は、発声器官である自分の身体の仕組みを知悉する事であり、「その上に瞑想する」ということは、その発声器官を緻密にコントロール(チューニング)し、「専念」して賛歌を歌い上げる事を意味する。

ヴィーナの弦、その張力は固定されているが、人間の発声器官は固定されておらず、その都度時々刻々と臨機応変かつ微妙精密に発声器官(声帯周り・喉頭・咽喉・口腔・舌歯・唇、etc.)の各所を調節して賛歌が歌われる。

そのように精密に調御(コントロール=チューニング)された歌声のあり様こそが、本来的な(もうひとつの)意味でのsaravatī であり、「こころよい音声」であり、Tunefulという言葉が具体的に意味する事なのだ。

この賛歌の詠唱における “Saravatī” に関するある種異常なまでのこだわりは、例えば古ウパニシャッドの中などにも明確に表れている(前回ざっと見て言及したものを含め改めて引用)

チャーンドーギャ・ウパニシャッド 第二章 第22節

1.「旋律を家畜の吼え声〔のように唱える事〕を私は選ぶ」とは、アグニ神のウドギータ〔の場合の事〕である。

プラジャー・パティの〔ウドギータの場合は〕音節の発音を不明瞭にし、ソーマの〔場合は〕明瞭に発音する。

ヴァーユ神のは柔らかく穏やかにし、インドラ神のは穏やかではあるが力強く〔唱える〕。

ブリハス・パティのは鴫の鳴き声に似せ、ヴァルナ神のは調子はずれな〔声で唱える〕。

これらすべての〔唱え方〕を練習せよ。

5.「インドラ神に力を贈ろう」と〔考えて〕、全ての母音声帯を震わせて力強く発音されねばならぬ。

「プラジャー・パティに一身を委ねよう」と〔考えて〕、すべてのウーシュマン音は音を濁したり省略したりすることなく、明瞭に発音されなければならぬ。

「死の神を避けよう」と〔考えて〕、すべての閉塞音は〔空気を声帯に〕僅かに接触させて発音されねばならぬ。

~以上、「原典訳ウパニシャッド岩本裕訳、ちくま学芸文庫 P55~57より引用

このチャーンドーギャ・ウパニシャッドブッダ以前の古ウパニシャッド文献としてブリハッド・アーラニヤカと並んで有名であり、古代インド思想がヴェーダンタ的な『唯一者の探求』へと展開する、その最初期のありようを示している。

しかし、私も再読してみて改めて驚いているのだが、その内容の大半が、いわゆるブラフマンをテーマとした哲学的思索ではなく、もっぱら祭祀のやり方やその祭祀におけるウドギータの『歌唱法』にまつわる事柄について語っている。

その歌唱法、とは、それぞれの言葉や音節が持つ神学的な意味付けに依って立つ、それらの厳密な発音、発声の仕方であり、そこには、そのような諸要素を自然界の諸要素・諸現象と相互に重ね合わせるところの、いわゆる『念想(ウパース)』『同置』という心象が横溢している。

このような極めて特殊インド的な世界観。これはおそらく紀元前7~800年ごろからブッダの時代前後にかけての(当時最先端の)バラモン教祭祀のひとつのありようを、リアルに反映しているものだと思われる。

ここで、まず上記引用で注目すべきは、赤字でハイライトしたように、明確に『声帯』という『器官』に言及している事だ。これは英訳を見ると直接『声帯』という訳は見当たらず『発声器官』的な訳になったりするのだが、岩本氏が敢えて『声帯』という訳語を用いたのにはそれ相応の理由があったのだろう。

(いろいろと探したのだが、サンスクリット原語は発見できず)

私としても、この訳出には大いに賛成できる。以前に書いた様に、これだけ賛歌の音や音節、単語の厳密な意味、そして様々な同置、それらを踏まえた発声法と音韻論、と言うものに「神学的な」意義を見出していた古代インドのバラモンたちが、そのような『音声』の依って来る『音源』である『声帯』あるいは『声門』の存在について、全くあずかり知らぬ状態にあったとはとても思えないからだ。

(古代インドにおいて高度に発展した文法学的言語学、及びその基礎となった音韻論・音声学の起源とは、正にこの祭祀における賛歌という実践的な関心に根差すものであり、このような伝統が一方では、ヒンドゥ・ヨーガにおける『プラーナヤーマ』の起源ともなった可能性が高い)

そしてこのような声帯を起点とした全発声器官(喉頭、咽喉、口蓋、舌、歯、唇、それらにまつわる諸筋肉)の仕組みを熟知し、精密にコントロール(調節=チューニング)して、(神学的な意味づけを十分に踏まえた上で)理想的な音声を発し歌い上げられた賛歌、それこそが、前述したアイタレーヤ・アーラニヤカの、

『神々によって造られたヴィーナである人の身体を知りその上に瞑想する

事であり、だからこそ、その後段の、

『(そのメロディである音声=賛歌)は(神々に)快く聞かれ、彼の栄光は大地を満たすだろう』

という言葉が、実践的な意味を持つ訳だ。

ここでひとつ重要な点は、「詠唱という瞑想営為=賛歌」「神々に快く聴かれ」その結果として「彼の栄光は大地を満たす=神々から果報がもたらされる」という『祭祀』における構造と関係性にあるので覚えておきたい。

そして、ゴータマブッダが『箜篌の喩え』において語った「音声にこころよい(妙なる響き)」でありTunefulであるところの、パーリ原語 “Saravatī ” が本来的に意味するものこそが、そのような徹底的なこだわりの上に絶妙に制御された賛歌のメロディ(ヴォーカル)であった、と考えるべきなのだ。

何故なら、この “Saravatī ”Saraとは、バラモンの歌詠祭祀を中心としたインド教世界の中で、何よりも人間の(賛歌の)『音声』をイメージする時に多用されるものであり、様々な結合語と結びついて音韻論の詳細を記述する中核語となっているからだ。

それはSaraというパーリ語やそのサンスクリット語であるSvaraの運用を見れば良く分かるだろう。

そもそも、「ヴィーナと身体の重ね合わせ」と言うものが、共に祭祀で演じられるヴィーナの伴奏と祭官の賛歌詠唱の重ね合わせであった以上、ヴィーナにおける “Saravatī ”とは賛歌詠唱における “Saravatī ”である、という事は古代インド人にとっては自明の真実なのだ。

この辺りは、現代日本人にとってのギターと古代インド人にとってのヴィーナが「まったく同じ単なる弦楽器に過ぎない」、と思っている限りは絶対に理解できない心象風景だろう。

要するに、ブッダがソーナ比丘に対して「ヴィーナの喩え」を用いて修行の要諦を説き聞かせた時、彼らの念頭にあったのは「祭官ヴィーナ」と全くダブらせた楽器ヴィーナであり、むしろこれらバラモン祭祀における『瞑想実践としての賛歌詠唱』のありようのディテールそのものであった、と言う事になる。

だからこそ、ソーナ比丘は、ブッダの教えに多大なる啓発を受けて、その後悟りを開く事が出来た、すなわち、瞑想実践においてニッバーナに到達する事が出来たのだ。

何故なら、

賛歌と言うバラモン教的な『瞑想実践』に対するオルタナティブとして提示されたのがブッダの瞑想行法』であり、

「賛歌のデバイスである(ヴィーナとしての)ウドガートリ祭官の身体」

「瞑想のデバイスである(ヴィーナとしての)比丘サマナの身体」と、

完全に対置(同置)されていた

からだ。

私たちはそのような『対置構造』を前提にして初めて、箜篌の喩え」の真意をソーナ比丘と同じ地平で、理解することが出来るだろう。

この様な対置構造はこれまでに紹介して来たパーリ経典の言葉の中に、様々な形で明示されている。例えば「真のバラモンなどがそれだ。

大分以前に私は、ゴータマ・ブッダが自身とその率いる比丘サンガについて「真のバラモンと称していた点について、若干の深掘りを行っている。

ゴータマ・ブッダ自己認識(アイデンティティあるいはセルフ・プレゼンテーション)において「私は真のバラモンである」という宣明は、「実践的に」極めて重要な意味を持っているのだ。

この点に関しては次回以降に詳述する予定だが、ここで略記すれば、

 

バラモンとは「祭官=祭祀実行者」なのだから

「真のバラモンとは「真の祭祀実行者」に他ならない。

その祭祀の中核は「賛歌詠唱」でありその歌詠は『瞑想』だったのだから、

「真のバラモンとは「真の歌詠瞑想行者」を意味する。

 

この論法が間違っていないか、確認して欲しい。

そしてそれは、

 

バラモン祭官の外なる祭祀(歌詠瞑想)」

「比丘サマナの内なる祭祀(呼吸瞑想)」という

対置構造の中に位置づけられていた。

 

という事になる。

これは以前に書いた

「ワインを蒸留熟成してブランデーが出来、それを精製して純粋アルコールが抽出される様に、賛歌からオームの念誦が蒸留熟成され、それを更に精製したものがブッダの純粋呼吸瞑想である」

という文脈とも全く重なるものであり、それは同時に、リグ・ヴェーダ的神々が哲学的賛歌においていくつかの "Tad Ekam" 候補へと収斂され、それが最終的に『一者なる絶対者ブラフマンへと収斂していくプロセスと、まったく軌を一にしている。

ここでブッダ「真の」と言う時、それは『清浄な』であり『殺さない』『善い』『正しい』『至上の』であり、対置する「偽りの」「不浄な、殺す、悪しき、間違った、低級な」既成のバラモン祭官と祭祀の在り方を、自らの生き様をもって見事にアウフヘーベン(アンチテーゼ)している。

略記と言った割にはかなり詳述してしまったが、この辺りは極めて重要なポイントなので、繰り返し読んで、吟味して欲しい所だ。

もちろん私のこのような論述に対しては、「やっぱりヴィーナの喩えは単なる楽器の喩えであって、瞑想実践ともバラモン祭祀や賛歌の詠唱などとも全然関係ないんじゃない?」という疑問は当然予想される。既成の常識に縛られていたらそうとしか考えようがないからだ。

妙な理屈をこねくり回して事態をより複雑化して考えるのではなくて、ごく普通に当り前に素直に受け止めれば、箜篌の喩え」はこれまで通りの「中ほどが丁度いい」という理解で問題ないじゃないか、という訳だ。

古代インドにおける祭祀という基幹パラダイムの重要性やそのディテールについて、現代(日本)人はほとんど知らないのだから、ある意味、「一般論」としてはその判断は正しいようにも見えるだろう。

しかし、ここで前提にすべきは一体、 "誰の"「一般論」だろうか。

現代日本に生きる私たちと古代インド人とでは、その「普通の当たり前」の次元がまったく違う。それに加えて、出家のサマナをはじめとしたインド的求道者という人々は更に度を超えて(我々が考える)「普通」では全くなかったのだ。

(私たちはここで『普遍』と『特殊』を明晰に切り分ける必要がある)

もし人が「ゴータマ・ブッダのリアル」を本当に知らんと欲するならば、まず第一に、彼ら出家比丘と言う人々が当時何をどう考えていたか、その心象風景に心を馳せ、彼らにとっての「普通で当たり前」が一体どのようなものであったのか、と言う事に、想像力の限りを尽くして肉薄しなければならないのだ。

(もちろん入手可能な基礎データを踏まえたうえで、その延長線上に)

そうすることによってはじめて、バラモン教的な祭祀ブッダの瞑想行法が、具体的かつ実践的に『接続』していたその『文脈』が、自ずから明らかになるだろう。

端的に言って、この両者が「接続していなかったとしたら」ブッダが自らを「真のバラモン」などと自称する訳がない。こんな事は子供でも分かりそうな単純明快な理屈だ。

(この点に関して中村元博士は「当時はバラモン教全盛の時代だったので、ブッダは自らの教線を拡大する為にバラモンという社会最上位者の威勢を便宜的に借りたのだ」などと★★★★いるが、よ★まぁこ★な適★な事が… 以下自粛。後日冷静に検証)

私はやはり以前に、

ブラフマン概念とブッダ存在」との関係性

についても考察しているが、上の文脈はそこでの論述とダイレクトに結びついて来る。

そこでは、

覚りを開いたブッダの事を

ブラフマンになりbrahmabhūta)

ブラフマンに達しbrahmapatti:brahmalokūpapatti)

ブラフマンと同じになった者brahmasama)

と呼び、

ブッダの教え、その修行道

ブラフマンの車輪brahmacakka)

ブラフマンの無上の乗り物brahmayānam anuttaram)

と呼びうる、

その背景心象とは如何なるものなのか?

という極めて素朴かつ根元的な疑問を解き明かすべく様々な考察が行われたのだが、バラモン教的な祭祀(歌詠瞑想)ブッダの瞑想行法が、具体的かつ実践的に『接続』していたその『文脈』さえ理解されたら、これはもはや、謎でも何でもなくなってしまう

キーワードは、既に幾たびも触れている『祭祀の内部化』だ。

そこでは、「真のバラモンによって為される「真の歌詠瞑想行」において「無声の純粋呼吸」が奏じられ観じられる事、それ自体が、「不死なるブラフマンに捧げられる「内なる祭祀」を構成していた、と考えられるのだ。

そしてこのブラフマン』概念は、ブッダ般涅槃後に仏教サンガからほぼ完全に消滅する。何故なら、もはやそのブラフマンブッダと完全に同一なのだから、わざわざ旧来の呼称であるブラフマン呼び続ける必然性が全くなかったからだ。

むしろ「呼ぶ事を止める」必然性は多々あって、だからこそ、その呼称は最終的にブッダに一本化されたと言ってもいい。この辺りの消息もまた、この『文脈』を理解するためのひとつのカギになるので、後日検討したい。

そうして完全に不死なるブラフマンと合一したブッダ存在唯一の『至高神格』と崇め、その後の仏教サンガおよびその信徒たちはブッダに捧げる祭祀』として、それぞれの『つとめ(祭務)』を果たしていったのだった。

ストゥーパ信仰もその様な文脈の中で初めて、正確な理解と評価が可能になる)

ブッダに捧げられる祭祀として為されるその『つとめ(祭務)』とは、比丘においては戒を守り出家としての行儀をなぞらえ経典を伝持し理念的には瞑想実践に励む事であり、在家においてはサンガに供養『善を実践する』事だった。

出家と在家それぞれの「果報」『解脱』『生天』とに完全に分かれていたはずだが、後に「瞑想実践行が見失われた」結果、在家と比べより高いレベルでの『生天』は出家の果報にもなった。

そこでブッダ祭祀の全てを統括支配するのは基本的に比丘と言う「真のバラモン祭官」だが、在家信者の日常における「善行為」もまた『祭祀』としての実効力を有していた。この『祭祀行為の民主化(内製化)』は、おそらくブッダ在世当時からすでに起きていた事だろう。

やがて時が経ち、仏教自体がインド世界の辺縁から外部へと流出した結果、この『祭祀』という本来的(インド教的)な概念・文脈の肉付けは少しずつ捨象・忘失され、その基本的な骨格構造だけが残った。

(このプロセスは、あるいはインド世界のど真ん中で社会から孤立し閉じこもった『ビハーラ』の中でも、進行していたのかも知れない)

その中で「話の辻褄を合わせる為」に、『カルマ』『ダルマ』と言うものがある種超越的な『威力』としてクローズアップされ、サンガ独自の煩瑣な論学が発展した。

それが現代に至るテーラワーダ仏教である、と私は考えている。

ダルマカルマという語の基本的な原像その性格が、本来祭祀祭祀行為であった事を前提にすれば、これらの文脈の整合性が理解可能になるだろう。

もちろん以上は、ひとつの『読み筋』を大幅に簡略化しそのあらましを提示したものに過ぎない。後日ここからさらに深掘りして、その枝葉について詳細に論じていきたい。

(本投稿はYahooブログ 2016/3/19「52 『賛歌』のオルタナティブとしての『ブッダの瞑想行法』」を加筆修正の上移転したものです)

 

 


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