仏道修行のゼロポイント

ゴータマ・ブッダの原像とヒンドゥ・ヨーガ

気胸体験と “Kha” の恐怖

本投稿はYahooブログ「脳と心とブッダの覚り」2015/12/23「気胸体験と“Kha”の恐怖」を元としているが、これもまたどのように移転しようかあるいはしないか、で悩んでしまった記事だ。

しかし、ここに書かれた「恐怖の気胸体験」は私にとって色々な意味で忘れられないものであり、同時に本ブログのテーマである仏道瞑想修行」とも大いにシンクロするタイムリーな(今読んでもかなり笑える)内容でもあったので、ほぼそのまま移転する事にした。

そこに書かれた若干の内容は、ひょっとして気胸や入院の初心者?にとっては、何がしかの有用な情報になるやも知れない。

そういう訳で、以下は「時制」を含め2015年の当時の記述である、という前提で読んで欲しい。

 

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2015年12月23日

実は11月の下旬から今月の初旬にかけて入院していた。病名は『突発性自然気胸だ。病名通り、その発症は本当に何の前触れもなく突然にやってきて、正に晴天の霹靂、の感があった。

私はまったく知らなかったのだが、この気胸という病気、何らかの原因で肺胞にあいた穴から呼吸された空気が漏れて胸腔内部にたまり、そのたまった空気の圧力によって肺胞がつぶされて胸痛を感じたり呼吸不全になる、というものだ。

たとえば戦場で敵の放った矢に射られて胸に刺さった場合、その矢じりが肺胞を貫いていたら、当然肺胞に穴が空いてそこから空気が漏れて気胸になる。あるいは肺がんなどの肺疾患に因って肺組織が崩れて穴が空いても、同じように気胸になる。

これら明確な原因が特定できる気胸は分かりやすいのだが、中には原因が全く特定できないで何の予兆も段階も踏まずにいきなり発症する気胸があり、今回の私の場合が正にこの突発性自然気胸だった。

ネットを検索すると、若く背が高いやせ型のイケメンが発症しやすいなどと書いてあり、最近の有名どころではナイナイの矢部さんや嵐の相葉くん、佐籐健などの名前が挙っている。

自然気胸参照。

上記御三方と並べられると気が引けるのだが、到底若くもなくイケメンでもない私は、しかし身長170cm体重53kgとやせ型であるのは間違いなく、どうやら典型的な自然気胸体型だったようだ。

この自然気胸、前述したように21世紀の現在においても、その原因が明確に特定されてはいないようで、上記サイトでは一般論として以下のように言われている。

気胸が発病する原因

1.身体的、心理的ストレスを感じている時。たとえば、深夜の仕事や徹夜の勉強などの寝不足状態が続く時。

2.残業などで慢性的な疲労状態にある時。

3.不安や心配なことがあり、精神的にストレス状態にある時。例えば、

・職場での人間関係で悩んでいた
・仕事上の行き詰まり状態であった
・転勤などで環境が変わった
・海外旅行に行く(時差の問題と異国というストレス)
・学生の場合はテスト前後に起こることが非常に多い
・夫婦喧嘩や彼氏との喧嘩
・結婚式が近づいた時に起こったり、あるいは離婚調停中に何回も起こしたり。

4.気圧の変動がある時が多い。すなわち、雨や台風の時期など。

こうして見てみると、心と体の過労とストレスが最大の原因とも思えるが、私の場合はどうだっただろうか。

現在(2015年当時)私は高齢の母と同居して介護生活をしているのだが、まだそれほどハードな重介護には至っておらず、生活実感として肺胞に穴が開くほどの、そこまでのストレスがあるとは思えない。

何しろ私は、以前書いたかも知れないがインド放浪・滞在歴のべ48ヶ月という人間で、あのインド生活のあれやこれやのストレスに比べたら、現在の東京での落ち着いた暮らしは天国のように安楽とも言えるだろう。

そこで思い付いたのだが、実は、本ブログのこの『脳と心とブッダの悟り』という知的探求のプロセスそのものが、私の心身にとってとてつもないストレスではなかったか、という視点だ。

何しろ私は、ひとたび夢中になると時間を忘れて没頭するタイプだ。以前、ブロガー版『脳と心とブッダの悟り・苦行者シッダールタの日常風景』の中で、頭蓋内部の “車輪構造” の発見について以下のように記述している(この投稿はこちらに移転済み)

「これまでに紹介した解剖学的画像は、ネット上で『大脳 頭蓋骨 Skull』 などのキーワードで検索し発見していった物だ。発見に至るまでに一体何枚の画像をチェックし、どれだけの時間を費やしたか自分でもよく覚えていない。

その不毛とも思える孤独な作業のさなか、「オレハイッタイナニヲシテイルノダロウ・・・」と、ほとんど「ワタシハドコ?ココハダレ?」的な、クラクラと眩暈がするような呆然自失に陥った瞬間も一度や二度ではない。しかし、大げさに言えば、この地道な作業の積み重ねこそが科学というものなのだ。

どんなに馬鹿らしく見える仮説でも、そこに真実の一条の光が差すと信じるならば、全力を挙げて検証に突き進む。この私の作業に興味を持っていただける方は、今しばらく脳と頭蓋骨の話におつきあい戴きたいと思う」

ひとつの仮説に想到しそれを検証するために、私は全精力を注いでネットを渉猟し文献を読み漁っていく。その忘我の集中力とそこで消費されるエナジーは、東大一直線のお受験ママに尻を引っぱたかれて勉学に励む受験生に勝るとも劣らない?ものがあったかも知れない。

自分の健康・体力を過信して、しばしば徹夜も辞さないようなその勤勉と精進(エクストリームなエナジーの集中)は、私の心身にとってどれほどのストレスになっていたことだろうか。しかもそれを母の介護と並行両立して行っていた訳だから、やはり思っていた以上に負担は大きかったのかも知れない。

そして、その『学』へののめり込みが強まれば強まるほど、瞑想実践つまり『行』からは遠ざかってしまう。実際にここ数年間の私は、一時的・実験的な検証として暫時集中して様々な瞑想メソッドの試行を繰り返す事はあったものの、それが安定した定として軌道に乗ることは全くなかった。

私にとってこの論理的な探求とは、正にブッダの悟り』という超巨大な “詰め碁” を解き明かすエキサイティングなチャレンジなので、その面白さにはまってしまっていては、『意官の法を厭離する』などということは原理的に不可能だったのだ。

逆に実験的に瞑想してある程度それが深まると、その時点で温めていた仮説についての洞察が唐突に、文字通り天から降ってくるように脳内にやってきて、それを逃してなるまいと瞑想中もメモ帳を膝元に置いているような始末だったのだから、何をかいわんや、である。

夜寝る前の瞑想中にそのような閃きに襲われた時には、メモを取って後で調べる、などという『間』さえも待ち切れずに、すぐさま机に向かってパソコンを開いて、ネット検索に没頭し、気がつけば夜も白々と明けてきた、などという経験も一度や二度ではなかった。

知的な探求ばかりではなく、時に私は沙門シッダールタを追体験する為に、自分の心身をサンプルとしたある種過激な人体実験も行っていたので、それがストレスとなった可能性も否定できない。

なんともエクストリームな話だが、そのような不節制な生活の中で中途半端な瞑想を繰り返しても決して真の意味で定が深まり、ニッバーナ(究極の安らぎ)に至ることはないのだ。

しかし、そのようなエクストリームな精進があって初めて、これまでの本ブログ上の考究の軌跡がありえたのもまた事実だろう。

ある意味、今回の気胸発症は、「そろそろ、知的探求などという終わりのない迷宮におさらばして、瞑想実践に専念しなさいよ」という天からの警告?と受け止めるべきなのかも知れない。

今回この突発性(原発性)自然気胸に見舞われて、救急車で運ばれてのべ約3週間の病院暮らしを強いられ、あまつさえ外科(内視鏡)手術をも体験させられたのだが、実はこの自然気胸という病気、私が直前までテーマとして常に念頭に置いていた、あの “Kha” “呼吸” “体腔”といった概念を、文字通り “身をもって” 体験させられるものだったのだ。

自然気胸になった場合、レントゲンなどを撮って軽度だと診断されれば、なにもせずに安静にして自然治癒を待つのが一般的だ。

しかし私の場合は胸腔に漏れてたまった空気の圧によって右肺がほとんどつぶされて強度の呼吸不全になるという、かなりな重症だった。

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正面から見たCTスライス画像:右肺が真っ黒く完全につぶれている

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足元から見たCTスライス画像:黒い胸腔に空気がたまって右肺胞が完全につぶされている

救急車で最初に運ばれた病院では、この重度の病態を診て、右脇の下の肋骨の間を切開してドレイン管を挿管し、たまった空気を抜きながら肺胞が回復して膨らみ、そこに空いたパンク穴が自然治癒して塞がるのを待つという、保存療法を施された。

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正面から見たレントゲン画像:右胸腔に入ったドレイン管とかなり復活した右肺胞

しかし、その状態で10日近くが過ぎても空気漏れが止まらず、CT画像でも肺胞が完全復活しなかったので、結局最初の病院からより高度な設備の整った病院へ転院して、そこで胸腔鏡手術を受ける事になった。

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正面から見たCTスライス画像:右肺胞がかなり復活しているが、まだ胸腔との間に黒い隙間がある

結局、手術が無事成功して気胸の穴が完全に塞がったのが確認されるまでの17日間、私の右胸には切開された穴と、そこに差し込まれたドレイン管が存在し続けた事になる。

肺胞に空いたパンク穴から空気が漏れていて、胸腔にたまった空気を排出するために胸腔内部にドレイン管(長さ20㎝くらい?)が差し込まれた状態って、想像できるだろうか?

考えてもみて欲しい。それがどんな状況かということを!

それは、ある意味、文字通り『胸に毒矢が刺さった状態』に近いものだった。

身体(胸腔)の内部に差し込まれたドレイン管によってたまった空気を引き出すために、その管の端は体外で接続されたビニール・チューブによって機械につながれている。

この機械は、呼吸による胸腔内部の気圧変動に即応する様な形で漏れた空気を引き出す、いわば負圧コンプレッサー(吸引機)の様なものを想像すればいいだろう。

そう、まったく当たり前の話だが、呼吸による内圧変動、と書いたように、私は肺胞が破れて胸にドレイン管を差し込まれた状態でも、通常通り呼吸している訳だ(!)。

漏れて溜まって肺胞を圧迫している空気を取り除くための管を胸腔に差し込んでいる。その意味ではこのドレイン管は毒矢とは間逆な『薬』とも言えるかも知れない。

けれど、いくら治療のためとは言いながら、ドレイン管は身体にとっては受け入れがたい異物であり、胸に開けられた挿管口は傷口に他ならない。

矢じりと毒がないというだけであって、物理的な状況は、まんま胸に矢柄が突き刺さった状況なのだった。

当然その異物感たるや半端なものではない。呼吸のたびにあるいは身体動作のたびにドレイン管が内部で動き、胸腔内壁や肺胞外膜に触れて、なんとも形容しがたい不快感や悪心に見舞われる。

もちろん、ドレイン管が突き刺さっている傷口における痛みも、痛み止めを飲んでいても、しばしば強烈に襲って来る。

その結果、私がどのような心理状態になったか分かるだろうか?

それはある意味、強制アナパナ・サティであり、強制カヤ・ヌパッサナであり、強制ヴェーダナー・ヌパッサナに他ならないものだったのだ。

このドレイン管挿管による保存療法というものは、基本的には一度チューブを差し込んで機械につないでしまえば、定期的に様子を見ているだけでほとんど治療らしい治療をすることもなく、ある意味「放置プレイ」され続けるものだ。

その間、肺胞の自然治癒を期するために基本的には絶対安静が求められる。今回私は、ショート・ステイにあずかってもらった老母の状態が心配だったので、何としてでもこの自然治癒で治したい、ということもあって、ほとんど何することもなく、寝たきりの生活を送っていた。

救急車を呼んだ時点で、明らかに『普通ではない』自覚があり、入院生活というものをある程度予想していたので幸か不幸かネット環境は持ってきていて、当然、ベッドの上で暇にあかせて気胸やその手術についての情報収集にいそしむ事になった。

今、幸か不幸かと書いたが、実際に、このネットの情報は不安を払拭するためにはありがたい側面と、逆に不安を助長する様な側面とを併せ持っていたのだ。

玉石混交の情報にさらされながら、ひたすらに時間を持て余して寝たきりの入院生活を送っていると、人間という生き物は様々なことを考え始める。

たとえば、ある時私は、自分の左腕に繋がれた点滴のチューブの中に、長さ数ミリほどもある気泡がいくつか断続的に並んで、少ずつ私の身体に近づいて行くのを発見してしまった。

とたんに私は、昔テレビの刑事ものかあるいは推理小説にでも出てきた、「空気注射をして心臓ポンプをスカスカの機能不全にして人を殺す」という話を思い出していた。

何しろ医学的な臨床の常識は全く持ち合わせていないど素人だから、これはひょっとして看護婦さんが大変なとんでもない未熟者で誤って気泡を混入させてしまって、それに気付かずにチューブをつないでしまったのではないか?などと不安が頸をもたげて来る。

(当初入院した町の総合病院は、職員も玉石混交で院長もキワモノ的なキャラだったw)

目の前のリアルとして、ひょっとして人を殺す力を持っているかも知れない気泡が、少しずつ少しずつ私の血管に近づいて行くのだから、もう頭の中ではジョーズのテーマ・ソングが鳴り響いている。

よっぽどナースコールを押して確認する誘惑に駆られたが、なんとか自制して、理性的に考えてみる。そんな簡単なミスを曲がりなりにもプロの看護師さんがそうそう容易に犯すはずはないだろう、と。

そこで、少しずつ移動していく気泡の列をチラチラ横目で見つつもYoutube動画などを見て気を紛らわしている内に、その気泡は何事もなく身体の内部血管に吸い込まれていって、私の心臓も何事もなく動き続ける訳だ。

そうだよなー、と安心しつつ、看護婦さんに冗談半分にして聞いてみると、なーにをおバカな、といった口調で「あれはよっぽど大量の、太い注射器一本分くらいの空気を意図的に注入しない限り、自然に吸収されて問題ないんだよ」と教えてくれた。

ナースコールなんてしなくて良かった~、と心の底から思ったものだ。

ある時は、体外に出たドレイン・チューブが機械に繋がれている、その透明ビニール・チューブの途中に溜まっている血漿液に目がとまった。

チューブは胸郭内部に繋がっているので、そこから呼吸の空気の動きに伴って血漿液が滲んで運ばれて来て、チューブが弓なりにたわんでいるその最下点に溜まっているのだ。

ぼーっと見ていると、呼吸のたびにこのチューブの中の血漿液が前後数センチの間で微妙に行ったり来たりしている。

この血漿液は、回復の度合いにしたがって鮮やかな血の色からだんだん薄いオレンジ色に変っていくらしく、その変化を見て治癒経過をチェックしたりと、重要な意味を持っているというのだが、ある時ふと思ったのだ。

この血漿液は、分かりやすく言えばマグロの赤身の浸出液の様なもので、いわば『生モノ』ではないか、と。

もうドレイン管を挿してから一週間にもなるが、この生モノである血漿液は常温にさらされて腐ったりしないのだろうか?そしてそこで発生した瘴気の様なものが、逆流して胸腔の内部に流れ込んで悪さをしたりはしないのだろうかと、じわじわとした不安に苛まれ始める。

何しろ気胸になってドレイン・チューブに繋がれるなんて人生はじめてのど素人だから(普通はそうだw)、一度気になるともう大変で、再びジョーズのテーマソングのボリュームがじわじわ上がって来る。

レントゲンの為に移動する時などは、看護師さんがこの機械をいろいろアレンジして動けるようにしてくれるのだが、結構ガサツな動きとかを目にするたびに、心臓がドキドキして来る。オイオイ、そんなことしてダイジョウブなのかい?!と。

「この不浄かも知れない浸出液が胸腔内部に逆流したりしたら、ヤバいんじゃないのか!?」と。

けれど、点滴の気泡の件もあるから、平静を装って、機会を見て優しそうな看護婦さんに聞いてみた。

すると、「このチューブ内部は構造的に無菌状態が保たれていて、問題はないんだよ」と優しく教えてくれるのだった。

もう、今となっては笑い話だが、一時期、私の病院での入院生活はほとんど『ホラーの館』であるかのような状態だった。

そうしてある時、ふと私は思ったのだ。

何故、私はこのように不安になるのだろうか?と。

それは “Kha” すなわち『傷口』『穴』『空処』『門戸』が身体の外に向けて開いてしまっているから、そこから悪しく不善のものが入り込んでしまわないかと心配するのではないか、と。

点滴を挿した傷口から、気泡が入り込まないかと、そしてドレイン・チューブが差し込まれたその穴から、黴菌が入り込まないかと。

つまり穴・門戸・傷口としての “Kha” が「開いてしまっている」からこそ、そこから悪しく不善のものが入り込まないかと心配になるのだと。

そして、唐突に私は理解した。

ひょっとして、ゴータマ・ブッダにとっては、人間として普通に五官六官の門戸を外界にむけて開いた、ただ普通に生きているその状態が、正に私が恐怖に震えていた、この状態に等しいのではなかったか、と。

その心配な状態が完全に解消されるためには、点滴針が抜かれ、ドレイン・チューブが抜かれ傷口が縫合され、完全に塞がれる必要があるだろう。

今現在、ありがたい事に私の体はそのような不安が完全に解消された健康な状態に戻っている。点滴針によって穿たれた穴も、ドレイン管によって穿たれた穴も、さらには肺胞に空いたパンク穴も、おかげさまで全て塞がり、防護がなされている。もはや不安は全くない。

同じようにして、ゴータマ・ブッダ五官・六官の門戸という悪しき不全のものが入り込む『Kha(傷口)』をなんとか塞ごうとしたのではなかっただろうか。

その方法論こそが五官・六官の防護であり、すなわちブッダの瞑想法ではなかっただろうか。

考えてみれば、私が今回の投稿で気胸について説明する時に出てきた専門用語、すなわち『肺胞』『肺胞に空いた穴』『胸腔』『ドレイン管』『管を挿すための切開孔』『点滴チューブ』『針穴』などの言葉は、あるひとつの共通項によって貫かれていて、それこそが正に “Kha=体腔” であるところの『身体』であり、身体に開けられた “Kha=開口部” だった。

その “Kha”と身体を徹底的に見つめ続け観じ続けざるを得なかったこの約三週間の入院生活によって、本ブログの知的探求はある意味、強制的に体験的実感を伴う事を強いられてしまったのだ。

正に痛烈なまでの仏教学実習!?

この三週間の入院生活は、私にとって大変不本意な不安と苦痛に満ちた “苦行” 以外の何物でもなかった訳だが、しかし、この苦行の最中にあって初めて、理解しうる事柄、というものもまたあるのだった。

先に気胸の原因として、様々な心身上のストレスというものを引用したが、もうひとつ、これはきわめて個人的な感触だが、その原因と考えられるものとして不自然な身体の姿勢、というものを今私は考えている。

何しろ三週間にわたってひたすら呼吸に伴う様々な感覚の変化に注意を凝らしていた結果、私の意識において、いわば身体の内部感覚というものがとても鋭敏になっている。

その状態にあって初めて理解できるのだが、このブログ製作過程で、こうやってパソコンに向かってキーボードを叩いていたりネットで調べものをしている時、また寛いでパーリ経典本を読んだり、あるいはただソファーに座ってテレビを見ている時、日常的に多くの時間、私は大変不自然で肺を圧迫して呼吸動作を妨げるような歪んだ姿勢を強い続けていたのだ。

この瞬間も少し前かがみに猫背になってモニター画面にのめり込むような姿勢になり始めると、瞬時に私には肺胞のアラームが聞こえて来る。

「おいおい、今すっげー苦しいんだけど」というクレームの叫びが。

そうして、あれこれ試行錯誤を繰り返した末に、肺胞にとって最も安楽で快適に呼吸できる姿勢というものに気がついたのだった。

いったいそれは何だっただろうか?

それが実は『結跏趺坐(半跏趺坐)』の姿勢だった。

今私は、体感的には両鼻腔から気道そして肺胞に至る呼吸の通り道が、あたかも道幅拡張工事をされた後のように広々と広がって空気の流れが速やかに鮮やかになったかのように感じている。

そしてそれは特に、結跏趺坐(半跏趺坐)して腰骨を入れて背筋を伸ばして坐り、静かに腹式呼吸している時に顕著になる。

肺胞の穴やドレイン・チューブに煩わされる事なく、ただ呼吸をする(できる)という事がこれほどの安楽であったのか!と思わずには居られない。このまま完治してくれて、災い転じて福となす、という結果オーライになってしまえば、大変ありがたいのだが。

書き忘れたが、気胸という病は大変再発率が高いという。特に若い人の場合、という事なので私は該当せず、また再発率を下げるカバーリングという処置もやってくれたようなので確率的には低いはずだが、退院して二週間ほどだからまだまだ安心はできないだろう。

実は本ブログの執筆自体たいへん根を詰めた作業で、一本の記事を書くために多い時では5~6時間ぶっ通しの仕事になることもある。もちろん、その間の姿勢の悪さと肺胞への負担も今思えばとてつもないストレスそのものだっただろう。

という事で、完全に静養期間が終わるまでは、しばらくの間ブログ記事の更新間隔はかなり間遠になることをお断りしておく。

せっかく坐法の気持ちよさに目覚めたので、これから習慣的に瞑想実践を深めていければいいのだが、これが入院期間中にいろいろと新たな発見もあったので、やっぱり、この知的探求の作業は(良い姿勢を意識的に保ちながらも)止められないのかな~と、自分の業の深さに呆れている今日この頃なのだった。

 

(上の記事内容はYahooブログ「脳と心とブッダの覚り」2015/12/23「気胸体験と“Kha”の恐怖」に若干の修正をほどこして移転したものです)

 

~~以上、移転記事終わり~~

 

2020年3月現在の後記

この気胸体験は四年ちょっと前の出来事だが、今でも鮮明にその細部の状況を覚えている。新型コロナの脅威に現在進行形でさらされている日本人にとっては、この「“Kha” の恐怖」というものの切実さ、というものが、多少なりともリアルに感じられるのではないだろうか。

投稿文中では、その構成上「“Kha” が塞がれた今、不安は全くない」と書いたが、実際は手術の直後から半年程度は周期的に呼吸にまつわる様々な不調・違和感に悩まされていた。

しかしそれもその後落ち着き、2018年後半には再びインドに旅立つことができるまでに回復できたのだった。

(この間、介護していた母を2017年末に看取っている)

しかし、どうも完全な健康体とまではいかなかったようで、2019年初頭、西ベンガルのバウル・アシュラム滞在時に再び不調に見舞われる事となった。

ほぼ一か月アシュラムには滞在したのだが、その後半にひとつの歌をいただいて毎日数時間ぶっ続けに歌い続けた結果、何やら呼吸(換気)不全が再発して、帰国直前には眩暈や息切れ、悪心に襲われて病院に駆け込んだところ、血中酸素濃度が低下している事が判明した。

(このバウルの歌の修行とは、もちろん本ブログで言及した「歌詠瞑想」の実践という意味合いもあった)

私は学生時代に素潜りダイビングに熱中した経験があり、当時はプールで25mの潜水も余裕でこなせる肺活量があったので、気胸は完治している、と言う前提でまたしてもエクストリームな方向に無理をし過ぎてしまったようだ。

この時は結局、肺胞のパンク穴再発にまでは至っておらず、飛行機にも無事搭乗出来て何とか帰国したのだが、未だに少し激しい運動をすると息苦しさや悪心を感じる事があり、やはり何かしら問題を抱えているのは間違いないだろう。

しかし病院に行ってレントゲン等を撮っても、呼吸器に気胸その他の所見は確認できずに不定愁訴の類として扱われる始末で、何とも中途半端な落ち着かない状態に置かれている。

元々私は、母を看取り終えたらミャンマーの瞑想寺に入って一定期間集中したリトリートに入る心づもりでいて、その準備段階という意味もあってYahooブログ版「瞑想実践の科学」シリーズのパーリ経典学習を行っていたので、もう余計な事は何もせずに寺に入ってしまえ、という事なのかも知れないが…

しかし前にも書いたが、私の中では、あのロヒンギャの人々を襲撃・虐殺・追放して、未だその事に全く反省悔悟の姿勢を表さないミャンマー仏教徒のメンタリティーと言うものがどうしても許容できない部分があって、大なる躊躇いと共にグダグダと宙ぶらりんの状態で、この移転作業を行っている今日この頃なのだった。

結局のところ、場所がミャンマーでなくとも本人の決意次第でどこであろうがリトリートはできる筈で、いずれどこかでけじめをつけようとは思っているのだが、私は寺院あるいは『行場』と言うものが持つバイブレーション、そして何よりも『師』が持つ『気』にシンクロ共鳴して集中力が高まるタイプなので、やっぱり修行するなら寺がいい。

そして、あれほど勉強したパーリ経典とそれを護持して来たテーラワーダに対する思い入れはやはり深く、パーリ経典のチャンティングが(する事も聴く事も)本当に好きな事もあり、同じ「寺」ならできればテーラワーダ系の瞑想寺院が絶対いい、と言う思いは捨て切れず、中々に堂々巡りから抜け出せないと言う… 

そうこうしている間に新型コロナ禍が勃発してしまい、どちらにしても現状、この騒ぎが落ち着かなければ海外に行く事さえままならなくなって、当分は全ての『決断』を先送りして、本ブログの投稿作業に専念していくしか仕様がないだろう。

実はYahooブログの閉鎖に伴ってこの移転作業をしている内に段々と面白さがぶり返してきて、以前ほどの熱量ではないが、新しい書籍や文献資料を漁り始めている。

それによって新たな視程が開けて来たりと、この探求の奥深さを痛感しており、まだまだ「区切りの良い所」に至るまでの道は遠い。

現在、旧Yahooブログからの移転は9割がた既に終わっているので、これから先は新たな記事作成に比重が移り、それなりに投稿間隔は間遠になっていくかと思う。

 

 


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