仏道修行のゼロポイント

ゴータマ・ブッダの原像とヒンドゥ・ヨーガ

苦行者シッダールタの日常風景:「これはドゥッカの車輪である1」の補遺

頭蓋内部には明確に車輪と重ね合されるような構造が存在し、その事実をシッダールタたち古代インドの求道者は知っていた可能性が高い。そう私は前に書いた。

今回はその根拠について若干追記して述べよう。

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6本スポーク状に仕切られた脳内

当時、シッダールタが生活していた北インド一帯では、死者を葬る際には風葬が一般的だった。特別に身分のある場合は火葬が行われていたようだが、一般には人里からやや離れた森の中、その特定のエリアを墓場とし、地面の上に布にくるんだ遺体を放置し、腐るに任せていたようだ。この様な森を屍林(寒林 Śitavana梵)と呼ぶ。

そしてシッダールタの様に正統バラモン教から外れたサマナと呼ばれる求道者たちは、そんな屍林の周辺で修行をするのが常だったという。 

パーリ経典マジマ・ニッカーヤに属するマハシーハナーダ経(大獅子吼経)の中に、シッダールタの6年間に及ぶ苦行期間の生活実態が詳細に語られている。

あらゆる社交を絶った徹底した孤独行、段階的に極限まで進められた断食行、様々な肉体的苦行など、その修行のエクストリームな過酷振りがまざまざと筆写されている。

そこには、サマナは屍林に打ち捨てられた死体を包んでいた布を身にまとう(これが袈裟の起源)、夜には死屍の白骨を枕として眠る、と言う事も語られている。この期間、シッダールタの日常の中に、常に身近に死体があった、そう考えて間違いないだろう。

(経典のこの部分は、当時の求道者たちがいかに私たちの『常識』から乖離した存在であったか、という事が如実に表れている好例だ)

一方で、仏教の瞑想修行について基本的な流れを記述したサティパッターナ・スッタと言うパーリ経典の中には、面白い観想法が書かれている。 

頭の中で解剖学的なイメージとして全身を様々なパーツへと腑分けしていく不浄観と呼ばれる瞑想法、そして死体が少しずつ腐っていき、ついには単なる骨屑の山になってしまうプロセスを墓場で観察し、執着を離れ無常を悟るという瞑想法だ。

これらは当時のサマナ達によって一般的に行われ、シッダールタ自身も経験した厭離の観想を仏教サンガが取り入れたものなのだろう。

既に書いた様に、戦士階級であるクシャトリヤにおいて高度に発達した外科医学の素養があったシッダールタは、単なるイメージではなく、ひょっとしたら屍林で積極的に死体の解剖実習まで行っていたかも知れない

どちらにしても沙門シッダールタは、6年間の苦行期間中ただ死体の近くで生活していただけではなく、まざまざと人体の構造について解剖学的に観察する機会を持っていた、と言う事になる。

実はこの様な古代のサマナ達に非常に近い生活を行っている修行者の集団が、現代インドにも生き残っている。それがシヴァ派のナーガ・サドゥと呼ばれる人々だ。彼らは基本的に苦行者シヴァ神を奉じる流浪の出家者たちであり、人里離れた山中の庵(アーカーラ)に住み、あるいは遊行・巡礼し、経済発展著しい現代インド社会において、大いに異彩を放っている。

これらサドゥやサマナと呼ばれる人々の修行生活形態は、アーリア人以前の先住民の古層文化に由来すると言い、非常にプリミティブな狩猟採集民のシャーマン的な伝統に根ざすとも言う。

このサドゥの文化要素の中では、『髑髏』と言うものがとても重要な位置を占めている。彼らが奉じるシヴァ神は髑髏の首飾りを付けており、実際に髑髏を瞑想オブジェクトとして使用している修行者もいるらしい。

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Facebookより:髑髏のネックレスをかけたシヴァ 

中でも突出しているのが、ナーガ・サドゥに非常に近接したカーパーリカ(アゴーリ)と呼ばれる異端の者たちだ。彼らは髑髏で作ったお椀を日常使用し、飲食に用いているという。そしてこのカーパーリカの語源となったカパーラという言葉は頭蓋骨を表すと同時にボウル、すなわち鉢(ボウル:お椀)を表す。

The Kāpālika tradition was a non-Puranic form of Shaivism in India. The word Kāpālikas is derived from kapāla meaning "skull(頭蓋骨)", and Kāpālikas means the "skull-men".

The Kāpālikas traditionally carried a skull-topped trident (khatvanga) and an empty skull as a begging bowl. Other attributes associated with Kāpālikas were that they smeared their body with ashes from the cremation ground, revered the fierce Bhairava form of Shiva, and engaged in rituals with blood, meat, alcohol, and sexual fluids.

Wikipediaより

ナーガ・サドゥとカーパーリカ(アゴーリ)については、以下のサイトが詳しい。

この様な伝統の古さを鑑みれば、紀元前の古代インドにおいて、一定のサマナ集団がこの頭蓋骨でできた鉢を食器に使っていた事も想定できる。それはひょっとしたら托鉢乞食でも使用されていたかも知れない。

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Hiveminerより:頭蓋骨(カパーラ)の器で飲食する

パーリ仏典の中では、これらカーパーリカに近いサマナ達を外道と非難する記述が見られる事から、シッダールタ自身が苦行時代にこの様な習慣を持っていたかどうかはともかくとして、彼の身近に頭蓋骨の鉢を使用するサマナ達が普通に生活していた事は十分にあり得るだろう。

頭蓋骨から鉢を作る場合、上の写真の様に頭頂部の丸い部分をある程度の深さで切り離し、逆さにして使う訳だが、これはおそらくそれほど難しくない作業によって可能になる。眼窩の上からほぼ一直線に横に走る縫合線を楔の様なもので壊していけば、比較的簡単に加工ができると思われるからだ(もちろん私は経験がないので断言はできないが)

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高津整体院より:眼窩から真横に伸びる縫合線を切ると器になる

当時、ほとんど無一物に近いサマナ達が頭蓋骨加工用に鋸を持っていたとは考えにくいので、この事実は重要だろう。

そして頭蓋のドームを切り離してカパッと蓋をあけて、脳みそ残渣をきれいに洗い落とせば、下の写真の様な頭蓋底の形が露わになる。脳と言う軟組織だけではなく骨という腐らない硬組織にも車輪は刻まれているのだ。

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頭蓋底に刻まれた放射状6分割とずれた軸穴

シッダールタがこの頭蓋骨の鉢を使っていなかったとしても、カーパーリカ的な求道者がもしそばにいれば、その鉢を作った残りの頭蓋底を彼が目にする機会は、少なからずあっただろう。

ここで面白いのは、この頭蓋底には6本スポーク様の仕切りだけではなく車軸の穴まで存在し、それが中央からかなりずれてしまっている事だ。この点については「これはドゥッカの車輪である1」で既に詳述している。 

髑髏を観じそれを身に着け加工して飲食の鉢として使用する類のカーパーリカが当時からいたかは断定できないが、仮にいなかったとしても、日常的に屍林のそばで生活し、骨の山を褥として眠り、解剖学的な不浄観・死体観の瞑想を行っていたシッダールタが、この頭蓋底の形、そして大脳底部の形を見て知っていた可能性は極めて高い、そう私は判断している。

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大脳底部には頭蓋底に対応した六区分がある

そしてひとたびこの形を見てしまったならば、シッダールタをはじめとした古代インドの求道者としては、これを車輪と車軸に重ね合さずにはいなかった、と考えられるのだ。

これまでに紹介した解剖学的画像は、ネット上で『大脳 頭蓋骨 Skull』 などのキーワードで検索し発見していった物だ。発見に至るまでに一体何枚の画像をチェックし、どれだけの時間を費やしたか自分でもよく覚えていない。

その不毛とも思える孤独な作業のさなか、「オレハイッタイナニヲシテイルノダロウ・・・」と、ほとんど「ワタシハドコ?ココハダレ?」的な、クラクラと眩暈がするような呆然自失に陥った瞬間も一度や二度ではない。しかし、大げさに言えば、この地道な忍耐を伴う作業の積み重ねこそが科学というものなのだ。

どんなに馬鹿らしく見える仮説でも、そこに真実の一条の光が差すと信じるならば、全力を挙げて検証に突き進む。仏教と解剖学の取り合わせは日本人の常識的には違和感もあるのだろうが、この私の作業に興味を持っていただける方は、今後とも脳と頭蓋骨をはじめとした解剖学的な話におつきあい戴きたいと思う。

何故なら、私たちの心とは、正にこの身体システムの中で、頭蓋腔に横たわる脳において現象するからだ。そしてシッダールタは、その事実を誰よりもよく知っていた可能性が高い。

この一見馬鹿らしく見える作業が、汎インド教的文脈のど真ん中にいた沙門シッダールタの思考プロセスと大いにシンクロしている事が、追々明らかになっていくだろう。

 

(本投稿はBlogger版「脳と心とブッダの悟り」2012年7月29日「苦行者シッダールタの日常風景」を加筆修正の上移転したものです) 

 

 


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