仏道修行のゼロポイント

ゴータマ・ブッダの原像とヒンドゥ・ヨーガ

"mukha" の原風景に見る「牛」と「Kha=空処」《瞑想実践の科学22》

パーリ経典の多くで共有されている『サティを顔の周りに留めて坐る』という一節。繰り返し述べて来た事だが、これはブッダの瞑想法の原像について考究する時に、もっとも重要なものだと私は見ている。

ゴエンカ・ジーはこの『顔の周り=parimukham』を “口の周り” とし、「上唇の上から鼻腔にかけての三角形のエリア」と解釈した。

パオ・メソッドでも同様の気づきのポイントが採用されている事を考えると、これはゴエンカジーが、と言うよりも、レディ・サヤドウからウ・バ・キン師に至る系譜、あるいはそれをさらに遡るビルマの瞑想の伝統の中でその様に解釈されて来たと考えてもいいのかも知れない。

しかし、ここでひとつ問題になるのは、北インド諸語においてはmukhaという単語はという二つの微妙に異なった意味を併せ持っていたという事実だ。

ヒンディ語においてと同じように、パーリ語やあるいはサンスクリットにおいても、この『mukha(ムカ)』という言葉には『顔と口』両義があった。

一体、ブッダがその瞑想修行のガイダンスにおいて「気づきのポイント」を定型化したparimukhaṃという言葉によって、のどちらの周りを、その真意として伝授したかったのだろうか。

あるいは、顔の周り、もしくは口の周り、と言った時に、その内実は果たして私たちがこれらの日本語からイメージするもの、そしてゴエンカジーが主張するような「上唇から鼻腔にかけての三角形のエリア」という限定を超えた、もっと深い意味はなかったのだろうか?

そこで今回は、このparimukhamという単語の真意と言うものについて、私なりにより突っ込んだ考察をしてみたいと思う。

この単語はpariという接頭語とmukhaという名詞を組み合わせて出来ている。

まずは最初のpariをパーリ語辞典で調べると、英語でAround、Round About、All Around、という様な意味内容になっている。Pali Text Society “pari”参照)

これは日本語に訳すると「~の周り」「~のあたり」「~の周り中」の様な意味になるだろうか。

次にmukhaについて同辞書で見てみると以下のようになる。Pali Text Society “mukha”参照)

Mukha

Mukha (nt.) [Vedic mukha, fr. Idg. *mu, onomat., cp. Lat. mu facere, Gr. muka/omai, Mhg. mūgen, Lat. mūgio to moo (of cows), to make the sound "moo"; Ohg. māwen to cry, muckazzen to talk softly; also Gr. mu_qos word, "myth"; Ohg. mūla=Ger. maul; Ags. mule snout, etc. Vedic mūka silent, dumb=Lat. mutus=E. mute] 1. the mouth Sn 608, 1022 (with ref. to the long tongue, pahūta -- jivha, of the Buddha or Mahāpurisa); J ii. 7; DA i. 287 (uttāna˚ clear mouthed, i. e. easy to understand, cp. D i. 116); PvA 11, 12 (pūti˚), 264 (mukhena). -- 2. the face J vi. 218 (uṇṇaja m.); PvA 74, 75, 77; ˚ŋ karoti to make a face (i. e. grimace) Vism 343. -- adho˚ face downward Vin ii. 78; opp. upari˚ (q. v.); assu˚ with tearful face Dh 67; PvA 39; see assu. -- dum˚ (adj.) sad or unfriendly looking J ii. 393; vi. 343; scurrilous J v. 78; bhadra˚ brightfaced PvA 149; ruda˚ crying Pv i. 11 2 . -- 3. entrance, mouth (of a river) Mhvs 8, 12; āya˚ entrance (lit. opening), i. e. cause or means of income DA i. 218; ukkā˚ the opening of a furnace, a goldsmith's smelting pot A i. 257; Sn 686; J vi. 217; 574. ubhato -- mukha having 2 openings M i. 57. sandhi˚ opening of the cleft PvA 4. Hence: -- 4. cause, ways, means, reason, by way of J iii. 55 by way of a gift (dānamukhe); iv. 266 (bahūhi mukhehi). -- apāya˚ cause of ruin or loss A ii. 166; iv. 283. -- 5. front part, front, top, in īsā˚ of the carriage pole S i. 224=J i. 203. Hence: -- 6. the top of anything, front, head,

この辞書の記述(赤字部分)に従う限り、mukhaという単語の第一義的な意味はMouth、つまり『口』であり、次にFace:、Entrance:入り口、Opening:開口部、という意味が続く。

さらに下には、Front part:何かの前面部、Top, Head:何かの最上部、もしくは頭部、という意味が続く。

前回も指摘した通り、このparimukhamという術語は、何よりも瞑想する修行者自身の身体について、第一義的に焦点を合わせているものなので、この単語によって指し示されている身体部位は、第一に瞑想者の口の周りになり、続けて顔の周り、そして身体のなにがしかの “入り口” もしくは “開口部”、さらには身体の最上部(首から上の頭部)、身体の前面(顔・喉・胸・腹、など)の候補が続く。

この身体の前面部、という意味を汲みとれば、マハシ・メソッドの腹部のふくらみ縮みという気づきのポイントも、決してその文脈からは外れていない。しかし “parimukhamとは正に腹部である”、という “特定”としてはいささか無理があるだろう。

mukhaという単語の意味が第一義的にはありさらにであるという事を踏まえると、やはりゴエンカ・ジー(パオ・メソッド)に軍配が上がるのだ。

次に同じmukhaという単語を、サンスクリット辞書で引いてみる。これはブッダ在世の当時の直弟子の比丘達が、多くはバラモン階級出身であり、さらにはクシャトリヤや富裕な商人階級であり、どちらも古代インド世界における「知識階級」であったことから、ヴェーダの言語であるサンスクリットについては常識的一般教養として熟知していたと考えられるからだ。

もちろん、ブッダ自身もクシャトリヤの王子と言う上流階級出身で、おそらく当時の習わしに従って、またはいわゆる帝王学の一環としてもヴェーダを学んだと思われるので、サンガ内部の共通言語概念としてヴェーダサンスクリット的な語感と言うものが使われていた可能性が高いのだ。

ブッダは弟子たちに「説法する時は俗語を使いなさい」と指導していたらしいが、この事が逆に、サンガ構成員たちがいかにヴェーダの言葉=サンスクリットを習慣的に使用し、その依存度が高かったかを物語っているだろう。

以下にSanskrit-English Dictionary “मुखम् mukhamより抜粋引用する。

मुखम् mukham

1 The mouth
2 The face, countenance
3 The snout or muzzle (of any animal).
4 The front, van, forepart; head, top
5 The tip, point, barb (of an arrow), head
6 The edge or sharp point (of any instrument).
7 A teat, nipple
8 The beak or bill of a bird.
9 A direction, quarter;
10 Opening, entrance, mouth
11 An entrance to a house, a door, passage.
12 Begin- ning, commencement
13 Introduction.
14 The chief, the principal or prominent
15 The surface or upper side.

上記を見ると、口と顔というおもな定義はパーリ語と同じで、それ以外も多くパーリ語と意味を共有するものだが、他に目立ったものとして、

3 The snout or muzzle (of any animal). :動物の口吻・鼻づら
8 The beak or bill of a bird.:鳥のくちばし

というのが注意を引いた。

(もうひとつ、11 An entrance to a house, a door, passage.も重要だが、これは次回以降に)

3の The snout or muzzle (of any animal) だが、平板な人間の顔と違って、たいていの身近な動物(牛・馬・ヤギ・犬など)の顔では、口と鼻が集まった部分が長く先に突き出している。この突き出した口先・鼻先の先端部分を口吻・鼻づらと言う。

そこでもう一度パーリ語のmukhaに戻って読み直してみると、その冒頭にはこんな奇妙な説明が並んでいた。

Mukha (nt.) [Vedic mukha, fr. Idg. *mu, onomat., cp. Lat. mu facere, Gr. muka /omai , Mhg. mūgen, Lat. mūgio to moo (of cows), to make the sound "moo";

これを私のできる範囲でたいへん大雑把に意訳すると、

ヴェーダのmukhaと同義。mu(ムー)というonomat(擬声語)に由来ラテン語ギリシャ語などにもこのmuを有する同義語がある。
その語源は牛がモーと啼く、その音声に由来する』

となる。

たいへん面白くなってきた。こんな所で “モーモー牛さん” が登場するなんて、誰が想像できただろうか?

考えてみれば、ヴェーダの民であったインド・アーリア人たちは、牛を中心とした牧畜民だった。彼らにとっての牛の重要性は、リグ・ヴェーダなどにも繰り返し記されている。

それはアーリア人に侵略され支配されたインド亜大陸先住民の生活においても同様だっただろう。古くはインダス文明の印章に背中に大きなコブを持つゼブー牛の姿があるように、牛と言う生き物は彼らにとっても最も重要な家畜だったのだ。

牛の家畜(経済資産)としての重要性はパーリ経典にも随所に表れているし、その牛に対する情愛の深さは、何よりもゴータマ・ブッダ自身の言葉としても明示されている。

スッタニパータ 第二 小なる章

(昔の良きバラモンについての言及から続いて・筆者注)

295:米と臥具と衣服とバターと油を乞い、法に従って集め、それによって祭祀をととのえ行った。かれらは祭祀を行う時にも決してを殺さなかった。

296:母や父や兄弟やまた他の親族の様に、牛はわれらの最上の友である。牛からは薬が生ずる。

297:それら(牛から生じた薬)は食料となり、気力を与え、皮膚に光沢を与え、また楽しみを与える。(牛に)このような利益のあることを知って、かれらは牛を決して殺さなかった。

(それに引き換え現在の悪しきバラモンは平気で祭祀において牛や動物を犠牲として殺す、と言う慨嘆・批判の文脈・筆者注)

~以上、中村元訳、岩波文庫P55より引用 

それがアーリア系であれ先住民系であれ、古代インド人にとっての牛という動物の重要性はあらゆる文献資料において明らかであり、ブッダ自身の生活感情においてもまた、その例外ではなかったのだ。

(この流れはクリシュナ的牛愛やシヴァの眷属ナンディ牛などに受け継がれている)

さて、parimukhamという単語の中で焦点となるmukhaという名詞。その意味と起源がだんだんと明らかになってきた。

まずmukhaとい名詞の指し示す身体部位。これは口を第一義として次に顔、さらに口と顔が位置するところの顔面・頭部(身体の最上部)、喉首、胸部、腹部という身体の前面、という順番で意味が拡大していく。

そしてこのmukhaという名詞の原風景としては、牛がモーと啼く姿がイメージされていた。それがmukhaの最初にあるmuの原初的な心象風景だ。

おそらく彼らアーリア・ヴェーダの人々にとって、牛と言う何よりも重要な家畜動物が、のどかに平和に『モ~』と啼いている文字通り牧歌的な風景は、その魂に強く訴えかける “幸福” ‟充足” の原イメージだったのだろう。

サンスクリット辞書には第一に一般的な口、そして顔、さらに三番目に動物たちの口吻・鼻づら、という順番で意味が解説されていたが、このように見てくると、mukhaという言葉の本来の起源は、牛が「モ~」と啼くその声が発するところの “鼻づら・口吻”そもそもmukhaと呼び、それが動物一般、さらには人間の口を意味するようになり、さらにはその口が所在する顔全体を意味するようになった、という歴史的経過が推定できるのだ。

そしてその流れは、同じように牛を大切にしてきた先住民と混交したのちにも共有され、ブッダの時代においてもその心象風景は生き生きと共有されていた可能性が高い、と判断しても、決して『無理』ではないと思う。

(そもそもブッダの姓である「ゴータマ」は『最上の』を意味する!)

実はこの同じMuを伴う仏教用語にMuni(ムニ)がある。これは「沈黙の聖者」などと意訳されるが、漢字では「牟尼」と書く。

二つの漢字はどちらも「音写」と言われるが、興味深い事にMuを音写した「牟」を組み合わせたものだ。これを漢和辞典で調べると、この「牟」と言う文字自体が「牛がモー(ム~)と啼く」姿を元にしている事が分かる。

①「牛の鳴き声」

②「むさぼる(貪)」

 ア:「満足することなく欲しがる」、「欲張る(なんでも欲しがる)」

 イ:「いつまでもある行為を続ける」

 ウ:「がつがつ食べる」

漢字・漢和・語源辞典より

おそらく、このMuni「沈黙の聖者」とされたのは、原イメージとしてしょっちゅう「モーモー」啼いてばかりいるうるさい牛があり、それを否定する形で「静かで従順・温和な牛」というものがあったのではないだろうか。

つまり、インド語のMuniに当てた牟尼『牟』は、単なる音写ではなく、Muが持つ牛に関わる原義を即妙にあてた意訳でもあったのだ。

このムニという言葉は、既にブッダ以前の古ウパニシャッドの時代には求道の聖者を意味する語として現れているので、「良く心を整えた聖者」「静かで従順・温和な牛」を重ね合わせる心象が非常に古い事がうかがい知れる。

更に注目すべきは、『牟』の二番目の字義として「満足することなく欲しがる」「欲張る(なんでも欲しがる)」「がつがつ食べる」など『貪欲』のイメージがある事だろう。

牛と言う生き物は以前にも書いた通り草食動物で、ほとんど一日中食っては寝て食っては寝てを繰り返す生き物だ。反芻動物なのでとにかく暇さえあれば口をモグモグさせて貪っている

これは明らかに「満足することなく欲しがる」「欲張る(なんでも欲しがる)」「がつがつ食べる」という『牟』字の語義と重なるものだ。

仮にもしMuniに牟尼をあてた訳者がここまで意識していたと考えると、そもそもの原語であるMuniのMuにも「貪る牛」のイメージがあり、その否定形として「貪らない聖者」と言うものがあったとも想定され得る。

更にこの知見をMukhaにフィードバックすれば何が見えて来るだろうか。Mukhaの原像は

「ム~」と啼く牛の口

だったが、それは同時に

「貪る口」

ではないだろうか。

更にその意味を拡大すると、それは「牛が貪る顔」であり、その仏教的真意は「五官六官によって五欲六欲を貪る顔」になり、これを再びMuniに返せば「五欲六欲を貪らない聖者」になる。

これを以前に投稿した穀物畑で貪り食う牛を鼻で捕まえる」喩えに重ねると、何やら全てに一貫した『筋』が通って来ないだろうか。

この「牛を鼻で捕まえる喩え」はサンユッタ・ニカーヤ所蔵だが、そこには以下の様に書かれていた。

比丘たちよ、穀物畑がみのったが、穀物畑の番人が怠惰であったとしよう。そして穀物を食べる牛がその穀物畑へと入って、好きなだけ食べて酔いしれるとしよう。

比丘たちよ、まさにそのように、学びのない世俗の人は、六つの感覚器官とそれらの識別対象と識別作用との接触領域を抑制せずに、五つの欲望の対象に好きなだけ酔いしれる

春秋社 原始仏典Ⅱ 第4巻 六処についての集成 第4部第4章第9節 :琵琶、より引用

ここでは「食べて酔い痴れる」という牛の貪欲(つまり『牟』)が明らかに六官における五欲に重ね合わされており、先の私の推論が、極めて真っ当な筋の通ったものである事が明らかになる。

これを「Mukhaの周りに気づきを留めて」行じる瞑想営為と重ねれば、五欲六欲を貪ろうとするMukha(顔)を監視・調御し、その貪欲を防ぎ止める事だと理解されるだろう。

以上はあくまで即席の読み筋に過ぎないが、古代インド的求道者たちの「言葉に対するこだわり」そして『重ね合わせ=同置』の思想を考慮すると、決してあり得ない話ではない。

Mukhaという、この短い単語が担う心象は、私たちが想像する以上に深い

ならば次に、muに続くkhaとは何を表わしていたのだろうか?

そこまで考えた私は、ある事に「はっ」と気がついてしまった。

ブッダの瞑想法、その原像について探求するときに、もっとも重要なガイダンスのひとつと考えられるパーリ経典の文言は、

parimukhaṃ satiṃ upaṭṭhapetvā
顔(口)の周りに、思念(サティ)を、とどめて

であり、中でも気づき(サティ)のポイントを明示するものとしてparimukhaṃがその焦点となる。

そしてpari “周り” を意味し、muは牛が「モ~」と啼くその擬声語に由来し、mukhaという単語の原風景とは、牛がモ~と啼く、その鳴き声を発するところの鼻づら・口吻であった。

更にこのMu(牟)には「貪欲な牛」のイメージがあり、それは「五官六官の欲を貪る顔」という仏教的真実へとつながっていった。

では、parimukhamの中の、最後に残されたkhaは一体何を意味していたのか。

このparimukhamという言葉の最後に位置するkhaという音節。これに改めて直面した時、まず最初に私の頭に浮かんだのが、過去記事に書いた以下の内容だった。

仏教について興味があり、特に原始仏教あるいはテーラワーダ仏教やそのパーリ経典について少しでも勉強したことのある人なら、常識として知っているだろう重要な言葉がある。

それはスカ(Sukha)とドゥッカ(Dukkha)というパーリ語の単語だ。これはサンスクリット語だと若干綴りや発音が違ってくるが、ここでは煩雑になるので双方共にスカとドゥッカで統一したい。

ドゥッカは苦を意味する。それは生老病死苦の苦であり、四聖諦の苦でもあり、四苦八苦の苦であり、輪廻する生存の苦でもある。それはあらゆる意味で仏教の根底にあるキー・コンセプトであり、ブッダの教えとは、正にいかにしてこのドゥッカから解放されるか、という事に尽きるだろう。

スカはドゥッカの反対語で幸福や安楽を意味する。スッタニパータのメッタ・スッタ(慈経)にある、「一切の生きとし生けるものよ、幸福であれ、安泰であれ、安楽であれ」などの幸福、安楽がそれであるし、「ものごとを知って実践しつつ真理を了解した人は安楽を得る」の安楽がそれである。

同じスッタニパータには、

「他の人々が『安楽(スカ)』であると称するものを、諸々の聖者は『苦悩(ドゥッカ)』であると言う。他の人々が『苦悩』であると称するものを、諸々の聖者は『安楽』であると知る」(以上中村元訳)

という表現もある。

そして実は、このスカとドゥッカと言う言葉は、語源的に見るとラタ車の車輪と密接に関わっていた。

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現在進行形で作られている進化したラタ車(牛車)の木製車輪

上写真、現代インドの木製車輪は、ハブと軸穴そしてタイヤには鉄が使用されており車軸も鉄製だが、おそらく、ブッダの時代からその基本構造はほとんど変わっていない。

モニエル・ウィリアムス(Monier-Williams,1819–1899)のサンスクリット語辞典によれば、スカの本来の語感は「良い軸穴を持つ車輪=Having a good axle hole」に起源する。構造的には、Suが良い、完全な、を意味し、Khaが穴、あるいは空いたスペース(空処)を意味する。

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モニエル・ウィリアムスのサンスクリット語辞典:Sukha

この事実にパーリ語辞典などの内容を合わせて解説すると、

「良く完全に作られた軸穴(を持った車輪)」と言う原義が、そのような車輪のスムースかつ円満な回転を含意し、更にそのようなスムースに回転する車輪を付けたラタ車の乗り心地の良さ、その安楽さ、心地よさを意味するようになり、更にそれが安楽や幸福、そして満足を意味する一般名詞へと転じていった。

という事の様だ。

ドゥッカの場合はこの反対語で、Duhは悪しく、不完全な、という意味を持つ。

これもまた、「悪しく不完全に作られた軸穴(を持った車輪)」、と言う原義から派生して、その様な車輪のガタガタとした不具合、不完全な回転、更にその不完全な車輪を付けたラタ車の不快な、心地の悪い、苦痛に満ちた不満足な乗り心地を意味するようになり、それが転じて、苦や苦痛、そして不満足からくる苦悩を表す一般名詞へと転じていったと考えられる。

そう、「ブッダの瞑想法」においてその気づきのポイントを指し示す、mukhaという最重要な単語は、同じように仏教において極めて重要な意味を持つ、sukhadukkha(Sk : duhkha)という二つの単語と、“kha”という原義イメージを共有していたのだ。

この元原稿を書いたのは2012年の8月で、今(2015年当時)からちょうど3年前の事だ。まさかあの当時、3年後にこんな形で再びこのkhaについて考える事になるとは想像すらしていなかった。

そう、正にこの “kha” という語の意義について、私たちはここで考えなければならないのだ。

まずは、上と同じモニエルのサンスクリット辞典で“kha”を引いてみよう。

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モニエル・ウィリアムスのサンスクリット辞典“Kha”より

上に引用した辞書のキャプチャ画像の中に、およそインド思想もしくは仏教と言うものの、そのもっとも重要な核心部分が、網羅的に記述されている事がご理解いただけるだろうか。

下にその重要な項目を抜粋引用・和訳し、若干の加筆をもって説明する。

“kha”の意味

a cavity,
1.空洞、うろ
2.[解剖学] 腔(こう)
★mouth cavity で口腔を意味する。その他、鼻腔・耳腔・体腔など。

hollow,
1.うつろの、中空の
★a hollow tube で中空のチューブを意味する。

cave, cavern,
1.洞穴(ほらあな)、洞窟。

aperture,
1.開き口、穴、隙間、窓
ラテン語で“an opening”(開口部)の意味。

aperture of the human body (of which there are nine, the mouth, the two ears, the two eyes, the two nostrils, and the organ of excretion and generation)

人間の身体に空いた穴、戸口、開口部。ヴェーダウパニシャッド時代以来、伝統的に口腔両耳腔両眼窩両鼻腔(以上顔面の七つ)、排泄腔(肛門)、生殖腔(尿道・膣腔)の九つの穴をもって、nava dvara、つまり『身体の九つの門戸』と言い慣わしてきた。

hence an organ of sense
よって、そこより情報や物質が出入り(感受)する、感覚器官(の穴・開口部:門戸)を意味する。

in anatomy : glottis
解剖学では、声門(Glottis)を意味する。
glottisの原意はギリシャ語の舌。発声・発話に関わる器官

the hole made by an arrow, wound,
矢が刺さった穴、それによってできた傷口

the hole in the nave of wheel through which the axis runs,
車輪のハブの中心に空いた軸穴。そこに車軸が貫入する事によって車輪の回転運動を支える穴(空処)。

vacuity
空虚、真空。

empty space
何もない空間、空処虚空ヴェーダでいうアーカーシャ(Akasha)

air
空気、大気、風。

ehter
いわゆる “エーテル”。

sky
空(そら)、天空。ヴェーダでいうアーカーシャ(Akasha)

heaven
天界

Brahma(the Supreme spirit)
ブラフマン、超越者、真我(アートマンと対応する大我大宇宙の根本原理

happiness (a meaning derived from su-kha and duh-kha)
幸福。スカやドゥッカに由来する意味。

a fountain, well,
噴水、井戸。大地より水の湧き出る穴。★これは人体の各門戸が涙・鼻水・唾液・尿・精液などの水を排出する事に重なる。

以上の各項目それぞれの意味を、文字通り穴の空くほど(笑)見つめて、眼光紙背に徹するように熟読してみて欲しい。

この “Kha”という語が、いかにインド学・仏教学の “核心” をついた言葉であるかを、まざまざと戦慄を禁じ得ないほどに、体感してもらえたら、いいのだが。

私の読み筋では、もちろんゴータマ・ブッダ自身も、このkhaという言葉が持つ以上の様な諸概念の多くを、いわば “自明” 前提として、parimukhamという単語に “乗せて”、弟子たちに向けて発していたと考えられる。

(もちろんこれは最前のMuについても同様だ)

その様な前提の上で、仏教的文脈における『毒矢の喩え』『感官の門戸』そして『感官の防護』『真のバラモンブラフマンを知るもの)』『顔(Mukha)の周りに気づきを留めて』、『呼吸(風)に対する気づきの瞑想(アナパナ・サティ)』『輪廻する苦(Dukkha)の車輪』『洞窟(guha)の奥に横たわる心』『空(くう=sunnya)』『空無辺処』などという諸概念について、もう一度振り返ってみた時、そこにはある一貫した心象的パラダイムの存在が、鮮明な形で浮き彫りになるだろう。

そのパラダイムの中でこそ、沙門シッダールタは『覚り』に至る為のアナパナ・サティ瞑想法を想到し得た、のだと。その核心には、実に様々な意味の重合における Kha” があったのだと。

次回以降、これまで3年以上にわたって考え続けてきた、本ブログ上の様々な論述が、如何にこの “kha” という言葉の持つ諸イメージと密接な関わりを持ち、それによって “貫徹” されていたのかを、そのそれぞれの項目について、徹底的に見ていきたいと思う。

(本投稿はYahooブログ 2015/8/31「瞑想実践の科学 41:“mukha”の心象風景と『牛』」と、2015/9/5「瞑想実践の科学 42:mukhaの “kha”が意味するもの」を統合し加筆修正の上移転したものです) 

 

 


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