仏道修行のゼロポイント

ゴータマ・ブッダの原像とヒンドゥ・ヨーガ

内部化された祭祀としての “苦行”と「坐の瞑想」《28》

賛歌と言うバラモン教的な『瞑想実践』に対するオルタナティブとして提示されたのがブッダの瞑想法』であり、『賛歌のデバイスである(ヴィーナとしての)ウドガートリ祭官の身体』は『瞑想のデバイスである(ヴィーナとしての)比丘サマナの身体』と、完全に対置されていた。

バラモン教的な祭祀とブッダの瞑想行法が、具体的かつ実践的に『接続』しており、そのキーワードは『祭祀の内部化』である。

そのように、前回投稿の最後に書いた。

この『祭祀の内部化』とは一体何を意味するのか。この事はゴータマ・ブッダが当時の求道者たち、あるいはバラモンたちからしばしば ヴェーダの達人”、あるいは "ブラフマンに等しい" と称賛されていた事実、そしてブッダ自身が自らを『真のバラモンと称していた事実と深く関わっている。

実は、「ウドガートリ祭官の「瞑想」と“発声器官”」の回で “Dhyāna” について書くにあたって、困った時のWiki頼み、と言う事で英語版Wikipediaで色々と調べてみた(日本語版に比べて情報量が全く違う)

そこには、Dhyāna in Buddhism と Dhyāna in Hinduism の二つのページが存在し、主にヒンドゥ教の文脈の中に、現在の私の思考プロセスに非常にマッチする内容が記述されていた。

以前にもこの “Dhyāna”、Wikiで調べた記憶があったのだが、知らない間にかなり内容に変化、あるいは進化が見られる。

以下に、Dhyāna の語義から始まって『祭祀の内部化』に至る文脈まで、当該個所をかいつまんで引用してみよう。

Dhyana (Sanskrit: ध्यान, Pali: झान)

It means "contemplation, reflection" and "profound, abstract meditation".
The root of the word is Dhi, which in the earliest layer of text of the Vedas refers to "imaginative vision" and associated with goddess Saraswati with powers of knowledge, wisdom and poetic eloquence. This term developed into the variant dhya- and dhyana, or "meditation".

意訳:ディヤーナとは、熟考、省察、そして深遠で抽象的な何か、についての瞑想を意味する。

語根はDhi で、これは初期ヴェーダの文脈では「想起(イメージ)されたヴィジョン」を意味し、サラスワティ女神の知識の力、智慧と詩的な能弁とに関連付けられている。

この語はやがて『瞑想』を意味するディヤーナへと発展していく。

 

Dhyana, states Thomas Berry, is "sustained attention" and the "application of mind to the chosen point of concentration". Dhyana is contemplating, reflecting on whatever Dharana has focused on.

ディヤーナとは、「持続された注意」であり、選択された対象に向けられる集中した心の運用である、とトーマス・ベリーは言う。
ディヤーナとはそれが何であれ一点集中された心によって、熟考(心の眼で熟視する事)、あるいは専念する(心が特定の概念に投射され続ける)ことである。

 

Dhyana is contemplating that concept/idea in all its aspects, forms and consequences. Dhyana is uninterrupted train of thought, current of cognition, flow of awareness.

ディヤーナとは特定の概念やイデアにおけるあらゆる側面に対する熟考(心の眼で熟視する事)である。ディヤーナとは乱されない思念の連なりであり、認知あるいは「気づき」の絶えざる流れである。

 

The term dhyanam appears in Vedic literature, such as hymn 4.36.2 of the Rigveda and verse 10.11.1 of the Taittiriya Aranyaka. The term, in the sense of meditation, appears in the Upanishads. The Kaushitaki Upanishad uses it in the context of mind and meditation in verses 3.2 to 3.6, for example as follows:

मनसा ध्यानमित्येकभूयं वै प्राणाः
With mind, meditate on me as being prana
— Kaushitaki Upanishad, 3.2

The term appears in the context of "contemplate, reflect, meditate" in verses of chapters 1.3, 2.22, 5.1, 7.6, 7.7 and 7.26 of the Chandogya Upanishad, chapters 3.5, 4.5 and 4.6 of the Brihadaranyaka Upanishad and verses 6.9 to 6.24 of the Maitri Upanishad. The word Dhyana refers to meditation in Chandogya Upanishad, while the Prashna Upanishad asserts that the meditation on AUM (ॐ) leads to the world of Brahman (Ultimate Reality).

抄訳:ディヤーナという単語はリグ・ヴェーダ、タイッティーリヤ・アーラニヤカ、などの古層の文献にすでにみられる。

カウシータキ・ウパニシャッドには、「心をもって、私はプラーナである、と念想しなさい」という言葉がある。

その他、熟考、念想、冥想と言う文脈でチャーンドーギャ、ブリハドアーラニヤカ、マイトリ、各ウパニシャッドにも言及されている。

一方で、プラシュナ・ウパニシャッドには、聖音オームに瞑想する事によって、ブラフマン(究極の真実)に到達できる、という記述がある。

The development of meditation in the Vedic era paralleled the ideas of "interiorization", where social, external yajna fire rituals (Agnihotra) were replaced with meditative, internalized rituals (Prana-agnihotra).

ヴェーダの時代における瞑想実践の発展は「内面化(内部化=自らの内部に取り込む事)」というイデアと並行して行われた。

そこでは、社会的、外部的なヤジュナ、つまり火を用いた犠牲祭(アグニホートラ)が瞑想という形で(その瞑想者の)内部(内面)における儀式(プラーナ・アグニホートラ)へと置きかえられた。

 

This interiorization of Vedic fire-ritual into yogic meditation ideas from Hinduism, that are mentioned in the Samhita and Aranyaka layers of the Vedas and more clearly in chapter 5 of the Chandogya Upanishad (~800 to 600 BCE),

このヴェーダの火の祭式をヨーガの瞑想へと『内面化』するというイデアは、ヒンドゥ教のサンヒターやアーラニヤカなど古層のヴェーダ、なかんずくチャーンドーギャ・ウパニシャッドの第5章などに鮮明に見られるが、

 

are also found in later Buddhist texts and esoteric variations such as the Dighanikaya, Mahavairocana-sutra and the Jyotirmnjari, wherein the Buddhist texts describe meditation as "inner forms of fire oblation / sacrifice".

後の仏教文献であるディーガ・ニカーヤ、マハ・ヴァイローチャナ・スッタ、Jyotirmnjari などの中でも、瞑想行を “内なる様式としての火の献納・供儀” とする表現がみられる。

 

~以上、Wikipedia: Dhyāna in Hinduism より引用・拙い抄訳ご勘弁を。

このWikipediaのディヤーナに関する英語のページは、全体としても非常に面白いので、興味のある方は是非、全文を読みとおして見て欲しい。

取りあえず現在進行形で本ブログの文脈上もっとも重要なのが、上記引用の後半に出てきた、ヴェーダにおける火の犠牲祭を瞑想行として内部化する」という部分だ。

これこそが、前回触れた、

バラモン教的な祭祀と、ブッダの瞑想行法が、具体的かつ実践的に『接続』しており、そのキーワードは『祭祀の内部化』である。

という言葉の、真意なのだ。

これを説明するには、そもそものヴェーダの祭式の意味と様式に関してから紐解かなければならないだろう。これについては「『真のバラモン』とゴータマ・ブッダ【前編】」の中に詳しいので、加筆修正したものを再掲する形で振り返って見たい。

そもそも、汎インド教世界の核心とも言える『ブラフマン』とはどこに起源するのだろうか。非常に分かり易い解説があったので以下に引用する。

ブラフマン(梵)とは中性名詞で、 

(~のちには男性名詞のブラフマンが成立し、ヒンドゥ教の主神となった。一般に記されるブラフマーは男性名詞ブラフマンの単数主格の語形が固定したものである~)

元来はヴェーダ賛歌・祭詞・呪詞内在する神秘力ヴェーダの知識に由来する神秘的威力を意味した。

祭式(祭祀)万能の信仰の展開に伴い、「神を動かして願望を達成する原動力」とされ、ついには「宇宙の根本的創造力」と見られた。

バラモンサンスクリット語ブラーフマナ)とはこの神秘的な威力を具えた者の意であり、祭式の神秘性を解き明かす文献をブラーフマナというのも前述の解釈に基づく。

従って、そのような神秘的威力こそ万有を創造する者であり、創造者として被造物を支配する者とされ、被造物に遍満する本体とされ、その結果、万有そのものと同一視される根本原理とされるに至ったのである。

 【原典訳】ウパニシャッド、岩本裕 編訳、ちくま学芸文庫 P363~ より

これは順番がややこしいので、少し整理していく。

このブラフマンという概念のそもそもの原像は、『祭祀(祭式)』と密接な関わりのあるものだった。

元々インド・アーリア人の生活の中心には、人知を超えた超越的な天界の神々に対して祭祀を行い、現世における様々な利益(ご利益)や死後の安穏を願うと言う習俗がインド亜大陸侵入以前の時代から存在した。

その様な祭祀において、神々を讃え勧請する為の賛歌の集成こそがリグ・ヴェーダに他ならない。この祭祀は基本的に祭火の中に供犠を捧げ、賛歌と共に神に祈る、という形式をとっていた。

ここに三つの特徴が鮮明になる。ヴェーダの祭祀(祭式)とは、第一には火の祭祀であり、第二にはその火に犠牲を捧げる祭祀(供犠祭)であり、第三にはそれらのプロセスにおいて神々に捧げられる賛歌詠唱の祭祀である。

ここで私が『祭祀(祭式)』と書いている事の原語は『Yajña』であり、これ自体『供犠』というニュアンスを強く持っている。神々を喜ばせて人間の欲望(請願)に応えてくれるように、人間にとって大切な、そして神が喜びそうなものを犠牲にし、供養する。

यज्ञः yajñḥ ヤジュニャ

यज्ञः [यज्-भावे न] 1 A sacrifice, sacrificial rite; any offering or oblation;

犠牲、供犠の祭式、奉納、供養、寄進。

यज्ञेन यज्ञमयजन्त देवाः; तस्माद्यज्ञात् सर्वहुतः &c.; यज्ञाद् भवति पर्जन्यो यज्ञः कर्मसमुद्भवः

Prin. V. S. Apte's The practical Sanskrit-English Dictionary より

リグ・ヴェーダの初期段階で供犠として火の中に捧げられたのは、ソーマ酒や精製バター(ギー)などが中心であり、大きな祀り(それだけ大きな願望)の時は大切な財産である家畜動物も犠牲に供せられたが、後世の(ブッダが批判している様な)大規模かつ大量の動物を犠牲にするスタイルは未だ顕在化していなかったと考えられる。

インドに侵入したアーリア・ヴェーダの民は、やがて現地に定着し先住民との様々な相互作用の中で経済的・社会的に安定すると、祭式のみを専門に担う祭官がひとつの階級として分離独立を果たす。これがいわゆるバラモン祭官の階級だ。

バラモンとは『祭祀を実行する者』である、という平明な事実を覚えておきたい。

彼らは祭式の儀軌についての煩瑣な知識を独占し、その『知識の力』によって神々を動かし得る根拠となした。

一般的な形式としてのヴェーダの祭式の方法は、時に応じて恩恵を乞うべき神に向かって聖なる火に捧げものをし、煙となって天にのぼる供物をその神格が嘉納して、その祭式を行った人々に恩恵を垂れてくれる事を祈願する、というものであったと考えられる。

ヴェーダは《知識》の意味である、と述べた。知識は言葉で表され、言葉を知る者はその言葉の対象を支配できる、というのが古代人の言葉に対する基本的な考え方である。

言葉を知る司祭階級であるバラモンは、言葉によって神々をも動かす事ができる絶大な力を持つに至るのである。

その様な言葉は呪力を持つものであり、ひとつのアクセントの誤りも許されず厳密かつ正確に伝えられなければならなかった。 

ヴェーダからウパニシャッドへ:針貝邦生著 (Century Books―人と思想) P24~より 

そうして社会の発展と経済成長に伴って祭式も大規模化していき、その祭式を司る祭官たちの権能もますます増長していった。

バラモン祭官とは、天上の神と地上の人そして社会を『つなぐ』(Devaプロバイダー)に特化した祭式専門官僚であり、想定される天の神々の威力を背景に、いわば人間社会の『経綸』をも左右する力を持つものとして君臨しはじめる。

それまでの祭祀はあくまでも人間が上なる神に下から乞い願う、という形であったが、やがて祭式の肥大化と祭官の権能の増大に伴ってその立場は逆転し、バラモン祭官の執り行う祭式の力こそが神々を支配し世界の運行さえをも司る、と豪語されるようになっっていった。

祭式万能を標榜するバラモン教の誕生だ。戦士階級クシャトリヤの台頭と彼らの覇権の結果として生まれた都市の経済発展を背景に、祭式に対して莫大な財貨の提供・供養が求められ、その規模は増大の一途をたどった。

そこでは社会の安定の有無から人々の健康、経済的繁栄と衰退、月日の巡りや降雨や日照りなどの天候に至るまで、この世界の命運は全てバラモン祭官による祭祀の力によって支配されている、と考えられた。

彼らは祭式の万能を強調し、繁雑にして煩瑣きわまりない祭式哲学を展開したからである。バラモンは自分たちが独占する祭式を最高最勝の神秘とし、宇宙の展開も祭式の力により、また神も祭式の力によってその威力と不死性を得るとした。

バラモンは本来宗教者として神に仕える身でありながら、その本分を忘れ、神を操縦し、願望の成就を強要する態度をさえ示した事が知られる。

 ~中略~

こうして祭式は神を動かして初期の目的を達成させる原動力であり、人間の幸福と利益の源泉とされたが、それだけに祭式の執行に際しての微細な瑕瑾でも、破滅の原因になるとされた。

従って、自分の願望を達成しようとして、バラモンに委託して祭式を自分の為に執行させる祭主は、もしバラモンが悪意をもって祭式を故意に間違えたり、あるいは密かに呪ったりする事を極度に恐れたのであって、祭主の一身はバラモンの掌中に完全に握られているという結果となった。

神さえ自由にすると言う祭式に対して、祭式の神秘について全く無知な祭主が抵抗しえなかったのも、当然と言わなければならない。

祭主は自ら神であると嘯くバラモンに、数多くの牛や夥しい財宝を贈って、そのご機嫌を取り結ばざるを得なかったのである。 

【原典訳】ウパニシャッド、岩本裕 編訳、ちくま学芸文庫 P357~ より

これら天の神々を動かし、天地の運行さえをも支配する『祭式が持つ言葉(賛歌・祭詞の知識)の呪の威力』、それがブラフマンの原義であり、祭式と賛歌に関する『知識』によってそれらブラフマンの威力を行使する事から、これら祭官はブラーフマナ、すなわちブラフマンの力を具える(知る)者』と呼ばれた。

この『ブラーフマナ』こそがバラモン(婆羅門)の原語であり、本来『バラモン』とは『ブラフマン』を行使・運用する職掌であり、それ故の命名であった。

この事実が漢訳・音写の『婆羅門』やその現代化であるバラモンという語感からはほとんど見失われてしまっており、それが第一の問題点ではないかと私は感じている。

このような祭式と祭官の在り方については、歴史的に様々な疑義が呈されてきたのもまた事実だ。すでにリグ・ヴェーダには神の実在やその威力についての疑問の声さえ収録されている。

当然、上のような増長した祭式万能のバラモン教に対しては、その威勢の陰で様々なアンチテーゼが表明されるようになった。

恐らくその背景には、それら祭式万能を標榜しバブリーなセレブ生活に耽溺する、貪欲で自己中心的なバラモン祭官に対する批判的な世論があったのだろう。

その様な批判は、第一にバラモン階級自身の中からも生まれた可能性が高い。

すでにリグ・ヴェーダの後期において、哲学的な思索へと向かい始めた古代インド人は、乱立する多神教世界観に飽き足らず、世界の『唯一の』最高原理を求め始めていた。

インド亜大陸への侵略の前後には最高神格として崇められていた軍神インドラは、社会の安定と共にその勢威を失い、帰一思想、すなわち唯一最高神『Tad Ekam(一者)』にその地位を譲り渡していく。

初期においてその『Eka』は、それまでの多神の中より選ばれた特定の一神をそのつど便宜的に当てはめるものだったが、やがてその中から、ヴィシュヴァカルマン、ブリハスパティ、プラジャーパティなどいくつかの『一者/一神』が顕在化していき、そのひとつに『ブラフマナス・パティ』があった。

これは一般に『祈祷の主』と訳されているようだが、おそらく前述の『祭式における賛歌・祭詞の言葉が持つ呪の力』の根源でありその『主宰者』を意味していたのだろう。

ここに祭式万能教において増長するバラモン祭官に対して、ひとつの決定的な『反証』が突き付けられる事の端緒がある。

つまり、彼らバラモン祭官が世界の運行すら支配すると豪語したブラフマンすなわち『祭詞と賛歌における言葉の呪の力』。しかし、この呪の力を力として威力たらしめる為には、その背後に何らかの超越的な『何者か』がいなければならないのではないか?という疑問だ。

何故なら、どのように祭式の威力を豪語するバラモン祭官も、所詮は『死すべき人間』に過ぎないからだ。その様な有限で儚い人間であるバラモン祭官が、本然的な『自力能』として世界の運行までをも司るような力を持っている筈がないではないか、と。

そもそもリグ・ヴェーダの時代から、神々への賛歌は代々リシすなわち聖者(詩聖)たちが『天啓(神意)』によって獲得してきた、と言われていた。

つまり神々への賛歌とは、人間をして神々を賛仰させ祀らせるために神々から下賜され贈与されたものだったはずなのだ。

当然、神々から下賜された賛歌が持つ言葉の呪の威力もまた、神々から与えられた、と考えるべきではないのか?

祭式万能を誇るバラモン祭官たちは、ひとつの矛盾に直面する事になった。彼らが行使する天地の運行すら支配するはずの『言葉の呪の力であるブラフマン』とは、一体どこから来たのか、それは彼ら祭官よりも上なのか下なのか、という命題だ。

このような矛盾を解決するひとつの合理的な仮説として、言葉の呪の力であるブラフマンを一種の超越神格として抽出し、それをバラモン祭官の上に置く思想が生まれた、という事だろう。

その起源はリグ・ヴェーダの後期には顕在化していた、先のブラフマナス・パティに求められるかもしれない。

往古の多神教的神々の上に、祭祀によってそれを支配するバラモン祭官を置いたバラモン教に対して、そのバラモン祭官の上に、彼らの言葉の呪の威力を『統括し付与する一者』として絶対者ブラフマンを置くという上下秩序が、やがて思想的潮流として顕在化する。

祭式万能のバラモン教が、かつては人間を意のままに支配していた神々に対する下剋上であるとしたら、この絶対者ブラフマンの登場とは、増長するバラモン祭官に対する『再下剋上であり、一者に収斂された神威復権に他ならない。

そのような再下剋上は、おそらく台頭する戦士階級クシャトリヤや、インド亜大陸先住民の基層文化などとの相互作用の中で徐々に形成されていったと思われるが、バラモン階級自身の内部からも、率先してそれを推進する機運が生まれたというのは歴史の皮肉だろう。

これはある意味、徳川独裁幕府の末期において、その権力中枢の一翼を担う水戸徳川家の中から、徳川の私的覇権に対する疑義とそれに対する『正当化』の必要が、尊王思想として澎湃と生まれてきた流れと似ているかも知れない。

つまり、祭式を支配するが故に社会の最高位である事を担保されたバラモン階級者たちは、自らの権威、その正統性の根源・根拠を徹底的に追求していった果てに、自らの上に立つ絶対原理としての至高者ブラフマンを想定せずにはいられなかったのだ。

先にも言及したが、何故なら彼らは所詮、『死すべき人間』に過ぎないからだ。貪欲にまみれ、儚くも不浄な、一生類に過ぎないからだ(これはどのような時代・地域においても、何人も否定できない!)

もちろん、このような自己省察自己批判と絶対者ブラフマンへの傾斜は、北インド全域におけるバラモン階級のマジョリティをいきなり席巻していった訳ではなかっただろう。

それは恐らく、正統を誇示するバラモン教の牙城であったガンジス川上流部からは遠く離れた、彼らから見たら辺境に位置するガンジス川下流域において、やがて支配的なムーブメントとして台頭し始めた。

それがいわゆるウパニシャッド的な求道と思索の流れであり、それと軌を同じくした『沙門(サマナ)』達の求道であった。このウパニシャッド的な探求とサマナ的な求道実践が密接に関係する事は、両者の舞台となった主な土地が、マガダやコーサラ(カーシー)など多く重なっている事からも容易に想定される。

そしてこのようなガンジス川の中下流域の地方とは、同時にクシャトリヤの王権が台頭する都市文明圏でもあった。そこでは、伝統、すなわち増長する祭祀万能主義のバラモン教に対して、公然と批判できる自由で広闊なエートスが満ち溢れていたのだろう。

その様な社会背景の中、シッダールタ王子は出家していち沙門となったのだ。

そこで求道者たちのメイン・テーマとなったのは、

「如何にして『無畏なるブラフマンを知る事ができるか」

「一者ブラフマンと繋がり、そこつまり『不死なるブラフマンの世界』に至る事の出来る『祭祀』というものは一体どのようなものなのか?」

という事だった。

バラモン教の基本文法である『祭祀』が、絶対者ブラフマンにつながりそれを知る為の方法論としても、当然のように適用されたからだ。

一者なる至高のブラフマンに至るための祭祀が、下級の神々に向けた既存の祭祀と、全く同じであっていいはずは無い。そこで重要になってくるのが『内なる祭祀』だ。

先に引用したWikipediaの言葉を再掲すれば、

ヴェーダの時代における瞑想実践の発展は「内面化(内部化=自らの内部に取り込む事)」というイデアと並行して行われた。

そこでは、社会的、外部的なヤジュナ、つまり火を用いた犠牲祭(アグニホートラ)が瞑想という形で(その瞑想者の)内部(内面)における儀式(プラーナ・アグニホートラ)へと置きかえられた

このヴェーダの火の祭式をヨーガの瞑想へと『内面化』するというイデアは、ヒンドゥ教のサンヒターやアーラニヤカなど古層のヴェーダ、なかんずくチャーンドーギャ・ウパニシャッドの第5章などに鮮明に見られる。

つまり、ブッダに先行するウパニシャッド的な「絶対者の探求」において、

カウシータキ・ウパニシャッドには、「心をもって、私はプラーナである、と念想しなさい」という言葉がある。

その他、熟考、念想、冥想と言う文脈でチャーンドーギャ、ブリハドアーラニヤカ、マイトリ、各ウパニシャッドにも言及されている。

プラシュナ・ウパニシャッドには、聖音オームに瞑想する事によって、ブラフマン(究極の真実)に到達できる、という記述がある。

上で言われるディヤーナつまり『念想』『瞑想』『熟考』などという絶対者に向けた『心的営為』は、全て『内なる祭祀瞑想』という文脈において行われていた、と考えるべきなのだ。

ヴェーダバラモンの宗教とは祭祀(祭式)の宗教であり、火の祭壇を作り、そこにおいて屠殺した犠牲獣などを祭火に投じ(焼身)て、ウドガートリ祭官が詠う賛歌と共に神々に供養(献納)する、という儀式をメイン・イベントとしたものだった。

大小の祭式儀礼には資金を提供する祭主(パトロン)がおり、その祭主の願いをかなえる為に神々に祈り、その神威を奮ってもらうためにこの供儀(献納)が行われた。

これは現代的に言うと、Aという願いを叶えたい人(祭主)がBという祭祀専門業者(バラモンに祭祀の実行をアウトソーシング(外部委託)」する、という説明が分かり易い。

しかし、そのような祭式がバラモン絶対教へと変質する過程で、煩瑣化し肥大化し形骸化していく姿をまざまざと見続けた心ある(バラモン自身をも含む)人々の中から、ある『反省』が芽生え始める。

ひとつには、それは動物の犠牲(生け贄)に関してだ。分かりやすく言えば、

「自分の、ある意味 “利己的な願い” を叶える為に、『赤の他人』である動物に苦痛を強いるのはいかがなものか」

という事であり、

「自分の願いを叶えたいのなら、神に対して自らの赤誠を示すために、自分自身の身体において苦痛を背負いその身を捧げるべきではないのか」

と言う事になる。

同時にそこには、

「他者であるバラモン祭官に独占され、その権威に従属するのではなく、自らの手に自分自身の運命を『取り戻したい』

と言う本然的な希求が存在していた。

別の譬えを用いれば、バラモン祭官という『独占プロバイダー』によって神々(デーヴァ・ネット)につながる祭祀行為が独占支配されてしまっている、その状況に疑問と不条理を感じ始めた人々が、何らかの他の手段、道、方法論、つまりオルタナティブを模索し始めたのだ。

ここで『祭祀の内部化』が重要な意味を持って来る。つまり、個々人の内部でその精髄だけを抽出したシンプルな祭祀を行うのならば、煩瑣な祭式の知識の上に君臨増長するバラモン祭官など必要なくなるからだ。

このような反省と欲求そして模索こそが、古代インド的な『苦行』と『瞑想実践』のひとつの重要な契機になったと考えられる。この苦行と瞑想の原像その起源は、おそらくは亜大陸先住民の文化に由来するだろう。

余談になるが、この犠牲獣に対する反省は、ブッダやマハヴィーラの登場後にアヒンサー・不殺生として急速にインド世界に広まり、やがてヒンドゥ教の成熟と共にその主要なイデアになり、現代に至るバラモン階級を中心としたヒンドゥの菜食主義やガンディーの非暴力運動などにつながるのだから、インド教と言うものは奥が深い。

動物を殺しまくる犠牲祭「ヤジュナ」バラモン教文化、その真っただ中からアンチテーゼとして厳格な不殺生のアヒンサー思想が生まれた。

これは元々は捕鯨大国として野生のクジラを殺しまくっていたオーストラリア、フランス・スペインなど「西欧人」自身の中から、そのような殺戮に対する深い反省が生まれ、後に他の諸国(日本など)を上回る規模で反捕鯨のムーブメントが沸き起こったのと同じような原理かも知れない。

その過程では、彼らが「新世界」で出会った(発見した)「先住民」からの心的文化的感化が深く作用したのではないだろうか。

古代インドにおける「動物供犠祭」に対するアンチテーゼもまたしかり。

植民支配者として亜大陸先住民の上にヴァルナ(カースト)の差別をもって君臨するアーリア・ヴェーダの人々、その頂点に立つバラモン祭官はおごり高ぶり、彼らが管掌する祭祀の威力を「神々をも支配する」と豪語し、その規模を拡大していった。

以前に紹介した様に、インダスの印章に描かれた『坐神』は森の動物たちに囲まれていた。これは彼らの宗教あるいはその実践である瞑想営為が、森と動物と神とそして人との交感(交歓)を基盤としていた可能性を示唆している。

これは世界中どこでも基本的にそうなのだが、インド亜大陸先住民の伝統文化は、動物や自然環境との『共生』を基軸とし、その中で何らかの『神威』とつながる『瞑想実践』が営まれていた可能性が高い。

そのような先住民の「森の伝統(アーラニヤカ)」の価値観から見れば、神に捧げる祭祀の名のもとに動物たちを虐殺するバラモン祭祀は「非道」以外の何物でもなかった。

それが、「自分の願いを叶えたいのなら、神に対して自らの赤誠を示すために、自分自身の身体において苦痛を背負いその身を捧げるべきではないのか」という『反省』へとつながって来る。

それこそがいわゆる『苦行』だ。

苦行の原語はタパスと言う。これはよく知られたように「火の熱力」あるいはその「燃焼」を意味する。つまり自らの身体を苦しめてその苦痛の業火に焼かれる、そのような内なる火壇(Antar Agunihotra)によって自らを祭火に投じ、もって神々への供儀として自らを捧げる。その様な心的契機こそが、汎インド教的な苦行の真義と言ってもいいだろう。

古代インドのある時期から、自分とは全く関わりない外部において動物を殺し焼き(調理し)神々に捧げる(実際には参会者がそれを食らう!)、などという外面的な祭祀行為には、首肯できない満足できない人々(求道者)が現れた、と言う事なのだ。

そのような人々によって、バラモン祭式儀礼に対するオルタナティブとして、タパスという「内なる苦行祭祀」『神へとつながるのもうひとつの道』として自然発生的に行われるようになった。

その発想の過程で、インド亜大陸先住民のプリミティブな「森(アーラニヤカ)の」伝統文化に触発された可能性は十分に考えられる。

「自分にとって最も可愛い大切な自分自身の身体さえも、犠牲に供して神々に捧げたならば、それが最も気高く効力のある(内なる)祭祀になる」という事だ。

(俗に言う「焼身供養」や「即身仏」などという概念もそのはるか延長線上にある)

その最たるものは、神々に捧げる為に自らの死を持ってするものであり、これはオリッサ州プーリーのジャガンナート寺院の祭礼である「ラタ・ヤットラ」において、その祭りの山車の車輪の下に我とわが身を投げ出して自死する、という伝統の中にも表れている。

そうすることによって、篤信者たちは神々に言祝がれて天界への再生が約束される、あるいは輪廻からの解脱さえ実現される、と考えられたのだろう。

しかもそこでは、バラモンなどと言う他者の支配をから解放された、「自分の運命を自分自身で決める」という完全な「主体性の回復」が体現されている。

このような自死を頂点とする内的苦行の伝統は大変古い時代に遡る事が可能で、マハバーラタなどの叙事詩から様々なプラーナ神話に至るまで、その登場人物(神々を含む)が誓願を叶える為に苦行に励む、というシーンが至る所で物語られている。

ジャイナ教のマハヴィーラによる絶対苦行主義もこの流れを汲むのだろう)

何かの誓願を成就するために、神々あるいは唯一神に向かって我とわが身を苦痛の焔で燃やし、供儀として捧げる。これが、外部的に行われるバラモンヴェーダの火の供儀祭に対する、内部化された(自己)犠牲祭に他ならない。

(この「祭祀の内部化」はウパニシャッド的なアートマンブラフマン思想とも深く関わっている。至高者が「内在」するならば祭祀もまた内部にて捧げられなければならない!)

当然、悟りを開く前の沙門ゴータマ・シッダールタが苦行に勤しんだのも、この『内なる犠牲祭』として何らかの誓願(苦悩に満ちた輪廻からの解脱?)を果たさんがために行ったと前提すべきだろう。

それが『祭祀』である以上、自己を犠牲として捧げる『対象』が不可欠になる。

このヴェーダ的な外なる祭祀を内部化する、と言う流れは、もうひとつ特筆すべき方向に分化して、やがてそれは “聖音オームの念唱” へと結晶化していく。

これもやはり、肥大化し煩瑣の極みに向かいつつあったバラモン絶対教に対するアンチテーゼとして生まれたものだろう。

莫大な資金をバラモン祭官に貢いで、多大なる犠牲獣の死と共に盛大な祭りを執り行う。その過程で歌われる賛歌は、神々のパンテオンと呼ばれるごとく無数の神々に対してそれぞれの内容が当てられ膨大な数にのぼる。

その神学的な解釈と儀軌の規定は煩瑣を究め、祭祀を実現する為には、増上慢を極めたバラモン祭官どもに必ず屈しなければならない、という不条理に対する反発は、誰もがその心の奥底に秘めていた事だろう。

そこには、このようなどこまでも表面的な外面的な部分だけを飾り立てても、結局その誓願者の “心” と言うものが真摯に神々の前にひれ伏し、専心していなければ、その願いは神々に届く事などないのではないか、という反省もまた伴っていた。

そう、ここでは、外部的な煩瑣で形式的なあり方よりも、むしろあらゆる虚飾を剥ぎとった内面的な「心のありよう」が問題にされ始めたのだ。

このような反省は、多神教的な世界観から唯一至上の絶対者ブラフマンが結晶化する過程の中で、何よりもまずバラモン自身の中からも生まれたのかも知れない。

そこでは「あらゆる神々の精髄(あるいは神々を動かす呪の力の精髄)である一者ブラフマンに至る為の内なる祭祀は、同じように『精髄』でなければならない」という論理の下、祭詞の精髄である『オーム』が抽出された。

ヴェーダの祭式には大きく二つの側面があった。ひとつは犠牲獣を殺しホーマの火で焼いて神々に捧げる、という火の供儀祭。これが内面化されたものが身体苦行である『タパス』だった。

そしてもうひとつの側面が、これまでも「ヴィーナの喩え」で取り上げ詳述してきた賛歌の詠唱献納だ。これはおそらくは犠牲獣を殺し火にくべる、その儀軌プロセスの効果音楽(BGM)としても場を盛り上げたのだろうが、何よりも賛歌の言葉が持つ呪の力(ブラフマンの原義)が神々をして動かしめる、という理念がベースになっている。

(餌を与えて徹底的に褒め倒す。それで願いを叶えてくれるのだから、ある意味バラモン教の神々とは、極めて単細胞な存在ではある)

このような賛歌の詠唱に専心する事それ自体が、前回までに説明したようにインド教における『瞑想実践』のひとつの原像であったのだが、その背後には、賛歌の詠唱と言う行為とその経験の中に、外形的な祭祀からの “遊離” “内的な沈潜” をもたらすような何か(おそらくプラーナヤーマ的なトランス)があったからだと思われる。

そうして、この賛歌という瞑想をそのバブリーで煩瑣な祭式から少しずつ切り離して純化し、あたかもワインを蒸留してブランデーを作るかのようにその賛歌のエッセンスを抽出した。それが聖音オームであり、その念唱であったと考えられる。

このプロセスもまた、多神教のカオス的豊穣世界観が絶対者ブラフマンを掲げた唯一神(Eka)世界観へと収斂していく過程とパラレルに起こっただろう。

しかし、ただワインを蒸留しただけでは馥郁たるブランデーにはならない。その蒸留したエッセンスを樽に留置し熟成しなければ銘酒はできないのだ。

インド教の伝統の場合、この樽の中にエッセンスを留置し熟成させるプロセスに該当するものこそが、『坐の瞑想法』であったと考えられる。

もちろんこれは、先に触れた様にインド先住民に伝わる、インダス文明にまで遡る事が可能なアーラニヤカ(森の伝統)的な『坐法』に起源すると考えるのが自然だろう。

(ウパース(同置)とこの坐法つまり「アーサナ」が合体したものが『ウパーサナ』つまり念想であり瞑想だ)

聖音オームがひとたびあまたある賛歌・祭詞の中から分離・抽出されて結晶化すると、それは徐々に外的な祭祀とは切り離されて “内部化“ されていった。その内部化の過程でその理想的な樽(容器)となったものこそが、「坐法(アーサナ)の形に坐った身体」だったのだ。

その先駆として、いつの時代からか定かではないのだが、ヴェーダの祭式におけるバラモン祭官の祭式時の姿勢それ自体が、先住民の坐の伝統を取り入れて変容した事が考えられる。

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Wikiwandより:現代に伝わるバラモン祭祀

上に見られるように、現在に至るバラモン祭祀は基本的に床(地面)にべったりと胡坐をかいて坐るスタイルをとっている。このようなスタイルはイラン(ペルシャ)以西の、ヴェーダと同じインド・ヨーロッパ語族の宗教にはほとんど見られないと言われている。

おそらくは坐法を知らなかったアーリア・ヴェーダの宗教に、どこかのタイミングでインド先住民の坐法(アーサナ)が混入・融合したのだ。

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Wikipediaより:坐法をとって瞑想するインダスのヨーギ

これはニュージーランドに植民した西欧人の文化であるラグビーの世界に、先住民マオリの文化要素である「ハカ」が混交し、それがプレイヤーのアイデンティティにさえなっている姿を見ればリアルに想像できるだろう。

私の読み筋では、そもそもヴェーダの祭式その賛歌が、『瞑想』と言う概念で把握されるようになったその契機それ自体に、先住民の『坐の瞑想』の影響が既に色濃く感じられる。

これは大変アバウトだが、古ウパニシャッドの時代には、この外的な祭祀から切り離されて純化され『内面化』された、「坐の瞑想としてのオームの念唱」、という行法が、かなりの程度確立していたと考えられる。

その流れと軌を同じくして、坐法をとりながら同置や念想を行う瞑想も様々に発展していったのだろう(ウパース〔念想・同置〕する坐法=ウパ・アーサナ、これがウパ・ニシャッドの本来の意味か)

そして実はこのような、

外的な祭祀の賛歌→内部化された祭祀瞑想としてのオームの念唱坐法

という流れの次に来るのが、

内的祭祀としてのブッダの瞑想坐法(アナパナサティ)

という流れだったと考えられるのだ。

まず外的な犠牲獣の殺りくなど極めて粗野な要素を多分に持つ祭祀とそこにおける賛歌の詠唱が、ある時点から「瞑想」という概念で把握され始め、やがてその賛歌瞑想の中から、純化し蒸留されたエッセンスとして聖音オームが取り出された。

そして聖音オームの念唱が外部的な祭祀と徐々に切り離されつつ、坐の瞑想と結びつき、その中で経験され直感された『境地』 “絶対者ブラフマン として言語化され把握提示された。

その聖音オームを念唱する坐の瞑想を極限まで純化したもの、それこそがブッダのアナパナサティであった、と言う流れだ。

そう考えると、「沈黙の聖者」を意味する『ムニ』の真義も、単に「無駄なおしゃべりをしない」事だけではなく「音声なしの念誦(祭祀)をする瞑想行者」だったのかも知れない。

もちろんこれは「発展段階説」的なひとつの把握であって、沙門シッダールタが直接的に「オーム瞑想」を経由した事を意味はしないが、しかし彼が一時師事したアーラーマとウッダカの二師が、オーム瞑想を行っていた可能性は十分にある。

(この二師に関しては、以前に「プラーナヤーマ」との関連を想定していたが、これはオームの念誦と紙一重だ)

賛歌にしろ聖音オームにしろ、その『音声』が生まれいずる源は『呼吸』だ。聖音オームを含む全ての粗大な音声を捨てて、そのエッセンスである微細な『純粋呼吸』の上に瞑想する。これがブッダの瞑想法=アナパナサティが見出された根拠、そのそもそもの原像だったと考えられる。

(その “発見” に至る過程で、沙門シッダールタが経験した『止息の苦行』などが重要な意味を持っていた)

その背後には当然のことながら、ブラフマンアートマンの同一視や、それらをプラーナあるいは呼吸と重ね合わせる心象が存在していたアートマンの原義は呼吸)

ブラフマンアートマンを同一視するという事は、それ自体、文字通り ブラフマンの内部化” に他ならないだろう。

外的には聴くことさえできないかすかで微細な呼吸の響きを、身体の芯奥内部で気づき続ける(サティ)事、それ自体が内部化された究極の祭祀であり、それによって最奥義のブラフマンが極められる(知られる)。

ワインの喩えに戻れば、

祭祀における動物供儀を伴った賛歌=不純物だらけの不味いワイン

そのエッセンスである聖音オーム=蒸留ワイン

オームの念唱と共にある坐の瞑想=熟成ブランデー

外側に現れるすべての粗雑な『音声』を捨てたアナパナサティ=精製スピリット

という図式だろうか。

あるいは、いま巷で流行りの言葉を使えば、ヴェーダの賛歌と言う『瞑想1.0』をオームの念唱へとアップデートし(瞑想2.0)、さらにアップデートした最終形態が、ブッダの瞑想法=アナパナサティ(瞑想3.0)であった、と言う事だろうか。

もちろん、これら全てにおいて瞑想者の身体は、ある種の『祭祀デバイスとして「神々によって造られた聖なるヴィーナ」の延長線上に “重ね合わされた”

(その様に考えてはじめて、ヴィーナの喩えの『真義』が理解できる)

だからこそ、ブッダヴェーダの達人」と呼ばれた。彼が後にヴェーダンタ(ヴェーダの終極」と呼ばれるブラフマンの真義に目覚めた者だったからだ。

だからこそブッダ「真のバラモンと自他ともに称揚された。何故なら彼はそのブラフマンという究極に至り知る為の「内なる瞑想」を実践する『真のバラモン祭官』であり、バラモン階級を中心とした多くの求道的、革新的な探求者たちが、彼ら自身の正統な文脈の中で、ブッダブラフマンを知った(明知)」『真の聖者』と認めたからだ。

(ただしこれは、当時の汎インド教的な流れの中に彼の「セルフ・プレゼンテーション」を位置づけた場合、の事であり、ブッダ自身が “解脱後に”どう考えていたか、とイコールである保証はない)

何故彼らはそう認めざるを得なかったのか。それは『内部化した祭祀』としての「苦行」「オームの念唱坐法」という当時の二大潮流の延長線上に、それを究めて統合し昇華した精髄、その最終形態こそがブッダの瞑想法であり、彼らが目の当たりに見るブッダのその威容(ある種のオーラ)が、まさにブラフマンの威容そのものだったからだ。

純粋呼吸瞑想(アナパナ・サティ)という極めて斬新な『内なる祭祀』の精華精髄を実践し、ブラフマン智に至った真のバラモン聖者。これがブッダ自身の「セルフ・プレゼンテーション」であり、彼に対する当時の宗教社会一般の “評価” だった。

ブッダが日々欠かさず行っていた瞑想行法それ自体、あるいはその「常住坐臥の気づき」つまりブッダが出家比丘として生きている事の全てが「究極ブラフマン」に対する「至高の祭祀」を構成していた。

だからこそ、彼は「アラハット」つまり『供養されるに相応しい聖者』になる。

このブッダを「至高の(内なる)祭祀実行者」として把握する心象については、冒頭に引用したWikipediaの中にも明記されている。

後の仏教文献であるディーガ・ニカーヤ、マハ・ヴァイローチャナ・スッタ、Jyotirmnjari などの中でも、瞑想行を “内なる様式としての火の献納・供儀” とする表現がみられる。

そしてブッダ『至高の(内なる)祭祀実行者』として把握して初めて、「私は世間の至上のである(anuttaraṃ puññakkhettaṃ lokassā ti)」という事の真意が、理解可能になる。

ブッダやそのサンガに供養する事は「真のバラモン祭官」が日々実行する瞑想修行と言う『内的な祭祀』に供養する事を意味するので、ブッダに供養する在家信者は、『祭主』として祭祀の果報を受ける権利を得て、来世への願いを成就する事が可能になる。

だからこそ、多くの王侯や大商人など社会の上流階級がこぞってブッダに大枚を寄進したのだ。この『祭祀』という文脈に想到し得なければ、何故仏教サンガが自他ともに認める「世間の福田」であったかの意味が、全く通らないだろう。

その意味では、ブッダや比丘サンガを単なるニートつまり「社会的な無業者」としてしか捉えられない魚川祐司氏は、この『福田(puññakkhettaṃ)』という文脈が「まったく理解できていない」

仏教サンガは確かに「世俗的な職業労働」は完全に放棄している。けれども、彼らの修行生活それ自体が、「真のバラモン祭官集団」として社会的に十二分に意味のある『聖職の業』だったと言う『構造・文脈』を、決して見逃してはいけないのだ。

(彼の『ニート論』については、後日改めて詳細に吟味し批判する機会もあるだろう)

次回は、この「苦行」と「瞑想」が『内部化された祭祀』であった事実を、経典に基づいて確認していきたい。 

(本投稿はYahooブログ 2016/3/23「53 内部化された祭祀としての“苦行”と“坐の瞑想”」を加筆修正の上移転したものです) 

 

 


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