仏道修行のゼロポイント

ゴータマ・ブッダの原像とヒンドゥ・ヨーガ

ゴエンカジーの偏頭痛と「Mukhaの周りに気づきを留めて」《瞑想実践の科学21》

ブッダの瞑想行法、そのメソッドの焦点となるのは、“五官・六官の防護” である。それがこれまでの考察から導き出された結論だった。

そしてブッダの瞑想法と呼ばれる『止観』のうちの “止(サマタ)瞑想” 、その具体的なメソッドの焦点になるのが、五官六官が集住する「顔の周りに思念を留める」という事であり、それは牛・馬・象など動物の調御において急所となる、首から上の身体部位と重なり合うものであった。

そしてこの「六官を防護する為に顔の周りにサティを留める」という瞑想実践が、十二縁起という苦の連鎖の中で「六処において六入(アーサヴァの漏入)を防ぐ」事を実現し、その結果、続く触・受・愛・取・有・生・老死がなし崩し的に消滅する。

もちろんそれこそが、四聖諦における「苦を滅する道」そのものである。

以上がとても大雑把ではあるが、これまでの粗筋だ。

この、「顔の周りにサティを留める」という気づきの行法。大念処経などにも書いてある通り、これはアナパナ・サティにおいて、呼吸に気づくポイントが「顔の周り」である、という事を意味する。

「托鉢僧たちよ、ここで、托鉢僧が荒野に至るか、あるいは樹の根元に至るか、あるいは空き家に至るかして、左右の足を左右の太ももの上に置いて坐り(結跏趺坐)、身体をまっすぐに保ち、思念(サティ)を顔の周りに留めてから坐る。

その者はまさに思念して息を吸い、まさに思念して息を吐く」

春秋社刊 原始仏典Ⅱ 第6巻 相応部経典 第5集 大いなる集 第10扁 呼吸についての集成 P315より

つまり、五官六官の防護の最初の導入部とは、“顔の周りに思念を留めて、そこ(顔の周り)において、呼吸に気づき続ける” 事だと言っていいだろう。

五官六官を防護するという時、その防護すべき五官六官、すなわち眼耳鼻舌身意という感覚器官は、全て、“首から上の頭部顔面に集中している” のだから、当然の事ながらこの六官を防護するためには六官が所在する場所において、気づいて防護しなければならないのだ。

ここは古代インド人の心象世界に肉薄する為には極めて重要なポイントなので、以前に書いた事をもう一度繰り返す。

例えば古代インドによく見られるような城塞都市において、五人の門衛が五つあるそれぞれの門を防護(警護)していたとする。この時、五人の門衛が、それぞれ担当すべき警護すべき門を遠く離れて、その門を守る事が出来るだろうか。それはもちろんNOだろう。

その門を警護する為には、その門に臨場・常駐して、その門の周囲に眼を光らせてそこにおいて生起する様々な現象や変化に気づき続けなければ、その門を警護し防護する事は出来ない。

五官・六官の防護をする場合も同じだ。五官六官の防護を可能ならしめる為には、何よりもその五官六官の門に臨場・常駐して、そこにおいて生起する様々な現象や変化に気づき続けなければ、それを守ることなど不可能なのだ。

故に、“五官六官の防護”“顔の周りに思念を留める” ということは、実践的には完全にイコールで結ばれているのだと、まずは理解しなければならない。

そして、

“思念(サティ)を顔の周りに留めてから坐る。その者はまさに思念して息を吸い、まさに思念して息を吐く。”

と言う以上、その気づき(サティ)とは、まず第一には「呼吸に対する気づき」である、と想定するのが自然だ。

つまり、呼吸に対する気づきを顔の周りにおいて継続し、維持する事こそが、「五官六官を防護する」事の具体的なメソッドそのもの、だと考えられる。

整理すれば、「苦の連鎖(縁起)の破壊」=「五官六官の防護」=「顔の周りに思念を留める事」=「その顔の周りにおいて呼吸に気づく事」、と言う等式になる。

これはあくまで古代インド人の心象風景に従って論述しているもので、現代人にとっては一見不可解な論理構成かも知れない。しかし、その背後にある『機序』を理解した時、この論理構成が何故『実効力』を伴って納得され得たかが自ずから理解可能になる。

私がこれまで経験してきたテーラワーダの瞑想行は、ゴエンカジー系とマハシ・サヤドウ系のヴィパッサナーだが、前者ではアナパナの呼吸に気付いているのは鼻腔のヘリ周辺であり、後者では下腹部の膨らみ縮みだった。

この呼吸に気づく「タッチング・ポイント」の差異というものは、ある意味思っていた以上に重要な事だったのだが、これまでの文脈に従えば、ゴエンカジー系の鼻腔周辺とマハシ系の腹部の起伏では、呼吸に気づくそのポイントとしてどちらがよりブッダ自身の瞑想法の原像に近いか、と言えば、それは間違いなくゴエンカジーのシステムである、と言うのが本ブログの論理的な帰結になる。

鼻腔周辺腹部では、どちらが “顔の周り” であるか、小学生でもわかる事だろう。

もちろん私は、だからと言ってマハシ式のメソッドが “間違っている” とか “効果がない” とか言っている訳ではない。

あくまでもパーリ経典から復元しうる限りのブッダの瞑想法の原像においては、と言う但し書きの中で、腹部ではなく顔の周りこそが、まずは第一に気づきの現場・ポイントの最重要候補であり、ゴエンカジーのメソッドはそれに該当する、と言う事なのだ。

この “顔の周りにサティを留めて” というパーリ経典の随所に記された定型文の真意については、「広長舌相の謎」「動物を調御する急所」「パオ・メソッドの四界分別観」「ブッダが推奨した『歯と舌の行法』」などと絡めて、これまで詳細に検討して来た。

その文脈を一歩進める為に、今回はまず、『顔の周りに気づき(サティ)をとどめて』というフレーズのパーリ原文を参照し、合わせてゴエンカジーがそれをどのように解釈した上でそのメソッドを構築したのかという点から見ていきたいと思う。

原文はPali Tipitaka.orgさんのMaha Satipatthana SuttaよりĀnāpānapabbamから抜粋して引用させていただく。

Idha, bhikkhave, bhikkhu araññagato vā rukkhamūlagato vā suññāgāragato vā nisīdati pallaṅkaṃ ābhujitvā, ujuṃ kāyaṃ paṇidhāya, parimukhaṃ satiṃ upaṭṭhapetvā.
So sato va assasati, sato va passasati.

次にこの部分の日本語訳を、春秋社刊 原始仏典 第二巻 大念処経(マハー・サティパッターナ・スッタ)P378より抜粋・引用する。

ここに修行僧たちよ、修行僧は森に行き、あるいは樹木の根元に行き、あるいは空家に入って、足を組んで坐り、姿勢を真っすぐに正して、念ずる事を目の前に据えて坐るのである。

かれは気をつけながら息を吸い、気をつけながら息を吐く。

これを前に紹介したサンユッタ・ニカーヤの日本語訳と比べてみる。

托鉢僧たちよ、ここで、托鉢僧が荒野に至るか、あるいは樹の根元に至るか、あるいは空き家に至るかして、左右の足を左右の太ももの上に置いて坐り(結跏趺坐)、身体をまっすぐに保ち、思念(サティ)を顔の周りに留めてから坐る。

その者はまさに思念して息を吸い、まさに思念して息を吐く。

春秋社刊 原始仏典Ⅱ 第6巻 相応部経典 第5集 大いなる集 第10扁 呼吸についての集成 P315より

両者の原文は同一なので、赤字部分の文言の微妙な違いは訳者の方の判断の相違だろう。しかし、ここまで繰り返し論じて来た「六官の防護」という観点から言えば、瞑想者自身の六官が集まる『顔』を離れた「目の前」とか「面前」とかいう訳が意味をなしていない事は明白だ。

つまり、parimukhaṃ satiṃ upaṭṭhapetvā.というパーリ原文をより正確に訳しているのは、『念ずる事を目の前に据えて』という曖昧かつ抽象的な意味の取りにくい文章ではなく、『思念(サティ)を顔の周りに留めて』のほうが圧倒的にブッダの原意に肉薄しているという事だ。

そしてこの原文と日本語訳を逐語的に並べると、

parimukhaṃ →顔の周りに
satiṃ →思念(サティ=気づき)を
upaṭṭhapetvā →留めて

と言う事になる。

次に同じ個所をゴエンカジーがどのように解釈しているかを参照したい。同じPali Tipitaka.orgさんのMaha Satipatthana SuttaよりĀnāpānapabbamから英訳の引用だ。

Here a monk, having gone into the forest, or to the foot of a tree, or to an empty room, sits down cross-legged, keeps his body upright and fixes his awareness in the area around the mouth. With this awareness, he breathes in, with this awareness, he breathes out.

これを上のパーリ原文&日本語訳と対照すると以下になる。

parimukhaṃ顔の周りにin the area around the mouth
sati思念(サティ=気づき)をhis awareness
upaṭṭhapetvā留めてfixes

原始仏典Ⅱでは顔と訳された部分が、ゴエンカジーの訳では口(くち)になっている事が分かる。これについては、私がだいぶ以前にヒンディ語を学んだ時に知った、ある事実がその背後にある。

parimukhaṃという単語は二つの部分から成っている。『pari』は日本語で『まわりに』英語では『Around』になるが、『mukha(ムカ)』という部分は全く同じものがヒンディの中にもあり、それはを意味すると同時にを意味していた、と言う事実だ。

ゴエンカジーはその著書『Satipatthana Sutta Discourses』の中で以下のように解説している。

parimukhaṃ satiṃ upaṭṭhapetvā

The awareness is established around the mouth, the entrance to the nostrils:

parimukhaṃ.

Certain traditions translate this as “in the front,” as if the awareness is imagined to be in front of the person, but this sets up a duality.
Actually you have to feel the breath coming and going around the mouth, above the upper lip, which is parimukhaṃ.

この英文を一部加筆しつつざっと訳すと、

気づきは口の周り、つまり鼻腔の入り口周辺に確立される。

ある伝統においてはこのparimukhaṃを “正面に” あるいは “面前に” と、あたかも瞑想者の前方であるかのように訳しているが、これでは二元的に主体と客体が分裂してしまう。

実際には、あなたは呼吸の出入りを口の周り、上唇の上(から鼻腔にかけての三角形のエリア)で感じ取らなければならない。それがparimukhaṃの意味である。

となる。

この部分は、私もまったく同感だ。

ブッダの瞑想法の肝とは、まずは第一に “自分自身を観じる” 事である以上、自分の前方にある “何か自分ではない他のもの” に気づく、という解釈は意味をなしていないからだ。

そして、ゴエンカジーは言及していないが、私が論ずる「六官の防護こそが瞑想実践そのものである」という視点が正しければ、正に五官六官の門戸が集住する「顔の周り」こそが気づきの焦点になるのは上述した通りだ。

これはいわゆる《身受心法》に気づき “観じる” という四念処の基本から見ても、その《身受心法》とは何よりも自分自身の『身』でありそこにおける『受』であり、自分の『心』であり、その『心の流れ(法)』なのだから、自分から離れて自分の正面に(面前に)ある何か他のもの、に気づくという解釈が間違っている事は明らかだろう。

次にこの “顔の周り(口・鼻腔の周り)に思念を留めて呼吸に気づく” というゴエンカジーの具体的なメソッドが持つ、“実効力” の好例として、他でもないゴエンカジー自身の体験について考えていきたい。

これは何よりも「脳神経生理学的な作用機序」として瞑想実践を捉えている私にとって、極めて興味深いサンプルになっている。

以下は彼のヴィパッサナー・センターがネット上に載せているゴエンカジーの略歴からの抜粋引用だ。

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ゴエンカジ(と親しみを込めて知られています)は、1924年ミャンマーマンダレーで生まれました。19世紀後半に祖父がインドから移住し定住した土地でした。

高校卒業後の1940年に家業に就き、第二次世界大戦中はインドで過ごしましたが、終戦後はミャンマーに戻りました。戦後の数年間で先駆者的な実業家として大きく成長したゴエンカジは、いくつもの工場を造り、多くの人びとを従業員として雇いました。

また、ミャンマー国内で大きな影響力をもつインド人コミュニティのリーダーとなり、ビルマ・マールワーリー商工会議所やラングーン商工産業会議所といった組織を率いるようになりました。

しかし、社会的名声や物質的成功と引き換えに、ゴエンカジは精神的緊張が原因の消耗性偏頭痛に悩まされるようになります。

医師はモルヒネを処方して激烈な痛みを和らげようとしましたが、治癒することはできませんでした。数ヵ国に赴き、専門医に診てもらいましたが、苦しみから脱け出す希望を見つけられないまま、ミャンマーに帰国するしかありませんでした。

ある友人がゴエンカジにヴィパッサナー・コースに参加するようにアドバイスしたのは、そうしたときでした。最初は抵抗がありました。保守的なヒンドゥー教の家庭に生まれたゴエンカジは、異教に関わりたくありませんでした。

決心を変えたのは、ヤンゴンの国際瞑想センターに住む指導者のサヤジ・ウ・バ・キンに出会ってからでした。上級公務員であり、瞑想の熟達者であるウ・バ・キンは、ゴエンカジの不安を和らげ、ヴィパッサナーが普通に生活する世界中の人びとに恩恵をもたらす、普遍的かつ実践的な瞑想法であることを確信させることに成功したのです。

1955年、ゴエンカジは、ウ・バ・キンの指導のもとで最初のヴィパッサナー・コースを受けました。10日間コースによって偏頭痛は治りましたが、それは副次的な効果に過ぎませんでした。もっと重要なことは、ヴィパッサナーを通して、ずっと探し求めていた心の安らぎを見つけたことです。また、今まで自分が傾倒してきたインドの精神的伝統についての新しい洞察も得られました。

~以上『現代精神世界の巨人:サティヤ・ナラヤン・ゴエンカ』より引用

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~日本の敗戦、退却の後はミャンマーに戻りましたが、その頃にはゴエンカ師は20代の若者になっていました。彼はすぐに卓越したビジネスの力量を発揮し、インド人コミュニティのリーダーに成長します。

しかし、ゴエンカ師自身がよく語られているように、そうした富や名誉が心の平和をもたらすことはありませんでした。逆に、精神的ストレスから激しい偏頭痛に悩まされ、唯一の治療法は、中毒性の強いモルヒネの処方のみでした。ゴエンカ師は、名医の診察を受けるために日本やヨーロッパ、アメリカへと訪ね渡りましたが、どの医者も助けることができませんでした。

ヴィパッサナーとの出会い

ちょうどその頃、ある友人から数年前にサヤジ・ウ・バ・キンが設立したという、ミャンマー北部の国際瞑想センターを訪ねるように勧められたのです。ウ・バ・キンは、貧しい出自ながら、ミャンマー政府の高官に出世し、その誠実さと優れた能力で有名でした。と同時に、古代から一連の仏教僧たちによってミャンマーに伝承されてきた、自己観察法・ヴィパッサナーの在家指導者でもありました。

ゴエンカ師は友人の勧めに従い、瞑想センターを訪ねて何が指導されているのか見てみることにしました。まだ若いゴエンカ師がやってくるのを目にしたウ・バ・キンは、彼がヴィパッサナー指導者の自分にとって、その使命を果たすために、非常に役に立つ人物であることが分かりました。

にもかかわらず、ウ・バ・キンは、ゴエンカ師の10日間コースへの参加の申し出を拒みました。ゴエンカ師が、偏頭痛を和らげるために参加したい、と率直に話したからでした。「体の病を治すために行うことは、この瞑想法の価値を貶める行為です」と、ウ・バ・キンは言いました。「緊張し、苦しんでいる心を解放するために参加しなさい。そうすれば、体も自然に恩恵を受けるでしょう」

ゴエンカ師は同意しました。そして数ヵ月間迷った後、1955年、初めてのコースに参加しました。2日目には逃げ出したくもなりましたが、我慢強く残り、結果として、夢にも思わなかった恩恵を得たのです。そして、その後終生、ゴエンカ師は朝の詠唱においてウ・バ・キンへの限りない感謝の意を表し続けます。

~以上『内なる平和の使者:サティヤ・ナラヤン・ゴエンカ』より引用

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個人的思い入れもあって長々と引用してしまったが、この二つのPDF文書は是非本ブログの読者の方にも通読して頂ければ、と思っている。

多少の誇張演出も伴っているかも知れないが、ゴエンカジーの生涯と言うものは、正に一幅の名画の様なドラマだと私も思う。そして、その「聖なる使命」という物語が始まった、その契機となったものこそが、彼が死ぬほどの苦しみと表現した片(偏)頭痛だった。

有能なインド系ビジネスマンであるゴエンカ氏がブッダの瞑想法「ヴィパッサナ・メディテーション」の世界的な指導者として開眼する契機となったこの体験。それは大きく二つの段階に分けて考えられる。

第一段階

有能なビジネスマンとして最前線で辣腕を揮っていたゴエンカ氏が、しかしその世俗的な栄華と富によっては精神的な幸福を得る事が出来ず、逆に多大なる精神的ストレスによって「消耗性片頭痛に侵され、その激烈な痛みに苦しめられるようになる。

その激痛は他のどのような治療法によっても改善の兆しすら見えず、唯一、中毒性の高いモルヒネの投与によってしか、その痛みを和らげる事が出来ず、その緩和も、一時的なものに過ぎなかった。

そしてその経済力にあかして世界中の名医を訪ねて治療法を探るも、治す事の出来る療法には巡り合えなかった。

第二段階

ビルマにおける高名なブッダの瞑想法の指導者サヤジ・ウ・バ・キン師を紹介されるも、最初は疑いを持っていたゴエンカ氏だったが、ウ・バ・キン師の説明に心が開かれ、10日間のコースを体験し、ついに宿痾であった激烈な片頭痛から解放され、それと同時に、いやそれ以上の結果として、“ずっと探し求めていた心の安らぎを見つけた”

これを単純化し整理すると、

第一段階:多大なる精神的ストレスによる「消耗性片(偏)頭痛」の発症

第二段階:瞑想実践の結果としての片頭痛の完治心の安らぎの獲得

の二項目になる。

片頭痛の治癒については、公式文書の中ではさらっと流しているが、この二つのプロセスの中に、ブッダの瞑想法の “作用機序” と言うべきものが、典型的かつ象徴的に、まざまざと立ち現れていると私は判断している。

その作用機序とは、ゴエンカ氏の心身総体としての身体(五蘊・生体システム)において激烈な片頭痛が発症した、その “病理の作用機序” であり、その病理が瞑想実践によって “対治” され、快癒し完治したその “薬理の作用機序” に他ならない。

そこにあるのは、徹頭徹尾科学的な『理(ことわり)』であり、摂理でありすなわち “ダンマ” であったという事を、本ブログでは大前提として掲げたい。

ニッポンの大乗仏教徒がその篤き信仰心からとかく考えがちな、観音妙智力とか、み仏の御加護とか、阿弥陀様の御慈悲とか、なんだかかんだかよく分からない、観念的かつ形而上学的かつ超常的「みわざ」「恩寵」などでは全くない、純然たる理に適った “反応” もしくは “因果”として、その治癒(対治)の作用機序は生起し発動した、という事だ。

ゴエンカ氏の身の上に起こったこの現象(体験)は、彼が主観的にそれをどう受けとめたかに関わらず、明確に『科学(医学=脳神経生理学)』の対象になり得るものなのだ。

そしてその『科学』において解明されるべきゴエンカ氏快癒の作用機序の中にこそ、ブッダの瞑想法の、そのニッバーナ(悟り)に至るプロセス的な作用機序の核心部分が、“包含(含意)” されている。

その様に私は、読み筋を立てている。

その作用機序を解明するためには、まずゴエンカ氏において発症したと言われる、“激烈な痛苦を伴う片(偏)頭痛” の正体とは何であり、その発症のメカニズムとはどのようなものであったのか、と言う事を知る必要があるだろう。

何故なら、基本的に病理・発症の作用機序を “打ち消す” 方法論こそが、治療・快癒の作用機序に他ならないからだ。

そこにおいてカギとなるのが、これまでにもたびたび登場した、12対ある脳神経の一つであり、第V脳神経(CNV)とも呼ばれる “三叉神経” だ。

(Q&A)なぜ片頭痛が起こるのですか

「三叉神経血管説」という説が有力です。ストレスなどのトリガーにより三叉神経(痛みを感ずる神経)から痛み物質(正確にはCGRPなど血管作動性物質)が放出されます。これが血管に作用して、頭の血管に拡張と炎症を招き、頭痛がひき起こされるのです。

Neuroinfo Japanより

以前に投稿した様に脳幹部周辺に起始する脳神経は、顔面に集中する眼耳鼻舌という四官の中枢であり同時に頭部顔面全体に分布する触覚(含む痛覚)の中枢でもある。

その触覚の中枢として最も重要なものが三叉神経であり、それはヴィジュアル的な大きさをみても顕著に表れている。

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Wikipediia:脳神経より

上の画像を見ると、太く大きい三叉神経というものの存在感が際立っている事がよく分かるだろう。このような大きな存在感を持つ三叉神経に何かの不具合が生じたら、それは大いに「ヤバい」事が容易に想像される。

そして実は、パーリ経典において「顔の周り」あるいは「口の周り」で呼吸の出入りに気づいている時に活性化し働いているのも、まさしくこの『三叉神経』なのだ。

ゴエンカジーが苦しんだ『偏頭痛』と、それを快癒させた「顔(口)の周りの気づき」。この両者が『三叉神経』というキーワードを共有している。

これは果たして、単なる表面的な偶然に過ぎないのだろうか?

更に偏頭痛について調べていると、以下のような記述が目に留まった。

片頭痛(偏頭痛)は、ズキンズキンと痛むタイプの頭痛で、多くは頭の片側に起こります。発作的に起こり吐き気を伴ったりする、とてもつらい頭痛です。

身体を動かすのが辛くなり、刺激で悪化したり(光過敏・音過敏)、匂い敏感になったりします。

周期的に起こり、日常生活に支障をきたして、仕事や家事を休まざるを得ないこともあります。

前触れとして、視界何かチラチラ・ギラギラするものが拡がったり閃輝暗点)、手足のしびれ・脱力を感じたり、言葉の喋りにくさが起こったりすることがあります。

脳外科 たかせクリニックより

三叉神経のイレギュラーによって引き起こされるであろう「偏頭痛」が、何故、「視覚・聴覚・嗅覚」などの変調へと波及するのか。またそれらの過敏が何故偏頭痛を悪化させるのだろうか。

それはおそらく、『三叉神経』がその起始部において他の眼耳鼻舌に関わる脳神経と近接し、それぞれの器官に走行する道程やその器官内部でも常に(単に物理的にではなく有機的に)極めて近接しているので、一方にある変動が、容易に他に影響を及ぼすのだと考えられる。

(この辺りの消息は、おそらく「共感覚」と呼ばれる症例の根拠でもある)

これは以前にも指摘した重要な事実だが、眼耳鼻舌の四官はそれぞれに特化した感覚器官であると同時に、極めて鋭敏な『触覚器官』でもある。

一例をあげれば、三叉神経系の触覚神経線維と、視神経系の視覚神経線維は、ある時点からまるであざなう縄の様に相携えて眼球へと向かい、そこで視覚と触覚が隣接して機能している。

西洋科学的な「パーツ論」的身体観では理解しにくいが、全ての「小なる個別」「大なる全体」の中で相関している。

つまり、便宜的に「触覚神経」とか「視神経」とか「聴神経」「嗅神経」とか個別のまとまりとして弁別しているけれども、これらは相互に深く連関しており、決してバラバラ別個のものではあり得ないのだ。

この点については「顔の周りに気づきを留める」という瞑想営為にも全く同じことが言えるだろう。

この「気づき」は、主に顔面頭部の触覚を統括する『三叉神経』によって行われるから、集中した気づきの継続によって三叉神経系の活性は自ずから変動する。そして当然その非日常的変動は、眼耳鼻舌視覚・聴覚・嗅覚・味覚の各神経系にも何らかの影響を及ぼさずにはいないのだ。

更にその非日常的変動の波及は、原理的に見て、『意官』つまり大脳&辺縁系における欲念や渇愛・妄執という『ファンクション=はたらき』にも、及ばずにはいない。

私は専門家でもなく、またこの手の情報の詳細はネット上でも極めて限られているので、現時点ではその『感触』を語るに留めるが、上の様な顔面頭部の三叉(触覚)神経系と、眼耳鼻舌という四官各神経系、更には『意官』である『大脳&辺縁系との間に働く相関作用の中にこそ、「顔の周りに気づきを留める」という事が「五官六官の防護」になりやがて「禅定が深まる」、という機序の根拠がある、と私は考えている。

その背後には、『身』『触覚』が持つ基本的な性格が、眼耳鼻舌という他の感官と大きく異なっている、という事実がある。

その上に、『触覚』こそが全ての感官の起源であるという「進化史的」な真実と、『触覚』というものが、人間存在を新生児から胎児に遡って見た時に「世界認識の原風景」であった、という『個体発生的』な真実、が深く重なって来る。 

原理的に深く相関したそれら作用機序をプロセス的に “読み切る” 事によって初めて、私たちは何故ゴータマ・ブッダ “医王” と称賛されたのかというその真意を、そしてその称号が現代においても依然として色あせることなく通用するのだというその “科学的な根拠” を、まざまざと感得する事ができるだろう。

端的に言えば、人間的あるいは『大脳的』『苦脳』などと言うものは、進化史的に見ても個体発生史的に見ても『脳中枢神経システム構造』的に見ても極めて表面的な『皮相』に過ぎず、ひとたびその最深層に降り切ってしまえば、完全に『無化』されてしまう、という事になる。

それは、超ド級の台風によってどんなに海面や気象がうなりを上げて荒れ狂っていても、深海底には常に揺るぎない静けさが盤踞している事と似ている。私たちの意識の深淵にもそのような揺るぎない静謐(Equanimity)が常に潜在しており、私たちはそこに『瞑想実践』を通じてアクセスする事が可能なのだ。

ゴエンカジーをはじめとした先達たちは、おそらくその深淵の静謐に常住坐臥し、常態として『無化』の甘露を味わっていたのだろう。

そこに目覚めて佇むとき、遥か彼方に遠離した「大脳&辺縁系」が生み出す『物語世界』など、全く現実感の無い「はかなき夢・幻」に過ぎなかったのだ。

 

(本投稿はYahooブログ 2015/8/9「瞑想実践の科学 39:偏頭痛に苦しんだゴエンカ氏」と、2015/8/23「瞑想実践の科学 40:mukhaの周りにsatiをとどめて」を統合し加筆修正の上移転したものです)

 

 

 

 


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