仏道修行のゼロポイント

ゴータマ・ブッダの原像とヒンドゥ・ヨーガ

ビルマにおける近代ヴィパッサナーの夜明け1

前回投稿では、欧米的なマインドフルネス批判からの流れで、ミャンマーなどテーラワーダ圏における仏教の信仰や瞑想実践がどのように大衆を支配する道具として活用されて来たか、という事に言及した。 そこで今回は、そのミャンマー(ビルマ)におけるヴィパ…

マインドフルネスの軍事利用と大衆支配の構造

最近ツイッター経由で、懐かしい知人の情報に触れた。ドイツ人の曹洞宗の禅僧で、名前はネルケ無方さんという。以前から一部では知られていた兵庫県の山間にある「安泰寺」という修行寺の堂頭を務めておられる。 風晃園より、安泰寺本堂 私が安泰寺に初めて…

快楽殺人といじめ 〜 文明が超克すべきマーラ

以前、凄惨ないじめとその結果としての自殺、と言う事件が続いていたタイミングで、この深刻な社会問題について若干の掘り下げを行ったので、今回は『いじめ』とその『根本原理』ついて考えてみたい。 最初にいじめの定義について、以下の公的機関の文言を見…

これはドゥッカの車輪である1

仏教だけではなく、あらゆるインド思想の核心に位置するドゥッカ(苦)の認識。そのドゥッカという語感の根幹には、『悪しく不完全に作られた軸穴を持つ車輪の、ガタガタとした乗り心地の悪さ』という原風景が広がっていた、と以前の投稿で書いた。 今回紹介…

太陽の末裔・世界を照らす者:スーリヤ・チャクラと、瞳と蓮華と光背と

初期パーリ仏典の中で、ブッダを称える定形表現について考える二回目。前回は眼ある人、世界の眼など眼に関わるものだったが、今回は太陽について。 仏典の中には、ブッダを「世を照らす者」「光輝ある者」「太陽の末裔」「光明を放つ」「雲を離れて照る太陽…

車輪と蓮華と『眼』とストゥーパの重ね合わせ

前回の投稿の終盤に「蓮という植物の総体は花(蓮華)も葉も根も茎もその全てが車輪の形を表している事を前提に車輪と同一視されていた」と書いた。 そこでは書きそびれたのだが、妙法蓮華経をはじめ浄土経、阿弥陀経などの多くの大乗経典には「大いなること…

ブッダ存在を象徴するシンボリズムとその背景思想

ブッダの死後、数百年が過ぎる間に、社会現象としての仏教ムーブメントは、出家による瞑想修行実践から在家による信仰実践へと少しずつその比重を移していった事が知られている。 その中心となったのがストゥーパ信仰だ。 このストゥーパは、ブッダの遺体が…

ジル・ボルト・テイラー博士が経験した純粋右脳世界とニッバーナ

今回とり上げるビデオは、現役の脳科学者が克明に観察した自身の脳卒中体験だ。 私たちの意識(心)が、脳のファンクションである、という事が如実に分かる内容になっていて、とても興味深く観た。 今回は彼女の体験について感じた事を、つらつらと書いてみ…

アバターとマトリックスと麻原彰晃

アバターの二元性、マトリックスの夢。麻原彰晃の迷走と、ブッダの目覚め。

アショーカ王の回心と『内なる祭祀』

マウリヤ朝第三代のアショカ王については、仏教に関心のある方の多くがご存じだろう。今回はこれまで折に触れて言及してきた『内なる祭祀』問題について、アショカ王のリアルな『肉声』を手掛かりに考えていきたい。 紀元前268年、マウリヤ帝国第三代として…

悪魔 vs 梵天:「不死の門は開かれた!」

前回の投稿では、その最後に「スッタニパータ :第二 小なる章・7バラモンにふさわしい事」の全文を引用し、また「長部・三明経」や「ブリハッドアーラニヤカ・ウパニシャッド」の当該部位をそれに重ね合わせ、その特徴的な心象世界について分け入っていっ…

『四梵住』とブラフマ・チャリヤ【後編】

ここしばらくウパニシャッド的な絶対者ブラフマンとゴータマ・ブッダの関係性と言うものについて、色々と考えて来た。 古ウパニシャッド文献とパーリ経典を同時並行的に対照しながら読み進めていると、もちろんこの両者には差異があるのだが、それよりもむし…

『四梵住』とブラフマ・チャリヤ【前編】

前四回にわたってウパニシャッド的な絶対者ブラフマンとゴータマ・ブッダとの関係性について、諸原典を引きつつ様々な角度から検討してきた。 それについて新たに判明した事実関係について補足しておきたい。前回私はいくつかのテーマについて考察しているが…

『真のバラモン』とゴータマ・ブッダ【後編】

前回の投稿では、絶対者Brahmanと梵天神Brahmāとの関係性に一応の決着をつけた後に、『真のバラモン(ブラーフマナ)』という表現あるいは概念について、ウパニシャッドとパーリ仏典の両面から迫ってみた。 そこでは『輪廻からの解脱』を巡って対照的な、大…

『真のバラモン』とゴータマ・ブッダ【前編】

前二回にわたって『ブラフマンとゴータマ・ブッダ』というテーマで記事を書いてきた。がその中でひとつの焦点になっていたのが、 「『Brahman』と『Brahmā』と『Brahma』が表記上明分化されていない、という事に関しての疑問」 であり、 「ウパニシャッド的…

『ブラフマン』とゴータマ・ブッダ【後編】

原始仏典のスッタにおいて、覚りに至ったブッダの事を『ブラフマン Brahman』という語を伴う呼称によって称賛し、ブッダの説いた修行道をブラフマンへ至る、ブラフマンになる道、と称するケースが随所に見られる。 このような、『ブラフマン』概念とブッダと…

『ブラフマン』とゴータマ・ブッダ【前編】

スワヤンブナートの仏塔ストゥーパ。ネパール、カトマンドゥ 前回の記事ではブッダの時代の思想史的・修道史的な前段階として古ウパニシャッドに焦点を当て、その核心部分とも考えられる『ウパーサナ』について検証し、その『実践』がゴータマ・ブッダの成道…

ウパニシャッドと『ウパース&ウパーサナ』、そして菩提樹下の禅定

ゴータマ・ブッダの心象風景をリアルに知るためには、彼に前後するウパニシャッド(及びヴェーダ、プラーナ、アーラニヤカ)についての大きな流れを知った上で、更に時代的にはブッダより後に発展したヒンドゥ・ヨーガについても学ぶ必要がある。 以前から基…

身体の中の須弥山「輪軸」世界

大宇宙世界の中心車軸を万有の支柱スカンバとしてブラフマンに見立て、転変輪廻する現象界を車軸の周りで回転する車輪に見立てる。 「不動なる車軸(世界の支柱)をプルシャ=アートマン=ブラフマンと重ね合わせ、躍動する車輪を輪廻する現象世界プラクリテ…

スカとドゥッカの原風景

スカとドゥッカの原風景 私はこれまで様々な事例を挙げて、古代インドにおいていかにチャクラ(車輪)と言うものが重要な意味を持っていたかについて語ってきた。 そのチャクラ思想の起源は、インド・アーリア人の祖である、スポーク式車輪を世界で最初に開…

勝者と敗者が対峙した時:相反する『車輪の原心象』

前回はインド・アーリア人の原風景、シンタシュタ文化のチャクラ・シティについて紹介した。彼らにとって、車輪やラタ車(戦車、馬車、牛車)がどれだけ重要であったかがイメージできたと思う。 インド・アーリア人にとってのラタ車とは、海洋民族にとっての船…

ラタ戦車を駆るアーリア・ヴェーダの民と『聖チャクラ(車輪)』

インド人にとっての輪軸のアナロジーがもつ重要性とその意味を、本当に実感を持って理解するためには、まずは車輪がインドにおいてどの様な存在だったかを、様々な角度から理解しなければならないだろう。 それにはまず、歴史的な理解が必要だ。この木製スポ…

世界の車軸(支柱)としての『ブラフマン=至高神』

『あらゆるインド思想の核心には、車軸と車輪のアナロジーが潜在している』 そう言ってもたいていの人にはいまいちピンとこない事だろう。 車軸と車輪の構造デザイン・機能は、インド思想の核心だ。Rath-Yatra-18 - Rath Yatra Live from puriより インド武…

チャクラ思想の2大源流とその展開

インドにおけるチャクラ思想の真実を求めて旅を続けた私は、やがて2つの源流にたどり着いた。ひとつは紀元前1500年に北西インドに侵入した、侵略者インド・アーリア人の文化的伝統であり、もうひとつは紀元前2200年ごろその最盛期を迎えた、インダス文明の…

転法輪の謎~それは何故、『車輪』だったのか?

仏教の四大聖地と言えば、シッダールタ誕生の地であるルンビニ、成道正覚の地ブッダガヤ、初転法輪の地サールナート、そして死の床に就いたクシナーガラが上げられる。 www.imgrum.net/より。菩提樹の下で禅定し正覚を得たブッダ これはサールナートで説法す…

アナパナ・サティ~呼吸意識の本質

脊髄と延髄が持つというその非情動性について、ここではまずブッダの瞑想法であるアナパナ・サティ(呼吸への気づき)との関連性から、呼吸中枢である延髄(+橋)の性質について考えてみよう。 「神の存在」という幻想(1) - 気の向くままに より、大脳辺…

ブッダの瞑想法とは魂のリカバリである

このインストールするセキュリティ・ソフト型宗教と対置される形で、もう一つ全く別の宗教形態が存在する。それが『アンインストールするリカバリ型宗教』だ。これは原理的に、この地球上で唯一カルトではない宗教になる。 全ての宗教はカルトである、という…

宗教とは何か?

宗教とは何か? NHKテレビで放送された『未解決事件File・オウム真理教事件』の中で、何人かの警察関係者が異口同音に語っていた言葉がある。 「まさか、宗教団体が、この様な反社会的な破壊的テロ行為を組織的に計画しているとは、想像もできなかった・・・…