仏道修行のゼロポイント

ゴータマ・ブッダの原像とヒンドゥ・ヨーガ

六官の防護と『理法』:瞑想実践の科学3の補遺

私は2012年頃からパーリ経典を読みつくそうと発心して、まずは以前から持っていた岩波文庫中村元訳シリーズを読み切り、続いて春秋社版の原始仏典シリーズを読み進めていった。

何故か相応部のⅡの方から入ってしまい、全6巻を読破。続いて長部と中部を収録したⅠの全7巻を読み終わり、現在、最新の増支部が入ったⅢを順次読んでいって最新刊に手を伸ばしかけている。

もちろんこれらを読んだのは一度だけではなく、最低でも二回、その多くは三回以上読み、更に重要部分については繰り返し再読し吟味し続けている。

同時並行的に中村元選集決定版も読み進めていて、こちらの場合、その内容に対する興味・関心・感動が途切れる事がなく、どんなに大部の書であっても、読む事に疲れる、という事は余りなかったのだが、散文パーリ経典は想像以上にタフだった。

いちばんの原因は繰り返しが多い事だろう。とにかく、これでもかこれでもかと同じ文章を、章題さえも同じ文章を、その一部を変えた文章を、延々と繰り返し続ける。

一体これら大量の重複文章を、経典として侵すべからざる聖典として保持してきた人々は、どのような精神構造の持ち主であったのか、そう感じずにはいられないほど、その文章構造は私にとって、(おそらくほとんどの現代日本人にとって)、とてもくどくどしく、読むのが苦痛になる様な代物だった。

(これに関しては、彼らに咎があるのではなく、単に「編纂収集のプロセス」に起因するのかも知れないが…つまり、PCの文書データをさまざまな時期、さまざまな場所でバックアップしていくうちに、膨大な重複文書が生まれてしまうのと同じ原理だ)

以前ネットで瞥見したレビューに、パーリ経典とは本来読詠する、つまりチャンティングする事に意味があるのであって、普通の書物のように読書する対象ではないのだ、という感想があったのを覚えているが、正にそんな感じだった。

しかし、南方上座部の諸国では、大がかりな仏教大学の中でこれらの経典が隅々まで読まれ、記憶され、膨大な論書が作成され、その意味が解析され、理解され、その事をもって学僧としてのステータスを得ていた訳で、考えただけで、気が遠くなるような世界だ。

彼らは一体、その「学問」によって、何処までブッダ「境地」に近づく事ができたのだろうか?

出家の学僧と同じ事は到底できないが、私には私のやり方がある。ぼやき節全開だが、個人的には、なかなかに興味深い内容だった。

通読した印象だが、第一に、これらの経典群は、ブッダの教えとして、何よりも『五官・六官の防護』、という事に重点を置いていたのだな、と言う事が分かった。

(この点に関しては具体的な経典文と共に、今後徹底的に論じていく予定)

日本の修験道でも「六根清浄」と掛け声をかけながら山を駆けたりするが、大乗仏教がこの「六根(官)の清浄」を説いているのでそれが起源かも知れない。しかし日本仏教界全体を俯瞰すると、このパーリ経典におけるほどには、『六官(根)の防護』、という点を重視していないのではないか、と感じる。

少なくとも私がこれまで見聞した禅宗日蓮宗真言宗などでは、「六根の清浄」に比べ「六官(根)の防護」の強調、というのは寡聞にして知らない。つまり、彼らは六根を防護して初めて、それが清浄になる(そしてそれは瞑想修行によって初めて成し得る)、という視点が完全に欠落しているのだ。

それは何故か、と言えば、日本大乗仏教の中で、瞑想実践の具体的な方法論、というものが、すでに日本に仏教として到来した時点で失伝してしまっていたからだ、と個人的には思う。

五官・六官の防護、こそが、ブッダの瞑想法の、その悟りの作用機序の文字通り根幹に位置している。だからこそ、未だ瞑想実践と共にあった部派仏教に起源する南方上座部では、その根幹を明記する経典が多数保持され続けた、という事なのだろう。

その後の上座部テーラワーダ仏教が、必ずしも常に瞑想実践と共にあり続けたのではない、という歴史に関しては以前に論じている。

私の読み筋だが、おそらくストゥーパ信仰が高まった紀元前後から、既に比丘サンガにおける瞑想修行の実践は衰退に向かっていたものと思われる。

それはブッダを超越的なある種『至高神格』として絶対視し賛仰する信仰心のベクトルと、彼と同じ悟りの境地に瞑想実践を通じて自らも到達しようと言う求道心のベクトルとが互いに相容れないものだからだ。

ブッダの偉大さを讃える心象の背後に「その様な偉大なブッダにして初めて到達し得た悟りの境地に、我々一般人が容易に辿り着けるはずもない」という諦念が強固に存在している。

この超越者ブッダに対する絶対視と、瞑想実践の衰退というものは、どちらが原因であるとか結果であるとかではなく、相互に綾なす糸のように同時進行的に進んだ事だろう。

その背後には、ブッダの死後、比丘サンガというものが気づきによって苦悩から解放される修道場」から「経典を学び記憶する学校」に不可避的に変容していく過程で、真摯な瞑想実践の担い手が確実にマイノリティへと追いやられていった、という経緯が想定され得る。

ブッダの死後、比丘サンガにとっては、ブッダの偉大さの根拠として唯一残されたブッダの言葉』を保存継承する事がひとつの至上課題になった。

その為、ヴェーダバラモン教の伝統に従って、記憶力に長けた20才未満の少年を沙弥として大勢出家させ、彼らにスッタを学ばせ記憶させる事業が組織的に進められた。

特にアショカ王以降の時代では、仏教サンガの社会的なステータスが大いに上がり、『出世』の手段として出家する(あるいは子供の出世の手段として出家させる親)が輩出しただろう事は容易に推測可能だ。

世俗生活を捨て、一切世界から遠離するはずの出家修道の在りようが、世俗的な価値である出世栄達への道へと大きく変質したのだ。

そうして、その様な功名心に駆られた記憶の力において秀でる沙弥・比丘(彼らは沙門シッダールタが持ちえた様な『求道心』とはほど遠い)が、『学』の優位を掲げてサンガの中で盛名を馳せる様になっていく一方、瞑想実践における『気づき』の能力に秀でた、つまり『行』において優れた資質を持つ比丘たちは、相対的にその地位を落していく。それが自然な流れだっただろう。

その背後には、を深め『知識』において優れたものは、より傲慢に多弁になり、を深め『境地』において優れたものは、より謙虚に沈黙する、というなんとも皮肉な『原理』も存在した。

そこでは、瞑想実践における「無明と言う病」治療具としてのサティ(気づき)が、学僧エリートにおけるサティ(記憶)に置き換わってしまった。

それが、ブッダの死後、部派仏教が辿った偽らざる歴史だったのだ。

そしてある時点で、瞑想実践に秀でた『行』の比丘たちが、単なる知的エリート養成学校に成り下がってしまった仏教サンガに失望し、そこから大量に出奔した。そしてその中の少なからぬ人々が、現代に至るヒンドゥー・ヨーガの系統に合流した

これが、現時点での私の大まかな読み筋になる(この点に関してはまた日を改めて論じたい)

しかし一方で、ブッダの教えの根幹は、正にサティ(気づき)に基づいた瞑想実践とそこから生まれた智慧にこそある、と正知した人々は、その後の仏教サンガにおいてもいつの時代にも存在し続けた

これはスッタ経典を普通に読み、そして正しく理解すれば、極めて真っ当な判断だろう。

そうして優れた学僧がその記憶の力によって、文言の解釈の力によって、サンガの中でエリート化し支配階層になっていくのを横目に、彼ら真摯な瞑想修行者は、マイノリティへと追いやられつつ、その実践の伝統を細々と受け継いでいった。

もちろん、2500年という長い時の流れの中で、ある時は完全に実践の継承が断絶した事もあったかもしれない。けれど、その空白期間のギャップを埋めるかの様に、いつも誰かしらが瞑想実践の重要性に立ち還り、その要諦をパーリ経典の中に探し求め、発見し、その実践の作用機序を再興して行った。

その最も新しい試みこそが、先に紹介した近世・近代ビルマにおけるヴィパッサナーの再興だったのだ。彼らの理知性とその真摯な探求努力には、本当に頭の下がる思いだ。

(このプロセスは、現代ミャンマーとタイにおいて、あるいは世界中で現在進行形で進化し続けているのかも知れない)

ただ、私の感触なのだが、現代に流布しているヴィパッサナー瞑想のメソッドには、何かしらの欠落がある。ひとたび失伝したものが、完全には再構築され切っていない

それは以下の言葉を読むと良く分かるだろう。

ブッダの言葉 : 彼岸に至る道の章(パーラーヤナ)より

1053: 師が答えた、「メッタグーよ。伝承によるのではないこの理法を、私は汝にいま目の当りに説き明かすであろう。その理法を知って、よく気をつけて行い、世間の執着をのり超えよ。」

1054: 「偉大な仙人よ、わたくしはその最上の理法を受けて歓喜します。その理法を知って、よく気をつけて行い、世間の執着を乗り超えるでしょう。

1066: 師は言った、「ドータカよ。現世に於いて伝承によるのではない目の当りに体得されるこの安らぎを、汝に説き明かすであろう。それを知ってよく気をつけて行い、世間の執着を乗り超えよ。」

1137: 即時に効果の見られる、時を要しない法、すなわち煩悩なき愛執の消滅、をわたしに説示されました。

★パーリ経典文は、以下もすべて中村元訳・岩波文庫からの引用

このパーラーヤナ篇は文字通りパーラーすなわち彼岸に至る道(理法)について、ブッダが熱心な学生たちに尋ねられ、答えるものだ。

ここでブッダの答えを受けた学生たちは、みな一様に感動し、歓喜し、ブッダに帰依するのだが、日本語に訳されたこれら文章の表面だけを見ていたら、一体何がそれほどの感動であり歓喜をもたらしたのか、という事が全くよく分からない

これは恐らく、訳者の中村先生も同様だっただろう。

しかし、このブッダと学生たちとの対話が、単なる言葉のやり取りだけで終わらずに、実際にその『理法』としての瞑想実践の実技指導ガイダンスも含まれていた、と考えると、見える景色が全く異なってくる。

つまり、ここに採録された言葉は、文字通り『言葉だけ』であって、その言葉の背後には、ブッダの指導と共に基本的な瞑想メソッドを実践した学生たちの、鮮烈なまでの感動と歓喜が実在した訳だ。

“その理法を知って、よく気をつけて行い

というその “理法”とは、具体的な『気づき』『瞑想法=メソッド』であり、それを伝授された学生たちは目の当りにそれを体験し、時を置かずにある種即効的にその効力、すなわち非日常レベルの “安らぎ” を味わった。

ブッダの瞑想法とは、それほどに劇的に即効力を発揮する「薬」だったのだ。

もちろん、ここで伝授された『理法』とは、ブッダの瞑想法の基本中の基本であり、ある意味導入部に過ぎないものだったかも知れない。

けれど、その入口に一歩入っただけで、学生たちはこれまでとは全く異なった『異次元の風景』を見た。あるいは感じ、観じた。それは大いなる驚きであり、鮮烈なる歓喜であった。

これまでも論じて来た様に、その理法(瞑想メソッド)の焦点こそが、五官・六官の防護にある、と私は観ている。

それは同じパーラーヤナの、上記引用に接続する以下の文脈に良く表れている。

同引用

1055: 師が答えた、「メッタグーよ、上と下と横と中央とにおいて汝が気付いてよく知っているものは何であろうと、それに対する喜びと執着と識別とを除き去って、変化する生存状態のうちにとどまるな。

1085: ~聖者よ、あなたは、妄執を滅しつくす法をわたくしにお説きください。それを知ってよく気をつけて行い、世間の執着を乗り超えましょう。

1086: (ブッダが答えた)「ヘーマカよ、この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲や貪りを除き去る事が、不滅のニルヴァーナの境地である。

1087: この事をよく知って、よく気をつけて、現世において全く患いを離れた人々は、常に安らぎに帰している。世間の執着を乗り超えているのである。

1055の「上と下と横と中央とにおいて汝が気付いてよく知っているもの」とは何だろうか?

この文章は、続く1086の「この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物」という文章に対応している。

これらを照合すればすなわち、

上とは両眼であり、下とは口(舌)であり、横とは両耳であり、真ん中とはだ。これら四官によって見たり聞いたり感受した外部情報(快美な事物)を、意という官によって処理し識別し思考し反応した所に、執着が生まれる。

ここでは身と触が省かれているが、「欲や貪りを除き去る」や「全く患いを離れた」という言葉の真意は『六欲の除去=六官の防護に他ならないだろう(実際の瞑想メソッドにおいて身と触は深く関わってくる)。

具体的には、眼と舌と耳と鼻(上と下と横と中央)の4官に関連した「理法」としての瞑想メソッドを、正に「顔の周りで」気をつけて(サティを用いて)実践する事によって、時を置かず目の当りに、学生たちはその効力である “安らぎ” をその先ぶれを、まざまざと実感した。

その安らぎは、近未来延長線上における煩悩なき愛執の消滅、あるいは不滅のニルヴァーナの境地、をリアルに予感させるほどのものだった。

だからこそ、彼らは瞠目し、歓喜したのだ。

だからこそ彼らは讃嘆し、無条件でブッダに帰依したのだ。

以前、ミャンマーで修行した禅宗出身の僧侶である山下良道さんが話していたのだが、「瞑想修行の本場パオ森林僧院では、多くの修行者がアナパナ・サティの入り口で呼吸に気付く事ができずに挫折している」という実態を聞き知った時、わたしは大いに驚いた記憶がある。

(今となっては、良道さんの証言自体、その信憑性の検証は必要だが)

ブッダの瞑想法が最初の入り口の段階でそれほどまでに困難であるなどという事があり得るだろうか、と。

このパーラーヤナ扁に記述された「理法」がもつ、目の当りに時をおかず効果が現れると言う性質と、それは余りにも乖離してはいないだろうか。

(この点に関しては古代インド人と現代人の『資質』の違い、という点もあるかも知れない。これも後日検討して見よう)

そこにこそ、失伝され完全には再構築され得なかった、ブッダの瞑想法の核心部分が存在している。現時点ではそのように、私は読み筋を立てている。

そこで焦点になるのが、以下の文章だ。

この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲や貪りを除き去る事が、不滅のニルヴァーナの境地である。」

一体、どのようなメソッドを使えば、それほどまでに即効的に完全に、欲や貪りを除き去る事が、可能なのだろうか?

ここで「見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物」とは、未だ『眼耳鼻舌身意』の六官(六内処)と『色声香味触法』の六境(六外処)いう定型が確立する以前の原初形態であり、続く「欲や貪りを除き去る事」こそが『六官の防護』の結果としての「六欲の滅」であり、それこそが『瞑想実践そのもの』であり、だからこそ、それによってニルヴァーナの境地に至る、というながれについては、以前にも言及している。

そこでは、いわゆる12縁起の中盤に位置する『六処(六内外処)』において、六境の感覚情報刺激の浸入(アーサヴァ)から六官を防護する事それ自体が瞑想実践そのものであり、そこで無明縁起の連鎖が断ち切られ『一切世界の滅』が成し遂げられる、という関係性についても指摘している。

つまり、「十二縁起の実践的核心部分六処(六内外処)である」という視点だ。

その瞑想実践という六官の防護において、六官が集住する『顔の周り』で行われるサティという “探り針” を使った芸術的なまでの “オペレーション” が、あったはずなのだ。

(それはまるで、熟練の外科医が矢じりや腫瘍を摘出する妙技の様に、あるいはまたヴィーナの名手が行う熟練のチューニングとその名演の様に喩えられる)

その『オペレーション』のメソッドこそがパーラーヤナ篇で言う所の『理法』であり、その理法こそが「この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲や貪りを除き去る事」という『六欲のであり、その結果としての不滅ニルヴァーナの境地」なのだと。

 

(この投稿はYahooブログ 2014/9/26記事「瞑想実践の科学6六官の防護と『理法』」を加筆修正の上移転したものです)

 

 

 


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