仏道修行のゼロポイント

ゴータマ・ブッダの原像とヒンドゥ・ヨーガ

『彼岸』は何処にあるか?

私たち日本人にとって最も人口に膾炙したなじみ深い仏教用語に、『彼岸』という言葉がある。これは第一には春と秋年二回のお彼岸であり、主に先祖供養と結びついた仏事として私たちの生活に定着している。

以下Wikipediaより、

彼岸(ひがん)は、雑節の一つで、春分秋分を中日とし、前後各3日を合わせた各7日間(1年で計14日間)である。この期間に行う仏事を彼岸会(ひがんえ)と呼ぶ[1]。 

彼岸会法要は日本独自のものであり、現在では彼岸の仏事は浄土思想に結びつけて説明される場合が多くみられる。

浄土思想で信じられている極楽浄土(阿弥陀如来が治める浄土の一種)は西方の遙か彼方にあると考えられている(西方浄土ともいう)。

春分秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりである。

しかし本来の仏教用語としての彼岸とは、悟り(涅槃・解脱)の世界そのもののことであり、元々は先祖供養などとは全く関わりがなく、浄土思想などが登場する遥か以前に成立していた概念だった。

Wikipediaより

彼岸とはサンスクリット param(パーラム)の意訳であり、仏教用語としては、「波羅蜜」(Paramita パーラミター) の意訳「至彼岸」に由来する。

Paramita を param(彼岸に)+ ita(到った)、つまり、「彼岸」という場所に至ることと解釈している。悟りに至るために越えるべき迷いや煩悩を川に例え(三途川とは無関係)、その向こう岸に涅槃があるとする。

ただし、「波羅蜜」の解釈については異説が有力である。

私など昔は漠然と、死後に渡るという三途の川の向こう側くらいにイメージしていたのだが、調べてみるとこれは純粋に東アジア的な観念であり、本来のインド思想とはまったく関係がないようだ。

この彼岸、つまりparamもしくはparaという言葉は、スッタニパータなど古層の仏典に頻出するだけでなく、ブッダ以前のウパニシャッドなどでも極めて重要な意味をもって使われている。

ウパニシャッドのメイン・テーマ、それは個我の本質であるアートマンが絶対者ブラフマンそのものである事に目覚める、ということなのだが、この絶対者ブラフマンの世界、それはしばしば不死あるいは絶対的な歓喜(アーナンダ)として表されるが、その『ブラフマンの世界』こそが『彼岸あるいは彼方の世界 para loka』という言葉で指し示されていた。

パーリ仏典における彼岸も本来はこのウパニシャッド的なparaという心象の延長線上に位置するものだったのだろう。最初期のブッダの言葉がヴェーダウパニシャッド的な文脈を引きずった上に語られた事は、中村元博士をはじめ諸学も指摘しているところだ。

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古典学の再構築P55より、中谷英明氏発言

この彼岸』という概念こそが、ブッダの瞑想法を含め仏教の根幹に位置する心象世界のひとつのカギであると私は認識している。

その『彼岸』というものは、一体何処にあるのか?というのが今回のメインテーマだ。『彼方の岸』という以上、それは何か具体的な地理的イメージを伴っていたのだろうか。

そこでまずは中村元訳・スッタニパータ(以下同)より引用して、パーリ経典における『彼岸観』を見ていきたい。

3、奔り流れる水流を涸らし尽くして、あますことのない修行者は、この世とかの世をともに捨てる。

21、わが筏はすでに組まれて、よくつくられている。激流を克服して、すでに渡りおわり、彼岸に到達している。

539、(サビヤがブッダに向けて言う) あなたは苦しみの終滅に達し、彼岸に達せられた方です。あなたは真の人、さとった人です。あなたは煩悩の汚れを滅せられた方だと私は考えます。あなたは光輝あり、理解あり、智慧ゆたかです。苦しみの終滅に達した方よ。

545、(同)あなたは覚った人です。あなたは師です。あなたは悪魔の征服者です。賢者です。あなたは煩悩潜在的な可能力を絶って、みずから渡りおわり、またこの人々を渡すのです。

1070、「ウパシーヴァよ、よく気をつけて、無所有を期待しつつ、『そこには何も存在しない』と思うことに依って、煩悩流れを渡れ。諸々の欲望を捨てて、諸々の疑惑を離れ、愛執の消滅を昼夜に観ぜよ。」

悪魔が支配する煩悩と愛執という苦しみにまみれた此岸、つまり私たちが住む日常世界が激しい水の流れに喩えられ、それを超えた彼方の別世界が彼岸であり、それはあらゆる煩悩・執着が消滅し終滅した場処だった。

1105、ウダヤ尊者がたずねた、「塵垢を離れ、瞑想に入って坐し、為すべきことを為し終え、煩悩の汚れなく、一切の事物の彼岸に達せられた(師)におたずねするために、ここに来ました。無明を破ること、了解による解脱、を説いてください。」

1106~7、「ウダヤよ、愛欲と憂いとの両者を捨て去ること、沈んだ気持ちを除くこと、悔恨をやめること、平静な心がまえと念いの清らかさ  ― それらは真理に関する思索にもとづいて起こるものであるが ― これが無明を破ること、了解による解脱、であるとわたしは説く。」

1109、「世人は歓喜によって束縛されている。思考が世人を運行せしめるものである。愛執を断ずることによって安らぎがあると言われる。」

1111、「内面的にも外面的にも感覚的な感受を喜ばない人、このようによく気をつけて行っている人、の識別作用は止滅するのである。」

世俗の人々は思考と識別作用と歓喜によって束縛され、それらによって運行されており、それは塵垢の世界であり、愛欲や憂いにまみれた煩悩・執着の世界である。

坐の瞑想によってそれらの無明から解放された平静と安らぎの世界(彼岸)に至る事こそが解脱であり涅槃である。

その彼岸に渡るためには激流にたとえられる煩悩・執着を渡り超えなければならず、その難事業を成し遂げた者こそが、真の聖者(ブッダ)であると考えられていた。

そしてもちろん、彼岸と言うゴールには、瞑想に入って坐す事によってはじめて到達する事ができる。

この此岸と彼岸の対置構造は、時に大雨などによって増水した河の両岸にたとえられて語られていると言うが、これは恐らく聴衆の日常感覚に訴えるための文字通りの喩えであって、実際の彼岸が伴う『地理的なイメージ』は、単なる河の向こう岸ではあり得ないと私は判断している。

何故そう言えるのか。それはこの彼岸のイメージが、これまで本ブログで詳細に論じてきた『輪軸の世界観』と密接に関わり合っていると考えられるからだ。

その輪軸の世界観とは、もちろん、須弥山(メール山)の世界観に他ならない。

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Wikipediaより

このヴィジュアル化した須弥山の世界観を見ると、真円の円輪構造の中心に車軸様の突起である須弥山が聳えており、古代インド人が世界を輪軸と観ていた実例としてこれまでも取り上げて来た。

の上にある青い円盤は世界の全面に広がる海で、須弥山はその周囲360度を大海にかこまれてその中心に聳えている。

人間の住まう世界は、須弥山を中心としたその円輪大海の東西南北に配置されている島大陸として描かれ、南島の閻浮提(ジャンブドウィーパ)がインド世界になる。

この人間が住む閻浮提(インド)こそが此岸(こちらの岸=現象世界)であり、須弥山(メール山)のふもとの岸辺こそが彼岸(彼方の岸)であり、両者を分かつ金輪の海こそが激流の大海である。

そのように考えると、様々な情報のピースが、しっくりとひとつの図柄の中にはまり込んでいく、というのが今回の主題だ。

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いそべ会計さんより

須弥山は幾重もの環状の海と七金山という多重防壁で厳重に人間界の閻浮提(ジャンブ洲)から隔絶されている。

この須弥山の世界観は西暦4世紀ごろの世親によって書かれたという倶舎論に詳述されているものらしいが、すでにブッダの時代にはこの輪軸世界観の大まかの枠組みは成立していたと私は判断している。

その根拠は、パーリ経典の中でも古層に属するスッタニパータ(中村元訳)の中に、すでに以下の様にメール山(須弥山)とジャンブ洲(閻浮提)という言葉が明記されているからだ。

552、(セーラ・バラモンがゴータマを讃嘆する) あなたは転輪王となって,車兵の主となり、四方を征服し、ジャンブ洲(インド)の支配者となるべきです。

682、(アシタ仙が神々に問う) わたしは須弥山の頂に住まわれるあなた方におたずねします。尊き方々よ。

 

その他にも同書には四海という表現が確認できることから、須弥山を中心車軸とし、その周囲に車輪世界としての大海が展開し、その海上東西南北にジャンブ洲をはじめ4つの島大陸が存在する(その間が四海になる)という世界観が、すでにブッダの時代前後には成立していた事が、十二分に想定可能なのだ。

大いなる章 第七 セーラ

~かれは、四海の果てに至るまで、この大地を武力によらず刀剣を用いずに、正義によって征服して支配する。

世界の中心に聳える須弥山の頂には神々が住まう世界(天界)が存在する事も、アシタ仙人の神々への質問によく表れている。

世界の中心にそびえるメール山(須弥山)と人間が住むジャンブ洲の間には、金輪の大海が横たわっている。そして、この金輪の海、あるいはそれを乗せた大地が、リグ・ヴェーダの輪軸世界観においては車軸によって分かたれた天地両輪と考えられていた以上、その本性として『回転する』という性質を持っていると考えられる。

『宇宙の形に関しても明確な描写は存しない。ただ一回、これを重ね合わせた二個の鉢に譬え、また車軸によって車輪を支えるようにインドラは天地を引き離した(RV.Ⅹ,89,4)ともいわれている点から見ると、地表を円形と考えていたらしい。天地は併称されることが多く、「二個の半分」と考えられているが、そのあいだの距離についてはなにも記されていない。(同P451)』

春秋社 中村元選集:「ヴェーダの思想」P451より引用

上を見れば、インドラ(至高神)が車軸となって天地の両輪を分かち支えたという世界心象が鮮明に現れている。この大地の車輪のイメージが、やがて金輪の大地(海)になり、車軸がその頂にインドラなど神々が住まう須弥山へと転化していった。

そこにおいて、人間界(地上界)から神々の世界に到るという事は、車輪世界から車軸世界に移動する事を含意していた。

古代インド人は地動説ではなく天動説をとっていた様だ。では大地の車輪(地上世界)が回転すると言うイメージは何処から生まれるのか。

金輪の大地あるいはその上の大海が『回転する』とは、此岸たるジャンブ洲と彼岸たる須弥山の間を隔てる金輪の海に、常に越えがたい激しい『環流』が流れている、というイメージではなかったか、と私は考えている。

その証拠は、やはりスッタニパータの中に明確に描写されている。

173、「この世において誰が激流渡るのだろうか? この世において誰が大海をわたるのであろうか? 支えなくよるべのない深い海に入って、誰が沈まないのであろうか?」

175、愛欲の想いを離れ、一切の結び目を超え、歓楽のこころを滅しつくした人 ― かれは深海のうちに沈むことがない。

184、「ひとは信仰によって激流を渡り、精励によってを渡る。勤勉によって苦しみを超え、智慧によって全く清らかとなる。」

219、世間をよく了解して、最高の真理を見、激流と海をわたったこのような人、束縛を破って、依存することなく、煩悩の汚れのない人、 ― 諸々の賢者はかれを聖者であるという。

ここで「激流の大海を渡る」と表現されているのはイコール仏道修行のゴールである彼岸に渡る事に他ならないので、『彼岸』在り処大海の向こう岸である事が分かる。

ここには、此岸と彼岸の間には大海の激流が横たわり、それを越える事によって初めて向こう側の彼岸に到達できる、という『心象風景』が、鮮明に描写されている。

もちろん、彼岸とは悟りでありニッバーナであり輪廻からの解脱に他ならない。

中村元博士などは、パーリ仏典に見られる海や大海という表現は雨季の洪水などで生まれた氾濫原を表していると考え、その根拠としてブッダの時代のマガダ周辺に住む人々は、その内陸性によって海を見たことがなかっただろう事を上げている。

確かにブッダをはじめ彼の周囲に生きるほとんどの人々は、恐らく現物の海を見たことはなかったかも知れない。

けれど行った事見た事がないからといって、『知らない』とは断言できない。例えば、現代に生きる私たちのほとんどが、この大地が球状をした惑星である事を『知って』おり、この地球が太陽を中心に公転しつつ自転しながら大宇宙を運行している事を知っているだろう。

けれど私たちの内いったいどれほどの人が、実際に宇宙から球状の地球を見た事があるだろうか? 実際にそれが自転しつつ公転している姿を直に目撃した人間がどれだけいるだろうか。

そう、『世界観』というのは、とくに日常を超えた『マクロ』としての世界観とは、多くの場合『情報』としてもたらされて初めて把握され得るのだ。

ブッダ在世当時、すでに海外貿易をする商人の船団が海を渡って活躍していたことがパーリ仏典などから想定され得る。インド亜大陸の住民は既にインダス文明の時代から今のペルシャ湾一帯と交易を行っていた。そして富裕な都市文明の住民とは、何よりも好奇心にあふれた知識の愛好者だった。

すでにリグ・ヴェーダの時代に確立されていた輪軸世界観と、交易商人からの伝聞情報としての荒ぶる大海のイメージが結びついて、ここに環流が渦巻く金輪の海のイメージが成立したのだろう。

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Dissertation Reviewsより

上の画像下部のジャンブ洲(インド亜大陸)は青い海に囲まれており、他の海域と同様その海面には明らかに激しい波頭が描かれている。

世界の中心に聳える須弥山は、神々が住まい梵天ブラフマーブラフマン)のまします彼岸の世界は、その大海の激流によって人間が住むジャンブ州からは容易に近づけないものとして隔絶されていた。

ここで問題になるのは、この須弥山島の頂上が神々梵天の住まいと言われている事だ。仏教思想において神々もまた輪廻の内にあるのならば、彼らの住む須弥山島の岸に渡っても、それが輪廻からの解脱を直接的には意味しないのではないか?

この点に関しては今回は取りあえず深掘りしない。ただ、仏教思想が時代と共に成熟していく過程で、本来は解脱界を表した古ウパニシャッド的な梵天ブラフマンの世界が、没落して輪廻の内に堕とされただけで、おそらくブッダ在世の当時は梵天ブラフマンの世界こそが解脱界であり、それは神々の住まう須弥山頂部の更に上空(最高天・至高天)におそらく設定されていたのではないか、と指摘するに留めたい。

もちろんここで扱っている世界観とは、現代人が地球儀や地図を見てイメージする時の世界認識とは微妙にかつ明確に異なっている。

ヒンドゥー・ヨーガの思想には、微細身という概念がある。我々の目に見える物質的でリアルな身体と重なり合う様にして、微細身と言う不可視の霊妙なエネルギーの身体が存在し、そのエネルギーの流れが瞑想実践と深く関っている、という身体論だ。

大なる世界は小なる世界(身体)であり、小なる世界(身体)は大なる世界である、という心象を思い出そう。須弥山世界図とは、ヨーガの思想が実体的な身体と不可視の微細身を重ね観ていたように、須弥山の世界観も、実体的な世界と日常では不可視の霊妙な世界を重ね観るもので、それは瞑想実践と深く関ったものだったのだ。

その霊的な世界において、凡俗世界(閻浮提)と解脱世界(須弥山島)との間は渡り難い激流の大海によって隔絶されており、多くの困難を克服してその海を超えることができた時初めて、私たち人間は彼岸(解脱=ブラフマンの不死の解脱界)に至ることができた。

最初期の仏教が、解脱や涅槃に、つまり彼岸に至った聖者を『真のバラモン』と表現していることは、中村元博士をはじめ多くの先学が指摘している事であり、本ブログでも以前集中して論じて来た。

これまでもそしてこれからも繰り返し言い続ける事だが、ブッダが到達した彼岸あるいは解脱の境地がイコール、ブラフマンの解脱境であった、と聞くと多くの日本人仏教徒は違和感を禁じえない筈だ。

しかしこの『真のバラモン』の原語がブラフマナ、つまりブラフマンを保つ者、ブラフマンを知る者、つまりは『真にブラフマンに至った者』、という意味を持っている事を考えた時、この仮説の蓋然性の高さは自ずから明らかだと思われる。

508、(マーガがブッダに言う) 『誰が清らかとなり、解脱するのですか? 誰が縛されるのですか? 何によってひとはみずから梵天界に至るのですか? 聖者よ、~師よ、私は今梵天をまのあたりに見たのです。真にあなたはわれらの梵天に等しいかただからです。光輝あるひとよ。どうしたならば梵天界に生まれるのでしょうか?」

638、この難路・険路・輪廻・迷妄を超えて、わたり終って彼岸に達し、精神を安定せしめ、欲望なく、疑惑なく、執着がなくてこころやすらかな人、 ― かれをわたしはバラモン(ブラフマナ:筆者注)と呼ぶ。

508の「解脱する」梵天界に至る」がイコールであり、更に続く638の「彼岸に達し」も文脈上イコールで結ばれる事は誰にでも分かり易い。

638節を含むスッタニパータ『大いなる章』九ヴァーセッタ節は、聖者(ブッダ)をバラモンと表現する文言に満ち満ちている。恐らく彼岸に至った聖者とは、=ブラフマンに至った真のバラモン(ブラフマナ)であるという共通認識が、当時の世人(あるいはサマナ達)の間には一般化していたのだろう。

それは既に古ウパニシャッドの中に確認できる。

ブリハドアーラニヤカ・ウパニシャッド第三章第八節10

この不滅のもの(ブラフマンを知ることなく、ガールギーよ、この世において供物を捧げ、祭祀を行い、苦行して数千年に及ぶとしても、その功徳は正に滅びるであろう。

この不滅のものを知ることなく、ガールギーよ、この世を去る者は、憐れむべき人である。しかし、この不滅のものを知って、ガールギーよ、この世を去る者は、真のバラモン(Sa Brāhmana)である。

【原典訳】ウパニシャッド、岩本裕 編訳、ちくま学芸文庫 P231より

ブッダの言う真のバラモンが上のウパニシャッド真のバラモンの直接の後継者である事は明らかだろう。実際に沙門シッダールタは、それを求めて苦行に励んだのだ。

しかし実際に解脱してしまったブッダの中では、その認識に大きな変容が起こった。何故なら、彼が実体験した解脱の境地は、これまでに様々な修辞で彩られて来たブラフマンのイメージを悉く否定するものだったからだ。

彼はブラフマンを求めてついにそれに至った。けれど実際は、そのブラフマンの『実像』は予想されていたものと大きく異なっていた

これは月にまつわる世界中の様々な神話伝承と、実際にアポロが着陸し目撃した月の実像に喩える事が出来よう。

アポロが見た真実は写真や動画によって地上の人々によって実感を伴って共有された。今までリアルに想定されていた神話ヴィジョンは、全て単なる『フィクション』に過ぎなかった事が自明となった。

しかし、ブッダが覚知した真実のブラフマンは、情報によっては共有され得ないものだったのだ。それ故ブッダは、自分が経験した不死の解脱をブラフマンと呼ぶ事を一切拒んだ。そしてブラフマンの解脱境としてイメージされて来たほとんどの『物語』を注意深く捨象して、それをニッバーナと呼んだ。

これが、ブッダブラフマン概念の関係性についての、真実であったと私は思う。

この点に関しては、後日改めて深掘りする機会を設けたい。

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ノァキーの部屋より

話を須弥山に戻そう。上の画像は何処から引っ張ってきたのか不明だが、明らかに瞑想実践と須弥山世界観の相関を示しており、おそらく専門知識に基づいた仏教瞑想階梯の概念図だと思われる。

この図柄と重ね合わせる為に、以下の引用を読んで頂きたい。

禅定と五禅支・須弥山と宇宙

この宇宙には31の世界、31界というのがあります。今生で阿羅漢まで修行したら、31の世界のどこにも行く必要がなくなります。なぜなら阿羅漢はもう生まれてこないからです。再生しないからです。もし阿羅漢にならなければ、更にまた次の生を始める事になります。もうちょっと旅をしたければ、この31の世界で旅を続ける事が出来ます。

31の世界の中心には、メール山(須弥山)があります。この須弥山にはいろいろな段階があります。下の方、須弥山の地下の方には地獄界があります。禅定を得てその地獄界を見てみると、ものすごく燃えている火があって、人々がその中でたいへん苦しんでいるのが見えます。

地上には人間界があります。それから動物、阿修羅、餓鬼ですね。地上というのは、我々人間だけではなくて動物とか阿修羅とか餓鬼が一緒に住んでいる所です。だから低いレベルにいるわけです。とても地獄に近い所に居るという事です。

地獄・動物・阿修羅・餓鬼、その四つは悪所、あまり良くない世界で、そのちょっと上に人間界があります。段々上がっていって、須弥山の真ん中ぐらい、中腹位からデーヴァ(天人)の世界が始まります。

四天王の世界がまずあって、須弥山の真ん中ぐらいに住んでいるのが、四天王の持国天増長天広目天多聞天です。更に上がっていくと・・・だんだん上がって一番上(頂上)まで行きますから付いて来て下さい(笑)。

須弥山(メール山)の頂上には、二番目の天界があります。利天(とうりてん)が其処に住んでいます。また、そこには天界の王である帝釈天(インドラ)がいます。

須弥山の上には第三番目の天界があります。天界には6つの界があります。デーヴァの世界よりも上へ行くには、色界禅が必要です。色界禅というのは、第一・第二・第三・第四禅定までを言います。地獄・動物・阿修羅・餓鬼で4つの世界があって、人間界があるので全部で5つですね。それから6つの天人(デーヴァ)の世界があって全部で11です。この11の世界というのは、感覚を持った世界という事で、欲界と訳されています。

更にその上は、色界の禅定に入らないと行けないけれども、16の界があります。16と11でいくつでしょうか(笑)。そう、27です。更にその上に無色界禅で行ける界があって、これが4つあります。27と4つの界があって、それを合計するといくらでしょうか。それで31になります。これが世界の全部です。

須弥山の宇宙

須弥山(メール山)の周りに、どこに地球があって、どこに太陽があって、どこに月があるかという事は禅定の力を高めて見る事が出来ます。月とか星とかというのは、天の上にあると人々は思っています。しかし、月というのは須弥山の直ぐ横にあって、上にあるわけではありません。須弥山の横に太陽があって、月があって、下に地球がある。瞑想していると、それらが動いているのが見えてきます。とても興味深い映像です。

瞑想して須弥山の周りにどんなものがあるかと見ていると、須弥山とは別の山々があります。中心にあるのは須弥山で、その横に大きな川が流れていて、その川の横にまた山があって、その山は須弥山の半分の高さです。そのようにして、1つの川があって1つの山があって、1つの川があって1つの山があって、というように7つの山があります。それで最後の山の支脈をずっと行くとヒマラヤに繋がっています。

菩提樹文庫より、ディーパンカラ・サヤレー法話

これはテーラワーダで瞑想実践を深めたディーパンカラ・サヤレーの大変興味深い肉声証言なのだが、詳細の検討は他日に譲るとして、瞑想実践を深める事によって初めて観る事の出来る日常では不可視の須弥山世界と、実際の現実世界が重ね合わされている事が良く分かるだろう。

おそらくサヤレーの心象においては、ここで語られる全てが『体験的リアル』なのだと思われる。それはおそらく古代インド人にとっても同じだっただろう。

彼らは瞑想の深みにおいて直観される須弥山を中心とした『世界像ヴィジョン』を真実だと確信している。それがたとえ、瞑想のさなかでなければ認識できない(肉眼では確認できない)ものだったとしても。

だが、肝心の不死の解脱の世界についてはここでは触れられていない。おそらくそれは31世界の最高処にある無色界禅で行ける四つの界の最高位「非想非非想処」の更に上方『圏外』(31世界自体の外)なのだろう(だからこそ解脱)。

どちらにしても、閻浮提(ジャンブ洲)から解脱に至るためには、まずは金輪の大海を渡って、向こうの岸である須弥山に到達しなければならない、という流れは理解できるかと思う。

世界の中心に聳える須弥山は、何よりもその頂上に梵天をはじめとした神々が住まう聖界と考えられていた。それはリグ・ヴェーダからアタルヴァ・ヴェーダに至る万有の車軸柱(スカンバ)としての絶対者ブラフマンの思想を明らかに受けている。

それら思想を自明の背景心象とした世界に生まれ育ち、修行し目覚めたブッダは、自らの解脱を聴衆に説明する為に、大海の向こうの梵天ブラフマン)がましますメール山の岸辺すなわち『彼岸』という共有イメージを借用した。

以上が、『彼岸はどこにあるか?』という設問に対する、輪軸世界観に基づいた私の回答だ。

この仮説が何より重要なのは、本ブログの題名でもある仏道修行のゼロポイント」つまりブッダガヤ菩提樹下の禅定において、これらの『彼岸観』が、その悟りに至る瞑想法の実践的作用機序と密接に関わり合っていたのではないか、という点にある。

そこで焦点となってくるのが、これまで何回も説明した、大宇宙と人体(小宇宙)を重ね合わせて、私たちの身体の中にもメール山を中心とした輪軸構造がある、という心象になる。

すでに紹介したように、リグ・ヴェーダには原人プルシャからの世界展開という神話が存在し、ジャイナ教にはそれを受けたコスミック・マンの世界観があった。

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Jainpedia.orgよりLoka Purusha(Cosmic Man)

大宇宙は身体であり、身体は大宇宙である

そこに明らかなのは、この万有世界(大宇宙)をひとつの『身体』としてとらえる特異な世界観だった。

これがフィードバックされた形で、私たちの個的身体(小宇宙)の中にも大宇宙と同じ輪軸の世界構造が存在する、というヨーガの身体観が生まれた。

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Wikipediaより The Subtle body and the cosmic man, Nepal 1600s

上の画像は、私たちのリアルな身体と重なり合う様に存在する微細身のヨーガ・チャクラ図であるが、それは同時にコスミック・マン(Loka Purusha)でもある。その足元にある青色の長円形は恐らく原初の胎なる海(水波)だろう。

(それは同時に、羊水から生まれる胎児でもある)

人間の身体はスシュムナー(背骨)を車軸(メール山)とし、エネルギー・センターであるチャクラを車輪とする輪軸のミクロ・コスモス(インナー・スペース)として把握された。

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The inner kalacakratantraより

上の記述はチベット密教のカーラチャクラタントラに属するものだが、メール山が身体の中心の背骨であり、その山頂が頭部である事が明確に語られている。

この様な身体と大宇宙世界を重ね合わせる心象は、すでにブッダの時代にはその原型が存在していた可能性が高いと言っていいだろう。

何故なら、そもそもリグ・ヴェーダの末期には既に宇宙世界を身体と観る黄金の胎児やプルシャ(宇宙的原人=コスミック・マン)の思想は現れているし、個我の本質であるアートマンが万有世界の絶対者であるブラフマンと同一である、というウパニシャッドの発想自体が、このようなマクロの身体とミクロの身体の照応関係をベースにしていると考えられるからだ。

だとすれば、伝統的テーラワーダの瞑想実践の中で、そのサマディの深みにおいて霊視される須弥山世界は、私たちの身体の内部にも、と言うよりもむしろ、身体の内部にこそある、あるいは「あった」のではないだろうか。

もちろんそれが「あった」のは誰よりも沙門ゴータマ・シッダールタの心象においてあった、という事を意味する。

それは、彼が悟りに至った菩提樹下の瞑想法あるいは彼がその方法論の発見に至るプロセスに密接な関わりを持っていたのではないか。それが長々と須弥山世界という形而上学的事象について紐解いて来た理由になる。

瞑想修行の深まりが、何故須弥山上空を上がっていくイメージで把握されたのか。これは何よりも、瞑想の実践と須弥山の世界観が密接に関わりを持っている証左だと考えられる。

そして、瞑想が行われるのは何よりも『身体において』であった事を忘れてはならない。ブッダの瞑想法としてまず第一に挙げられるアナパナ・サティ。これは呼吸に気付く瞑想だった。それはもちろん、私たち生身の身体において現象するものだ。

(サティパッターナ・スッタの四念処において観ぜられる身も受も心も法も、全て身体とその内部で起こる現象に他ならない)

では何故、そもそも沙門ゴータマ・シッダールタは、「呼吸に気付く」などという一見ほとんど無意味にも思える営為によって解脱に至れる、と『発想』出来たのだろうか?

何かが発想、あるいは創造されるためには、必ず事前の『仕込み』が必要だ。未だ悟りに至らずに模索し続ける沙門シッダールタが「呼吸への気づき」に思い至る為には、必ず契機となる何らかの心象プロセスが存在していたはずなのだ。

最後まで読んで頂いた方たちには是非この問題を考えて欲しい。

シッダールタが「呼吸に気付く」瞑想法に想到し得た、その必然的心象プロセスとは、一体どのようなものだったのだろうか?

 

(本投稿はYahooブログ2012年12月投稿「彼岸は何処にあるか1,2」を統合加筆の上移転したものです)

 


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