仏道修行のゼロポイント

ゴータマ・ブッダの原像とヒンドゥ・ヨーガ

勝者と敗者が対峙した時:相反する『車輪の原心象』

前回はインド・アーリア人の原風景、シンタシュタ文化のチャクラ・シティについて紹介した。彼らにとって、車輪やラタ車(戦車、馬車、牛車)がどれだけ重要であったかがイメージできたと思う。

インド・アーリア人にとってのラタ車とは、海洋民族にとっての船であり、定住移動を繰り返す歴史の中で、ある意味彼らの人生そのものがラタ車の上で演じられたと言えるほど、その存在は生活に密着した欠かせないものだった。

そんなチャクラ(車輪)思想を携えて、アーリア人はインド亜大陸に侵入し、正にその車輪を履いたラタ戦車の優位性に依って先住民に圧勝した。彼らの中で、ラタ車と車輪の持つ重要性はさらに一層高まった事だろう。

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ペルシャに伝わったラタ戦車。ChessRex より。古代エジプトと同じ六本スポークだ

リグ・ヴェーダには、カイバル峠を越えてインダス川流域に侵入したアーリア人が先住民と戦い、勝利し、その富を略奪していった過程が、これでもかと描写されている。その主役とも言えるのが、黄金のラタ戦車に乗り、全軍を指揮し、先住民ダスユ(ダーサ)を殺戮するインドラ神だ。

「神の力にものみな揺らぎ、ダーサのやから(アーリア人の敵、先住民)影ひそむ。異部族びとの蓄えを奪いて取りぬ、勝ち誇る、賭けの巧みをさながらに。その神の名はインドラ天」

「罪に汚れし諸人は、いつしか彼のの的。奢れる者は彼の敵。アリアン族に仇をなす、ダスユ(先住民、悪魔)もあわれ彼の犠牲。その神の名はインドラ天」

辻直四郎訳:リグ・ヴェーダ賛歌より

リグ・ヴェーダを通読して思うのは、これは典型的な部族神の神話だな、という事だ。私は先の投稿『宗教とは何か? 』で、 

「歴史的に見て、宗教が世界平和や人類みな兄弟などとその『普遍』を標榜するようになったのは、ここ最近ほんの100年ほどの出来事に過ぎない。

宗教本来の姿とは、その信仰を共有する特定の集団、つまり氏族・部族・民族、階級、組織が持つ排他と利己という目的意識を強化し、その欲望を推進するために常に原動力として機能するものだった。」

宗教とは何か? - 仏道修行のゼロポイント

と書いた。その正に排他と利己の衝動を擬神化した者こそがインドラなのだろう。結局のところ、アーリア人がインドラ神を崇めるという事は、侵略し、征服し、略奪する『自分』を崇めていたに過ぎない。 


Nova: Building Pharaoh's Chariotより。40:40あたりから

エジプトの古代戦車も基本は六本スポーク

紀元前1500年に起きたアーリア人によるインド侵攻。そこでは、物質文明、特に武力において抜きんでていた白人種によって、武力において劣った有色人種が征服され、支配されていくという構図があった。 

その結果生まれたのがヴァルナ、すなわち肌の色を基準とした支配・被支配の構造、カースト・システムだ。

おそらく、彼らアーリア人がインダス河流域で最初にコンタクトした先住民は、比較的文化程度(軍事力)の低い人々だったのだろう。それはリグ・ヴェーダの中で先住民ダスユ(ダーサ)が「肌が黒く鼻が低い」と表現されている事や、しばしば蛇族、あるいは蛇形の悪魔ヴリトラと重ね合されている事からも想像できる。そのイメージは、物質文明において優れていると言うよりも森や生態系と共生する印象が強い。

一方のアーリア人と言えば、7000㎞にも及ぶ長途の旅の間、無人の野を駆けて来た訳ではなかった。新しい土地には必ず先住民が居り、多くの場合は戦いが起こった事だろう。つまり彼らは500年にわたって様々な民族と戦い続けた歴戦の猛者だったのだ。

アーリア人と先住民の武力の格差は、武器の上でも経験の上でも歴然としていた。アーリア人は、この亜大陸最初の一歩において、未だかつてない大勝利をおさめた事だろう。

では、逆に征服された先住民の立場に立った時、この出会いはどんなものだっただろうか。間違いなく、彼らはラタ戦車なる物を初めて見た。当時インド亜大陸内部では、牛に牽かせる荷車はあったが、馬に牽かれたスポーク式車輪の高速機動戦車など青天の霹靂だったに違いない。

アーリア人の戦術とは上の画像・動画に見られるように、この高速機動戦車を駆って車上から弓矢を速射しながら波状攻撃をかけるという極めて斬新かつ画期的なもので、先住民にとっては戦国時代の日本における種子島(火縄銃)の登場以上の驚愕と混乱をもたらした事が想像できる。

この不幸な出会いは、例えてみれば、大航海時代の到来と共に中南米に押し寄せたスペイン・ポルトガル人たちが、その圧倒的な武力の優位を元に、先住民インディオを殺戮し征服し、黄金などの富を略奪していったプロセスと似ているのかも知れない。

1532年、豚飼いとして知られたフランシスコ・ピサロはわずか200名足らずの部下と共にインカ帝国を滅ぼしてしまう。銃を持ち馬に騎乗するこのスペイン人たちを見て、インカ人たちは彼らを自らの伝承にある雷帝神、あるいは「白い神」、と誤認したようだ。

当時のインカ軍は総勢80000人以上とも言われる。80000人対200人。この様な圧倒的な戦力差も、装備的心理的な優位によって簡単に覆されたのだ。

恐らく、これと同じような事が、アーリア人とダスユの先住民の間でも起こった。

ここで思い出して欲しいのが、インダスのチャクラ文字だ。あたかも6本スポークの車輪の様なシンボルが、インダス文明においてはある種宗教的な特別な意味を持っていたと考えられている。

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インダスのチャクラ文字(左端)。そのデザインは六本スポークの車輪そのものだ

ダスユの原住民が直接的にインダスの末裔であったか、またこのチャクラ文字を継承していたかどうかは分からない。けれど、インダス・シールに刻まれた瞑想者の姿が獣類の王パシュパティとしてのシヴァの原型であると考えられている事、ダスユの先住民がリンガの信仰を持っていたらしいこと、またアショカ王の時代においても、インダスのものと同じ寸法比率のレンガが用いられていたことなどから考えると、インダスの文化諸要素は確実にインド先住民に継承されていた事がうかがい知れる。

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最もベーシックな聖吉祥文様はインダスの印章文字とラタ車の車輪のハイブリットか

私的にここでよりドラマチックな仮説を採用すれば、ダスユにとっても、チャクラ文字は神を象徴する形であり、その同じ形の車輪を駆ってやってきたアーリア人は、彼らの眼には文字通り『鬼神』に映ったのではないか、という事なのだ。

そして、ダスユの民は完敗した。あたかも200人に満たないピサロ率いるゴロツキ集団によってインカ帝国が滅ぼされたように。そしてダスユの心の奥深くに、アーリア人に対する根源的な恐怖と畏怖の気持ちが徹底的に植えつけられた。その武威の象徴である車輪の形と共に。

鬼神の車輪を乗りこなすアーリア人には絶対に敵わない。これがヴァルナのシステムを根底で支えるダスユ達の深層心理だったのだ。

この心理は、第二次大戦終末期に2発の原爆を投下され甚大な被害をこうむった日本人のそれと重ね合わせるとよく理解できるかもしれない。あまりにも圧倒的な武力・破壊力に直面し、なすすべもなく敗れた者は、強烈にその敗北を心に刻み込む。このアメリカには絶対に敵わないと。

そして戦後の日本は、ひたすらにアメリカに追従し、その文化を模倣し、少しでもアメリカに近づくことをその国家目標として掲げてきた。アメリカは戦後の日本人にとって『神』となったのだ。

侵略者アーリア人に対して決して「ノーと言えない」ダスユ達の『信仰心』こそが、カースト制度をその根底で支える深層心理だったと考えても、そう的外れではないだろう。

何故私が、仏教とは一見関係のない古代インド史について延々と語るのか、疑問に思う向きもあるかも知れない。けれど、この絶対勝者アーリア人対絶対敗者先住民という構図こそが、その両者の間に生まれた心理的な化学反応こそが、インド思想の深みと、その現代における普遍性の根拠になっていると考える私にとって、この点をないがしろにすることは決して出来ない。

歴史は常に勝者によって記述されるという。アーリア人のインド侵入と言う歴史的事実は、常に勝者アーリア人が残した文献のみに依存して考察されてきた。そこから始まる全てのインド学的営為においてもまた、敗者である先住民のリアリティは完全に黙殺され続けてきたという現実がある。

しかし、この敗者による勝者に対するアンチテーゼこそが、仏教をはじめとした『反バラモン』思想を生み出す原動力だったと考えた時、インド思想に対して全く新しい光が投げかけられるだろう。 

侵略者アーリア人が無邪気なまでに称賛した武神の車輪。そして征服された先住民が見た『鬼神』が転ずる恐怖と破壊の車輪。立場を変えた対照的な二つの『車輪観』。

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信者たちに合掌礼拝されるバールフートの法の車輪(ダルマ・チャクラ)

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輪廻の車輪。相反する車輪が織りなすインド思想のダイナミズム

例えば、上の画像に見られる、ブッダによって転じられた聖法の車輪、そしてその真逆とも言える、仏教教理において根源的な意味を持つ輪廻する苦悩の車輪について考えてみよう。

およそ宗教と言われる精神・文化現象は、聖と俗、救済と苦悩と言う二項対立を前提としている。そしてその聖性を表すための、特徴的なシンボルというものが存在する。 

キリスト教の場合は、もちろん十字架がそれにあたるだろう。それは神の子であり世の救い主であるキリストが、人々を原罪から救うために自らの身を捧げた象徴として、世界中のキリスト教徒によって仰がれている。 

ならば神と対峙する悪魔の象徴は何だろうか。蛇とか蝙蝠とか髑髏がそれにあたるのだろうか。どちらにしても、ふつう聖なるシンボルと俗悪なるシンボルはまったく異質なもので、両者が重なり合う事はほとんどないだろう。 

しかし仏教の場合は他の宗教と違って、上に見られるように聖と俗、その二つの対立した価値概念をひとつの『同じ車輪というシンボル』によって表すという事が平然と行われている。 

仏教では、悟りを開いたゴータマ・ブッダサールナートではじめて説法し弟子を得た史実を『法の車輪を転じた』と表現した。そして聖なるシンボルの筆頭として法輪を掲げている。 

一方で、同じ車輪という存在を、煩悩・輪廻の車輪として、俗なる生における『苦』の循環を表すシンボルとしても採用している。

信者たちに仰がれる聖法の車輪と、悪魔に囚われた世俗生活という輪廻・苦悩の車輪。

何故、悟りの知恵によって把握された聖なる法が車輪で表されると同時に、煩悩に支配された苦しみの輪廻が ‟同じ車輪で表される” などという事が、可能なのだろうか?

このような車輪のシンボリズムが持つ明確に背反する正負・聖俗の両義性。ここにこそ、正に車輪というタームを基軸として、躍動するインド思想のダイナミズムが展開し転回していったという歴然たる史実が隠されている、と私は見る。

(本投稿は脳と心とブッダの悟り: 勝者と敗者が対峙する時法の車輪と煩悩の車輪〜その1- 脳と心とブッダの悟りなどを統合し、修正の上移転したものです)