仏道修行のゼロポイント

ゴータマ・ブッダの原像とヒンドゥ・ヨーガ

太陽の末裔・世界を照らす者:スーリヤ・チャクラと、瞳と蓮華と光背と

初期パーリ仏典の中で、ブッダを称える定形表現について考える二回目。前回は眼ある人、世界の眼など眼に関わるものだったが、今回は太陽について。

仏典の中には、ブッダを「世を照らす者」「光輝ある者」「太陽の末裔」「光明を放つ」「雲を離れて照る太陽」など、輝く太陽やその光に例えて称える表現が頻出する。

540 あなたはわたくしに疑惑のあるのを知って、わたくしの疑いをはらしてくださいました。わたくしはあなたに敬礼します。聖者の道の奥をきわめた人よ。心に荒みなき、太陽の末裔よ。あなたはやさしい方です。

550 あなたは、眼が清らかに、容貌も美しく、(身体は)大きく、真っ直ぐで、光輝あり、<道の人>の群の中にあって、太陽のように輝いています。

687 火炎のように光り輝き、空行く星王(月)のように清らかで、雲を離れて照る秋の太陽のように輝く児(赤ん坊のシッダールタ)を見て、歓喜を生じ、非常な喜びを生じた。

991 カピラヴァットゥの都から出て行った世界の指導者(ブッダ)がいる。かれは甘蔗王の後裔であり、シャカ族の子で、世を照す

1016 光を放ちおわった太陽のような、円満になった十五夜の月のような目ざめた人(ブッダ)をアジタは見たのであった。

1097 師(ブッダ)は諸々の欲望を制してふるまわれます。譬えば、光輝ある太陽が光輝によって大地にうち克つようなものです。智慧ゆたかな方よ。智慧の少いわたくしに理法を説いてください。

1136 かれは独り煩悩の暗黒を払って坐し、高貴で、光明を放っています。ゴータマは智慧ゆたかな人です。ゴータマは叡智ゆたかな人です。

太陽については、リグ・ヴェーダの時代からいわば神格の老舗中の老舗とも言え、ブッダもその偉大なる光輝に重ね合された部分はあるのだろう。

本家太陽神スーリヤを始めアディティア神群、暁の女神ウシャス、激励する神サヴィトリ、現在は三大神の一人にまで成り上がったヴィシュヌも本来は太陽の光照作用を象徴したと言うし、ギリシャの主神ゼウスと起源を同じくする天空神ディヤウス、更には神(漢訳では天)を意味するデーヴァでさえも、本来は天空の光輝、つまり太陽をその原像としていると言われている(後の大日如来も文字通り太陽神格だ)。

仏典にはしばしば天の神々(デーヴァ)が登場するのだが、その際常に「夜半を過ぎたころジェータ林を隈なく照らして」などと言う定型句と共に現れる。これなども別に神々が行灯を持っていた訳ではなく、神自体が自ら発光しているイメージが古代インド人の中に確かに存在していたのだろう。

日本の天照大神やエジプトの太陽神ラーなど太陽をその原像とする神格は世界中に普遍的に存在しており、ある意味人間にとっては『神』概念の原像とも言えるだろう。

東の空に太陽が昇った瞬間、真っ暗な夜の闇は一掃され世界は光輝で包まれる。中天にただひとり燦然と輝き大地を見下ろす太陽の存在は正に超越者そのものであり、いわゆる唯一者(eka)なる至高神の原像も、太陽にあるのかも知れない(もし地球が二つの太陽を持つ惑星だったならば、唯一神という概念は果たして生まれただろうか?)。

ブッダの在世中、更にはその神格化が進んだ死後、彼の偉大性を称揚する為に太陽とその光輝のイメージが採用されたのは自然な事だったのかも知れない。

しかしそれだけではなく、やはりそこには車輪と車軸のアナロジーが存在していたのではないか、と言うのが今回のメインテーマだ。

話は単純で、一般に太陽が光を放っている姿をイメージすれば、それがそのまま車輪のデザインと重なり合うのは一目瞭然だろう。

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人類に普遍的な太陽(日輪)のイメージ

中心にある太陽は全ての光輝の中心にある車軸で、放射光はスポーク、)周囲の光輪(ハロー)はリム外縁の輪郭になる。

インドでも日本でも太陽の事をスリヤ・チャクラ(日輪)と呼ぶのもうなづける。話が単純過ぎて、あまり面白くないかも知れないが…

一方、神話的に見ると太陽神スーリヤと車輪を重ね合わすイメージはリグ・ヴェーダにまで遡る事ができる。そこでは太陽(神)スーリヤは七頭の馬に引かれたラタ戦車に乗って天空を翔ける黄金に光り輝く者として讃えられている。

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4千年以上変わらない太陽神スーリヤの基本イメージ

上の絵はインドで普通に売られているスーリヤの最もポピュラーな絵柄だが、ヴィシュヌ神(やはり太陽の光照作用に起源する)の影響でスダルシャン・チャクラと法螺貝を持っている以外は、リグ・ヴェーダの時代からほとんど変わらないイメージが保たれている。

彼の乗るラタ戦車が天地を駆け巡る、その威力を象徴するのは回転する車輪であり、その中心からスポークが円輪放射状に展開する形はそのまま太陽のシンボルとなった。

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コナーラク太陽寺院はその巨大な車輪で知られている

スーリヤが車輪と重ね合わされたのはその形のイメージからだけではなく、太陽が大地の周りを昼と夜に渡って循環する事(リグ・ヴェーダの時代、既に太陽が夜には大地の下を西から東に逆行する事がイメージされていた)、また太陽が繰り返し循環する年とその季節を支配するという意味合いもあったようだ。

そして、太陽(スーリヤ)は『顔』としてのイメージでも把握されていた。これは現代でも幼児が太陽を「お日様ニコニコうれしいな」などと人の顔と重ね合わせるのと同様だ。

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西インドを中心にインド全土で見られるスーリヤ・チャクラのイメージ

上のウオール・ハンギングを見ると、中心車軸の位置にある顔の太陽からスポークの様に光が放射状に展開するイメージが良く分かる。

そしてもうひとつ、天空の神的顔としての太陽の、その核心部分が『眼』であったと言う重要な事実も忘れてはならない。

スーリヤはしばしばヴァルナ(時にアグニ)の眼と呼ばれ、一切に仰ぎ見られ一切を見る。

「スーリヤは眼(まなこ)なり」

七頭の金色の馬は汝を乗せて運ぶ。神スーリヤよ、炎を髪となす汝を、遠く見つめる神よ」

リグ・ヴェーダ賛歌 辻直四郎訳より

上のスーリヤ賛歌を見ると、太陽の放射光あるいはフレアを髪とする天空の神的顔、としてのスーリヤと、その焦点である天空の神的『眼』としてのスーリヤの表象が確認できる。

(前回の内容を踏まえ、上のスーリヤ・チャクラの写真を遠望すると『瞳』になる!)

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DISNEYLAND (ANAHEIM, CA)より

上の写真は現代ディズニーランドの観覧車だが、顔の太陽が車輪の中心にあり全体に円輪放射状のデザインを遠望すれば瞳にも見える。誰が発想したかは知らないが、この様な『重ね合わせ』が古代インドに留まらずある種人類普遍の感性である事が分かる。

(そう言えば岡本太郎の「太陽の塔」も『顔』だった)

この地上に太陽の照らさない所はない様に、眼としての太陽の視線から、逃れられる者はいない。この感覚は日本でも昔言われていた「お天道様は全てお見通しだ!」に近いものがあるかも知れない。

太陽に与えられたこの様な「世界を照らす」イメージと「一切を見る『眼』」としてのイメージが、やがてブッダと重ね合わされた。

無知と苦悩の闇をその智慧の光で払拭し明らめていくブッダ

太陽の光がなければ闇は世界を覆い尽くし、私たちは世界の実像を見る事が出来ない。そう考えれば、世界の眼という表現と世界を照らす者という表現は密接に関わり合っている事が分かる。

ブッダが照らす事によって、初めて世界(神々と人々)の眼が開かれる。ブッダは眼として世界を観ると同時に、世界中の眼を開かせるのだと。

763 覆われた人々には闇がある。(正しく)見ない人々には暗黒がある。善良な人々には開顕される。あたかも見る人々に光明のあるようなものである。理法がなにであるかを知らない獣(のような愚人)は、(安らぎの)近くにあっても、それを知らない。

スッタニパータ、中村元

太陽に照らされるから見える。だが見るためには、眼を開かなければ(目覚めなければ)ならない

ブッダを太陽と重ね合わせる視点は、やがて大乗化から密教化の過程で、例えば無量光のアミターバ・ブッダや遍照の大日如来を生み出していく事になる。

(タイなどの仏像が黄金像が主流なのも、黄金の太陽との同一視が起源だろうか)

この様な世界を照らす者としての、謂わば『太陽仏』のイメージは、紀元後から製作が始まった仏像表現における『光背』イメージの起源とも言えるだろう。

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マトゥラー美術の代表的な仏像たちは、雄大で美しい円輪光背を持つ

上の写真に見られるように、紀元後からグプタ朝期にかけて仏像制作のメッカとなったマトゥラーの仏像たちは、その多くが美しい真円の巨大な光背を背負っている。

中心の小円輪ドットからは放射線状のデザインが展開する事も多く、これは明らかに太陽の光輝であると同時に車輪のスポークをも表しているのだろう。

スポークが無数に展開するその姿は正にサハスラ・アラ(千のスポーク)の車輪の様でもあるし、あまねく世界を救い漏らす事のない千手観音の手のようにも見える。

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同じマトゥラー期の仏像

上の光背の中心には蓮華輪のデザインがある。写真だと確認しにくいが、多くの場合花弁に囲まれた中心(車輪の車軸にあたる)サークル内に小さなドットが散りばめられており、これは沢山のタネを孕む蓮華の花托を表している。

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光背の中心にある花托デザイン

上の写真の様に後ろからみて初めて、正面からは頭で隠されてしまう光背中心に『花托』がある事が分かる。

これら光背と仏像の配置を見ると、ブッダの頭部(顔すなわち眼)が常に円輪光背の中心、つまり太陽であり車軸でありあるいは『瞳孔』である位置に置かれている。

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花弁の落ちた蓮華の花托と雄しべ

上の中心花托とそこから放射状に展開する雄しべのヴィジュアルは、高速回転する千のスポークの様でもあり、あるいはまた黄金に輝く太陽から放射する無量光の様でもある。

(実はこの様な花托がはらむ無数のタネのイメージが、蓮華蔵三千大世界の起源ともなるのだが、それはまた後日)

太陽を花と重ね合わせる心象は極めて原初的かつ自然なもので、幼児の描く絵などにもよく見られる。一般に立像や座像として作られる伝統的なスーリヤ神が両手に蓮華を持つ姿で描かれるのも、太陽と蓮華を重ね合わせる心象の証左だろう。

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両手に美しい円輪の蓮華を持つスーリヤ座像

この様な光背における蓮華輪のデザインは、ストゥーパ欄楯などに装飾される一般的な蓮華輪(英Medalion)のデザインに全く重なり合うもので、分かり易く言えば、普通の蓮華輪を巨大化して背負ったものが光背なのだ(あるいは逆に光背を縮小したのが欄楯蓮華輪?)。

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マトゥラー期の欄楯蓮華輪

上の蓮華輪を見ると、全体は蓮華をモチーフにしながら、中心の花托と雄しべの展開は太陽の様でもあり、あるいは車軸とスポークの様でもある(そして遠望すれば『瞳』の様でもある!)。

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同じマトゥラー期の蓮華輪

上の写真を見ると、同様の蓮華輪でありながらその中心には明らかな車軸とハブとスポークが配されており、蓮華輪が蓮華と車輪の融合の産物であることを如実に示している。

リム(タイヤ)に相当する部分には旋回する様なデザイン線が施されているが、これはこの車輪が高速回転している(だから残像でスポークが無数に見える)イメージだろうか。

もちろんこれらの蓮華輪を遠望すると、文字通り蓮華の様に美しい『瞳』を表している。それは同時に、一切世界を見通す『仏眼』だろうか。

興味深い事に、日本の毘沙門天像などは、光背の代わりに明らかに車輪を背負った姿で描かれている。これは中世タミルのヒンドゥ神像にも見られる事で、インドで古くから太陽の光と車輪が重ね合されていた証拠と言っていいだろう。

f:id:Parashraama:20191127193824j:plain毘沙門天像 国宝 東寺ー空海と仏像曼荼羅より

上の写真、火焔と呼ばれる車輪のスポーク部がリムより若干突き出しているのはデザイン化された法輪によく見られるもので、その数は八正道を表す8本。中心部には蓮華装飾が確認できる。

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タミル・チョーラ朝美術のブロンズ神像

タミルの神像の光背は恐らくスダルシャン・チャクラではないかと思われるが、車輪と光背の重ね合わせの一例だろう。

そしてそのものズバリ、車輪の光背を背負ったスーリヤ像が存在する。

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スーリヤ像、グワリオール博物館

太陽神スーリヤが車輪の光背を背負っているこの造形は、太陽と車輪そして光背がまごう事なく重ね合わせされていた事の証だろう。技術的に稚拙なせいか車輪が真円からほど遠く顔も中心からズレてはいるが、正に前掲のスーリヤ・チャクラそのもののデザインだ。

ちなみにこの光背(後光)、英語ではHaloと言うのだが、この言葉は日暈(太陽の周りにでる光輪)を意味する。

f:id:Parashraama:20191127172113j:plainEarthSkyより

日暈をまとった太陽は、まさしく『天空の金の瞳』に見えないだろうか?

ブッダの偉大さに譬えられた太陽が、天空の車輪(Surya Chakra)であり神的『瞳』であり、そこに蓮華を重ね合わせて仏像を荘厳する光背あるいは後光(Halo)のデザインが生みだされた、という古代インド人の心象風景。

それを端的にあらわす極めて象徴的な写真があるので最後に掲載しよう。上に見て来た様々な光背彫刻は石の地色が地味過ぎて作者が本当にイメージしていたものが分かりにくいが、たぶんこれが、そのイメージに最も近い物だと思う。

f:id:Parashraama:20191128110913j:plainヒンドゥ神像の美しく輝く黄金の光背

まさしく黄金に輝く『スーリヤ・パドマ・チャクラ』。光背の異名である『後光』そのものだ。

もちろんそれは、神像を取り去って遠望すれば蓮華なる車輪なる『天空の金の瞳』に他ならないだろう。

プレーンな白大理石のイメージが強いギリシャ彫刻が、本来は極彩色に彩られていたと聞いた事がある。もはや確認できないが、古代インドの仏教美術においても、本来はこのように鮮烈な金箔彩色が施されていたのかも知れない。

少なくとも彼らのイメージの中では…

 

本投稿はYahoo!ブログ【脳と心とブッダの悟り 2012-08-10 『太陽の末裔、世界を照らす者』】を加筆修正の上移転したものです。

 

 


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