仏道修行のゼロポイント

ゴータマ・ブッダの原像とヒンドゥ・ヨーガ

ゴエンカジーの偏頭痛と「Mukhaの周りに気づきを留めて」《瞑想実践の科学21》

ブッダの瞑想行法、そのメソッドの焦点となるのは、“五官・六官の防護” である。それがこれまでの考察から導き出された結論だった。

そしてブッダの瞑想法と呼ばれる『止観』のうちの “止(サマタ)瞑想” 、その具体的なメソッドの焦点になるのが、五官六官が集住する「顔の周りに思念を留める」という事であり、それは牛・馬・象など動物の調御において急所となる、首から上の身体部位と重なり合うものであった。

そしてこの「六官を防護する為に顔の周りにサティを留める」という瞑想実践が、十二縁起という苦の連鎖の中で「六処において六入(アーサヴァの漏入)を防ぐ」事を実現し、その結果、続く触・受・愛・取・有・生・老死がなし崩し的に消滅する。

もちろんそれこそが、四聖諦における「苦を滅する道」そのものである。

以上がとても大雑把ではあるが、これまでの粗筋だ。

この、「顔の周りにサティを留める」という気づきの行法。大念処経などにも書いてある通り、これはアナパナ・サティにおいて、呼吸に気づくポイントが「顔の周り」である、という事を意味する。

「托鉢僧たちよ、ここで、托鉢僧が荒野に至るか、あるいは樹の根元に至るか、あるいは空き家に至るかして、左右の足を左右の太ももの上に置いて坐り(結跏趺坐)、身体をまっすぐに保ち、思念(サティ)を顔の周りに留めてから坐る。

その者はまさに思念して息を吸い、まさに思念して息を吐く」

春秋社刊 原始仏典Ⅱ 第6巻 相応部経典 第5集 大いなる集 第10扁 呼吸についての集成 P315より

つまり、五官六官の防護の最初の導入部とは、“顔の周りに思念を留めて、そこ(顔の周り)において、呼吸に気づき続ける” 事だと言っていいだろう。

五官六官を防護するという時、その防護すべき五官六官、すなわち眼耳鼻舌身意という感覚器官は、全て、“首から上の頭部顔面に集中している” のだから、当然の事ながらこの六官を防護するためには六官が所在する場所において、気づいて防護しなければならないのだ。

ここは古代インド人の心象世界に肉薄する為には極めて重要なポイントなので、以前に書いた事をもう一度繰り返す。

例えば古代インドによく見られるような城塞都市において、五人の門衛が五つあるそれぞれの門を防護(警護)していたとする。この時、五人の門衛が、それぞれ担当すべき警護すべき門を遠く離れて、その門を守る事が出来るだろうか。それはもちろんNOだろう。

その門を警護する為には、その門に臨場・常駐して、その門の周囲に眼を光らせてそこにおいて生起する様々な現象や変化、特に「門を出入りする者ども」に気づき続けなければ、その門を警護し防護する事は出来ない。

五官・六官の防護をする場合も同じだ。五官六官の防護を可能ならしめる為には、何よりもその五官六官の門に臨場・常駐して、そこにおいて生起する様々な現象や変化、特に「門を出入りする事象」に気づき続けなければ、それを守ることなど不可能なのだ。

故に、“五官六官の防護”“顔の周りに思念を留める” ということは、実践的には完全にイコールで結ばれているのだと、まずは理解しなければならない。

そして、

“思念(サティ)を顔の周りに留めてから坐る。その者はまさに思念して息を吸い、まさに思念して息を吐く。”

と言う以上、その気づき(サティ)とは、まず第一には「呼吸に対する気づき」である、と想定するのが自然だ。

つまり、呼吸に対する気づきを顔の周りにおいて継続し、維持する事こそが、「五官六官を防護する」事の具体的なメソッドそのもの、だと考えられる。

整理すれば、「苦の連鎖(縁起)の破壊」=「五官六官の防護」=「顔の周りに思念を留める事」=「その顔の周りにおいて呼吸に気づく事」、と言う等式になる。

これはあくまで古代インド人の心象風景に従って論述しているもので、現代人にとっては一見不可解な論理構成かも知れない。しかし、その背後にある『機序』を理解した時、この論理構成が何故『実効力』を伴って納得され得たかが自ずから理解可能になる。

私がこれまで経験してきたテーラワーダの瞑想行は、ゴエンカジー系とマハシ・サヤドウ系のヴィパッサナーだが、前者ではアナパナの呼吸に気付いているのは鼻腔のヘリ周辺であり、後者では下腹部の膨らみ縮みだった。

この呼吸に気づく「タッチング・ポイント」の差異というものは、ある意味思っていた以上に重要な事だったのだが、これまでの文脈に従えば、ゴエンカジー系の鼻腔周辺とマハシ系の腹部の起伏では、呼吸に気づくそのポイントとしてどちらがよりブッダ自身の瞑想法の原像に近いか、と言えば、それは間違いなくゴエンカジーのシステムである、と言うのが本ブログの論理的な帰結になる。

鼻腔周辺腹部では、どちらが “顔の周り” であるか、小学生でもわかる事だろう。

もちろん私は、だからと言ってマハシ式のメソッドが “間違っている” とか “効果がない” とか言っている訳ではない。

あくまでもパーリ経典から復元しうる限りのブッダの瞑想法の原像においては、と言う但し書きの中で、腹部ではなく顔の周りこそが、まずは第一に気づきの現場・ポイントの最重要候補であり、ゴエンカジーのメソッドはそれに該当する、と言う事なのだ。

この “顔の周りにサティを留めて” というパーリ経典の随所に記された定型文の真意については、「広長舌相の謎」「動物を調御する急所」「パオ・メソッドの四界分別観」「ブッダが推奨した『歯と舌の行法』」などと絡めて、これまで詳細に検討して来た。

その文脈を一歩進める為に、今回はまず、『顔の周りに気づき(サティ)をとどめて』というフレーズのパーリ原文を参照し、合わせてゴエンカジーがそれをどのように解釈した上でそのメソッドを構築したのかという点から見ていきたいと思う。

原文はPali Tipitaka.orgさんのMaha Satipatthana SuttaよりĀnāpānapabbamから抜粋して引用させていただく。

Idha, bhikkhave, bhikkhu araññagato vā rukkhamūlagato vā suññāgāragato vā nisīdati pallaṅkaṃ ābhujitvā, ujuṃ kāyaṃ paṇidhāya, parimukhaṃ satiṃ upaṭṭhapetvā.
So sato va assasati, sato va passasati.

次にこの部分の日本語訳を、春秋社刊 原始仏典 第二巻 大念処経(マハー・サティパッターナ・スッタ)P378より抜粋・引用する。

ここに修行僧たちよ、修行僧は森に行き、あるいは樹木の根元に行き、あるいは空家に入って、足を組んで坐り、姿勢を真っすぐに正して、念ずる事を目の前に据えて坐るのである。

かれは気をつけながら息を吸い、気をつけながら息を吐く。

これを前に紹介したサンユッタ・ニカーヤの日本語訳と比べてみる。

托鉢僧たちよ、ここで、托鉢僧が荒野に至るか、あるいは樹の根元に至るか、あるいは空き家に至るかして、左右の足を左右の太ももの上に置いて坐り(結跏趺坐)、身体をまっすぐに保ち、思念(サティ)を顔の周りに留めてから坐る。

その者はまさに思念して息を吸い、まさに思念して息を吐く。

春秋社刊 原始仏典Ⅱ 第6巻 相応部経典 第5集 大いなる集 第10扁 呼吸についての集成 P315より

両者の原文は同一なので、赤字部分の文言の微妙な違いは訳者の方の判断の相違だろう。しかし、ここまで繰り返し論じて来た「六官の防護」という観点から言えば、瞑想者自身の六官が集まる『顔』を離れた「目の前」とか「面前」とかいう訳が意味をなしていない事は明白だ。

つまり、parimukhaṃ satiṃ upaṭṭhapetvā.というパーリ原文をより正確に訳しているのは、『念ずる事を目の前に据えて』という曖昧かつ抽象的な意味の取りにくい文章ではなく、『思念(サティ)を顔の周りに留めて』のほうが圧倒的にブッダの原意に肉薄しているという事だ。

そしてこの原文と日本語訳を逐語的に並べると、

parimukhaṃ →顔の周りに
satiṃ →思念(サティ=気づき)を
upaṭṭhapetvā →留めて

と言う事になる。

次に同じ個所をゴエンカジーがどのように解釈しているかを参照したい。同じPali Tipitaka.orgさんのMaha Satipatthana SuttaよりĀnāpānapabbamから英訳の引用だ。

Here a monk, having gone into the forest, or to the foot of a tree, or to an empty room, sits down cross-legged, keeps his body upright and fixes his awareness in the area around the mouth. With this awareness, he breathes in, with this awareness, he breathes out.

これを上のパーリ原文&日本語訳と対照すると以下になる。

parimukhaṃ顔の周りにin the area around the mouth
sati思念(サティ=気づき)をhis awareness
upaṭṭhapetvā留めてfixes

原始仏典Ⅱでは顔と訳された部分が、ゴエンカジーの訳では口(くち)になっている事が分かる。これについては、私がだいぶ以前にヒンディ語を学んだ時に知った、ある事実がその背後にある。

parimukhaṃという単語は二つの部分から成っている。『pari』は日本語で『まわりに』英語では『Around』になるが、『mukha(ムカ)』という部分は全く同じものがヒンディの中にもあり、それはを意味すると同時にを意味していた、と言う事実だ。

ゴエンカジーはその著書『Satipatthana Sutta Discourses』の中で以下のように解説している。

parimukhaṃ satiṃ upaṭṭhapetvā

The awareness is established around the mouth, the entrance to the nostrils:

parimukhaṃ.

Certain traditions translate this as “in the front,” as if the awareness is imagined to be in front of the person, but this sets up a duality.
Actually you have to feel the breath coming and going around the mouth, above the upper lip, which is parimukhaṃ.

この英文を一部加筆しつつざっと訳すと、

気づきは口の周り、つまり鼻腔の入り口周辺に確立される。

ある伝統においてはこのparimukhaṃを “正面に” あるいは “面前に” と、あたかも瞑想者の前方であるかのように訳しているが、これでは二元的に主体と客体が分裂してしまう。

実際には、あなたは呼吸の出入りを口の周り、上唇の上(から鼻腔にかけての三角形のエリア)で感じ取らなければならない。それがparimukhaṃの意味である。

となる。

この部分は、私もまったく同感だ。

ブッダの瞑想法の肝とは、まずは第一に “自分自身を観じる” 事である以上、自分の前方にある “何か自分ではない他のもの” に気づく、という解釈は意味をなしていないからだ。

そして、ゴエンカジーは言及していないが、私が論ずる「六官の防護こそが瞑想実践そのものである」という視点が正しければ、正に五官六官の門戸が集住する「顔の周り」こそが気づきの焦点になるのは上述した通りだ。

これはいわゆる《身受心法》に気づき “観じる” という四念処の基本から見ても、その《身受心法》とは何よりも自分自身の『身』でありそこにおける『受』であり、自分の『心』であり、その『心の流れ(法)』なのだから、自分から離れて自分の正面に(面前に)ある何か他のもの、に気づくという解釈が間違っている事は明らかだろう。

次にこの “顔の周り(口・鼻腔の周り)に思念を留めて呼吸に気づく” というゴエンカジーの具体的なメソッドが持つ、“実効力” の好例として、他でもないゴエンカジー自身の体験について考えていきたい。

これは何よりも「脳神経生理学的な作用機序」として瞑想実践を捉えている私にとって、極めて興味深いサンプルになっている。

以下は彼のヴィパッサナー・センターがネット上に載せているゴエンカジーの略歴からの抜粋引用だ。

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ゴエンカジ(と親しみを込めて知られています)は、1924年ミャンマーマンダレーで生まれました。19世紀後半に祖父がインドから移住し定住した土地でした。

高校卒業後の1940年に家業に就き、第二次世界大戦中はインドで過ごしましたが、終戦後はミャンマーに戻りました。戦後の数年間で先駆者的な実業家として大きく成長したゴエンカジは、いくつもの工場を造り、多くの人びとを従業員として雇いました。

また、ミャンマー国内で大きな影響力をもつインド人コミュニティのリーダーとなり、ビルマ・マールワーリー商工会議所やラングーン商工産業会議所といった組織を率いるようになりました。

しかし、社会的名声や物質的成功と引き換えに、ゴエンカジは精神的緊張が原因の消耗性偏頭痛に悩まされるようになります。

医師はモルヒネを処方して激烈な痛みを和らげようとしましたが、治癒することはできませんでした。数ヵ国に赴き、専門医に診てもらいましたが、苦しみから脱け出す希望を見つけられないまま、ミャンマーに帰国するしかありませんでした。

ある友人がゴエンカジにヴィパッサナー・コースに参加するようにアドバイスしたのは、そうしたときでした。最初は抵抗がありました。保守的なヒンドゥー教の家庭に生まれたゴエンカジは、異教に関わりたくありませんでした。

決心を変えたのは、ヤンゴンの国際瞑想センターに住む指導者のサヤジ・ウ・バ・キンに出会ってからでした。上級公務員であり、瞑想の熟達者であるウ・バ・キンは、ゴエンカジの不安を和らげ、ヴィパッサナーが普通に生活する世界中の人びとに恩恵をもたらす、普遍的かつ実践的な瞑想法であることを確信させることに成功したのです。

1955年、ゴエンカジは、ウ・バ・キンの指導のもとで最初のヴィパッサナー・コースを受けました。10日間コースによって偏頭痛は治りましたが、それは副次的な効果に過ぎませんでした。もっと重要なことは、ヴィパッサナーを通して、ずっと探し求めていた心の安らぎを見つけたことです。また、今まで自分が傾倒してきたインドの精神的伝統についての新しい洞察も得られました。

~以上『現代精神世界の巨人:サティヤ・ナラヤン・ゴエンカ』より引用

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~日本の敗戦、退却の後はミャンマーに戻りましたが、その頃にはゴエンカ師は20代の若者になっていました。彼はすぐに卓越したビジネスの力量を発揮し、インド人コミュニティのリーダーに成長します。

しかし、ゴエンカ師自身がよく語られているように、そうした富や名誉が心の平和をもたらすことはありませんでした。逆に、精神的ストレスから激しい偏頭痛に悩まされ、唯一の治療法は、中毒性の強いモルヒネの処方のみでした。ゴエンカ師は、名医の診察を受けるために日本やヨーロッパ、アメリカへと訪ね渡りましたが、どの医者も助けることができませんでした。

ヴィパッサナーとの出会い

ちょうどその頃、ある友人から数年前にサヤジ・ウ・バ・キンが設立したという、ミャンマー北部の国際瞑想センターを訪ねるように勧められたのです。ウ・バ・キンは、貧しい出自ながら、ミャンマー政府の高官に出世し、その誠実さと優れた能力で有名でした。と同時に、古代から一連の仏教僧たちによってミャンマーに伝承されてきた、自己観察法・ヴィパッサナーの在家指導者でもありました。

ゴエンカ師は友人の勧めに従い、瞑想センターを訪ねて何が指導されているのか見てみることにしました。まだ若いゴエンカ師がやってくるのを目にしたウ・バ・キンは、彼がヴィパッサナー指導者の自分にとって、その使命を果たすために、非常に役に立つ人物であることが分かりました。

にもかかわらず、ウ・バ・キンは、ゴエンカ師の10日間コースへの参加の申し出を拒みました。ゴエンカ師が、偏頭痛を和らげるために参加したい、と率直に話したからでした。「体の病を治すために行うことは、この瞑想法の価値を貶める行為です」と、ウ・バ・キンは言いました。「緊張し、苦しんでいる心を解放するために参加しなさい。そうすれば、体も自然に恩恵を受けるでしょう」

ゴエンカ師は同意しました。そして数ヵ月間迷った後、1955年、初めてのコースに参加しました。2日目には逃げ出したくもなりましたが、我慢強く残り、結果として、夢にも思わなかった恩恵を得たのです。そして、その後終生、ゴエンカ師は朝の詠唱においてウ・バ・キンへの限りない感謝の意を表し続けます。

~以上『内なる平和の使者:サティヤ・ナラヤン・ゴエンカ』より引用

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個人的思い入れもあって長々と引用してしまったが、この二つのPDF文書は是非本ブログの読者の方にも通読して頂ければ、と思っている。

多少の誇張演出も伴っているかも知れないが、ゴエンカジーの生涯と言うものは、正に一幅の名画の様なドラマだと私も思う。そして、その「聖なる使命」という物語が始まった、その契機となったものこそが、彼が死ぬほどの苦しみと表現した片(偏)頭痛だった。

有能なインド系ビジネスマンであるゴエンカ氏がブッダの瞑想法「ヴィパッサナ・メディテーション」の世界的な指導者として開眼する契機となったこの体験。それは大きく二つの段階に分けて考えられる。

第一段階

有能なビジネスマンとして最前線で辣腕を揮っていたゴエンカ氏が、しかしその世俗的な栄華と富によっては精神的な幸福を得る事が出来ず、逆に多大なる精神的ストレスによって「消耗性片頭痛に侵され、その激烈な痛みに苦しめられるようになる。

その激痛は他のどのような治療法によっても改善の兆しすら見えず、唯一、中毒性の高いモルヒネの投与によってしか、その痛みを和らげる事が出来ず、その緩和も、一時的なものに過ぎなかった。

そしてその経済力にあかして世界中の名医を訪ねて治療法を探るも、治す事の出来る療法には巡り合えなかった。

第二段階

ビルマにおける高名なブッダの瞑想法の指導者サヤジ・ウ・バ・キン師を紹介されるも、最初は疑いを持っていたゴエンカ氏だったが、ウ・バ・キン師の説明に心が開かれ、10日間のコースを体験し、ついに宿痾であった激烈な片頭痛から解放され、それと同時に、いやそれ以上の結果として、“ずっと探し求めていた心の安らぎを見つけた”

これを単純化し整理すると、

第一段階:多大なる精神的ストレスによる「消耗性片(偏)頭痛」の発症

第二段階:瞑想実践の結果としての片頭痛の完治心の安らぎの獲得

の二項目になる。

片頭痛の治癒については、公式文書の中ではさらっと流しているが、この二つのプロセスの中に、ブッダの瞑想法の “作用機序” と言うべきものが、典型的かつ象徴的に、まざまざと立ち現れていると私は判断している。

その作用機序とは、ゴエンカ氏の心身総体としての身体(五蘊・生体システム)において激烈な片頭痛が発症した、その “病理の作用機序” であり、その病理が瞑想実践によって “対治” され、快癒し完治したその “薬理の作用機序” に他ならない。

そこにあるのは、徹頭徹尾科学的な『理(ことわり)』であり、摂理でありすなわち “ダンマ” であったという事を、本ブログでは大前提として掲げたい。

ニッポンの大乗仏教徒がその篤き信仰心からとかく考えがちな、観音妙智力とか、み仏の御加護とか、阿弥陀様の御慈悲とか、なんだかかんだかよく分からない、観念的かつ形而上学的かつ超常的「みわざ」「恩寵」などでは全くない、純然たる理に適った “反応” もしくは “因果”として、その治癒(対治)の作用機序は生起し発動した、という事だ。

ゴエンカ氏の身の上に起こったこの現象(体験)は、彼が主観的にそれをどう受けとめたかに関わらず、明確に『科学(医学=脳神経生理学)』の対象になり得るものなのだ。

そしてその『科学』において解明されるべきゴエンカ氏快癒の作用機序の中にこそ、ブッダの瞑想法の、そのニッバーナ(悟り)に至るプロセス的な作用機序の核心部分が、“包含(含意)” されている。

その様に私は、読み筋を立てている。

その作用機序を解明するためには、まずゴエンカ氏において発症したと言われる、“激烈な痛苦を伴う片(偏)頭痛” の正体とは何であり、その発症のメカニズムとはどのようなものであったのか、と言う事を知る必要があるだろう。

何故なら、基本的に病理・発症の作用機序を “打ち消す” 方法論こそが、治療・快癒の作用機序に他ならないからだ。

そこにおいてカギとなるのが、これまでにもたびたび登場した、12対ある脳神経の一つであり、第V脳神経(CNV)とも呼ばれる “三叉神経” だ。

(Q&A)なぜ片頭痛が起こるのですか

「三叉神経血管説」という説が有力です。ストレスなどのトリガーにより三叉神経(痛みを感ずる神経)から痛み物質(正確にはCGRPなど血管作動性物質)が放出されます。これが血管に作用して、頭の血管に拡張と炎症を招き、頭痛がひき起こされるのです。

Neuroinfo Japanより

以前に投稿した様に脳幹部周辺に起始する脳神経は、顔面に集中する眼耳鼻舌という四官の中枢であり同時に頭部顔面全体に分布する触覚(含む痛覚)の中枢でもある。

その触覚の中枢として最も重要なものが三叉神経であり、それはヴィジュアル的な大きさをみても顕著に表れている。

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Wikipediia:脳神経より

上の画像を見ると、太く大きい三叉神経というものの存在感が際立っている事がよく分かるだろう。このような大きな存在感を持つ三叉神経に何かの不具合が生じたら、それは大いに「ヤバい」事が容易に想像される。

そして実は、パーリ経典において「顔の周り」あるいは「口の周り」で呼吸の出入りに気づいている時に活性化し働いているのも、まさしくこの『三叉神経』なのだ。

ゴエンカジーが苦しんだ『偏頭痛』と、それを快癒させた「顔(口)の周りの気づき」。この両者が『三叉神経』というキーワードを共有している。

これは果たして、単なる表面的な偶然に過ぎないのだろうか?

更に偏頭痛について調べていると、以下のような記述が目に留まった。

片頭痛(偏頭痛)は、ズキンズキンと痛むタイプの頭痛で、多くは頭の片側に起こります。発作的に起こり吐き気を伴ったりする、とてもつらい頭痛です。

身体を動かすのが辛くなり、刺激で悪化したり(光過敏・音過敏)、匂い敏感になったりします。

周期的に起こり、日常生活に支障をきたして、仕事や家事を休まざるを得ないこともあります。

前触れとして、視界何かチラチラ・ギラギラするものが拡がったり閃輝暗点)、手足のしびれ・脱力を感じたり、言葉の喋りにくさが起こったりすることがあります。

脳外科 たかせクリニックより

三叉神経のイレギュラーによって引き起こされるであろう「偏頭痛」が、何故、「視覚・聴覚・嗅覚」などの変調へと波及するのか。またそれらの過敏が何故偏頭痛を悪化させるのだろうか。

それはおそらく、『三叉神経』がその起始部において他の眼耳鼻舌に関わる脳神経と近接し、それぞれの器官に走行する道程やその器官内部でも常に(単に物理的にではなく有機的に)極めて近接しているので、一方にある変動が、容易に他に影響を及ぼすのだと考えられる。

(この辺りの消息は、おそらく「共感覚」と呼ばれる症例の根拠でもある)

これは以前にも指摘した重要な事実だが、眼耳鼻舌の四官はそれぞれに特化した感覚器官であると同時に、極めて鋭敏な『触覚器官』でもある。

一例をあげれば、三叉神経系の触覚神経線維と、視神経系の視覚神経線維は、ある時点からまるであざなう縄の様に相携えて眼球へと向かい、そこで視覚と触覚が隣接して機能している。

西洋科学的な「パーツ論」的身体観では理解しにくいが、全ての「小なる個別」「大なる全体」の中で相関している。

つまり、便宜的に「触覚神経」とか「視神経」とか「聴神経」「嗅神経」とか個別のまとまりとして弁別しているけれども、これらは相互に深く連関しており、決してバラバラ別個のものではあり得ないのだ。

この点については「顔の周りに気づきを留める」という瞑想営為にも全く同じことが言えるだろう。

この「気づき」は、主に顔面頭部の触覚を統括する『三叉神経』によって行われるから、集中した気づきの継続によって三叉神経系の活性は自ずから変動する。そして当然その非日常的変動は、眼耳鼻舌視覚・聴覚・嗅覚・味覚の各神経系にも何らかの影響を及ぼさずにはいないのだ。

更にその非日常的変動の波及は、原理的に見て、『意官』つまり大脳&辺縁系における欲念や渇愛・妄執という『ファンクション=はたらき』にも、及ばずにはいない。

私は専門家でもなく、またこの手の情報の詳細はネット上でも極めて限られているので、現時点ではその『感触』を語るに留めるが、上の様な顔面頭部の三叉(触覚)神経系と、眼耳鼻舌という四官各神経系、更には『意官』である『大脳&辺縁系との間に働く相関作用の中にこそ、「顔の周りに気づきを留める」という事が「五官六官の防護」になりやがて「禅定が深まる」、という機序の根拠がある、と私は考えている。

その背後には、『身』『触覚』が持つ基本的な性格が、眼耳鼻舌という他の感官と大きく異なっている、という事実がある。

その上に、『触覚』こそが全ての感官の起源であるという「進化史的」な真実と、『触覚』というものが、人間存在を新生児から胎児に遡って見た時に「世界認識の原風景」であった、という『個体発生的』な真実、が深く重なって来る。 

原理的に深く相関したそれら作用機序をプロセス的に “読み切る” 事によって初めて、私たちは何故ゴータマ・ブッダ “医王” と称賛されたのかというその真意を、そしてその称号が現代においても依然として色あせることなく通用するのだというその “科学的な根拠” を、まざまざと感得する事ができるだろう。

端的に言えば、人間的あるいは『大脳的』『苦脳』などと言うものは、進化史的に見ても個体発生史的に見ても『脳中枢神経システム構造』的に見ても極めて表面的な『皮相』に過ぎず、ひとたびその最深層に降り切ってしまえば、完全に『無化』されてしまう、という事になる。

それは、超ド級の台風によってどんなに海面や気象がうなりを上げて荒れ狂っていても、深海底には常に揺るぎない静けさが盤踞している事と似ている。私たちの意識の深淵にもそのような揺るぎない静謐(Equanimity)が常に潜在しており、私たちはそこに『瞑想実践』を通じてアクセスする事が可能なのだ。

ゴエンカジーをはじめとした先達たちは、おそらくその深淵の静謐に常住坐臥し、常態として『無化』の甘露を味わっていたのだろう。

そこに目覚めて佇むとき、遥か彼方に遠離した「大脳&辺縁系」が生み出す『物語世界』など、全く現実感の無い「はかなき夢・幻」に過ぎなかったのだ。

(本投稿はYahooブログ 2015/8/9「瞑想実践の科学 39:偏頭痛に苦しんだゴエンカ氏」と、2015/8/23「瞑想実践の科学 40:mukhaの周りにsatiをとどめて」を統合し加筆修正の上移転したものです)

 

 


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『正念』としての “六官の防護”《瞑想実践の科学20》

これまで本ブログでは、『瞑想実践の科学』シリーズを中心に、ブッダの瞑想法の “作用機序” について、外堀を埋める形で様々な考察を行ってきた。

そのブッダの瞑想法」と言うのは、端的にいえば2500年前のウルヴェーラ村で菩提樹下に禅定しニッバーナに至り悟りを開いたゴータマ・ブッダが、その瞑想法の作用機序を明確に理解した上でそれを言語化し、サールナートの鹿の苑において最初の弟子である五比丘達に口頭で伝授し、それを知的に理解して体得的に実践したコンダンニャがまずは悟りを開いたという、そのブッダ直伝の瞑想法そのものを意味する。

そしてそれこそが、私が想定する仏道修行のゼロポイント」に他ならない。

そのブッダ直伝の瞑想法の核心とは、“六官の防護” にあった。それがここ最近の『瞑想実践の科学』シリーズの流れの果てに到達した、最終的な結論だった。それを概観すると、以下のようになる。

病に苦しむアナータピンディカ(給孤独長者)に向かって、サーリプッタは十二処・十八界、五蘊に対する執着を手放すことを教えた。

その五蘊、十二処・十八界こそが、この苦海である『世界』を構成する『一切』であり、その『世界』に拘束されている限り、苦から逃れる事は出来ないのだと。

そして、それを聞いて歓喜したアナータピンディカに対して、アーナンダはこう言ったのだった。

「資産家よ、白い衣を着る在家者たちには、このような法話は通常明らかにされないのです。資産家よ、このような法話は出家者たちにだけ、明らかにされるのです」
原始仏典第7巻 第143経 教給孤独経:Anathapindikovada Sutta P516~525(勝本華蓮訳)より

つまりこの五蘊・十二処・十八界と言う “一切世界” に対する執着を手放す教えとは、通常では在家者には決して明らかにされる事のない、出家修行者だけに開示される秘伝であると。

その真意を簡単に図示化したのが以下になる。

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上図では六根(官)にまとめられている『意』は、「器官」として見れば「物質=色」だが、『こころ』として見れば「受想行識」になる

そして、仏道修行という観点から見て、この一切世界であるところの五蘊・十二処・十八界の “焦点” となるのが、眼耳鼻舌身意六官色声香味触法六境“浸入” する現場であり、それこそが、十二縁起の五番目にある六処(六入)に他ならない。

無明→行→識→名色→六処(六入)→触→受→愛→取→有→生→老死

この十二縁起における六処とは、六官と六境とを合わせた十二処、すなわち “六内外処” を含意しており、六官に六境が(情報刺激として)流入するからこそ、そこで “触” れる事が生起する訳だ。

上図の『世界(一切)をまるっと全て滅する』とは、もちろん四聖諦における滅とその道を意味するが、この『滅』の原語はnirodhaであり、その原意は “せき止める” であることは、知っている方も多いだろう。

では何をどこでどうやって “せき止める” のか。最初の “何をどこで” の二つはもちろん、色声香味触法六境流入 する事を、眼耳鼻舌身意六根(官・処)においてせき止める訳だ。

つまり、十二縁起として便宜的にまとめられている「苦の連鎖」を、破壊する『急所』は、この六処(六官)になる。六処流入が防がれれば、続く『触』が滅し『受』が滅し、更に『愛(渇愛)』が滅する。

この渇愛こそが四聖諦で苦の原因とされた大本の根源に他ならない。

その渇愛が滅する事によって続く『取(執着)』が滅し『有(存在)』が滅し『生』がそして『老死』が滅していく。

それは十二縁起の苦の連鎖滅する事を意味する、と同時に、その『苦』とはもちろん四聖諦でもあるのだ。

(便宜的にここでは『六処・六官』とまとめてあるが、以前にも述べている様に、原理的かつ実践的には『五官+第六の意官』になる)

この六境の流入とは端的に六欲の原因であり、後世には六欲の煩悩の漏(Asava)、すなわち煩悩の “流出” へと転化していった。

流入(浸入)であれ流出であれ元をただせばひとつの事だ。まずは六境が入らなければ、六欲の煩悩が出る事もないのだから。

この流入(出)を “せき止める” 事こそが、パーリ経典において繰り返し語られている、“六官の防護”、に他ならない、そう私は考えている。

「何故ならば、感覚器官を防護せずに過ごしていると、欲や不快感といった悪く良くないもの(不善法)に侵されるからである。」

「感覚器官を守りなさい。感覚器官で防ぎ止めなさい。」(調御地経)

上記の「欲」とは六官の欲(六欲)であり、「悪く良くない不善法に侵される」とは、“浸入される” と読めば分かり易い。

しかし、浸入するのを防ぎ止める(堰き止める)といっても、一体どうしたらいいのか。“どうやって” それは成就・実現され得るのだろうか。

その “どうやって?” という問いに対する答えこそが、『それは、ブッダの “瞑想メソッド” によって』、という事になる。

パーリ経典において記述されている『修行道』の中で、この『六官の防護』というものが持っている重要性については、日本の仏教学者の方も指摘している事なので、以下に引用しよう。

下図、初期仏教における修行道の発展(PDF) (古川洋平著)P391よりキャプチャ引用。

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上は中部諸経典に記述された仏道修行の流れと、その中の「六官(感官)の防護」をハイライトしたものだが、六官の防護が欠かせない必須項目である事が見て取れるだろう。

パーリ経典を一通り読んだ経験のある方には良く分かると思うが、中部経典だけではなく、長部、相応部を問わず、実に多くの経典において、この六官の防護というものは必須的に強調されているものなのだ。

大乗仏教の中でも、例えば修禅の要諦について詳述した天台智顗によって書かれた天台小止観などでも、五官・六官の防護は中心的な位置づけをされている事から見て、それが仏道修行というものの根幹を指し示す重要な概念である事が分かる。

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『天台小止観』の研究(一) 大野栄人 よりキャプチャ引用

上のキャプチャ画像を読むと、注記34と36には仏道修行と五根(六根)との関連が説明されている。その34では、

「天台がいう止観は、眼・耳・鼻・舌・身・意の五根(六根)の対象となる対境(観境)を対治するための実践行をいう」

とあり、

36では、

「無漏=眼・耳・鼻・舌・身・意の五根(六根)から流れ出、漏れる煩悩を有漏というのに対する語。眼・耳・鼻・舌・身・意の五根(六根)から流れ出、漏れ出る不浄なもののない、汚れのない事を言う。要は煩悩のない境地を言う」

とある。

34で言う止観とはサマタ・ヴィパッサナであり、つまりはブッダの瞑想法であり『禅』だから、天台智顗が学んだ『禅』とは “眼・耳・鼻・舌・身・意の五根(六根)の対象となる対境(観境=六境)対治するための実践行” であり、その焦点になるのは六官(五官)・六境(五境)である事は明らかだろう。

36で言う無漏とは、“汚れのない事を言う。要は煩悩のない境地を言う” とあり、つまりは涅槃=ニッバーナの境地を意味している。

その無漏とは六根から流れ出る煩悩がすべて無くなることであり、六根から煩悩が流れ出る、と言う事の真意は、前述したとおりそこから六境の情報が流入する事に起源する訳で、これも、無漏=ニッバーナ(悟り)という最重要ワードの肝となるものが六官の防護(漏入出を防護する事)である、と言う事がよく分かると思う。

以前、この六官の防護、という概念について紹介した時に、日本の修験道に伝わる「六根清浄」という掛け声・誓願、について話したが、仏道修行の核心にあるのがこの六根の清浄であり、その為に必要な事こそが、“六官(六根)の防護”である、と言う流れが、分かってもらえるだろうか。

ただただ「六根清浄!」と掛け声をかけていたところで、六根(官)は清浄にはならない。その清浄が実現されるための方途、それこそが六官の防護に他ならない。

しかし、パーリ経典を見ても天台小止観を見ても、その六根の清浄=六官の防護=ブッダの瞑想法(そのもの)、という論理は分かりにくく、残念ながら明示されきっているとは言い難い。

「天台智顗が学んだ『禅』とは “眼・耳・鼻・舌・身・意の(内の)五根” の対象となる対境(観境)を対治するための実践行である」

という説明がそれを示しているのだが、「五官の対象となる対境を対治する」、などと言われても、正直、良く分からない話だ。

おそらくは、こういう文章と言うものは、往々にして書いている本人にさえ、その真意は良く分かってはいないのかもしれない。

実際に、私が天台小止観を読んでみた限り、天台智顗の理解した「五根の対象となる対境を対治する」、という事の意味内容は、本来のブッダの真意からは大きくかけ離れた言葉の上の観念論に堕しており、おそらく彼は、瞑想実践の核心部分について、“原理的には” 何一つ理解はできていなかった、可能性が高い。

またこれは、現代に伝わるテーラワーダ仏教の基礎を創ったというブッダゴーサにしても、同じ事が言えるかも知れない。

彼の著書、清浄道論(ヴィシュディ・マッガ)を瞥見すると、この仏道瞑想修行の根幹に位置するはずの “六官の防護” というものが、戒のまとまりのひとつとして位置づけられている。

この点について論じる前に、簡単にヴィシュディ・マッガの構成について説明しよう。

私の手元には英語の “The Path of Purification” 1991、5th Edition BPS版と、ネット上に公開されている正田大観さんの日本語訳があるが、英語版では明らかだが、大きくの部、の部、智慧の部の三部構成になっている。

その中で戒の部はさらに「戒についての釈示」と「払拭〔行〕の支分についての釈示 」の2章に分かれ、“六官の防護” 「戒についての釈示」の中の一節で簡単に触れられているのだ。

英語版の三部構成を前提に、正田版の目次をツリー表示すると以下のようになる。

第Ⅰ部「戒」→

第一章「戒についての釈示」→

五「また、この戒は、どれだけの種類があるか」→

(四)「四種類のものとしての戒」→

2〔感官の〕機能における統御としての戒

最後の「2〔感官の〕機能における統御としての戒」の中で、六官の防護について集中的に論じられているので、ブッダゴーサという人が、感官(五官六官)の防護と言うものを、徹頭徹尾「戒(シーラ)」という “意味” で捉えていたという事がうかがえる。

仏道修行とは、それすなわち戒・定・慧の三学の体系である、とはよく言われるが、その意味では、この清浄道論は見事に王道を行っている。

しかし、いったいこの “六官の防護” とは客観的に見て、本質的に、どちらのまとまりに属するのだろうか。

あるいはより分かりやすく、“ゴータマ・ブッダ本人は”、この六官の防護という概念、もしくは “営為” を、戒と定、どちらに位置付けていたのだろうか?

面白い事に、私が読んだ春秋社刊 原始仏典第六巻 中部経典79:「箭毛経Ⅱ」では、訳者の方はこの六官の防護というものを〔精神統一に向けての準備〕という章建ての中に収めている。

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春秋社刊 原始仏典第六巻 P70~ 中部経典79:「箭毛経Ⅱ」からのキャプチャ引用

この経の構成は、前段「道徳」の章で戒が語られ、次の章冒頭で六官の制御(防護)が〔精神統一に向けての準備〕というタイトルと共にが説かれている。「精神統一」などという俗語を使っているから分かりにくいが、これは『定』であり瞑想実践を意味するものだ。

ネット上でこのMN79のパーリ原典をあたっても、このような章建ては明らかではない。おそらく、訳者の方の判断で、この六官の防護というものを定のまとまりに入れ、定(サマーディ)つまり瞑想実践の準備段階として位置づけたのだろう。

その理由は、「精神統一にむけての準備」と言う章建ての後に置かれる、「四段階の精神統一」(つまり「四禅」)という章建てを見ればよく分かる。

これは私の判断だが、「精神統一の準備」において瞑想の “行法” の肝が説かれ、「四段階の精神統一」で、その “行法の結果” として没入する ‟四禅の境地” が説かれていると考えると分かりやすいのだ。

ここでは「精神統一にむけての準備」の章と「四段階の精神統一」の章ふたつがセットになって、戒定慧の「定」、すなわち『瞑想実践』を構成している。

あるいは、ここで八正道を振り返ってみれば、正定の前にある「正念」こそが、「精神統一にむけての準備」であり、“六官の防護”である、とも言い変えられるだろう。

もちろん、戒定慧と言うくらいだから、戒そのものも精神統一(定)のための準備だと言えばそうなのだが、しかし、一般的な戒と、この六官の防護というものは、明らかに、“機能的な側面” から見て、完全に次元が異なるのだ。

その事は、天台小止観において十段階に分けられた修行道の中で、第一段階である「具縁」の中にが位置づけられ、第二段階の「呵欲」において、五根(五官)の欲を徹底的に否定し、離れること、という形で、独立して六官(五官)の防護が説かれている点にも現れている。

(この五欲の否定・厭離を前提としてはじめて、第六段階の “正修行” の中の「境に対して止観を修する」という瞑想行法が成り立ち得る。つまり五官の防護に依ってサマタが体現される=意官が防護される)

つまり「戒を具え守ること」と「五欲からの厭離(六官の防護)」とは、内容的にも “意義的” にも全く異なった段階に位置付けられていた。

この事は、上述した

“天台智顗が学んだ『禅』とは眼・耳・鼻・舌・身・意の五根(六根)の対象となる対境(観境)を対治するための実践行である”

という言葉の中に(たとえ智顗がその真意を理解できていなかったとしても)全て集約されている。

ここで言う『実践行』とは、ブッダの瞑想法、すなわち禅の行法 “そのもの” である、と理解されねばならない。

そしてこの、ブッダの瞑想法そのもの、とは、ブッダの瞑想法を大きく止と観に分けた時の止の部分(サマタ)を指す。

上で取り上げた原始仏典第六巻の訳者の方は、賢明な判断をもって “六官の防護” というものを戒とは違った次元における “精神統一のための準備” と位置づけた。その判断は全く正しく、ブッダゴーサの判断が間違っている事は、私の眼には明らかだ。

(中部経典79:「箭毛経Ⅱ」もまた、とても興味深い経典なので、あとで改めて詳述する機会があれば、と思う)

ただ、この訳者の方も、ここで “六官の防護” というものが、精神統一(サマーディ)に入る為のメソッドそのものであり、つまりはブッダの瞑想行法」 “そのもの” である、という事の “真意” にまでは考えが及んだかどうか。

この訳者の方は、彼のあたう限りの学問的な理解力をもって、六官の防護について語る記述を「戒」の章建てではなく「精神統一にむけての準備」という章建ての中に収めた。それだけでも十分な貢献と言えるかも知れない。

逆に言うと、“六官の防護” 戒のまとまりに入れてしまったブッダゴーサが、一体仏道瞑想行をどのように捉え、自らはどのような瞑想実践をしていたのか、という点が深く深く問われるべきかとも思われるのだ。

(清浄道論は膨大かつ煩瑣に過ぎて、未だざっと流し読んだ程度で、以上は現時点での暫定的な感想になる。またいずれ、全巻精読したのちに、稿を改めて論じたいと思う)

ここまでの流れを分かりやすくまとめれば、六官の防護とは、実践的にはブッダの瞑想法を止と観に分けた時の止、すなわちサマーディの深みに至る(四禅へ導く)為の方法論(メソッド)が五官の防護であり、第六の意官の防護完成されていくプロセスこそが四禅の各段階である、と言う事になるだろう。

六官の防護とは、天台智顗がおそらくは理解していただろう様な、五欲・六欲の観念的・思考的な「“自責的” な言い聞かせ」による否定と厭離などではない、のだ。

例えば色っぽいお姉さんが眼に入ってしまって、思わずそそられてしまった比丘が、「いかん、いかん!」と首を振ってその欲望を否定し、その不浄性や無常性や無我性や苦を “理知的に” 思い起こして「厭離おんり」などと呪文のように唱えてその欲動から離れようと「自らを厳しくとがめて叱る」などという、そのような次元の話では全くない、と言う事だ。

この辺りは、魚川さんが「だから仏教は面白い!」の中で『おっぱいの譬え』を用いて非常に分かり易く説明してくれている。

(天台智顗の思想と実践については余り深読みできていないが、天台小止観の「修止観法門 第二:「呵欲=欲を呵責(かしゃく)する」 や、天台小止観の研究五-1:修止観法門 第六 「正修行」を読むと、そのニュアンスは概観できる。機会があれば改めて、本ブログ上にて考察してみたい)

それでは、その六官を防護する “メソッド” とは具体的に何だったのか。それは私がこの「瞑想実践の科学」シリーズでこれまで延々と説明してきた全てが、正に “それ” を指し示すための “布石” であったという事になるだろう。

中でも最も重要かつ面白いのが、もうすでにお分かりの方もあると思うが、以下で論じた、動物の調御法と比丘の瞑想修行道との “重ね合わせ” になる。

興味のある方は上から順に読んでみて欲しい。

そこでは、アナパナ・サティにおける気づきのポイントである「顔の周り」あるいは「口の周り」Parimukham)が、動物を調御する上での急所と完全に重なり合う事が明示され、その五官六官が集住する「顔の周り」に気づきを留める事が、すなわち「六官の防護」である、という論旨の流れが、繰り返し説明されている。

これらの “前提布石” を踏まえた上で、もう一歩このテーマに踏み込むための入り口として格好の題材があるので、次回以降でそれについて取り上げたい。

それは、かのゴエンカジーが、そもそも何故ブッダの瞑想法に出会い、のめりこむ事になったのか、という、あの有名なエピソードだ。

(本投稿は、Yahooブログ 2015/8/3「瞑想実践の科学 38:『正念』としての “六官の防護”」を加筆修正の上、転載したものです) 

 

 


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「仏教思想のゼロポイント」と『仏道修行』のゼロポイント

今回の投稿は2015年6, 7月にアップした二本の記事を統合移転するものだが、当時から様々な状況が変わっており、どのような形で処理するかこれまた悩んでしまった。

しかし、「だから仏教は面白い!」に続くこの「仏教思想のゼロポイント」という魚川さんの著書との出会いが、正に本ブログのタイトル仏道修行のゼロポイント」『事始め』になっており、これら投稿はその間の消息をよく記録している事もあり、若干の加筆修正を施すだけでそのまま移転する事にした。

「仏教思想のゼロポイント」の2020年現在の書評、と言うものは、じっくりと再読した上で、近い内に改めて投稿したいと思っている。

 

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2015年6~7月頃

Amazonの在庫が復活したので、早速購入して「仏教思想のゼロポイント」を読んでみた。以前紹介した「だから仏教は面白い!」を書いた魚川祐司さんの本格的な第一弾書籍だ。

まず同書から目次部分を掲載してその流れを概観したい。

はじめに

第一章 絶対にごまかしてはいけないこと ― 仏教の「方向」
 仏教は「正しく生きる道」?  田を耕すバーラドヴァージャ
 労働(Production)の否定  マーガンディヤの娘
 生殖(Reproduction)の否定  流れに逆らうもの
 在家者に対する教えの性質  絶対にごまかしてはならないこと
 本書の立場と目的  次章への移行

第二章 仏教の基本構造 ― 縁起と四諦
 「転迷開悟」の一つの意味  有漏と無漏
 盲目的な癖を止めるのが「悟り」  縁りて起こること
 基本的な筋道  苦と無常 無我 仮面の隷属
 惑業苦  四諦 仏説の魅力 次章への移行

第三章 「脱善悪」の倫理 ― 仏教における善と悪
 瞑想で人格はよくならない?  善も悪も捨て去ること
 瞑想は役には立たない  十善と十悪
 善因楽果、悪因苦果  素朴な功利主義
 有漏善と無漏善  社会と対立しないための「律」
 「脱善悪」の倫理  次章への移行

第四章 「ある」とも「ない」とも言わないままに ― 「無我」と輪廻
 「無我」とはいうけれど  「無我」の「我」は「常一主宰」
 断見でもなく常見でもなく  ブッダの「無記」
 「厳格な無我」でも「非我」でもない
 無常の経験我は否定されない  無我だからこそ輪廻する
 「何」が輪廻するのか  現象の継起が輪廻である
 文献的にも輪廻は説かれた  輪廻は仏教思想の癌ではない
 「無我」と「自由」  次章への移行

第五章 「世界」の終り ― 現法涅槃とそこへの道
 我執が形而上学的な認識に繋がる?  「世界」とは何か
 五蘊・十二処・十八界  「世界」の終りが苦の終り
 執着による苦と「世界」の形成  戯論寂滅
 我が「世界」像の焦点になる  なぜ「無記」だったのか
 厭離し離貪して解脱する  気づき(Sati)の実践
 現法涅槃  次章への移行

第六章 仏教思想のゼロポイント ― 解脱・涅槃とは何か
 涅槃とは決定的なもの  至道は無難ではない
 智慧は思考の結果ではない  直覚知
 不生が涅槃である  世間と涅槃とは違うもの
 寂滅為楽 仏教のリアル 「現に証せられるもの」
 仏教思想のゼロポイント  次章への移行
 
第七章 智慧と慈悲 ― なぜ死ななかったのか
 聖人は不仁  慈悲と優しさ  梵天勧請
 意味と無意味  「遊び」  利他行は選択するもの
 多様性を生み出したもの  仏教の本質  次章への移行

第八章 「本来性」と「現実性」の狭間で ― その後の話
 一つの参考意見  「大乗」の奇妙さ
 「本来性」と「現実性」  何が「本来性」か
 中国禅の場合  ミャンマー仏教とタイ仏教
 「仏教を生きる」ということ

おわりに

~以上、新潮社刊「仏教思想のゼロポイント」魚川祐司著より

私などは、この目次の章立てを一見しただけでシビレてしまった(笑)が、通読した第一印象は、先に読んでいる「だから仏教は面白い!」の拡大詳述版であり、第六章までは私自身のパーリ(テーラワーダ)仏教理解とおおむねパラレルなので、新鮮な驚きよりも「これだ感」の方が強かった。

以前にも “「だから仏教は面白い」を読んで” として書評を書いたが、私にとっての一番の感慨は、下記エントリーにあるような、ここ最近個人的にコツコツと進めてきたパーリ経典読解の結果が、魚川さんの第五章の論述によってより鮮明に再確認できた事だった。

本書第五章第二節の

五蘊・十二処・十八界 「世界」の終りが苦の終り”

において彼が論じている「世界」とは、そのまま、私が

「一切」としての十二処十八界とマーラ、そして「四聖諦」《瞑想実践の科学19》

で論じていた「一切」とイコールな訳で、今までいまいち自分の探求に「だいじょうぶかいな?」と一抹の不安があった私としては、間違っていなかったと魚川さんに保証してもらったようなもので、大変心強く思ったものだ。

何しろ私の探求は師僧を仰ぐでもなくアカデミズムにも属すでもなく、ひたすら個人的な方法論に則って行っているものなので、一応確定しているスタンダードと言うものから激しく逸脱しても気づかない危険性が常にあって、内心ヒヤヒヤしていた。

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『意』については、「器官」とみれば『色』、『こころ』と見れば『受想行識』

その他にも問題意識の立て方がかなり共通する部分もあって、そうだそうだ、という共感の高まりをしばしば覚えた。

ただ、問題意識の焦点のポイントは共通するものが多々あるものの、その問題に対するアプローチの仕方と、その結果出された解の在り方については、魚川さんと私とはかなり相違があるのもまた事実だ。

今回魚川さんは十二縁起に関しては詳述していないが、この十二縁起の中ほどにある「六処」こそが「一切」における六官・六境のインタラクション(触・受)であり、だからこそ、六官(六根・六入)防護されなければならず、その防護こそが瞑想実践 “そのもの” である、という私の論点については、是非彼に、検討して欲しいと思った。

総じて六章までの論述の切れ味に比べ、七・八章の論述は私から見て少なからず杜撰であり、その結論は拙速に過ぎる点が多々見受けられた。

本ブログの趣旨は、私自身の探求のプロセスをシェアする事にあるので、余り他者の見解を評論する事に深入りする気はないのだが、例えば、同書第七章P173「遊び」において示された、

では、意味の判断も無意味の判断も失効したところから、衆生への利他のはたらきかけを行おうとする人々の心象はいかなるものであるのか。敢えて言語によって簡潔に表現するならば、それは「遊び」と言うのが適切である。

という一節と、そこから展開される論旨。これは問題意識の所在としては、私もこの「利他」「慈悲」の根拠については、だいぶ以前に本ブログに書いた記憶があり、大いに同感なのだが、その結論には?だった。

後に書かれたの彼の文章で、どうやらこの『遊び』というアイデアは彼が傾倒する中国の老荘思想辺りから引っ張ってきた様だが、それは最前までのパーリ経典に即した論述の整然から見れば実に唐突な飛躍に過ぎるし、端的に言って、ブッダについての「人間観」が非常に浅い、という印象を受けた。

さらに、この「遊び」論から派生する、第八章の大乗仏教論については、率直に言って、何だかな~、という感想しか出て来ない。

「遊び」ならば何をどうやってもいい、ということならば、極論すれば「なんでもあり」に道を開いてしまうし、そもそも遊んでいるその『覚者』本当に覚っているかは保証の限りではないのだ。

どちらにしても一巻の書として見た時、日本人によって書かれた「仏教『思想』の原論」としては白眉の出来であり、仏教と言うものの真実に興味がある人全てにお勧めできる内容であるのは間違いない。

しかし総じて、パーリ経典とそのテーラワーダ的な理解について、文字通りマニュアル通りに正確に理解はしているものの、余りにも理屈通りでありすぎて、そう、分かりやすく言えば、「いかにも『センター試験』で高得点を得られるような頭脳が書いたな」、という印象が強く、そのような頭脳だからこそ、第七・八章は書かれうるのかな、という感懐だろうか。

非常によくできたテーラワーダ仏教の教科書ガイド」ではあるが、それ以上でも以下でもない、と。

最初の出会いがかなり鮮烈な衝撃だったので期待が先走ってしまった感が強いが、どのような名文であれ、そのムードに溺れて鵜呑みにすることなく、常に冷静に批判的検証とともに学んでいくべきだろう、と改めて思った。

その、私の「批判的」視点から見て、もっとも象徴的な事実は、そもそもの書名からして、「仏教『思想』のゼロポイント」であり、「仏道修行』のゼロポイント」ではない、という点は指摘しておきたい。

私が興味の焦点は、正にこの仏道修行のゼロポイント” に他ならないからだ。

実際のところ、ブッダ菩提樹下で悟りを開き、その後45年間にわたって行ったことは、決して「仏教思想」を説き続けた、などと言う事ではなく、仏道、つまり悟りもしくはニッバーナへ至る道としての修行道について、説き、導いたのだから。

仏教思想なるものが始まったのは、ブッダの死後スッタやビナヤがまとまられて、それに関する「学」が成立して以降の話だ。

魚川さんは盛んに「行学の両立」を説いているが、ブッダ在世の当時には、肩肘張った「学」など存在してはいなかった。むしろ彼の真意は「考えるな、行じろ!」という事にこそあったのだ。

その視点に立った時、『論・学』などと言う代物はすべて『戯論』に過ぎない。

(この点に関しては、魚川さんも十分に自覚の上で ‟敢えて” 論述している事は、「だから仏教は面白い!」にも説明されているので、「仏教思想」というタイトル自体も『自覚的』に採られたものかも知れないが)

もちろん、ブッダの修道ガイダンスを正確に理解する、という意味での「学び」はあって当たり前なのだが、それが後世の「比丘サンガにおいてステータスを上げて出世する為の『学』」になり下がった果てにあるのが現在のテーラワーダにおける「論・学」なのだから、両者の乖離ぶりは著しいものがあると私は思う。

そう言いながら私も便宜的にパーリ経典を読み解くという「学」に携わってはいるが、その本心は、「学」が成立する以前のブッダの瞑想行道の原像に限りなく迫る、というただ一点にある。

そこにおける焦点とは、正に沙門シッダールタがブッダガヤの菩提樹下に結跏趺坐し悟りを開いたその「プロセス」であり、そのプロセスを「方法論」として明確に言語化し、最初に説き導いたコンダンニャが悟ったという、その “メソッド” の原像であり、その “作用機序” に他ならない。

魚川さんと突っ込んだ話をした訳ではないので分かりかねるが、もし彼が私と同じような問題意識を持っているのならば、「仏教思想」ではなく次回作は是非仏道修行のゼロポイント」という観点から、更なる探求を深めてほしいと思った。

(そこにおいて、私が現代人にとって欠かすことのできないものと考えるのが、「脳・神経生理学的な作用機序」になる)

彼の最終ゴールが、トレンディな仏教評論家になる、事などではなく、ブッダの到達した境地に少しでも近づく、という事にあるのならば、せっかくミャンマーと言う恵まれた土地に住んでいるのだから、ますます瞑想実践に励んでいただきたい、と期待する次第だ。 

私が『仏教』というものに向き合う時に、その関心の焦点になるのは、上で書いたように、仏道修行のゼロポイント』という一点に他ならない。

この場合仏道修行』というのは、苦悩する沙門シッダールタが、ブッダガヤの菩提樹下に結跏趺坐して、それまではどうしようもないかに見えた『苦悩』から解脱して涅槃(ニッバーナ)に至ったという、正にその悟りへと彼を運んでいくことを可能とした瞑想行法そのものになる。

そこには、もうひとつ重要な点がある。それは、その自らの悟りの経験とそこに至るための『方法論』が、彼個人の中で完結して終わってしまったのではなかった、という歴史的な事実だ。

彼はその悟りの経験とそこに至る為の方法論を見事に言語化して他者へと伝達し、初転法輪の地サールナートにおいて、五比丘のうちのコンダンニャが、その最初の『悟りの継承者』としてブッダ自身によって承認されたのだ。

この沙門シッダールタ自身による悟りの経験とその他者への伝授。この二つを持って、私は仏道修行のゼロポイント、としたいと考えている。

言葉の真の意味でゼロポイントと言うのならば、ブッダ個人が悟りを開いたその瞬間を、単独でゼロポイントとするべきではないか、という見方もできるし、私自身にとってその瞬間こそが核心であり焦点であるという事実に変わりはない。

しかし、本ブログの趣旨、並びに私自身のスタンスを考えると、ブッダひとりの悟りの経験のみを取り出してゼロポイントとなすのは、やはり片手落ちになる。

それは、私たちが日常何の気なしに使っている『仏教』という言葉の中に、全て凝縮して表されているだろう。

そう、仏教とはブッダの教えであり、ブッダ、つまり涅槃に至った悟りを開いたゴータマ・シッダールタが、その同じ悟りに至れるように、自らの経験を言語化して普遍化し、他者に教え伝えた、その伝授された智慧の体系をこそ、『仏教』と私たちは呼ぶのだから。

彼がもしその覚りの内容を第三者に説く事をしなかったら、どのような意味でもそのゼロポイントに我々がアクセスできるという事はなかっただろう。

私たちが『瞑想行道』という観点から仏教を学ぶ、と言う事は、究極的にはコンダンニャの立場に自らを置く、と言う事だと私は考えている。

少なくとも私自身がこのブログを書いている『意味』とは、正にコンダンニャが2500年前のサールナートの鹿の森の樹下において、ゴータマ・ブッダによって伝授された智慧とそこに至る為の方法論そのものを、現代日本語を用いて可能な限り『肉薄』『記述』『復元』する、という事にある。

ブッダその時、「コンダンニャは悟った!」と歓喜の声を上げたと言われている。

ではどうやって、コンダンニャは悟ったのか?

教典には、形式上あたかもブッダの説法を聞き続けそれを「知的に」理解しただけでコンダンニャは悟った”、かのような内容がまま見られるが、もちろんこれは形骸化した記述に過ぎないだろう。

コンダンニャは当然の事ながら、ブッダによって言語化された「瞑想修行の方法論」を知的に理解し、その瞑想行法実践的体解した結果、悟りを開いたのだ。

これは誤解を恐れずに単純化して譬えると以下のようになる。

ある時ある人が、人類史上初めて「膝蓋腱反射」という一見摩訶不思議な生理現象を発見したとする。膝のお皿の下のくぼみを木槌などでコンっと叩くとつま先がぴょんっと跳ね上がる、あの神経生理現象だ。

この膝蓋腱反射が生起するためには、いくつかの重要な要件があり方法論がある。智慧ある彼はその全てを直感して、膝の下の特定ポイントを適切な道具を用いて必要十分な強さと角度でもって叩き、自身の身体において見事につま先を跳ね上げる事に成功した訳だ。

そして彼は自ら膝蓋腱反射を体得しただけではなく、その為の要件を精査し方法論を見事に言語化して他者に伝え、その他者自身の身体において、その本人自身の手で、同じ膝蓋腱反射を惹起させる事に成功した。

膝蓋腱反射というものは脊髄反射(これは最近よくネット上で囁かれるw)とも言われ、何やら難しい漢字の羅列で「なんじゃそりゃ?」と思う方もいるかも知れないが、目のまえで見せられて、ちょっとしたコツを口で説明してもらえれば、すぐに納得し誰でも再現する事が出来る、基本的な身体の神経生理的特性(メカニズム)だ。

ブッダの瞑想法とその実践の結果として体験されるニッバーナとは、究極的にはこの膝蓋腱反射と変わらない人間の身体(心身)システムに内在する普遍的な「作用機序」、つまり脳神経を中心とした「身体システムに内在する “メカニズム” の発動」に他ならないだろう。

以前にも書いたが、沙門シッダールタの身体はコンダンニャの身体であり、私の、そしてあなた自身の身体でもある。この極めて平明な事実、もしくは真理を、まず私たちは心に深く刻むべきなのだ。

私の身体において、一定の要件を満たした方法によって膝のお皿の下のくぼみを木槌で叩いてつま先がぴょんと跳ねあがるのならば、同じ人間の同じ身体を持っているあなたが、同じ要件を満たした方法によって同じように膝の下のくぼみを叩けば、同じようにつま先はぴょんと跳ねあがる。

その事に疑いを持つ人はおそらくいないだろうし、“事実” としてそれはたいてい誰にでも起こるのだ。

沙門シッダールタは、正にあのブッダガヤの菩提樹下の禅定において、それが起こる要件と方法論を模索しつつ発見・確立し、ついにニッバーナへと到達した。

そしてその経験したプロセスの作用機序を明晰に理解し、その要件と方法論を分析的に言語化して、かのサールナートで五比丘に口頭で伝えたのだ。

そして最初に “つま先をぴょんっと跳ねあげる” 事、に成功したのが、正にコンダンニャだった。

同じ人間であるコンダンニャに起こった事ならば、さらには沙門シッダールタに起こった事ならば、たとえ2500年と言う時の流れで隔てられていようと、同じ『身体』である私たちにおいても、それは起こらないはずはない。

その事に疑いを持たないからこそ、私はこれから先も熱意ある限り知的探求を深め続けて、やがて時機が至れば実際にどこかで本格的なリトリートにも入るだろう。

ただし、もちろんこれは極めて単純化した喩え話であって、単なる身体的な神経生理現象である膝蓋腱反射と、ブッダの経験したニッバーナとでは、問題の “次元” が少なからず違う、というか相当以上に違う、のもまた事実だ。

沙門シッダールタにおいて、そしてその「悟りの一番弟子」であるコンダンニャにおいて惹起されたプロセス機序が、同様に私たちの心身において発動する為には、様々な要件と精密な方法論が膝蓋腱反射以上に求められるだろう。

けれどゴータマ・ブッダはそのプロセスを論理的に把握して言語化に成功し、五比丘達に口頭で伝え、見事にコンダンニャはそれを知的に理解し、体得的に瞑想行法を実践し、悟り得た。だからこそ、その瞬間を含めてこその「ゼロポイント」なのだ。

私見ではあるが、現代世界に流布するいわゆるブッダの瞑想法、あるいはヴィパッサナ・メディテーションのシステムは、このコンダンニャが体得したブッダ直伝の瞑想行法(おそらくそれは時間と共にブッダ自身によって精緻化されていったはずだ)の、感覚的には70%くらいしか復元できてはいない気がしている。

いい線いってるけれど、完全ではない。とっても残念な部分があり画竜点睛を欠いている。それが偽らざる私の感触だった。

(これは私の主に95~98年頃の経験を前提にしているので、現状私の知らないところでもっと深化されたものが存在する可能性は否定しないし、むしろ期待している)

それは何故かと言うと、結局のところテーラワーダにしろ何にしろ、現在仏教に携わる人々が古代インド人の心象世界と言うものをまったく深く知らず、その様な心象に即して語られ経典に残されたブッダの言葉を、当時のままに正確に理解できていない事が原因だと思われる。

こう言うと当然、「な~にをド素人が偉そうに!」という声も聞こえてくるかも知れない。しかしながらそれに対しては、「そうですか」というため息しか私の口からは出ないだろう。

現在地上に見られる『仏教』のほとんど全てはインド以外の諸外国で千年以上に渡って保存継承されて来たものであって、祖国インドのオリジナルの仏教の系譜は、既に滅んで久しい。

私は多少武術を嗜むので興味深く見つめているのだが、国際的に見て柔道のメッカが日本から西欧、特にフランスに移って以降、それがどのように変容してしまった事か。

仮に日本における柔道が完全に滅亡消滅してしまった後にフランスを中心とした西欧柔道があの延長線上に千年続いたとしたら、それは一体どのような姿になってしまうか、想像を絶している。

仏教の場合も(既成の事実として)、同じプロセスを私はイメージしている。インド・オリジナルの時代と、海外展開から千年後の時代とでは、相当以上の変質を想定せざるを得ないのだ。

この点に関しては、テーラワーダも大乗も密教も程度の差こそあれ本質的にその違いはない。

インド亜大陸内でさえ、原始仏教から部派仏教、大乗、密教と時代を追うごとにその変容は著しかったが、私たち異邦人が考える以上に、本家のそれは筋道が通っていた私たちがそこに極端な飛躍や乖離を見出すのは、彼らの思考プロセスの必然理解できないからだろう

特にテーラワーダの瞑想実践はブッダ本来の瞑想法』として近年脚光を浴びており、私自身もその恩恵に浴したひとりなのだが、その実践の系譜が、歴史的には極めて「浅い」事が様々なデータから明らかになっている。

それは近代において主にビルマなどの先達が経典やアビダンマなどから再構成に成功したものであって、その『復元』がどこまで完璧であったか、その保証はどこにもない。

つまりそこには、まだまだ追求する『余地』が残されている。

その『余地』を詰める、という作業こそが、本ブログの試行に他ならない。

現行テーラワーダの歴史が2000年以上あり、近代瞑想の歴史が200年あったとしても、古代インド人とその心象を共有できていないが故に理解不能だった事柄が、多数そこには埋もれている。

そのリアルな心象世界に限りなく肉薄して、知られざる Hidden Fact に迫る。それが取り敢えず本ブログの目指すところであり、私は遺跡を発掘する考古学者、あるいは考古学的「文化人類学者」の視点に立って、様々な典籍を読み解いている。

仏教に対してこの様なアプローチで解読を試みる者は余りいなかったと思われるので、一般に理解されるのは極めて難しい事が予想されるが、ひょっとして私の視点とシンクロしその内容が心の琴線に触れる人が万が一にもいるかも知れない、というわずかな可能性を念頭に、こうしてネット上で情報をシェアしている訳だ。

私の考察がどこまでそれに迫れているのか、と言う適切な評価については、取り敢えず同時代人にあまり期待してはいないのだが。

それはさておき、瞑想行法がメソッドとして完全であれ不完全であれ、ひとつこれだけは言える事がある。

それは、瞑想という心身総体を用いた営為は、優れて感性、もしくは感受性に根ざしているものであって、そのような感受性を根本的に欠いている人間には、永遠に理解しようがない事もある、という冷厳な事実だ。

これは先の論旨である「沙門シッダールタの身体は私たちの身体である」と一見矛盾するようだが、厳密に言えば、心身の『体質』と言うものは個々体によってそのばらつきが大きいのだ。

(例えば、「持って生まれた身体の柔軟性」などを考えても、その資質は文字通りピンからキリまでのギャップが著しい。心の特性に関してもそれは同様だろう)

さらに加えるならば、たとえその感受性や資質に恵まれた者ではあっても、「精進」もしくは「決意」を欠いた人間には、周辺をうろうろする事は出来ても、ニッバーナという核心部分に到達する事は極めて困難だろう、と言う、これもまた冷厳な事実だ。

テーラワーダ仏教という名の “黒船” がニッポンの大乗仏教界に襲来して以降今日に至るまで、ブッダ本来の瞑想法』の名において様々な教説が乱れ飛んでいる昨今ではあるが、基本的に私は、ニッバーナ、あるいは “悟り” というものを “安請け合い” する指導者(解説者)を信用はしない。

そういう安直な指導者に限って世俗的な人気は高かったりもするのだが、それはいわゆる政治家と市民・有権者との関係性と同じで、推して知るべき、ではないだろうか。

私の好きな譬え話に、次のようなものがある。

小悪魔にとって大悪魔偉大なる『神』に他ならない」

(注:ここでは悪魔=マーラと読もう)

これはかのオウム(アレフ)にこそ当てはまるもので、上の文脈で引き合いに出すには少々辛辣が過ぎるかも知れない。しかしそれが例え『悟り』というタームであれ、欲望(渇望)を扇動する者それに吸い寄せられる者はいたる所に見受けられる。

最終的に沙門シッダールタは、アーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタの二師に満足せずそこから離れたのだが、彼ら二人に満足し、最高の師と仰ぐ人々は実に大勢いた(その様な世評が高かったからこそシッダールタは彼らの門をたたいた)

結局人は、自身のに応じた「師」に満足し、それを仰ぎ見る、という事なのだろう。

「越すに越されぬ大井川」 じゃ~ないけれど、此岸と彼岸の間には超すに超されぬ “輪廻の大海”激流が渦を巻いている。その事はブッダ自身の言葉として、繰り返し繰り返し、経典の中に記されているという明確な事実を、真摯探求者は決して忘れるべきではない。

仏道瞑想修行において、在家生活を送る「歯磨きメディテーター」如きが簡単に覚りに至れるような道理は、一般的にはあり得ない。いわんや、五官六官の快楽が極限まで発達しそれを享楽し尽くしている現代都市文明人においてをや、だろう。

(中には、その様な障壁を軽々と超えて在家のままニッバーナに接近遭遇してしまう「天性の瞑想体質者」の如き人もいるかも知れないが、それはあくまでレアな例外に過ぎず、彼らを基準に語るべきではない)

 

何やら抽象的な事柄に終始してしまった。魚川さんの突然の登場や父の死などに直面してしばらくの間足踏み状態にあった本ブログだが、今回の投稿をもって、再出発に向けたある種の “仕切り直し” とさせて頂く。

 

 

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(本投稿はYahooブログ 2015/6/9「『仏教思想のゼロポイント』を読んで」、2015/7/26「『仏道修行』のゼロポイント」を統合の上加筆修正して移転したものです)

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2020年現在のあとがき

上に書かれている様に、「仏教思想のゼロポイント」という著作を読んだ時の「これだ感」「これじゃない感」のギャップが生み出す様々なフラストレーションが大きな動因となり、文末にあった「仕切り直し」が徐々に熟していった結果、ほぼ1年後の2016年8月にその『批判的なオマージュ』として本ブログ仏道修行のゼロポイント」が開設された訳で、個人的にはそれなりに記念すべき回だったと思っている。

そうして開設したこのブログも、以前にも触れた諸事情により途中でめんどくさくなってしまって開店休業状態に放置されていた。Yahooブログに一通りの情報はアップしてあったので、最低限の義理?は果たしているな、と。

それが、たまたまYahooブログ閉鎖によって移転再開を余儀なくされた訳で、その成り行きに関しては、何とも複雑なものがあるのだが…

しかし例えどのような経緯であれ、せっかく再開してこうやって順調に回を重ねているので、今後とも常に「仏教思想」仏道修行」の本質的な違いを視野の片隅で意識しつつ、キリの良い所まではこの探求を進めていきたいと思っている。

 

 

 


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