仏道修行のゼロポイント

ゴータマ・ブッダの原像とヒンドゥ・ヨーガ

チャクラ思想の2大源流とその展開

インドにおけるチャクラ思想の真実を求めて旅を続けた私は、やがて2つの源流にたどり着いた。ひとつは紀元前1500年に北西インドに侵入した、侵略者インド・アーリア人の文化的伝統であり、もうひとつは紀元前2200年ごろその最盛期を迎えた、インダス文明の伝統だった。

アーリア人とは、紀元前2500年ごろ東ヨーロッパ、現在のウクライナ周辺に勃興した民族集団だ。大平原に遊牧を主とした生計を営んでいた彼らは、やがて紀元前2000年ごろ、木製スポーク式車輪を世界で初めて開発した。

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スポーク式車輪を創造したと言われるAndronovoのSintashta-Petrovka Proto-Indo-Iranian文化(ピンク色)

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木製スポーク式車輪を履いたラタ戦車(チャリオット)の時系列的広がり

Chariot - Wikipedia, the free encyclopediaより

木製スポーク式車輪の開発、と言われても現代人はあまりピンとこないかも知れない。

それ以前に普及していたのは、木の板を張り合わせて作った鈍重な車輪だった。これはバーベルのウエイトに当たる鉄の円盤を思い浮かべてもらえばいい。木の板を何枚も張り合わせてあの形を作り上げた様な車輪しかそれまではなかったのだ。

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現在でも南インドで祭りの山車に使われている非スポーク式張り合わせ車輪。ウドゥピ、カルナータカ州

この合板製車輪、基本的に弾性に乏しくシヨック・アブソーバーとしての働きが欠けている。また頑丈にするためにはどうしても一定以上の厚みを必要とし、必然的に直径に比べて重すぎる欠点があった。

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現在でも中・北インドで現役で使われている木製スポーク式車輪。6か所に入れられた切込みによってたわみが生じ、クッションの役割を果たす

それに対してスポーク式は、それらの欠点を解消した高機能かつ革新的なハイテクノロジーだった。そのハイテク車輪を履かせたラタ戦車を馬に引かせ、その圧倒的な機動力の優位によって、彼らは西ヨーロッパ、地中海世界中央アジアへと進出していった。

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二頭の馬に引かれた戦車に乗る古代エジプトのラムセス2世。出典元サイト

車輪システムはより洗練されているが、ラタ戦車の原像を良くとどめている。

中央アジアを東進したアーリア人は、やがて現在のイランにその一派が定着し、さらに東の果てまで進み、カイバル峠を越えてインド亜大陸に侵入した。このインドまでたどり着いた集団を、便宜的にインド・アーリア人と呼ぶ。彼らはヴェーダの祭式を重んじる、極めて宗教的な部族集団であった。

ラタ戦車の圧倒的な武威によって西ユーラシアを席巻した彼らにとって、その威力の中心であるスポーク式車輪は、偉大なる転輪武王の象徴であると同時に、神々の神威をも象徴するシンボルとなった。

この点に関してはチャクラの国のエクササイズ・チャクラ意識の源流1以下を参照して欲しい。

リグ・ヴェーダに収められた1028の賛歌の内、インドラに捧げられたものは実にその4分の1を占めている。彼は馬に牽かれたラタ戦車を駆り、先住民の肌の黒いダーサ(ダスユ)を征服し、その富をアーリア人に分け与える軍神として、また、ヴァジュラ(金剛杵)によって蛇の悪魔を殺し、閉じ込められた川の水を開放する雷神として讃えられている。

『ダーサ(黒色)の原住民を屈服せしめ、消滅せしめたる彼、勝ち誇る賭博者のごとく、勝利を博して、賭物たる部外者の豊かな財産を収得したる彼、彼は、人々よ、インドラなり。』(辻直四郎訳)

リグ・ヴェーダが成立したBC1500年前後、それはちょうどアーリア人がインダス川の流域に侵入した時期と重なっている。軍神としてのインドラは、侵略するアーリア人の自己賞賛を投影したものと言えるだろう。また、蛇殺しと閉ざされた水の開放は、大規模な農耕を知らなかった遊牧民のアーリア人が、灌漑農業を行う先住民の町を破壊し、水源である豊かな森を切り開いて定住していったプロセスとの関連が考えられる。

このアーリア人の侵略の原動力になったのが、高性能のラタ戦車だったのだ。実はインダス文明の末裔であり、農耕民である先住民は、ある意味、遊牧のアーリア人より遥かに高い文化レベルを誇っていた。けれどこと武力においては彼我の関係が逆転する。アーリア人は戦争の達人だったのだ。

高い機動力を持つラタ戦車とそこから速射される弓矢、という見たこともない斬新な戦術に、先住民はほとんど抵抗のすべもなくアーリア人に征服されてしまう。やがて彼らは、被支配者としてヴァルナのシステムの最底辺に、隷属階級シュードラとして位置づけられていった。

以上、チャクラの国のエクササイズ: 軍神インドラとラタ戦車より

ナットドワラやプーリーではクリシュナとして祀られ、世界の維持を司るというヴィシュヌ神。それは色が黒く、四本の手にそれぞれ棍棒(ガダー、もしくはダンダ)とほら貝(シャンク)と車輪(スダルシャン・チャクラ)と蓮華(パドマ)を持ち、ガルーダという神的鷹に乗り、ヴァイクンタという天上の国にラクシュミ女神を伴侶として住まうという。そして、悪が栄え世の秩序が乱れた時にアヴァターラ(化身)の姿をとって降臨するや、スダルシャン・チャクラを投じて悪を滅ぼすのだ。

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左手にチャクラ(車輪)を持ちヨーガ・ナラヤナの瞑想ポーズをとるヴィシュヌ神

以上、インド思想の核心『チャクラ意識』とは何か?より

ここで重要なのは、ラタ戦車に使われていた車輪のスポーク本数が、(おそらくは)6本であった事だろう。6本スポークの車輪は、正にアーリア人の神威を象徴するシンボルだったのだ。

それはチャクラ思想のもうひとつの源流、紀元前2500年頃から栄えはじめ、紀元前1700頃に忽然と滅びた、インダス文明の聖なるシンボルと”偶然にも”符合するものだった。

インド・アーリア人が亜大陸に侵入する遥か以前から繁栄していたインダス文明は、メソポタミアなど地中海世界周辺の文明圏とも交易を通じて深く結びついていた。しかし、遺跡からは巨大な軍事力を想起させるようなものが発見されておらず、その文化の実態については未だ謎に包まれている。

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発掘された瞑想するヨーギの印章。シヴァ神パシュパティナートの原像か

しかし、インダス・シールと呼ばれる石製の印章に刻まれた様々なデザインによって、彼らが瞑想実践を中心に据えた極めて宗教的な人々であった事が推定されている。その彼らの神性を表すシンボルが、これは『神』の悪戯としか思えないのだが、6本スポーク車輪を思わせる、図形だったのだ。これは分かりやすく言うと、6Pチーズのデザインを単純に線描した形になる。

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印章に刻まれたチャクラ・シンボル。NHKスペシャルインダス文明」より

このチャクラ文字は、近年発掘が進むドーラヴィーラの遺跡においても、神殿と思しき施設のゲートに掲げられた世界最古とも言われる看板に、複数個刻まれていた事によって一躍注目を浴びた。

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ドーラヴィーラのサインボード。Dholavira - Wikipedia, the free encyclopediaより

このチャクラ・シンボルはインダス文明崩壊後も瞑想ヨーガと共にインドの先住民に連綿と継承され、紀元前1500年のアーリア人侵入に伴ってもたらされたラタ戦車の車輪と重なり合って、ここにインド神聖チャクラ思想の基盤が確立した。そのように私は考えている。

この間の詳細についてはチャクラの国のエクササイズ・チャクラ意識の源流4を参照。

各地のインダス文明遺跡からは凍石で作られた印章が多数発掘された。これは商人が積荷などの封印として蜜蝋や粘土に押していたと考えられている。押印は呪術的な意味を持ち、その印面には瞑想するヨーギ(行者)の姿やいくつかの動物が彫られている。

それらと並んで様々な象形文字も刻まれていたが、その中に、6本スポークの車輪と見まがうデザインがあったのだ。このシンボルは、近年発掘が進んでいるグジャラート州のドラヴィーラ遺跡においても大量に発見され、他のデザインとは本質的に異なった聖なる印である可能性が高いという。

その一見車輪に見えるデザインは、しかし車輪であるはずはなかった。何故なら、それが作られた紀元前2000年代には、まだこの地域にスポーク式車輪は現れていないからだ。発見された遺物によって、彼らが板を張り合わせた円盤状の車輪を使っていた事が分かっている。しかもまだ馬は普及しておらず、車を引いたのは牛であり、その用途も荷車が中心だった。

博物館で立ちすくみながら、私はしばらく、その形を見つめ続けた。それは何故か、私の心の琴線に触れる物だったのだ。

~中略~

そう、これは瞑想の深みにおいてヨーギに訪れる、チャクラ・ヴィジョンの刻印に違いない。私はそう直感した。考古学者によると、インダスの都市遺跡には特権階級による専制支配の痕跡が見当たらず、武器も貧弱なものしか発見されていないという。強大な権力を持つ王のような求心力が不在な中、どのようにしてこれだけの文明が維持されたのかが大きな謎だったのだ。

恐らく、当時インダス文明において、宗教的行者(ヨーギ)の存在が特別な力を持っていたのではないだろうか。そして日本の邪馬台国のように、霊的な素質を持った少数の神官の霊力によって社会が統治されていたとしたら・・・

その後の印章文字の研究によって、インダス文明を担ったのはドラヴィダ人だというのが最も有力な仮説となっている。恐らく、彼らは優れて宗教的な資質に恵まれていたのだろう。それは現在のタミル世界にも色濃く残っている。そしてインダス文明が気候変動などで衰退に向かったまさにその時に、武力の権化であるアーリア人が、ラタ戦車の車輪を駆って怒涛のように攻め込んで来たのだ。

その時、その地軸を揺るがすような轟音をたてて疾駆する戦車を目の当たりにした時、先住民は何を思っただろうか。その車輪が、まさに神的ヴィジョンと同じ形をしていたとしたら・・・

ひょっとして彼らは、ラタ戦車に乗るアーリア人を『神』だと思ったのではないか。奔馬に引かれ、轟音を上げて大地を疾駆する高速機動戦車とそのスポーク式車輪。初めてそれを目の当たりにする彼らにとって、その動きは、その働きは、正に神速そのものと映ったのではないのか。

それはちょうど、馬に騎乗したスペイン人侵略者を見て、神だと錯覚したインカの人々と、同じではなかったろうか。

チャクラの国のエクササイズ・チャクラ意識の源流4より

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現在でもインド全土で愛用されている最もシンプルな六葉の聖吉祥文様。その形はインダスのチャクラ・シンボルと重なり合う

私はインド各地を取材して歩いて多くの寺院や遺跡、町や村々を訪ね歩いて気付いたのだが、インド亜大陸において遍く共有されている最も基本的な吉祥文様に、上の写真に見られるようなシンプルな六葉の円輪デザインがある。

これこそがインド・アーリア人が携えてきた武威の象徴としての車輪と、インダス文明期に由来する先住民のチャクラ文字が融合した所に生まれた『聖チャクラ』の原像だと私は考えている。

その後インド世界の宗教思想はこの聖チャクラの原像を起点にして、正に万華鏡的な展開を見せていく。そこで重要になるのが、車軸と車輪だ。

ラタ戦車の車輪を構成するパーツは大きく二つに分ける事ができる。車台に固定された不動の車軸と、その車軸にはまる事によってスムースな回転を得て躍動する車輪だ。

実はこの車軸と車輪というセットこそが、常に合い携えてインド思想の基盤をなしてきた。これがこれまでの研究の結果、私が辿り着いた中心仮説だ。

そして勿論、正にこの輪軸の思想こそが、ブッダの悟りとそれをもたらした瞑想法の『発見プロセス』とも密接に関わっていた。これが本ブログの論述を支える、最も重要な基盤のひとつとなる。

この様なチャクラ思想の原像は、ゴータマ・シッダールタ在世当時も、様々なヴェーダを始め日常生活の隅々にまで、知識階級や修行者たちの間では背景心象としてすでに浸透していた。シッダールタは正に聖チャクラ思想のただ中に生まれ、育ち、修行し、悟りを開いたのだ。

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南インドのアマラヴァティの仏教遺跡で発掘された蓮華の車輪

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オリッサ州のコナーラク、太陽寺院のシンボリックな巨大車輪

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ヨーガ・チャクラ図。六芒星は六葉チャクラの亜形

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民家の玄関先に描かれた南インドの吉祥文様コーラム。その中心には六葉チャクラの基本デザインがある

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ミルナードゥ州、パッラヴァ朝期の天井蓮華輪

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チベット仏教に伝わる『バーヴァ・チャクラ(輪廻する生の車輪)』。スポークの数は六本

上の画像に関しての詳細は、

チャクラの国のエクササイズ: インドラの失権とクリシュナの台頭

チャクラの国のエクササイズ: チャクラ・ヴィジョンからヨーガ・チャクラへ

などを参照。

インド宗教思想において、何故ここまで普遍的に車輪のデザインが重視され適用されているのか。そこにこそ、何故、ブッダの布教のプロセスが「法の車輪を転ずる」と表現されたのか? と言う疑問に対する答えが隠されている。

この車輪(チャクラ)のシンボリズムの背後にある心象風景を『原点』にまで遡って理解して初めて、沙門ゴータマ・シッダールタの思想的な立脚点が見えてくる事だろう。

本来のインド思想自体が煩瑣を極めたもので、それに関して新たな仮説を分かり易く簡潔に論述すると言うのは、相当以上に荷が重い仕事なのだが、次回は、このインド輪軸思想の核心と、沙門シッダールタとの結びつきについて、詳述していきたい。 

(この投稿はブロガー版「脳と心とブッダの悟り」記事を加筆修正したものです)