仏道修行のゼロポイント

ゴータマ・ブッダの原像とヒンドゥ・ヨーガ

2020-01-01から1年間の記事一覧

ハミと手綱で駿馬を調御する:瞑想実践の科学9

眉間の急所を万が一の緊急ブレーキ(欲動のキル・スイッチ)として、耳たぶの裏から後頭部にかけての触覚刺激をハンドルやアクセルとして、象使いは象たちを様々なシチュエーション下で見事に調御し、操縦する。 そして、これら象の調教における急所のポイン…

象の首に坐り、カギ棒を額に構え、耳で操縦する:瞑想実践の科学8

前回は、ブッダとセーラ・バラモンとの間で起きた「広長舌相」のエピソードの流れから、牛を調御する『急所』について考えて行った。 牛を調御する急所は鼻の穴であり、その牛の鼻を捕まえて調御する譬えが、パーリ仏典にも存在する。 そこにおいて、穀物を…

牛を鼻で捕まえ、額を打つ:瞑想実践の科学7

前回までに、セーラ・バラモンとの対話でブッダが「舌をもって耳と鼻と額を舐めた」という、広長舌相のエピソードについて、様々な角度から考えてみた。 ブッダが舌で舐めたと言う耳と鼻と額が、インド女性がピアスとビンディを付ける部位と重なると言う視点…

六官の防護と『理法』:瞑想実践の科学3の補遺

私は2012年頃からパーリ経典を読みつくそうと発心して、まずは以前から持っていた岩波文庫の中村元訳シリーズを読み切り、続いて春秋社版の原始仏典シリーズを読み進めていった。 何故か相応部のⅡの方から入ってしまい、全6巻を読破。続いて長部と中部を収録…

煩悩の「密林」としての脳髄:瞑想実践の科学6の補遺

パーリ仏典において愛執・渇愛・妄執・煩悩・愛欲、であるところの “つる草” と喩えられているものとは、実は私たちの身体全身に “はびこって” いる血管ではなかったか? それが前回までの論旨だった。 私たちの全身には、血管の網の目がはびこっており、特…