仏道修行のゼロポイント

ゴータマ・ブッダの原像とヒンドゥ・ヨーガ

気胸体験と “Kha” の恐怖

本投稿はYahooブログ「脳と心とブッダの覚り」2015/12/23「気胸体験と“Kha”の恐怖」を元としているが、これもまたどのように移転しようかあるいはしないか、で悩んでしまった記事だ。

しかし、ここに書かれた「恐怖の気胸体験」は私にとって色々な意味で忘れられないものであり、同時に本ブログのテーマである仏道瞑想修行」とも大いにシンクロするタイムリーな(今読んでもかなり笑える)内容でもあったので、ほぼそのまま移転する事にした。

そこに書かれた若干の内容は、ひょっとして気胸や入院の初心者?にとっては、何がしかの有用な情報になるやも知れない。

そういう訳で、以下は「時制」を含め2015年の当時の記述である、という前提で読んで欲しい。

 

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2015年12月23日

実は11月の下旬から今月の初旬にかけて入院していた。病名は『突発性自然気胸だ。病名通り、その発症は本当に何の前触れもなく突然にやってきて、正に晴天の霹靂、の感があった。

私はまったく知らなかったのだが、この気胸という病気、何らかの原因で肺胞にあいた穴から呼吸された空気が漏れて胸腔内部にたまり、そのたまった空気の圧力によって肺胞がつぶされて胸痛を感じたり呼吸不全になる、というものだ。

たとえば戦場で敵の放った矢に射られて胸に刺さった場合、その矢じりが肺胞を貫いていたら、当然肺胞に穴が空いてそこから空気が漏れて気胸になる。あるいは肺がんなどの肺疾患に因って肺組織が崩れて穴が空いても、同じように気胸になる。

これら明確な原因が特定できる気胸は分かりやすいのだが、中には原因が全く特定できないで何の予兆も段階も踏まずにいきなり発症する気胸があり、今回の私の場合が正にこの突発性自然気胸だった。

ネットを検索すると、若く背が高いやせ型のイケメンが発症しやすいなどと書いてあり、最近の有名どころではナイナイの矢部さんや嵐の相葉くん、佐籐健などの名前が挙っている。

自然気胸参照。

上記御三方と並べられると気が引けるのだが、到底若くもなくイケメンでもない私は、しかし身長170cm体重53kgとやせ型であるのは間違いなく、どうやら典型的な自然気胸体型だったようだ。

この自然気胸、前述したように21世紀の現在においても、その原因が明確に特定されてはいないようで、上記サイトでは一般論として以下のように言われている。

気胸が発病する原因

1.身体的、心理的ストレスを感じている時。たとえば、深夜の仕事や徹夜の勉強などの寝不足状態が続く時。

2.残業などで慢性的な疲労状態にある時。

3.不安や心配なことがあり、精神的にストレス状態にある時。例えば、

・職場での人間関係で悩んでいた
・仕事上の行き詰まり状態であった
・転勤などで環境が変わった
・海外旅行に行く(時差の問題と異国というストレス)
・学生の場合はテスト前後に起こることが非常に多い
・夫婦喧嘩や彼氏との喧嘩
・結婚式が近づいた時に起こったり、あるいは離婚調停中に何回も起こしたり。

4.気圧の変動がある時が多い。すなわち、雨や台風の時期など。

こうして見てみると、心と体の過労とストレスが最大の原因とも思えるが、私の場合はどうだっただろうか。

現在(2015年当時)私は高齢の母と同居して介護生活をしているのだが、まだそれほどハードな重介護には至っておらず、生活実感として肺胞に穴が開くほどの、そこまでのストレスがあるとは思えない。

何しろ私は、以前書いたかも知れないがインド放浪・滞在歴のべ48ヶ月という人間で、あのインド生活のあれやこれやのストレスに比べたら、現在の東京での落ち着いた暮らしは天国のように安楽とも言えるだろう。

そこで思い付いたのだが、実は、本ブログのこの『脳と心とブッダの悟り』という知的探求のプロセスそのものが、私の心身にとってとてつもないストレスではなかったか、という視点だ。

何しろ私は、ひとたび夢中になると時間を忘れて没頭するタイプだ。以前、ブロガー版『脳と心とブッダの悟り・苦行者シッダールタの日常風景』の中で、頭蓋内部の “車輪構造” の発見について以下のように記述している(この投稿はこちらに移転済み)

「これまでに紹介した解剖学的画像は、ネット上で『大脳 頭蓋骨 Skull』 などのキーワードで検索し発見していった物だ。発見に至るまでに一体何枚の画像をチェックし、どれだけの時間を費やしたか自分でもよく覚えていない。

その不毛とも思える孤独な作業のさなか、「オレハイッタイナニヲシテイルノダロウ・・・」と、ほとんど「ワタシハドコ?ココハダレ?」的な、クラクラと眩暈がするような呆然自失に陥った瞬間も一度や二度ではない。しかし、大げさに言えば、この地道な作業の積み重ねこそが科学というものなのだ。

どんなに馬鹿らしく見える仮説でも、そこに真実の一条の光が差すと信じるならば、全力を挙げて検証に突き進む。この私の作業に興味を持っていただける方は、今しばらく脳と頭蓋骨の話におつきあい戴きたいと思う」

ひとつの仮説に想到しそれを検証するために、私は全精力を注いでネットを渉猟し文献を読み漁っていく。その忘我の集中力とそこで消費されるエナジーは、東大一直線のお受験ママに尻を引っぱたかれて勉学に励む受験生に勝るとも劣らない?ものがあったかも知れない。

自分の健康・体力を過信して、しばしば徹夜も辞さないようなその勤勉と精進(エクストリームなエナジーの集中)は、私の心身にとってどれほどのストレスになっていたことだろうか。しかもそれを母の介護と並行両立して行っていた訳だから、やはり思っていた以上に負担は大きかったのかも知れない。

そして、その『学』へののめり込みが強まれば強まるほど、瞑想実践つまり『行』からは遠ざかってしまう。実際にここ数年間の私は、一時的・実験的な検証として暫時集中して様々な瞑想メソッドの試行を繰り返す事はあったものの、それが安定した定として軌道に乗ることは全くなかった。

私にとってこの論理的な探求とは、正にブッダの悟り』という超巨大な “詰め碁” を解き明かすエキサイティングなチャレンジなので、その面白さにはまってしまっていては、『意官の法を厭離する』などということは原理的に不可能だったのだ。

逆に実験的に瞑想してある程度それが深まると、その時点で温めていた仮説についての洞察が唐突に、文字通り天から降ってくるように脳内にやってきて、それを逃してなるまいと瞑想中もメモ帳を膝元に置いているような始末だったのだから、何をかいわんや、である。

夜寝る前の瞑想中にそのような閃きに襲われた時には、メモを取って後で調べる、などという『間』さえも待ち切れずに、すぐさま机に向かってパソコンを開いて、ネット検索に没頭し、気がつけば夜も白々と明けてきた、などという経験も一度や二度ではなかった。

知的な探求ばかりではなく、時に私は沙門シッダールタを追体験する為に、自分の心身をサンプルとしたある種過激な人体実験も行っていたので、それがストレスとなった可能性も否定できない。

なんともエクストリームな話だが、そのような不節制な生活の中で中途半端な瞑想を繰り返しても決して真の意味で定が深まり、ニッバーナ(究極の安らぎ)に至ることはないのだ。

しかし、そのようなエクストリームな精進があって初めて、これまでの本ブログ上の考究の軌跡がありえたのもまた事実だろう。

ある意味、今回の気胸発症は、「そろそろ、知的探求などという終わりのない迷宮におさらばして、瞑想実践に専念しなさいよ」という天からの警告?と受け止めるべきなのかも知れない。

今回この突発性(原発性)自然気胸に見舞われて、救急車で運ばれてのべ約3週間の病院暮らしを強いられ、あまつさえ外科(内視鏡)手術をも体験させられたのだが、実はこの自然気胸という病気、私が直前までテーマとして常に念頭に置いていた、あの “Kha” “呼吸” “体腔”といった概念を、文字通り “身をもって” 体験させられるものだったのだ。

自然気胸になった場合、レントゲンなどを撮って軽度だと診断されれば、なにもせずに安静にして自然治癒を待つのが一般的だ。

しかし私の場合は胸腔に漏れてたまった空気の圧によって右肺がほとんどつぶされて強度の呼吸不全になるという、かなりな重症だった。

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正面から見たCTスライス画像:右肺が真っ黒く完全につぶれている

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足元から見たCTスライス画像:黒い胸腔に空気がたまって右肺胞が完全につぶされている

救急車で最初に運ばれた病院では、この重度の病態を診て、右脇の下の肋骨の間を切開してドレイン管を挿管し、たまった空気を抜きながら肺胞が回復して膨らみ、そこに空いたパンク穴が自然治癒して塞がるのを待つという、保存療法を施された。

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正面から見たレントゲン画像:右胸腔に入ったドレイン管とかなり復活した右肺胞

しかし、その状態で10日近くが過ぎても空気漏れが止まらず、CT画像でも肺胞が完全復活しなかったので、結局最初の病院からより高度な設備の整った病院へ転院して、そこで胸腔鏡手術を受ける事になった。

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正面から見たCTスライス画像:右肺胞がかなり復活しているが、まだ胸腔との間に黒い隙間がある

結局、手術が無事成功して気胸の穴が完全に塞がったのが確認されるまでの17日間、私の右胸には切開された穴と、そこに差し込まれたドレイン管が存在し続けた事になる。

肺胞に空いたパンク穴から空気が漏れていて、胸腔にたまった空気を排出するために胸腔内部にドレイン管(長さ20㎝くらい?)が差し込まれた状態って、想像できるだろうか?

考えてもみて欲しい。それがどんな状況かということを!

それは、ある意味、文字通り『胸に毒矢が刺さった状態』に近いものだった。

身体(胸腔)の内部に差し込まれたドレイン管によってたまった空気を引き出すために、その管の端は体外で接続されたビニール・チューブによって機械につながれている。

この機械は、呼吸による胸腔内部の気圧変動に即応する様な形で漏れた空気を引き出す、いわば負圧コンプレッサー(吸引機)の様なものを想像すればいいだろう。

そう、まったく当たり前の話だが、呼吸による内圧変動、と書いたように、私は肺胞が破れて胸にドレイン管を差し込まれた状態でも、通常通り呼吸している訳だ(!)。

漏れて溜まって肺胞を圧迫している空気を取り除くための管を胸腔に差し込んでいる。その意味ではこのドレイン管は毒矢とは間逆な『薬』とも言えるかも知れない。

けれど、いくら治療のためとは言いながら、ドレイン管は身体にとっては受け入れがたい異物であり、胸に開けられた挿管口は傷口に他ならない。

矢じりと毒がないというだけであって、物理的な状況は、まんま胸に矢柄が突き刺さった状況なのだった。

当然その異物感たるや半端なものではない。呼吸のたびにあるいは身体動作のたびにドレイン管が内部で動き、胸腔内壁や肺胞外膜に触れて、なんとも形容しがたい不快感や悪心に見舞われる。

もちろん、ドレイン管が突き刺さっている傷口における痛みも、痛み止めを飲んでいても、しばしば強烈に襲って来る。

その結果、私がどのような心理状態になったか分かるだろうか?

それはある意味、強制アナパナ・サティであり、強制カヤ・ヌパッサナであり、強制ヴェーダナー・ヌパッサナに他ならないものだったのだ。

このドレイン管挿管による保存療法というものは、基本的には一度チューブを差し込んで機械につないでしまえば、定期的に様子を見ているだけでほとんど治療らしい治療をすることもなく、ある意味「放置プレイ」され続けるものだ。

その間、肺胞の自然治癒を期するために基本的には絶対安静が求められる。今回私は、ショート・ステイにあずかってもらった老母の状態が心配だったので、何としてでもこの自然治癒で治したい、ということもあって、ほとんど何することもなく、寝たきりの生活を送っていた。

救急車を呼んだ時点で、明らかに『普通ではない』自覚があり、入院生活というものをある程度予想していたので幸か不幸かネット環境は持ってきていて、当然、ベッドの上で暇にあかせて気胸やその手術についての情報収集にいそしむ事になった。

今、幸か不幸かと書いたが、実際に、このネットの情報は不安を払拭するためにはありがたい側面と、逆に不安を助長する様な側面とを併せ持っていたのだ。

玉石混交の情報にさらされながら、ひたすらに時間を持て余して寝たきりの入院生活を送っていると、人間という生き物は様々なことを考え始める。

たとえば、ある時私は、自分の左腕に繋がれた点滴のチューブの中に、長さ数ミリほどもある気泡がいくつか断続的に並んで、少ずつ私の身体に近づいて行くのを発見してしまった。

とたんに私は、昔テレビの刑事ものかあるいは推理小説にでも出てきた、「空気注射をして心臓ポンプをスカスカの機能不全にして人を殺す」という話を思い出していた。

何しろ医学的な臨床の常識は全く持ち合わせていないど素人だから、これはひょっとして看護婦さんが大変なとんでもない未熟者で誤って気泡を混入させてしまって、それに気付かずにチューブをつないでしまったのではないか?などと不安が頸をもたげて来る。

(当初入院した町の総合病院は、職員も玉石混交で院長もキワモノ的なキャラだったw)

目の前のリアルとして、ひょっとして人を殺す力を持っているかも知れない気泡が、少しずつ少しずつ私の血管に近づいて行くのだから、もう頭の中ではジョーズのテーマ・ソングが鳴り響いている。

よっぽどナースコールを押して確認する誘惑に駆られたが、なんとか自制して、理性的に考えてみる。そんな簡単なミスを曲がりなりにもプロの看護師さんがそうそう容易に犯すはずはないだろう、と。

そこで、少しずつ移動していく気泡の列をチラチラ横目で見つつもYoutube動画などを見て気を紛らわしている内に、その気泡は何事もなく身体の内部血管に吸い込まれていって、私の心臓も何事もなく動き続ける訳だ。

そうだよなー、と安心しつつ、看護婦さんに冗談半分にして聞いてみると、なーにをおバカな、といった口調で「あれはよっぽど大量の、太い注射器一本分くらいの空気を意図的に注入しない限り、自然に吸収されて問題ないんだよ」と教えてくれた。

ナースコールなんてしなくて良かった~、と心の底から思ったものだ。

ある時は、体外に出たドレイン・チューブが機械に繋がれている、その透明ビニール・チューブの途中に溜まっている血漿液に目がとまった。

チューブは胸郭内部に繋がっているので、そこから呼吸の空気の動きに伴って血漿液が滲んで運ばれて来て、チューブが弓なりにたわんでいるその最下点に溜まっているのだ。

ぼーっと見ていると、呼吸のたびにこのチューブの中の血漿液が前後数センチの間で微妙に行ったり来たりしている。

この血漿液は、回復の度合いにしたがって鮮やかな血の色からだんだん薄いオレンジ色に変っていくらしく、その変化を見て治癒経過をチェックしたりと、重要な意味を持っているというのだが、ある時ふと思ったのだ。

この血漿液は、分かりやすく言えばマグロの赤身の浸出液の様なもので、いわば『生モノ』ではないか、と。

もうドレイン管を挿してから一週間にもなるが、この生モノである血漿液は常温にさらされて腐ったりしないのだろうか?そしてそこで発生した瘴気の様なものが、逆流して胸腔の内部に流れ込んで悪さをしたりはしないのだろうかと、じわじわとした不安に苛まれ始める。

何しろ気胸になってドレイン・チューブに繋がれるなんて人生はじめてのど素人だから(普通はそうだw)、一度気になるともう大変で、再びジョーズのテーマソングのボリュームがじわじわ上がって来る。

レントゲンの為に移動する時などは、看護師さんがこの機械をいろいろアレンジして動けるようにしてくれるのだが、結構ガサツな動きとかを目にするたびに、心臓がドキドキして来る。オイオイ、そんなことしてダイジョウブなのかい?!と。

「この不浄かも知れない浸出液が胸腔内部に逆流したりしたら、ヤバいんじゃないのか!?」と。

けれど、点滴の気泡の件もあるから、平静を装って、機会を見て優しそうな看護婦さんに聞いてみた。

すると、「このチューブ内部は構造的に無菌状態が保たれていて、問題はないんだよ」と優しく教えてくれるのだった。

もう、今となっては笑い話だが、一時期、私の病院での入院生活はほとんど『ホラーの館』であるかのような状態だった。

そうしてある時、ふと私は思ったのだ。

何故、私はこのように不安になるのだろうか?と。

それは “Kha” すなわち『傷口』『穴』『空処』『門戸』が身体の外に向けて開いてしまっているから、そこから悪しく不善のものが入り込んでしまわないかと心配するのではないか、と。

点滴を挿した傷口から、気泡が入り込まないかと、そしてドレイン・チューブが差し込まれたその穴から、黴菌が入り込まないかと。

つまり穴・門戸・傷口としての “Kha” が「開いてしまっている」からこそ、そこから悪しく不善のものが入り込まないかと心配になるのだと。

そして、唐突に私は理解した。

ひょっとして、ゴータマ・ブッダにとっては、人間として普通に五官六官の門戸を外界にむけて開いた、ただ普通に生きているその状態が、正に私が恐怖に震えていた、この状態に等しいのではなかったか、と。

その心配な状態が完全に解消されるためには、点滴針が抜かれ、ドレイン・チューブが抜かれ傷口が縫合され、完全に塞がれる必要があるだろう。

今現在、ありがたい事に私の体はそのような不安が完全に解消された健康な状態に戻っている。点滴針によって穿たれた穴も、ドレイン管によって穿たれた穴も、さらには肺胞に空いたパンク穴も、おかげさまで全て塞がり、防護がなされている。もはや不安は全くない。

同じようにして、ゴータマ・ブッダ五官・六官の門戸という悪しき不全のものが入り込む『Kha(傷口)』をなんとか塞ごうとしたのではなかっただろうか。

その方法論こそが五官・六官の防護であり、すなわちブッダの瞑想法ではなかっただろうか。

考えてみれば、私が今回の投稿で気胸について説明する時に出てきた専門用語、すなわち『肺胞』『肺胞に空いた穴』『胸腔』『ドレイン管』『管を挿すための切開孔』『点滴チューブ』『針穴』などの言葉は、あるひとつの共通項によって貫かれていて、それこそが正に “Kha=体腔” であるところの『身体』であり、身体に開けられた “Kha=開口部” だった。

その “Kha”と身体を徹底的に見つめ続け観じ続けざるを得なかったこの約三週間の入院生活によって、本ブログの知的探求はある意味、強制的に体験的実感を伴う事を強いられてしまったのだ。

正に痛烈なまでの仏教学実習!?

この三週間の入院生活は、私にとって大変不本意な不安と苦痛に満ちた “苦行” 以外の何物でもなかった訳だが、しかし、この苦行の最中にあって初めて、理解しうる事柄、というものもまたあるのだった。

先に気胸の原因として、様々な心身上のストレスというものを引用したが、もうひとつ、これはきわめて個人的な感触だが、その原因と考えられるものとして不自然な身体の姿勢、というものを今私は考えている。

何しろ三週間にわたってひたすら呼吸に伴う様々な感覚の変化に注意を凝らしていた結果、私の意識において、いわば身体の内部感覚というものがとても鋭敏になっている。

その状態にあって初めて理解できるのだが、このブログ製作過程で、こうやってパソコンに向かってキーボードを叩いていたりネットで調べものをしている時、また寛いでパーリ経典本を読んだり、あるいはただソファーに座ってテレビを見ている時、日常的に多くの時間、私は大変不自然で肺を圧迫して呼吸動作を妨げるような歪んだ姿勢を強い続けていたのだ。

この瞬間も少し前かがみに猫背になってモニター画面にのめり込むような姿勢になり始めると、瞬時に私には肺胞のアラームが聞こえて来る。

「おいおい、今すっげー苦しいんだけど」というクレームの叫びが。

そうして、あれこれ試行錯誤を繰り返した末に、肺胞にとって最も安楽で快適に呼吸できる姿勢というものに気がついたのだった。

いったいそれは何だっただろうか?

それが実は『結跏趺坐(半跏趺坐)』の姿勢だった。

今私は、体感的には両鼻腔から気道そして肺胞に至る呼吸の通り道が、あたかも道幅拡張工事をされた後のように広々と広がって空気の流れが速やかに鮮やかになったかのように感じている。

そしてそれは特に、結跏趺坐(半跏趺坐)して腰骨を入れて背筋を伸ばして坐り、静かに腹式呼吸している時に顕著になる。

肺胞の穴やドレイン・チューブに煩わされる事なく、ただ呼吸をする(できる)という事がこれほどの安楽であったのか!と思わずには居られない。このまま完治してくれて、災い転じて福となす、という結果オーライになってしまえば、大変ありがたいのだが。

書き忘れたが、気胸という病は大変再発率が高いという。特に若い人の場合、という事なので私は該当せず、また再発率を下げるカバーリングという処置もやってくれたようなので確率的には低いはずだが、退院して二週間ほどだからまだまだ安心はできないだろう。

実は本ブログの執筆自体たいへん根を詰めた作業で、一本の記事を書くために多い時では5~6時間ぶっ通しの仕事になることもある。もちろん、その間の姿勢の悪さと肺胞への負担も今思えばとてつもないストレスそのものだっただろう。

という事で、完全に静養期間が終わるまでは、しばらくの間ブログ記事の更新間隔はかなり間遠になることをお断りしておく。

せっかく坐法の気持ちよさに目覚めたので、これから習慣的に瞑想実践を深めていければいいのだが、これが入院期間中にいろいろと新たな発見もあったので、やっぱり、この知的探求の作業は(良い姿勢を意識的に保ちながらも)止められないのかな~と、自分の業の深さに呆れている今日この頃なのだった。

 

(上の記事内容はYahooブログ「脳と心とブッダの覚り」2015/12/23「気胸体験と“Kha”の恐怖」に若干の修正をほどこして移転したものです)

 

~~以上、移転記事終わり~~

 

2020年3月現在の後記

この気胸体験は四年ちょっと前の出来事だが、今でも鮮明にその細部の状況を覚えている。新型コロナの脅威に現在進行形でさらされている日本人にとっては、この「“Kha” の恐怖」というものの切実さ、というものが、多少なりともリアルに感じられるのではないだろうか。

投稿文中では、その構成上「“Kha” が塞がれた今、不安は全くない」と書いたが、実際は手術の直後から半年程度は周期的に呼吸にまつわる様々な不調・違和感に悩まされていた。

しかしそれもその後落ち着き、2018年後半には再びインドに旅立つことができるまでに回復できたのだった。

(この間、介護していた母を2017年末に看取っている)

しかし、どうも完全な健康体とまではいかなかったようで、2019年初頭、西ベンガルのバウル・アシュラム滞在時に再び不調に見舞われる事となった。

ほぼ一か月アシュラムには滞在したのだが、その後半にひとつの歌をいただいて毎日数時間ぶっ続けに歌い続けた結果、何やら呼吸(換気)不全が再発して、帰国直前には眩暈や息切れ、悪心に襲われて病院に駆け込んだところ、血中酸素濃度が低下している事が判明した。

(このバウルの歌の修行とは、もちろん本ブログで言及した「歌詠瞑想」の実践という意味合いもあった)

私は学生時代に素潜りダイビングに熱中した経験があり、当時はプールで25mの潜水も余裕でこなせる肺活量があったので、気胸は完治している、と言う前提でまたしてもエクストリームな方向に無理をし過ぎてしまったようだ。

この時は結局、肺胞のパンク穴再発にまでは至っておらず、飛行機にも無事搭乗出来て何とか帰国したのだが、未だに少し激しい運動をすると息苦しさや悪心を感じる事があり、やはり何かしら問題を抱えているのは間違いないだろう。

しかし病院に行ってレントゲン等を撮っても、呼吸器に気胸その他の所見は確認できずに不定愁訴の類として扱われる始末で、何とも中途半端な落ち着かない状態に置かれている。

元々私は、母を看取り終えたらミャンマーの瞑想寺に入って一定期間集中したリトリートに入る心づもりでいて、その準備段階という意味もあってYahooブログ版「瞑想実践の科学」シリーズのパーリ経典学習を行っていたので、もう余計な事は何もせずに寺に入ってしまえ、という事なのかも知れないが…

しかし前にも書いたが、私の中では、あのロヒンギャの人々を襲撃・虐殺・追放して、未だその事に全く反省悔悟の姿勢を表さないミャンマー仏教徒のメンタリティーと言うものがどうしても許容できない部分があって、大なる躊躇いと共にグダグダと宙ぶらりんの状態で、この移転作業を行っている今日この頃なのだった。

結局のところ、場所がミャンマーでなくとも本人の決意次第でどこであろうがリトリートはできる筈で、いずれどこかでけじめをつけようとは思っているのだが、私は寺院あるいは『行場』と言うものが持つバイブレーション、そして何よりも『師』が持つ『気』にシンクロ共鳴して集中力が高まるタイプなので、やっぱり修行するなら寺がいい。

そして、あれほど勉強したパーリ経典とそれを護持して来たテーラワーダに対する思い入れはやはり深く、パーリ経典のチャンティングが(する事も聴く事も)本当に好きな事もあり、同じ「寺」ならできればテーラワーダ系の瞑想寺院が絶対いい、と言う思いは捨て切れず、中々に堂々巡りから抜け出せないと言う… 

そうこうしている間に新型コロナ禍が勃発してしまい、どちらにしても現状、この騒ぎが落ち着かなければ海外に行く事さえままならなくなって、当分は全ての『決断』を先送りして、本ブログの投稿作業に専念していくしか仕様がないだろう。

実はYahooブログの閉鎖に伴ってこの移転作業をしている内に段々と面白さがぶり返してきて、以前ほどの熱量ではないが、新しい書籍や文献資料を漁り始めている。

それによって新たな視程が開けて来たりと、この探求の奥深さを痛感しており、まだまだ「区切りの良い所」に至るまでの道は遠い。

現在、旧Yahooブログからの移転は9割がた既に終わっているので、これから先は新たな記事作成に比重が移り、それなりに投稿間隔は間遠になっていくかと思う。

 

 


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『外なる悪しき祭祀』とマーラ、『内なる善き祭祀』とブラフマー《30》

『祭祀の内部化』という前回までに取り上げたテーマは、ブッダの瞑想法とそれに至る沙門シッダールタの内的遍歴を考える上で極めて重要な意味を持つものなので、繰り返しを恐れずに念を押していきたい。

バラモン教とは祭祀の宗教だった。

その祭祀とは、第一には『火の祭祀』であり、第二にはその火に捧げる『供犠の祭祀』であり、第三にはそれら火の犠牲祭と共にある『賛歌詠唱の祭祀』だ。

このような祭祀の万能性を主張したバラモン祭官たちは、自らを神をも超える超越的な力を持つ『神人』と標榜し、人々の願いの実現はおろか、大地や星宿の運行すら支配する力を持つと慢心していた。

そうして、そのような祭祀の絶対的な万能性を信じさせられたからこそ、王侯貴族をはじめとした多くの人々が大枚を布施して、自らの請願を成就するために、バラモン祭官たちに祭祀を委託したのだ。

その請願とは五穀豊穣やら家内安全、商売繁盛やら良縁やら子宝の獲得、さらには来世における幸福からついには『輪廻からの解脱』に至るまで、あらゆるレベルにわたっていた事だろう。

そのようなバラモンの祭祀が、しばしば多くの(特に牛の)動物供犠の死を伴っていたことは、パーリ仏典などを見れば明らかだ。

スッタニパータ 第二 小なる章

師(ブッダ)は次のことを告げた。──

284 昔の仙人たちは自己をつつしむ苦行者であった。かれらは五種の欲望の対象をすてて、自己の(真実の)義を行った。

285 バラモンたちには家畜もなかったし、黄金もなかったし、穀物もなかった。しかしかれらはヴェーダ読誦を財産ともなし穀物ともなし、ブラフマンの倉を守っていた。

286 かれらのために調理せられ家の戸口に置かれた食物、すなわち信仰心をこめて調理せられた食物を求める(バラモン)に与えようと、かれら(信徒)は考えていた。

287 種々に美しく染めた衣服や臥床や住居を豊かに所有して栄えていた地方や国々の人々は、すべてバラモンたちを敬礼した。

288 バラモンたちは法によって守られていたので、かれらを殺してはならず、うち勝ってもならなかった。かれらが家々の戸口に立つのを、なんびとも妨げなかった。

289 かれら昔のバラモンたちは四十八年間、童貞の清浄行を行った。知と行とを求めていたのであった。

290 バラモンたちは他の(カーストの)女を娶らなかった。かれらはまたその妻を買うこともなかった。ただ相愛して同棲し、相和合して楽しんでいたのであった。

291 (同棲して楽しんだのではあるけども)、バラモンたちは、(妻に近づき得る)時を除いて月経のために遠ざかったときは、その間は決して婬欲の交わりを行わなかった。

292 かれらは、不婬の行と戒律正直温順苦行柔和不傷害耐え忍びとをほめたたえた。

293 かれらのうちで勇猛堅固であった最上のバラモンは、実に婬欲の交わりを夢に見ることさえもなかった

294 この世における聡明な性の或る人々は、かれの行いにならいつつ、不婬戒律耐え忍びとをほめたたえた。

295:米と臥具と衣服とバターと油を乞い、法に従って集め、それによって祭祀をととのえ行った。かれらは祭祀を行う時にも決して牛を殺さなかった

296:母や父や兄弟やまた他の親族の様に、牛はわれらの最上の友である。牛からは薬が生ずる。

297:それら(牛から生じた薬)は食料となり、気力を与え、皮膚に光沢を与え、また楽しみを与える。(牛に)このような利益のあることを知って、かれらは牛を決して殺さなかった

298 バラモンたちは、手足が優美で、身体が大きく、容色端麗で、名声あり、自分のつとめに従って、為すべきことを為し、為してはならぬことは為さないということに熱心に努力した。かれらが世の中にいた間は、この世の人々は栄えて幸福であった

299 しかるにかれらに顛倒した見解が起こった。順次に王者の栄華と化粧盛装した女人を見るにしたがって、

300 また駿馬をつけた立派な車、美しく彩られた縫物、種々に区画され部分ごとにほど良くつくられた邸宅や住居を見て、

301 バラモンたちは、牛の群が栄え、美女の群を擁するすばらしい人間の楽しみを得たいと熱望した

302 そこでかれらはヴェーダの呪文を編纂して、かの甘蔗王のもとに赴いていった、「あなたは財宝も穀物も豊かである。祭祀を行いなさい。あなたの富は多い。祭祀を行いなさい。あなたの財産は多い」

303 そこで戦車兵の主である王は、バラモンたちに勧められて、──馬の祀り、人間の祀り、擲棒の祀り、ヴァージャペッヤの祀り、誰にでも供養する祀り、──これらの祀りを行なって、バラモンたちに財を与えた。

304 牛、臥具、衣服、盛装化粧した女人、またよく造られた駿馬に牽かせる車、美しく彩られた縫物──、

305 部分ごとによく区画されている美事な邸宅に種々の穀物をみたして、(これらの)財をバラモンたちに与えた。

306 そこでかれらは財を得たのであるが、さらにそれを蓄積することを願った。かれらは欲に溺れて、さらに欲念が増長した。そこでかれらはヴェーダの呪文を編纂して、再び甘蔗王に近づいた。

307 「水と地と黄金と財と穀物とが生命あるひとびとの用具であるように、牛は人々の用具である。祭祀を行いなさい。あなたの富は多い。祭祀を行いなさい。あなたの財産は多い」

308 そこで戦車兵の主である王は、バラモンたちに勧められて、幾百千の多くの牛を犠牲のために屠らせた

309 脚を以ても、何によっても決して(他のものを)害うことがない牛は、羊に等しく柔和で、瓶をみたすほど乳を搾らせる。しかるに王は、角をとらえて、刃を以てこれを屠らせた

310 刃が牛に落ちるや、そのとき神々と祖霊と帝釈天と阿修羅と羅刹とは、「不法なことだ!」と叫んだ。

311 昔は、欲と飢えと老いという三つの病いがあっただけであった。ところが諸々の家畜を祀りのために殺したので九十八種の病いが起った

312 このように(殺害の)武器を不法に下すということは、昔から行われて、今に伝わったという。何ら害のない(牛が)殺される。祭祀を行う人は理法に背いているのである。

313 このように昔からのこのつまらぬ風俗は、識者の非難するものである。人はこのようなことを見るごとに、祭祀実行者を非難する。

314 このように法が廃れたときに、隷民(シュードラ)と庶民(ヴァイシヤ)との両者が分裂し、また諸々の王族がひろく分裂して仲たがいし、妻はその夫を蔑むようになった。

315 王族も、梵天の親族(バラモン)も、並びに種姓(の制度)によって守られている他の人々も、生れに関する言葉を捨てて、欲望に支配されるに至った、と。

以上、中村元訳、岩波文庫P55~より引用

これらの詩文を見てみると、制戒と禁欲を守るバラモンが正しい祭祀を行っていた時代には、人の世も(神々の恩寵によって)幸せに包まれていたが、バラモンたちが欲に駆られて、動物供犠という神々も不法と叫ぶ悪しき祭祀にふけっている現在は、様々な災厄に見舞われている、と読み取ることができる。

(しかし、そこにみられる‟牛愛” 的心象の、なんと「ヒンドゥ的」である事か!)

この事実は何気なくスルーされてしまいそうだが、極めて重要な意味を持っている。

何故なら、これは「正しい祭祀が行われる事によって、世界に幸福がもたらされる」という事であり、対置的に、「間違った悪しき祭祀が行われる事によって、世界に害悪がもたらされる」という『祭祀を中心文法とした呪術的世界観』以外の何物でもないからだ。

ここでブッダは、明らかに祭祀が持つ『呪の力』、その存在自体を認めている。

と同時に、「正しい祭祀を行っていたいにしえのバラモン」と、「現在進行形で苦行や耐え忍びや禁欲を実践しているブッダ自身と比丘サンガ」を重ね合わせている。

つまり、いわゆる祭祀万能のバラモン教がその祭祀行為によって「世界の経綸全てを動かしている」と豪語していた、その「祭祀が世界や人間の運命を支配している」という因果関係を全く認めた上で、

「でもあなた方の祭祀は間違った悪しき祭祀だから、その『悪しき威力』によって世界にあらゆる不幸がもたらされているのだ」

と非難している事になる。

ここで重要なのは次の詩節だ。

310 刃が牛に落ちるや、そのとき神々と祖霊と帝釈天と阿修羅と羅刹とは、「不法なことだ!」と叫んだ

この「神々と祖霊と帝釈天と阿修羅と羅刹」は決して祭祀を見物しながらヤジを飛ばしている無責任な『部外者』ではなく、祭祀を受ける『関係当事者』という切実な立場からクレームを付けている、という点を見逃すべきではない。

彼らはいわゆる『天界』の住人であり、地上の人間が祭祀を捧げて喜ばせるべき対象に当たるからだ。

(阿修羅や羅刹は本来『善神』からは程遠い『闘争のイメージ』だが、その様な神ですら怒る、という事だろうか)

その天部神々が「不法な事だ!」と怒り叫んだという事実は、「彼らはその祭祀によって喜んでいない」事を意味している。祭祀の目的とは神々を喜ばせてそのリターンとして人間や世界の幸福を期待するものなのだから、彼らを喜ばせる事が出来ない祭祀は失敗した祭祀であり、悪しき間違った祭祀と断ぜられるべきだろう。

では、その悪しき祭祀によって世界に不幸が蔓延する、というのは、喜ばせてもらえなかった神々の『怒り』の結果なのだろうか。

この辺りがインド教の複雑な所なのだが、恐らくそうではない。

汎インド教的な文脈としては、

善き祭祀によって善神が喜びその力を増し、その結果として世界に善き威力(果報)=puññaがもたらされる」

という論理と、

悪しき祭祀によって悪神が喜びその力を増し、その結果として悪しき威力(果報)=pāpaがもたらされる」

という論理が、対置されているのだ。

つまり、善き神々が「不法な事だ!」と非難するような「悪しき祭祀」によって、『悪神』が喜び力を増し(善神は逆に衰え)、その結果、人間と世界にあらゆる災いがもたらされる。

仏教の文脈におけるこの「悪神」こそが『マーラ(悪魔)』に他ならない。

この『マーラ(悪魔)』に関しては、以前の投稿で詳細に論じている。

祭祀とは超越的な威力を持つ神々をその式次第によって喜ばせて、その返礼(恩寵)として善き果報がもたらされる事を期待するものであり、もし悪しき祭祀の結果、世界に悪しき影響が降りるのならば、そこには悪しき祭祀を捧げられて喜び、返礼として悪しき果報をもたらす『悪しき威力』が想定されなければならない。

もしそんな者がいるとしたら、それは悪法である悪しき祭祀を喜び、悪徳を喜び、それによって威力を増し、ますます世界を悪に染め上げて破滅に導いていく、全き悪魔のような神格だろう(イメージとしてはデヴィルやデーモン)。

そしてもちろん、パーリ経典にはそのような『悪の権化』が登場している。それこそがパーピマントナムチ、あるいはマーラカンハ(黒魔)と呼ばれる『悪魔』たちに他ならない。

『四梵住』とブラフマ・チャリヤ【後編】 - 仏道修行のゼロポイントより

これは最も重要な点なのだが、プラーナや叙事詩などの神話を見ると、善なる神々と言うものは、基本的には主体的(能動的)影響力をこの現象世界に対しては持っておらず、ひとえに人間によって執り行われる祭祀や苦行などによってはじめて、『受動的に』その力を増し、この現象世界に威力を発揮できる、と言う事らしいのだ。

この点は悪神についてもまたしかり。つまり、天界には善神と悪神が常に拮抗・対立関係にあって張り合っているが、それらの勢力図の均衡は、多分に人間が執り行う祭祀や苦行などの効力にかかっている。

人間が善き祭祀をすれば、善神がその力を増長させ、善なる力を行使して、世界は幸せになる。しかし逆に間違った悪しき祭祀をすれば、悪神がそれを喜びその力を増長させ、世界に不幸をもたらすのだ。

このようなインド教世界における善神と悪神の対立・拮抗構造と、そこで占める『祭祀』行為が持つ必須的役割を理解して初めて、仏典の中の『様々な文脈』が持つその『真意』というものが明らかになる。

具体的には、それは仏典においてしばしば登場する、梵天を最上首とした神々と『悪魔』との関係性、及びそれぞれの『存在意義』だ。

それはブッダが悟りを開く前後における、悪魔と梵天神の登場の仕方とその『役割』の中に典型的に現れている、それぞれの『立ち位置』の対称性を以下に見て行こう。

悪魔 vs 梵天:「不死の門は開かれた!」- 仏道修行のゼロポイントより

古代インドにおける善悪の神々とは、基本的に人間が営む『祭祀』によってその力を『チャージ』される存在である、と言ったら分かり易いだろうか。

悪神は悪しき祭祀の悪しき力によってエネルギーをチャージされ、善神は善き祭祀の善き力によってそのエネルギーをチャージされるのだ。

このような祭祀と神々との関係性は、仏典におけるマーラ(悪魔)と梵天の立ち位置にも象徴的に反映しているだろう。

沙門シッダールタが現在のブッダガヤ、ネーランジャラー河の畔で苦行に専念していた時に現われた悪魔(ナムチ)は、彼にこう囁いている。

428 あなたがヴェーダ学生としての清らかな行いをなし、聖火に供物をささげてこそ、多くの功徳を積むことができる。(苦行に)つとめはげんだところで、何になろう。

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫) 中村元訳 より

ここで『悪魔』は、明らかにブッダが批判して已まなかった既存のバラモン祭祀の側に立って、それを擁護し、沙門シッダールタに苦行の中止を唆している。

これは、後のブッダの立ち位置から見れば、この『悪魔』はバラモンの悪しき祭祀によって力を増す悪神そのものであり、だからこそ、「善き代替祭祀」を模索し真実の祭祀法に辿り着かんとしているシッダールタの挑戦を阻もうとしているのだ。

(仏典においてマーラが六欲を「私の領域」と言い、バラモンが「欲に溺れた」と非難されている事が、正に両者のセット構造を明示している)

何故なら、沙門シッダールタによって『善き真の(内なる)祭祀』が発見確立されてしまって、その『善き祭祀』が世間の主流になってしまえば、自らの存在基盤である「悪しき祭祀による悪しき力」が、衰退してしまうからだ。

一方で、その後苦行を捨て菩提樹下で悟りを開いたブッダがその真理に関して開教を躊躇った時には、梵天ブラフマー神が登場して、以下のようなやり取りをしている。

サンユッタ・ニカーヤ 第Ⅵ篇 梵天に関する集成

第一章:第一節 「懇請」

4:(そして次の素晴らしい詩句が尊師の心に浮かんだ)

「苦労してわたしが覚り得た事を、今説く必要があろうか。貪りと憎しみにとりつかれた人々が、この真理を覚る事は容易ではない。これは世の流れに逆らい、微妙であり、深遠で見がたく、微細であるから、欲を貪り闇黒に覆われた人々には見る事ができないのだ」と。 

ブッダがこのように省察し、開教しない方向に心が傾いた時、)

6:(世界の主・梵天ブッダ心を心によって知り、こう思った)

ああ、この世は滅びる。ああ、この世は消滅する。実に修行を完成した人・尊敬さるべき人・正しく覚った人の心が、何もしたくないという気持ちに傾いて、説法しようとは思われないのだ!」

(そして梵天界からブッダの前に姿を現して、)

8:ブッダに対して合掌・礼拝して言った)

尊い方!尊師は教え(真理=ダンマ)をお説きください。幸ある人は教えをお説きください。この世には生まれつき汚れの少ない人々がおります。かれらは教えを聞かなければ退歩しますが、聞けば真理を覚る者となりましょう」と。

9:(そして続けて次のように説いた)

汚れある者どもの考えた不浄な教えがかつてマガダ国に出現しました。

願わくばこの不死の門を開け。無垢なる者の覚った法を聞け。~以下略」

ブッダ悪魔との対話(岩波文庫) 中村元訳 P84~ 梵天に関する集成より

ここで梵天は、ブッダが「真理の教え」その開教をしなければ、何故「この世は滅びる。この世は消滅する」と言い得るのか。それは

正しい祭祀によって初めて、正しい世界の運行が成り立つ

からだ。

(このような『祭祀』という基本文法が、『業』や『縁起』という基本文法に替わっていくプロセスこそが、仏教的な論学の発展史に他ならない。ブッダ在世の時代は、未だ祭祀と言う基本文法のただ中にあった)

この梵天は、(後のブッダが言っているように)既存のバラモン祭官が執り行っている祭祀は「汚れある者どもの考えた不浄な教え」つまり『悪しき祭祀』であると考え、このままこの悪しき祭祀が続けば、マーラなど悪神が力を増してこの世界の善秩序が崩壊し、遂には滅亡してしまうと恐れている。

もちろんこれらの物語は、全てブッダあるいは滅後の仏教サンガが、梵天をしてこのように語らしめている訳だが、そこには一貫した文脈が明らかに存在している。

つまり、「ブッダが覚った真理の法」とは、ほぼイコールで「真の善なる祭祀法」であり、その「正しい祭祀」が「悪しき祭祀」に取って代わる事で、世界の善秩序が『回復』される、という流れだ。

この流れは、先に論じている、

「制戒と禁欲を守るバラモンが正しい祭祀を行っていた時代には、人の世も(神々の恩寵によって)幸せに包まれていたが、バラモンたちが欲に駆られて、動物供犠という神々も不法と叫ぶ悪しき祭祀にふけっている現在は、様々な災厄に見舞われている」

という文脈と全く合致しており、ここで言う「悪しき祭祀の結果としての災厄」を払拭し、世界の善秩序が回復される事を、梵天ブッダに対して嘱望しているのだ。

ここで梵天は「不死の門を開け」と懇請し、ブッダはこれを受諾し「不死の門は開かれた」と開教宣言する。

この『不死』とはもちろん、ウパニシャッド的な「不死なるブラフマン」の不死でもあるし、同時に仏教的な文脈での『不死』でもある。だからこそ梵天は自らの不死の真理がブッダによって説かれる事を願って、懇請しているのだ。

この前後の消息に関しては、以前下のように書いている(若干の加筆修正含む)。

昔からバラモン祭官によって祭祀は独占されていたのだが、彼らが善き祭祀を執り行っている間は、世界は善神の威力・功徳によって幸福に安定していたのである。世俗世界における『欲望』もまたバランスを保っており、世界の運行をかき乱すものでは無かった。

しかし、バラモン祭官たちが欲望に駆られ悪しき祭祀である殺戮の動物供犠を開始し推進した結果、悪神であるナムチ・マーラ・パーピマント達がその『悪しき力(Pāpmāの威力)』を増長させ、世界は不幸と混乱に陥る羽目となった。

そこに登場したのが、不死なるブラフマンの解脱境をこの世において体現した(Brahma-sama)ゴータマ・ブッダであった。この『この世において』という点が極めて重要な意味を持っている。

先に説明した様に、絶対者ブラフマンはこの現象世界の創造者でありその背後に『内在』している者とも考えられたが、実はこの現象世界の『圏外』に位置する『不死なる解脱界』を体現する者であって、ある種『実践的』には、彼ひとりでは直接この世界に働きかける事は出来ない

つまり、悪しきバラモン祭官が執行する悪しき祭祀によって『悪魔』たちが力を増長させてこの世界を悪しく堕としていったとしても、彼ブラフマン自身は『絶対者』でありながら為す術がない(この辺りはサーンキャ思想の『プルシャ』に全く相同でありそれの原像に相当するか)

繰り返すが、彼は相対を離れた『絶対者』ではあるけれども、キリスト教の神の様な『全能なる絶対的な支配者』として現象世界を統べている訳ではないからだ。

では、彼・絶対者(or創造者)ブラフマン神は、悪しきバラモンの悪しき祭祀(悪法)によって悪魔たちが増長し、(彼の創造した)世界が生きながらの地獄を体現するかのように悪しく堕とされて行くのをみすみす指を加えて座視するのみなのだろうか(その『世界』とは、かつて、彼の被造物であり『彼自身』とも言われたのに!)

この窮地に、正に「この現象世界の中」『救世主』として登場した者こそが、覚者ゴータマ・ブッダだった。彼はブラフマンの解脱境に至った者であり、現象世界に生きながらブラフマンに成った(Brahma-bhuta)者であり、ブラフマンに等しい(Brahma-sama)者であった。

つまり彼は、正に現世において生きながら解脱したというその『両界性』あるいは『両義性』によって、ブラフマンの解脱界と輪廻する現象世界という本来は完全に隔絶した二つの世界の、その『隔絶』を乗り越えて『交通』する能力を獲得した事になる。

その様な生きながら解脱した『ブラフマンの覚知者・体現者』を通じてのみ、ブラフマン神はこの世界と交通する事が出来、その威力を行使する事ができ、その請願を満たす事ができる、という一点において、ゴータマ・ブッダブラフマン神にとって、希望の星となったのだ。

悪魔 vs 梵天:「不死の門は開かれた!」- 仏道修行のゼロポイントより

上で梵天ブラフマーについて「創造神」と語っているのは、あくまでも沙門シッダールタの時代前後において、一般的にブラフマー神が担っていたイメージについて言っているのであって、後の仏教思想ではブッダの絶対視と反比例する様に、この「梵天神の創造者性」というものは否定されていく。

その背後にはもちろん、仏教的な真理である「一切世界は無常・苦・無我」があった。端的に言えば、「常なるブラフマンが創った世界ならば、それもまた常の筈だが、実際はそうではない」という事だ。

それはともかく、どちらにしてもここで梵天神はおそらく「善神の筆頭者」として捉えられているのだろう。彼はこの「懇請」エピソードにおいて、明らかに「善き世界秩序の存続」を熱望している。

その『世界秩序』の中心にあるのはもちろん『祭祀』だ。

そして、梵天ブラフマンの真理に目覚めたブッダが先導する『至高の内なる祭祀』をもって初めて、「善神の筆頭者」たる梵天ブラフマーとつながり、彼にチャージし、その威力を神々から地上世界に降ろす事ができる、という流れだ。

(このような梵天ブラフマーの『威力』もまた、ブッダの死後ほぼ消滅して『仏法』に取って代わられ、彼はブッダの単なる「引き立て役」になり下がり、あげく「輪廻の内」に落されてしまう)

沙門シッダールタの悟達を妨げようとしたマーラと、ブッダの開教を懇請した梵天ブラフマー神の立ち位置は、この世界の在り様を左右する、祭祀における悪法と善法の対置構造そのものと言っていいだろう。

もちろん、これらの文脈は、当時ブッダあるいは仏教サンガが世間に向けたセルフ・プレゼンテーションであり、営業トークと考えるべきではあるのだが、しかしサンガの成員自身がこのような文脈を信じていた可能性も高い。

以上の様に、ブッダをはじめとした比丘サマナたちのムーブメントとは、動物供犠祭を中心とした貪欲なバラモン教『悪しき祭祀』に対する強力なアンチテーゼであり、同時に梵天をその筆頭とする「善き神々に協賛された」ある種 ‟世直し” のための代替なる『新たな(正統復古の)正しい祭祀法』として、古代インド世界に展開していたと理解できるだろう。

動物供犠などという不法悪法に染まっている現今のバラモン祭官などよりも、古の正しく清らかなバラモンと同等の正しい道を歩む我らこそが真のバラモンであり、梵天はじめ善き神々に言祝がれ社会の幸福に資する、「真に供養されるべき聖祭官=真のバラモン」である、と。

現在ではバラモン・ヒンドゥ教という主流派に完全に取り込まれてしまっているが、いわゆる『ウパニシャッド』的な探求というものも、本来は比丘サマナのムーブメントと同じように、既存の形骸化しバブリーに肥大化したバラモン絶対・祭祀万能教に対する批判的な模索の中から生まれてきたのだと考えるべきだろう。

しかし、その批判とは『祭祀』という枠組み概念そのものの否定では更々なく、あくまでもその『内容』つまり「祭祀のやり方・方法論」こそが問われたのだ。

そこにおいてキーワードとなるのが、バラモン教的な『外的な祭祀』に対する『内部化された祭祀』であり、『欲』『無欲』であり、その核心には坐の瞑想行法があった、という点は、ここまでの論述によっておおよそ明らかになっていると思う。 

ブッダの時代前後のインド亜大陸ガンジス河流域において急速に発展した都市社会の情勢については、現代社会になぞらえて観ると分かり易いかも知れない。

18世紀中ごろに始まったイギリスの産業革命以降、化石燃料の消費量とそれに伴う二酸化炭素の排出量は幾何級数的に増大し、様々な汚染物質の排出と合わせて地球環境生態系に絶大なる圧迫を加えてきた。

そしてさらに『新時代』を詐称する『夢の原子力エネルギー』の登場によって、逆に地球の未来には更なる暗雲が立ち込めてきている。

これら、化石燃料原子力に象徴される『大量生産・大量消費』の社会システムに対するアンチテーゼとして、いわゆる自然エネルギーに基づいた持続可能な社会システムが模索され提示されつつある。

話はエネルギー問題だけではない。ファースト・フードに対する代替としてのスロー・フード。西洋医学に対する東洋医学。画一化した受験戦争に対する個性教育。1%のエスタブリッシュメント支配に対する99%の大衆の福利向上。などなど、玉石混交ながらも現代的な行き詰まりに対する様々なオルタナティブが多面的に模索されている。

このような社会的な変動に伴う様々な行き詰まりと、それに対する批判的考察と代替案の提示、という機運は、ある程度文明的に成熟した社会では、時代や地域を問わずしばしば内発的に勃興するものなのだ。

ブッダの時代前後にも、まさにこのような大変動があり、それに呼応した機運(ムーブメント)が巻き起こっていた。そしてその焦点になっていたのが社会の中心にあった『宗教』であり、きわめてインド的な『祭祀』だったのだ。

外的な動物犠牲を伴うバラモン祭祀に対するアンチテーゼであり、オルタナティブな『内部化された祭祀』としての比丘サマナの修行道。これこそが、シッダールタ王子が王城を抜け出して出家して以来、その死に至るまで貫徹した道だったと考えられる。

その背後には輪廻転生思想と悪趣の原動力としての悪業、その悪業の浄化とその結果としての『清浄』、更にその清浄の究極としての『ブラフマンの解脱』というパラダイムがあった。

ブラフマン存在を「浄不浄を超えた『至浄』「善悪を超えた『至善』として捉えると分かり易い)

繰り返すが、古ウパニシャッドに見られるように、ブラフマンの解脱境に至る道は、まず何よりも『祭祀』という文脈において模索され「内部化された」、という視点が重要だ。

そのような祭祀の内部化の過程で、バラモン祭祀に特徴的な『火』と『供犠』と『賛歌』という主要素も、それぞれの文脈に従って内部化されていった。

もちろんこれは、当時の古代インド的な社会通念としての捉え方であり、覚りを開いて以降のゴータマ・ブッダ自身がどのように「考えていた」のか、という点については、ここでは取りあえず問わない。

(輪廻や業の思想も、内なる祭祀と言う枠組みも、全ては「未だ覚っていない人々」に説き善導する為のブッダの『方便』に過ぎない、という可能性を私は否定しない)

しかしブッダになる以前の、同じゴータマさんでも未だ単なるいち沙門シッダールタだった時の『彼』は、正にこのような『外的なバラモン祭祀』に対する代替としての『内部化された火と供犠と賛歌の祭祀』という文脈の上に修行に専心していた事は、これまでの本ブログの記事内容の上に『祭祀の内部化』という概念を重ね合わせる事によって、自ずから明らかになるだろう。

以前に私は、沙門シッダールタが菩提樹下に禅定して覚りを開く ‟直前” まで邁進したと強調されている ‟三つの苦行” について取り上げ、詳細に検討している。

上のリンク・タイトルにある様に、その三つとは『歯と舌の行法』『止息の行法』そして『小食(断食)の行法』だった。これら三つの苦行について、これだけの回数を費やしてしつこく考察していたのには、それなりの理由があった事になる。

次回以降、これら三つの苦行が『内部化された祭祀』という視点からどのように把握されうるのかを、見ていきたい。

そこで最初に焦点になるのは、『内なる火の祭祀=タパス』 ‟Virya” すなわち エナジー のセットだ。それが外であれ内であれ、火の祭祀が行われるのならエナジー(燃料)は必須となる。

そしてこの "Virya" を起点として、『ブッダの瞑想法』そのメソッドの、精密な「プロット」その成り立ちが、ひとつのストーリーとして浮き彫りになって来る筈なのだが…

(本投稿はYahooブログ 2016/4/13「『外なる供犠祭』に対置する『内なる祭祀』」を加筆修正の上移転したものです)

 

 


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『至高の内なる祭祀法』としての比丘サマナの瞑想修行道《29》

ジャイナ教の開祖マハヴィーラなどに代表されるサマナ修道者が好んで行った苦行や、ブッダの瞑想行法が、バラモン教的な『外的祭祀』の代替となる『内部化された祭祀』だった、と前回までに書いた。

この点に関して、まずは典拠を示して、『内なる祭祀』というものが、具体的にどのような言葉で語られているのか、見てみたいと思う。

最初の参考文献は、山崎守一著 大蔵出版刊『沙門ブッダの成立』だ。この本はブッダが出家し修行した当時の北インドの宗教事情をよく捉えているもので、中でもジャイナ教の古文献を仏典と並行して引用し、そのディテールを際立たせている。

本書を入口に、様々なパーリ経典からの引用も絡めて、この『内部化された祭祀』という心象に迫っていきたい。

~以下、『沙門ブッダの成立』P86より引用~

 

再び、『ウッタラッジャーヤー〔ジャイナ教最古層の聖典〕』の第12章に戻ろう。第38詩節から章末の第47詩節までは、正しい祭祀とはどのようなものであるかを説いている。ここでは第44詩節までを取り上げる。

 

38.〔比丘は言った〕「バラモンたちよ、なぜ〔聖)火の世話をし、水によって外見の清浄を求めるのか。賢人たちは言う。『あなた方が求める外見の清浄正しい祭祀ではない』と。

39.朝夕にクシャ草、犠牲獣を繋ぐ柱、草、木、火、水に触れながら、生き物たちを傷つけつつ、愚かなあなた方は、再び罪を犯す」と。

 

祭祀を行うには聖火を灯し、水で周りのものを清めるのであるが、これは正しい祭祀とは認められないし、犠牲獣を捧げる行為は罪であって祭祀とは言えない、と断罪しているのである。

 

40.バラモンたちは言った〕「比丘よ、われわれはどのように祭るべきか。どのように悪業を追い払うべきか。夜叉によって供養された修行者よ、われわれに話してください。賢人は何を正しい祭祀と言うのか」と。

41.〔比丘は言った〕「六種の生類を傷つけないで、嘘をついたり、与えられないものをとったりしないで、財産、婦人たち、自負心、欺きを捨てて、人々は自制を実践すべきである。

42.五つの制御によって善く守られ、この世における生命を望まず、身体を捨てて、清らかで捨身の人たちは、偉大な勝利、最上の施物を得る」と。

 

六種の生類とは地身、水身、火身、風身、樹身、動身のことであるが、いわばすべての生き物を意味している。これら六生類を傷つけることを止め、自制に努め、勝者(修行の完成者)になることが、最上の施物を得ることになると説く。

さらに、この物語は真実の祭祀についての話に及んでいく。

 

43.バラモンたちは言った〕「あなたの〔聖〕火、火炉、柄杓、鞴(ふいご)は何ですか。比丘よ、あなたの燃料は何ですか。どのような献供をあなたは〔聖〕火に与えますか」と。

44.〔比丘は言った〕「苦行〔聖〕火であり、生命火炉である。精進柄杓であり、身体鞴(ふいご)である。燃料である。精進寂静聖仙によって称賛された献供として私は与える」と。

 

苦行を聖火、生命を火炉、精進を柄杓、身体を鞴、業を燃料といった具合に、バラモンの祭式に使用する用具を沙門の用語に個別に対比させ、献供は自制、精進、寂静に相当すると述べる。

このように、バラモンに対抗して彼らの祭祀を認めず、自制者として最高の勝者の境地を目指す修行者たち、すなわち沙門が存在していた事は事実である。

~以上、引用終わり~

この『沙門ブッダの成立』という書物全体が、非常に良質の論考になっていて、2500年前のブッダの時代前後の汎インド教的心象世界を活写しているのだが、ここではジャイナ教から見た沙門の生きざま、その修行実践を、バラモン祭官によって執り行われる従前の供儀祭に対比した上で、より勝れた真の聖なる祭祀実践として称揚している事実が浮き彫りになっている。

ただ著者の中では『祭祀の内部化』という視点は明確化はしていないようで、なんともまだるっこしいのだが、この『内部化された祭祀』という概念を採用する事によって、事態はより鮮明に把握される。

山崎さんはここで最後にバラモンに対抗して彼らの祭祀を認めず」以下の文脈ではある種『韜晦』した表現に終始しているが、38から44までの詩節を注意深く読み取れば、ここでジャイナ教の比丘は、

バラモンの悪しき祭祀は否定しているが、『祭祀』という営為概念の有効性それ自体は全く否定しておらず、それどころか自分たち比丘が行っている『苦行』『精進』する事、その結果として得られる『寂静』献供として捧げる事を、『真の正しい祭祀』と位置付けている。

事が明白だろう。

つまり、「自制者(比丘)として最高の勝者の境地を目指す出家修行」それ自体が、『真の(内なる)正しい祭祀』に他ならないのだ。

では、修道における自制と精進、及びその結果として得られる寂静の境地を、“献供”として捧げる、という時、それは一体、誰に対して捧げられるのか?

そもそも『祭祀』と言う営為は捧げる者(人間)とそれを嘉納する何者か(神々など超越者)のセットがあって初めて成立するのだから、これは、ある意味当たり前の「問い」なのだ。

その『何者か』とはいったい『誰』だったのだろうか?

この様な心象は特殊ジャイナ教における限定的なものだと捉えるべきではない、そう私は考えている。この「内なる正しい祭祀」としての『修行道』という文脈は、当時のインド世界に普遍的に共有されていた可能性が高いのだ。

実はこの段落の直前には、出家修行道を「真の(内なる)祭祀」とする仏教側の文献証言として、サンユッタ・ニカーヤからの抜粋が引用されているのだが、次にそれを、原典から直接引用してみる。

『サンユッタ・ニカーヤ1』第Ⅲ篇 第一章 第九節「いけにえ」

 

(コーサラ国王パセナーディによって、大規模で多くの動物を供儀とする祭祀が準備されており、使用人・労働者が自らも暴力的な罰を受ける事を恐れている光景を前振りに)

6.そこで尊師(ブッダ)は、このことを知って、そのとき次の詩を唱えた。――

「馬の祀り、人の祀り、棒を投げる祀り、精力を飲む祀り、閂を取り去る祀り、―― これらの祀りは労すること多くして、大なる果報をもたらさない山羊と羊と牛とが種々に殺されるが、正しい道を行く大仙人たちは、その大規模な生け贄の場所におもむかない

しかるに、労することなくして、常に順調に行われ、山羊や羊や牛が種々に殺されることのない祭祀 ――正しい道を行く大仙人たちは、その祭祀におもむく。

聡明な人は、この祭祀を行え。この祭祀は大なる果報をもたらす。実にこの祭祀を行うならば、その人には善い事があり、悪い事は起こらない。その祭祀は広大なものとなる。そうして神々もそれを喜ぶ

~以上、『神々との対話』中村元岩波文庫P172より

ここでは多くの動物犠牲をともなうバラモン教の供儀祭祀を明確に否定した上で、より善い大なる果報をもたらす代替の(内なる)祭祀として、比丘サマナの、つまりはブッダの修行道を称揚・勧奨している。

仏道瞑想修行と言う全く装いを新たにした『殺さない(内なる)祭祀』こそが、神々を真に喜ばせるものであり、だからこそ、そのような祭祀に在家者は供養すべきであると。

つまり、彼らジャイナ教や仏教の出家サマナが行っている修行道、これはもちろん、その中心に苦行瞑想行を据えているのだが、この『修行プロセス』あるいはその結果として得られる寂静などの“境地”を神々(究極にはブラフマン)に対する献供とし、それを受けた神々もまた、バラモン祭祀を受けた時と同じように、というかそれ以上に、大いに喜んで、人間界に祝福返礼の果報をたまわるのだ、という心象風景であり思想構造だ。

このような、いわばオルタナティブなニューウエーブ祭官(内なる)』としての比丘サマナの位置づけがあったからこそ、在家の人々は彼らに供養し、アショカ王の時代には沙門・バラモンと総称されるような社会的地位を築き得たのだ、と考えられる。

次に、仏道瞑想修行を明確に『内なる火の祭祀』と捉える表現を、『サンユッタ・ニカーヤⅡ 悪魔との対話』から見て行く。

同、第Ⅶ篇 第一章 第九節「スンダリカ」

9.〔尊師いわく〕
「生まれを尋ねるな。行いを尋ねよ。
火は実に微細な木材からも生じる。
たとい賤しい家からの出身であろうとも、毅然として、慙愧の念で身を防いでいる、聖者は高貴の人となる。
真実によって制御され、〔諸感官の〕制御を身に具え、
智慧の奥義に達し、清浄行(brahmacariya)を実践した人、
祭儀(Yañña =yajña 梵)を準備した人は、彼にこそ呼びかけよ。
供養され敬わるべき人は、適当な時に供物を〔火の中に〕捧げる。

17.傍らに立っていたスンダリカ・バーラドヴァージャというバラモンに向かって、尊師は詩を以って呼びかけた。

バラモンよ、木片を焼いたら浄らかさ(suddhiṃ)が得られると考えるな。
それは単に外側(bahiddhā)に関する事であるからである。
外的な事によって清浄が得られると考える人は、
実はそれによって浄らかさを得る事が出来ない。
と真理に熟達した人々は語る。
バラモンよ、わたしは〔外的に〕木片を焼くことを止めて、
内面的(Ajjhatta)にのみ光輝を燃焼させる
永遠の火(Niccagginī)をともし、常に心を静かに統一(niccasamāhitatto)していて、
敬わるべき人として、わたくしは清浄行(brahmacariyaṃ)を実践する。
バラモンよ、そなたの慢心は重荷である。
怒りは煙であり、虚言は灰である。
舌(Jivhā)は木杓であり、心臓(hadayam)は〔供養のための〕光炎の場所である。
よく自己をととのえた人たちが人間の光輝である。
バラモンよ。戒めに安住している人は法の湖である。
濁りなく、常に立派な人々から立派な人々に向かって称賛されている。
そこで沐浴した、知識に精通している(vedaguno)人々。
肢体がまつわられることのない人々は、彼岸に渡る。
真実と法と自制と清浄行
これは中〔道〕によるものであり、ブラフマンを体得すること(brahmapatti)であるバラモンよ。

『サンユッタ・ニカーヤⅡ 悪魔との対話』中村元岩波文庫P147~より

こうやって見ると、通底するある価値観、の様なものが把握されるだろう。それは清浄、とか清らか(浄らか=suddhiṃ)とか言われている概念だ。

ここで彼らの求めている価値観が、それまでバラモン祭祀が希求して来た世俗的・物質的、あるいは来世的な『利益』から、『清浄』というある種抽象的な概念と結びついており、前後する他詩節の文脈や前出のジャイナ教のそれを見ると、対置される『悪業』とセットになっていると考えられる。

おそらくこれは輪廻転生思想の成熟と共に、その原動力ともなる業の思想が顕在化し、人々の心に多大なるプレッシャーを与え始め、その悪業が振り落とされた(無力化された)状態を『清浄』の名のもとに希求したのだろう。

その背後にはもちろん、不死なるブラフマンの世界を清浄の極みとし、そこに至る道行をブラフマ・チャリヤ=清浄行とする心象が横たわっていた。

前半の第9節を通読すると、たとえ賤しい生まれの人であっても慙愧の念をもって身口意を防護している修行者は、「あたかも『実に微細な木材からも火は生じる』様に」、という形でその修行が木片から生じる火に重ねられ、つまりはその慙愧の念と言う内なる制戒が、清浄行として内なる『火の祭儀(祭祀)』に重ねられている。

その上で、何らかの幸福や神々からの果報を求めて祭儀を準備(計画)をしているものは、既存のバラモン祭官がとりなす外形的な祭祀などではなく、このような生まれは低かろうが気高い、内的祭祀(清浄行)を実践する比丘サマナに委託し供養しなさい、と勧奨している。

この詩節部分を、分かり易く意訳すると以下になる。

たとえ卑しい家からの出身者であれ、ひとたびサンガで出家して毅然として慙愧の念(戒)で身を防いでいる比丘は、聖者であり高貴な「真の(内なる)バラモン祭官」である。

真実によって制御され五官六官の防護を備え、ヴェーダ(祭祀に関する知識)の奥義(内なる祭祀法)に達しブラフマンへの道を実践する仏教サンガの比丘にこそ、祭祀を発願する者は供養すべきなのだ。

後半の第17節では、バラモン祭官たちが行う火の祭儀は、単なる外形的(bahiddhā)な空疎なものに過ぎず、真の『清浄』(=ブラフマン)には至らないと説き、そのような外的な火の祭祀ではなく、私(ブッダ)は内なる(Ajjhatta)光輝の燃焼(火の祭祀)を(清浄行=瞑想実践として)行う、と『外的』『内的』を明示的に対置させた上で、自らの優位性を高らかに宣言している。

ここでブッダは珍しい事に、その内なる祭祀(清浄行)であるところの燃焼を『永遠の(ニッチャー)火』と表現し、その火の説明として『常(ニッチャー)に心を静かに統一していて』と続けている。

その『こころの静かな統一』「瞑想実践」の結果としての『禅定』である事は間違いないだろう。そしてこの「ニッチャー」とは「アニッチャー」つまり『無常』の対義語に他ならず、通常は「ブラフマンアートマン」についての言及、その表現で用されるものだ。

この事は、瞑想行の深みにおいて経験されるニッバーナが、「常(永遠)なるブラフマンであった事を強力に示唆している。

その内なる燃焼(という瞑想行)を行ずる者は、それ自体人間の光輝であるとして、内なる燃焼のその光が、あたかも外側にまであふれ出て、彼自体ひとつの光輝体になるかのようなイメージが見出せるだろう。

これはすなわち、ランプの灯が燃焼するのはランプの内部だが、その光は外部世界を大いに照らし出すように、この内なる火の祭祀としての燃焼(瞑想行)をする者のその光は、世界を照らし出す光輝としてあふれだす、という心象なのだろう。

これは仏典によくみられる

「『眼ある人々は色や形を見るであろう』と言って、暗闇の中で灯火をかかげるように」

という定型文や、ブッダ「世界の太陽(=天のアグニ)」と讃える表現と深く結び付いていると考えられる。現代日本人には分かりにくいが、この太陽は単に天空に輝く光源であるだけではなく、祭祀で燃やされる「アグニ」と同置された太陽であり、その祭火は瞑想行と言う内的祭祀によってブッダ存在の内部から放射する光輝でもあるのだ。

ブッダは世界の闇を照らす灯火であり太陽であり、それは内なる火の祭祀としての『燃焼(瞑想行)』の光輝が、外界にまであふれ出て、世を広く照らす、と言う流れだろう。

その光輝とはもちろん瞑想行によって得られる悟りの智慧の光に他ならない訳だが、と同時に、その瞑想プロセスで主観的に体験される『眩い内なる光』を含意しているのではないか、と考えられる。

仏典の随所に見られる『清浄で純白な心』という禅定を形容する定型表現は、瞑想行の深みにおいて主観的に体験される「白く眩い光輝」を表している可能性が高いからだ。

最後に、このような修行者は法の湖であり、その内なる湖での沐浴による浄化、というイメージも登場している。これも一定の禅定に入った瞑想行者の心象を表す「清涼なること湖水のような」という定型表現に対応している。

その内なる沐浴によって得られる知識の精通。この『知識』とは文脈上明らかに原意は『ヴェーダ』であると推測する事ができ、実際にその原語は「vedaguno」になっている。

ヴェーダとは「祭祀に関わる集成された知識」なのだから、ここでブッダが精通しているのは『内なる祭祀に関わる集成された知識」という事に他ならない。

同時にそのヴェーダ的な祭祀の知識は『神々に関する知識』に他ならないのだから、ブッダが精通している知識もまた、神々に相当する『何者か』に関する知識を予想すべきだろう。

そうして最後に、このような内なる火の祭祀である燃焼(瞑想行)によって五蘊としての身体から解放された聖者は、彼岸に渡る。それこそが、ブラフマンを体得すること(brahmapatti)」なのだ、と断言される。

この流れを素直に読み取れば、彼らが執り行う「内面的にのみ光輝を燃焼させ、永遠の火をともし、常に心を静かに統一する瞑想行」とは、ブラフマンに捧げる祭祀であり、そこでのヴェーダとはブラフマンに関する知識』と考えるのが妥当だ。

仏道修行によってブラフマンに至りそれを体得できるからこそ、仏道瞑想営為は「至高の内なる祭祀法」になり、その修行の完成者であるブッダ『真のバラモン(ブラフマナ)』呼ばれ得る訳だ。

このように見てくると、ブッダの修行道とは、徹頭徹尾、バラモン祭官による火の供儀祭、それによって神を喜ばせ、来世に向けて善業を積み、最終的には解脱さえ可能たらしめると自画自賛されていた外的なバラモン祭祀に対する、完全なる代替法として提示された『内的祭祀としての清浄行(ブラフマ・チャリヤ=ブラフマンへの道)』である事が、よく理解できると思う。

上記文脈でちらっと出た『内なる沐浴』という概念。これもパーリ経典の随所に登場するもので、当時バラモン教を中心に広く実践されていた河や池での沐浴、つまり外的な沐浴に対する内的な沐浴、という代替対置構造に根差している。

(この外的な沐浴は、現在でもインド全土で行われている)

そこには一貫して『悪しき(無知な)バラモン祭官が実行する諸々の外的な祭祀行為』に対するアンチテーゼとしての『正しい(明知の)比丘サマナが実行する諸々の内的な祭祀(瞑想行)営為』という立場が鮮明にあった。

以下に、この『内外の沐浴』についても引用参照してみよう。

第Ⅶ篇 第二章 第11節サンガーラヴァ

11.「ゴータマさま。ここに、わたしは昼間につくった悪業(pāpakammaṃ)を夕に沐浴して洗い落とし、夜につくった悪業を朝早くに沐浴して洗い落とすのです。
この利益を見るが故に、わたしは、水によって身を清める行者となり、水によって清浄を達成しようとして、朝夕に水中に下りて水に浴することを実行しているのです」

12.バラモンよ。戒めを渡し場としている道理なる湖は、濁りなく澄み、諸々の善人が善人の為に讃めたたえるものである。
そこでは神の知識を得た聖者たちが沐浴し、五体を清めて彼岸に渡る」

以上「サンユッタ・ニカーヤⅡ『悪魔との対話』」P178より引用

ここでも明らかに、バラモンを中心とした当時の『外的な水の沐浴による悪業の浄化』という実践法に対する、完全な代替(オルタナティブ)として、内なる沐浴(これはしばしば水を用いない沐浴とも称される)としての仏道修行、を対置している。

最後の「五体を清めて」はそのまま「五蘊を滅して」と読み替えられる。

ここでは明記されていないが、その内なる沐浴の核心とは、もちろん『瞑想修行』だったのは疑いようがない。先に指摘した様に、この「戒めを渡し場としている道理なる」は、一定の禅定に入った瞑想行者の内面心象を表す「清涼なること湖水のような」という定型表現に対応しているのだ。

『神の知識を得た聖者』の「神の知識」とはもちろん『ヴェーダ』だろう。だからこその『ヴェーダの達人』なのだ。そしてここで言う『神』とは、究極の一者であり全ての神々の上に立つ「至高のブラフマン」だと考えるのが妥当だ。

だからこそ彼岸に渡る事(ニッバーナ)が、ブラフマンを体得すること(brahmapatti)」と表現され得るのだ。

以上のように、苦行や瞑想行と言った比丘サマナ的な修道実践が、「バラモン祭官の外なる祭祀」に対比される「比丘サマナの内なる祭祀=清浄行」、という文脈で語られていた事は、ほぼ間違いないと思われる。

そしてこの祭祀が捧げられる対象とは、不死なる至高ブラフマンに他ならないのだ。

おそらく日本の伝統的な仏教学の流れでは、この様な「祭祀の喩え」は、お決りの

「当時はバラモン教全盛時代だったので、ブッダが自身の教線を拡大する為に、便宜的にしょうがなく用いたものだ」

という解釈でスルーして、「ブッダの教えは祭祀ともブラフマン概念とも一切関係ない」としてしまうのかも知れない。

しかし私の眼から観れば、これは明らかに

「日本が伝統的に信仰実践して来た釈尊の教えが『ブラフマン思想』の亜流である訳がないし、ましてや『祭祀』などとは関係あるはずがない」

思いたいと言う『心的バイアス』に過ぎない。

「真のバラモン」にしても「真の正しい祭祀」にしても、ブッダをはじめとした比丘サマナ自身による世間に向けた「セルフ・プレゼンテーション」だと考えれば、少なくとも『世間』的には、彼らは『ブラフマンに向けた内なる正しい祭祀』の実行者として初めて、社会に受け入れられたのであり、だからこそ布施を与えられたのだ、と考えるのが自然だろう。 

最後に、今回もうひとつ気になった事を『祭祀の内部化』仮説に対するさらなる補強材料として記しておきたい。それは地水火風といういわゆる『四大(四界)』内外の祭祀、との関わりだ。

最初に気になったのは、ウッタラッジャヤーにおける六種の生命存在についての解説で、地身・水身・火身・風身、樹身、動身という表現があった事だ。

これは詳細がつまびらかではないのだが、おそらくは地(中)に住む生類、水(中)に住む生類、身体に熱(火)を持つ生類(恒温動物)、風(空中)に住む生類、植物、動物といった意味なのだろう。

これはそれ以上に考察が進行した訳でもなく、ただ、前半の四つの地水火風によって、生命存在が四大(四界)という概念と重ね合わせて称されていたのだな、と理解された。

これら「地水火風と樹と動の身」としての『生き物』が外的なバラモン祭祀で供犠として捧げられる。これは身体の内部で行われる『内なる祭祀』としての瞑想行にもかかって来ないだろうか。

これに触発される様にして、ふと閃いたのが、祭祀と四大(四界)との関わりだった。

バラモンの祭祀は火の祭である、と言う事は、これまでさんざん繰り返してきた。これがまずは四界の内の『火の要素』だ。

そして今回、火と共に浄化の道具として水、と言うものが登場した。これはいわゆる沐浴だけではなく火の祭祀の祭場を『清める水』でもある訳で、これが四界の内の『水の要素』だ。

この水の要素、バラモンヴェーダの火の祭祀において主要な役割を果たしていた『ソーマ酒』の搾汁液とその供儀という観点からも注目される。

次にこれら祭祀が行われるのは、一般にブッダの時代には後世の様な堂塔伽藍をなす寺院は登場しておらず、もっぱら、大地の上に一時的な祭壇が築かれて執り行われていた、という事実だ。

そう、前出の「祭場を水で清める」という営為は、第一にはその祭壇を築く大地、つまり祭場としての大地を清める、と言う事で、これが四界の内の『地の要素』だ。

(この水による大地の清めは、現代インドでも、例えば一般家庭の玄関先の地面を、牛糞をうすくといた液水を塗って清める、と言う形で継承されている)

最後に、これは若干の説明が必要かも知れないが、祭祀の主役である『火』、これを盛大に燃やすために必須なのが風(空気)であるという事実だ。

この「火と風の相関」は、上述引用のバラモン祭具の中に『鞴(ふいご)』というものが登場する事からも、彼らによって熟知され活用されていた事実が明らかだろう。

また祭火が燃え盛る時には風を巻いて轟々と音が激しく鳴った事が想定され、ふいごで送られる空気と合わせて、この燃焼に伴う風あるいは空気の総合的な働きこそが、四界の内の『風の要素』だ。

(神々に人の願いを届ける為の煙もまた、空中を風の流れ(上昇気流)に乗って登っていく)

この風の要素、これ以外にも、祭祀の必須要素である賛歌における発声の基盤となる呼吸、としても、彼らによって十二分に認識されていた事は、これまで散々論じて来た。

このように見ると、四界における地水火風という諸要素は、そのまま外なるバラモン祭祀において、極めて重要な意味を持っていた事が判明するのだ。

このような四界の諸要素の性質を知悉し、適切に管理し運用することこそが、祭祀成功のための必須要件であったと考えるべきだろう。

では、この外なる祭祀と四大要素(四界=地水火風)との関係性を、そのまま内なる祭祀としての瞑想実践にも当てはめられないだろうか、と言うのが、ここでの論点だ。 

この時私の脳裏に浮かんでいたのは以前に取り上げた、現行のパオ・メソッドの中に見出す事が出来る『四界分別観』だった。

先ほど私は外なるバラモン祭祀において、地水火風という四大要素の性質を知悉し管理運用する、と書いたが、そのような営為において第一に求められるのは、例えば典型的には『火』の場合、それは「集中した観察による状況判断と適宜な操作」、に他ならない。

刻々と変わりゆく火、その炎や煙の、あるいは燃料である薪木のありようを、逐一観察して、適切にコントロールする。それができなければ厳密な儀軌に即した火の祭祀など到底かなわない(これは「かまど」や薪ストーブなどのいわゆる『裸火』を、親しく取り扱った事のある人ならよく分かる事だ)

バラモン祭官、特に火壇を支配する祭官には、何よりもこのような火の動態に関する観察と運用の科学的な明智、が求められただろう。

火壇が設置される大地の整備についても、それらを浄化する水の運用についても、火と共にある空気(送風)の管理についても、そして賛歌の基盤となる呼吸のコントロールについても、様々な儀軌と共にこのような『観察と運用の智』というものは共通していたはずなのだ。

(ヴィーナである人の身体を知りその上に瞑想する者!)

そして、そのような性質をもつ祭祀と言うものが、ひとたび内部化されて瞑想者の身体の中で実践される様になった時に、外的祭祀において行われていた四大要素の観察と運用が、そのまま身体の中の営為として内部化されていったのではないか、という視点だ。

何故なら、我々の身体と言うものは、その個体要素は地であり、液体要素は水であり、呼吸が風であり、それらによって燃え盛る体熱が火に他ならないからだ。

それらを観察・運用しないで、どのように内的祭祀が可能だろうか?

以前投稿した「沙門シッダールタが挑んだ三つの苦行」において、その苦しみの身体状況が克明過ぎる程に詳述されていた事を思い出そう。

(三つの苦行と『内なる祭祀』との関連は、後日改めて)

そうして沙門シッダールタが「四大」の中でも特に『呼吸の風』に着目して想到したのが『アナパナ・サティ』、つまり無作為の『純粋自然呼吸』を観ずる瞑想行法という『内なる祭祀法』だったのだ。

残りの地水火についてはおそらくカヤ・ヌパッサナ(身の観察)の中で観ぜられ、それがパオ・メソッドの四界分別観へとつながっていく。

アナパナ・サティの前提としては、祭火と風との相関がPrana-agnihotraなどの形で、身体の『呼吸(プラーナorアートマン)』とも重ねられ、それが重要な「内なる祭祀」を構成していた事実も既にあっただろう。

身体の呼吸をアートマンブラフマンと同置する思想はアタルヴァ・ヴェーダから古ウパニシャッドに至るまで横溢している。

だが、沙門シッダールタがアナパナ・サティに想到するに際してより決定的な契機があったとすれば、それは「作為(=バラモン祭祀)によって無作為(=ブラフマン)に至る事はできない」という文脈ではなかっただろうか。

この点に関しては、既に本ブログで詳細に取り扱っている。

ゴータマ・ブッダの滅後かなり経ってからの成立と言われるムンダカ・ウパニシャッドには、非常に面白い記述がある。

「無作(=akrta、永遠)の世界は作為(=krtena、バラモン祭祀)によりては獲られず」

ウパニシャッド佐保田鶴治著 平河出版社より

ここで無作(永遠)とはブラフマン(=アートマン)を意味し、それは人為的な作為であるところの『祭祀(祭式)』によっては得られないとしている。

ブラフマン」が何故「無作=akrta」と呼ばれるのか、と言えば、それはブラフマン「宇宙世界の原初の一者」であり、それ自体が

「何者かによって作られたものでは全くない『自生者=自ら生じた者=Swayanbhu( "self-manifested", "self-existing", or "that is created by its own accord")』である」

からに他ならない。

Wikipedia:Swayanbhu、「self-manifested svayambhu form of Brahman as the first cause of creation:スワヤンブー、つまり自ら生じたブラフマンが宇宙創造展開の原初の契機」参照)

ムンダカにおいて語られる一連のブラフマンに至る『方法論』は、ゴータマ・ブッダの全き継承者として私の眼には映る。

それは、

「瞑想者によるあらゆる『作為』を排した、全き自然呼吸を観ずる」

というブッダの瞑想(内なる祭祀)法『アナパナ・サティ』と、その論理構造において完全に符合する心象だと判断されるからだ。

この事はパーリ経典の次の記述によっても裏付けられる。

ダンマパダ:第26章 バラモン

383 : バラモンよ、流れを断て、勇敢であれ。諸の欲望を去れ。諸の現象の消滅を知って、作られざるもの(=ニルヴァーナを知る者であれ。

ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫 中村元訳 P64~より

ここで「作られざるもの(=ニルヴァーナ)」というそのパーリ原語は「akata」であり、これは先のムンダカにおける「無作=akrta」というサンスクリット語と完全に対応するものなのだ。

作られざるもの(akrta 梵)=ブラフマン

作られざるもの(akata 巴)=ニッバーナ

ニッバーナ=ブラフマン

(これも後述するが、「諸々の形成されたもの(=Sankhāra / Saṃskāra、作られたもの)は無常・苦・無我である」という真理と、この kata / akata は深く関わって来る)

つまり「作られざるもの=原初の一者ブラフマン=ニッバーナ」に至り知る為には、身体と言う内なる祭場において、

「人間的な意識的な作為を全く排した自ずからの(Swayanbhu)全き自然呼吸をただ観ずる」

という祭祀瞑想法が、沙門シッダールタによって極めて高い論理整合性の下に把握され得た、と考えられるのだ。

これは「神々を喜ばせる」という祭祀本来の義を全く踏襲した方法論だ。

ブラフマンは無作なのだから、全く同様の『無作』つまり「人間の作為に依らない」という属性を持つ『完全自然呼吸』に寄り添い、それを熱意をもって継続して観じ続けるという『瞑想』は、以前に書いた様に「賛歌から音声という粗雑を取り除いたスピリット(酒精)」であり、その至純の賛歌を詠って『称賛』する事によって、ブラフマンはその至誠篤信を喜び、降臨顕現するだろう、と予想されるからだ。

我々が熟睡している時にも決して止まる事の無い呼吸が、古ウパニシャッドにおいてアートマンブラフマンと同置されていた事実を思い出そう。その様な呼吸を論理的に突き詰めると、「作為なき純粋自然呼吸」に行き着くのだ。

私が初めてインドでヨーガを学び始めた時、最初に次のような説明を受けた記憶がある。これは文献的にはハタヨガ・プラディピカーに由来するようだが、少しでもインド土着的な文脈の中でヨーガを学んだ人なら、多分同じような内容を聞かされているはずだ。

「私たちの身体とは神々を招来するための『寺院』に他ありません。寺院においてバラモン祭官がそうするように、神々が降臨し住まうにふさわしい寺院として身体を浄化し荘厳し聖化する、そのプロセスこそがハタ・ヨーガなのです」

このヒンドゥ・ヨーガ的な心象は、これまでの私の論考と非常に近接している。寺院と言う外部存在内部化し “我が身体とする”。これこそがハタ・ヨーガの奥義・真義なのだ。

そして忘れてはならない事。それは前述したように、レンガや石を建材とした堂塔伽藍としての寺院が発達するのは、早くともアショカ王時代頃以降のことであり、それまで(ブッダの時代)は固定した建造物ではなく、火の祭壇を中心とした大地の祭場こそが、その時々の『寺院』つまり神々を勧請する『聖なる域場』であった、という史実だ。

上のヨーガの真義、その「寺院」を、時間を巻き戻して「祭場」に置きかえ、若干アレンジして比丘サマナの修行道について当てはめると、以下のようになる。この場合、ヒンドゥ・ヨーガはもちろん伽藍としての外的寺院を否定しないが(内心、下位に見くだしていても)、比丘サマナはバラモンの外的祭祀を『悪しきもの』として否定した上で取って代わろうとした、という違いは銘記すべきだが。

「私たちの比丘の身体とは究極には至高ブラフマンに到達(梵天が降臨)するための『祭場』に他ならない。

外的な祭場においてバラモン祭官がそうするように、ブラフマンに供養し梵天が降臨するにふさわしい祭場として、身体を浄化し荘厳し聖化する。

そのプロセスこそが比丘サマナの修行道であり、内なる祭場で行われるブラフマン祭祀こそが、ブッダの瞑想行法なのだ」

これは、悟りを開いた後のブッダがどう考えていたか、という点は取りあえず置いておいて、今回引用した文献や私のこれまでの考察を前提にすると、当時の汎インド教的文脈からは至極真っ当な主張だと考えられる。

私はまったくもって違和感を感じないのだが、第三者的な『客観』としてはどうなのだろうか。

ただ当時の祭式においては、祭場は恒常的な価値を持たずにその都度設営されては使い捨てられるものだった。その事を反映して、おそらくブッダの瞑想行法においても「身体の神聖視」は起こっていない。だからこそ「彼岸に渡り終えれば『筏』は捨てられる」のだ。

その内部において祭祀瞑想が行われる身体に対して執着するべきではなく、逆にそれは最終的には滅せられる。あたかもバラモンの外的祭祀が終了(目的を達成)したら、その祭場としてのセッティングは全て撤収され「更地」に還る様に。

考えてみればパーリ経典には、ブッダや比丘が瞑想していると梵天帝釈天や神々が降臨して来るシーンが頻出する。あれは修行する比丘サマナの身体が『内部化された祭場』という『結界』であり “依り代” だからだと考えると、腑に落ちるだろう。

梵天は自らを勧請する正しい祭祀が比丘の身体において開催されているのならば降臨するのは当然だし、最高神である梵天を喜ばせる祭祀は、当然ながらその下級眷属である神々をも十分に喜ばせ引き寄せるのだ。

前回軽く触れた様に、この様なブッダ存在が内包していたはずの古代インド的な『祭祀』という本質的な文脈は、テーラワーダにおいては徐々にしかし確実に希薄化されていった事が想定される。

この点に関しては、そもそもバラモンの祭祀と言うものに対抗して市場を拡大しなければならない仏教サンガにとって「仏教の起源がバラモン祭祀にある」という『史実』は非常に都合が悪く、またこの『史実』に関して、プライドの高い論学の比丘たちが抵抗反発を強く感じて、仏教の独自性を殊更に主張した事にも由来するのだろう。

その結果『祭祀』という概念そのものを喪失し、そこに生じた穴を埋める為に、カルマとダルマを前面に出した論学が煩瑣を極めて発達し、骨格だけ残された基本構造の上にかぶせられたのだ。

そう考えて改めて確認すれば、現行のテーラワーダ仏教が持つ供養と功徳のシステムは、まさしくブッダ(あるいは超越的な威力としての仏法)に捧げる『祭祀』を見事に構成している事に気づくだろう。

その祭祀が捧げられる対象が、ブッダが生きている間は『不死なるブラフマン』をその原像としていたのに、ブッダの死後(般涅槃後)には、それがブラフマンと完全に合一した(完全に解脱した=般涅槃)ブッダへとスライド移行しただけの話なのだ。

整理すると、比丘サマナの『身体』とは『祭祀を内部化した祭場』であり、その祭場である身体において行われる『不死のブラフマン(=解脱)に至る為の内部化された祭祀』こそが、比丘サマナの『常住坐臥と瞑想実践』である、という事が、ブッダの瞑想法のまごう事なき『原像』だった、という事になる。  

ブッダの瞑想行法とはブラフマンに向けた「至高の内なる祭祀法」であり、その結果到達する境地とそこから生まれる智慧の教えは、ワインの喩えで言えば酒精(スピリット)の極み、に喩えられる。

これはヴェーダ的な神々の中の至純至高が絶対者ブラフマンである」、という文脈とも相携えて理解されるだろう。

ただ惜しむらくは、ブッダの立ち位置は余りにも純度が高過ぎて、いわゆる『雑味的な旨味』に欠けていた。彼の死後その実践的な『真義(サッダルマ)』は急速に見失われていき、どうでも良いような後付けの煩瑣な “論学” ばかりが『意官』にとっての『旨味』として肥大化していった。

(つまり、論学の発達と瞑想実践の喪失はパラレルに同時進行する車の両輪だ)

これはある意味、仏教サンガの比丘たちが、煩瑣な論学(神学)を独占的に弄ぶ『悪しきバラモン祭官(官僚)化』していく、先祖がえりとも言えるだろう。

これらプロセスを担ったサンガの比丘は、その多くがバラモン階級出自だと想定され、結局彼らは、サンガの外でやって来た事を再びサンガの内部で行ってしまったのだ。

これも私見だが、おそらくブッダの滅後100年を過ぎる間に瞑想実践は急速に衰退し、既にアショカ王の前後にはほとんど消滅に瀕していた事が推測される。

仏教サンガの内外では論学が持て囃され「瞑想実践とその行法」が急速に衰退し失伝されていく一方で、やがてブッダの思想構造と瞑想実践の主要部分がサンガから流出(少なからず簒奪)されて、ヒンドゥ教主流派の自家薬籠中のものとなっていき(カタ、シュヴェタシヴァタラ、ムンダカ・ウパニシャッド等)、その果てにサーンキャ・ヨーガ的な瞑想行法が確立した(この部分もいずれ詳述する)

上で論じた様に、現代ヨーガにおいて一般に言い表されている「身体は神が宿る内なる寺院」という言い回し、そのオリジナルはそもそも『ブッダの(あるいは汎サマナ・ウパニシャッド的)修行道=内なる瞑想行道』が思想的・社会的文脈として相携えていたもので、ヨーガ思想は、ブッダの瞑想行道の原像をダイレクトに引き継いでいると理解すべきなのだ。

その様に見て行くと、パーリ・テーラワーダの瞑想実践と、ヒンドゥ・サーンキャ・ヨーガの瞑想実践は、ヴェーダの達人であり真のバラモンであり真の聖者であるゴータマ・ブッダの流れを直接パラレルに引き継いだ、非常に近しい(異母?)兄弟とも言えるだろう。

(しかし両者の間にはどこまでも深く渡り難い溝が存在していた。とても根深いある種の近親憎悪だろう。それこそがいわゆる『アートマン論争』だった)

それゆえ、近年パーリ・テーラワーダ的に復元されている実践行法とサーンキャ・ヨーガ的な実践行法から後世の付加部分や余計な雑音を捨象(フィルタリング)して統合すると、限りなくブッダ・オリジナルの瞑想行法に近いものが復元できる、と考えられるのだ。

その復元へのひとつの試行こそが本ブログの探求に他ならない。流麗な筆致とは程遠い私の文章によって、果たしてその真意がどこまで理解され得たのかは、大いに心配している所ではあるのだが。

余りにも様々な要素が輻輳しているため、全般に雑駁な内容になってしまったかも知れないが、ここまでの記述が概略、私が現在までに到達した大局的かつ実践的な「古代インドにおける『祭祀』と『瞑想』史」観、その『ビッグ・ストーリー』の流れであり、その中でのブッダ存在』の位置付けになる。

もちろんこのような観点に到達した背後には、膨大な質量の典籍データの蓄積と相応の経験、さらにそれらをひっくるめた探求考察(囲碁の『読み』)があるのだが、その全てをこれまでの投稿で論述し切れているかと言うと、その自信は全くない。

ここから先、おそらくは瞑想実践についての具体的な記述に際して、このような瞑想史観的視点についてはしばしば言及し、その際に個別かつ詳細な考察・論述がなされる事になるだろう。 

(本投稿はYahooブログ 2016/3/29「54 『内なる祭祀』としての比丘サマナの修行道」を加筆修正して移転したものです) 

 

 

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