仏道修行のゼロポイント

ゴータマ・ブッダの原像とヒンドゥ・ヨーガ

苦行者シッダールタの日常風景:「これはドゥッカの車輪である1」の補遺

頭蓋内部には明確に車輪と重ね合されるような構造が存在し、その事実をシッダールタたち古代インドの求道者は知っていた可能性が高い。そう私は前に書いた。

今回はその根拠について若干追記して述べよう。

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6本スポーク状に仕切られた脳内

当時、シッダールタが生活していた北インド一帯では、死者を葬る際には風葬が一般的だった。特別に身分のある場合は火葬が行われていたようだが、一般には人里からやや離れた森の中、その特定のエリアを墓場とし、地面の上に布にくるんだ遺体を放置し、腐るに任せていたようだ。この様な森を屍林(寒林 Śitavana梵)と呼ぶ。

そしてシッダールタの様に正統バラモン教から外れたサマナと呼ばれる求道者たちは、そんな屍林の周辺で修行をするのが常だったという。 

パーリ経典マジマ・ニッカーヤに属するマハシーハナーダ経(大獅子吼経)の中に、シッダールタの6年間に及ぶ苦行期間の生活実態が詳細に語られている。

あらゆる社交を絶った徹底した孤独行、段階的に極限まで進められた断食行、様々な肉体的苦行など、その修行のエクストリームな過酷振りがまざまざと筆写されている。

そこには、サマナは屍林に打ち捨てられた死体を包んでいた布を身にまとう(これが袈裟の起源)、夜には死屍の白骨を枕として眠る、と言う事も語られている。この期間、シッダールタの日常の中に、常に身近に死体があった、そう考えて間違いないだろう。

(経典のこの部分は、当時の求道者たちがいかに私たちの『常識』から乖離した存在であったか、という事が如実に表れている好例だ)

一方で、仏教の瞑想修行について基本的な流れを記述したサティパッターナ・スッタと言うパーリ経典の中には、面白い観想法が書かれている。 

頭の中で解剖学的なイメージとして全身を様々なパーツへと腑分けしていく不浄観と呼ばれる瞑想法、そして死体が少しずつ腐っていき、ついには単なる骨屑の山になってしまうプロセスを墓場で観察し、執着を離れ無常を悟るという瞑想法だ。

これらは当時のサマナ達によって一般的に行われ、シッダールタ自身も経験した厭離の観想を仏教サンガが取り入れたものなのだろう。

既に書いた様に、戦士階級であるクシャトリヤにおいて高度に発達した外科医学の素養があったシッダールタは、単なるイメージではなく、ひょっとしたら屍林で積極的に死体の解剖実習まで行っていたかも知れない

どちらにしても沙門シッダールタは、6年間の苦行期間中ただ死体の近くで生活していただけではなく、まざまざと人体の構造について解剖学的に観察する機会を持っていた、と言う事になる。

実はこの様な古代のサマナ達に非常に近い生活を行っている修行者の集団が、現代インドにも生き残っている。それがシヴァ派のナーガ・サドゥと呼ばれる人々だ。彼らは基本的に苦行者シヴァ神を奉じる流浪の出家者たちであり、人里離れた山中の庵(アーカーラ)に住み、あるいは遊行・巡礼し、経済発展著しい現代インド社会において、大いに異彩を放っている。

これらサドゥやサマナと呼ばれる人々の修行生活形態は、アーリア人以前の先住民の古層文化に由来すると言い、非常にプリミティブな狩猟採集民のシャーマン的な伝統に根ざすとも言う。

このサドゥの文化要素の中では、『髑髏』と言うものがとても重要な位置を占めている。彼らが奉じるシヴァ神は髑髏の首飾りを付けており、実際に髑髏を瞑想オブジェクトとして使用している修行者もいるらしい。

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Facebookより:髑髏のネックレスをかけたシヴァ 

中でも突出しているのが、ナーガ・サドゥに非常に近接したカーパーリカ(アゴーリ)と呼ばれる異端の者たちだ。彼らは髑髏で作ったお椀を日常使用し、飲食に用いているという。そしてこのカーパーリカの語源となったカパーラという言葉は頭蓋骨を表すと同時にボウル、すなわち鉢(ボウル:お椀)を表す。

The Kāpālika tradition was a non-Puranic form of Shaivism in India. The word Kāpālikas is derived from kapāla meaning "skull(頭蓋骨)", and Kāpālikas means the "skull-men".

The Kāpālikas traditionally carried a skull-topped trident (khatvanga) and an empty skull as a begging bowl. Other attributes associated with Kāpālikas were that they smeared their body with ashes from the cremation ground, revered the fierce Bhairava form of Shiva, and engaged in rituals with blood, meat, alcohol, and sexual fluids.

Wikipediaより

ナーガ・サドゥとカーパーリカ(アゴーリ)については、以下のサイトが詳しい。

この様な伝統の古さを鑑みれば、紀元前の古代インドにおいて、一定のサマナ集団がこの頭蓋骨でできた鉢を食器に使っていた事も想定できる。それはひょっとしたら托鉢乞食でも使用されていたかも知れない。

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Hiveminerより:頭蓋骨(カパーラ)の器で飲食する

パーリ仏典の中では、これらカーパーリカに近いサマナ達を外道と非難する記述が見られる事から、シッダールタ自身が苦行時代にこの様な習慣を持っていたかどうかはともかくとして、彼の身近に頭蓋骨の鉢を使用するサマナ達が普通に生活していた事は十分にあり得るだろう。

頭蓋骨から鉢を作る場合、上の写真の様に頭頂部の丸い部分をある程度の深さで切り離し、逆さにして使う訳だが、これはおそらくそれほど難しくない作業によって可能になる。眼窩の上からほぼ一直線に横に走る縫合線を楔の様なもので壊していけば、比較的簡単に加工ができると思われるからだ(もちろん私は経験がないので断言はできないが)

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高津整体院より:眼窩から真横に伸びる縫合線を切ると器になる

当時、ほとんど無一物に近いサマナ達が頭蓋骨加工用に鋸を持っていたとは考えにくいので、この事実は重要だろう。

そして頭蓋のドームを切り離してカパッと蓋をあけて、脳みそ残渣をきれいに洗い落とせば、下の写真の様な頭蓋底の形が露わになる。脳と言う軟組織だけではなく骨という腐らない硬組織にも車輪は刻まれているのだ。

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頭蓋底に刻まれた放射状6分割とずれた軸穴

シッダールタがこの頭蓋骨の鉢を使っていなかったとしても、カーパーリカ的な求道者がもしそばにいれば、その鉢を作った残りの頭蓋底を彼が目にする機会は、少なからずあっただろう。

ここで面白いのは、この頭蓋底には6本スポーク様の仕切りだけではなく車軸の穴まで存在し、それが中央からかなりずれてしまっている事だ。この点については「これはドゥッカの車輪である1」で既に詳述している。 

髑髏を観じそれを身に着け加工して飲食の鉢として使用する類のカーパーリカが当時からいたかは断定できないが、仮にいなかったとしても、日常的に屍林のそばで生活し、骨の山を褥として眠り、解剖学的な不浄観・死体観の瞑想を行っていたシッダールタが、この頭蓋底の形、そして大脳底部の形を見て知っていた可能性は極めて高い、そう私は判断している。

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大脳底部には頭蓋底に対応した六区分がある

そしてひとたびこの形を見てしまったならば、シッダールタをはじめとした古代インドの求道者としては、これを車輪と車軸に重ね合さずにはいなかった、と考えられるのだ。

これまでに紹介した解剖学的画像は、ネット上で『大脳 頭蓋骨 Skull』 などのキーワードで検索し発見していった物だ。発見に至るまでに一体何枚の画像をチェックし、どれだけの時間を費やしたか自分でもよく覚えていない。

その不毛とも思える孤独な作業のさなか、「オレハイッタイナニヲシテイルノダロウ・・・」と、ほとんど「ワタシハドコ?ココハダレ?」的な、クラクラと眩暈がするような呆然自失に陥った瞬間も一度や二度ではない。しかし、大げさに言えば、この地道な忍耐を伴う作業の積み重ねこそが科学というものなのだ。

どんなに馬鹿らしく見える仮説でも、そこに真実の一条の光が差すと信じるならば、全力を挙げて検証に突き進む。仏教と解剖学の取り合わせは日本人の常識的には違和感もあるのだろうが、この私の作業に興味を持っていただける方は、今後とも脳と頭蓋骨をはじめとした解剖学的な話におつきあい戴きたいと思う。

何故なら、私たちの心とは、正にこの身体システムの中で、頭蓋腔に横たわる脳において現象するからだ。そしてシッダールタは、その事実を誰よりもよく知っていた可能性が高い。

この一見馬鹿らしく見える作業が、汎インド教的文脈のど真ん中にいた沙門シッダールタの思考プロセスと大いにシンクロしている事が、追々明らかになっていくだろう。

 

(本投稿はBlogger版「脳と心とブッダの悟り」2012年7月29日「苦行者シッダールタの日常風景」を加筆修正の上移転したものです) 

 

 


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「賛歌」のオルタナティブとしての『ブッダの瞑想行法』《瞑想実践の科学27》

ここまで私は、パーリ経典における数少ない実践的な瞑想ガイダンスの中で、最も重要なフレーズとして、

parimukhaṃ satiṃ upaṭṭhapetvā(Maha Satipatthana Sutta)
顔の周りに思念(サティ)をとどめて(春秋社:原始仏典Ⅱ)
fixes his awareness in the area around the mouth(ゴエンカジー

に注目し、その最重要ワードとしてParimukham(顔、口の周りに)を取り出し、様々な考察を試みてきた。

そして、ParimukhamのコアとなるMukhaというパーリ単語について、その意味を紐とき、さらにその語源にまで遡って論述した。

Mukha (nt.) [Vedic mukha, fr. Idg. *mu, onomat., cp. Lat. mu facere, Gr. muka /omai , Mhg. mūgen, Lat. mūgio to moo (of cows), to make the sound "moo";

上の説明を私のできる範囲でたいへん大雑把に意訳すると、

ヴェーダのmukhaと同義。mu(ムー)というonomat(擬声語に由来。ラテン語ギリシャ語などにもこのmuを有する同義語がある。その語源は牛がモーと啼く、その音声に由来する。

となる。

Mukhaという単語のMuの原像とは牛が「モ~」となくその擬声語であり、Khaとは空処・空間を意味する。その二つを合わせた「牛がモーと啼く、その音声が発せられる(奥行きをもった)開口部」がMukhaという単語のそもそもの原像だった。

つまり、ブッダの瞑想法において、特にアナパナサティにおいて、その呼吸に対する気づきのポイントとして唯一明示されている “Mukhaの周り”、というその Mukhaとは、そのそもそもの語源・語義において、牛がモーと鳴く、つまり “発声する器官” であった事になる。

これは現代人であれ古代インド人であれ、ある種自明の真実だろう。口(及び補助的に鼻)というものは、誰にとっても発声し話したり歌ったりする器官なのだから。 

次に私は、Mukhaの “Kha” が意味する所を語義に遡って考察した。

今回改めて読んでみても、正にこのKhaという言葉の中に、あらゆるインド思想の核心が包含されている事実を前に、率直に私は戦慄を禁じ得ない。

続けて私は、Mukha(口)を大きく開けて牛がモ~と鳴いているリアルな姿をYoutubeに探し求め、その “全体腔性” とでもいうものに着目し、その身体を “一本の共鳴管” として把握した。

そして同じように一本の共鳴管であるホルンのような管楽器(チベットのラグドゥン)をイメージし、「では牛がモーと鳴く時のその “音源” はどこか?」という視点から “声門” の重要さに着目した。

そして、声門を音源としその音声を共鳴させていく「管楽器」としての身体、と言う視点から、自ずから想起されたのが、以前に取り上げた箜篌(ヴィーナ)の喩え」だった。

一般にこの箜篌、すなわち楽器ヴィーナの喩えは、その弦の張り具合について

「きつ過ぎず緩み過ぎず、中ほどがよい」

仏道修行もそのように励み過ぎず怠け過ぎず中ほどがよい」

などという様に理解されがちだが、私は『直感的に』これに対して異を唱えてきた。 

ヴィーナの喩えにおいて、具体的にはその「弦の張り」に焦点が置かれている。この点に関しては誰も異論がないだろう。

だが、ブッダがもし仮にこのヴィーナという楽器が持つ共鳴器(胴)の空処性を身体における空処性と重ね合わせ、ヴェーダの伝統的な同置思想である「身体はヴィーナである」という心象を前提としていたならば、どうなるだろう。

前述したように、身体において『弦』に相当する音源部位・器官はまず『声帯』と考えるのが自然だ(この点に関しては、弦と舌を重ねる記述がヴェーダにあり、またブッダの「歯と舌の行法」とのからみから『舌』も有力候補で、読み筋の分岐となる)

そう、この「箜篌の喩え」において、弦の張り具合についてブッダが喩え話を用いた、その真意の焦点は、ヴィーナにおける音源であると、同じ様に身体において音源となる声帯、この両者の重ね合わせにこそ意味があったのではないのか、という視点だ。

parimukhaṃ satiṃ upaṭṭhapetvā
“Mukha”の周りに、気付き(サティ)をとどめて

という文脈においてparimukhaṃと言う時、それは「牛がモ~(Muu)と啼くその音源となるところのKha、すなわち 声門(声帯)のまわりを意味し、その全文では、声門(声帯)のまわりに気づき(サティ)を留めて、と読む事も充分に可能なのだ。

上の文章は、微妙にこう言い変えることもできる。

『声帯を起点とした “発声器官” としての “Mukha” のまわりに気付きを留めて』と。

これはゴエンカジーが主唱する様な「上唇から鼻腔にかけての『外周り』」という解釈からは文字通り一歩踏み込んだ、「内部的な構造と広がり」に視程を広げたものだ。

次に私は、箜篌の喩えとチューニング」という視点から、ヴィーナにおける発声(発音)の “音源” であるの、その “チューニング” という観点について振り返った。

箜篌の喩えを通じてブッダが言いたかった事は、ヴィーナなどの楽器演奏において大前提であり生命線ともいえる “チューニング” の大切さについてであった、と。

チューニングと言う『作業』は、「きつ過ぎず緩すぎず中ほどが丁度よろしい」などという「ユルい」ものではなく、極めて厳密かつ精緻な「最適化」のプロセスだと。

そのヴィーナにおけるチューニング(調弦)の重要性とその要諦を、何よりもまず第一に “瞑想修行” における実践的な “勘どころ” として、喩え話に託して、ブッダはソーナ比丘に説いたのである、と。

"What do you think about this, Sona ? When the strings of your lute were neither too taut nor too slack, but were keyed to an even pitch, was your lute at that time tuneful and fit for playing ?"

‘‘Taṃ kiṃ mannasi, soṇa, yadā te vīṇāya tantiyo neva accāyatā honti nātisithilā, same guṇe patiṭṭhitā, api nu te vīṇā tasmiṃ samaye saravatī vā hoti, kammannā vā’’ti?

汝はどう思うか? もしも汝の琴の弦が張りすぎてもいないし、緩やかすぎてもいないで、平等な(正しい)度合いを保っているならば、そのとき琴は音声にこころよく妙なるひびきを発するであろうか?

 

"Even so, Sona, does too much output of energy conduce to restlessness, does too feeble energy conduce to slothfulness."

‘‘Evameva kho, soṇa, accāraddhariya uddhaccāya saṃvattati, atilīnariya kosajjāya saṃvattati.

それと同様に、あまりに緊張して努力しすぎるならば、こころが昂ぶることになり、また努力しないであまりにもだらけているならば怠惰となる。

 

Therefore do you, Sona, determine upon evenness in energy and pierce the evenness of the faculties and reflect upon it."

Tasmātiha tvaṃ, soṇa, riyasamataṃ adhiṭṭhaha, indriyānanca samataṃ paṭivijjha, tattha ca nimittaṃ gaṇhāhī’’ti.

それ故に汝は平等な(釣り合いのとれた)努力をせよ。もろもろの器官平等なありさまに達せよ。

 

ここで中村元博士が「努力」と訳してしまっている riya が英語では端的に “Energy” になっている。この「努力」という訳こそが通俗的な一般論へと堕する道であり、英語の エナジー こそが、ブッダの真意を照射する鍵となるのだ、と。

今見ても、上記引用した「箜篌の喩え」のパーリ原文には、これでもか、と言うほどにブッダの瞑想実践において重要な意味を持つキーワードがせめぎ合っている。

same guṇe 、 saravatī 、kammannā 、vīriyaṃ 、indriyā 、samataṃ 、nimittaṃ 、などなど。これらの用語については、また次回以降に改めて考察しよう。

取りあえず今回は、saravatī、という単語について、前回記事の「賛歌瞑想と “発声器官”」と今回をつなげるキーワードとして、考察を進めていきたい。

このsaravatī という単語、中村先生は「音声にこころよく」と訳し、英訳は “Tuneful” となっているが、その真意とは一体何だったのだろうか?

前回記事で私は以下のように書いている。

その(バラモン祭祀における賛歌と言う)『瞑想』の「核心」にあったのは、神々について一心に『想う』(それは歌詞の内容でもある)と同時に、意識と無意識の境界領域において自らの『発声器官』のコントロールに『専念』しつつ賛歌を歌いあげる、そんな心的状態だった。

そして、その『瞑想』という言葉の前段にある「ヴィーナである人の身体を知り、その上に」、という文脈は、直接的に、発声器官としての身体の仕組みを知悉し、それを緻密にコントロールする事を意味している。

(その「緻密なコントロール」こそが、正に「チューニング」に他ならない!)

「ヴィーナである人の身体を知り」と言う事は、発声器官である自分の身体の仕組みを知悉する事であり、「その上に瞑想する」ということは、その発声器官を緻密にコントロール(チューニング)し、「専念」して賛歌を歌い上げる事を意味する。

ヴィーナの弦、その張力は固定されているが、人間の発声器官は固定されておらず、その都度時々刻々と臨機応変かつ微妙精密に発声器官(声帯周り・喉頭・咽喉・口腔・舌歯・唇、etc.)の各所を調節して賛歌が歌われる。

そのように精密に調御(コントロール=チューニング)された歌声のあり様こそが、本来的な(もうひとつの)意味でのsaravatī であり、「こころよい音声」であり、Tunefulという言葉が具体的に意味する事なのだ。

この賛歌の詠唱における “Saravatī” に関するある種異常なまでのこだわりは、例えば古ウパニシャッドの中などにも明確に表れている(前回ざっと見て言及したものを含め改めて引用)

チャーンドーギャ・ウパニシャッド 第二章 第22節

1.「旋律を家畜の吼え声〔のように唱える事〕を私は選ぶ」とは、アグニ神のウドギータ〔の場合の事〕である。

プラジャー・パティの〔ウドギータの場合は〕音節の発音を不明瞭にし、ソーマの〔場合は〕明瞭に発音する。

ヴァーユ神のは柔らかく穏やかにし、インドラ神のは穏やかではあるが力強く〔唱える〕。

ブリハス・パティのは鴫の鳴き声に似せ、ヴァルナ神のは調子はずれな〔声で唱える〕。

これらすべての〔唱え方〕を練習せよ。

5.「インドラ神に力を贈ろう」と〔考えて〕、全ての母音声帯を震わせて力強く発音されねばならぬ。

「プラジャー・パティに一身を委ねよう」と〔考えて〕、すべてのウーシュマン音は音を濁したり省略したりすることなく、明瞭に発音されなければならぬ。

「死の神を避けよう」と〔考えて〕、すべての閉塞音は〔空気を声帯に〕僅かに接触させて発音されねばならぬ。

~以上、「原典訳ウパニシャッド岩本裕訳、ちくま学芸文庫 P55~57より引用

このチャーンドーギャ・ウパニシャッドブッダ以前の古ウパニシャッド文献としてブリハッド・アーラニヤカと並んで有名であり、古代インド思想がヴェーダンタ的な『唯一者の探求』へと展開する、その最初期のありようを示している。

しかし、私も再読してみて改めて驚いているのだが、その内容の大半が、いわゆるブラフマンをテーマとした哲学的思索ではなく、もっぱら祭祀のやり方やその祭祀におけるウドギータの『歌唱法』にまつわる事柄について語っている。

その歌唱法、とは、それぞれの言葉や音節が持つ神学的な意味付けに依って立つ、それらの厳密な発音、発声の仕方であり、そこには、そのような諸要素を自然界の諸要素・諸現象と相互に重ね合わせるところの、いわゆる『念想(ウパース)』『同置』という心象が横溢している。

このような極めて特殊インド的な世界観。これはおそらく紀元前7~800年ごろからブッダの時代前後にかけての(当時最先端の)バラモン教祭祀のひとつのありようを、リアルに反映しているものだと思われる。

ここで、まず上記引用で注目すべきは、赤字でハイライトしたように、明確に『声帯』という『器官』に言及している事だ。これは英訳を見ると直接『声帯』という訳は見当たらず『発声器官』的な訳になったりするのだが、岩本氏が敢えて『声帯』という訳語を用いたのにはそれ相応の理由があったのだろう。

(いろいろと探したのだが、サンスクリット原語は発見できず)

私としても、この訳出には大いに賛成できる。以前に書いた様に、これだけ賛歌の音や音節、単語の厳密な意味、そして様々な同置、それらを踏まえた発声法と音韻論、と言うものに「神学的な」意義を見出していた古代インドのバラモンたちが、そのような『音声』の依って来る『音源』である『声帯』あるいは『声門』の存在について、全くあずかり知らぬ状態にあったとはとても思えないからだ。

(古代インドにおいて高度に発展した文法学的言語学、及びその基礎となった音韻論・音声学の起源とは、正にこの祭祀における賛歌という実践的な関心に根差すものであり、このような伝統が一方では、ヒンドゥ・ヨーガにおける『プラーナヤーマ』の起源ともなった可能性が高い)

そしてこのような声帯を起点とした全発声器官(喉頭、咽喉、口蓋、舌、歯、唇、それらにまつわる諸筋肉)の仕組みを熟知し、精密にコントロール(調節=チューニング)して、(神学的な意味づけを十分に踏まえた上で)理想的な音声を発し歌い上げられた賛歌、それこそが、前述したアイタレーヤ・アーラニヤカの、

『神々によって造られたヴィーナである人の身体を知りその上に瞑想する

事であり、だからこそ、その後段の、

『(そのメロディである音声=賛歌)は(神々に)快く聞かれ、彼の栄光は大地を満たすだろう』

という言葉が、実践的な意味を持つ訳だ。

ここでひとつ重要な点は、「詠唱という瞑想営為=賛歌」「神々に快く聴かれ」その結果として「彼の栄光は大地を満たす=神々から果報がもたらされる」という『祭祀』における構造と関係性にあるので覚えておきたい。

そして、ゴータマブッダが『箜篌の喩え』において語った「音声にこころよい(妙なる響き)」でありTunefulであるところの、パーリ原語 “Saravatī ” が本来的に意味するものこそが、そのような徹底的なこだわりの上に絶妙に制御された賛歌のメロディ(ヴォーカル)であった、と考えるべきなのだ。

何故なら、この “Saravatī ”Saraとは、バラモンの歌詠祭祀を中心としたインド教世界の中で、何よりも人間の(賛歌の)『音声』をイメージする時に多用されるものであり、様々な結合語と結びついて音韻論の詳細を記述する中核語となっているからだ。

それはSaraというパーリ語やそのサンスクリット語であるSvaraの運用を見れば良く分かるだろう。

そもそも、「ヴィーナと身体の重ね合わせ」と言うものが、共に祭祀で演じられるヴィーナの伴奏と祭官の賛歌詠唱の重ね合わせであった以上、ヴィーナにおける “Saravatī ”とは賛歌詠唱における “Saravatī ”である、という事は古代インド人にとっては自明の真実なのだ。

この辺りは、現代日本人にとってのギターと古代インド人にとってのヴィーナが「まったく同じ単なる弦楽器に過ぎない」、と思っている限りは絶対に理解できない心象風景だろう。

要するに、ブッダがソーナ比丘に対して「ヴィーナの喩え」を用いて修行の要諦を説き聞かせた時、彼らの念頭にあったのは「祭官ヴィーナ」と全くダブらせた楽器ヴィーナであり、むしろこれらバラモン祭祀における『瞑想実践としての賛歌詠唱』のありようのディテールそのものであった、と言う事になる。

だからこそ、ソーナ比丘は、ブッダの教えに多大なる啓発を受けて、その後悟りを開く事が出来た、すなわち、瞑想実践においてニッバーナに到達する事が出来たのだ。

何故なら、

賛歌と言うバラモン教的な『瞑想実践』に対するオルタナティブとして提示されたのがブッダの瞑想行法』であり、

「賛歌のデバイスである(ヴィーナとしての)ウドガートリ祭官の身体」

「瞑想のデバイスである(ヴィーナとしての)比丘サマナの身体」と、

完全に対置(同置)されていた

からだ。

私たちはそのような『対置構造』を前提にして初めて、箜篌の喩え」の真意をソーナ比丘と同じ地平で、理解することが出来るだろう。

この様な対置構造はこれまでに紹介して来たパーリ経典の言葉の中に、様々な形で明示されている。例えば「真のバラモンなどがそれだ。

大分以前に私は、ゴータマ・ブッダが自身とその率いる比丘サンガについて「真のバラモンと称していた点について、若干の深掘りを行っている。

ゴータマ・ブッダ自己認識(アイデンティティあるいはセルフ・プレゼンテーション)において「私は真のバラモンである」という宣明は、「実践的に」極めて重要な意味を持っているのだ。

この点に関しては次回以降に詳述する予定だが、ここで略記すれば、

 

バラモンとは「祭官=祭祀実行者」なのだから

「真のバラモンとは「真の祭祀実行者」に他ならない。

その祭祀の中核は「賛歌詠唱」でありその歌詠は『瞑想』だったのだから、

「真のバラモンとは「真の歌詠瞑想行者」を意味する。

 

この論法が間違っていないか、確認して欲しい。

そしてそれは、

 

バラモン祭官の外なる祭祀(歌詠瞑想)」

「比丘サマナの内なる祭祀(呼吸瞑想)」という

対置構造の中に位置づけられていた。

 

という事になる。

これは以前に書いた

「ワインを蒸留熟成してブランデーが出来、それを精製して純粋アルコールが抽出される様に、賛歌からオームの念誦が蒸留熟成され、それを更に精製したものがブッダの純粋呼吸瞑想である」

という文脈とも全く重なるものであり、それは同時に、リグ・ヴェーダ的神々が哲学的賛歌においていくつかの "Tad Ekam" 候補へと収斂され、それが最終的に『一者なる絶対者ブラフマンへと収斂していくプロセスと、まったく軌を一にしている。

ここでブッダ「真の」と言う時、それは『清浄な』であり『殺さない』『善い』『正しい』『至上の』であり、対置する「偽りの」「不浄な、殺す、悪しき、間違った、低級な」既成のバラモン祭官と祭祀の在り方を、自らの生き様をもって見事にアウフヘーベン(アンチテーゼ)している。

略記と言った割にはかなり詳述してしまったが、この辺りは極めて重要なポイントなので、繰り返し読んで、吟味して欲しい所だ。

もちろん私のこのような論述に対しては、「やっぱりヴィーナの喩えは単なる楽器の喩えであって、瞑想実践ともバラモン祭祀や賛歌の詠唱などとも全然関係ないんじゃない?」という疑問は当然予想される。既成の常識に縛られていたらそうとしか考えようがないからだ。

妙な理屈をこねくり回して事態をより複雑化して考えるのではなくて、ごく普通に当り前に素直に受け止めれば、箜篌の喩え」はこれまで通りの「中ほどが丁度いい」という理解で問題ないじゃないか、という訳だ。

古代インドにおける祭祀という基幹パラダイムの重要性やそのディテールについて、現代(日本)人はほとんど知らないのだから、ある意味、「一般論」としてはその判断は正しいようにも見えるだろう。

しかし、ここで前提にすべきは一体、 "誰の"「一般論」だろうか。

現代日本に生きる私たちと古代インド人とでは、その「普通の当たり前」の次元がまったく違う。それに加えて、出家のサマナをはじめとしたインド的求道者という人々は更に度を超えて(我々が考える)「普通」では全くなかったのだ。

(私たちはここで『普遍』と『特殊』を明晰に切り分ける必要がある)

もし人が「ゴータマ・ブッダのリアル」を本当に知らんと欲するならば、まず第一に、彼ら出家比丘と言う人々が当時何をどう考えていたか、その心象風景に心を馳せ、彼らにとっての「普通で当たり前」が一体どのようなものであったのか、と言う事に、想像力の限りを尽くして肉薄しなければならないのだ。

(もちろん入手可能な基礎データを踏まえたうえで、その延長線上に)

そうすることによってはじめて、バラモン教的な祭祀ブッダの瞑想行法が、具体的かつ実践的に『接続』していたその『文脈』が、自ずから明らかになるだろう。

端的に言って、この両者が「接続していなかったとしたら」ブッダが自らを「真のバラモン」などと自称する訳がない。こんな事は子供でも分かりそうな単純明快な理屈だ。

(この点に関して中村元博士は「当時はバラモン教全盛の時代だったので、ブッダは自らの教線を拡大する為にバラモンという社会最上位者の威勢を便宜的に借りたのだ」などと★★★★いるが、よ★まぁこ★な適★な事が… 以下自粛。後日冷静に検証)

私はやはり以前に、

ブラフマン概念とブッダ存在」との関係性

についても考察しているが、上の文脈はそこでの論述とダイレクトに結びついて来る。

そこでは、

覚りを開いたブッダの事を

ブラフマンになりbrahmabhūta)

ブラフマンに達しbrahmapatti:brahmalokūpapatti)

ブラフマンと同じになった者brahmasama)

と呼び、

ブッダの教え、その修行道

ブラフマンの車輪brahmacakka)

ブラフマンの無上の乗り物brahmayānam anuttaram)

と呼びうる、

その背景心象とは如何なるものなのか?

という極めて素朴かつ根元的な疑問を解き明かすべく様々な考察が行われたのだが、バラモン教的な祭祀(歌詠瞑想)ブッダの瞑想行法が、具体的かつ実践的に『接続』していたその『文脈』さえ理解されたら、これはもはや、謎でも何でもなくなってしまう

キーワードは、既に幾たびも触れている『祭祀の内部化』だ。

そこでは、「真のバラモンによって為される「真の歌詠瞑想行」において「無声の純粋呼吸」が奏じられ観じられる事、それ自体が、「不死なるブラフマンに捧げられる「内なる祭祀」を構成していた、と考えられるのだ。

そしてこのブラフマン』概念は、ブッダ般涅槃後に仏教サンガからほぼ完全に消滅する。何故なら、もはやそのブラフマンブッダと完全に同一なのだから、わざわざ旧来の呼称であるブラフマン呼び続ける必然性が全くなかったからだ。

むしろ「呼ぶ事を止める」必然性は多々あって、だからこそ、その呼称は最終的にブッダに一本化されたと言ってもいい。この辺りの消息もまた、この『文脈』を理解するためのひとつのカギになるので、後日検討したい。

そうして完全に不死なるブラフマンと合一したブッダ存在唯一の『至高神格』と崇め、その後の仏教サンガおよびその信徒たちはブッダに捧げる祭祀』として、それぞれの『つとめ(祭務)』を果たしていったのだった。

ストゥーパ信仰もその様な文脈の中で初めて、正確な理解と評価が可能になる)

ブッダに捧げられる祭祀として為されるその『つとめ(祭務)』とは、比丘においては戒を守り出家としての行儀をなぞらえ経典を伝持し理念的には瞑想実践に励む事であり、在家においてはサンガに供養『善を実践する』事だった。

出家と在家それぞれの「果報」『解脱』『生天』とに完全に分かれていたはずだが、後に「瞑想実践行が見失われた」結果、在家と比べより高いレベルでの『生天』は出家の果報にもなった。

そこでブッダ祭祀の全てを統括支配するのは基本的に比丘と言う「真のバラモン祭官」だが、在家信者の日常における「善行為」もまた『祭祀』としての実効力を有していた。この『祭祀行為の民主化(内製化)』は、おそらくブッダ在世当時からすでに起きていた事だろう。

やがて時が経ち、仏教自体がインド世界の辺縁から外部へと流出した結果、この『祭祀』という本来的(インド教的)な概念・文脈の肉付けは少しずつ捨象・忘失され、その基本的な骨格構造だけが残った。

(このプロセスは、あるいはインド世界のど真ん中で社会から孤立し閉じこもった『ビハーラ』の中でも、進行していたのかも知れない)

その中で「話の辻褄を合わせる為」に、『カルマ』『ダルマ』と言うものがある種超越的な『威力』としてクローズアップされ、サンガ独自の煩瑣な論学が発展した。

それが現代に至るテーラワーダ仏教である、と私は考えている。

ダルマカルマという語の基本的な原像その性格が、本来祭祀祭祀行為であった事を前提にすれば、これらの文脈の整合性が理解可能になるだろう。

もちろん以上は、ひとつの『読み筋』を大幅に簡略化しそのあらましを提示したものに過ぎない。後日ここからさらに深掘りして、その枝葉について詳細に論じていきたい。

(本投稿はYahooブログ 2016/3/19「52 『賛歌』のオルタナティブとしての『ブッダの瞑想行法』」を加筆修正の上移転したものです)

 

 


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ウドガートリ祭官の「歌詠瞑想」と“発声器官”《瞑想実践の科学26》

今回は最も根源的かつ素朴な疑問から話を始めたい。それは、そもそもインドにおいて『瞑想』という時、その名称と営為はどこに起源するのか、という問題だ。

これについてはこれまでにも何回か取り上げたが、インダス文明の遺跡で発見された印章の彫刻に、ヨーガ行者が坐って瞑想している様な姿があり、これこそがその起源ではないか、と言われている。

f:id:Parashraama:20191128150513j:plain

Wikipediaより:インダスの印章に見る瞑想するヨーギの坐相

そこに、確かな文献的データがある訳ではない。インダス文明には一般に文字であろうと考えられるいくつもの図形の羅列が発見されているが、その意味内容は未だ解読されてはいないからだ。

だから、上の絵柄を見た上での第一印象として、多くの学者が同意している仮説として、これは瞑想するヨーギの原初形態であろう、と言われているのだ。

確かに、中央に坐っている人物はある種特殊な坐相をとっている。床に広げた敷物(台座?)の上に坐って、その両膝が大きく左右に開展し、両足先は中央部で特殊な重ね方で揃えてある。それら脚全体がピッタリと水平に床に着けられている。

これは単なる胡坐すわりなどではなく、現代ヨーガにおける様々な坐相(アーサナ)の理想形をよく表している。その理想形の坐において両の腕を伸ばして両膝に置いているので(掌は下向きだろうか)、これもヨーガで見られるポーズに類似している。

さらに注意していくと、股間には上を向いたペニスが描かれているようにも見える。この事はシヴァ神を象徴するリンガ(男根)を想起させるだろう。

上半身には胸飾りのような線刻が見られ、腕輪らしきものも確認できる。頭上には動物の角をあしらった兜のようなかぶり物があり、特筆すべきはやや非人間的な印象を与える顔面部が、見ようによっては正面と左右の合わせて三面像とも受け止められる造形をもっている事だ。

さらに坐っている彼の周囲を取り巻くようにして、象、牛(水牛?)、サイ、トラ(ライオン?)などインド世界を象徴する様な動物が並べられ、この事から彼はパシュパティナート(獣類の王)であるシヴァ神の原初形態ではないか、と考えられている。

つまり、獣類の王でありリンガ(ペニス)の神であるシヴァ神の原像が、動物たちに囲まれておそらくは森で、坐の瞑想にいそしんでいるのではないか、というのがひとつの仮説なのだ。

坐像の頭上には六つの文字が刻まれているが、解読できていないのでその意味は分からない。そしてそれが本当に神像なのか、さらには彼が瞑想しているのか、などは全て想像の域を出てはいない。

しかし、この極めて印象的な古代インダス文明の坐像は、やはり第一感明らかに瞑想行者のイメージを喚起させる様な、ある種の “神気” を漂わせているという感触は、多くの方が同意していただけるのではないかと思う。

ここでひとつの仮説が立てられる。インド人の瞑想実践の起源のひとつは、間違いなくインド・アーリア人が侵入する以前、先住のインダス文明の時代に遡り、その実践内容は定かではないけれど、それは明確に『坐の瞑想法』だった。

そしてこの坐の瞑想法は、彼らの社会・生活の中で、とても重要な意味を担っていた。

もともとシヴァ神の神名はアーリア・ヴェーダのルドラであったようだ。このインドの神の名前の遷移やそのヴァリエーションについてはあまりにも煩雑すぎてここでは取り扱わないが、この坐の瞑想にふけるインダスの神、その原イメージとヴェーダのルドラ神のイメージが重なりあい、最終的に吉祥を意味する「シヴァ」に落ち着いたようだ。

その根拠として、シヴァ神自身として常に寺院に祀られるリンガ信仰の起源が、インダス文明にまで遡れる事が指摘されている。

獣類に囲まれる坐像としての神と並行するリンガ信仰。これらインダス文明に起源する宗教的心象が、やがてアーリア・ヴェーダの文化によって様々な形で触発・脚色されて、シヴァと言う神格が誕生した、という流れだ。

ブッダにしてもシヴァにしてもマハヴィーラにしても、インドで瞑想と言えばまず第一に『坐の瞑想』のイメージがある。この様な宗教的な坐法の伝統はインド・アーリヤ人と同根と言われるイランの文化には全く存在していないようだ。

インドにおける瞑想実践の起源、その原像は、ほぼ間違いなく、このインダスの遺物に見られる「坐の瞑想」にあると考えていいかと私も思う(実際にはあまりにも証拠がなさすぎるので、想像の域をでない、と言われても反論は難しいが)。

これを踏まえた上で、以下の考察に進みたい。

先に私は、「『ヴィーナである身体』の上に瞑想する者は」の中で、こう書いた。

以下、高野山大学院修論 第Ⅱ章、古代インド思想 ―ヴェーダの倫理―(1) さんからの引用

宗教としてのバラモン教の本質は祭祀である。バラモン教を精査することにより、釈尊が出現した紀元前5,6世紀頃の古代インドの自由思想家たちの宗教、思想を浮き彫りにし、その変遷を知ることができる

 インドにおける哲学的萌芽はインド最古の文献群であるヴェーダ(veda)によって認められる。ヴェーダは宗教的知識であり、転じてバラモン教聖典の意味となった。

まず祭祀を本質とするヴェーダバラモン教と言うものが前提としてあり、その聖典のひとつ、アイタレーヤ・アーラニヤカに書かれた「ヴィーナと身体との重ね合わせ」について、次に言及した。

archive.orgさん:「The Upanishad by Müller, F. Max 1879」のP263~からの抜粋・引用

6. He who knows this lute made by the Devas(and meditates on it), is willingly listened to, his glory fills the earth, and wherever they speak Aryan languages, there they know him.

神々によって造られたヴィーナである人の身体を知りその上に瞑想する者の、そのメロディである音声(賛歌)は(神々に)快く聞かれ、彼の栄光は大地を満たすだろう。そしてどこであろうと彼らがアーリヤの(高貴な・聖なる)言葉を唱える時、彼らは彼自身を知るだろう。

~~以上、引用終わり。日本語は筆者の意訳~~

ここでは『ヴィーナとしての身体の上に瞑想する』という概念が明示されている。そこにおける『瞑想』とは、実践的には「身体と言うヴィーナ」によって賛歌と言うメロディ(声楽)を奏でることだと考えられるだろう。

それは続く、「賛歌の精髄としての “聖音オーム”と瞑想実践」の中で、上記アイタレーヤ・アーラニヤカについての解読と共に “急所の一手” と表現しておいた。

では、ここで言う『瞑想(Meditate)』とは、より具体的には何を意味していたのだろうか。それはインダスの坐神がしていたであろう『瞑想』とどのような関係にあるのだろう。さらにブッダ自身の瞑想法と、一体どのように “連接” しているのだろうか。

インド・アーリヤ人の習慣に『坐の伝統』が無かったならば、一体、これら祭官たちは、立って賛歌を詠唱していたのか、それとも坐っていたのか。もし坐っていたのならば、それはいつどのような契機によって採用されたのか。

最初に先ず、『瞑想』というインド語の原義について考えてみたい。インド諸語には瞑想を意味する単語が結構たくさんある様なので、端的に私たちが仏教とかヨーガとかいう文脈においてもっとも親しんでいる“Dhyāna”という言葉を取り上げて考えてみよう。

この“Dhyāna”サンスクリット辞書で引くと以下のようになる。

ध्यान [ध्यै-भावे-ल्युट्] 1 Meditation, reflection, thought; contemplation; ज्ञानाद् ध्यानं विशिष्यते Bg.12.12; Ms.1.12; 6.72. -2 Especially, abstract contemplation, religious meditation; तदैव ध्यानादवगतो$स्मि Ś.7; ध्यानस्तिमितलोचनः R.1.73. -3 Divine intuition or discernment. -4 Mental representation of the personal attributes of a deity; इति ध्यानम्. -Comp. -गम्या a. attainable by meditation only; योगिभिर्ध्यानगम्यम् Viṣṇustotra. -तत्पर, -निष्ठ, -पर a. lost in thought, absorbed in meditation, contemplative. -धिष्ण्य a. suitable for ध्यान; रूपं चेदं पौरुषं ध्यानधिष्ण्यम् Bhāg.1.3.28. -मात्रम् mere thought or reflection. -मुद्रा a prescribed attitude in which to meditate on a deity. -योगः profound meditation. -स्थ a. absorbed in meditation; lost in thought.

まず最初に並べられた4つの英語を、Google翻訳で人の心の働きの中から見ていく。

Reflexion;
反省、自省、省察、思案、映像、反映、回想、など。

Thought;
思想、考え、思考、思案、思惟、了見、思い、想い、意、念、想、など。

Contemplation
沈思、黙考、冥想、嘱望、反省、など。

Meditation
瞑想、思索、思案、冥想、反省、黙考、潜心、沈思、など。

このように見てくると、このDhyanaという単語の基本的な概念がおよそ分かって来る。それは考えたり、思案したり、反省したり、思ったり、想ったり、念じたり、様々なイメージを脳裏に投影したり。

日本人が伝統的に尊んできた『無念無想』あるいは『無心の境地』というイメージからは、少なからず隔たりがある、ことが知られるだろう。

その他、色々な書物を見ても、このディヤーナというインド語のそもそもの原風景は『考える』こと、『想う』こと、であったのは間違いないようだ。

その意味ではやはり瞑想をも意味する「ウパース」の訳語である『念想』というのがしっくりくるかもしれない。

これは『瞑想(Meditation)』を意味する他のインド語を見ても、その多くが、最も基本的な原像として『考える』こと、『想う』こと、『念ずる』こと、という意味を持っていることからも裏付けられる。(サンスクリット辞書:Meditate)

実際に英語版WikiでMeditationを見てみると、そもそもの英語のMeditationという言葉自体その原意は、

The English meditation is derived from the Latin meditatio, from a verb meditari, meaning "to think, contemplate, devise, ponder".

とある様に、どうやら瞑想の原語であるDhyanaは、本来は無心の境地に遊ぶ、という様なものではなく、何かを徹底的に想い、思い、念じ、熟考する、と言う意味だった事が分かる。

もちろん、この言葉が宗教的な文脈で用いられる場合は、ごく日常的なもの思いや雑念妄想、というレベルでの想念や思考ではなく、ある対象に集中し一本化した、非日常的な純化された思念』とも呼ぶべきものなのだろう。

そしてこの原意としての瞑想こそが、上述のアーラニヤカ・アイタレーヤにおいて言及されていた、『ヴィーナとしての身体の上に瞑想する』、という時の実態に近接しているのではなかったか、と考えられるのだ。

このヴィーナとしての身体と言うのは、つまりヴェーダの聖句を歌い上げる、サーマンを詠唱するウドガートリ祭官の身体だから、その身体において、何かを思い、念じ、ひたすらに考える。当然頭も身体の一部だ(楽器ヴィーナが頭をもつように)

そしてこのヴェーダの詠唱とは、何よりもまず第一に、その聖なるヴェーダ詩節のテーマとなる神々に捧げられるのだから、当然ながら、その対象たる神々について、その性質や偉力や勇姿などを、ひたすらに『想い』『思い』『念想し』、イメージする、と言う事が考えられる。

これは心のスクリーンに『神』の様々なイメージ属性を、“コンテンツ”として保持(投影=リフレクト)し続ける、と言ってもいいだろう。

これは後日改めて論じたいが、この様な「イメージ・コンテンツの専念投影」という瞑想スタイルが、ブッダの時代を起点にして「イメージ・コンテンツ(意官の法)の止滅」の方向へと転換した事こそが、汎インド教的な瞑想史から観た画期だったとも考えられる。

第二には、ヴィーナとしての身体の上に、と言う但し書きがある以上、そのヴィーナである身体について、そのヴィーナの演奏について、ひたすらに思い、想い、念じ、考える、と言う事が想定できる。

ヴィーナについて、その演奏について考える。それはもちろん演奏しながら、つまり身体によってサーマン(賛歌)を歌いながら、その「歌い」と言う行為のプロセスに関して、ひたすらに集中して考える、想う、念ずる、あるいは一心に『専念する』と言う事になる。

楽器の演奏と言う行為において、例えば熟練のギタリストはもちろん演奏するという行為プロセスに集中して専念している。五感六感の全てを研ぎ澄ませて、そのプロセスの全てを統御しつつ名演奏を遂行していく。

けれどこのようないわゆる『達人・名人』的な技量・行為の最中においてその演者は、全ての状況を意識の上で把握しつつも、その状況は常に瞬間瞬間にとてつもないスピードで転変しているが故に、決して一か所に留まる事のない流動性の中で、ある種の『無心』の状態になる。

これはベテランド・ライバーが車の運転をしている時の事を想定すればよく分かるだろう。彼は瞬間瞬間の全ての状況を把握し、即応しながら、しかしあーだこーだと運転について「考えている」訳ではない。そこには静かで臨機応変『無心』が現成している。

そこでは、いわゆる『無意識』の領域で超スピードのあらゆる情報処理と判断、つまり『思考』が行われているはずなのだが、表在意識はそのような『潜在思考』の上で無心に遊んでいる、というある種不思議な状態だ。

このような熟練者の楽器演奏などで見られる、無意識的な『高度情報処理プロセス』の上に遊ぶ『無心』状態。これが想定される第二のDhyanaの心象イメージだ。

この第二のディヤーナを、サーマン賛歌を歌い上げるウドガートリ祭官の、祭祀におけるフォーカシング・ポイント、という視点から更に深めていく。

古代インドにおいて祭祀と言うものは、神聖でありかつ絶対的な意味と権威を持っていた。それは基本的に祭祀において歌われるその言葉の力によって神々を動かし、祭主(お金を出すパトロン)の願いを実現させよう、と働き掛けるものだった。

しかしバラモン祭官を初めその場に立ち会う祭主や聴衆には、実際に神々の姿が見え、その声が聞こえる訳ではない。例え古代インドとは言え、神がその姿と共にリアルに降臨する事は決してないのだ(違うだろうか)。

このあたりはとても面白いところだが、では人々は何をもって「祭主の願いが神々によって聴き届けられた」と判断できたのだろうか?。

結局祭場には人間しかいないのだから、彼ら自身が五感六感を総動員して、何らかの変化の兆し、とでも言うものを察知して、神々に我々の声が届いたのだ、と判断するより他にない訳だ。

その『変化』、あるいは『成就の兆し』とは何であったか。

例えば祭式の進行に伴って雲が出たり雨が降ったり、晴れあがっていったりという空模様の変化。あるいはヤジュナの祭壇におけるアグニ、つまり炎の揺らめきの変化や煙の動き。鳥の鳴き声、風鳴りの音、気温の変化、などなど、環境世界における様々な変化が神意の兆しとして捉えられた事もあっただろう。

けれども、これは極めて私的な視点なのかも知れないが、結局のところ祭祀におけるサーマン賛歌の詠唱とは、現代的に言えば歌姫ならぬ歌王?(祭官は男)による『詠唱コンサート』に他ならないのだから、そこにおいて判断の基準になるのは、“どれだけ聴衆たちが、ウドガートリ祭官の歌声に魅了されて感動したか” と言う事こそが、神々に願いが届いたかどうか、という判断の根拠になったのではないか、と考えられるのだ。

それをより具体的に言うならば、例えばちょっと古いが耳なし芳一の話で、彼が壇ノ浦の決戦の物語を琵琶の音色と共に弾き語る時、聴衆はその心象の中にまざまざとまるでその現場に臨場しているかの如くに、壇ノ浦の海鳴りや源平の侍たちの雄たけびをありありと聴き、その風景や姿を眼に浮かべ、血しぶきの散るさまやその匂いさえもかぐ事が出来たかも知れない。

それと同じ事が、古代インドのヴェーダの祭式においても起こっていたという事だ。その祭場において、聴衆を魅了するのはヴィーナの伴奏を従えたウドガートリ祭官の詠唱に他ならない。

それは耳なし法一の場合と同じように『ものがたり』であると同時に、それ以上に『イメージ歌劇』であった、と考えられる。

聴衆、特に祭主の心を完全に魅了しその支配下に取り込んで、彼の心の中に神々の姿やその声をまざまざと生起させた時はじめて、その祭祀の誓願は成就されたと受け止められるのだ。

特にブッダの時代前後のバラモン教全盛の時代には、バラモン祭官の祭祀の効力は神々の力をも凌ぐ、と言う、いわゆる『祭祀万能思想』が幅を利かせていたのだから、その説得力(洗脳力?)は並々ならぬものがあったはずだ。

分かりやすく言えば、神々の降臨をリアルにイメージさせないようなしょぼいコンサートだったら、誰もそんな事は信じない訳だ。

だからバラモン祭官たちは如何にして聴衆たちを、その心を魅了し虜にするかという『歌唱力』さらには『演出力』を、徹底的に磨き上げていった事だろう。

(このあたりの事柄は、すでに以前「”Mukha”の原像と『声門』という新たな焦点《瞑想実践の科学24》 」の中で若干触れている)

その証拠が、古代インドにおいて高度な発達を見た『音韻論』だ。

これは単なる知識としての学問などではなく、上記のような詠唱シンガー&パフォーマーとしてのバラモン祭官たちの必要に迫られた、つまり『歌唱』という行為と完全に結びついた“実践の科学”として、発達したと考えるべきだろう。

では、そのような詠唱コンサートにおけるヴォーカル(声楽)とその基盤となる音韻論的科学、それらの核になるものとは一体何だっただろうか?

それこそが、私の考えるところでは、“声帯を中心とした発声器官”『トータルかつ精緻なコントロールに他ならない。

先に紹介した「アイタレーヤ・アーラニヤカ」引用部分の前後には極めて面白い内容が並んでいる。

煩雑になるので原文は載せないが、そこには子音、母音、歯擦音などの専門用語を、その発声の呼吸法と共に様々な事物に重ね合わせて想起もしくは念想(Represent)する、というフレーズが並んでいる。

このような音韻論的な極めてマニアックな事柄を祭祀や瞑想、あるいは宗教的な探求において深く重ね合わせて論ずるという特性は、ウパニシャッドにおいても顕著に認められ、いまざっと見たところ、ウーシュマン音とか閉塞音とか、素人には何のことやら分からない類のものが羅列されている。

このような音韻論と言うものはダイレクトに発声学と結びついており、その発声学とは何よりも祭祀における『声帯を起点とした発声器官のトータルかつ精緻なコントロールに基づいた『賛歌の詠唱』と不可分一体であったと考えるべきなのだ。

現代においても、例えば「カラオケ 歌唱法 声帯」などというキーワードで検索をかけると、実にマニアックなカラオケ道場的サイトがぞろぞろとヒットし、その中では呼吸法と共に声帯を中心とした全発声器官(舌、歯、唇、喉、etc.)のコントロール法が詳細に説かれている。

これは、私などには分からないが、おそらくクラシック声楽家にとっても同じことが言えるのではないだろうか。

ヴォーカリストの命は呼吸と発声器官のコントロール。その原理・原則は、ヴェーダを詠唱するバラモン・ウドガートリ祭官にもまったく該当するのだ。

そこで話を戻すと、『ヴィーナとしての身体の上に瞑想する』というこの瞑想営為の実際において、先に紹介した『熟練ドライバーが車を運転する』という喩えの中のその『運転』に当たるもの、あるいは楽器ヴィーナにおける『演奏』に当たるものこそが、神々の手になるヴィーナであるウドガートリ祭官ヴォーカリストの場合は、この『発声器官のトータルかつ精緻なコントロールであったと言えるだろう。

発声器官をその全領域に渡って、呼吸と共に精密に運転(ドライブ/コントロールする、という『専念』

カラオケ道場のサイトを見ると、それは限りなく“意識的” なコントロールであるようだ。もちろん上級者においては熟練ドライバーの『即妙自在なる無心』と重なり合う部分も多いのだろうが、この声楽における発声器官のコントロールは、それ以上に意識的と無意識的が相半ばする営為である様に読みとれる。

これはカラオケとか声楽とかヴォイス・トレーニングとかを実際につきつめて実践した事のある人ならば、かなりリアルに理解することができるのではないだろうか。

私自身もインドを初め様々な所でマントラ詠唱の経験があるので、感覚的に分かる部分もあるのだが、それは車の運転などの日常行為よりも、相当以上に “意識性” の強い『集中』だ。

何というか、意識が無意識の領域に一歩、踏み込んでいる、と言うか。

その理由のひとつが、このヴォーカル(発声・発音)という行為が、“自己表現” と深く結び付いているからだろう。自分の感情や思考の表出、さらに宗教と言う文脈であるなしに関わらず芸術としての表現性。つまりヴォーカルというものは何よりも意志や心や情念と深く結び付いている『表現(プレゼンテーション)』なのだ。

普段は何も考えず無意識的に発声器官がコントロールされ発話している人も、何かここぞという瞬間には意識的にその発声を変える。人は発話している時、意識と無意識の境界線を常に行ったり来たりしている。

この事実は、かのゴエンカジー「呼吸は意識と無意識をつなぐ架け橋」という言葉と深く結び付いている。何故なら、発声・発音をコントロールする時、それは常に呼吸のコントロールと不可分一体だからだ。

常日頃はほぼ完全に無意識下で行われている自然呼吸単体が、ひとたび発声・発音という営為と重なると極めて意識性が高い状態に変わる。この切り替えを、普通私たちは何も考えずに無意識的に行っているのだ(ややこしいが)。

以上を踏まえた上で、アイタレーヤ・アーラニヤカにおいて、

神々によって造られたヴィーナである人の身体を知り、その上に瞑想する者(そのメロディである音声=賛歌)は(神々に)快く聞かれ、彼の栄光は大地を満たすだろう。そしてどこであろうと彼らがアーリヤの(高貴な・聖なる)言葉を唱える時、彼らは彼を知るだろう。

と説かれたその内容を吟味するとどうなるだろうか。

その『瞑想』 “核心” にあったのは、神々について一心に『想う』(それは賛歌の意味内容でもある)と同時に、意識と無意識の境界領域において自らの『発声器官』のコントロール『専念』しつつ賛歌を歌いあげる、そんな心的状態だった。

そして、その『瞑想』という言葉の前段にある「ヴィーナである人の身体を知り、その上に」という文脈は、直接的に、発声器官としての身体の仕組みを熟知し、それを緻密にコントロールする事を意味している(その「緻密なコントロール」こそが、正に「ヴィーナの譬え」で焦点になった “チューニング” に他ならない!)

少なくとも私は、そのように理解している。

(おそらく、この時、熟練のウドガートリ祭官はある種のトランスに入っていた。そしてトランス特有の気配を強力に発していた可能性が高い。この事はまた後日)

そして、そのように考える事によって、アイタレーヤ・アーラニヤカ的な “瞑想”ブッダの瞑想法』がリンクしていく、その “接点” が浮かび上がって来る。

何故なら、このウドガートリ祭官が熟知し、全身全霊で集中し精緻にコントロールする『発声器官』こそが、パーリ経典において

parimukhaṃ satiṃ upaṭṭhapetvā

すなわち

Mukhaの周りに気付きを留めて

という時の “Mukha” 、つまり「牛がモ~(Mu)と鳴くその声が発するところの空処(口腔・咽喉・喉頭=Kha)」そのものだからだ。

以前に私はコップの本質として「開口した奥行きのある空処性」を指摘し、それがそのまま口にも該当すると論じたが、正にその内部的全構造体を駆使して歌われるのが、賛歌詠唱と言う『瞑想実践』なのだ。

そのヴォーカル・ボディとしての祭官の身体は楽器ヴィーナに喩えられており、パーリ経典におけるヴィーナ(箜篌)の譬えは、同じように瞑想修行する比丘の身体をヴィーナに重ねた上で、そこで行われる『実践上の要諦』を示唆する為に語られていた、と言うのが本稿における読み筋だった。

そこでは「弦の張りの強さ弱さ、その『最適化』が焦点とされていたが、身体においてこのに相当するものこそ声門であり、更に喉頭であり咽喉であり、口腔、歯、舌など、口(鼻)の『奥行きある内部構造』であった事を考えれば、そこにおける「気づきの対象」もまた、声門までをその焦点として視野に入れた広義の『口の内部』にこそ置かれるべきだ、という結論は極めて自然な流れとして導き出されるだろう。

この様な仮説の上に仮説を積み重ね続けるという思考法には違和感を覚える人も多いかも知れないが、これは極めて合理的かつ有効な手法だ。

この点に関してはもっと早くに付記しておくべきだったかも知れないが、私が『仏教』あるいはブッダの言葉』を読み解く方法論は、全く囲碁』の思考法に則っている。

私は学生時代、ダイビングと並んで囲碁に熱中し、最盛期にはアマ五段程度の棋力を維持していたのだが、囲碁と言う世界においては、盤上に今明らかに現れて認識可能な石の配置から「未だ現れていない『未来』的な石の流れを読む」能力を鍛えなければ、決して強くはなれない。

仮定の上に仮定を積み重ねて幾通りもの読み筋(プロの高手では一手につき数百手にも及ぶ!)を深め確立し、その内の最も確からし道筋を吟味し選択して打つ、と言うのが、碁盤上における思考法であり方法論なのだ。

大学以前も含めれば6~7年の間、継続して私はその様な世界にどっぷりと浸かり、ひたすらプロ高手の棋譜を並べ詰碁を解き、自ら実戦対局しそれを更に並べなおして検討する事を繰り返した。

喩えて言えば、私にとってパーリ経典に残されたブッダの言葉たちその総体というものは、ある種いにしえの名局を記した一枚の棋譜の様なものなのだ。

江戸時代の名人高手が残した一枚の名局棋譜を目の前において、一手一手を碁盤上で並べつつその全局、数百手の間に両対局者の頭の中で渦巻いた思考読み筋判断の流れさらには時々の「感情の揺らぎ」さえも、可能な限り『再現的』に把握し玩味する。

たった一枚の棋譜(表面上それは升目に記された単なる数字の羅列に過ぎない!)から、あたかもタイムマシンで『そこ』に臨場しテレパスの様に対局者の心の内部にダイブしているかのように、その脳内思考プロセスを総体として精密かつリアルに読み解いていく。

そこでは実戦対局と全く同じように、「仮定の上に仮定を積み重ねて幾通りもの読み筋を深め確立し、その内の『最も確からしい道筋』を吟味し選択して全局ストーリーを再構築する」という事が、ある意味唯一至上の方法となる。

(もちろんそこに「自分より上手の解説者」がいれば大いに助けになるが、私の性格は何よりも「自分で読み解く」事を好む)

もちろんその大前提として「棋力(棋理を知るその力)」と言うものの一定レベル以上の高さが必須のものとして求められる訳だが、少なくとも現在の私のキャパにおいて、様々な観点から、

ブッダが『parimukhaṃ satiṃ upaṭṭhapetvā』すなわち『Mukhaの周りに気付きを留めて』という時の “Mukha”とは、ひとつの焦点として声門までを視野に入れた『口腔・咽喉・喉頭、その内部周りである可能性は高い」

という読み筋は、一定以上の『確からしさ』があると判断できる、という事なのだ。

(古ウパニシャッドなどは沙門シッダールタに先行する『棋譜』であるし、ヒンドゥ・ヨーガの諸典籍はブッダ以降の『棋譜』であり、共に沙門シッダールタ&ブッダ脳内にダイブする際の重要な手がかりとなる)

私はこれまで、この「parimukhaṃ satiṃ upaṭṭhapetvā」については、広長舌相から始まって動物の調御の喩えや「三つの苦行」、そして「パオ・メソッド」などを引き合いに出して様々な解釈の可能性について論じてきたが、それゆえこれらは全て、上記の様な「確からしさ」を持った有力な読み筋の羅列的提示に過ぎない。

しかし同時に、これらの探求は「瞑想実践の科学」というタイトルと共に段階的に深められてきたものでもあり、現状この最終盤に登場した「声門まわり仮説」こそが、焦点を絞り切った最有力候補だと受け取ってもらっても構わないだろう。

ただ、これら複数のタッチング・ポイントの相違は、個々人の実践的な資質や相性によってそれぞれ応変にあるいは段階的に適用され得るし、「上唇から鼻腔にかけて」という気づきのポイントは、(私を含め)多くの実践者によってその確かな有効性が認められているので、それ自体を私は否定するつもりはまったくない事は付記しておきたい。

個人のブログゆえに「筆の勢い」でしばしば断定口調で書かれてしまう事も多いのだが、基本的にこれらの文脈は全てが「確からしいと判断されたひとつひとつの読み筋の積み重ね」に過ぎず、「実際に打って見なければ決着しようがない」、という点はあくまでも念頭に置いておいて欲しいと思う。

もちろん、ここで言う「実際に打つ」とは「実際にそのメソッドによって突き詰めた瞑想実践を行う」ことであり、「決着」とは究極には「ニッバーナに至るか否か」という事に他ならないのだが、現状、私は両者ともにまったく体現できてはいない以上、それは単なる「論理的な読み筋」にとどまったままなのだ。

名人高手の打ち碁においては、いまだ盤上に現実化していない100手先の読み筋が、実はまごう事なく『現実そのもの』である、場合も多々あり、読み切った時点でそれ以上打たずに終局(投了)されるという事もしばしば見受けられるので、結局は「どれだけ棋理(盤上のダルマ)を弁えているか」という事に全てはかかって来る訳だが。

碁盤上の機微教訓に関しては、昔から囲碁川柳やことわざ格言などの形で様々な名句箴言が語り継がれており、中には「下手な考え休むに似たり」というのもあったりして「こりゃ、まいりました」との感は多分にある、の、だが、何しろブッダの出家・成道・布教」というプロセスは極めて読み解き甲斐のあるエキサイティングな名局であり、古来より「名人高手の棋譜を繰り返し並べて学ぶ」という事が棋理を深め囲碁に上達する秘訣」とも言われているので、キリの良い所まではこの「仏道修行のゼロポイント」という棋譜読解」を続けようと思っている。

(本投稿はYahooブログ 2016/3/12「瞑想実践の科学51:ウドガートリ祭官の「瞑想」と“発声器官”」を加筆修正の上移転したものです) 

 

 


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