仏道修行のゼロポイント

ゴータマ・ブッダの原像とヒンドゥ・ヨーガ

アートマンの棲み処と「こころ」の所在

(※本投稿には解剖学的な画像がふくまれます)

本ブログではこれまで、インド思想の核心とも言える「苦である輪廻からの解脱」、その立脚点である苦、すなわち『ドゥッカ Dukkha』という概念が、『車輪』という事物と密接に関わって生まれたという事実を繰り返し紹介してきた。

そして前回の投稿では、このDukkhaあるいはSukhaの焦点となる "Kha" が、仏教だけではなく汎インド教的な思想的核心部分を包含している事実を示唆した。

今回はその流れのひとつとして、まず苦からの解脱においてその解放される主体であるところの、ウパニシャッド的なアートマンについて考えてみたい。

アートマンとはインド思想の核心にあるもので、一般には個体の中にある本質的な主体であり、永遠不滅の魂として個体(肉体)の死後も輪廻転生し、再び肉体に宿ることを繰り返すと考えられている。

インド思想とは全般に、この繰り返される輪廻転生を苦(ドゥッカ)としてとらえ、いかにしてこの苦なる生存の車輪から解脱するかという模索と挑戦の歴史だったと言っていいだろう。

もちろん、悟りを開く前のゴータマ・シッダールタも、同じ文脈を自明とする世界の中に生まれ育ち、この文脈の中で出家を志した。彼の解脱に向けた様々な試行錯誤と修行の実践は、その様な視程の中で理解されるべきなのだ。

しかし悟りを開く事によって、そこから生まれいずる智慧の光によってまざまざと世界の実相を照らし見た時、彼は「この世界のに永遠不滅のアートマンなど存在しない」、と理解した。私は取りあえずそう考えている。

「自己存在(=現象世界)の中にアートマンブラフマンが見出せる」という文脈の中でアートマンを探し求めて悪戦苦闘した結果、そこにはアートマンなどない」ことに気づいた。その「アナッター(無我・非我)」という経験的観察事実は、彼の救済理論の根幹に位置付けられるものだった。

この辺りの消息を審らかに理解しなければ、苦悩する沙門ゴータマ・シッダールタブッダになった、というそのリアルな心象風景の『転位』を、知る事はできないだろう。

そこで今回はまず、そもそものインド思想の本流であるヴェーダウパニシャッドの哲学において、このアートマンがどのように理解されていたか、という事を車輪のアナロジーと共に考えてみたい。

ウパニシャッドによれば、アートマンとは個体の本質的な主体、いわゆる「常一主宰」であり、永遠不滅の魂であり、同時にブラフマンであった。幻影に過ぎない現象世界に迷った私たちの意識は本質であるアートマンを見失い、そのことによって苦なる輪廻を繰り返す。

しかし直観智や深い瞑想体験によってアートマンの自覚へと覚醒した時、人は輪廻の呪縛から解放されて、真実在たるブラフマンとひとつになる。というよりも「我はそれなり」、と目覚める

そこに至った魂、すなわち「目覚めたアートマンは二度と苦なる輪廻には還らず、永遠の至福、つまり『不死』の中に安らぐという。

では、そのアートマンとは、具体的に私たちの身体の中のどこに棲んでいるのか?それがここでのテーマだ。

現代科学の徒である私なんぞは、それは脳だろう、と短絡的に思ってしまうが、古代インド人は、それは心臓(フリダヤ)である、と考えていたようだ。

ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド第二章十七節

純粋意識からなるかのプルシャ(アートマンブラフマン)は~、心臓の内部にある虚空と言われるものの中に横たわっているのだ。

原典訳ウパニシャッド 岩本裕ちくま学芸文庫 P197より

ここで『虚空』と呼ばれる空間アートマンが住まう、と言う明言は、極めて重要な意味を持っており、後々「効いてくる」。これはまさしく前回取り上げた "Kha" なのだ。

心臓を矢で射抜かれて破壊されてしまえば即死する、という経験を元に、その重要性を理解する事は古代インド人にも全く可能だっただろう。

現代人から見ても、心臓が持つ、身体を生かすために必要なエネルギーとそれを燃やす酸素をたっぷりと含んだ血液を全身に運びめぐらせる中心的な働きは、正にアートマンの座としてふさわしいのかも知れない。

しかし、それだけではない。そこには、インド人お得意の形のアナロジーが絶対にあるに違いない。そう思った最初のきっかけは、フリダヤ・プンダリーカという言葉だった。

フリダヤとは心臓であり、プンダリーカとは、あの妙法蓮華経サッダルマ・プンダリーカと同じ妙なる白い蓮華を意味するもので、アートマンが住まう心臓を「フリダヤ・プンダリーカ」と、かのシャンカラ・アチャリヤが呼称したという記述が目に留まったのだ。

その典拠はやはりウパニシャッドにあった。

チャーンドグヤ・ウパニシャッド第八章第一節

「さてこのブラフマン都城(身体の比喩的表現)の中に、小さな白蓮華の家屋(心臓)があり、その中に小さな空間がある。その中に存在するものこそ人の探求すべきものであり、実に認識しようとされるべきものである。

同書P168より

ここでは人間の身体全体がブラフマン都城と称され、白蓮華と呼ばれる心臓がブラフマンアートマン)の住まう家であり、その中の空処が「居室」に喩えられている。

(このブラフマン都城イメージは、後述するように沙門シッダールタが邁進した「苦行」と、その後菩提樹下で悟りに至った「瞑想行法」とに、深く関連して来る。城塞都市の門衛の譬えを思い出そう)

アートマンブラフマンの住処である心臓を白蓮華に重ね合わせる。これは絶対に何か形のアナロジーがあるに違いないという訳だ。

そうして再びネットの海に埋没した私は、漸くにしていくつかの画像に行き当たった。本来心臓とは運動筋のかたまりだから全体が赤黒い印象が先に立って、とても清浄なる白蓮華のイメージなどないではないか。最初はそう思っていたのだが…

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Wikipediaより

上は多少グロいが人の心臓、それもかなり新鮮なものだろう。そこに白っぽい部分はあるが清浄な白蓮華とは程遠い。逆さまにすれば蓮華の蕾に見えない事もないが、花弁の部分は赤黒を基調としている。

一体どこに「純白の蓮華」は存在しているのか?

そこで心臓内部のCT&MRI画像から始まって、またしても数百に及ぶ画像を検索しチェックし続けて見つけたのは、心臓の核心とも言えるポンプの弁だった。

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sjm.co.jpより

心臓とは血液を送り出し身体中に循環させるポンプだが、内部には円輪形をした4つの弁膜がある。その内3つは、なにやら三つに区切られていて、全体に朝顔の様なにも見えないだろうか。

そこで引き続き画像を探していくと…

円輪形をベースに、白い弁が開いたり閉じたりする。あたかも蓮の花の様に・・・ 見えないかw けれど心臓の内部に『白い色』が実際にあるのを確認できたと言う意味では何ほどか進展している。

だが、このGIF画像は分かりやすくするために白く色分けしただけかも知れない。そこで実際の「生の心臓」はどうなっているのか調べていくと…

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大動脈弁は見事に白かった!(リンク消失)

散々手こずった挙句に一枚の画像に辿り着いた。

全体に赤黒い心臓の筋肉の中に、見事に真っ白い弁膜があったではないか。これは手袋の白さと比しても遜色ないように見える。おそらく水で洗い流せば、その白さがもっと際立つのだろう。そして心臓の形を自然に整えた時には、その形は真円に近いのではないか。

その純白な円輪は、古代インド人にとっては清浄な小さな白蓮華に見えたのではないか、と。

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fobiaspoleczna.infoより:三尖弁の開閉モデル

そしてこの円輪の弁の姿が、3本スポークの車輪と重なり合う事に気づいた時、私は軽い衝撃を覚えた(実際には3本スポークの車輪は実用上余り見ないが)

何故なら、フリダヤ・プンダリーカとは、白蓮華の心臓」を意味すると同時に、心臓と重なり合う「アナハタ・チャクラ(=車輪)」をも意味する言葉だからだ。

そしてさらに調べていくと…

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左側ドーナツ状部分が左心室右側三角の部分が右心室(リンク消失)

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Clinicalgateより:やはり左側の整った円輪が左心室

おそらく、弁があるレベルから更に下がった中ほどを輪切りにすると、上のような姿を現すのだろう。1枚目は何ら操作していない天然物だと思うが、左側の左心室(Left Ventricle)だけを見てみると、何やらドーナツ状の円輪が見えてはこないだろうか。まるで中央に軸穴を持った車輪の様に。その筋繊維の放射状のシワが、スポークの様に。

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ResearchGateより

上は心臓左心室のメッシュ・モデル図だが、見事に円輪構造とその中心「空処」を表している。この空処が広がる事により血液を吸い込み、縮む事によって血液を送り出すのだ。

ウパニシャッドによれば、心臓の奥の空処に親指大あるいは芥子粒ほどの眼に見えない微小なアートマンが憩っているというのだが、それはこの心室円輪中心の空処ではないだろうか…

さすがに私も、この心臓内部左心室を輪切りにした姿形については、車輪のアナロジーの中でも若干苦しいという事を認めるにやぶさかではない。

しかし、2つの動脈弁と三尖弁の丸く真っ白い姿にしてもドーナツ状の左心室にしても、心臓を少しく切り開いて見れば誰にでも容易に視認する事が出来るものだ。

弁膜の三菱デザインを三本スポークの車輪に見立て、あるいは白い弁全体を白蓮華プンダリーカに重ね合わせ、更に左心室の輪切り像を車輪(チャクラ)に見立てる事は、古代インド人ならば自然な感性とも思われるのだが…

そして、この円輪状をした左心室の空処に住まうアートマン、という心象は、つまりドゥッカ(Dukkha)という語の原義が「悪しく不完全に作られた軸穴(空処)を持った車輪」だった事に符合している。

つまり心臓左心室の輪切り像をはじめ、以前投稿した「頭蓋・骨盤という天地の車輪」など身体の構造全体に様々なレベルで「ドゥッカの車輪」を見出して、そこに「拘束」されて苦を強いられているアートマンが、『解脱』する、という心象だ。

以前にも軽く触れたが、古代インド人が人体の解剖学についてかなりの知見を持っていたことは、様々なヴェーダ文献に表れている。

世界最古の医学書とも目されているアタルヴァ・ヴェーダ「人間の驚くべき構造」第8章には、心臓を「9つの孔のある蓮華」にたとえた記述がある。

これは心臓には、上大動脈1本、下大動脈1本、大動脈1本、肺動脈2本、肺静脈4本、計9本の血管がつながっているという現代医学の知見と合致するらしい。

 

★★★★★★★★

2020-02-08 追記:気になって図書館で日本語訳アタルヴァ・ヴェーダを読んだところ、以下の記述が確認できた。

人体の構造を讃うる歌10-2

31. 八輪(人体の八支分)を有し、九門(人体の九穴)を有する、神々の冒しがたき砦、その中に黄金の容器(Kosha 心臓)あり、天的にして光明に覆われたるところの。

32. 三輻を有し、三支点を有するこの黄金の容器、その中にアートマンよりなる不可思議物存す。ブラフマンを知る者は実にこれを知る。

「アタルヴァ・ヴェーダ賛歌」辻直四郎訳 岩波文庫P209より

31節で辻先生は「九門」を身体全体のいわゆる「Nava Dvara」として訳しており、全体の文脈からも、ここではそれが適当かとも思われる。

しかし、続く32節は正に衝撃的で、そこには心臓内部の「三尖弁」三本スポーク(三輻)の車輪である事がまさしく明記されていて、この文面から私の仮説はほぼ(弁に関しては)証明されたと言っていいだろう。

本文に引用し既に訂正線を引いた「人間の驚くべき構造」第8章はどこから引っ張ってきたのか記憶になかったのだが、この文庫を読み込んでいくと『スカンバ賛歌10-8』に以下の記述が確認できた。

スカンバ賛歌10-8

43:九門を有せる蓮華(心臓)は、三性(グナ)に蔽われたり。その中にある神的顕現(アートマン)は、ブラフマンを知る者ぞ知れ。

同書P216より

ここでの「九門」こそ心臓に対する直接的な言及なので、これが正しい典拠だったと思われる(いずれ全体を正しく書き直す予定)

アタルヴァ・ヴェーダブッダ以前だから2500年以上前のもので、彼らの解剖学的知見の精密さには驚くべきものがある、と言う流れで以下に続く。

★★追記終わり★★

 

彼らは明らかに、人体を解剖し、まざまざと心臓を観察した上で、これらの思想を表明したに違いないのだ。

その背後には、バラモン祭祀における犠牲獣の存在があった。

彼らは祭祀に供する為に牛や馬、ヤギなどの大型哺乳類を屠殺し、鋭利な刃物で切り分け内臓を含めた身体各部に解体し、それぞれの部位を特定の神に捧げる特定の儀軌との関連で分類し、供犠として祭火に投じていたという。

その儀軌は非常に詳細かつ厳密に定められたもので、解体のプロセスそれ自体が重要な祭祀の一部になっており、そこにわずかなミスも許されなかった。

それゆえこれらバラモン祭官たちの間では動物の身体構造についての解剖学的知見が高度に発達していたのだ。そしてその中には人体についての知識も豊富に含まれていた。

リグ・ヴェーダ以来の伝統で、ウパニシャッドにおいても神学的な議論ではしばしば人間の身体の各部分は宇宙的な意味を持ち宇宙の構成要素と対置あるいは同置させられた

ウパニシャッドにおいて生きて呼吸する身体を示すのに最もよく用いられている用語はアートマンである。アートマンという語は《自己》《自己の本質》の意味にも用いられ、さらに再帰代名詞としても用いられる。

ウパニシャッドで身体が探求される時には男性のそれが中心であり、性行動との関連以外に女性の身体はほとんど問題にされない。

人間のみならず動物の身体の形態もウパニシャッドの著者たちには熟知されていた。犠牲祭を執り行う祭官は祭獣を解体して、しかるべき内臓を供物として祭火に捧げる。

したがって祭官たちは動物の体内の構造を熟知していた

ブリハッドアーラニヤカの冒頭は、馬祠祭において解体された馬の各部分と宇宙の構成要素との同置関係を述べる文章から始まる。

ヴェーダからウパニシャッドへ、針貝邦生著、清水書院刊、P194~引用

リグ・ヴェーダには原人プルシャの賛歌があって、そこでは宇宙原初に神々が原人プルシャを供犠として切り分けて祭祀を行い、それぞれの身体パーツが世界のそれぞれの要素へと展開していった様相が語られているが、それはバラモン祭官たちが実際に人体を切り分けて神々に捧げる祭祀を行っていた事の反映だと考えられる。

神々が原人を切り分かちたるとき
いくつの部分に切り離したるや。
その口は何に、両腕は何になりたるや。
その両腿は、その両足は何とよばれるや。
その口はバラモン(司祭)となれり。
その両腕はラージャニヤ(武人)となれり。
その両腿からはヴァイシャ(農民、商人)、
その両足からはシュードラ(奴隷)生じたり。

Wikipedia:プルシャより

『人間』を殺して祭祀に供犠として捧げる祭りが存在し、それぞれのパーツが特定の祭祀の儀軌と結びついて厳密に識別され切り分けられていたとしたら、人体の構造解剖学にも熟知していたのは極めて当たり前の話だ。

それらの知識はバラモンだけではなく、ヴェーダの学習を奨励されていたカースト上位のクシャトリヤやバイシャの子弟にも「教養として」ある程度共有されていたと考えられ、沙門シッダールタをはじめ、上位カーストがマジョリティを占めていた比丘・サマナ達にも知られていた可能性が高い。

アタルヴァ・ヴェーダを元にスシュルタ外科医学を発達させたクシャトリア達の、思想界における躍進も忘れてはならない。ウパニシャッド思想におけるクシャトリア階級の台頭。それは正に、ブッダが生まれ育ち活動したガンジス河中下流域の都市文化圏において、起こったのだ。

彼らは戦場における受傷を治療する必要から極めて高度な外科医学を発達させ、その知見をウパニシャッド的な「人間と世界に関する探究」の潮流に合流させた。

(小なる身体は大なる世界である!)

少々おぞましいが、支配者である王政が行う凄惨な拷問や刑罰としての加虐行為も、人体構造に関する知識を前提にし、更にその知見を推し進めた事だろう。

バラモンによる祭祀解剖学とクシャトリヤによる実践的外科医学の合流によって、当時のインド人は同時代の世界の中でもトップレベルの医学解剖学的知見を持っていたのだ。

レオナルド・ダヴィンチがよりリアルに人の体を描くために、詳細を極めた解剖によってその内部構造をつぶさに観察、記録していた事はよく知られている。

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Forbesより:ダヴィンチの手稿

祭祀や外科医学の知識と技術を背景に、「人間とは、世界とは何か」を探求するインド的求道者たちは、あるいはダヴィンチの様に純粋に「人体の構造をまざまざと見てその本質を知る」という目的の為だけに解剖を行っていた可能性も高い。

スケッチと言う形では残されていないが、彼らの「真理探究」の熱意がダヴィンチより劣っていたとは私は思わない。

心臓と言うものは、左右の心房と左右の心室、計四つの空間によって構成されている。このうち左右の「心室が実際に血液を送り出すポンプだと言う。

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Wikipediaより

心室は肺から送られてきた新鮮な血液を大動脈を通じて全身に送るメイン・ポンプになっている。そのため、先の輪切り画像に見るように右心室に比べて大きく、分厚い筋肉に覆われているのだ。

このドーナツ型をした左心室は心臓の中で一番大きく形も整っていて目立つので、たとえ「機能的」な知識はなくとも、古代インド人はこの左心室の穴(空処)を「主室」としその中にアートマンが住まうと考えた可能性が高いのではないだろうか。

もちろんその選択の背後には、左心室「輪切り」にしたヴィジュアルと『車輪』との「重ね合わせ」があった、と私は考える訳だが。

アートマンウパニシャッドにおいては畢竟ブラフマンとイコールなので、この円輪中心の空処(一般にはAkashaと呼ぶ)にはブラフマンなるアートマンが住まう事になる。

この事は、前回紹介したKhaの語義にAkashaとブラフマンがある事実と対応している。

Khaの意味

empty space
何もない空間、空処虚空ヴェーダでいうアーカーシャ(Akasha)

Brahma(the Supreme spirit)
ブラフマン、超越者、真我(アートマンと対応する大我大宇宙の根本原理

モニエル・ウィリアムスのサンスクリット辞典“Kha”より

ここで大変唐突な印象を受けるかも知れないが、次に一枚の写真を見てもらいたい。これはシヴァ・リンガムのリンガ(男根)とヨーニ(女陰)が合体する前の、単体としてのヨーニだ。

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単体としてのヨーニ。円輪の中央空処にリンガがはめられる

心臓の空処とヨーニの空処。この二つはナニやらとても似かよっていないだろうか?

ヨーニつまり「女陰」の穴とは『生殖孔』だから、先の「Kha」の意味である以下の項目と正に重なり合い、それは同時に車輪の『軸穴』でもある。

Khaの意味

aperture of the human body (of which there are nine, the mouth, the two ears, the two eyes, the two nostrils, and the organ of excretion and generation)

人間の身体に空いた穴、戸口、開口部。ヴェーダウパニシャッド時代以来、伝統的に口腔、両耳腔、両眼窩、両鼻腔(以上顔面の七つ)、排泄腔(肛門)、生殖腔(尿道・膣腔)の九つの穴をもって、nava dvara、つまり『身体の九つの門戸』と言い慣わしてきた。

the hole in the nave of wheel through which the axis runs,
車輪のハブの中心に空いた軸穴。そこに車軸が貫入する事によって車輪の回転運動を支える穴(空処)

モニエル・ウィリアムスのサンスクリット辞典“Kha”より

このヨーニの空処(生殖孔)にはシヴァであり男根であるリンガが入る。つまりヨーニ空処(Kha)には「シヴァが住まう」訳だ。

そしてこのシヴァ(ルドラ)神、ウパニシャッド(シヴェタシュヴァタラ等)やシャクタ派の思想においては、ブラフマンそのものとして崇められている。

ルドラ神としての最高神

3-1 かの唯一の神は世界に網(幻力)を張り、種々の権力を用いて万物を主宰す。彼は世界の成立の時も、現在の時も唯一の神なり。この事を知る人は不死となる。

3-2 げに、ルドラ神は独尊なれば、ブラフマンを知る徒は彼以外の神を拝さざりき。彼はこれらの諸世界を種々の権力を用いて領ず。彼は生類の各々に内在す。彼は宇宙創生の際には守護者として万物を創生し、劫滅に際してはこれを巻き収む。

(ルドラ=後のシヴァ)

ウパニシャッド佐保田鶴治著:シヴェタシュヴァタラ・ウパニシャッドより

ここで「唯一の神」と呼ばれる者は「Tad Ekam」であり原初の一者ブラフマンであり、だからこそ『不死』なのだから、このルドラ=シヴァブラフマンになる。

サーンキャ哲学において純粋精神プルシャと呼ばれたものがシャクタ思想におけるシヴァであり、そこにおけるプルシャとは実質的にブラフマンと言う呼称を捨てたブラフマンだと考えると、ここでもシヴァ=ブラフマンの等式が成り立つ。

心臓の空処に住まうアートマンとは=ブラフマンに他ならない訳で、そこに心臓の輪切り画像とヨーニの造形を重ね合わせて考えると、心臓の空処に住まうアートマンは、ヨーニの空処に住まうシヴァと対応関係にある事が確認できるだろう。

(ただしこれは単純な形の相似に過ぎず、ヨーニの造形を作る時に心臓の断面図を想定していたかどうか、断定できるほどの確かな典拠は残念ながら未発見)

私は以前、ヨーニは車輪でありリンガは車軸である とすでに論じてあるので、その仮説を踏まえれば、心臓の左心室もイコール車輪と軸穴であったという仮説に、一票を投じたくなる。

つまり、アートマンブラフマン=シヴァ=車軸 全て車輪の軸穴=Khaに入る。

そして、もしその車輪の軸穴が『苦』ならば、そこからの解脱救済となる。

少々話が深みにはまってしまったが、この「車輪の軸穴」をベースとした「Kha=空処」は、後々の論述の中で大いに重要なキーワードとして色々と「効いて」来るので覚えておいて欲しい。

過去記事を複数統合して再投稿するという作業は大変めんどくさいもので、相互の文脈の整合性をとるのに苦労してしまう(笑)が、

次に考えたいのは、上のウパニシャッド的なアートマンの所在である心臓と、仏教的な「こころ」との関係性だ。

前に私は、

「苦悩の現場=脳髄」という認識は現代に生きる私たちにとって自明な事柄である、というだけでなく、古代インド人にとっても、その日常経験に従って、主観的に極めて自然な、当たり前の自明の理解だった。

と指摘した。その経典的な根拠として次のような引用をし、その論旨を補強している。

スッタニパータ・蛇の章「勝利」

197. またその九つの孔からは、常に不浄物が流れ出る。からは眼やに、からは耳垢、

198. からは鼻汁、からはある時は胆汁を吐き、ある時は痰を吐く。全身からは汗と垢とを排泄する。

199. またそのは空洞であり、脳髄にみちている。しかるに愚か者は無明に誘われて、それを清らかなものだと思いなす。

205. 人間のこの身体は不浄で、悪臭を放ち、(花や香を以て)まもられている。種々の汚物が充満し、ここかしこから流れ出ている。

~以上、岩波文庫 中村元訳より

 

197、198節において、身体の九つの穴から流れ出る不浄として「から眼やに」「から耳垢」「から鼻汁」「から胆汁他」「全から汗と垢」が順次挙げられている。

これは順序をみると明らかに眼耳鼻舌身、つまり五官の定型表現になっている(口は舌)ことが分かる。そしてこれら眼耳鼻舌身の直後に「頭の空洞と脳髄」がセットで置かれているのだ。

ならばこの「頭の空洞と脳髄」とは眼耳鼻舌身意『意』そのものではないのだろうか?

その他様々な状況を踏まえた上で、ブッダの時代の古代インド人は『こころ』の所在を『脳髄』もしくは『頭蓋腔』に比定できていたのではないか、と結論した。

しかし一方で、実はパーリ仏教の伝統において、意あるいは心であるマノ(もしくはほとんど同義であるチッタ)が、心臓、あるいは「胸の奥の洞窟」に住まう、と考えられていた事が主張されている。

もちろんこれは、ウパニシャッド的なアートマンの所在(あるいはそれ以前に想定された『心』の所在)が心臓に比定されていた事実を受けたものなのだろう。

ブッダとそのサンガにおいて、『心』とはいったい頭(内部空洞にある脳髄)に所在するものだと理解されていたのか、あるいはウパニシャッド的なアートマンと同じく心臓内部の空処に所在するものだったのか。

これは古代インド人がやそのエッセンスであるアートマン「身体の中を時々に応じて動き回っている」、と考えていただろう事も踏まえた上での、仏教的な観点からの関心であり検討になる。

そこでそもそもパーリ仏典において、心(ここではチッタ)が、胸の奥、心臓の中の洞窟に住まうと解釈されたという、その大本の原文をひもといてみよう。

ここでは、私が確認できた詩句をふたつ取り上げたい。

ダンマパダ 法句経 第三章「心」37(中村元訳 以下同)

心は遠くに行き、独り動き、形態なく、胸の奥の洞窟にひそんでいる。この心を制する人々は、死の束縛からのがれるだろう。

 

スッタニパータ ブッダの言葉「洞窟に関する八つの詩句」772

(身体)のうちにとどまり、執着し、多くの煩悩に覆われ、迷妄のうちに沈没している人 ―このような人は実に厭離から遠く隔たっている。実に世の中の欲望を捨て去ることは容易ではないからである。

中村元博士は、この二つの詩句において洞窟、あるいは窟(いわや)と訳されているものが、胸の奥の心臓の中にある空洞であり、それはウパニシャッドにおいてアートマンが住まうところの心臓の奥の空処に対応している、と考えたようだ。

そして、この事を持って、人間の心、チッタ、またはマノ(マナス)であるところの『意識』胸の奥の洞窟に住んでいる、と原始仏教徒たちは考えていた、と推測している。

けれど、この洞窟、もしくは窟の原語はGuhaであり、一般にウパニシャッドにおいてアートマンが住まうとされる心臓を意味するHrdayaやその空処を意味するアーカーシャに対応するパーリ語の単語ではない。

では何故このグハをもって心臓の中の空洞と考えたのかと追求すると、どうやらかのブッダゴーサが注解書の中で、このGuhaを心臓の中の、もしくは胸の奥の空洞と意訳した様で、それ以外に、原文の中には、まったく根拠となるものは見いだせない。

ダンマパダ37の詩句を原語と逐語訳で見ると、

Durangamam (心は)遠くに行く
ekacaram ひとり歩く
asariram  形体なく
guhasayam 洞窟横たわる
ye cittam  この
samyamissanti 制する人々は
mokkhanti  脱する
marabandhana. 悪魔の束縛から

困った時はダンマパダより

となる。

ここで、焦点のguhasayamという単語を分解すると、Guhaは洞窟、Sayamは横たわる、になる。

続けてスッタニパータ772の原語当該箇所は以下になる。

Satto  guhāyaṃ  bahunābhichanno,
執着して 洞窟(身体)に  多くのもので覆われた

ここでも心臓を意味するHrdayam等の言質は一切なく、同じ「Guha」が広い意味で『身体』として把握されているようだ。

既に触れているように、人間の身体には九個の門戸があるが、門戸とは開口部であり、洞窟の開き口にもなる。ここでは、身体全体が九個開口部を持つ洞窟に見立てられているのだろう。

何にしても、ブッダゴーサは心臓とか胸とかを意味する単語がまったく存在しないにも関わらず、それを「憶測で付け足した」、という事が分かる。

これにはそれなりの背景があるようで、私は確認できていないが、どうやらウパニシャッド系の文献にこの「Guha」をもってアートマンが住まう「心臓の中の空洞」とする先例があるあるらしい。

そこでブッダゴーサの素性を調べてみると、五世紀南インドバラモン階級出身で、元は宗教哲学におけるディベートの論客として、インド各地でならしていたという。

それがある日、一人のテーラワーダ僧侶と出会い、コテンパンに論破されて改宗し、インド本土ではパーリ経典がほとんど滅びてしまっているがスリランカにはまだそれが保存されていると知って、海を渡ってスリランカの大寺に入ったと。

こう言っては失礼だが、理屈の達人が、新たなる理屈を求めて海を渡ったとも言える、典型的な『論学の徒』としての来歴だろう。

バラモン階級の出自で宗教的な論客であった、という事から、彼の基本的なバックボーンがサンスクリット諸典籍にあったという事が推測される。おそらくそれで彼は、ウパニシャッド的な先例を前提に、単なるGuhaをアートマンの住まう『心臓の中の空処』、つまり「胸の奥」に比定してしまったのだ。

私の見た所では、彼のこの解釈は完全に間違っているとも言い切れないが、明らかに焦点を外している

なぜなら、ここで取り扱われている「Guha」に横たわる『心』とは、「執着し、多くの煩悩に覆われ、迷妄のうちに沈没している」ものであり、「制すべき」ものなのだから、当然「五官六官の防護」と言われる時の「第六の意」に他ならないからだ。

(この「意」がmanoでありcittaではない、という事を承知の上で言っている)

私がこれまで本ブログで指摘してきたように、仏道瞑想修行の焦点は五官六官の防護でありその為に顔の周りに気づきを留める」事であり、そこではウパニシャッドにおいて重要だった「心臓」というものが、重要な意味を伴って言及される事はほとんど全くない

つまりたとえウパニシャッドの文脈に、心との関連で「Guha」を心臓内部の空洞とする先例があったとしても、仏教的な関心焦点を前提にすれば、この「Guha」は「顔面頭部の空洞」と読むべきなのだ。

先の「頭は空洞であり、脳髄にみちている。しかるに愚か者無明に誘われて、それを清らかなものだと思いなす」という詩句を思い出そう。

もちろんこのGuhaつまり洞窟を身体全体と捉える事も可能だが、そこに何らかの仏教的な『焦点』があるとしたら、それは何処まで行っても『心臓』ではあり得ない。

 

私が何故ここにこだわるのかと言えば、端的に言ってこれはまさに

「"アートマンが住まう心臓" から "心が苦悩する脳髄" へと、その焦点関心がシフトしていくプロセス」

こそが、そのまま

沙門シッダールタがブッダとなっていくプロセス

と重なる、とも言えるからだ。

 

この洞窟や窟と訳されているGuhaという原語だが、実は現代インドにおいても、そのままगुफा Guphaとして引き継がれている。

ヒンディ語で洞窟を意味するグファ。私の知る限りその『語感』は、岩山の中腹にうがたれた横穴的な洞窟・岩窟、浅い物は雨がしのげる程度の窪みから、深い物は大きな部屋状のものまで、とにかく、それは岩山の固い基盤に穿たれた横穴である、というのが一般的だ。

そこにはインドと言う環境世界の特性が深く関わって来る。

インド亜大陸の地質は極めて古い。デカン高原玄武岩質などは遠くゴンドワナ大陸の地質を保っている。その極めて古い地質が、雨風にさらされて柔らかい所が風化して、堅い岩質だけが取り残される。

そうして、大平原に忽然と一群の岩山が屹立するというインド独特の風景が形成されるのだが、そのような岩山に穿たれた天然の、もしくは人工の洞窟こそが、Guhaの原風景なのだ。

それは、心臓と言う軟弱でグジュグジュした肉質内部にある不定形な空間イメージとはかけ離れた、極めて堅固なものだ。

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大平原に忽然と現れる岩山:カルナータカ州

上の写真は典型的なインド的岩山だが、この山ひとつにも大小様々なGuhaが存在しているだろう。

そしてもちろん、このようなインド的風景はブッダをはじめ出家の比丘たちが主に修行の舞台としたラージャガハ霊鷲山についても全く同じことが当てはまる。

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Wikipediaより:Vulture Peak=霊鷲山

それは全山が突兀とした岩塊によって構成された典型的なインド的岩山であり、そこには現在でもサーリプッタやらマハーカッサパが瞑想したと伝えられる洞窟が複数残っているが、それは全て、そのような岩山に穿たれた岩窟なのだ。

(「穿たれた」と言っても、巨大な岩塊が組み重なったその「隙間」なども多い)

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PhotoDharmaより:霊鷲山の修行岩窟

パーリ経典において記述されている『グハ』心象イメージが、比丘たちが日常に親しんでいたこの『岩窟』であり、それが身体の中にあると想定されていたのならば、では一体、この「岩山に穿たれた洞窟」という心象にもっとも適合する構造が、私たちの身体の中の何処にあるだろうか?

地表から見て小高い岩山の鉱物的な硬質の基盤において大小の穴が穿たれ、奥行きがありそこに何かが住まうことの出来る洞窟、あるいは洞穴(ほらあな)。

率直に言ってそれは、頭蓋骨以外に私には考えられない。

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Nissin Dentalさんより

私たちの身体の中で、頭蓋骨ほど Guha=岩窟 という語感が相応しいパーツは存在しないだろう(ちなみにパーリ語で「頭」を意味する ‟Muddhā” は同時に「(岩)山の頂」を意味する)

上の画像を見ると分かるように、眼窩・鼻腔・耳腔・口腔は、正に岩山の頂付近にあるGuhaの開口部そのものであり、その奥にあいた神経の通路は頭蓋腔という主洞へとつながっていく。その主洞に横たわるものこそ脳髄なのだ。

先のスッタにある「洞窟に横たわる心」とは正に煩悩に溺れる心であり制すべき心なのだから、その様な修道実践上の文脈ではほとんど取り上げられない『心臓』が、ここにだけピンポイントで登場する、と言うのも、少々ナンセンスな話ではないだろうか。

私たちは「眼は心の窓」と言い慣わしている。しかし、仏教的に見方を変えれば、「眼は煩悩が浸入(漏入)する窓」であり、それは耳・鼻・口・身(毛穴)についても同様だ。

眼は色という、耳は声という、鼻は香という、舌(口)は味という、身は触という煩悩の原因が心に浸入する門戸に他ならない。この門戸を防護せよ。それがこれまで散々説明してきたように、仏道修行の最も重要な教えの要諦だった。

そしてその浸入した『誘惑』であるところの色声香味触の感受が集成し煩悩が生起する場所。それこそが、主洞である頭蓋腔に横たわる 『脳髄』 に他ならない。

それこそが、マーラの領域であり、輪廻の大海であり、煩悩の激流が渦巻く場であり、「心」がそれに溺れる泥沼であり、仏教的な焦点である『意官』なのだ。

(ここではウパニシャッド的な「ブラフマン都城としての身体」が「マーラの領域」に全転化している!)

以上を前提に、先ほどのスッタニパータ ブッダの言葉「洞窟に関する八つの詩句」772意訳すると次の様になる。

頭蓋という岩窟のうちにとどまり、執着し、多くの煩悩に覆われ、脳髄という迷妄の泥沼に沈没している心。

このような心は実に厭離から遠く隔たっている。実に世の中の欲望(五欲六欲)を捨て去ることは容易ではないからである。

このように読むとすべての筋道が一貫して理解可能になり、21世紀に生きる私たちと、古代インドのブッダの言葉をつなぐ正しい架け橋ができる、と思うのだが、どうだろうか。


後記:

私はインド学・仏教学の専門教育を受けた者ではなく、ましてや本職の研究者でも僧侶でもない。なので専門用語や基本的な知識において、様々な誤解・誤謬の可能性には常にヒヤヒヤしている。

もし読者の方で専門的な観点から何かお気づきの点があれば、メッセージ欄にて指摘していただけるとうれしい。

ただし、私は重箱の隅をつつくような細かい点に関しては余り興味はない(イヤ、充分に突っついてはいるが…)。大きな文脈、Big Story において筋を通す、という点を最も重視しているつもりだ。

なので本稿でも、マノ(マナス)とチッタの違いとかは余り考慮せず、ひっくるめて「心」あるいは「意識」として取り扱っている。

ただ、チッタというパーリ語には、英語で言うHeart(心)と似た語感が伴うようで、これが ブッダゴーサに『心臓』を想起させた可能性も付記しておきたい。

もちろんここで論じた「Guha」が「胸の奥の洞窟」であるか「頭蓋の中の洞窟」であるかを、完全に論証する事は難しいのだが、要は "修道的な"『センス』の問題、という事だろう。 

本文でも引用したが、ブッダの時代以前にほぼ成立しパーリ経典にも言及のあるアタルヴァ・ヴェーダには心臓についての言及があり、共に心(チッタ、マナス。両者に余り区別はない)の働きの在り処として説明されているので、脳と心との関連性はかなり早くから認識されていた可能性が高いと考えられる。

(「武術的」に言えばそもそも頭と言うのは明白な「急所」で、棍棒で殴られたり矢で射られたり刀で切られたら意識を失ないあるいは即死し、死なないまでも心機能に重篤な障害が生じるたりする訳で、この様な問題は全く疑問の余地がないのだが、一応は「手続き上」論じている)

ならば仏教的な「心(意)の修道」との関係でほとんど言及される事の無い『心臓』などよりも、五官の開いた門が集中し脳髄の所在する頭蓋腔こそが、「Guha」の心象に相応しいのではないか、という事なのだ。 

(ここで言う「修道の関係」とはもちろん「顔の周りに気づきを留めて」「五官六官を防護する」と言う瞑想実践を意味する)

今回の投稿もそうだが、古代インド人の形のアナロジー(同置)というものは驚くべき世界で、私自身一体正鵠を射ているのか、はたまたまったくの「とんでも」なのか分からなくなる時がある。

仏教に関する一般的常識から見たら、私の視点・論点はまさに出口なき泥沼のベトナム戦争状態に陥っているかも知れないと恐れつつも、しかし今更引き返すわけにもいかない。

大乗であれテーラワーダであれ、ごく普通に仏教を学んでいる方々が本ブログを読めば、その内容にあきれ返って開いた口がふさがらないのかもしれないが、取り敢えず自分の見定めた道をこのまま突き進んで行くつもりだ。

それは何かと言えば、古代インド人の、ひいてはゴータマ・シッダールタの心象風景を、限りなく再構成していくプロファイリングだ。

その果てに、一体どんな風景が広がっているのか?

もちろんここで言うゴータマ・シッダールタの心象風景」とは未だ覚ってはいない沙門シッダールタが住んでいた心象世界であり、彼が正覚の後に、自ら覚知した真理「未だ覚っていない人々に向けて説く」為に援用した『媒体』に過ぎず、ブッダがその心象に「どっぷりと浸かっていた」事を意味するものではない。

この『心象風景』とは、魚川さんが言う様な「全てが無効化された『覚者の風光』」を意味するのではなく、あくまでもその様な風光に立つ者が、そうでない者たちと関わる際に用いた「便宜的な表象」に過ぎない。

ただ、それを知る事によって初めて、私たちはブッダの直弟子たちと同じレベルで彼の言葉の真意を把握できる、という一点において、その「便宜的な心象風景」理解されなければならないのだ。

 

 (本投稿はYahooブログ2012/8/29「アートマンは何処に?」と2012/10/12「アーカーシャに住まう者」2014/7/27「頭蓋という岩窟において」を統合の上加筆修正して移転したものです)

 

 

 


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