仏道修行のゼロポイント

ゴータマ・ブッダの原像とヒンドゥ・ヨーガ

魚川祐司著「だから仏教は面白い!」を読んで

この投稿は、Yahooブログ「脳と心とブッダの覚り」2015/5/31記事が元になっているが、今回の移転に当たっては、大幅に書きなおすかどうしようかと、少々悩んでしまった。

何しろ四年以上前の事であり、私の立ち位置もそれ相応に変わってきている。

しかし結局、今連続して投稿している「瞑想実践の科学」シリーズはおおむねYahooブログの時系列通りに移転作業を進めており、この「だから仏教は面白い!」もまさに当時このタイミングで書いたものだから、多少の修正はあるが、ほぼそのままで『「一切」としての十二処十八界とマーラ、そして「四聖諦」』の直後に移転投稿する事にした。

2020年現在の「魚川祐司評」と言うものについては、後日改めて「だから仏教は面白い!」「仏教思想のゼロポイント」を読み直した上で、投稿できればと思っている。

と言う訳で、少なからず「遅ればせながら」ではあるが、以下の文言内容は2015年当時のものとして読んで欲しい。

 

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全く関係のない二つのソースから、ほぼ相次いで魚川祐司さんの名前が入ってきたので、興味を持って調べてみた。

ニート仏教という命名センスなど、第一印象はキワモノではないか?という感じだったのだが、なんとなく心惹かれるものがあって、Kindle版の「だから仏教は面白い!」を購入して一気に読了した。

私が初めてヴィパッサナーを経験し、その後スリランカBPS書籍などを漁って読んだ95~97年当時を思えば、現在日本において流布しているテーラワーダ関連の情報量の多さは隔世の感がある。

そんな中、常々思っていた事があって、それはパーリ経典についての学瞑想実践という行を兼ね備えともに深めた日本人というものがまだまだ少ない(いない)という点だった。

確かに中村元博士とその一門のパーリ経典翻訳作業は偉大な仕事であり、大いに恩恵を受けているのだが、いかんせん彼らはテーラワーダ仏教修道の現場についてほとんど何も知らず、中でも瞑想実践の経験を全く欠いている。なので言語学的な緻密さが際立てば際立つほど、「あ~、彼らのうち一人でもいい、実際にタイやミャンマーで瞑想修行の経験があったならば」と慨嘆していた。

そんな中、突然ミャンマーから登場した魚川さんの存在は、私にとっては実に喜ばしい驚きだった。

「だから仏教は面白い!」は本当に時間を忘れて一気に読み進めた。上巻を読み終わって下巻を途中まで読んだところで寝る時間になったのだが、そこはKindle本の便利さ、PCで読んでいたものをタブレットに持ち替えて、ベッドの中で3時過ぎまでかかって読み切ってしまった。

概観としては、同じミャンマー帰りでも山下良道さんなどとは違って、正統派のテーラワーダ仏教について良く正確に学び、瞑想行道を実践併修した上でその本質的な部分をよく理解されている、と同時にそれを自分の言葉で他者に説明する事の巧みさ、という点では類を見ないと、大いに感動した。

ようやくこういう日本人が現れてくれたのか、と感慨もひとしおだった。

「女性と目も合わせないニート」とか「ブッダは生産と生殖を禁じた、という点で現代社会における常識的な価値観を真っ向から否定する」とか、キャッチーな用語の過激さと若干の(一部大きな)ニュアンス上の違和感を除けば、実によくブッダの修行道を理解した良書である、と私は思う。

ブッダ「世界」を滅する方法を説いた、その世界とは、欲の衝動にまみれた世俗の人々が六官・六境接触を通じて習慣的に「世界」だと認識している、習慣的に「実在する」と思い込んでいる「世界(Loka)」の滅である。

これは正に今、同時並行的に私が本ブログで論じている「一切」=「世界」であり、私自身はブログに書くことを躊躇ってしまうようなことまでズバリと断言してしまってくれていて、しかも、それを現代日本人が拒絶感少なくうなずいてしまう事が出来るような語りで巧みに説いているので、実に圧巻だった。

何やら、山下良道さんの発言をきっかけとして両者の間でバトル?というか対話がなされた様だが、まぁ、ふたりの間に共通項はほとんどなく、というか、魚川さんには「客観性を常に担保する」という姿勢がおおむねうかがえるのだが、良道さんの方は何しろ「自分の一法庵イズムに賛同する人だけが来ればいい、と言うか、賛同できない人は来ないでくれ」、と宣言している『主観イズム』の人なので、話が食い違うのはある意味当然ともいえる帰結なのだろう。

この対話(バトル)の経過については、下の二つのリンクを参照して欲しい。

私の観たところでは、明らかに、魚川さんの言い分の方が筋が通っている、と感じた。あくまでも、パーリ論学の典拠に基づいたゴータマ・ブッダの教えの「まとめ解説」、という視点からの評価だが。

魚川さんの言うように、良道さんのアプローチの仕方は、現代日本社会という諸特性において、マーケッティング的にそれなりに有効なものだと私は考えている。けれどそれはあくまでも良道さん個人が逢着した「落とし所」に過ぎず、決してゴータマ・ブッダ教説そのものではない

その点は実は良道さんが一番良く自覚しているはずなのだが、やはり営業上「これぞブッダの直説だ!」と言い切らなければ「同人の主宰」先生としては立ち行かない部分もあるのだろう。

(これはあらゆる商業的「仏教論客者」すべてに該当するが…)

何やら一方的に魚川さんをべた褒めしてしまったが、私の眼から見て、彼の論述の中にももちろん、批判的に検証すべき事が多々あったのは事実だ。

実は魚川さんご本人には「だから仏教は面白い!」読了直後にほぼ同じ内容のメールを差し上げているのだが、彼の論述には私の視点から見て、いくつかの問題点がある。

(以下は彼に送ったメールからのコピペに、若干の修正をほどこしたものだ)

第一に、それは気づき(サティ)ニッバーナとの関係性だ。

彼は、

「気づきの瞑想を継続的に深めていくことによって、三相(無常・苦・非我)という真理を目の当たりに観る事だけではニッバーナに直接つながらない、そこには何か気付き(サティ)とは違った原理の「飛躍」が必要である」

として、アーナンダや特定比丘尼頓悟の例を出していたが、これは少々問題があるのでは、と感じた。

私は(この時点で)まだもう一つの著書である「仏教思想のゼロポイント」を読んでいないので断言はできないのだが、おそらく彼のこの認識には、決定的に「瞑想実践行の作用機序に対する原理的な理解というものが欠如している。

第一に指摘したいのは、アーナンダという人は、魚川さんも書いている通り、ブッダの言葉については誰よりもよく聞き、よく記憶している比丘ではあったのだが、25年間もブッダに近侍していたにも関わらず、ブッダの在世中には悟りを開けなかった、という、ある意味瞑想行道においてはとんでもない劣等生(要は落ちこぼれ)であった、という事だろう。

もう一人の比丘尼についてもそうだが、魚川さんが出したこの頓悟の二人は、いわば瞑想センスの極めて劣った典型的なケースであって、たとえばサーリプッタなどの優等生、あるいは初転法輪の五比丘のうちのコンダンニャなどは、おそらく気づきと観のヴィパッサナーそのものによって、ある意味順当にニッバーナを得た、とも推測できる。

もうひとつ、これはテーラワーダの長老などには余り大きな声では言えないのだが、アーナンダが頓悟したというエピソード自体、実に取ってつけたような不自然な話の流れであって、本当に彼がニッバーナを経験したのか、についても私は若干以上の疑いを抱いている。

これは以前にも書いた事だが、サティという言葉には「気づき」という意味とともに、一般的には「記憶」という意味がある。

アーナンダは正にこの「記憶」の人であり、ブッダの死後、マハー・カッシャパが発起人となりアーナンダがその「記憶」を根拠にして第一結集において主要な役割を果たしスッタを編纂した、という、このそもそもの初期仏教の草創期の構造自体の中に、その後のテーラワーダ仏教がたどった道筋の「問題点」、その原点があるような気がしている。

これは前にも書いたが、「気づき」を中心としたブッダ直伝の瞑想行道の実践から、「記憶」を中心とした経典伝持のサンガ運営への変質だ。ブッダの死後、サンガにとっての至上命題は偉大なるブッダの教理(ダンマ)、その言葉を、いかにして正確に記憶伝承するかという事がまさに命綱となった。

気づきに秀でた瞑想センスの高い「行の比丘」よりも、コンピュータのように正確にスッタ・ヴィナヤを「記憶」し解説する事に長けた「学の比丘」の方が、サンガの内外において、盛名を得やすい環境に移行した訳だ。

分かりやすく言えば、苦と言う心の病いを治す「サンガ療院」から、スッタやヴィナヤを学ぶ「サンガ学院」への変質、になるだろうか。

その流れの、正に嚆矢となった人こそが「記憶の人アーナンダ」だったのだ。

その様な「気づきの能力が著しく劣っていたアーナンダ」を引き合いに出して、ニッバーナへの作用機序『頓悟』として捉えよう、という事自体が、私は無理筋であると思う。

もうひとつ、これは現在入手可能な資料に典拠する、という立ち位置(これ自体は正しい)を堅持する、という建前上仕方がないことなのかも知れないが、輪廻転生思想とブッダの関係についてだ。

私は先にも少し触れたが、ブッダ本人の経験に基づいた直説と、彼の死後、アーナンダを中心にしてまとめられた初期仏教の言葉が、100%イコールで結ばれるとは考えていない。

何しろ現存するパーリ経典は全て「如是我聞」であり、ブッダの死後、アーナンダを中心とした直弟子たちが「私はこのように聞いた」という『主観的な記憶』を集成したものだからだ。

当然、彼らはブッダ本人ではないし、ましてやアーナンダは25年間ブッダに近侍していても悟れなかった「瞑想センス」の低い人物なのだから、彼らが理解した仏説が、ブッダの真意を100%完全に満たしている、と考える方がおかしいだろう。

(その割には良く残されている、という評価はもちろん可能だ)

アーナンダ派とマハー・カッシャパの確執を推定させるような論考を並川孝儀さんが「ゴータマ・ブッダ考」の中で展開しているのだが、私が読んだところでも、パーリ経典の随所にその痕跡が多く認められる事から、ブッダの死後、「気づきの人」「記憶の人」の間でかなりな程度の相克があった事は間違いないだろう。

もうひとつ問題になるのが、ブッダの死後仏教サンガが直面しただろうマーケッティングの問題だ。ゴータマ・ブッダという稀代の聖覚者を失ったサンガが、当時62見とも言われた諸思想・諸団体に囲まれた中で、いかに市場のシェアを維持し、販路を拡大し教団としての基盤を固めなければならなかったか、という視点だ。

当然ながら、仏教サンガの外部に広がる世間というものは、インド固有の輪廻思想一色に染められている訳だから、その中でシェアを広げ固めていくためには、彼らに「好まれる」必要がある。

実際問題として、サンガに供養するのも在家信者なら、比丘供給するのもまた、一般在家の家庭なのだから、彼らから「価値がある」と思われなければ、供養もされないし出家者が提供される事もないだろう。

このような視点は、「だから仏教は面白い!」を書いた魚川さんならば説明の要はないと思う。

そして実はそのような「マーケッティング」問題は、ブッダ自身にも言える事だ。

私の観たところでは、ブッダは、その教説において、明確に在家向けと出家向けを説き分けていて、言わば「二枚舌」を使っている。これは先に紹介した「教アナータピンディカ経」などを見ても明らかだろう。

なのでスッタニパータの最古層の韻文などに輪廻転生を前提としなければ筋が通らない文言が確認できるからといって、それをもってブッダもまた輪廻転生世界観にズッポリはまって「信じて」いた、と断言するのは早計だと私は考えている。

例えブッダと言えども、在家の人々から供養を受け生活を維持していく為には、(本音は不本意であれ)在家たちにとって「美味しい」話を、局面に応じてしなければならなかったのだ。

(もちろんそれは、彼らを「善導する」という動機づけで行われた事でも、あるかも知れないのだが)

ゴータマ・ブッダという一人の人間をプロファイリングする場合は、二つのフェーズに分ける必要がある。ひとつは悟りを開く以前の、誕生から苦悩し出家し菩提樹下に禅定するまでの俗人&沙門シッダールタのフェーズであり、もうひとつは、悟りを開いて以後の、つまりブッダとしてのフェーズだ。

この場合、俗人&沙門シッダールタとしてのフェーズにおいては、もちろん彼もまた当時インド世界を支配していた輪廻転生思想のさなかに生き、それを前提として感じ、思考していた、と考えるのが自然だろう。

けれど悟りを開いて後のブッダもまた、そのような輪廻転生思想にズッポリとハマっていたのか、と考えると、私は一抹以上の疑問を禁じえないところだ。

魚川さんの言うように、迷える俗人とブッダの間には、「全人格的変容」とも言うべき巨大でかつ決定的なギャップがある。そのギャップを超えてしまったブッダが、なお輪廻転生という「ファンタジーを鵜呑みに信じていたかは大いに疑わしいものがあると、個人的には思っている。

逆にそのような輪廻転生思想の中でこそ、その論理的必然的帰結によって、シッダールタ個人は苦悩に喘いだのではないか。そしてそのようなファンタジーがニッバーナにおいて砂漠の蜃気楼のように崩壊したからこそ、全人格的な変容が起こり、苦から解き放たれたのではないか、という見方だ。

その視点とも絡めてもう一つ疑問点がある。

魚川さんは「この古代インドに特徴的な輪廻転生思想と、それゆえに襲い来る再生と再死の恐怖、というものがあって初めて、解脱への飽くなき希求というものが理解されうる」、と理路整然と述べているが、これは一般論としては正論なのだろう。

しかし、シッダールタ王子個人の、極めて私的な「苦悩」というものが、そのような「際限なきRPGステージの繰り返し」からの離脱、などというある意味「目の前にない抽象的な苦」に由来すると、本気で考えているのか。 

この点は、一法庵の人たちが魚川さん個人について、「自分自身」という問題はどうなっているのか、という点を疑問視している事とも通じる話だろう。

私自身の経験も踏まえて言えば、人間という生き物は、輪廻における「際限なきRPGの繰り返し」などという目の前にはない抽象的なイメージだけによって絶望的な苦悩に苛まれ、恵まれた王宮生活の全てを捨ててまで出家し、あそこまでの苦行に突き進む事は、実際上考えにくい、リアリティに乏しい「設定」だと思う。

シッダールタ王子は、極めて個人的な「現世において目のまえにある」苦悩によって絶望し、その背景として輪廻転生世界観があった。そしてニッバーナという「境地」への道程で、それらをひっくるめた全ての「私」というファンタジー崩壊するプロセスまざまざと観た。私自身はそのように読んでいる。 

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概略、以上の内容をメールで送った(文体は「ですます」調)のだが、個人的には、彼とは是非話をしてみたいな、と思った。彼の知性をもってすれば「〇ッ〇ス〇ー」になれるかも知れない、という若干の期待と共に。

(結局、彼から返信は来なかったが、この思いは基本的に今でも変わらない)

今回、「だから仏教は面白い!」からの引用はほとんど載せておらず、読んでいない方にとっては何を言っているのかよくわからない部分もあるかと思うが、興味のある方は是非、Amazonにて購入して読んでみて欲しい。

とても面白い事は保証付きだ。

本ブログを読んでいるような方なら、絶対に損はしないと思う。特に「おっぱい」の喩えなど、大爆笑もので切実に理解できるだろう(笑)

実は最近(2015年当時)、春秋社版の原始仏典Ⅰシリーズ(長部・中部)全巻を読み直し、マハーヴァストゥという天下の希書?を読破し、さらに原始仏典Ⅱのサンユッタニカーヤも再読しているので、とても忙しない日々を過ごしていた。

同時に、身内の者が体調を崩して入院したりして、ブログの更新頻度も低下せざるを得ない状況にあったのだが、魚川さんという「知性」との出会いによって、再び活が入れられたような気がしている。

しかし、若いという事は素晴らしい事だと心より思う。彼には是非このブログを読んでもらって、その優れた理知性に基づいて感想なりをいただければ、と思っているのだが。

最後になるが、今回魚川さんの存在を教えてくれた、Yahooブログ仲間(その後ココログに移転)でとても真摯に仏教について考察しているavaroさん、そして一法庵の山下良道さんに謹んで御礼申し上げたい。

 

  

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(上の投稿内容はYahooブログ「脳と心とブッダの覚り」2015/5/31記事「魚川祐司著『だから仏教は面白い!』を読んで」 を若干の修正後に移転したものであり、記載内容は当時の状況を表しています)

 

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ここからは2020年現在の記述になるが、今読み返してみても、この魚川さんの登場に甚く心揺さぶられている状況が手に取る様に分かって、何とも面映ゆいものがある。

ここ数日、「だから仏教は面白い!」をボチボチ読み直しているが、その怜悧な論理構成は依然として圧巻で、現在の私の立ち位置との対比も含めて非常に面白かった。

その後出版された彼の「仏教思想のゼロポイント」という著書へのある意味「批判的なオマージュ」が、本ブログの題名仏道修行のゼロポイント」の元になったと考えれば、魚川さんの存在は色々な意味で大きかったのだと、感慨深い。

彼の言説をしばらく追ってみた概観的な印象だが、「際限なきRPGの繰り返し」をその典型として、どうも魚川さんの思考には、机上の『ヴァーチャル臭』が強く感じられて仕方がない。

ロジックやレトリックは卓越しているけれども、何と言うか、三十数年生きて来た彼自身が当然背負っている筈の、いい意味での『生活実感』が、ひたすら希薄なのだ。

そんな彼の無機的な言葉からは、私たちと同じ生身の人間存在であったゴータマ・シッダールタブッダの、そのリアルなライフ・ヒストリーの機微が、全く立ち現われて来ない。

何というか、「血の通っていないAIが、精緻で美しいブッダ像を3Dプリンタで理念的に構築している」かの様な違和感が、強いのだ。

(もっとも、そんな超然としてクールな文体こそが、彼の一番の魅力なのだが…)

ご本人は「ゲーム・アニメ・オタク」を公言して憚らないようなので、‟なるほど”、という所は多分にあるのだが、当時の鮮烈な期待はかなり尻すぼみしてしまった感が否めないのが正直な所だ。

彼の代名詞ともなっているニート、これは仏教サンガの修行道を称して「異性と眼も合わせないニートになる」という文脈で使われるものだが、これについても古代インドの社会状況を全く無視した命名で、現代人受けを狙っただけの、頭の中での単なる架空のイメージ操作に過ぎないだろう。

仏道修行のゼロポイント」と称する本ブログの探求は、そんな魚川さんとは真逆の、生々しいまでのブッダ存在のリアル』を徹底的に追求していくつもりでいるので、興味とお時間のある方は是非、読み続けて頂けたら嬉しい。 

その中で、

「何故、生産活動にも生殖活動にも関わらない『脱社会』を志向し実践する出家比丘サンガ(魚川さん言う所のニート)に、古代インドの一般の人々は喜んで寄進したのか」

という不可解さに、ひとつの答えが明示される筈だ。

それはつまり、

「出家比丘サンガには、『社会的』に極めて重要な『存在意義』があった」

という事に他ならない。

 

 


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