その小食のゆえに痩せこけて:三つの苦行の真意《瞑想実践の科学15》
沙門シッダールタは「歯と舌の苦行」と「止息の苦行」の実践において、
「わたしはひるむことなく精進に励んだ。思念はそなわり、失念はなかった」
として、七覚支の内の精進(Viriya)と思念(Sati)の二つを備えていたが、
「けれども、その苦の精勤によって精勤が抑圧されていたために、私の身体は激動し、安らかではなかった」
と言う様に「安らぎ」に欠けていた。しかし「安らぎ」を欠いた中でも、
それなのに、王子よ、わたしに生じたそのような苦の感受は、わたしの心を占領してとどまらなかった。
として、「無常の観察」の原初形態とも言うべき “気付き” を体現しており、そこにおける「気づき」と「身受心法の観察」は、苦行を止めて禅定を極めるべく菩提樹下に結跏趺坐した時にも持ち越され、そこで経験された「四段階の禅定」へと『接続』するものだった。
わたしは~遠離によって生じた喜楽のある初禅を成就して住した。
実に王子よ、わたしに生じたそのような安楽の感受は、私の心を占領してとどまらなかった。
~再掲、春秋社刊、原始仏典第6巻 中部経典85 菩提王子経P188より引用
以上が、前回までのあらすじだった。
今回は予定通り、続く三つ目の苦行である「断食の行法」の実際について、菩提王子経より続けて引用したい。
中部経典第85経、菩提王子経:Bodhirajakumara Sutta
☆呼吸をしない禅、の最後の段階において、身体に激しい熱が生じた、と言う記述の後に続けて~
しかし王子よ、わたしはひるむことなく精進に励んだ。思念はそなわり、失念はなかった。けれども、その苦の精勤によって精勤が抑圧されていたために、わたしの身体は激動し、安らかではなかった。
それなのに、王子よ、わたしに生じたそのような苦の感受は、わたしの心を占領してとどまらなかった。
すると王子よ、神々はわたしを見て、こう言った。
『沙門ゴータマは死んでしまった』と。また、ある神々はこう言った。
『沙門ゴータマはまだ死んでいない。が、しかし死ぬ』と。また、ある神々はこう言った。
『沙門ゴータマは死んでしまってもいないし、死ぬ事もない。沙門ゴータマは、アラハト(阿羅漢)である。アラハトたるものの生き方はこの様なものである』と。王子よ、私はこのように思った。
『さあ、わたしは完全な断食を試みてはどうか』と。王子よ、すると、神々がわたしのところに近づいてきて、こう言った。
『わが友よ、食を完全に断ってはいけません。わが友よ、もしあなたが完全な断食をされるのでしたら、わたしたちが天の栄養をあなたの毛穴から食べさせてあげましょう。それであなたは生命をつなぐでしょう』と。
王子よ、わたしはこのように思った。
『みずから断食行を宣言しておきながら、その一方で神々が毛穴を通して天の栄養を食べさせ、わたしがそれによって生命をつなぐとしたら、わたしは自分に嘘をつく事になる』と。
それで、王子よ、わたしは、神々に『結構です』と言った。
王子よ、わたしは、このように思った。
『さあ、わたしは、少しずつ、少量ずつ、食をとってみてはどうか。インゲン豆の汁を、そら豆の汁を、カラーヤ豆の汁を、ハレーヌカ豆の汁を』と。
王子よ、わたしは、少しずつ、少量ずつ、食をとった。インゲン豆の汁を、そら豆の汁を、カラーヤ豆の汁を、ハレーヌカ豆の汁をとった。
王子よ、インゲン豆の汁を、そら豆の汁を、カラーヤ豆の汁を、ハレーヌカ豆の汁を少しずつ、少量ずつとるあいだに、わたしの身体はひどく痩せ細ってしまった。
たとえば、その小食のゆえに、わたしの手足はまるでアーシーティカ草の節か、カーラ草の節のように、ちょうどそのようになった。
また、その小食のゆえに、わたしの臀部はまるでラクダの足のように、ちょうどそのようになった。
また、その小食のゆえに、わたしの背骨はまるで紡錘を連ねたごとくでこぼこに、ちょうどそのようになった。
また、その小食のゆえに、わたしの肋骨はまるでいまにもつぶれそうな古い家の垂木のように、ちょうどそのようになった。
また、その小食のゆえに、わたしの眼窩は落ちくぼみ、眼だけが光るのが、まるで深い井戸の底に水が光るように、ちょうどそのようになった。
また、その小食のゆえに、わたしの頭皮はまるで熟さぬうちに切り取られて、熱風で萎びたひょうたんのように、ちょうどそのようになった。
王子よ、腹の皮に触ろうと思ってわたしがつかんだのは背骨であり、背骨に触ろうと思ってわたしがつかんだのは腹の皮であった。
王子よ、また、その小食のゆえに、腹の皮はしまいに背骨にくっついてしまうほどでした。
王子よ、また、その小食のゆえに、わたしが、手洗いに立とうと思うと、その場に前かがみに倒れ込んでしまった。
そこで王子よ、わたしは身体をいたわろうと手で手足をさすると、王子よ、擦るはしから、腐った毛根と共に体毛が抜け落ちた。
すると、王子よ、人々がわたしを見てこう言った。『沙門ゴータマは黒い』と。またある人々はこう言った。『沙門ゴータマは黒くない。沙門ゴータマは褐色である』と。またある人々はこう言った。『沙門ゴータマは黒くもなく、褐色でもなく、沙門ゴータマの肌は青白い』と。
王子よ、清浄で清潔であったわたしの肌の色は、また、その小食のゆえに、それほどまでに損なわれてしまったのである。
王子よ、わたしは次のように思った。
『誰であれ、過去に、沙門・バラモン達がいて、急激で、鋭く、激しい苦の感受を味わったとしても、この(わたしが味わった苦の感受)こそが最高であり、これより凄まじいものはない。
未来に、沙門・バラモン達がいて、急激で、鋭く、激しい苦の感受を味わったとしても、この(わたしが味わった苦の感受)こそが最高であり、これより凄まじいものはない。
誰であれ、現在に、沙門・バラモン達がいて、急激で、鋭く、激しい苦の感受を味わったとしても、この(わたしが味わった苦の感受)こそが最高であり、これより凄まじいものはない。
それなのに、この鋭い難行によって、わたしは人法を超えた最勝智見が得られない。覚りにおもむく道が、他にあるのだろうか』と。
(段落組みと漢字変換の一部は、筆者によってアレンジされている)
~以上、春秋社刊、原始仏典第6巻、P185~186 より引用
これで、菩提王子経を中心に、沙門シッダールタが経験した三つの苦行、すなわち、「歯と舌の行法」と「止息の行法」そして最後の「断食の行法」部分を、すべて紹介し終わった事になる。
よかったら是非、これまでの投稿から引用部分を集めて、一連の流れとして、通読して読んでみて欲しい。
今回の引用部分は、余りにも激しい「止息の行」を遂行した事によって、シッダールタが瀕死の状態になり、それを神々が心配してあーだこーだ言っているシーンから始まっている。
ここで面白いのは、
『沙門ゴータマは死んでしまってもいないし、死ぬ事もない。沙門ゴータマは、アラハト(阿羅漢)である。アラハトたるものの生き方はこの様なものである』
として、まだ悟りを開いていない求道者シッダールタの事を、既にアラハト(阿羅漢)と呼んでいる事だ。
(これに関しては「誤伝」「誤訳」の可能性もあって、本来は「アラハトに成る者」だったかも知れない)
実はこれはパーリ経典の多くの部分で共通するもので、これら経典を編纂した者にとっては既にシッダールタは覚りを開いたブッダでありアラハトであるから、それ以前の修行時代に関しても、ブッダとしての諸特性を投影して語ってしまう事が多い。
これはパーリ経典だけではなくあらゆる仏伝文献にも該当するので注意が必要だ。
そうして結局、神々に心配されながらも止息の行では死に至らず、また覚りも開けなかったシッダールタは、そこで続いて完全断食を発想する。
それに対して神々は、
『わが友よ、食を完全に断ってはいけません。わが友よ、もしあなたが完全な断食をされるのでしたら、わたしたちが天の栄養をあなたの毛穴から食べさせてあげましょう。それであなたは生命をつなぐでしょう』
と提案する。
この「毛穴から食べさせて」という実に奇妙な言葉の背後にある心象風景については、次回に分けて色々と考えてみたい。
神々のこの申し出に対してシッダールタは、
『みずから断食行を宣言しておきながら、その一方で神々が毛穴を通して天の栄養を食べさせ、わたしがそれによって生命をつなぐとしたら、わたしは自分に嘘をつく事になる』
として、神々に『結構です』と言い、毛穴から栄養を受ける事を拒否する。
しかしその後、彼は不思議な選択をする。
王子よ、わたしは、このように思った。
『さあ、わたしは、少しずつ、少量ずつ、食をとってみてはどうか。インゲン豆の汁を、そら豆の汁を、カラーヤ豆の汁を、ハレーヌカ豆の汁を』と。
一旦は完全断食を発想して、神々の提案した『ズル』も拒否したはずなのに、何故かシッダールタは完全断食を断念して、極少量であれ食をとる『制限断食』にシフトしてしまうのだ。
せっかく神々の提案さえ拒否したのなら、当初の意思通り完全断食を遂行しなさいよ、と思わないだろうか?
しかも、その極小食のメニュー、豆の種類まで列挙して詳細に語っている。いつもの事だが、何でこんな事まで語られなければならないのか?
実はこの断食部分の記述については、経典によって奇妙な『ズレ』が見受けられる。ラリタヴィスタラという大乗の仏伝物語の苦行部分には、以下のような流れが確認できるのだ。
止息の行法の後に、断食行を発想し、「コーラの実ひと粒だけを食べる小食、ひと粒の米だけを食べる小食、ひと粒のゴマだけを食べる小食」、へと段階的に小食断食を遂行し、最終的に、
『あらゆる点において、私は食べ物を全くとらない事を実行する必要がある』(ラリタヴィスタラ 溝口史郎訳 東方出版 P230)
と決断して完全断食を実践し、その結果として瀕死の衰弱に陥ってしまう。そう、ラリタヴィスタラの記述では、シッダールタは完全断食をやった事になっているのだ。
しかし、そのような苦行の道は、
『人間の法を超えた尊敬すべき知の見方の識別は、何一つ充分には明らかにされてはいない。これは智慧の道ではない。これは、未来において生老病死を生みだすことを消失させるに至るための道ではあり得ない』(同書P238)
と理解して、幼少時の禅定の記憶に思い至り、この禅定の道は疲労困憊した身体によっては不可能だと悟り、食を摂ろうと決意する。
そのタイミングで、神々の息子達がシッダールタの元にやって来て、
『あなたが考えておられる充分な食べ物、それを摂らないでください。我々があなたに活力を毛孔を通して注入しましょう』(同書P239)
と提案するが、それは虚偽になると判断してシッダールタはその申し出を拒み、次の言葉を述べる。
『私は十分な食べ物を摂ろう。例えば、エンドウ豆のスープに糖蜜や米の粥を添えたものを』(同上)
そしてその後、シッダールタはスジャータという村娘から乳粥の供養を受けて体力を回復すると、菩提樹下の禅定に入る、と言う流れになる。
この「ラリタヴィスタラ」は、西暦2~3世紀までに成立したと言われる初期大乗仏典だが、そこに記述されている情報のソースは部分的に大変古く、苦行部分などの仏伝についてはパーリ経典(阿含経典)の最古層と重なる部分も多く、あるいはまた、それらの経典にはない(失われた?)記述も多く見られる事から、成立年代は比較的新しいが、内容それ自体は最初期の原始仏教の伝承を多く保存している、と考えられている。
(ブッダを礼賛するために、いわゆる美文調の装飾過多が施されている事は十分に注意すべきだが、その文言のソースの古さから、原始仏教、更にはブッダ存在の実像を復元理解するための資料的な価値は高い)
つまり、苦行に関する現行のパーリ経典の記述とラリタヴィスタラの記述は、おそらく共通のソースからそれぞれ一定の部分を引き継いでいる、と見ていいだろう。
以下に両文献の流れを整理すると、
菩提王子経:
歯と舌の行法
止息の行法
完全断食発想
神々が毛孔から食させる提案
提案の拒絶
インゲンなど、複数種の豆の汁を摂る極端な小食
瀕死の衰弱
極小食の苦行を捨てる決意
米の粥を摂る
五人の苦行者の離反
禅定
ラリタヴィスタラ:
歯と舌の行法なし
止息の行法(アースパンダカ瞑想)
小食発想
コーラの実、米粒、ゴマ粒の小食
完全断食の実施
瀕死の衰弱
悪魔ナムチが苦行の停止を勧める
悪魔を退散させる
断食・苦行を捨てる決意
神々が毛孔食の提案
提案の拒絶
エンドウ豆のスープなどを摂る
スジャータからの乳粥の供養
菩提樹下の禅定
になる。
実際にそれぞれの経典部分を並行して読んでみないと中々リアルに把握できないかも知れないが、そこにはいくつか重要な違いがある。
第一に、菩提王子経では苦行の第一におかれている『歯と舌の行法』がラリタヴィスタラでは欠落している事、そして、小食断食の苦行プロセスが、菩提王子経では大幅にカットされている事、さらに悪魔ナムチの誘惑も菩提王子経ではカットされている事。
これは私の感触だが、全体の成り行きの自然さから見て、本来の仏伝・苦行物語の流れは、ラリタヴィスタラのそれに近い形で伝承されていたのではないか、と思われる。
一方、パーリ経典の菩提王子経・マハーサッチャカ経・サンガーラヴァ経にほとんど同じ形で保存されている三つの苦行部分は、ある “明確な意図” の元に、編纂された可能性が高い。
(あるいは大本の仏伝が既にその明確な意図の元に編纂されたものを、ラリタヴィスタラが美文調の物語に仕立て上げて、その本来の意味を韜晦してしまった)
それはもちろん、私の見立てでは瞑想実践の具体的なメソッドを苦行物語という形を取って『埋め込んで』保存する、という事になるが、その点から見て重要になるのが、小食断食によって衰弱の極みに至ったシッダールタが、主観的「体感的」に経験する様々な事象になる。
以下にその瀕死の有様を羅列的に引用すると、
その小食のゆえに、
1:手足はまるでアーシーティカ草の節か、カーラ草の節のようになった。
2:臀部はまるでラクダの足のようになった。
3:背骨はまるで紡錘を連ねたごとくでこぼこになった。
4:肋骨はまるでいまにもつぶれそうな古い家の垂木のようになった。
5:眼窩は落ちくぼみ、眼だけが光るのが、まるで深い井戸の底に水が光るようになった。
6:頭皮はまるで熟さぬうちに切り取られて、熱風で萎びたひょうたんのようになった。
7:腹の皮に触ろうと思ってわたしがつかんだのは背骨であり、背骨に触ろうと思ってわたしがつかんだのは腹の皮であった。
8:腹の皮はしまいに背骨にくっついてしまうほどでした。
9:手洗いに立とうと思うと、その場に前かがみに倒れ込んでしまった。
10:身体をいたわろうと手で手足をさすると、擦るはしから、腐った毛根と共に体毛が抜け落ちた。
という流れになる。
激しい断食の結果、痩せこけた苦行仏:ガンダーラ
ここに描かれた状況は、常識的に言って極めて異常な事態だろう。上のガンダーラの苦行仏はこのような経典の記述を元に製作されたのだろうが、ほとんど常軌を逸していると言って良い過激な絶食状態だ。
問題は、これらの記述が、果たして歴史的な事実なのかそれとも「文学的」な誇張を多分に含むのかだが、容易に判断はつかない。
ひとつ明らかに言える事は、単純にここで彼、沙門シッダールタは、全身の “状態” を子細に観察し、気付いている、という事実だろう。
そこにはあたかも解剖学的な「身調べ」の様な執拗な羅列がある。
これを更に、個別に分析を進めると、
まず極度に痩せこけた結果、1~5の手足、臀部(骨盤)、背骨、肋骨、眼窩(頭骨)という全身骨格が露わになり、元々は美々しく見えた「私」の身体が、単なる骸骨の集成に過ぎない、という事実が明らかになる。
次に、痩せこけて肉が落ちた結果、私の身体とは、6~8の頭皮と腹の皮がそれら骨格に張り付いているに過ぎないのだと言う事実が露わになる。
9では、普段健康であれば気づきもしないはずなのに、痩せこけて筋力が極端に低下した結果、自分の頭の重さ(上体)を支えきれずにバランスを失い、“重力” の存在を痛感している。
そして10では、自分の身体だと思って撫でさすったら、あたかも単なるゴミの様に、その体毛がパサパサと抜けて落ちてしまった事から、身体というものが、単なる物質の集成に過ぎない、という事実が、明らかに感得されている。
最後の体毛については、更にその心象を追求する必要があるだろう。
人間の身体パーツの中で、その外貌を一見して、最も無機的な「単なる物質性」が分かりやすいパーツは、と言えば、それは歯と爪そして頭髪を含めた体毛になるだろう。(内部にあるものでは骨だ)
歯は石の様だし、爪はプラスチックの様だし、毛髪は特に身体から抜けてしまえば糸くず(繊維)の様に見える。この様な『物質性』は古代インド人にとっても明らかだったはずだ。
これら物質性の著しい歯や爪や毛髪も、生きて身体にくっついている限りは、とても魅力的で、彼氏彼女や「私」自身のアイデンティティと性的魅力を直接的に支える重要なパーツに位置づけられるものだ。
しかしひとたび身体から抜け落ち、あるいは切り放された瞬間から、それはあっけなく、単なるゴミになる。
これは、確かスマナサーラ長老なども言い慣わしていたはずだが、緑の黒髪として美女の性的魅力を構成していたものが、一旦抜け落ちたならば、それは瞬間的にゴミになる。
どんなに愛する人の頭髪・体毛・爪などでも、生きて身体に生えている時は文字通り舐めるように愛着するのに、一旦身体から離れてしまったら、誰ひとり顧みない。逆に汚物としてゴミとして、嫌悪の対象にすらなり得る。
これは例えば夫婦であれ恋人であれ、カップルが同居していて、浴室で先に入ったパートナーの頭髪や陰毛が浴槽のお湯に浮いていたらどう思うか、を体験的に思い浮かべればよく分かるだろう。
おそらく、ほとんどすべての人が、不快感と共につまんで捨てるのではないか。
この様な感覚は、おそらくは古代インド人にとっても普遍的に共有されていた事と思われる。そんな心象を前提に、
「身体をいたわろうと手で手足をさすると、擦るはしから、腐った毛根と共に体毛が抜け落ちた」
というシーンを分析するとどうなるだろうか。
まず、「身体をいたわろうと手で手足をさすると」という前半部分を見れば、彼は身体をいたわろうとしている。つまり、身体というものに愛着を持ち、大事なものだと思い、自分自身だと思って慰撫しようとする訳だ。
しかし次の瞬間、
「擦るはしから、腐った毛根と共に体毛が抜け落ちた」
という現象に直面する。その驚きとはいかばかりだっただろう。
毛髪というものは、毛根部分(毛穴)で固定されて一定の毛並みにおいて並んで生えている限りは、その感触はとてもスムーズで心地よいものだ。
美しい女性の緑の黒髪、名馬の毛並み、美丈夫の豊かな髭。これらの美しさと麗しさ心地よさは正にこの整然と揃った “毛並み” に依存している。(だから皆熱心に櫛梳る)
それが、ひとたび身体(毛穴)から抜けてその美しい “秩序” が失われて滅茶苦茶な無秩序状態でバラけ、あるいは重なった瞬間から、毛髪が持っている美しさ心地よさは “瞬壊” し、途端に不快な気持ち悪い、単なる物質的なザラザラとした「ゴミ」に豹変してしまう。
沙門シッダールタは、正にこの時、痩せこけた我が身の表面を撫でさすった瞬間に、この “瞬壊” に直面した。いとおしい我が身だと思っていたものが、単なるゴミの集積に過ぎなかった、という “真理” に直面させられたのだ。
栄養失調の果てに体毛まで自然に抜けてしまうと言う状況は、明らかに異常なので、これが果たして実際に起こったのどうかは分からないが、重要なのはその様な状況が経典に記載されたと言う事実だ。
そして、上の10の項目に記述された様々な身体状況は、直接的にパオ・メソッドにおける四界分別観のメソッド、そしてその経典上の根拠とも言える32身分法と、有意に重なり合っている。
まず、1~5の手足、臀部(骨盤)、背骨、肋骨、眼窩(頭骨)という全身骨格の体感的確認は、32身分法や死体観における解剖学的な認識の基礎をなすものであり、当然、パオ・メソッドの四界分別観における基礎でもある。
人間の身体とは、これら地の要素である骨格に、皮が張り付いたにすぎない、という表現は、パーリ経典の随所に見受けられる。
ちなみに32身分を羅列すると以下のようになる。
髪の毛、体毛、爪、歯、皮膚、筋肉、筋、骨、骨髄、腎臓、心臓、肝臓、横隔膜、脾臓、肺、腸、腸間膜、胃の内容物、大便、脳髄、胆汁、痰、膿、血、汗、脂肪、涙、皮脂、唾液、鼻水、関節の滑液、尿
6~8の、頭皮と腹の皮が骨格に張り付いているに過ぎない、という確認は、32身分的な身体観そのものと言えるだろうし、その
「8:腹の皮はしまいに背骨にくっついてしまうほどでした」
という「くっつく」という表現は、パオ・メソッドにおいて水界の粘着性を確認する、
12.粘着性、
皮膚、筋肉、腱がお互いにくっつき合う力(状態)
に重なり合うものだし、
「9:手洗いに立とうと思うと、その場に前かがみに倒れ込んでしまった」
という記述は、同じ粘着性の、
「身体が地面に押しつけられる引力」
の確認に他ならない。
更に、
「5:眼窩は落ちくぼみ、眼だけが光るのが、まるで深い井戸の底に水が光るようになった」
「6:頭皮はまるで熟さぬうちに切り取られて、熱風で萎びたひょうたんのようになった」
という文言の中には、巧妙に水と火(熱)と風という四界の要素が埋め込まれているし(井戸なる眼窩が掘られているのは「地」なる身体だ)、
「10:身体をいたわろうと手で手足をさすると、擦るはしから、腐った毛根と共に体毛が抜け落ちた」
は同じパオ・メソッドの、
3.地界の粗さ、
手でもう一つの腕の皮膚を触った感触
と有意に重なり合う。抜け落ちた体毛のザラザラした感触は、正に地界の粗さそのものと言っていいだろう。
断食(小食)の苦行においてシッダールタが経験した痩せこけた身体状態の記述は、32身分法や不浄観、死体観を体現し、生きながら死という「物質化」に限りなく近接していたという事ができるだろう。
もうひとつ、これは既に指摘した事だが、菩提王子経でもラリタヴィスタラでも、この極小食の断食の様子が、豆の種類や穀物の種類まで記載されている事に私は違和感を覚えた。
ここでもまた、「何故、そこまで詳細な記述が必要なのか?」という疑問だ。
自分の身になってこの時のシッダールタの状況を考えてみよう。極端な小食によって激しい飢渇感に苛まれる中、ごく少量の豆粒や穀物粒を食べる、という時、人はどのような心理状態になるだろうか。
(ラリタヴィスタラの穀物粒は、最終的に一日一食ゴマ一粒にまで減らされる)
私は若干の断食経験があるのでリアルに分かるのだが、例えば断食明けの最初のお粥を口にする時、人はこれ以上にはない程の集中力をもって気づきながら、ご飯粒ひとつひとつを惜しみ噛みしめて歯先舌先でつぶさに吟味して、味わって食べるものだ。
つまり、ここで両典籍に書かれた豆や穀類の小さな粒をシッダールタが食した時、彼は最大限の集中と気づきを持って、その一粒一粒を歯先舌先で大切に吟味して味わったはずなのだ。
その状態は、パオ・メソッドの「歯と舌の行法」に極めて近接するものでは、なかっただろうか。
私の読み筋だが、おそらくブッダが自身の苦行物語を弟子たちに説いた時、そこには既に最初から、「苦行を通じて初めてつかみ得た、様々な『覚りの行法への要諦』をリアルに伝えたい」という意図が充分にあったのではないか、と思う。
果たして、ここで浮き彫りになった分析結果は、私個人の、単なる恣意的なこじつけに過ぎないのか。それとも、ある正鵠をついているのか。
中部経典(マジマ・ニカーヤ)の菩提王子経、サンガーラヴァ経そしてマハー・サッチャカ経などに共通して収録されている、「歯と舌の行法」「止息の行法」そして「断食(小食)の行法」という三つの苦行。
その苦行における、詳細過ぎる程に記述された様々な “様相”。
そこで沙門シッダールタが主観的に経験した身体生理現象、その記述は、パオメソッドの四界分別観や32身法、そして不浄観や死体観などの瞑想行法の、ある種 “原初形態” とも言えるものだった。
この様に見てくると、今まで私たちが考えていた、特に大乗系の常識的な理解、すなわち、「沙門シッダールタは出家後6年間は苦行に励んだが悟りに至る事ができず、最終的に苦行の無意味さに気付き、それを捨てて、禅定の道に進みそれを深め解脱し、悟りを開いた」という単純な認識に、少なからず軌道修正が必要になって来る。
もちろん『苦行』それ自体は、直接覚りへと至る道、あるいは『方法論』ではなかったかも知れないが、先に言ったように「ある特定の苦行体験を通じて初めて、覚りへの道、その方法論あるいはメソッドを想到し得た」と言う可能性について、見逃すべきではない。
この三つの苦行とパーリ経典において確立している正しい行道を比べてみると、上記以外にも様々な関連性が露わになる。
歯と舌の行法は、既に見て来た様に直接的にサマーディを促す効果的なメソッドとして考想息止経では推奨されている。
止息の行法は同じ呼吸つながりとしてアナパナ・サティの発想の源とも考えられる。
小食断食が比丘サンガで奨励される食の節制や「午前に一回の托鉢摂食」と近接している事実も指摘できるし、そこにおいて、最大限の気づきをもって食事をする、という「行儀」もまた、極小食時のシッダールタの状況に重なり合う。
6年間の苦行は、特に上記三つの経に詳述されている「歯と舌の行法」「止息の行法」と「断食(小食)の行法」は、捨てられた行法として描かれているけれど、しかし決して、無意味などではなかったのだ。
これらの経験の中でこそ、シッダールタは悟りに至るその道筋、その『理法(ことわり)』をあるいは『機序』を悟って、その結果行道の軌道修正を行って、禅定の道を深めていったのだろう。
それを弟子たちにリアルに伝える為に、ブッダはこのような「苦行物語」を説いた。
そもそもこの三つの苦行を含む菩提王子経などの一連の文脈の流れには、大いに奇妙な点が随所に見られる。
ひとつには、出家したシッダールタが最初に経験する、アーラーマ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタの瞑想行法だ。
経典にはアーラーマ師の最高の境地は『無所有処』と記述され、ウッダカ師の最高の境地は『非想非非想処』と記述され、これらの二つを共にシッダールタは成就達成し、しかし満足せずそこを離れた、という流れになっている。
その後に問題の三つの苦行に邁進する訳だが、しかし、この無所有処と非想非非想処とは、多くの方がご存じのとおり、後に確立されるパーリ経典・教学においては、色界の四禅に続く、無色界の高度な瞑想境地の四段階として、空無辺処・識無辺処・無所有処・非想非非想処、という順番の最後の二つ、つまり最高度の二つとして、位置付けられている。
つまり、三つの苦行に入る前の時点で、すでに無色界の最高処の瞑想体験をすでにシッダールタは達成していた(第五の滅尽定は未達)。
しかし、菩提王子経などでは、三つの苦行に邁進して、しかしそれに意味がなかったと悟ったシッダールタは、より低い色界の四禅定に進み、そこで、無色界の最高処の四つの瞑想に進む事なく、
過去に営まれた種々の生存を思い起こすという第一の明知
生命ある者たちの死と再生についての智という第二の明知
四聖諦という第三の明知
に達し、
無明が滅びて明知が生じ、暗黒が滅びて光明が生じた
と宣言する(以上、春秋社刊 原始仏典 第6巻 中部経典第85経 「生涯で三度三法に帰依した王子」菩提王子経:Bodhirajakumara Sutta、P188以下より要約引用)。
この辺りの消息はとても微妙かつ難解な所だが、ブッダが覚りに至ったそのプロセスの『急所』がまさしくそこに、隠されているようにも見える。
そして実は、息を極限まで止める「止息の行」がラリタヴィスタラでは「アースパンダカ瞑想」と称され、それによって「第四禅定に達した」と書かれている事実がある。
(この点に関しては、後日改めて取り上げたい)
この様な色界四禅と無色界四禅(五禅)の階層的構成は、おそらくはブッダの死後かなり時間が経ってから、アビダンマ的なマニュアル化の過程で確立したものと思われるが、この両者の狭間にこそ、覚りへの突破口が見出され得るのではないかと。
そこで焦点になるのは『観』の有無かも知れない。
それに関連して最後にもうひとつ、この苦行の顛末に関する、実に奇妙と言うか不思議な事実を取り上げたい。
それは、「止息の行法」で口と鼻と耳もふさいだ完成形の止息状態において、シッダールタが体験した主観的な身体生理現象の記述だ。それをここで正確に再掲すると、
怪力男が鋭い剣先で首をはねるかのように、轟く風がわたしの頭をつんざいた。
怪力男が丈夫な革紐で頭にターバンを巻きつけるように、頭に激しい頭痛がおこった。
腕の立つ牛の屠殺人や屠殺人の内弟子が使う、鋭利な小刀で腹を切り裂くように、烈風がわたしの腹を切り裂いた。
怪力の男がふたりで、力の弱い人の両腕をそれぞれつかんで、炭火のおこる坑でじりじりと焼き焦がすように、身体に激しい熱が生じた。
~以上、春秋社刊:原始仏典より「菩提王子経」の再掲引用
となるが、不思議な事に、これら四つの記述が、全く別の経典の全く別の文脈の中に、あたかもコピペされたかのように埋め込まれている、という事実があるのだ。
それは、中部経典第143経:教アナータピンディカ経や第144経:教チャンナ経などになるが、ここでは第143経:教アナータピンディカ経(教給孤独経)から見てみたい。
この経典は、有名な祇園精舎を寄進した資産家アナータピンディカが晩年に病に伏せって重体となり、その病床を見舞ったサーリプッタと彼との間に交わされた対話が基軸になったストーリーだ。
死の病いに苦しむアナータピンディカに、サーリプッタはその容体を気づかい尋ねる。するとアナータピンディカは、いかに今の身体症状が苦しいかを切々とサーリプッタに訴えるのだが、その流れが、ほとんど全く菩提王子経に記された「止息の行法」時のシッダールタの身体的苦しみと同じなのだ。
サーリプッタ様、ちょうど、力持ちの男が鋭利な刃物によって、人の頭を切り裂くように、尊者サーリプッタ様、きわめて激しい風がわたしの頭を引き裂きます。
ちょうど、力持ちの男が丈夫な革紐をターバンの様に頭にきつく巻きつけているように、わたしにひどい頭痛があります。
ちょうど、熟練した屠牛者あるいは屠牛者の弟子が、鋭利な牛刀で、腹を切り開くように、きわめて激しい風が、わたしの腹を切り開きます。
ちょうど二人の力持ちの男が、一人の弱い男の腕を片方ずつつかんで、炭火の坑の上であぶり、よく焼くように、私の身体にはきわめて酷い熱があります。
わたしは少しも良くならず、もう耐えられません。激しい苦しみの感じが引かず、酷くなるばかりです。激しい苦しみの感じが減ることなく、増すばかりだと言う事が、はっきり分かります。
~以上、春秋社刊 原始仏典第7巻 第143経 教給孤独経:Anathapindikovada Sutta P516より抜粋引用
これら病者アナータピンディカの瀕死の身体症状は、上記の止息の行法時に苦行者シッダールタが経験した身体症状と、その形容の言葉尻から個別症状に至るまで、完全に合致する事が明らかだろう。
(日本語の若干の記述の違いは、おそらく翻訳の違いに過ぎない)
なんとも不可解と言うか、奇妙な話だ。
「止息の苦行に励む沙門シッダールタ」と「病苦に喘ぐ資産家アナータピンディカ」という、片や出家の若い苦行者、片や在家の老齢の病者、という極めて対照的なまったく異なった状況設定において、しかし、その苦の詳細な描出に関してだけは、あたかもコピペしたかのごとく、全く同じ身体状態が記述されている。
その真意は一体、何だったのだろうか…?
という訳で、次回以降、中部経典第143経:教アナータピンディカ経について、詳細に見ていきたい。
(本投稿はYahooブログ 2015/4/4「瞑想実践の科学 30:その小食のゆえに痩せこけて」と2015/4/8「瞑想実践の科学 31:三つの苦行の真意とは?」を統合の上加筆修正して移転したものです)