仏道修行のゼロポイント

ゴータマ・ブッダの原像とヒンドゥ・ヨーガ

『四梵住』とブラフマ・チャリヤ【前編】

前四回にわたってウパニシャッド的な絶対者ブラフマンとゴータマ・ブッダとの関係性について、諸原典を引きつつ様々な角度から検討してきた。

それについて新たに判明した事実関係について補足しておきたい。前回私はいくつかのテーマについて考察しているが、そのひとつに『作られざるもの』と『作られたもの』の対置があった。

383 : バラモンよ、流れを断て、勇敢であれ。諸の欲望を去れ。諸の現象の消滅を知って、作られざるもの(=ニルバーナ)を知る者であれ。

383. Chinda sotaṃ parakkamma, kāme panuda brāhmaṇa;
Saṅkhārānaṃ khayaṃ ñatvā, akataññūsi brāhmaṇa.

日本語訳はブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫) 中村元訳 P64~より

パーリ原文は http://www.tipitaka.org/  Vipassana Research Instituteより。

上のダンマパダ「バラモン章」の記述における『作られざるもの=akata』と、

祭祀によりて獲たる種々の世界(果報)を観察し、無作(永遠)の世界は作為(祭祀)によりては獲られずとて深き失望に陥りなば、

parīksya lokān karmacitān brāhmano nirvedam āyān nāsty akrtahkrtena

日本語訳はウパニシャッド:佐保田鶴治著 平河出版社 P250~より

サンスクリット原語はThe Principal Upanishad:P678より

上のムンダカ・ウパニシャッド1-2-12の記述における『無作(永遠)=akrtah』が重なり合う概念ではないのか、という問題提起であり、そこにおいてどちらもaを付けてその否定形をなしているパーリ語のkataとサンスクリットのkrtaについて、果たして全くの同義であるか、という点がひとつの焦点であり、あの時点では未詳であった。

しかし、ネット上を悪戦苦闘しつつ検索するとどうやらこのkataとkrtaが同義である事が確認できたので下に引用したい。

Now, in the study of karma in the Pali canon, we find some references
to krta (kata) and akrta (akata). There are, as example, such statements
as these: "We are born in hell owing to non-doing (akata) of good
acts" or "We are born in heaven owing to non-doing of evil acts" (cf. A.
N. vol. I. P. 57 etc.).
And in the later treatise of the southern Theravadins,
such acts as non-killing in terms of the religious observance are classified
under the item of kata and akata (cf. ND, p. 54; ND2 p. 126). The idea
of this sort concerning akata-kamma in Pali canon is the same one as akrta-karma mentioned above.

On the idea of "avijnapti-karma" in Adhidharma Buddhism 山田恭道著より

上の論文では、どうやら説一切有部上座部における行為と業について論じているようであり、そこにおけるkrta (kata) と akrta (akata)の取り扱いは私の論旨とはまた違った文脈に属する(しかし微妙に重なりつつもある)のだが、とにかく、krtaとkataが同義である、と言う事の確認はできたので、ここに記しておく。

私の読みでは、『祭祀行為』という原風景を前提にこのkrta (kata)とkarma (kamma)が撚り合わされつつ、全インド教における因果応報と輪廻転生世界観の、いわば背骨ともなっている様なのだが、これはまた今後の展開に委ねたい。

いずれにしても、生きて法を説くブッダはその聴衆にとって、『ブラフマンの世界に至った者』であり、それこそがニッバーナであり到彼岸であり解脱ではなかったのか、という仮説については、私の中でますます強化されつつある。

この点に関しては、実は先行ブログである「脳と心とブッダの覚り」において、極めて近接した内容について私はすでに考察している。

今から3年以上前の2013年に投稿されたものだが、未だ熟してはいないがぶれる事ない私の問題意識が鮮明に記されているので、今回はそこからの引用を入口として、論を進めたい。

この投稿はそれまで敬遠していたチベット仏教についての本を読んだ際の驚きをベースにしており、何やら昔の日記を読み返している様で面映ゆいのだが…(笑)

私にとってもう一つの驚きは、チベット仏教の世界観の中に、リグ・ヴェーダからウパニシャッド、そしていわゆるヴェーダンタに至るインド思想の本流に当たる諸概念が、全て網羅されていた事実です。

ある意味、チベット仏教とは『もうひとつのヒンドゥ教』といってもいいくらいです。

前回、それはもうひと月以上前になりますが、私がこのブログに書いた、そしてその続きを未だ書いていない、リグ・ヴェーダにおける創造者ヴィシュヴァカルマンとそれを孕んだ『胎』の問題。それはそのままチベット仏教の中に、ストレートに継承発展されて伝わっています。

如来蔵の思想、シャクティ(女尊ダキニやターラ)の思想、クンダリーニの諸観念等々。私が今まで経験し探求してきた流れが、全て、より具体的な形で、チベット仏教の中に伝わっていた事を、私は再発見した訳です。これは、個人的には、かなりエキサイティングな『アハッ体験』でした。

しかし、彼らがその表門に掲げている観念の楼閣は、依然として私にとってはある意味、意味のない虚構にすぎません。それはある種の方便とも言えるだろうし、あるいはその方便を本質と見誤った人々も多くいた事でしょう。

問題は、その虚構をはぎ取った裸の本質の中から、いかにしてブッダの瞑想法とその『悟り』の実際について抽出し結晶化をするかでしょう。

問題の核心は、『慈悲』にあるのではないかと今は感じています。

ブッダの一切衆生に対する慈悲。それが生まれいずる根拠とは一体何だったのか。

この世界の一切がアニッチャー(無常)であり、アナッター(非我・無我)であり、ドゥッカー(苦)に過ぎないとしたら、苦しみあがく一切衆生の存在もまた無常なものです。

無常なものに関与して救い出そう(変えよう)とするのは筋が通りません。その苦しみもいずれは消えてなくなります。そのまま傍観し放置すればいい事です。

ブッダが現世否定の単なるニヒリストに過ぎなかったら、慈悲が生まれる理由は存在しません。

チベット仏教を概観すると、ひとつの事が明らかです。それは、彼らがウパニシャッド的な絶対者ブラフマンと言う存在を、様々な異名によってほぼそのまま踏襲しているという事実です。

もちろん、その絶対者・至高者の性格はウパニシャッドとタントラ・密教では異なります。けれど、それは明らかにブラフマンの発展形に他ありません。

リグ・ヴェーダに見られるヴィシュヴァカルマン。それを胎児として生みだした原初の大水あるいは『胎(ガルバ)』

このヴィシュヴァカルマンがやがてウパニシャッドにおいて創造者ブラフマンになり、その住処であるアーカーシャ(虚空・空処)の思想につながります。

その流れは、そのままチベット仏教における神的ブッダの『胎蔵』とその誕生神話へと繋がり、驚くべき事に、これらの神話が、具体的な瞑想実践の方法論と作用機序の中に、合理的に組み込まれてさえいる。

ここで私が思い出すのが、すでに原始仏教の時代においても、ブッダ梵天ブラフマンの擬人化)と同一視されていた、という事実です。私の以前の立論によれば、ブッダの瞑想法において彼岸に至る、と言う時、その彼岸の具体的な心象風景とは須弥山の岸でした。

その須弥山こそが、世界の車軸でありブラフマンの住処であった事を考慮した時に、全ての脈絡がひとつながりに結びつくと思うのは私だけでしょうか。

世界の車軸である創造者ヴィシュヴァカルマンが、胎児として誕生したという事を思い出して下さい。胎児として出生したプルシャがブラフマンとイコールであった事実、そしてブラフマンが世界の車軸たる神的スカンバであった事実も、またしかりです。

初期仏教、大乗、そして密教への流れ - 脳と心とブッダの悟り - Yahoo!ブログより

この投稿に至るまでには、その背後に様々な探求が横たわっており現在の私のテーマとも直結しているのだが、その点はまた回を改めて扱うとして、もし興味のある方は以下のリンクを見ていただきたい。

そこで私は、須弥山の世界観の中でその山頂に住まうとされる梵天の世界が『彼岸』を意味していたのではないかと色々と検討している。

それは、今回の古ウパニシャッド的な『ブラフマンの世界』描写とは微妙に異なっており、また重なり合う所もある。所詮これらは古代インド人が紡ぎ出した形而上学であり地域ごとにバリエーションがあり、時代とともに変遷してもいる。

その整合性については若干の齟齬はあるが、上の過去の考察においても、そして現在の考察においても、ブッダが指し示したゴールが同時代人にとって彼岸としての『ブラフマンの世界』であった可能性が高く、俗世界である此岸と解脱境である彼岸の間には越える事の困難な『激流の障壁』が横たわっていた、と言う共通心象だけは確認できるだろう。

その点に関しては今後追々と詰めていくとして、取りあえず今回ここでは、以下のブッダ『慈悲』について取り上げよう。

問題の核心は、『慈悲』にあるのではないか?

ブッダ一切衆生に対する慈悲。それが生まれいずる根拠とは一体何だったのか。

この世界の一切がアニッチャー(無常)であり、アナッター(非我・無我)であり、ドゥッカー(苦)に過ぎないとしたら、苦しみあがく一切衆生の存在もまた無常なものです。

無常なものに関与して救い出そう(変えよう)とするのは筋が通りません。その苦しみもいずれは消えてなくなります。そのまま傍観し放置すればいい事です。

という問題提起を手掛かりにして、ゴータマ・ブッダの原心象について考えてみたい。私がここで取り上げていたのはブッダの『慈悲』の根拠についてであった。

この点に関しては、魚川祐司氏の「仏教思想のゼロポイント」が実に的確に表現しているので以下にその名調子を抜粋引用しよう。

魚川氏の同書に関しては、そもそも本ブログの題名仏道修行のゼロポイント」が、その批判的(しかし多分に好意的)オマージュとして掲げられた経緯があり、改めて機会があれば書評としてまとめたいと思っている。

彼の問題意識は多く私のそれと重なるのだが、その結論が微妙に、時に決定的に異なっている。これはそれぞれのタイトルが示すように、私の関心の焦点が仏道修行』にあり彼のそれが『仏教思想』にある事の必然的な結果なのかもしれない。

(私がこれまでブラフマン思想にこだわっているのは、あくまでも『実践(瞑想行)』の詳細をあぶり出す為の手段に過ぎない)

しかしどちらにしても、慈悲の根拠という問題設定に関して両者のそれは重なり合う部分が多く、彼はそれを的確に言語化する能力に秀でている。それは以下の文言にもよく表れているだろう。

(~ここまで老子の思想を引き合いに出し仁愛などの概念を説明したのち~)

「捨」の態度が覚者の風光から出るものだとすれば、そこではあらゆる分別の相が滅尽している以上、それは仁愛もなければ人情もない、まさしく「不仁」の境地であるはずだ。

ならば、そこから慈・悲・喜という利他のはたらきかけが生じるのはどうしてなのか。

現象の世界における衆生の悲喜こもごもが、単に縁起の法則にしたがって起きる中立的な出来事に過ぎないのであれば、そこにいちいち関与して、「抜苦与楽」の実践を行う意義も必要性も、存在しないはずではないのか。

「戯論寂滅」の風光から、「物語の世界」に生きる衆生へのはたらきかけが生ずる動機は何であるのか。

「慈・悲・喜」と「捨」が同居する、覚者の心象とはいかなるものなのか。

その事を考察するために、次はゴータマ・ブッダが説法を決意するきっかけとなった「梵天勧請」の次第を確認してみる事にしよう。

仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か P166~より

ここで問題にされているのは、ブッダガヤの菩提樹下で悟りを開いた直後のブッダは、しかし自らの悟りの内実が余りにも反世間的であり微妙を極めて余人には理解しがたいものなので、その法を世に説く事をためらっていた、というエピソードを背景に、それが何故説法・開教へと傾いたのか、というその理由だ。

そこで氏は、仏教において重要な意味を持つ『四無量心』の内の「慈・悲・喜」を世俗の法、最後の「捨」を覚者の風光と位置づけ、両者が何故同居し得るのか、という形で論を進める。

悟りの風光である「捨」が、あらゆる分別の相が滅尽した仁愛もなければ人情もない、まさしく「不仁」の境地、であるならば、何故そこから「物語の世界」である衆生の悲喜こもごもの世界に介入し「抜苦与楽」へと働きかける必要があるのか。

ただ自らの悟りの風光、その「戯論寂滅」の全き安らぎの中に独り自足していて、やがて死すのを待てばよいではないかと。

この点は、先に引用した2013年の私の問題意識と全く重なるものだと私は理解している。

そこで彼はその間の消息を説き明かすために『梵天勧請』のエピソードを引き合いに出す。ここで私は唸ってしまった。

最終的な彼の結論は、以下の様になる。

では意味の判断も無意味の判断も失効したところから、衆生への利他のはたらきかけを行おうとする人々の心象はいかなるものであるのか。

敢えて言語によって簡潔に表現するならば、それは「遊び」というのが適切であると思う。

無為の涅槃の覚知によって、渇愛から離れた眼で現象を眺めた時に、誰が教えるということもなく、ただ明瞭に自知されることが一つある。

それは、いま・ここに存在している、「私」と呼ばれるこのまとまりが、他の全ての現象と同様に、ひとつの「公共物」であるということだ。

仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か P173~より

最終的に彼は、その様な無私の「公共物」である覚者が、「世界がただある、という『奇跡』を楽しみながら、それに気づく事なく『我執』という自縄自縛に陥っている人々を『遊戯三昧』的な『聖者の遊び』として『ただ、助ける』」と結論付ける。

この辺りは読んでいてムズムズする所で、当初の問題設定が相当に重なり合うのに、その後の論旨の展開が微妙にズレ、結論部に至っては、ある種隔靴掻痒の感に苛まれてしまう。

上の引用はあくまでもかいつまんだものに過ぎず、全体を論旨を俯瞰するためには是非著作の方を直接参照して欲しいのだが、ここで魚川氏は、意識的にか無意識的にかひとつ重要な事実を捨象・失念して論を進めている。

それはこの『四無量心』が、別名『四梵住』とも称され、梵天存在』との密接な関わりにおいて歴史的に称揚されてきた、と言う点だ。

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正にこの核心となる『四梵住』から、この先の論考をスタートさせよう。その原語は「Cattu Brahma-vihāra」であり、Cattuは四、Brahma‐vihāraは直訳すれば『ブラフマンの住処(境地)』を意味するという。

これまでの本ブログの文脈にしたがい、魚川氏の論述に対して端的に私の感想を書けば、一言で言うとそれは

無私の「公共物」、の立場から発せられる慈悲喜捨って、それはつまり絶対者ブラフマンブラフマン神)じゃないの?

という事になる。

続けて、魚川氏が言及した『梵天勧請』シーンについて、これまでの本ブログの論旨を引き継いで説明すれば、以下になるだろう。

『作られざるもの=akata(ニッバーナ、ムンダカではブラフマン)』に至ったブッダが、当初『作られた世界』に向けた説法を躊躇っていたのを、梵天つまりブラフマン神が「世界が滅びてしまわないように」と説法(転法輪)を懇請し、ブッダは四梵住つまり『ブラフマンのビハーラ(境地・住まい)』である慈悲の心を抱いて説法を決意した、という流れになる。

少々強引な印象は否定しないが、ダンマパダでいう『作られざるものakata』をakrtaとしてムンダカ的なブラフマンと取れば、全てが見事にブラフマン』の一者によって一貫されてはいないだろうか。

もちろんここで前回の論旨を受けて『作られざるもの』と表現したニッバーナやそれに到達したブッダは、これまで繰り返し述べてきたようにパーリ経典においてしばしばBrahma****と表現されるものであり、そこへ至る仏道は『聖なるブラフマンへの乗り物』と呼ばれていた。

私は残念ながら魚川氏のような論旨明快な名文家ではなく、分かりにくい説明で大変恐縮なのだが、氏の言う所の「世俗の法である『慈・悲・喜』と、覚者の風光である『捨』との間に横たわる決定的な断絶・背反」を乗り越え、何故ブッダが後者の立場から前者の世界へと踏み出していったのか、というその心象を理解するために決定的な意味を持つ最重要タームこそが、『ブラフマン』である可能性が高い、と言う事なのだ。

そもそも何故ブラフマン神は「世界が滅びてしまう!」と『恐れ』たのか?

この点に関しては以前『ブラフマン』とゴータマ・ブッダ【後編】 でも軽く触れており、この梵天神の心象についてはいずれ突っ込んで考察したいが、しかし取りあえずここで指摘すべきは、

「何故、【『世界』の滅尽 】を成し遂げた筈のブッダが、「世界が滅びてしまう!」梵天に言われて心動かされ、『世界を救いに』出動する!のか」

と言う事に尽きる。

何とも痛烈な自己矛盾だが、最前の魚川氏の論旨もまたこの矛盾をついているのだろう。しかし彼は梵天の存在意義とその背景心象について全く触れずに、『遊び』なる概念を唐突にひねり出して辻褄を合わせている。

ここに梵天が登場し勧請した事については、単に当時世間に流布していた最高神格を登場させてブッダ『引き立て役にした』に過ぎない、という見方もあるだろう。しかしそんな軽薄な話で事は済むのだろうか?

ブッダが開教を決意する、つまりは『仏教』が仏教としてその開創を宣する最も重要なターニングポイント梵天が勧請しなければ『仏教』それ自体が存在しえない!)において、何故他でもない梵天、すなわちブラフマン神』が必要とされたのか?

正にブラフマン神(梵天神)がそう言ったからこそ、ブッダは心動かされたのだ、という事ではないのだろうか? 

その役割は、論理的心象的必然として、ブラフマン神でなければならなかった。

もちろんこの美しくも象徴的な挿話は、あくまでも寓話であり、イメージの発出に過ぎず、実際に梵天さんがブッダの目の前にその姿を現して直接語りかけたという歴史的事実があった訳ではないだろう(多分)。

しかし寓話は寓話としてその寓話を成り立たせるための背景心象をこそ、我々は究明すべきなのだ。その心象(魚川氏もよく使う言葉だが)を彼ら自身の立場に寄り添って理解しなければ、ゴータマ・ブッダが見ていただろう『覚者の風光』をリアルに復元する事など絶対に不可能だ。

これは暫定的試論だが、人間ブッダの立ち位置を、『絶対者ブラフマンの解脱境』である「捨」と、万象世界(一切衆生)の『創造者ブラフマン(究極には中性だが、象徴的には『母生』もしくは『父性』)の持つ「慈・悲・喜」の心が奇跡的なバランスにおいて両立体現されたものだった、と考えた時、初めて彼が世界への転法輪に向けて力強い一歩を踏み出した、その心象がリアルに理解できる気がする(この部分は『フライング』なので、今後より検討する機会を持ちたい)。

魚川氏が言う『遊び』の概念というのは、恐らく氏個人が中国の老荘思想あたりに影響されたものだと思われ、私は読んでいて全く唐突感を禁じえなかった。

先に触れたように、私が感じた違和感の根底には、何故古代インド人はブッダを翻意させる為にブラフマン神を登場させたのか、という心象について、彼が全くスルーしてしまっている事実がある。

本書における彼の論旨の展開はとても明快で、それを読んでシビレてしまっている読者の私も一人なのだが、彼の言う『無私の公共物』という覚者の風光を『絶対者(創造者)ブラフマンに重ね合わせるならば、『遊び』などという木に竹を接いだような唐突な概念の必要もなく、全ての筋がすんなりと通るのではないだろうか?

古代インドにおいて、正に氏の言う『無私の公共性』を究極的に体現するイデアこそが、すなわち『絶対者(創造者)ブラフマンではなかったのだろうか。

そこで問題になるのが、とりあえずパーリ経典の中で、梵天ブラフマン神)がどのような者として取り扱われているか、という事だろう。

パーリ経典において梵天ブラフマン神)は、しばしば『サハー世界の主』と呼ばれ、世界の最高神格として、もちろん承認されている。

承認されているからこそブッダが開教するや否やという最も重要な局面におけるキーパーソンとして彼が登場する訳だが、しかし彼が創造神である、という宗教史的な事実だけが、何故か捨象されてしまっているのが現状だ。

もし彼がいわゆるヒンドゥ教におけるのと同様な創造神でないのならば、仏教における彼の存在の根拠は一体何だろうか、また彼を称して『サハー世界の主』という時、その真意は一体何だろうか? という話になる。

ブッダが世界の創造者の存在を否定している、と主張する者たちの多くは、主に梵網経などにおいて、ブッダが『常住論』や『一部常住一部無常論』などを批判的に取り上げている、という事を根拠にしている。

しかし、そこでブッダが言っている事の真意は、経典をよく読めば「それがどのような『哲学的な』論であれ、それに固執して振りかざし、その『思想』をもって自らを尊しとなし、他者を否定する様々な『論者達』」とは、「私は決定的に違う」と言っているに過ぎない。

そしてそのような事をブッダが主張させられなければならない、という事実が、おそらくはブッダの死後、彼の真意を巡って後継比丘サンガが混乱に陥った事のひとつの証左ではないかとも私は考えている。

(もちろんこの該当部位は、ブッダ在世中の他思想家に対する批評ととる事もまた可能ではある)

参考までに梵網経の当該部分を引用して見よう。そこではブッダが『創造者にして常住(永遠不滅)である梵天ブラフマン)』について、その存在を明示的に否定しているという事実は一切なく、只その様なものが存在するとかしないとか、こうであるとかああであるとかいう『見解』に対する執着・固執こそが輪廻の『原因』であるとして、それを戒めている。

比丘たちよ、これら沙門・婆羅門たちは、常住論を持ち、(あるいは一部常住一部無常論を持ち)、我と世界とは常住である(あるいは一部は常住であり一部は無常である)と主張する。

比丘たちよ、沙門、あるいは婆羅門で、常住論を持ち(あるいは一部常住一部無常論を持ち)、我と世界は常住である(あるいは一部は常住であり一部は無常である)と主張する人達は、全てこの四つの根拠によるか、あるいはそれらの内のどれかにより、これより他にはない。

比丘たちよ、これについて如来は次のように知る。『このように執着され固執された見解は、このような赴く先をもたらし、このような未来をもたらすであろう」と。

如来はこれを知り、またこれよりも優れた事を知る

比丘たちよ、しかしそれを知って如来固執する事がなく、また固執がないから、心の内に寂静があり、感受の〔生起する〕原因と消滅と過患と出離とを正しく知って、執着を離れている。

比丘たちよ、これらが、如来がみずから悟り、体現して教示している、深遠で、見がたく、了知しがたく、寂静で、勝れており、思考と思惟とを越えており、微妙で、賢者だけが理解できる諸法であり、またそれら〔を称賛する事〕によって、如来をあるがままに称賛して正しく語る事になる諸法である。

原始仏典〈第1巻〉長部経典1 梵網経 P20~より要約・抜粋 

ここでは明らかに、『見解』に固執し執着するという心的『行為』こそが、輪廻の原動力になっている、という心象が鮮明に現れている(これはKrtaとKarmaにつながる)。

前後の文脈を踏まえると、ブッダは決して創造神としてのブラフマン梵天)を否定している訳ではない。

ただ、「私はその様な論者たちの帰趨を知り、それ(見解に基づく帰趨)よりも優れたものを知る」と言い、「(そのような見解に)固執する事がなく、また固執がないから、心の内に寂静があり、感受の〔生起する〕原因と消滅と過患と出離とを正しく知って、執着を離れている」と言い、そのような『聖なる無執着と寂静』こそが「如来がみずから悟り、体現して教示している」ものである、と説いている。

これまで本ブログで見てきたように、ブッダは明らかに自らの悟りあるいは解脱、ニッバーナの境地を『ブラフマンの世界』と重ね合わせる形容で聴衆に語り、聴衆もまたそれを自明のこととして受け止めていた可能性が高い。

しかし、ブッダ自身がついぞそれをブラフマン思想』つまり「ブラフマンとは常住であり永遠不滅であり、その世界はこのようになっていて云々」という様な形でその形而上学的詳細』を語る事はなかった。

つまり、いわゆる『ウパニシャッドの哲人』たちが弄んだような「ブラフマンと言う『尾ひれのついた煩瑣な物語』」については一切口を閉ざしたのだ(代わりに『それ』を暗喩する表現を多用した)。これは以前にも指摘したが、いわゆる「neti, neti」を忠実に実践したとも言えるだろう。

何故なら、『それ』は『不立言語(論説)』であり、自ら体験し体現する以外にはそれを真に知る事は不可能だからだ。

「言葉で表現できないものを、(無理くり)言葉で表現すべきではない」

「それについては真の聖者(ムニ)は沈黙を守るべきである」

何故なら、心がしがみついて離さないその様なイメージあるいは概念とは、文字通り『形而上学的な妄想(もうぞう)・妄念(意官の法)』に過ぎず、それを宣布する事によっては結局『心の執着』以外の何ものをももたらさず、実践上何のメリットもなく、却って百害あるばかりだと、経験的にブッダは知っていたからだ。

そのような『妄想・妄念(脳内観念世界)』から脱却する事こそが彼が体現した『ブラフマンの解脱境』に他ならない(想いからの解脱)。

このあたりは非常に入り組んでおり、仏滅後の混乱もさもありなん、と言う感じだが、論理的に考えるとそうとしか言いようがない。

そのような沈黙とは対象的に、彼が熱心に説いたのは『そこ』に至るために修行者が実践すべき具体的な事柄であり道であり、体現すべき具体的な性質、であった。そして、それを語るに当たって、伝統的に『ブラフマン』を指し示す様々な『形容詞』をただ『暗喩』として多用した。

ウパニシャッド的な絶対者ブラフマンの境地をブッダが完全否定していたならば、それを暗喩する表現を多用して自らの道について語る、と言う事は、単なる『騙り』に過ぎない)

その様な『実践道』について、ブッダ梵天との共生(brahma-sahabyatāya)』というテーマで象徴的に語っている非常に興味深いスッタがあるので、以下に引用して見て行きたい。

そこでは先の引用で魚川氏が命題とした慈・悲・喜と捨の四梵住が、梵天ブラフマン神との『共生』という形で、明示的に記されている。

長部経典 第13経 三明経 Tevijja-suttaṃ(一部要約・抜粋)

ヴァーセッタという青年バラモンはポッカラサーティ・バラモンを、バーラドヴァージャという青年バラモンはタールッカバラモンをそれぞれ師として、それぞれが独自に説く、

「これが正しい道である。これが世俗からの離脱に至る真っ直ぐな道である。これを行うものはブラフマンとの共生に導かれる」

という教えを信奉し、どちらが本当に正しい『ブラフマンとの共生に導く道』なのかと論争になったが、どちらも譲らず決着がつかなかった。

そこで二人は、いわゆる『仏の十号』によって称賛され世上に名高いブッダの元を訪れて、二人の内のどちらの道が正しいのか教えてもらう事にした。

彼ら二人とそれぞれの師は、いわゆる三ヴェーダに修めた正統バラモンである事から、ブッダは彼らにこう問いかける。

「あなたたちはそれぞれが『私の道はブラフマンとの共生に導く』と言うが、あなた方もあなた方の師やその祖師に至るまで、実際に一人でも梵天を直接見た者はいるのですか?」

「・・・いません」

「あなた方三ヴェーダに詳しいバラモンたちは伝承によって得た聖句を繰り返し唱えているが、それら伝承を作ってきた往古の先師たちは、実際に梵天がどこにいるのか、どこから来たのか、どこに行くのか、見たことがあるのですか?」

「・・・いいえ」

「三ヴェーダに詳しいバラモンたちも、その祖師たちも、歴史的に伝承された聖句を繰り返し説かれたように唱えているが、梵天について実際には何一つ知らないし見たことはない。にも拘らず、あなたたちは、

『我らは梵天を知らないし、見てもいないが、梵天との共生の道を教えよう。これが正しい道である。これが世俗からの離脱に至る真っ直ぐな道である。これを行うものはブラフマンとの共生に導かれる』

と言っているのならば、それは筋の通らない話ではないですか?」

「・・・その通りです」

(様々な譬えを用いて彼らの非を理解させた後にブッダ仏道修行こそが、梵天との共生に導く道だと説く)

「ヴァーセッタよ。聖者の戒律において五官の欲望は、とも縛るものとも言われている。これらの五つの欲望の部門に対して、三ヴェーダに詳しいバラモンたちは執着し、夢中になり、罪を犯し、また思うがままに操る智慧を持たずに享受し、愛欲という縛るものに結び付けられていながら、身体が亡びた後、梵天と共生するであろうと言うが、この事に根拠はない」

「聖者の戒律において、妨げとなる五つのもの、すなわち愛欲、悪意、怠惰・眠気、狂騒・無作法、疑い深さ、という障害に妨げられているバラモンは、三ヴェーダに詳しいと言えどバラモンとなるべき特質反しており、死後梵天と共住するという道理はない」

「ヴァーセッタよ、年長の師の師であるバラモンから聞いてはいないか。梵天は妻帯しているか、していないか

「・・・していません

「心に恨む気持ちがあるか」

「ありません」

「心に悪意があり汚れているか」

「いません」

「自制心があるか」

「あります」

「それに対して三ヴェーダに詳しいバラモンはどうか」

妻帯しており、心に恨む気持ちがあり、悪意があり、汚れており、自制心はありません」

「その様な梵天と真逆な性質をもったバラモンが、いかに三ヴェーダに詳しいとしても梵天と交際し親しくなるという事があるだろうか」

「・・・ありません

「そのようなバラモンが死後梵天と共生するなどと言う道理はない」

(このように言われて、ヴァーセッタはブッダに)

「ゴータマよ。私は『修行者ゴータマは、梵天との共生の道を知っている』と聞いている」

(として、その道を教えて欲しいと乞う。対してブッダは、マナサーカタ村生まれの人がマナサーカタ村への道を尋ねられても困惑しない事を引き合いに出し)

「ヴァーセッタよ、完全な人(ブッダ)は、梵天の世界や、梵天の世界へ至る道を尋ねられても、呆然としたり、困惑したりしない。ヴァーセッタよ。私は梵天も、梵天の世界も、梵天の世界へ至る道も知っている。梵天の世界に到る実践方法も知っている

(その実践法を説いて欲しいと乞われて)

「このように出家した修行者は、戒律箇条の体系・自己規制を守って暮らし、正しい振る舞いを身につけ、微細な罪にも恐怖を認め、学則にしたがって学ぶ。素晴らしい身体による行い、言葉による行いを具えた者は、清らかな生活を営み、戒律を備え、感覚器官の門を護り、正しい思い、正しい知識を備え、幸せである」

(と説き、その後基本的な戒律から煩瑣な戒律の詳細を説き)

「このようにして、バラモンたちが陥っている感覚的な欲望(五欲)の罠から脱し、五つの障害を克服した出家修行者には、その心に喜びが生じ、喜悦が生じ、身体が安らかになり、安楽を感じ、その様な人は心が安定し、集中する。

彼は第一段階の禅定に到達して、愛欲を離れ、良くない事を離れ、思慮のある、遠ざかり離れる事から生じた、喜び・快楽で身体を満たし、潤し充満し、浸透し、彼の身体には、完全に、遠ざかり離れる事から生じた喜び・快楽によって、浸透されないところはない

(その様な瞑想の深みにおける境地に続いて)

「彼は四方を、上下左右全ての方位を、一切の世界、広大な計り知れない、恨みの無い悪意のない慈悲喜捨の心で満たして生活する」

「あたかも吹く力の強い法螺貝吹きが、容易に音を四方に知らせる事が出来るように、慈悲喜捨の心を修養すると、心が解脱し、基準となる行為の結果は、そこには残っていない、そこに存在していない。

ヴァーセッタよ、これが、梵天との共生に至る道である」

「このように生活している比丘は、ヴァーセッタよ、妻帯しているだろうか」

「妻帯していません」

「心に恨む気持ちや悪意があり汚れているだろうか」

「そうではありません」

「心に自制心があるだろうか」

「あります」

梵天と比丘は共に妻帯していない、心に恨みや悪意や汚れがない、自制心がある、という同じ性質を持っているが、そのような両者が交際し親しくなることはあるか」

あります

「その様な比丘は、身体が亡びた後、死んだ後、梵天と共生するであろう、という事には根拠がある」

(このように言われてヴァーセッタとバーラドヴァージャの両青年バラモンは、歓喜してブッダとサンガに在俗信者として帰依した)

原始仏典〈第1巻〉長部経典1 春秋社刊 P548~より 

何しろ長部経典、というくらいとても長い経なので、相当部分を省略しているが、その原典の主意は充分伝わるかと思う。

この経は、様々な点でとても興味深い内容を持っている。

(以下は全て、「その様に記述されている」という意味)

まず第一に、いわゆるバラモン教的な正統のバラモンだと思われるヴァーセッタとバーラドヴァージャ青年が、自分たちの伝統を梵天との共生に導くもの」だと主張している事。

次に、その「梵天との共生に導く道」について、道統の違いによる優劣・正邪について、バラモン同士では決着がつかないとして、出家比丘であるブッダの所にお伺いを立てに来る事。

当時世上には、『修行者ゴータマは、梵天との共生の道を知っている』という声が大いに上がっていたらしい事。

ブッダ自身が、自ら「私は梵天も、梵天の世界も、梵天の世界へ至る道も知っている。梵天の世界に到る実践方法も知っている」として、明示的に仏道修行と『梵天ブラフマンの世界』との相関を断言している事。

出家比丘の性質(属性)における妻帯の有無、心の中の恨む気持ち、悪意、汚れ、自制心、の有無が、梵天のそれとの相同性において重ね合わせて論じられている事。

梵天と比丘に共通する「恨みと悪意がない心」を四無量心である慈悲喜捨として抽出し、それを明確に梵天との共生に導くもの」(つまりは『四梵住』)として明示・称揚している事。

大まかに言うと以上の様になるかと思う。

若干微妙な要素はあるのだが、この梵天との共生に導くもの」という概念を『輪廻からの解脱へ導くもの』として捉える事には充分な根拠がある。

だとすると、これまでの本ブログの論考に照らしてみれば、ヴァーセッタとバーラドヴァージャは『2ウパニシャッド的な真のブラーフマナブラフマンを知る者)』に傾斜しつつしかし伝統的な祭式・伝承に引きずられた『1祭式官僚ブラーフマナ』であり、しかし自らの論争においては『真の道』に関して白黒が決せず、ブッダ的な『3真のブラーフマナ』の教えを聞いて、共に帰依した、という流れになろうか(バラモンブラーフマナ)。

実に興味深い、と、私などは瞠目せずにはいられないのだが、この経は伝統的なテーラワーダの中ではどのように受け止められているのだろうか。

これは梵天神を信仰するバラモンたちを正しい道(仏道)に導くという、単なる『方便』としての『お話』(いわゆる仏教の優位を誇示するための典型的な『バラモン改宗譚』)に過ぎないのだろうか?

方便の為なら、たとえ仏道のゴールが梵天ブラフマン神と何の関わりもないのに、あたかも関係しているかの様に『騙る』事も辞さない、そんな話が通用したのだろうか?

本ブログの前五回の考察を前提にしてこの経を読むと、ぶれる事の無い一貫して筋の通る『風光』が、見えて来はしないだろうか。

上に羅列した各項目について詳細を論ずるには、この先相当以上の文章量が必要になる。切りの良いところで今回は終わりとし、次回【後編】につなげていきたい。

本記事を読んで興味を持たれた方は是非、上記引用だけではなく、原典の全訳を参照し熟読して見て欲しい。何分春秋社の原始仏典シリーズは高価なので、以下にネット上で見つけた素晴らしい日本語訳のリンクを貼っておこう(ただし逐語訳なので読み通すのは結構しんどい)

光明寺経蔵より:長部01 梵網経 目次

光明寺経蔵より:長部13 三明経 目次

 

(本記事については、投稿後一週間くらいはその細部を地味に加筆・修正する可能性があります)

 

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本論考は、インド学・仏教学の専門教育は受けていない、いちブッダ・フォロワーの知的探求であり、すべてが現在進行形の過程であり暫定的な仮説に過ぎません。もし明らかな事実関係の誤認などがあれば、ご指摘いただけると嬉しいですし、またそれ以外でも真摯で建設的なコメントは賛否を問わず歓迎します

また、各著作物の引用については法的に許される常識的な範囲内で行っているつもりですが、もし著作権者並びに関係者の方より苦情や改善の要望があれば、真摯に受け止め適切に対応させていただきます

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