仏道修行のゼロポイント

ゴータマ・ブッダの原像とヒンドゥ・ヨーガ

『外なる悪しき祭祀』とマーラ、『内なる善き祭祀』とブラフマー《30》

『祭祀の内部化』という前回までに取り上げたテーマは、ブッダの瞑想法とそれに至る沙門シッダールタの内的遍歴を考える上で極めて重要な意味を持つものなので、繰り返しを恐れずに念を押していきたい。

バラモン教とは祭祀の宗教だった。

その祭祀とは、第一には『火の祭祀』であり、第二にはその火に捧げる『供犠の祭祀』であり、第三にはそれら火の犠牲祭と共にある『賛歌詠唱の祭祀』だ。

このような祭祀の万能性を主張したバラモン祭官たちは、自らを神をも超える超越的な力を持つ『神人』と標榜し、人々の願いの実現はおろか、大地や星宿の運行すら支配する力を持つと慢心していた。

そうして、そのような祭祀の絶対的な万能性を信じさせられたからこそ、王侯貴族をはじめとした多くの人々が大枚を布施して、自らの請願を成就するために、バラモン祭官たちに祭祀を委託したのだ。

その請願とは五穀豊穣やら家内安全、商売繁盛やら良縁やら子宝の獲得、さらには来世における幸福からついには『輪廻からの解脱』に至るまで、あらゆるレベルにわたっていた事だろう。

そのようなバラモンの祭祀が、しばしば多くの(特に牛の)動物供犠の死を伴っていたことは、パーリ仏典などを見れば明らかだ。

スッタニパータ 第二 小なる章

師(ブッダ)は次のことを告げた。──

284 昔の仙人たちは自己をつつしむ苦行者であった。かれらは五種の欲望の対象をすてて、自己の(真実の)義を行った。

285 バラモンたちには家畜もなかったし、黄金もなかったし、穀物もなかった。しかしかれらはヴェーダ読誦を財産ともなし穀物ともなし、ブラフマンの倉を守っていた。

286 かれらのために調理せられ家の戸口に置かれた食物、すなわち信仰心をこめて調理せられた食物を求める(バラモン)に与えようと、かれら(信徒)は考えていた。

287 種々に美しく染めた衣服や臥床や住居を豊かに所有して栄えていた地方や国々の人々は、すべてバラモンたちを敬礼した。

288 バラモンたちは法によって守られていたので、かれらを殺してはならず、うち勝ってもならなかった。かれらが家々の戸口に立つのを、なんびとも妨げなかった。

289 かれら昔のバラモンたちは四十八年間、童貞の清浄行を行った。知と行とを求めていたのであった。

290 バラモンたちは他の(カーストの)女を娶らなかった。かれらはまたその妻を買うこともなかった。ただ相愛して同棲し、相和合して楽しんでいたのであった。

291 (同棲して楽しんだのではあるけども)、バラモンたちは、(妻に近づき得る)時を除いて月経のために遠ざかったときは、その間は決して婬欲の交わりを行わなかった。

292 かれらは、不婬の行と戒律正直温順苦行柔和不傷害耐え忍びとをほめたたえた。

293 かれらのうちで勇猛堅固であった最上のバラモンは、実に婬欲の交わりを夢に見ることさえもなかった

294 この世における聡明な性の或る人々は、かれの行いにならいつつ、不婬戒律耐え忍びとをほめたたえた。

295:米と臥具と衣服とバターと油を乞い、法に従って集め、それによって祭祀をととのえ行った。かれらは祭祀を行う時にも決して牛を殺さなかった

296:母や父や兄弟やまた他の親族の様に、牛はわれらの最上の友である。牛からは薬が生ずる。

297:それら(牛から生じた薬)は食料となり、気力を与え、皮膚に光沢を与え、また楽しみを与える。(牛に)このような利益のあることを知って、かれらは牛を決して殺さなかった

298 バラモンたちは、手足が優美で、身体が大きく、容色端麗で、名声あり、自分のつとめに従って、為すべきことを為し、為してはならぬことは為さないということに熱心に努力した。かれらが世の中にいた間は、この世の人々は栄えて幸福であった

299 しかるにかれらに顛倒した見解が起こった。順次に王者の栄華と化粧盛装した女人を見るにしたがって、

300 また駿馬をつけた立派な車、美しく彩られた縫物、種々に区画され部分ごとにほど良くつくられた邸宅や住居を見て、

301 バラモンたちは、牛の群が栄え、美女の群を擁するすばらしい人間の楽しみを得たいと熱望した

302 そこでかれらはヴェーダの呪文を編纂して、かの甘蔗王のもとに赴いていった、「あなたは財宝も穀物も豊かである。祭祀を行いなさい。あなたの富は多い。祭祀を行いなさい。あなたの財産は多い」

303 そこで戦車兵の主である王は、バラモンたちに勧められて、──馬の祀り、人間の祀り、擲棒の祀り、ヴァージャペッヤの祀り、誰にでも供養する祀り、──これらの祀りを行なって、バラモンたちに財を与えた。

304 牛、臥具、衣服、盛装化粧した女人、またよく造られた駿馬に牽かせる車、美しく彩られた縫物──、

305 部分ごとによく区画されている美事な邸宅に種々の穀物をみたして、(これらの)財をバラモンたちに与えた。

306 そこでかれらは財を得たのであるが、さらにそれを蓄積することを願った。かれらは欲に溺れて、さらに欲念が増長した。そこでかれらはヴェーダの呪文を編纂して、再び甘蔗王に近づいた。

307 「水と地と黄金と財と穀物とが生命あるひとびとの用具であるように、牛は人々の用具である。祭祀を行いなさい。あなたの富は多い。祭祀を行いなさい。あなたの財産は多い」

308 そこで戦車兵の主である王は、バラモンたちに勧められて、幾百千の多くの牛を犠牲のために屠らせた

309 脚を以ても、何によっても決して(他のものを)害うことがない牛は、羊に等しく柔和で、瓶をみたすほど乳を搾らせる。しかるに王は、角をとらえて、刃を以てこれを屠らせた

310 刃が牛に落ちるや、そのとき神々と祖霊と帝釈天と阿修羅と羅刹とは、「不法なことだ!」と叫んだ。

311 昔は、欲と飢えと老いという三つの病いがあっただけであった。ところが諸々の家畜を祀りのために殺したので九十八種の病いが起った

312 このように(殺害の)武器を不法に下すということは、昔から行われて、今に伝わったという。何ら害のない(牛が)殺される。祭祀を行う人は理法に背いているのである。

313 このように昔からのこのつまらぬ風俗は、識者の非難するものである。人はこのようなことを見るごとに、祭祀実行者を非難する。

314 このように法が廃れたときに、隷民(シュードラ)と庶民(ヴァイシヤ)との両者が分裂し、また諸々の王族がひろく分裂して仲たがいし、妻はその夫を蔑むようになった。

315 王族も、梵天の親族(バラモン)も、並びに種姓(の制度)によって守られている他の人々も、生れに関する言葉を捨てて、欲望に支配されるに至った、と。

以上、中村元訳、岩波文庫P55~より引用

これらの詩文を見てみると、制戒と禁欲を守るバラモンが正しい祭祀を行っていた時代には、人の世も(神々の恩寵によって)幸せに包まれていたが、バラモンたちが欲に駆られて、動物供犠という神々も不法と叫ぶ悪しき祭祀にふけっている現在は、様々な災厄に見舞われている、と読み取ることができる。

(しかし、そこにみられる‟牛愛” 的心象の、なんと「ヒンドゥ的」である事か!)

この事実は何気なくスルーされてしまいそうだが、極めて重要な意味を持っている。

何故なら、これは「正しい祭祀が行われる事によって、世界に幸福がもたらされる」という事であり、対置的に、「間違った悪しき祭祀が行われる事によって、世界に害悪がもたらされる」という『祭祀を中心文法とした呪術的世界観』以外の何物でもないからだ。

ここでブッダは、明らかに祭祀が持つ『呪の力』、その存在自体を認めている。

と同時に、「正しい祭祀を行っていたいにしえのバラモン」と、「現在進行形で苦行や耐え忍びや禁欲を実践しているブッダ自身と比丘サンガ」を重ね合わせている。

つまり、いわゆる祭祀万能のバラモン教がその祭祀行為によって「世界の経綸全てを動かしている」と豪語していた、その「祭祀が世界や人間の運命を支配している」という因果関係を全く認めた上で、

「でもあなた方の祭祀は間違った悪しき祭祀だから、その『悪しき威力』によって世界にあらゆる不幸がもたらされているのだ」

と非難している事になる。

ここで重要なのは次の詩節だ。

310 刃が牛に落ちるや、そのとき神々と祖霊と帝釈天と阿修羅と羅刹とは、「不法なことだ!」と叫んだ

この「神々と祖霊と帝釈天と阿修羅と羅刹」は決して祭祀を見物しながらヤジを飛ばしている無責任な『部外者』ではなく、祭祀を受ける『関係当事者』という切実な立場からクレームを付けている、という点を見逃すべきではない。

彼らはいわゆる『天界』の住人であり、地上の人間が祭祀を捧げて喜ばせるべき対象に当たるからだ。

(阿修羅や羅刹は本来『善神』からは程遠い『闘争のイメージ』だが、その様な神ですら怒る、という事だろうか)

その天部神々が「不法な事だ!」と怒り叫んだという事実は、「彼らはその祭祀によって喜んでいない」事を意味している。祭祀の目的とは神々を喜ばせてそのリターンとして人間や世界の幸福を期待するものなのだから、彼らを喜ばせる事が出来ない祭祀は失敗した祭祀であり、悪しき間違った祭祀と断ぜられるべきだろう。

では、その悪しき祭祀によって世界に不幸が蔓延する、というのは、喜ばせてもらえなかった神々の『怒り』の結果なのだろうか。

この辺りがインド教の複雑な所なのだが、恐らくそうではない。

汎インド教的な文脈としては、

善き祭祀によって善神が喜びその力を増し、その結果として世界に善き威力(果報)=puññaがもたらされる」

という論理と、

悪しき祭祀によって悪神が喜びその力を増し、その結果として悪しき威力(果報)=pāpaがもたらされる」

という論理が、対置されているのだ。

つまり、善き神々が「不法な事だ!」と非難するような「悪しき祭祀」によって、『悪神』が喜び力を増し(善神は逆に衰え)、その結果、人間と世界にあらゆる災いがもたらされる。

仏教の文脈におけるこの「悪神」こそが『マーラ(悪魔)』に他ならない。

この『マーラ(悪魔)』に関しては、以前の投稿で詳細に論じている。

祭祀とは超越的な威力を持つ神々をその式次第によって喜ばせて、その返礼(恩寵)として善き果報がもたらされる事を期待するものであり、もし悪しき祭祀の結果、世界に悪しき影響が降りるのならば、そこには悪しき祭祀を捧げられて喜び、返礼として悪しき果報をもたらす『悪しき威力』が想定されなければならない。

もしそんな者がいるとしたら、それは悪法である悪しき祭祀を喜び、悪徳を喜び、それによって威力を増し、ますます世界を悪に染め上げて破滅に導いていく、全き悪魔のような神格だろう(イメージとしてはデヴィルやデーモン)。

そしてもちろん、パーリ経典にはそのような『悪の権化』が登場している。それこそがパーピマントナムチ、あるいはマーラカンハ(黒魔)と呼ばれる『悪魔』たちに他ならない。

『四梵住』とブラフマ・チャリヤ【後編】 - 仏道修行のゼロポイントより

これは最も重要な点なのだが、プラーナや叙事詩などの神話を見ると、善なる神々と言うものは、基本的には主体的(能動的)影響力をこの現象世界に対しては持っておらず、ひとえに人間によって執り行われる祭祀や苦行などによってはじめて、『受動的に』その力を増し、この現象世界に威力を発揮できる、と言う事らしいのだ。

この点は悪神についてもまたしかり。つまり、天界には善神と悪神が常に拮抗・対立関係にあって張り合っているが、それらの勢力図の均衡は、多分に人間が執り行う祭祀や苦行などの効力にかかっている。

人間が善き祭祀をすれば、善神がその力を増長させ、善なる力を行使して、世界は幸せになる。しかし逆に間違った悪しき祭祀をすれば、悪神がそれを喜びその力を増長させ、世界に不幸をもたらすのだ。

このようなインド教世界における善神と悪神の対立・拮抗構造と、そこで占める『祭祀』行為が持つ必須的役割を理解して初めて、仏典の中の『様々な文脈』が持つその『真意』というものが明らかになる。

具体的には、それは仏典においてしばしば登場する、梵天を最上首とした神々と『悪魔』との関係性、及びそれぞれの『存在意義』だ。

それはブッダが悟りを開く前後における、悪魔と梵天神の登場の仕方とその『役割』の中に典型的に現れている、それぞれの『立ち位置』の対称性を以下に見て行こう。

悪魔 vs 梵天:「不死の門は開かれた!」- 仏道修行のゼロポイントより

古代インドにおける善悪の神々とは、基本的に人間が営む『祭祀』によってその力を『チャージ』される存在である、と言ったら分かり易いだろうか。

悪神は悪しき祭祀の悪しき力によってエネルギーをチャージされ、善神は善き祭祀の善き力によってそのエネルギーをチャージされるのだ。

このような祭祀と神々との関係性は、仏典におけるマーラ(悪魔)と梵天の立ち位置にも象徴的に反映しているだろう。

沙門シッダールタが現在のブッダガヤ、ネーランジャラー河の畔で苦行に専念していた時に現われた悪魔(ナムチ)は、彼にこう囁いている。

428 あなたがヴェーダ学生としての清らかな行いをなし、聖火に供物をささげてこそ、多くの功徳を積むことができる。(苦行に)つとめはげんだところで、何になろう。

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫) 中村元訳 より

ここで『悪魔』は、明らかにブッダが批判して已まなかった既存のバラモン祭祀の側に立って、それを擁護し、沙門シッダールタに苦行の中止を唆している。

これは、後のブッダの立ち位置から見れば、この『悪魔』はバラモンの悪しき祭祀によって力を増す悪神そのものであり、だからこそ、「善き代替祭祀」を模索し真実の祭祀法に辿り着かんとしているシッダールタの挑戦を阻もうとしているのだ。

(仏典においてマーラが六欲を「私の領域」と言い、バラモンが「欲に溺れた」と非難されている事が、正に両者のセット構造を明示している)

何故なら、沙門シッダールタによって『善き真の(内なる)祭祀』が発見確立されてしまって、その『善き祭祀』が世間の主流になってしまえば、自らの存在基盤である「悪しき祭祀による悪しき力」が、衰退してしまうからだ。

一方で、その後苦行を捨て菩提樹下で悟りを開いたブッダがその真理に関して開教を躊躇った時には、梵天ブラフマー神が登場して、以下のようなやり取りをしている。

サンユッタ・ニカーヤ 第Ⅵ篇 梵天に関する集成

第一章:第一節 「懇請」

4:(そして次の素晴らしい詩句が尊師の心に浮かんだ)

「苦労してわたしが覚り得た事を、今説く必要があろうか。貪りと憎しみにとりつかれた人々が、この真理を覚る事は容易ではない。これは世の流れに逆らい、微妙であり、深遠で見がたく、微細であるから、欲を貪り闇黒に覆われた人々には見る事ができないのだ」と。 

ブッダがこのように省察し、開教しない方向に心が傾いた時、)

6:(世界の主・梵天ブッダ心を心によって知り、こう思った)

ああ、この世は滅びる。ああ、この世は消滅する。実に修行を完成した人・尊敬さるべき人・正しく覚った人の心が、何もしたくないという気持ちに傾いて、説法しようとは思われないのだ!」

(そして梵天界からブッダの前に姿を現して、)

8:ブッダに対して合掌・礼拝して言った)

尊い方!尊師は教え(真理=ダンマ)をお説きください。幸ある人は教えをお説きください。この世には生まれつき汚れの少ない人々がおります。かれらは教えを聞かなければ退歩しますが、聞けば真理を覚る者となりましょう」と。

9:(そして続けて次のように説いた)

汚れある者どもの考えた不浄な教えがかつてマガダ国に出現しました。

願わくばこの不死の門を開け。無垢なる者の覚った法を聞け。~以下略」

ブッダ悪魔との対話(岩波文庫) 中村元訳 P84~ 梵天に関する集成より

ここで梵天は、ブッダが「真理の教え」その開教をしなければ、何故「この世は滅びる。この世は消滅する」と言い得るのか。それは

正しい祭祀によって初めて、正しい世界の運行が成り立つ

からだ。

(このような『祭祀』という基本文法が、『業』や『縁起』という基本文法に替わっていくプロセスこそが、仏教的な論学の発展史に他ならない。ブッダ在世の時代は、未だ祭祀と言う基本文法のただ中にあった)

この梵天は、(後のブッダが言っているように)既存のバラモン祭官が執り行っている祭祀は「汚れある者どもの考えた不浄な教え」つまり『悪しき祭祀』であると考え、このままこの悪しき祭祀が続けば、マーラなど悪神が力を増してこの世界の善秩序が崩壊し、遂には滅亡してしまうと恐れている。

もちろんこれらの物語は、全てブッダあるいは滅後の仏教サンガが、梵天をしてこのように語らしめている訳だが、そこには一貫した文脈が明らかに存在している。

つまり、「ブッダが覚った真理の法」とは、ほぼイコールで「真の善なる祭祀法」であり、その「正しい祭祀」が「悪しき祭祀」に取って代わる事で、世界の善秩序が『回復』される、という流れだ。

この流れは、先に論じている、

「制戒と禁欲を守るバラモンが正しい祭祀を行っていた時代には、人の世も(神々の恩寵によって)幸せに包まれていたが、バラモンたちが欲に駆られて、動物供犠という神々も不法と叫ぶ悪しき祭祀にふけっている現在は、様々な災厄に見舞われている」

という文脈と全く合致しており、ここで言う「悪しき祭祀の結果としての災厄」を払拭し、世界の善秩序が回復される事を、梵天ブッダに対して嘱望しているのだ。

ここで梵天は「不死の門を開け」と懇請し、ブッダはこれを受諾し「不死の門は開かれた」と開教宣言する。

この『不死』とはもちろん、ウパニシャッド的な「不死なるブラフマン」の不死でもあるし、同時に仏教的な文脈での『不死』でもある。だからこそ梵天は自らの不死の真理がブッダによって説かれる事を願って、懇請しているのだ。

この前後の消息に関しては、以前下のように書いている(若干の加筆修正含む)。

昔からバラモン祭官によって祭祀は独占されていたのだが、彼らが善き祭祀を執り行っている間は、世界は善神の威力・功徳によって幸福に安定していたのである。世俗世界における『欲望』もまたバランスを保っており、世界の運行をかき乱すものでは無かった。

しかし、バラモン祭官たちが欲望に駆られ悪しき祭祀である殺戮の動物供犠を開始し推進した結果、悪神であるナムチ・マーラ・パーピマント達がその『悪しき力(Pāpmāの威力)』を増長させ、世界は不幸と混乱に陥る羽目となった。

そこに登場したのが、不死なるブラフマンの解脱境をこの世において体現した(Brahma-sama)ゴータマ・ブッダであった。この『この世において』という点が極めて重要な意味を持っている。

先に説明した様に、絶対者ブラフマンはこの現象世界の創造者でありその背後に『内在』している者とも考えられたが、実はこの現象世界の『圏外』に位置する『不死なる解脱界』を体現する者であって、ある種『実践的』には、彼ひとりでは直接この世界に働きかける事は出来ない

つまり、悪しきバラモン祭官が執行する悪しき祭祀によって『悪魔』たちが力を増長させてこの世界を悪しく堕としていったとしても、彼ブラフマン自身は『絶対者』でありながら為す術がない(この辺りはサーンキャ思想の『プルシャ』に全く相同でありそれの原像に相当するか)

繰り返すが、彼は相対を離れた『絶対者』ではあるけれども、キリスト教の神の様な『全能なる絶対的な支配者』として現象世界を統べている訳ではないからだ。

では、彼・絶対者(or創造者)ブラフマン神は、悪しきバラモンの悪しき祭祀(悪法)によって悪魔たちが増長し、(彼の創造した)世界が生きながらの地獄を体現するかのように悪しく堕とされて行くのをみすみす指を加えて座視するのみなのだろうか(その『世界』とは、かつて、彼の被造物であり『彼自身』とも言われたのに!)

この窮地に、正に「この現象世界の中」『救世主』として登場した者こそが、覚者ゴータマ・ブッダだった。彼はブラフマンの解脱境に至った者であり、現象世界に生きながらブラフマンに成った(Brahma-bhuta)者であり、ブラフマンに等しい(Brahma-sama)者であった。

つまり彼は、正に現世において生きながら解脱したというその『両界性』あるいは『両義性』によって、ブラフマンの解脱界と輪廻する現象世界という本来は完全に隔絶した二つの世界の、その『隔絶』を乗り越えて『交通』する能力を獲得した事になる。

その様な生きながら解脱した『ブラフマンの覚知者・体現者』を通じてのみ、ブラフマン神はこの世界と交通する事が出来、その威力を行使する事ができ、その請願を満たす事ができる、という一点において、ゴータマ・ブッダブラフマン神にとって、希望の星となったのだ。

悪魔 vs 梵天:「不死の門は開かれた!」- 仏道修行のゼロポイントより

上で梵天ブラフマーについて「創造神」と語っているのは、あくまでも沙門シッダールタの時代前後において、一般的にブラフマー神が担っていたイメージについて言っているのであって、後の仏教思想ではブッダの絶対視と反比例する様に、この「梵天神の創造者性」というものは否定されていく。

その背後にはもちろん、仏教的な真理である「一切世界は無常・苦・無我」があった。端的に言えば、「常なるブラフマンが創った世界ならば、それもまた常の筈だが、実際はそうではない」という事だ。

それはともかく、どちらにしてもここで梵天神はおそらく「善神の筆頭者」として捉えられているのだろう。彼はこの「懇請」エピソードにおいて、明らかに「善き世界秩序の存続」を熱望している。

その『世界秩序』の中心にあるのはもちろん『祭祀』だ。

そして、梵天ブラフマンの真理に目覚めたブッダが先導する『至高の内なる祭祀』をもって初めて、「善神の筆頭者」たる梵天ブラフマーとつながり、彼にチャージし、その威力を神々から地上世界に降ろす事ができる、という流れだ。

(このような梵天ブラフマーの『威力』もまた、ブッダの死後ほぼ消滅して『仏法』に取って代わられ、彼はブッダの単なる「引き立て役」になり下がり、あげく「輪廻の内」に落されてしまう)

沙門シッダールタの悟達を妨げようとしたマーラと、ブッダの開教を懇請した梵天ブラフマー神の立ち位置は、この世界の在り様を左右する、祭祀における悪法と善法の対置構造そのものと言っていいだろう。

もちろん、これらの文脈は、当時ブッダあるいは仏教サンガが世間に向けたセルフ・プレゼンテーションであり、営業トークと考えるべきではあるのだが、しかしサンガの成員自身がこのような文脈を信じていた可能性も高い。

以上の様に、ブッダをはじめとした比丘サマナたちのムーブメントとは、動物供犠祭を中心とした貪欲なバラモン教『悪しき祭祀』に対する強力なアンチテーゼであり、同時に梵天をその筆頭とする「善き神々に協賛された」ある種 ‟世直し” のための代替なる『新たな(正統復古の)正しい祭祀法』として、古代インド世界に展開していたと理解できるだろう。

動物供犠などという不法悪法に染まっている現今のバラモン祭官などよりも、古の正しく清らかなバラモンと同等の正しい道を歩む我らこそが真のバラモンであり、梵天はじめ善き神々に言祝がれ社会の幸福に資する、「真に供養されるべき聖祭官=真のバラモン」である、と。

現在ではバラモン・ヒンドゥ教という主流派に完全に取り込まれてしまっているが、いわゆる『ウパニシャッド』的な探求というものも、本来は比丘サマナのムーブメントと同じように、既存の形骸化しバブリーに肥大化したバラモン絶対・祭祀万能教に対する批判的な模索の中から生まれてきたのだと考えるべきだろう。

しかし、その批判とは『祭祀』という枠組み概念そのものの否定では更々なく、あくまでもその『内容』つまり「祭祀のやり方・方法論」こそが問われたのだ。

そこにおいてキーワードとなるのが、バラモン教的な『外的な祭祀』に対する『内部化された祭祀』であり、『欲』『無欲』であり、その核心には坐の瞑想行法があった、という点は、ここまでの論述によっておおよそ明らかになっていると思う。 

ブッダの時代前後のインド亜大陸ガンジス河流域において急速に発展した都市社会の情勢については、現代社会になぞらえて観ると分かり易いかも知れない。

18世紀中ごろに始まったイギリスの産業革命以降、化石燃料の消費量とそれに伴う二酸化炭素の排出量は幾何級数的に増大し、様々な汚染物質の排出と合わせて地球環境生態系に絶大なる圧迫を加えてきた。

そしてさらに『新時代』を詐称する『夢の原子力エネルギー』の登場によって、逆に地球の未来には更なる暗雲が立ち込めてきている。

これら、化石燃料原子力に象徴される『大量生産・大量消費』の社会システムに対するアンチテーゼとして、いわゆる自然エネルギーに基づいた持続可能な社会システムが模索され提示されつつある。

話はエネルギー問題だけではない。ファースト・フードに対する代替としてのスロー・フード。西洋医学に対する東洋医学。画一化した受験戦争に対する個性教育。1%のエスタブリッシュメント支配に対する99%の大衆の福利向上。などなど、玉石混交ながらも現代的な行き詰まりに対する様々なオルタナティブが多面的に模索されている。

このような社会的な変動に伴う様々な行き詰まりと、それに対する批判的考察と代替案の提示、という機運は、ある程度文明的に成熟した社会では、時代や地域を問わずしばしば内発的に勃興するものなのだ。

ブッダの時代前後にも、まさにこのような大変動があり、それに呼応した機運(ムーブメント)が巻き起こっていた。そしてその焦点になっていたのが社会の中心にあった『宗教』であり、きわめてインド的な『祭祀』だったのだ。

外的な動物犠牲を伴うバラモン祭祀に対するアンチテーゼであり、オルタナティブな『内部化された祭祀』としての比丘サマナの修行道。これこそが、シッダールタ王子が王城を抜け出して出家して以来、その死に至るまで貫徹した道だったと考えられる。

その背後には輪廻転生思想と悪趣の原動力としての悪業、その悪業の浄化とその結果としての『清浄』、更にその清浄の究極としての『ブラフマンの解脱』というパラダイムがあった。

ブラフマン存在を「浄不浄を超えた『至浄』「善悪を超えた『至善』として捉えると分かり易い)

繰り返すが、古ウパニシャッドに見られるように、ブラフマンの解脱境に至る道は、まず何よりも『祭祀』という文脈において模索され「内部化された」、という視点が重要だ。

そのような祭祀の内部化の過程で、バラモン祭祀に特徴的な『火』と『供犠』と『賛歌』という主要素も、それぞれの文脈に従って内部化されていった。

もちろんこれは、当時の古代インド的な社会通念としての捉え方であり、覚りを開いて以降のゴータマ・ブッダ自身がどのように「考えていた」のか、という点については、ここでは取りあえず問わない。

(輪廻や業の思想も、内なる祭祀と言う枠組みも、全ては「未だ覚っていない人々」に説き善導する為のブッダの『方便』に過ぎない、という可能性を私は否定しない)

しかしブッダになる以前の、同じゴータマさんでも未だ単なるいち沙門シッダールタだった時の『彼』は、正にこのような『外的なバラモン祭祀』に対する代替としての『内部化された火と供犠と賛歌の祭祀』という文脈の上に修行に専心していた事は、これまでの本ブログの記事内容の上に『祭祀の内部化』という概念を重ね合わせる事によって、自ずから明らかになるだろう。

以前に私は、沙門シッダールタが菩提樹下に禅定して覚りを開く ‟直前” まで邁進したと強調されている ‟三つの苦行” について取り上げ、詳細に検討している。

上のリンク・タイトルにある様に、その三つとは『歯と舌の行法』『止息の行法』そして『小食(断食)の行法』だった。これら三つの苦行について、これだけの回数を費やしてしつこく考察していたのには、それなりの理由があった事になる。

次回以降、これら三つの苦行が『内部化された祭祀』という視点からどのように把握されうるのかを、見ていきたい。

そこで最初に焦点になるのは、『内なる火の祭祀=タパス』 ‟Virya” すなわち エナジー のセットだ。それが外であれ内であれ、火の祭祀が行われるのならエナジー(燃料)は必須となる。

そしてこの "Virya" を起点として、『ブッダの瞑想法』そのメソッドの、精密な「プロット」その成り立ちが、ひとつのストーリーとして浮き彫りになって来る筈なのだが…

(本投稿はYahooブログ 2016/4/13「『外なる供犠祭』に対置する『内なる祭祀』」を加筆修正の上移転したものです)

 

 


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『至高の内なる祭祀法』としての比丘サマナの瞑想修行道《29》

ジャイナ教の開祖マハヴィーラなどに代表されるサマナ修道者が好んで行った苦行や、ブッダの瞑想行法が、バラモン教的な『外的祭祀』の代替となる『内部化された祭祀』だった、と前回までに書いた。

この点に関して、まずは典拠を示して、『内なる祭祀』というものが、具体的にどのような言葉で語られているのか、見てみたいと思う。

最初の参考文献は、山崎守一著 大蔵出版刊『沙門ブッダの成立』だ。この本はブッダが出家し修行した当時の北インドの宗教事情をよく捉えているもので、中でもジャイナ教の古文献を仏典と並行して引用し、そのディテールを際立たせている。

本書を入口に、様々なパーリ経典からの引用も絡めて、この『内部化された祭祀』という心象に迫っていきたい。

~以下、『沙門ブッダの成立』P86より引用~

 

再び、『ウッタラッジャーヤー〔ジャイナ教最古層の聖典〕』の第12章に戻ろう。第38詩節から章末の第47詩節までは、正しい祭祀とはどのようなものであるかを説いている。ここでは第44詩節までを取り上げる。

 

38.〔比丘は言った〕「バラモンたちよ、なぜ〔聖)火の世話をし、水によって外見の清浄を求めるのか。賢人たちは言う。『あなた方が求める外見の清浄正しい祭祀ではない』と。

39.朝夕にクシャ草、犠牲獣を繋ぐ柱、草、木、火、水に触れながら、生き物たちを傷つけつつ、愚かなあなた方は、再び罪を犯す」と。

 

祭祀を行うには聖火を灯し、水で周りのものを清めるのであるが、これは正しい祭祀とは認められないし、犠牲獣を捧げる行為は罪であって祭祀とは言えない、と断罪しているのである。

 

40.バラモンたちは言った〕「比丘よ、われわれはどのように祭るべきか。どのように悪業を追い払うべきか。夜叉によって供養された修行者よ、われわれに話してください。賢人は何を正しい祭祀と言うのか」と。

41.〔比丘は言った〕「六種の生類を傷つけないで、嘘をついたり、与えられないものをとったりしないで、財産、婦人たち、自負心、欺きを捨てて、人々は自制を実践すべきである。

42.五つの制御によって善く守られ、この世における生命を望まず、身体を捨てて、清らかで捨身の人たちは、偉大な勝利、最上の施物を得る」と。

 

六種の生類とは地身、水身、火身、風身、樹身、動身のことであるが、いわばすべての生き物を意味している。これら六生類を傷つけることを止め、自制に努め、勝者(修行の完成者)になることが、最上の施物を得ることになると説く。

さらに、この物語は真実の祭祀についての話に及んでいく。

 

43.バラモンたちは言った〕「あなたの〔聖〕火、火炉、柄杓、鞴(ふいご)は何ですか。比丘よ、あなたの燃料は何ですか。どのような献供をあなたは〔聖〕火に与えますか」と。

44.〔比丘は言った〕「苦行〔聖〕火であり、生命火炉である。精進柄杓であり、身体鞴(ふいご)である。燃料である。精進寂静聖仙によって称賛された献供として私は与える」と。

 

苦行を聖火、生命を火炉、精進を柄杓、身体を鞴、業を燃料といった具合に、バラモンの祭式に使用する用具を沙門の用語に個別に対比させ、献供は自制、精進、寂静に相当すると述べる。

このように、バラモンに対抗して彼らの祭祀を認めず、自制者として最高の勝者の境地を目指す修行者たち、すなわち沙門が存在していた事は事実である。

~以上、引用終わり~

この『沙門ブッダの成立』という書物全体が、非常に良質の論考になっていて、2500年前のブッダの時代前後の汎インド教的心象世界を活写しているのだが、ここではジャイナ教から見た沙門の生きざま、その修行実践を、バラモン祭官によって執り行われる従前の供儀祭に対比した上で、より勝れた真の聖なる祭祀実践として称揚している事実が浮き彫りになっている。

ただ著者の中では『祭祀の内部化』という視点は明確化はしていないようで、なんともまだるっこしいのだが、この『内部化された祭祀』という概念を採用する事によって、事態はより鮮明に把握される。

山崎さんはここで最後にバラモンに対抗して彼らの祭祀を認めず」以下の文脈ではある種『韜晦』した表現に終始しているが、38から44までの詩節を注意深く読み取れば、ここでジャイナ教の比丘は、

バラモンの悪しき祭祀は否定しているが、『祭祀』という営為概念の有効性それ自体は全く否定しておらず、それどころか自分たち比丘が行っている『苦行』『精進』する事、その結果として得られる『寂静』献供として捧げる事を、『真の正しい祭祀』と位置付けている。

事が明白だろう。

つまり、「自制者(比丘)として最高の勝者の境地を目指す出家修行」それ自体が、『真の(内なる)正しい祭祀』に他ならないのだ。

では、修道における自制と精進、及びその結果として得られる寂静の境地を、“献供”として捧げる、という時、それは一体、誰に対して捧げられるのか?

そもそも『祭祀』と言う営為は捧げる者(人間)とそれを嘉納する何者か(神々など超越者)のセットがあって初めて成立するのだから、これは、ある意味当たり前の「問い」なのだ。

その『何者か』とはいったい『誰』だったのだろうか?

この様な心象は特殊ジャイナ教における限定的なものだと捉えるべきではない、そう私は考えている。この「内なる正しい祭祀」としての『修行道』という文脈は、当時のインド世界に普遍的に共有されていた可能性が高いのだ。

実はこの段落の直前には、出家修行道を「真の(内なる)祭祀」とする仏教側の文献証言として、サンユッタ・ニカーヤからの抜粋が引用されているのだが、次にそれを、原典から直接引用してみる。

『サンユッタ・ニカーヤ1』第Ⅲ篇 第一章 第九節「いけにえ」

 

(コーサラ国王パセナーディによって、大規模で多くの動物を供儀とする祭祀が準備されており、使用人・労働者が自らも暴力的な罰を受ける事を恐れている光景を前振りに)

6.そこで尊師(ブッダ)は、このことを知って、そのとき次の詩を唱えた。――

「馬の祀り、人の祀り、棒を投げる祀り、精力を飲む祀り、閂を取り去る祀り、―― これらの祀りは労すること多くして、大なる果報をもたらさない山羊と羊と牛とが種々に殺されるが、正しい道を行く大仙人たちは、その大規模な生け贄の場所におもむかない

しかるに、労することなくして、常に順調に行われ、山羊や羊や牛が種々に殺されることのない祭祀 ――正しい道を行く大仙人たちは、その祭祀におもむく。

聡明な人は、この祭祀を行え。この祭祀は大なる果報をもたらす。実にこの祭祀を行うならば、その人には善い事があり、悪い事は起こらない。その祭祀は広大なものとなる。そうして神々もそれを喜ぶ

~以上、『神々との対話』中村元岩波文庫P172より

ここでは多くの動物犠牲をともなうバラモン教の供儀祭祀を明確に否定した上で、より善い大なる果報をもたらす代替の(内なる)祭祀として、比丘サマナの、つまりはブッダの修行道を称揚・勧奨している。

仏道瞑想修行と言う全く装いを新たにした『殺さない(内なる)祭祀』こそが、神々を真に喜ばせるものであり、だからこそ、そのような祭祀に在家者は供養すべきであると。

つまり、彼らジャイナ教や仏教の出家サマナが行っている修行道、これはもちろん、その中心に苦行瞑想行を据えているのだが、この『修行プロセス』あるいはその結果として得られる寂静などの“境地”を神々(究極にはブラフマン)に対する献供とし、それを受けた神々もまた、バラモン祭祀を受けた時と同じように、というかそれ以上に、大いに喜んで、人間界に祝福返礼の果報をたまわるのだ、という心象風景であり思想構造だ。

このような、いわばオルタナティブなニューウエーブ祭官(内なる)』としての比丘サマナの位置づけがあったからこそ、在家の人々は彼らに供養し、アショカ王の時代には沙門・バラモンと総称されるような社会的地位を築き得たのだ、と考えられる。

次に、仏道瞑想修行を明確に『内なる火の祭祀』と捉える表現を、『サンユッタ・ニカーヤⅡ 悪魔との対話』から見て行く。

同、第Ⅶ篇 第一章 第九節「スンダリカ」

9.〔尊師いわく〕
「生まれを尋ねるな。行いを尋ねよ。
火は実に微細な木材からも生じる。
たとい賤しい家からの出身であろうとも、毅然として、慙愧の念で身を防いでいる、聖者は高貴の人となる。
真実によって制御され、〔諸感官の〕制御を身に具え、
智慧の奥義に達し、清浄行(brahmacariya)を実践した人、
祭儀(Yañña =yajña 梵)を準備した人は、彼にこそ呼びかけよ。
供養され敬わるべき人は、適当な時に供物を〔火の中に〕捧げる。

17.傍らに立っていたスンダリカ・バーラドヴァージャというバラモンに向かって、尊師は詩を以って呼びかけた。

バラモンよ、木片を焼いたら浄らかさ(suddhiṃ)が得られると考えるな。
それは単に外側(bahiddhā)に関する事であるからである。
外的な事によって清浄が得られると考える人は、
実はそれによって浄らかさを得る事が出来ない。
と真理に熟達した人々は語る。
バラモンよ、わたしは〔外的に〕木片を焼くことを止めて、
内面的(Ajjhatta)にのみ光輝を燃焼させる
永遠の火(Niccagginī)をともし、常に心を静かに統一(niccasamāhitatto)していて、
敬わるべき人として、わたくしは清浄行(brahmacariyaṃ)を実践する。
バラモンよ、そなたの慢心は重荷である。
怒りは煙であり、虚言は灰である。
舌(Jivhā)は木杓であり、心臓(hadayam)は〔供養のための〕光炎の場所である。
よく自己をととのえた人たちが人間の光輝である。
バラモンよ。戒めに安住している人は法の湖である。
濁りなく、常に立派な人々から立派な人々に向かって称賛されている。
そこで沐浴した、知識に精通している(vedaguno)人々。
肢体がまつわられることのない人々は、彼岸に渡る。
真実と法と自制と清浄行
これは中〔道〕によるものであり、ブラフマンを体得すること(brahmapatti)であるバラモンよ。

『サンユッタ・ニカーヤⅡ 悪魔との対話』中村元岩波文庫P147~より

こうやって見ると、通底するある価値観、の様なものが把握されるだろう。それは清浄、とか清らか(浄らか=suddhiṃ)とか言われている概念だ。

ここで彼らの求めている価値観が、それまでバラモン祭祀が希求して来た世俗的・物質的、あるいは来世的な『利益』から、『清浄』というある種抽象的な概念と結びついており、前後する他詩節の文脈や前出のジャイナ教のそれを見ると、対置される『悪業』とセットになっていると考えられる。

おそらくこれは輪廻転生思想の成熟と共に、その原動力ともなる業の思想が顕在化し、人々の心に多大なるプレッシャーを与え始め、その悪業が振り落とされた(無力化された)状態を『清浄』の名のもとに希求したのだろう。

その背後にはもちろん、不死なるブラフマンの世界を清浄の極みとし、そこに至る道行をブラフマ・チャリヤ=清浄行とする心象が横たわっていた。

前半の第9節を通読すると、たとえ賤しい生まれの人であっても慙愧の念をもって身口意を防護している修行者は、「あたかも『実に微細な木材からも火は生じる』様に」、という形でその修行が木片から生じる火に重ねられ、つまりはその慙愧の念と言う内なる制戒が、清浄行として内なる『火の祭儀(祭祀)』に重ねられている。

その上で、何らかの幸福や神々からの果報を求めて祭儀を準備(計画)をしているものは、既存のバラモン祭官がとりなす外形的な祭祀などではなく、このような生まれは低かろうが気高い、内的祭祀(清浄行)を実践する比丘サマナに委託し供養しなさい、と勧奨している。

この詩節部分を、分かり易く意訳すると以下になる。

たとえ卑しい家からの出身者であれ、ひとたびサンガで出家して毅然として慙愧の念(戒)で身を防いでいる比丘は、聖者であり高貴な「真の(内なる)バラモン祭官」である。

真実によって制御され五官六官の防護を備え、ヴェーダ(祭祀に関する知識)の奥義(内なる祭祀法)に達しブラフマンへの道を実践する仏教サンガの比丘にこそ、祭祀を発願する者は供養すべきなのだ。

後半の第17節では、バラモン祭官たちが行う火の祭儀は、単なる外形的(bahiddhā)な空疎なものに過ぎず、真の『清浄』(=ブラフマン)には至らないと説き、そのような外的な火の祭祀ではなく、私(ブッダ)は内なる(Ajjhatta)光輝の燃焼(火の祭祀)を(清浄行=瞑想実践として)行う、と『外的』『内的』を明示的に対置させた上で、自らの優位性を高らかに宣言している。

ここでブッダは珍しい事に、その内なる祭祀(清浄行)であるところの燃焼を『永遠の(ニッチャー)火』と表現し、その火の説明として『常(ニッチャー)に心を静かに統一していて』と続けている。

その『こころの静かな統一』「瞑想実践」の結果としての『禅定』である事は間違いないだろう。そしてこの「ニッチャー」とは「アニッチャー」つまり『無常』の対義語に他ならず、通常は「ブラフマンアートマン」についての言及、その表現で用されるものだ。

この事は、瞑想行の深みにおいて経験されるニッバーナが、「常(永遠)なるブラフマンであった事を強力に示唆している。

その内なる燃焼(という瞑想行)を行ずる者は、それ自体人間の光輝であるとして、内なる燃焼のその光が、あたかも外側にまであふれ出て、彼自体ひとつの光輝体になるかのようなイメージが見出せるだろう。

これはすなわち、ランプの灯が燃焼するのはランプの内部だが、その光は外部世界を大いに照らし出すように、この内なる火の祭祀としての燃焼(瞑想行)をする者のその光は、世界を照らし出す光輝としてあふれだす、という心象なのだろう。

これは仏典によくみられる

「『眼ある人々は色や形を見るであろう』と言って、暗闇の中で灯火をかかげるように」

という定型文や、ブッダ「世界の太陽(=天のアグニ)」と讃える表現と深く結び付いていると考えられる。現代日本人には分かりにくいが、この太陽は単に天空に輝く光源であるだけではなく、祭祀で燃やされる「アグニ」と同置された太陽であり、その祭火は瞑想行と言う内的祭祀によってブッダ存在の内部から放射する光輝でもあるのだ。

ブッダは世界の闇を照らす灯火であり太陽であり、それは内なる火の祭祀としての『燃焼(瞑想行)』の光輝が、外界にまであふれ出て、世を広く照らす、と言う流れだろう。

その光輝とはもちろん瞑想行によって得られる悟りの智慧の光に他ならない訳だが、と同時に、その瞑想プロセスで主観的に体験される『眩い内なる光』を含意しているのではないか、と考えられる。

仏典の随所に見られる『清浄で純白な心』という禅定を形容する定型表現は、瞑想行の深みにおいて主観的に体験される「白く眩い光輝」を表している可能性が高いからだ。

最後に、このような修行者は法の湖であり、その内なる湖での沐浴による浄化、というイメージも登場している。これも一定の禅定に入った瞑想行者の心象を表す「清涼なること湖水のような」という定型表現に対応している。

その内なる沐浴によって得られる知識の精通。この『知識』とは文脈上明らかに原意は『ヴェーダ』であると推測する事ができ、実際にその原語は「vedaguno」になっている。

ヴェーダとは「祭祀に関わる集成された知識」なのだから、ここでブッダが精通しているのは『内なる祭祀に関わる集成された知識」という事に他ならない。

同時にそのヴェーダ的な祭祀の知識は『神々に関する知識』に他ならないのだから、ブッダが精通している知識もまた、神々に相当する『何者か』に関する知識を予想すべきだろう。

そうして最後に、このような内なる火の祭祀である燃焼(瞑想行)によって五蘊としての身体から解放された聖者は、彼岸に渡る。それこそが、ブラフマンを体得すること(brahmapatti)」なのだ、と断言される。

この流れを素直に読み取れば、彼らが執り行う「内面的にのみ光輝を燃焼させ、永遠の火をともし、常に心を静かに統一する瞑想行」とは、ブラフマンに捧げる祭祀であり、そこでのヴェーダとはブラフマンに関する知識』と考えるのが妥当だ。

仏道修行によってブラフマンに至りそれを体得できるからこそ、仏道瞑想営為は「至高の内なる祭祀法」になり、その修行の完成者であるブッダ『真のバラモン(ブラフマナ)』呼ばれ得る訳だ。

このように見てくると、ブッダの修行道とは、徹頭徹尾、バラモン祭官による火の供儀祭、それによって神を喜ばせ、来世に向けて善業を積み、最終的には解脱さえ可能たらしめると自画自賛されていた外的なバラモン祭祀に対する、完全なる代替法として提示された『内的祭祀としての清浄行(ブラフマ・チャリヤ=ブラフマンへの道)』である事が、よく理解できると思う。

上記文脈でちらっと出た『内なる沐浴』という概念。これもパーリ経典の随所に登場するもので、当時バラモン教を中心に広く実践されていた河や池での沐浴、つまり外的な沐浴に対する内的な沐浴、という代替対置構造に根差している。

(この外的な沐浴は、現在でもインド全土で行われている)

そこには一貫して『悪しき(無知な)バラモン祭官が実行する諸々の外的な祭祀行為』に対するアンチテーゼとしての『正しい(明知の)比丘サマナが実行する諸々の内的な祭祀(瞑想行)営為』という立場が鮮明にあった。

以下に、この『内外の沐浴』についても引用参照してみよう。

第Ⅶ篇 第二章 第11節サンガーラヴァ

11.「ゴータマさま。ここに、わたしは昼間につくった悪業(pāpakammaṃ)を夕に沐浴して洗い落とし、夜につくった悪業を朝早くに沐浴して洗い落とすのです。
この利益を見るが故に、わたしは、水によって身を清める行者となり、水によって清浄を達成しようとして、朝夕に水中に下りて水に浴することを実行しているのです」

12.バラモンよ。戒めを渡し場としている道理なる湖は、濁りなく澄み、諸々の善人が善人の為に讃めたたえるものである。
そこでは神の知識を得た聖者たちが沐浴し、五体を清めて彼岸に渡る」

以上「サンユッタ・ニカーヤⅡ『悪魔との対話』」P178より引用

ここでも明らかに、バラモンを中心とした当時の『外的な水の沐浴による悪業の浄化』という実践法に対する、完全な代替(オルタナティブ)として、内なる沐浴(これはしばしば水を用いない沐浴とも称される)としての仏道修行、を対置している。

最後の「五体を清めて」はそのまま「五蘊を滅して」と読み替えられる。

ここでは明記されていないが、その内なる沐浴の核心とは、もちろん『瞑想修行』だったのは疑いようがない。先に指摘した様に、この「戒めを渡し場としている道理なる」は、一定の禅定に入った瞑想行者の内面心象を表す「清涼なること湖水のような」という定型表現に対応しているのだ。

『神の知識を得た聖者』の「神の知識」とはもちろん『ヴェーダ』だろう。だからこその『ヴェーダの達人』なのだ。そしてここで言う『神』とは、究極の一者であり全ての神々の上に立つ「至高のブラフマン」だと考えるのが妥当だ。

だからこそ彼岸に渡る事(ニッバーナ)が、ブラフマンを体得すること(brahmapatti)」と表現され得るのだ。

以上のように、苦行や瞑想行と言った比丘サマナ的な修道実践が、「バラモン祭官の外なる祭祀」に対比される「比丘サマナの内なる祭祀=清浄行」、という文脈で語られていた事は、ほぼ間違いないと思われる。

そしてこの祭祀が捧げられる対象とは、不死なる至高ブラフマンに他ならないのだ。

おそらく日本の伝統的な仏教学の流れでは、この様な「祭祀の喩え」は、お決りの

「当時はバラモン教全盛時代だったので、ブッダが自身の教線を拡大する為に、便宜的にしょうがなく用いたものだ」

という解釈でスルーして、「ブッダの教えは祭祀ともブラフマン概念とも一切関係ない」としてしまうのかも知れない。

しかし私の眼から観れば、これは明らかに

「日本が伝統的に信仰実践して来た釈尊の教えが『ブラフマン思想』の亜流である訳がないし、ましてや『祭祀』などとは関係あるはずがない」

思いたいと言う『心的バイアス』に過ぎない。

「真のバラモン」にしても「真の正しい祭祀」にしても、ブッダをはじめとした比丘サマナ自身による世間に向けた「セルフ・プレゼンテーション」だと考えれば、少なくとも『世間』的には、彼らは『ブラフマンに向けた内なる正しい祭祀』の実行者として初めて、社会に受け入れられたのであり、だからこそ布施を与えられたのだ、と考えるのが自然だろう。 

最後に、今回もうひとつ気になった事を『祭祀の内部化』仮説に対するさらなる補強材料として記しておきたい。それは地水火風といういわゆる『四大(四界)』内外の祭祀、との関わりだ。

最初に気になったのは、ウッタラッジャヤーにおける六種の生命存在についての解説で、地身・水身・火身・風身、樹身、動身という表現があった事だ。

これは詳細がつまびらかではないのだが、おそらくは地(中)に住む生類、水(中)に住む生類、身体に熱(火)を持つ生類(恒温動物)、風(空中)に住む生類、植物、動物といった意味なのだろう。

これはそれ以上に考察が進行した訳でもなく、ただ、前半の四つの地水火風によって、生命存在が四大(四界)という概念と重ね合わせて称されていたのだな、と理解された。

これら「地水火風と樹と動の身」としての『生き物』が外的なバラモン祭祀で供犠として捧げられる。これは身体の内部で行われる『内なる祭祀』としての瞑想行にもかかって来ないだろうか。

これに触発される様にして、ふと閃いたのが、祭祀と四大(四界)との関わりだった。

バラモンの祭祀は火の祭である、と言う事は、これまでさんざん繰り返してきた。これがまずは四界の内の『火の要素』だ。

そして今回、火と共に浄化の道具として水、と言うものが登場した。これはいわゆる沐浴だけではなく火の祭祀の祭場を『清める水』でもある訳で、これが四界の内の『水の要素』だ。

この水の要素、バラモンヴェーダの火の祭祀において主要な役割を果たしていた『ソーマ酒』の搾汁液とその供儀という観点からも注目される。

次にこれら祭祀が行われるのは、一般にブッダの時代には後世の様な堂塔伽藍をなす寺院は登場しておらず、もっぱら、大地の上に一時的な祭壇が築かれて執り行われていた、という事実だ。

そう、前出の「祭場を水で清める」という営為は、第一にはその祭壇を築く大地、つまり祭場としての大地を清める、と言う事で、これが四界の内の『地の要素』だ。

(この水による大地の清めは、現代インドでも、例えば一般家庭の玄関先の地面を、牛糞をうすくといた液水を塗って清める、と言う形で継承されている)

最後に、これは若干の説明が必要かも知れないが、祭祀の主役である『火』、これを盛大に燃やすために必須なのが風(空気)であるという事実だ。

この「火と風の相関」は、上述引用のバラモン祭具の中に『鞴(ふいご)』というものが登場する事からも、彼らによって熟知され活用されていた事実が明らかだろう。

また祭火が燃え盛る時には風を巻いて轟々と音が激しく鳴った事が想定され、ふいごで送られる空気と合わせて、この燃焼に伴う風あるいは空気の総合的な働きこそが、四界の内の『風の要素』だ。

(神々に人の願いを届ける為の煙もまた、空中を風の流れ(上昇気流)に乗って登っていく)

この風の要素、これ以外にも、祭祀の必須要素である賛歌における発声の基盤となる呼吸、としても、彼らによって十二分に認識されていた事は、これまで散々論じて来た。

このように見ると、四界における地水火風という諸要素は、そのまま外なるバラモン祭祀において、極めて重要な意味を持っていた事が判明するのだ。

このような四界の諸要素の性質を知悉し、適切に管理し運用することこそが、祭祀成功のための必須要件であったと考えるべきだろう。

では、この外なる祭祀と四大要素(四界=地水火風)との関係性を、そのまま内なる祭祀としての瞑想実践にも当てはめられないだろうか、と言うのが、ここでの論点だ。 

この時私の脳裏に浮かんでいたのは以前に取り上げた、現行のパオ・メソッドの中に見出す事が出来る『四界分別観』だった。

先ほど私は外なるバラモン祭祀において、地水火風という四大要素の性質を知悉し管理運用する、と書いたが、そのような営為において第一に求められるのは、例えば典型的には『火』の場合、それは「集中した観察による状況判断と適宜な操作」、に他ならない。

刻々と変わりゆく火、その炎や煙の、あるいは燃料である薪木のありようを、逐一観察して、適切にコントロールする。それができなければ厳密な儀軌に即した火の祭祀など到底かなわない(これは「かまど」や薪ストーブなどのいわゆる『裸火』を、親しく取り扱った事のある人ならよく分かる事だ)

バラモン祭官、特に火壇を支配する祭官には、何よりもこのような火の動態に関する観察と運用の科学的な明智、が求められただろう。

火壇が設置される大地の整備についても、それらを浄化する水の運用についても、火と共にある空気(送風)の管理についても、そして賛歌の基盤となる呼吸のコントロールについても、様々な儀軌と共にこのような『観察と運用の智』というものは共通していたはずなのだ。

(ヴィーナである人の身体を知りその上に瞑想する者!)

そして、そのような性質をもつ祭祀と言うものが、ひとたび内部化されて瞑想者の身体の中で実践される様になった時に、外的祭祀において行われていた四大要素の観察と運用が、そのまま身体の中の営為として内部化されていったのではないか、という視点だ。

何故なら、我々の身体と言うものは、その個体要素は地であり、液体要素は水であり、呼吸が風であり、それらによって燃え盛る体熱が火に他ならないからだ。

それらを観察・運用しないで、どのように内的祭祀が可能だろうか?

以前投稿した「沙門シッダールタが挑んだ三つの苦行」において、その苦しみの身体状況が克明過ぎる程に詳述されていた事を思い出そう。

(三つの苦行と『内なる祭祀』との関連は、後日改めて)

そうして沙門シッダールタが「四大」の中でも特に『呼吸の風』に着目して想到したのが『アナパナ・サティ』、つまり無作為の『純粋自然呼吸』を観ずる瞑想行法という『内なる祭祀法』だったのだ。

残りの地水火についてはおそらくカヤ・ヌパッサナ(身の観察)の中で観ぜられ、それがパオ・メソッドの四界分別観へとつながっていく。

アナパナ・サティの前提としては、祭火と風との相関がPrana-agnihotraなどの形で、身体の『呼吸(プラーナorアートマン)』とも重ねられ、それが重要な「内なる祭祀」を構成していた事実も既にあっただろう。

身体の呼吸をアートマンブラフマンと同置する思想はアタルヴァ・ヴェーダから古ウパニシャッドに至るまで横溢している。

だが、沙門シッダールタがアナパナ・サティに想到するに際してより決定的な契機があったとすれば、それは「作為(=バラモン祭祀)によって無作為(=ブラフマン)に至る事はできない」という文脈ではなかっただろうか。

この点に関しては、既に本ブログで詳細に取り扱っている。

ゴータマ・ブッダの滅後かなり経ってからの成立と言われるムンダカ・ウパニシャッドには、非常に面白い記述がある。

「無作(=akrta、永遠)の世界は作為(=krtena、バラモン祭祀)によりては獲られず」

ウパニシャッド佐保田鶴治著 平河出版社より

ここで無作(永遠)とはブラフマン(=アートマン)を意味し、それは人為的な作為であるところの『祭祀(祭式)』によっては得られないとしている。

ブラフマン」が何故「無作=akrta」と呼ばれるのか、と言えば、それはブラフマン「宇宙世界の原初の一者」であり、それ自体が

「何者かによって作られたものでは全くない『自生者=自ら生じた者=Swayanbhu( "self-manifested", "self-existing", or "that is created by its own accord")』である」

からに他ならない。

Wikipedia:Swayanbhu、「self-manifested svayambhu form of Brahman as the first cause of creation:スワヤンブー、つまり自ら生じたブラフマンが宇宙創造展開の原初の契機」参照)

ムンダカにおいて語られる一連のブラフマンに至る『方法論』は、ゴータマ・ブッダの全き継承者として私の眼には映る。

それは、

「瞑想者によるあらゆる『作為』を排した、全き自然呼吸を観ずる」

というブッダの瞑想(内なる祭祀)法『アナパナ・サティ』と、その論理構造において完全に符合する心象だと判断されるからだ。

この事はパーリ経典の次の記述によっても裏付けられる。

ダンマパダ:第26章 バラモン

383 : バラモンよ、流れを断て、勇敢であれ。諸の欲望を去れ。諸の現象の消滅を知って、作られざるもの(=ニルヴァーナを知る者であれ。

ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫 中村元訳 P64~より

ここで「作られざるもの(=ニルヴァーナ)」というそのパーリ原語は「akata」であり、これは先のムンダカにおける「無作=akrta」というサンスクリット語と完全に対応するものなのだ。

作られざるもの(akrta 梵)=ブラフマン

作られざるもの(akata 巴)=ニッバーナ

ニッバーナ=ブラフマン

(これも後述するが、「諸々の形成されたもの(=Sankhāra / Saṃskāra、作られたもの)は無常・苦・無我である」という真理と、この kata / akata は深く関わって来る)

つまり「作られざるもの=原初の一者ブラフマン=ニッバーナ」に至り知る為には、身体と言う内なる祭場において、

「人間的な意識的な作為を全く排した自ずからの(Swayanbhu)全き自然呼吸をただ観ずる」

という祭祀瞑想法が、沙門シッダールタによって極めて高い論理整合性の下に把握され得た、と考えられるのだ。

これは「神々を喜ばせる」という祭祀本来の義を全く踏襲した方法論だ。

ブラフマンは無作なのだから、全く同様の『無作』つまり「人間の作為に依らない」という属性を持つ『完全自然呼吸』に寄り添い、それを熱意をもって継続して観じ続けるという『瞑想』は、以前に書いた様に「賛歌から音声という粗雑を取り除いたスピリット(酒精)」であり、その至純の賛歌を詠って『称賛』する事によって、ブラフマンはその至誠篤信を喜び、降臨顕現するだろう、と予想されるからだ。

我々が熟睡している時にも決して止まる事の無い呼吸が、古ウパニシャッドにおいてアートマンブラフマンと同置されていた事実を思い出そう。その様な呼吸を論理的に突き詰めると、「作為なき純粋自然呼吸」に行き着くのだ。

私が初めてインドでヨーガを学び始めた時、最初に次のような説明を受けた記憶がある。これは文献的にはハタヨガ・プラディピカーに由来するようだが、少しでもインド土着的な文脈の中でヨーガを学んだ人なら、多分同じような内容を聞かされているはずだ。

「私たちの身体とは神々を招来するための『寺院』に他ありません。寺院においてバラモン祭官がそうするように、神々が降臨し住まうにふさわしい寺院として身体を浄化し荘厳し聖化する、そのプロセスこそがハタ・ヨーガなのです」

このヒンドゥ・ヨーガ的な心象は、これまでの私の論考と非常に近接している。寺院と言う外部存在内部化し “我が身体とする”。これこそがハタ・ヨーガの奥義・真義なのだ。

そして忘れてはならない事。それは前述したように、レンガや石を建材とした堂塔伽藍としての寺院が発達するのは、早くともアショカ王時代頃以降のことであり、それまで(ブッダの時代)は固定した建造物ではなく、火の祭壇を中心とした大地の祭場こそが、その時々の『寺院』つまり神々を勧請する『聖なる域場』であった、という史実だ。

上のヨーガの真義、その「寺院」を、時間を巻き戻して「祭場」に置きかえ、若干アレンジして比丘サマナの修行道について当てはめると、以下のようになる。この場合、ヒンドゥ・ヨーガはもちろん伽藍としての外的寺院を否定しないが(内心、下位に見くだしていても)、比丘サマナはバラモンの外的祭祀を『悪しきもの』として否定した上で取って代わろうとした、という違いは銘記すべきだが。

「私たちの比丘の身体とは究極には至高ブラフマンに到達(梵天が降臨)するための『祭場』に他ならない。

外的な祭場においてバラモン祭官がそうするように、ブラフマンに供養し梵天が降臨するにふさわしい祭場として、身体を浄化し荘厳し聖化する。

そのプロセスこそが比丘サマナの修行道であり、内なる祭場で行われるブラフマン祭祀こそが、ブッダの瞑想行法なのだ」

これは、悟りを開いた後のブッダがどう考えていたか、という点は取りあえず置いておいて、今回引用した文献や私のこれまでの考察を前提にすると、当時の汎インド教的文脈からは至極真っ当な主張だと考えられる。

私はまったくもって違和感を感じないのだが、第三者的な『客観』としてはどうなのだろうか。

ただ当時の祭式においては、祭場は恒常的な価値を持たずにその都度設営されては使い捨てられるものだった。その事を反映して、おそらくブッダの瞑想行法においても「身体の神聖視」は起こっていない。だからこそ「彼岸に渡り終えれば『筏』は捨てられる」のだ。

その内部において祭祀瞑想が行われる身体に対して執着するべきではなく、逆にそれは最終的には滅せられる。あたかもバラモンの外的祭祀が終了(目的を達成)したら、その祭場としてのセッティングは全て撤収され「更地」に還る様に。

考えてみればパーリ経典には、ブッダや比丘が瞑想していると梵天帝釈天や神々が降臨して来るシーンが頻出する。あれは修行する比丘サマナの身体が『内部化された祭場』という『結界』であり “依り代” だからだと考えると、腑に落ちるだろう。

梵天は自らを勧請する正しい祭祀が比丘の身体において開催されているのならば降臨するのは当然だし、最高神である梵天を喜ばせる祭祀は、当然ながらその下級眷属である神々をも十分に喜ばせ引き寄せるのだ。

前回軽く触れた様に、この様なブッダ存在が内包していたはずの古代インド的な『祭祀』という本質的な文脈は、テーラワーダにおいては徐々にしかし確実に希薄化されていった事が想定される。

この点に関しては、そもそもバラモンの祭祀と言うものに対抗して市場を拡大しなければならない仏教サンガにとって「仏教の起源がバラモン祭祀にある」という『史実』は非常に都合が悪く、またこの『史実』に関して、プライドの高い論学の比丘たちが抵抗反発を強く感じて、仏教の独自性を殊更に主張した事にも由来するのだろう。

その結果『祭祀』という概念そのものを喪失し、そこに生じた穴を埋める為に、カルマとダルマを前面に出した論学が煩瑣を極めて発達し、骨格だけ残された基本構造の上にかぶせられたのだ。

そう考えて改めて確認すれば、現行のテーラワーダ仏教が持つ供養と功徳のシステムは、まさしくブッダ(あるいは超越的な威力としての仏法)に捧げる『祭祀』を見事に構成している事に気づくだろう。

その祭祀が捧げられる対象が、ブッダが生きている間は『不死なるブラフマン』をその原像としていたのに、ブッダの死後(般涅槃後)には、それがブラフマンと完全に合一した(完全に解脱した=般涅槃)ブッダへとスライド移行しただけの話なのだ。

整理すると、比丘サマナの『身体』とは『祭祀を内部化した祭場』であり、その祭場である身体において行われる『不死のブラフマン(=解脱)に至る為の内部化された祭祀』こそが、比丘サマナの『常住坐臥と瞑想実践』である、という事が、ブッダの瞑想法のまごう事なき『原像』だった、という事になる。  

ブッダの瞑想行法とはブラフマンに向けた「至高の内なる祭祀法」であり、その結果到達する境地とそこから生まれる智慧の教えは、ワインの喩えで言えば酒精(スピリット)の極み、に喩えられる。

これはヴェーダ的な神々の中の至純至高が絶対者ブラフマンである」、という文脈とも相携えて理解されるだろう。

ただ惜しむらくは、ブッダの立ち位置は余りにも純度が高過ぎて、いわゆる『雑味的な旨味』に欠けていた。彼の死後その実践的な『真義(サッダルマ)』は急速に見失われていき、どうでも良いような後付けの煩瑣な “論学” ばかりが『意官』にとっての『旨味』として肥大化していった。

(つまり、論学の発達と瞑想実践の喪失はパラレルに同時進行する車の両輪だ)

これはある意味、仏教サンガの比丘たちが、煩瑣な論学(神学)を独占的に弄ぶ『悪しきバラモン祭官(官僚)化』していく、先祖がえりとも言えるだろう。

これらプロセスを担ったサンガの比丘は、その多くがバラモン階級出自だと想定され、結局彼らは、サンガの外でやって来た事を再びサンガの内部で行ってしまったのだ。

これも私見だが、おそらくブッダの滅後100年を過ぎる間に瞑想実践は急速に衰退し、既にアショカ王の前後にはほとんど消滅に瀕していた事が推測される。

仏教サンガの内外では論学が持て囃され「瞑想実践とその行法」が急速に衰退し失伝されていく一方で、やがてブッダの思想構造と瞑想実践の主要部分がサンガから流出(少なからず簒奪)されて、ヒンドゥ教主流派の自家薬籠中のものとなっていき(カタ、シュヴェタシヴァタラ、ムンダカ・ウパニシャッド等)、その果てにサーンキャ・ヨーガ的な瞑想行法が確立した(この部分もいずれ詳述する)

上で論じた様に、現代ヨーガにおいて一般に言い表されている「身体は神が宿る内なる寺院」という言い回し、そのオリジナルはそもそも『ブッダの(あるいは汎サマナ・ウパニシャッド的)修行道=内なる瞑想行道』が思想的・社会的文脈として相携えていたもので、ヨーガ思想は、ブッダの瞑想行道の原像をダイレクトに引き継いでいると理解すべきなのだ。

その様に見て行くと、パーリ・テーラワーダの瞑想実践と、ヒンドゥ・サーンキャ・ヨーガの瞑想実践は、ヴェーダの達人であり真のバラモンであり真の聖者であるゴータマ・ブッダの流れを直接パラレルに引き継いだ、非常に近しい(異母?)兄弟とも言えるだろう。

(しかし両者の間にはどこまでも深く渡り難い溝が存在していた。とても根深いある種の近親憎悪だろう。それこそがいわゆる『アートマン論争』だった)

それゆえ、近年パーリ・テーラワーダ的に復元されている実践行法とサーンキャ・ヨーガ的な実践行法から後世の付加部分や余計な雑音を捨象(フィルタリング)して統合すると、限りなくブッダ・オリジナルの瞑想行法に近いものが復元できる、と考えられるのだ。

その復元へのひとつの試行こそが本ブログの探求に他ならない。流麗な筆致とは程遠い私の文章によって、果たしてその真意がどこまで理解され得たのかは、大いに心配している所ではあるのだが。

余りにも様々な要素が輻輳しているため、全般に雑駁な内容になってしまったかも知れないが、ここまでの記述が概略、私が現在までに到達した大局的かつ実践的な「古代インドにおける『祭祀』と『瞑想』史」観、その『ビッグ・ストーリー』の流れであり、その中でのブッダ存在』の位置付けになる。

もちろんこのような観点に到達した背後には、膨大な質量の典籍データの蓄積と相応の経験、さらにそれらをひっくるめた探求考察(囲碁の『読み』)があるのだが、その全てをこれまでの投稿で論述し切れているかと言うと、その自信は全くない。

ここから先、おそらくは瞑想実践についての具体的な記述に際して、このような瞑想史観的視点についてはしばしば言及し、その際に個別かつ詳細な考察・論述がなされる事になるだろう。 

(本投稿はYahooブログ 2016/3/29「54 『内なる祭祀』としての比丘サマナの修行道」を加筆修正して移転したものです) 

 

 

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内部化された祭祀としての “苦行”と「坐の瞑想」《28》

賛歌と言うバラモン教的な『瞑想実践』に対するオルタナティブとして提示されたのがブッダの瞑想法』であり、『賛歌のデバイスである(ヴィーナとしての)ウドガートリ祭官の身体』は『瞑想のデバイスである(ヴィーナとしての)比丘サマナの身体』と、完全に対置されていた。

バラモン教的な祭祀とブッダの瞑想行法が、具体的かつ実践的に『接続』しており、そのキーワードは『祭祀の内部化』である。

そのように、前回投稿の最後に書いた。

この『祭祀の内部化』とは一体何を意味するのか。この事はゴータマ・ブッダが当時の求道者たち、あるいはバラモンたちからしばしば ヴェーダの達人”、あるいは "ブラフマンに等しい" と称賛されていた事実、そしてブッダ自身が自らを『真のバラモンと称していた事実と深く関わっている。

実は、「ウドガートリ祭官の「瞑想」と“発声器官”」の回で “Dhyāna” について書くにあたって、困った時のWiki頼み、と言う事で英語版Wikipediaで色々と調べてみた(日本語版に比べて情報量が全く違う)

そこには、Dhyāna in Buddhism と Dhyāna in Hinduism の二つのページが存在し、主にヒンドゥ教の文脈の中に、現在の私の思考プロセスに非常にマッチする内容が記述されていた。

以前にもこの “Dhyāna”、Wikiで調べた記憶があったのだが、知らない間にかなり内容に変化、あるいは進化が見られる。

以下に、Dhyāna の語義から始まって『祭祀の内部化』に至る文脈まで、当該個所をかいつまんで引用してみよう。

Dhyana (Sanskrit: ध्यान, Pali: झान)

It means "contemplation, reflection" and "profound, abstract meditation".
The root of the word is Dhi, which in the earliest layer of text of the Vedas refers to "imaginative vision" and associated with goddess Saraswati with powers of knowledge, wisdom and poetic eloquence. This term developed into the variant dhya- and dhyana, or "meditation".

意訳:ディヤーナとは、熟考、省察、そして深遠で抽象的な何か、についての瞑想を意味する。

語根はDhi で、これは初期ヴェーダの文脈では「想起(イメージ)されたヴィジョン」を意味し、サラスワティ女神の知識の力、智慧と詩的な能弁とに関連付けられている。

この語はやがて『瞑想』を意味するディヤーナへと発展していく。

 

Dhyana, states Thomas Berry, is "sustained attention" and the "application of mind to the chosen point of concentration". Dhyana is contemplating, reflecting on whatever Dharana has focused on.

ディヤーナとは、「持続された注意」であり、選択された対象に向けられる集中した心の運用である、とトーマス・ベリーは言う。
ディヤーナとはそれが何であれ一点集中された心によって、熟考(心の眼で熟視する事)、あるいは専念する(心が特定の概念に投射され続ける)ことである。

 

Dhyana is contemplating that concept/idea in all its aspects, forms and consequences. Dhyana is uninterrupted train of thought, current of cognition, flow of awareness.

ディヤーナとは特定の概念やイデアにおけるあらゆる側面に対する熟考(心の眼で熟視する事)である。ディヤーナとは乱されない思念の連なりであり、認知あるいは「気づき」の絶えざる流れである。

 

The term dhyanam appears in Vedic literature, such as hymn 4.36.2 of the Rigveda and verse 10.11.1 of the Taittiriya Aranyaka. The term, in the sense of meditation, appears in the Upanishads. The Kaushitaki Upanishad uses it in the context of mind and meditation in verses 3.2 to 3.6, for example as follows:

मनसा ध्यानमित्येकभूयं वै प्राणाः
With mind, meditate on me as being prana
— Kaushitaki Upanishad, 3.2

The term appears in the context of "contemplate, reflect, meditate" in verses of chapters 1.3, 2.22, 5.1, 7.6, 7.7 and 7.26 of the Chandogya Upanishad, chapters 3.5, 4.5 and 4.6 of the Brihadaranyaka Upanishad and verses 6.9 to 6.24 of the Maitri Upanishad. The word Dhyana refers to meditation in Chandogya Upanishad, while the Prashna Upanishad asserts that the meditation on AUM (ॐ) leads to the world of Brahman (Ultimate Reality).

抄訳:ディヤーナという単語はリグ・ヴェーダ、タイッティーリヤ・アーラニヤカ、などの古層の文献にすでにみられる。

カウシータキ・ウパニシャッドには、「心をもって、私はプラーナである、と念想しなさい」という言葉がある。

その他、熟考、念想、冥想と言う文脈でチャーンドーギャ、ブリハドアーラニヤカ、マイトリ、各ウパニシャッドにも言及されている。

一方で、プラシュナ・ウパニシャッドには、聖音オームに瞑想する事によって、ブラフマン(究極の真実)に到達できる、という記述がある。

The development of meditation in the Vedic era paralleled the ideas of "interiorization", where social, external yajna fire rituals (Agnihotra) were replaced with meditative, internalized rituals (Prana-agnihotra).

ヴェーダの時代における瞑想実践の発展は「内面化(内部化=自らの内部に取り込む事)」というイデアと並行して行われた。

そこでは、社会的、外部的なヤジュナ、つまり火を用いた犠牲祭(アグニホートラ)が瞑想という形で(その瞑想者の)内部(内面)における儀式(プラーナ・アグニホートラ)へと置きかえられた。

 

This interiorization of Vedic fire-ritual into yogic meditation ideas from Hinduism, that are mentioned in the Samhita and Aranyaka layers of the Vedas and more clearly in chapter 5 of the Chandogya Upanishad (~800 to 600 BCE),

このヴェーダの火の祭式をヨーガの瞑想へと『内面化』するというイデアは、ヒンドゥ教のサンヒターやアーラニヤカなど古層のヴェーダ、なかんずくチャーンドーギャ・ウパニシャッドの第5章などに鮮明に見られるが、

 

are also found in later Buddhist texts and esoteric variations such as the Dighanikaya, Mahavairocana-sutra and the Jyotirmnjari, wherein the Buddhist texts describe meditation as "inner forms of fire oblation / sacrifice".

後の仏教文献であるディーガ・ニカーヤ、マハ・ヴァイローチャナ・スッタ、Jyotirmnjari などの中でも、瞑想行を “内なる様式としての火の献納・供儀” とする表現がみられる。

 

~以上、Wikipedia: Dhyāna in Hinduism より引用・拙い抄訳ご勘弁を。

このWikipediaのディヤーナに関する英語のページは、全体としても非常に面白いので、興味のある方は是非、全文を読みとおして見て欲しい。

取りあえず現在進行形で本ブログの文脈上もっとも重要なのが、上記引用の後半に出てきた、ヴェーダにおける火の犠牲祭を瞑想行として内部化する」という部分だ。

これこそが、前回触れた、

バラモン教的な祭祀と、ブッダの瞑想行法が、具体的かつ実践的に『接続』しており、そのキーワードは『祭祀の内部化』である。

という言葉の、真意なのだ。

これを説明するには、そもそものヴェーダの祭式の意味と様式に関してから紐解かなければならないだろう。これについては「『真のバラモン』とゴータマ・ブッダ【前編】」の中に詳しいので、加筆修正したものを再掲する形で振り返って見たい。

そもそも、汎インド教世界の核心とも言える『ブラフマン』とはどこに起源するのだろうか。非常に分かり易い解説があったので以下に引用する。

ブラフマン(梵)とは中性名詞で、 

(~のちには男性名詞のブラフマンが成立し、ヒンドゥ教の主神となった。一般に記されるブラフマーは男性名詞ブラフマンの単数主格の語形が固定したものである~)

元来はヴェーダ賛歌・祭詞・呪詞内在する神秘力ヴェーダの知識に由来する神秘的威力を意味した。

祭式(祭祀)万能の信仰の展開に伴い、「神を動かして願望を達成する原動力」とされ、ついには「宇宙の根本的創造力」と見られた。

バラモンサンスクリット語ブラーフマナ)とはこの神秘的な威力を具えた者の意であり、祭式の神秘性を解き明かす文献をブラーフマナというのも前述の解釈に基づく。

従って、そのような神秘的威力こそ万有を創造する者であり、創造者として被造物を支配する者とされ、被造物に遍満する本体とされ、その結果、万有そのものと同一視される根本原理とされるに至ったのである。

 【原典訳】ウパニシャッド、岩本裕 編訳、ちくま学芸文庫 P363~ より

これは順番がややこしいので、少し整理していく。

このブラフマンという概念のそもそもの原像は、『祭祀(祭式)』と密接な関わりのあるものだった。

元々インド・アーリア人の生活の中心には、人知を超えた超越的な天界の神々に対して祭祀を行い、現世における様々な利益(ご利益)や死後の安穏を願うと言う習俗がインド亜大陸侵入以前の時代から存在した。

その様な祭祀において、神々を讃え勧請する為の賛歌の集成こそがリグ・ヴェーダに他ならない。この祭祀は基本的に祭火の中に供犠を捧げ、賛歌と共に神に祈る、という形式をとっていた。

ここに三つの特徴が鮮明になる。ヴェーダの祭祀(祭式)とは、第一には火の祭祀であり、第二にはその火に犠牲を捧げる祭祀(供犠祭)であり、第三にはそれらのプロセスにおいて神々に捧げられる賛歌詠唱の祭祀である。

ここで私が『祭祀(祭式)』と書いている事の原語は『Yajña』であり、これ自体『供犠』というニュアンスを強く持っている。神々を喜ばせて人間の欲望(請願)に応えてくれるように、人間にとって大切な、そして神が喜びそうなものを犠牲にし、供養する。

यज्ञः yajñḥ ヤジュニャ

यज्ञः [यज्-भावे न] 1 A sacrifice, sacrificial rite; any offering or oblation;

犠牲、供犠の祭式、奉納、供養、寄進。

यज्ञेन यज्ञमयजन्त देवाः; तस्माद्यज्ञात् सर्वहुतः &c.; यज्ञाद् भवति पर्जन्यो यज्ञः कर्मसमुद्भवः

Prin. V. S. Apte's The practical Sanskrit-English Dictionary より

リグ・ヴェーダの初期段階で供犠として火の中に捧げられたのは、ソーマ酒や精製バター(ギー)などが中心であり、大きな祀り(それだけ大きな願望)の時は大切な財産である家畜動物も犠牲に供せられたが、後世の(ブッダが批判している様な)大規模かつ大量の動物を犠牲にするスタイルは未だ顕在化していなかったと考えられる。

インドに侵入したアーリア・ヴェーダの民は、やがて現地に定着し先住民との様々な相互作用の中で経済的・社会的に安定すると、祭式のみを専門に担う祭官がひとつの階級として分離独立を果たす。これがいわゆるバラモン祭官の階級だ。

バラモンとは『祭祀を実行する者』である、という平明な事実を覚えておきたい。

彼らは祭式の儀軌についての煩瑣な知識を独占し、その『知識の力』によって神々を動かし得る根拠となした。

一般的な形式としてのヴェーダの祭式の方法は、時に応じて恩恵を乞うべき神に向かって聖なる火に捧げものをし、煙となって天にのぼる供物をその神格が嘉納して、その祭式を行った人々に恩恵を垂れてくれる事を祈願する、というものであったと考えられる。

ヴェーダは《知識》の意味である、と述べた。知識は言葉で表され、言葉を知る者はその言葉の対象を支配できる、というのが古代人の言葉に対する基本的な考え方である。

言葉を知る司祭階級であるバラモンは、言葉によって神々をも動かす事ができる絶大な力を持つに至るのである。

その様な言葉は呪力を持つものであり、ひとつのアクセントの誤りも許されず厳密かつ正確に伝えられなければならなかった。 

ヴェーダからウパニシャッドへ:針貝邦生著 (Century Books―人と思想) P24~より 

そうして社会の発展と経済成長に伴って祭式も大規模化していき、その祭式を司る祭官たちの権能もますます増長していった。

バラモン祭官とは、天上の神と地上の人そして社会を『つなぐ』(Devaプロバイダー)に特化した祭式専門官僚であり、想定される天の神々の威力を背景に、いわば人間社会の『経綸』をも左右する力を持つものとして君臨しはじめる。

それまでの祭祀はあくまでも人間が上なる神に下から乞い願う、という形であったが、やがて祭式の肥大化と祭官の権能の増大に伴ってその立場は逆転し、バラモン祭官の執り行う祭式の力こそが神々を支配し世界の運行さえをも司る、と豪語されるようになっっていった。

祭式万能を標榜するバラモン教の誕生だ。戦士階級クシャトリヤの台頭と彼らの覇権の結果として生まれた都市の経済発展を背景に、祭式に対して莫大な財貨の提供・供養が求められ、その規模は増大の一途をたどった。

そこでは社会の安定の有無から人々の健康、経済的繁栄と衰退、月日の巡りや降雨や日照りなどの天候に至るまで、この世界の命運は全てバラモン祭官による祭祀の力によって支配されている、と考えられた。

彼らは祭式の万能を強調し、繁雑にして煩瑣きわまりない祭式哲学を展開したからである。バラモンは自分たちが独占する祭式を最高最勝の神秘とし、宇宙の展開も祭式の力により、また神も祭式の力によってその威力と不死性を得るとした。

バラモンは本来宗教者として神に仕える身でありながら、その本分を忘れ、神を操縦し、願望の成就を強要する態度をさえ示した事が知られる。

 ~中略~

こうして祭式は神を動かして初期の目的を達成させる原動力であり、人間の幸福と利益の源泉とされたが、それだけに祭式の執行に際しての微細な瑕瑾でも、破滅の原因になるとされた。

従って、自分の願望を達成しようとして、バラモンに委託して祭式を自分の為に執行させる祭主は、もしバラモンが悪意をもって祭式を故意に間違えたり、あるいは密かに呪ったりする事を極度に恐れたのであって、祭主の一身はバラモンの掌中に完全に握られているという結果となった。

神さえ自由にすると言う祭式に対して、祭式の神秘について全く無知な祭主が抵抗しえなかったのも、当然と言わなければならない。

祭主は自ら神であると嘯くバラモンに、数多くの牛や夥しい財宝を贈って、そのご機嫌を取り結ばざるを得なかったのである。 

【原典訳】ウパニシャッド、岩本裕 編訳、ちくま学芸文庫 P357~ より

これら天の神々を動かし、天地の運行さえをも支配する『祭式が持つ言葉(賛歌・祭詞の知識)の呪の威力』、それがブラフマンの原義であり、祭式と賛歌に関する『知識』によってそれらブラフマンの威力を行使する事から、これら祭官はブラーフマナ、すなわちブラフマンの力を具える(知る)者』と呼ばれた。

この『ブラーフマナ』こそがバラモン(婆羅門)の原語であり、本来『バラモン』とは『ブラフマン』を行使・運用する職掌であり、それ故の命名であった。

この事実が漢訳・音写の『婆羅門』やその現代化であるバラモンという語感からはほとんど見失われてしまっており、それが第一の問題点ではないかと私は感じている。

このような祭式と祭官の在り方については、歴史的に様々な疑義が呈されてきたのもまた事実だ。すでにリグ・ヴェーダには神の実在やその威力についての疑問の声さえ収録されている。

当然、上のような増長した祭式万能のバラモン教に対しては、その威勢の陰で様々なアンチテーゼが表明されるようになった。

恐らくその背景には、それら祭式万能を標榜しバブリーなセレブ生活に耽溺する、貪欲で自己中心的なバラモン祭官に対する批判的な世論があったのだろう。

その様な批判は、第一にバラモン階級自身の中からも生まれた可能性が高い。

すでにリグ・ヴェーダの後期において、哲学的な思索へと向かい始めた古代インド人は、乱立する多神教世界観に飽き足らず、世界の『唯一の』最高原理を求め始めていた。

インド亜大陸への侵略の前後には最高神格として崇められていた軍神インドラは、社会の安定と共にその勢威を失い、帰一思想、すなわち唯一最高神『Tad Ekam(一者)』にその地位を譲り渡していく。

初期においてその『Eka』は、それまでの多神の中より選ばれた特定の一神をそのつど便宜的に当てはめるものだったが、やがてその中から、ヴィシュヴァカルマン、ブリハスパティ、プラジャーパティなどいくつかの『一者/一神』が顕在化していき、そのひとつに『ブラフマナス・パティ』があった。

これは一般に『祈祷の主』と訳されているようだが、おそらく前述の『祭式における賛歌・祭詞の言葉が持つ呪の力』の根源でありその『主宰者』を意味していたのだろう。

ここに祭式万能教において増長するバラモン祭官に対して、ひとつの決定的な『反証』が突き付けられる事の端緒がある。

つまり、彼らバラモン祭官が世界の運行すら支配すると豪語したブラフマンすなわち『祭詞と賛歌における言葉の呪の力』。しかし、この呪の力を力として威力たらしめる為には、その背後に何らかの超越的な『何者か』がいなければならないのではないか?という疑問だ。

何故なら、どのように祭式の威力を豪語するバラモン祭官も、所詮は『死すべき人間』に過ぎないからだ。その様な有限で儚い人間であるバラモン祭官が、本然的な『自力能』として世界の運行までをも司るような力を持っている筈がないではないか、と。

そもそもリグ・ヴェーダの時代から、神々への賛歌は代々リシすなわち聖者(詩聖)たちが『天啓(神意)』によって獲得してきた、と言われていた。

つまり神々への賛歌とは、人間をして神々を賛仰させ祀らせるために神々から下賜され贈与されたものだったはずなのだ。

当然、神々から下賜された賛歌が持つ言葉の呪の威力もまた、神々から与えられた、と考えるべきではないのか?

祭式万能を誇るバラモン祭官たちは、ひとつの矛盾に直面する事になった。彼らが行使する天地の運行すら支配するはずの『言葉の呪の力であるブラフマン』とは、一体どこから来たのか、それは彼ら祭官よりも上なのか下なのか、という命題だ。

このような矛盾を解決するひとつの合理的な仮説として、言葉の呪の力であるブラフマンを一種の超越神格として抽出し、それをバラモン祭官の上に置く思想が生まれた、という事だろう。

その起源はリグ・ヴェーダの後期には顕在化していた、先のブラフマナス・パティに求められるかもしれない。

往古の多神教的神々の上に、祭祀によってそれを支配するバラモン祭官を置いたバラモン教に対して、そのバラモン祭官の上に、彼らの言葉の呪の威力を『統括し付与する一者』として絶対者ブラフマンを置くという上下秩序が、やがて思想的潮流として顕在化する。

祭式万能のバラモン教が、かつては人間を意のままに支配していた神々に対する下剋上であるとしたら、この絶対者ブラフマンの登場とは、増長するバラモン祭官に対する『再下剋上であり、一者に収斂された神威復権に他ならない。

そのような再下剋上は、おそらく台頭する戦士階級クシャトリヤや、インド亜大陸先住民の基層文化などとの相互作用の中で徐々に形成されていったと思われるが、バラモン階級自身の内部からも、率先してそれを推進する機運が生まれたというのは歴史の皮肉だろう。

これはある意味、徳川独裁幕府の末期において、その権力中枢の一翼を担う水戸徳川家の中から、徳川の私的覇権に対する疑義とそれに対する『正当化』の必要が、尊王思想として澎湃と生まれてきた流れと似ているかも知れない。

つまり、祭式を支配するが故に社会の最高位である事を担保されたバラモン階級者たちは、自らの権威、その正統性の根源・根拠を徹底的に追求していった果てに、自らの上に立つ絶対原理としての至高者ブラフマンを想定せずにはいられなかったのだ。

先にも言及したが、何故なら彼らは所詮、『死すべき人間』に過ぎないからだ。貪欲にまみれ、儚くも不浄な、一生類に過ぎないからだ(これはどのような時代・地域においても、何人も否定できない!)

もちろん、このような自己省察自己批判と絶対者ブラフマンへの傾斜は、北インド全域におけるバラモン階級のマジョリティをいきなり席巻していった訳ではなかっただろう。

それは恐らく、正統を誇示するバラモン教の牙城であったガンジス川上流部からは遠く離れた、彼らから見たら辺境に位置するガンジス川下流域において、やがて支配的なムーブメントとして台頭し始めた。

それがいわゆるウパニシャッド的な求道と思索の流れであり、それと軌を同じくした『沙門(サマナ)』達の求道であった。このウパニシャッド的な探求とサマナ的な求道実践が密接に関係する事は、両者の舞台となった主な土地が、マガダやコーサラ(カーシー)など多く重なっている事からも容易に想定される。

そしてこのようなガンジス川の中下流域の地方とは、同時にクシャトリヤの王権が台頭する都市文明圏でもあった。そこでは、伝統、すなわち増長する祭祀万能主義のバラモン教に対して、公然と批判できる自由で広闊なエートスが満ち溢れていたのだろう。

その様な社会背景の中、シッダールタ王子は出家していち沙門となったのだ。

そこで求道者たちのメイン・テーマとなったのは、

「如何にして『無畏なるブラフマンを知る事ができるか」

「一者ブラフマンと繋がり、そこつまり『不死なるブラフマンの世界』に至る事の出来る『祭祀』というものは一体どのようなものなのか?」

という事だった。

バラモン教の基本文法である『祭祀』が、絶対者ブラフマンにつながりそれを知る為の方法論としても、当然のように適用されたからだ。

一者なる至高のブラフマンに至るための祭祀が、下級の神々に向けた既存の祭祀と、全く同じであっていいはずは無い。そこで重要になってくるのが『内なる祭祀』だ。

先に引用したWikipediaの言葉を再掲すれば、

ヴェーダの時代における瞑想実践の発展は「内面化(内部化=自らの内部に取り込む事)」というイデアと並行して行われた。

そこでは、社会的、外部的なヤジュナ、つまり火を用いた犠牲祭(アグニホートラ)が瞑想という形で(その瞑想者の)内部(内面)における儀式(プラーナ・アグニホートラ)へと置きかえられた

このヴェーダの火の祭式をヨーガの瞑想へと『内面化』するというイデアは、ヒンドゥ教のサンヒターやアーラニヤカなど古層のヴェーダ、なかんずくチャーンドーギャ・ウパニシャッドの第5章などに鮮明に見られる。

つまり、ブッダに先行するウパニシャッド的な「絶対者の探求」において、

カウシータキ・ウパニシャッドには、「心をもって、私はプラーナである、と念想しなさい」という言葉がある。

その他、熟考、念想、冥想と言う文脈でチャーンドーギャ、ブリハドアーラニヤカ、マイトリ、各ウパニシャッドにも言及されている。

プラシュナ・ウパニシャッドには、聖音オームに瞑想する事によって、ブラフマン(究極の真実)に到達できる、という記述がある。

上で言われるディヤーナつまり『念想』『瞑想』『熟考』などという絶対者に向けた『心的営為』は、全て『内なる祭祀瞑想』という文脈において行われていた、と考えるべきなのだ。

ヴェーダバラモンの宗教とは祭祀(祭式)の宗教であり、火の祭壇を作り、そこにおいて屠殺した犠牲獣などを祭火に投じ(焼身)て、ウドガートリ祭官が詠う賛歌と共に神々に供養(献納)する、という儀式をメイン・イベントとしたものだった。

大小の祭式儀礼には資金を提供する祭主(パトロン)がおり、その祭主の願いをかなえる為に神々に祈り、その神威を奮ってもらうためにこの供儀(献納)が行われた。

これは現代的に言うと、Aという願いを叶えたい人(祭主)がBという祭祀専門業者(バラモンに祭祀の実行をアウトソーシング(外部委託)」する、という説明が分かり易い。

しかし、そのような祭式がバラモン絶対教へと変質する過程で、煩瑣化し肥大化し形骸化していく姿をまざまざと見続けた心ある(バラモン自身をも含む)人々の中から、ある『反省』が芽生え始める。

ひとつには、それは動物の犠牲(生け贄)に関してだ。分かりやすく言えば、

「自分の、ある意味 “利己的な願い” を叶える為に、『赤の他人』である動物に苦痛を強いるのはいかがなものか」

という事であり、

「自分の願いを叶えたいのなら、神に対して自らの赤誠を示すために、自分自身の身体において苦痛を背負いその身を捧げるべきではないのか」

と言う事になる。

同時にそこには、

「他者であるバラモン祭官に独占され、その権威に従属するのではなく、自らの手に自分自身の運命を『取り戻したい』

と言う本然的な希求が存在していた。

別の譬えを用いれば、バラモン祭官という『独占プロバイダー』によって神々(デーヴァ・ネット)につながる祭祀行為が独占支配されてしまっている、その状況に疑問と不条理を感じ始めた人々が、何らかの他の手段、道、方法論、つまりオルタナティブを模索し始めたのだ。

ここで『祭祀の内部化』が重要な意味を持って来る。つまり、個々人の内部でその精髄だけを抽出したシンプルな祭祀を行うのならば、煩瑣な祭式の知識の上に君臨増長するバラモン祭官など必要なくなるからだ。

このような反省と欲求そして模索こそが、古代インド的な『苦行』と『瞑想実践』のひとつの重要な契機になったと考えられる。この苦行と瞑想の原像その起源は、おそらくは亜大陸先住民の文化に由来するだろう。

余談になるが、この犠牲獣に対する反省は、ブッダやマハヴィーラの登場後にアヒンサー・不殺生として急速にインド世界に広まり、やがてヒンドゥ教の成熟と共にその主要なイデアになり、現代に至るバラモン階級を中心としたヒンドゥの菜食主義やガンディーの非暴力運動などにつながるのだから、インド教と言うものは奥が深い。

動物を殺しまくる犠牲祭「ヤジュナ」バラモン教文化、その真っただ中からアンチテーゼとして厳格な不殺生のアヒンサー思想が生まれた。

これは元々は捕鯨大国として野生のクジラを殺しまくっていたオーストラリア、フランス・スペインなど「西欧人」自身の中から、そのような殺戮に対する深い反省が生まれ、後に他の諸国(日本など)を上回る規模で反捕鯨のムーブメントが沸き起こったのと同じような原理かも知れない。

その過程では、彼らが「新世界」で出会った(発見した)「先住民」からの心的文化的感化が深く作用したのではないだろうか。

古代インドにおける「動物供犠祭」に対するアンチテーゼもまたしかり。

植民支配者として亜大陸先住民の上にヴァルナ(カースト)の差別をもって君臨するアーリア・ヴェーダの人々、その頂点に立つバラモン祭官はおごり高ぶり、彼らが管掌する祭祀の威力を「神々をも支配する」と豪語し、その規模を拡大していった。

以前に紹介した様に、インダスの印章に描かれた『坐神』は森の動物たちに囲まれていた。これは彼らの宗教あるいはその実践である瞑想営為が、森と動物と神とそして人との交感(交歓)を基盤としていた可能性を示唆している。

これは世界中どこでも基本的にそうなのだが、インド亜大陸先住民の伝統文化は、動物や自然環境との『共生』を基軸とし、その中で何らかの『神威』とつながる『瞑想実践』が営まれていた可能性が高い。

そのような先住民の「森の伝統(アーラニヤカ)」の価値観から見れば、神に捧げる祭祀の名のもとに動物たちを虐殺するバラモン祭祀は「非道」以外の何物でもなかった。

それが、「自分の願いを叶えたいのなら、神に対して自らの赤誠を示すために、自分自身の身体において苦痛を背負いその身を捧げるべきではないのか」という『反省』へとつながって来る。

それこそがいわゆる『苦行』だ。

苦行の原語はタパスと言う。これはよく知られたように「火の熱力」あるいはその「燃焼」を意味する。つまり自らの身体を苦しめてその苦痛の業火に焼かれる、そのような内なる火壇(Antar Agunihotra)によって自らを祭火に投じ、もって神々への供儀として自らを捧げる。その様な心的契機こそが、汎インド教的な苦行の真義と言ってもいいだろう。

古代インドのある時期から、自分とは全く関わりない外部において動物を殺し焼き(調理し)神々に捧げる(実際には参会者がそれを食らう!)、などという外面的な祭祀行為には、首肯できない満足できない人々(求道者)が現れた、と言う事なのだ。

そのような人々によって、バラモン祭式儀礼に対するオルタナティブとして、タパスという「内なる苦行祭祀」『神へとつながるのもうひとつの道』として自然発生的に行われるようになった。

その発想の過程で、インド亜大陸先住民のプリミティブな「森(アーラニヤカ)の」伝統文化に触発された可能性は十分に考えられる。

「自分にとって最も可愛い大切な自分自身の身体さえも、犠牲に供して神々に捧げたならば、それが最も気高く効力のある(内なる)祭祀になる」という事だ。

(俗に言う「焼身供養」や「即身仏」などという概念もそのはるか延長線上にある)

その最たるものは、神々に捧げる為に自らの死を持ってするものであり、これはオリッサ州プーリーのジャガンナート寺院の祭礼である「ラタ・ヤットラ」において、その祭りの山車の車輪の下に我とわが身を投げ出して自死する、という伝統の中にも表れている。

そうすることによって、篤信者たちは神々に言祝がれて天界への再生が約束される、あるいは輪廻からの解脱さえ実現される、と考えられたのだろう。

しかもそこでは、バラモンなどと言う他者の支配をから解放された、「自分の運命を自分自身で決める」という完全な「主体性の回復」が体現されている。

このような自死を頂点とする内的苦行の伝統は大変古い時代に遡る事が可能で、マハバーラタなどの叙事詩から様々なプラーナ神話に至るまで、その登場人物(神々を含む)が誓願を叶える為に苦行に励む、というシーンが至る所で物語られている。

ジャイナ教のマハヴィーラによる絶対苦行主義もこの流れを汲むのだろう)

何かの誓願を成就するために、神々あるいは唯一神に向かって我とわが身を苦痛の焔で燃やし、供儀として捧げる。これが、外部的に行われるバラモンヴェーダの火の供儀祭に対する、内部化された(自己)犠牲祭に他ならない。

(この「祭祀の内部化」はウパニシャッド的なアートマンブラフマン思想とも深く関わっている。至高者が「内在」するならば祭祀もまた内部にて捧げられなければならない!)

当然、悟りを開く前の沙門ゴータマ・シッダールタが苦行に勤しんだのも、この『内なる犠牲祭』として何らかの誓願(苦悩に満ちた輪廻からの解脱?)を果たさんがために行ったと前提すべきだろう。

それが『祭祀』である以上、自己を犠牲として捧げる『対象』が不可欠になる。

このヴェーダ的な外なる祭祀を内部化する、と言う流れは、もうひとつ特筆すべき方向に分化して、やがてそれは “聖音オームの念唱” へと結晶化していく。

これもやはり、肥大化し煩瑣の極みに向かいつつあったバラモン絶対教に対するアンチテーゼとして生まれたものだろう。

莫大な資金をバラモン祭官に貢いで、多大なる犠牲獣の死と共に盛大な祭りを執り行う。その過程で歌われる賛歌は、神々のパンテオンと呼ばれるごとく無数の神々に対してそれぞれの内容が当てられ膨大な数にのぼる。

その神学的な解釈と儀軌の規定は煩瑣を究め、祭祀を実現する為には、増上慢を極めたバラモン祭官どもに必ず屈しなければならない、という不条理に対する反発は、誰もがその心の奥底に秘めていた事だろう。

そこには、このようなどこまでも表面的な外面的な部分だけを飾り立てても、結局その誓願者の “心” と言うものが真摯に神々の前にひれ伏し、専心していなければ、その願いは神々に届く事などないのではないか、という反省もまた伴っていた。

そう、ここでは、外部的な煩瑣で形式的なあり方よりも、むしろあらゆる虚飾を剥ぎとった内面的な「心のありよう」が問題にされ始めたのだ。

このような反省は、多神教的な世界観から唯一至上の絶対者ブラフマンが結晶化する過程の中で、何よりもまずバラモン自身の中からも生まれたのかも知れない。

そこでは「あらゆる神々の精髄(あるいは神々を動かす呪の力の精髄)である一者ブラフマンに至る為の内なる祭祀は、同じように『精髄』でなければならない」という論理の下、祭詞の精髄である『オーム』が抽出された。

ヴェーダの祭式には大きく二つの側面があった。ひとつは犠牲獣を殺しホーマの火で焼いて神々に捧げる、という火の供儀祭。これが内面化されたものが身体苦行である『タパス』だった。

そしてもうひとつの側面が、これまでも「ヴィーナの喩え」で取り上げ詳述してきた賛歌の詠唱献納だ。これはおそらくは犠牲獣を殺し火にくべる、その儀軌プロセスの効果音楽(BGM)としても場を盛り上げたのだろうが、何よりも賛歌の言葉が持つ呪の力(ブラフマンの原義)が神々をして動かしめる、という理念がベースになっている。

(餌を与えて徹底的に褒め倒す。それで願いを叶えてくれるのだから、ある意味バラモン教の神々とは、極めて単細胞な存在ではある)

このような賛歌の詠唱に専心する事それ自体が、前回までに説明したようにインド教における『瞑想実践』のひとつの原像であったのだが、その背後には、賛歌の詠唱と言う行為とその経験の中に、外形的な祭祀からの “遊離” “内的な沈潜” をもたらすような何か(おそらくプラーナヤーマ的なトランス)があったからだと思われる。

そうして、この賛歌という瞑想をそのバブリーで煩瑣な祭式から少しずつ切り離して純化し、あたかもワインを蒸留してブランデーを作るかのようにその賛歌のエッセンスを抽出した。それが聖音オームであり、その念唱であったと考えられる。

このプロセスもまた、多神教のカオス的豊穣世界観が絶対者ブラフマンを掲げた唯一神(Eka)世界観へと収斂していく過程とパラレルに起こっただろう。

しかし、ただワインを蒸留しただけでは馥郁たるブランデーにはならない。その蒸留したエッセンスを樽に留置し熟成しなければ銘酒はできないのだ。

インド教の伝統の場合、この樽の中にエッセンスを留置し熟成させるプロセスに該当するものこそが、『坐の瞑想法』であったと考えられる。

もちろんこれは、先に触れた様にインド先住民に伝わる、インダス文明にまで遡る事が可能なアーラニヤカ(森の伝統)的な『坐法』に起源すると考えるのが自然だろう。

(ウパース(同置)とこの坐法つまり「アーサナ」が合体したものが『ウパーサナ』つまり念想であり瞑想だ)

聖音オームがひとたびあまたある賛歌・祭詞の中から分離・抽出されて結晶化すると、それは徐々に外的な祭祀とは切り離されて “内部化“ されていった。その内部化の過程でその理想的な樽(容器)となったものこそが、「坐法(アーサナ)の形に坐った身体」だったのだ。

その先駆として、いつの時代からか定かではないのだが、ヴェーダの祭式におけるバラモン祭官の祭式時の姿勢それ自体が、先住民の坐の伝統を取り入れて変容した事が考えられる。

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Wikiwandより:現代に伝わるバラモン祭祀

上に見られるように、現在に至るバラモン祭祀は基本的に床(地面)にべったりと胡坐をかいて坐るスタイルをとっている。このようなスタイルはイラン(ペルシャ)以西の、ヴェーダと同じインド・ヨーロッパ語族の宗教にはほとんど見られないと言われている。

おそらくは坐法を知らなかったアーリア・ヴェーダの宗教に、どこかのタイミングでインド先住民の坐法(アーサナ)が混入・融合したのだ。

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Wikipediaより:坐法をとって瞑想するインダスのヨーギ

これはニュージーランドに植民した西欧人の文化であるラグビーの世界に、先住民マオリの文化要素である「ハカ」が混交し、それがプレイヤーのアイデンティティにさえなっている姿を見ればリアルに想像できるだろう。

私の読み筋では、そもそもヴェーダの祭式その賛歌が、『瞑想』と言う概念で把握されるようになったその契機それ自体に、先住民の『坐の瞑想』の影響が既に色濃く感じられる。

これは大変アバウトだが、古ウパニシャッドの時代には、この外的な祭祀から切り離されて純化され『内面化』された、「坐の瞑想としてのオームの念唱」、という行法が、かなりの程度確立していたと考えられる。

その流れと軌を同じくして、坐法をとりながら同置や念想を行う瞑想も様々に発展していったのだろう(ウパース〔念想・同置〕する坐法=ウパ・アーサナ、これがウパ・ニシャッドの本来の意味か)

そして実はこのような、

外的な祭祀の賛歌→内部化された祭祀瞑想としてのオームの念唱坐法

という流れの次に来るのが、

内的祭祀としてのブッダの瞑想坐法(アナパナサティ)

という流れだったと考えられるのだ。

まず外的な犠牲獣の殺りくなど極めて粗野な要素を多分に持つ祭祀とそこにおける賛歌の詠唱が、ある時点から「瞑想」という概念で把握され始め、やがてその賛歌瞑想の中から、純化し蒸留されたエッセンスとして聖音オームが取り出された。

そして聖音オームの念唱が外部的な祭祀と徐々に切り離されつつ、坐の瞑想と結びつき、その中で経験され直感された『境地』 “絶対者ブラフマン として言語化され把握提示された。

その聖音オームを念唱する坐の瞑想を極限まで純化したもの、それこそがブッダのアナパナサティであった、と言う流れだ。

そう考えると、「沈黙の聖者」を意味する『ムニ』の真義も、単に「無駄なおしゃべりをしない」事だけではなく「音声なしの念誦(祭祀)をする瞑想行者」だったのかも知れない。

もちろんこれは「発展段階説」的なひとつの把握であって、沙門シッダールタが直接的に「オーム瞑想」を経由した事を意味はしないが、しかし彼が一時師事したアーラーマとウッダカの二師が、オーム瞑想を行っていた可能性は十分にある。

(この二師に関しては、以前に「プラーナヤーマ」との関連を想定していたが、これはオームの念誦と紙一重だ)

賛歌にしろ聖音オームにしろ、その『音声』が生まれいずる源は『呼吸』だ。聖音オームを含む全ての粗大な音声を捨てて、そのエッセンスである微細な『純粋呼吸』の上に瞑想する。これがブッダの瞑想法=アナパナサティが見出された根拠、そのそもそもの原像だったと考えられる。

(その “発見” に至る過程で、沙門シッダールタが経験した『止息の苦行』などが重要な意味を持っていた)

その背後には当然のことながら、ブラフマンアートマンの同一視や、それらをプラーナあるいは呼吸と重ね合わせる心象が存在していたアートマンの原義は呼吸)

ブラフマンアートマンを同一視するという事は、それ自体、文字通り ブラフマンの内部化” に他ならないだろう。

外的には聴くことさえできないかすかで微細な呼吸の響きを、身体の芯奥内部で気づき続ける(サティ)事、それ自体が内部化された究極の祭祀であり、それによって最奥義のブラフマンが極められる(知られる)。

ワインの喩えに戻れば、

祭祀における動物供儀を伴った賛歌=不純物だらけの不味いワイン

そのエッセンスである聖音オーム=蒸留ワイン

オームの念唱と共にある坐の瞑想=熟成ブランデー

外側に現れるすべての粗雑な『音声』を捨てたアナパナサティ=精製スピリット

という図式だろうか。

あるいは、いま巷で流行りの言葉を使えば、ヴェーダの賛歌と言う『瞑想1.0』をオームの念唱へとアップデートし(瞑想2.0)、さらにアップデートした最終形態が、ブッダの瞑想法=アナパナサティ(瞑想3.0)であった、と言う事だろうか。

もちろん、これら全てにおいて瞑想者の身体は、ある種の『祭祀デバイスとして「神々によって造られた聖なるヴィーナ」の延長線上に “重ね合わされた”

(その様に考えてはじめて、ヴィーナの喩えの『真義』が理解できる)

だからこそ、ブッダヴェーダの達人」と呼ばれた。彼が後にヴェーダンタ(ヴェーダの終極」と呼ばれるブラフマンの真義に目覚めた者だったからだ。

だからこそブッダ「真のバラモンと自他ともに称揚された。何故なら彼はそのブラフマンという究極に至り知る為の「内なる瞑想」を実践する『真のバラモン祭官』であり、バラモン階級を中心とした多くの求道的、革新的な探求者たちが、彼ら自身の正統な文脈の中で、ブッダブラフマンを知った(明知)」『真の聖者』と認めたからだ。

(ただしこれは、当時の汎インド教的な流れの中に彼の「セルフ・プレゼンテーション」を位置づけた場合、の事であり、ブッダ自身が “解脱後に”どう考えていたか、とイコールである保証はない)

何故彼らはそう認めざるを得なかったのか。それは『内部化した祭祀』としての「苦行」「オームの念唱坐法」という当時の二大潮流の延長線上に、それを究めて統合し昇華した精髄、その最終形態こそがブッダの瞑想法であり、彼らが目の当たりに見るブッダのその威容(ある種のオーラ)が、まさにブラフマンの威容そのものだったからだ。

純粋呼吸瞑想(アナパナ・サティ)という極めて斬新な『内なる祭祀』の精華精髄を実践し、ブラフマン智に至った真のバラモン聖者。これがブッダ自身の「セルフ・プレゼンテーション」であり、彼に対する当時の宗教社会一般の “評価” だった。

ブッダが日々欠かさず行っていた瞑想行法それ自体、あるいはその「常住坐臥の気づき」つまりブッダが出家比丘として生きている事の全てが「究極ブラフマン」に対する「至高の祭祀」を構成していた。

だからこそ、彼は「アラハット」つまり『供養されるに相応しい聖者』になる。

このブッダを「至高の(内なる)祭祀実行者」として把握する心象については、冒頭に引用したWikipediaの中にも明記されている。

後の仏教文献であるディーガ・ニカーヤ、マハ・ヴァイローチャナ・スッタ、Jyotirmnjari などの中でも、瞑想行を “内なる様式としての火の献納・供儀” とする表現がみられる。

そしてブッダ『至高の(内なる)祭祀実行者』として把握して初めて、「私は世間の至上のである(anuttaraṃ puññakkhettaṃ lokassā ti)」という事の真意が、理解可能になる。

ブッダやそのサンガに供養する事は「真のバラモン祭官」が日々実行する瞑想修行と言う『内的な祭祀』に供養する事を意味するので、ブッダに供養する在家信者は、『祭主』として祭祀の果報を受ける権利を得て、来世への願いを成就する事が可能になる。

だからこそ、多くの王侯や大商人など社会の上流階級がこぞってブッダに大枚を寄進したのだ。この『祭祀』という文脈に想到し得なければ、何故仏教サンガが自他ともに認める「世間の福田」であったかの意味が、全く通らないだろう。

その意味では、ブッダや比丘サンガを単なるニートつまり「社会的な無業者」としてしか捉えられない魚川祐司氏は、この『福田(puññakkhettaṃ)』という文脈が「まったく理解できていない」

仏教サンガは確かに「世俗的な職業労働」は完全に放棄している。けれども、彼らの修行生活それ自体が、「真のバラモン祭官集団」として社会的に十二分に意味のある『聖職の業』だったと言う『構造・文脈』を、決して見逃してはいけないのだ。

(彼の『ニート論』については、後日改めて詳細に吟味し批判する機会もあるだろう)

次回は、この「苦行」と「瞑想」が『内部化された祭祀』であった事実を、経典に基づいて確認していきたい。 

(本投稿はYahooブログ 2016/3/23「53 内部化された祭祀としての“苦行”と“坐の瞑想”」を加筆修正の上移転したものです) 

 

 


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