仏道修行のゼロポイント

ゴータマ・ブッダの原像とヒンドゥ・ヨーガ

勝者と敗者が対峙した時:相反する『車輪の原心象』

前回はインド・アーリア人の原風景、シンタシュタ文化のチャクラ・シティについて紹介した。彼らにとって、車輪やラタ車(戦車、馬車、牛車)がどれだけ重要であったかがイメージできたと思う。

インド・アーリア人にとってのラタ車とは、海洋民族にとっての船であり、定住移動を繰り返す歴史の中で、ある意味彼らの人生そのものがラタ車の上で演じられたと言えるほど、その存在は生活に密着した欠かせないものだった。

そんなチャクラ(車輪)思想を携えて、アーリア人インド亜大陸に侵入し、正にその車輪を履いたラタ戦車の優位性に依って先住民に圧勝した。彼らの中で、ラタ車と車輪の持つ重要性はさらに一層高まった事だろう。

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ペルシャに伝わったラタ戦車。ChessRex より。古代エジプトと同じ六本スポークだ

リグ・ヴェーダには、カイバル峠を越えてインダス川流域に侵入したアーリア人が先住民と戦い、勝利し、その富を略奪していった過程が、これでもかと描写されている。その主役とも言えるのが、黄金のラタ戦車に乗り、全軍を指揮し、先住民ダスユ(ダーサ)を殺戮するインドラ神だ。

「神の力にものみな揺らぎ、ダーサのやから(アーリア人の敵、先住民)影ひそむ。異部族びとの蓄えを奪いて取りぬ、勝ち誇る、賭けの巧みをさながらに。その神の名はインドラ天」

「罪に汚れし諸人は、いつしか彼のの的。奢れる者は彼の敵。アリアン族に仇をなす、ダスユ(先住民、悪魔)もあわれ彼の犠牲。その神の名はインドラ天」

辻直四郎訳:リグ・ヴェーダ賛歌より

リグ・ヴェーダを通読して思うのは、これは典型的な部族神の神話だな、という事だ。私は先の投稿『宗教とは何か? 』で、 

「歴史的に見て、宗教が世界平和や人類みな兄弟などとその『普遍』を標榜するようになったのは、ここ最近ほんの100年ほどの出来事に過ぎない。

宗教本来の姿とは、その信仰を共有する特定の集団、つまり氏族・部族・民族、階級、組織が持つ排他と利己という目的意識を強化し、その欲望を推進するために常に原動力として機能するものだった。」

宗教とは何か? - 仏道修行のゼロポイント

と書いた。その正に排他と利己の衝動を擬神化した者こそがインドラなのだろう。結局のところ、アーリア人がインドラ神を崇めるという事は、侵略し、征服し、略奪する『自分』を崇めていたに過ぎない。 


Nova: Building Pharaoh's Chariotより。40:40あたりから

エジプトの古代戦車も基本は六本スポーク

紀元前1500年に起きたアーリア人によるインド侵攻。そこでは、物質文明、特に武力において抜きんでていた白人種によって、武力において劣った有色人種が征服され、支配されていくという構図があった。 

その結果生まれたのがヴァルナ、すなわち肌の色を基準とした支配・被支配の構造、カースト・システムだ。

おそらく、彼らアーリア人がインダス河流域で最初にコンタクトした先住民は、比較的文化程度(軍事力)の低い人々だったのだろう。それはリグ・ヴェーダの中で先住民ダスユ(ダーサ)が「肌が黒く鼻が低い」と表現されている事や、しばしば蛇族、あるいは蛇形の悪魔ヴリトラと重ね合されている事からも想像できる。そのイメージは、物質文明において優れていると言うよりも森や生態系と共生する印象が強い。

一方のアーリア人と言えば、7000㎞にも及ぶ長途の旅の間、無人の野を駆けて来た訳ではなかった。新しい土地には必ず先住民が居り、多くの場合は戦いが起こった事だろう。つまり彼らは500年にわたって様々な民族と戦い続けた歴戦の猛者だったのだ。

アーリア人と先住民の武力の格差は、武器の上でも経験の上でも歴然としていた。アーリア人は、この亜大陸最初の一歩において、未だかつてない大勝利をおさめた事だろう。

では、逆に征服された先住民の立場に立った時、この出会いはどんなものだっただろうか。間違いなく、彼らはラタ戦車なる物を初めて見た。当時インド亜大陸内部では、牛に牽かせる荷車はあったが、馬に牽かれたスポーク式車輪の高速機動戦車など青天の霹靂だったに違いない。

アーリア人の戦術とは上の画像・動画に見られるように、この高速機動戦車を駆って車上から弓矢を速射しながら波状攻撃をかけるという極めて斬新かつ画期的なもので、先住民にとっては戦国時代の日本における種子島(火縄銃)の登場以上の驚愕と混乱をもたらした事が想像できる。

この不幸な出会いは、例えてみれば、大航海時代の到来と共に中南米に押し寄せたスペイン・ポルトガル人たちが、その圧倒的な武力の優位を元に、先住民インディオを殺戮し征服し、黄金などの富を略奪していったプロセスと似ているのかも知れない。

1532年、豚飼いとして知られたフランシスコ・ピサロはわずか200名足らずの部下と共にインカ帝国を滅ぼしてしまう。銃を持ち馬に騎乗するこのスペイン人たちを見て、インカ人たちは彼らを自らの伝承にある雷帝神、あるいは「白い神」、と誤認したようだ。

当時のインカ軍は総勢80000人以上とも言われる。80000人対200人。この様な圧倒的な戦力差も、装備的心理的な優位によって簡単に覆されたのだ。

恐らく、これと同じような事が、アーリア人とダスユの先住民の間でも起こった。

ここで思い出して欲しいのが、インダスのチャクラ文字だ。あたかも6本スポークの車輪の様なシンボルが、インダス文明においてはある種宗教的な特別な意味を持っていたと考えられている。

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インダスのチャクラ文字(左端)。そのデザインは六本スポークの車輪そのものだ

ダスユの原住民が直接的にインダスの末裔であったか、またこのチャクラ文字を継承していたかどうかは分からない。けれど、インダス・シールに刻まれた瞑想者の姿が獣類の王パシュパティとしてのシヴァの原型であると考えられている事、ダスユの先住民がリンガの信仰を持っていたらしいこと、またアショカ王の時代においても、インダスのものと同じ寸法比率のレンガが用いられていたことなどから考えると、インダスの文化諸要素は確実にインド先住民に継承されていた事がうかがい知れる。

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最もベーシックな聖吉祥文様はインダスの印章文字とラタ車の車輪のハイブリットか

私的にここでよりドラマチックな仮説を採用すれば、ダスユにとっても、チャクラ文字は神を象徴する形であり、その同じ形の車輪を駆ってやってきたアーリア人は、彼らの眼には文字通り『鬼神』に映ったのではないか、という事なのだ。

そして、ダスユの民は完敗した。あたかも200人に満たないピサロ率いるゴロツキ集団によってインカ帝国が滅ぼされたように。そしてダスユの心の奥深くに、アーリア人に対する根源的な恐怖と畏怖の気持ちが徹底的に植えつけられた。その武威の象徴である車輪の形と共に。

鬼神の車輪を乗りこなすアーリア人には絶対に敵わない。これがヴァルナのシステムを根底で支えるダスユ達の深層心理だったのだ。

この心理は、第二次大戦終末期に2発の原爆を投下され甚大な被害をこうむった日本人のそれと重ね合わせるとよく理解できるかもしれない。あまりにも圧倒的な武力・破壊力に直面し、なすすべもなく敗れた者は、強烈にその敗北を心に刻み込む。このアメリカには絶対に敵わないと。

そして戦後の日本は、ひたすらにアメリカに追従し、その文化を模倣し、少しでもアメリカに近づくことをその国家目標として掲げてきた。アメリカは戦後の日本人にとって『神』となったのだ。

侵略者アーリア人に対して決して「ノーと言えない」ダスユ達の『信仰心』こそが、カースト制度をその根底で支える深層心理だったと考えても、そう的外れではないだろう。

何故私が、仏教とは一見関係のない古代インド史について延々と語るのか、疑問に思う向きもあるかも知れない。けれど、この絶対勝者アーリア人対絶対敗者先住民という構図こそが、その両者の間に生まれた心理的な摩擦と化学反応こそが、インド思想の深みと、その現代における普遍性の根拠になっていると考える私にとって、この点をないがしろにすることは決して出来ない。

歴史は常に勝者によって記述されるという。アーリア人のインド侵入と言う歴史的事実は、常に勝者アーリア人が残した文献のみに依存して考察されてきた。そこから始まる全てのインド学的営為においてもまた、敗者である先住民のリアリティは完全に黙殺され続けてきたという現実がある。

しかし、この敗者による勝者に対するアンチテーゼこそが、仏教をはじめとした『反バラモン』思想を生み出す原動力だったと考えた時、インド思想に対して全く新しい光が投げかけられるだろう。 

侵略者アーリア人が無邪気なまでに称賛した武神の車輪。そして征服された先住民が見た『鬼神』が転ずる恐怖と破壊の車輪。立場を変えた対照的な二つの『車輪観』。

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信者たちに合掌礼拝されるバールフートの法の車輪(ダルマ・チャクラ)

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輪廻の車輪。相反する車輪が織りなすインド思想のダイナミズム

例えば、上の画像に見られる、ブッダによって転じられた聖法の車輪、そしてその真逆とも言える、仏教教理において根源的な意味を持つ輪廻する苦悩の車輪について考えてみよう。

およそ宗教と言われる精神・文化現象は、聖と俗、救済と苦悩と言う二項対立を前提としている。そしてその聖性を表すための、特徴的なシンボルというものが存在する。 

キリスト教の場合は、もちろん十字架がそれにあたるだろう。それは神の子であり世の救い主であるキリストが、人々を原罪から救うために自らの身を捧げた象徴として、世界中のキリスト教徒によって仰がれている。 

ならば神と対峙する悪魔の象徴は何だろうか。蛇とか蝙蝠とか髑髏がそれにあたるのだろうか。どちらにしても、ふつう聖なるシンボルと俗悪なるシンボルはまったく異質なもので、両者が重なり合う事はほとんどないだろう。 

しかし仏教の場合は他の宗教と違って、上に見られるように聖と俗、その二つの対立した価値概念をひとつの『同じ車輪というシンボル』によって表すという事が平然と行われている。 

仏教では、悟りを開いたゴータマ・ブッダサールナートではじめて説法し弟子を得た史実を『法の車輪を転じた』と表現した。そして聖なるシンボルの筆頭として法輪を掲げている。 

一方で、同じ車輪という存在を、煩悩・輪廻の車輪として、俗なる生における『苦』の循環を表すシンボルとしても採用している。

信者たちに仰がれる聖法の車輪と、悪魔に囚われた世俗生活という輪廻・苦悩の車輪。

何故、悟りの知恵によって把握された聖なる法が車輪で表されると同時に、煩悩に支配された苦しみの輪廻が ‟同じ車輪で表される” などという事が、可能なのだろうか?

このような車輪のシンボリズムが持つ明確に背反する正負・聖俗の両義性。ここにこそ、正に車輪というタームを基軸として、躍動するインド思想のダイナミズムが展開し転回していったという歴然たる史実が隠されている、と私は見る。

(本投稿は脳と心とブッダの悟り: 勝者と敗者が対峙する時法の車輪と煩悩の車輪〜その1- 脳と心とブッダの悟りなどを統合し、修正の上移転したものです)

 

 

 

 

ラタ戦車を駆るアーリア・ヴェーダの民と『聖チャクラ(車輪)』

インド人にとっての輪軸のアナロジーがもつ重要性とその意味を、本当に実感を持って理解するためには、まずは車輪がインドにおいてどの様な存在だったかを、様々な角度から理解しなければならないだろう。

それにはまず、歴史的な理解が必要だ。この木製スポーク式車輪を開発したアーリア人の祖が、どのようなプロセスを経てインドまでたどり着いたか、そのリアルな生活実感に思いを馳せる事だ。

インド文明は、侵略者アーリア人の文化・思想と、侵略された先住民の文化・思想が融合して、今日に至る複雑・深淵な歴史と文化を生み出してきた(中世以降のイスラムの影響については、取りあえずここでは触れない)。ブッダの時代は正にその融合する化学反応の真っただ中にあった。

アーリア人にとって、自ら創造したスポーク式車輪とは、正に彼らの他民族に対する優越性を象徴するシンボルだった。彼らはこの優れた最新鋭の車輪を履いたラタ戦車を駆って、中央アジアの大平原から西ユーラシア全土に進出していった。

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エジプトを席巻したラタ戦車は、ファラオの象徴となった

エジプト、ギリシャを初めとした地中海世界、そしてトルコ、ペルシャなど彼らの車輪の轍の下に屈服しなかった土地はなかった。そして彼らの分隊は遥かに東征し、やがてカイバル峠を越えてインド亜大陸にも侵入した。

その間、故郷であるコーカサス北部の大平原からカイバル峠までのおよそ7000㎞を数百年かけて定住と移動を繰り返し続けた彼らにとって、旅は生活そのものであり、旅の足となるラタ(戦車、馬車、牛車)は何よりも日常に密着した相棒だっただろう。

コーカサス北部から中央アジア周辺に、彼らの旅路の痕跡とも言える遺跡が多数発見されている。それは彼らがチャクラの民であった事をまざまざと物語っていた。それがシンタシュタ-ペトロヴカ文化だ。

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赤い部分がシンタシュタ文化の中心エリアで、ピンクがスポーク式車輪の発見エリア。オレンジは後継文化の広がりで、緑のBMACエリアを通じてインドに繋がっている。

シンタシュタ-ペトロヴカ文化とはロシア南東部チェリャビンスク州にある村の名前に由来し、アーリア系の部族集団によってBC1800年前後の数百年にわたって発展継承された文化コンプレックスだ。

それが直接インド・アーリア人の祖先であったかは論議の的だが、インド・アーリア人と同じ母集団から派生し、文化的な起源を共有する事は間違いない。

シンタシュタ文化を特徴づけるもの、それがチャリオット葬と呼ばれる独特な埋葬法だ。これはラタ戦車と馬をその主と共に埋葬する方法で、世界最古のスポーク式車輪をはいたラタ戦車がここで発見された。

これはヴェーダの時代にインド・アーリア人によって盛んに行われたアシュヴァ・メーダ(馬祀祭)の祖形だと考えられている。

そしてこのシンタシュタ・コンプレックスの中に、本ブログの文脈上特筆すべき遺跡が存在している。それが1987年にチェリャビンスク市の調査団によって発掘されたアルカイムの城塞都市だ。

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アルカイム遺跡の空撮。Арҡайым — Башҡорт Википедияһыより

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環状城塞都市の立体モデル。Arkaim – Russian Stonehenge | MYSTICAL RUSSIAより

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城塞都市の設計プラン。二重円環構造はマンダラ・シティとも命名された。Arkaim -- The Russian Stonehenge « National Vanguardより

これは直径100~200mほどの堀を巡らした環状の土塁の上に、木製の柱や梁で建てられた城塞都市で、写真や図形を見ると一目瞭然なのだが、明らかに車輪のデザインを彷彿とさせる形をしている。

チャリオット葬と合わせて考えれば、まず間違いなく、これはチャクラ・シティ(車輪都市)だったと私は考えている。おそらく天の車輪と対置する大地の車輪、そしてそこに住む人間の生活をこのような車輪の形を模した都市によって表したのだろう。

アルカイムの遺跡は、研究者によってインド・アーリア人による最古の都市遺跡と認定されている。

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シンタシュタ-アルカイムの城塞都市群スケッチ。明らかに同一プランで設計され、車輪との関連が推定できる。ロシア語の研究サイトより

彼らは太陽を中心とした天体祭祀を行っていたという報告もあり、この環状都市の形は何らかの意味で天体観測と関係していたかもしれない。またこの祭祀に関しては、リグ・ヴェーダにおける太陽神群との関連も指摘できる。

ひょっとしたらシンタシュタ文化の城塞都市群は、チャクラ・シティであると同時に、太陽神を崇めるスーリヤ・シティだったのかも知れない。

(この都市が中心広場を核とした祭場都市であった可能性については次回以降に詳述)

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日輪(太陽・スーリヤ)と車輪は重ね合された。Sun in the sky #1756971より

リグ・ヴェーダには多くの太陽神が登場するが、アーリア人の東征との関わりでは、曙光(朝焼け)の神ウシャスが注目される。

『繰り返したち返る光明は、暗黒より離れ、東方に現われたり~輝かしき天の娘ウシャスらは、人間に道を開かんことを

『ウシャスは常に輝きぬ、今またさらに輝かん、車両を躍動せしむる女神は』(辻直四郎訳)リグ・ヴェーダより

彼らにとっての民族的アイデンティティはラタ戦車であり、他民族に対する優位性の源であるスポーク式車輪は、その象徴であった。そして、怒涛のように戦場を駆け巡る戦車の威力、その回転する車輪のデザインと力強さが、天空を巡り輝く太陽のイメージと重なり合い、ここにラタ戦車で天空を駆け巡る太陽神のイメージが出来上がったのだろう。

そして、太陽の生まれいずる場所、力と豊かさの源である東天に対する憧れが、彼らをして更なる東征へと駆り立てていったのかも知れない。

ラタ戦車を駆ってカイバル峠を突破したアーリア人の軍団は、インド亜大陸においても先住民をあっという間に征服した。正に向かう所敵なしという自らの偉大なる武威を神の威光と重ね合わせて、彼らはリグ・ヴェーダにおいてさらなる神々の讃歌を歌い上げた。

ウシャス以外にも主神格のインドラをはじめ、太陽神ヴィシュヌ、アディティヤ、スーリヤなど実に多くの神々が、この讃歌の中でラタ戦車に乗って天空を駆け巡る姿で描かれている。

七頭の黄金の駒は、汝を車(ラタ)に乗せて運ぶ、スーリアよ、炎を髪となす汝を、遠く見はるかす神よ」

リグ・ヴェーダ、スーリアの歌、辻直四郎訳 

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太陽神スーリヤは7頭立てのラタ戦車に乗る

これら武威と神威を象徴する形こそが、木製スポーク式のチャクラ(車輪)だった事はすでに触れた。それと対置する形でインダス先住民の聖チャクラ文字が存在したのだが、この時点ではそれはまだ顕在化していない。

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コナーラクのスーリヤ(太陽神)寺院。その巨大な車輪は神威を表すシンボルだ

次に重要なのは、アーリア・ヴェーダの民にとってこのような歴史背景を持つ車輪という文明の利器が、その後の古代インドの社会生活の中でどのような意味を持っていったか、と言う視点だ。

アーリア人の聖なる車輪は、同時に世俗的日常生活において、文明社会の繁栄を象徴する重要なシンボルになっていった。これは特に、彼らがインドに定着し、社会経済が発展し、クシャトリアを中心にした都市文明が花開いていたシッダールタの時代には顕著だった事だろう。

ラタ戦車はやがて戦場の最前線からは後退し、紀元前4世紀頃には象部隊に、その後は騎兵などにとって代わられるが、それは常に、クシャトリアつまり戦士階級の武勇と王権の繁栄を象徴するシンボルであり続けた。

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ラタ馬車に乗って行幸するアショカ大王。サンチーのトラナより

一方、商工業者や農民にとって、輸送手段としての牛車は日常必需品であった。農村の道を、そして都市をつなぐ街道をこれらの車輪が行き来する姿は、正に社会経済の繁栄を象徴する風景だった(それは現代においても基本的に変わらない)。

躍動する車輪の姿は、古代インドの人々にとって、聖俗共にあらゆる階級において欠かせないものであり、文字通り生活の中心にあって常に回転しているものだったのだ。

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古代のものとほとんど変わらない車輪が、今もインドでは生きている。車輪は表に立って華々しく回転するが、車軸は静かに目立たない

最後に重要なのが、車輪についての構造的・機能的な理解だ。すでに指摘したように、紀元前2000年頃アーリア人によって創造されたというこの木製スポーク式車輪は、それまでの板を張り合わせて円盤状に作った鈍重な車輪とは根本的に違っていた。

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Construction of chariots begins for Puri Ratha Yatraより。ラタ・ジャットラ祭の山車の車輪を作る、現代の工巧神たち。精緻に加工され華々しく展開する車輪は単なる丸棒に過ぎない車軸とは対照的だ

それは、高度な加工技術と数学的な知性を前提に、ハブ、スポーク、リム(タイヤ)というパーツをそれぞれバラバラに作り上げ、それらを精緻に組み合わせることによってはじめてその姿を現す。

そこにおいてもっとも大切なのは、車輪が持つ真円の完成度と中心車軸の揺るぎなき中心性だ。車輪の真円性が歪んでいたり車軸の中心性がずれていたら、車輪の回転はボコボコに揺らぎ、その乗り心地は最悪になる。

リグ・ヴェーダには、この車輪の製造に関わるトゥヴァシュトリ(工巧神)に対する言及も多く見られる事から、彼らにとって車輪の完成度が重要な意味を持っていた事がうかがい知れる。

そしてこの真円性と中心性を正にその中心において支えるのが、一本の車軸に他ならない。それは車台の下に隠れ、そこに固定されてまったく動かず、車輪の華々しい動きと形に比べ、とてつもなく地味でシンプルな存在だ。

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車軸は一本のプレーンな丸棒(丸太)に過ぎない。Rath-Yatra-18 - Rath Yatra Live from puriより

しかし、この車軸がなければ、車輪は決してその働きを全うしない。車台を引く馬がいて、車台があり、車輪があったとしても、車軸がなければそれらは全く何の意味も持たないのだ。

一本の丸棒に過ぎない車軸こそが、車輪の中心にあってそれを回転せしめる主体である。この事実を、私たちは深く深く、理解すべきだろう。何故ならそれはインド思想の中心命題とも言える『ブラフマン』とも密接につながり、ひいては『仏道修行』とも深く関連してくるからだ。

ゴータマ・シッダールタをはじめ古代インド人は、車輪という機構における真円性や中心性の大切さ、そして車軸という一見目立たないパーツの重要性を深くわきまえていた。それは、車輪を実際に作る職人以外の一般人にとっても、文字通り一般常識だった。

何故なら、これらのバランスが崩れた車に乗れば、それは即座に乗り心地を損ない、積み荷や乗員に影響し、ひいては農商工者の経済活動に、そして戦士の戦いに直接ダメージを与えるからだ。

この点に関しては、古代エジプトにおいて、ナイル川を上下する帆船が人々にとっていかに重要な意味を持っていたかを想起すれば、理解できるだろう。

この帆船は、やがて太陽の船として、死後のファラオの魂を神々の国へと運ぶ大いなる神船として崇められるようになる。正に古代インドの人々にとって、ラタ戦車は太陽(神)の車駕であり、車輪(チャクラ)はそのシンボルだったのだ。

古代エジプトが太陽の王国なら、古代インドはさしずめ神聖チャクラ帝国だったと言っても言い過ぎではない。

この様な背景をリアルにイメージした上で、インドの思想について、私たちは思いを馳せなければならない。それをスルーしてしまえば、インド的な輪軸のアナロジーの真意を理解する事は決して出来ないし、ひいては、仏教そのものに対する理解も、表面的なものに終わってしまうだろう。

インド文明における、チャクラ(車輪&車軸)思想の重要性。それはおそらく、仏教に携わる学者や僧侶、そして様々なインド学領域の研究者たちの間でも、ほとんど認識されてはいない事実だ。

その状況を覆す。それが、ゴータマ・ブッダが生きた心象世界とその修行実践について理解を深める第一歩になる。そう私は考えている。

(本投稿は、脳と心とブッダの悟り: 神聖チャクラ帝国 と 脳と心とブッダの悟り: 最古の都市、チャクラ・シティの民 を加筆修正の上、移転したものです)

 

 

 

 

世界の車軸(支柱)としての『ブラフマン=至高神』

『あらゆるインド思想の核心には、車軸と車輪のアナロジーが潜在している』

そう言ってもたいていの人にはいまいちピンとこない事だろう。

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車軸と車輪の構造デザイン・機能は、インド思想の核心だ。Rath-Yatra-18 - Rath Yatra Live from puriより

インド武術の研究からインド思想へとシフトし始めた頃、私は「新幹線の車輪」なる写真を偶然ネット上で発見し、何か感じるものがあってパソコン上に保存した。 

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新幹線の車輪と車軸(筆者撮影)

それは上に掲載したように車輪が地面に対して垂直に立ち、車軸は地面に対して水平に伸びている姿で、新宿西口のとあるオフィスビルの玄関口に飾られているものだ。

それがある時、誤ってこの画像を90度回転させてしまった。その結果現れた姿が、下の車軸が垂直に立ち上がった、輪軸の構図だった。 

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90度回転させて車軸が直立した車輪

インド世界について、ある程度知っている人がこの写真を見れば、誰しもが思い出すだろう造形がある。それがシヴァ・リンガムと呼ばれるシヴァ神御神体だ。私も上の写真を見た瞬間にこれを思い出して、文字通り「アッ」と声にならない声を発していた。 

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シヴァ・リンガムは輪軸の顕われ

当時の私は、ある文脈の中で「何故マハトマ・ガンディはいつも杖を持っているのか?」というなんとも素朴な疑問を持っていた。彼の肖像は老年期のものが多く、その手に握られたトレードマーク的な棒は、普通に老人が歩行を助けるための杖だと考えられがちだが、実はもっと若い頃の肖像画にも、棒を持ったものが見られるのだ。 

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杖を手にして遊行するガンディー翁

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まだ壮年と言って良いガンディー。手にはやはり棒を持っている(サバルマティ・アシュラム)

その後の取材で、ガンディ翁の手にする棒が、ヒンドゥ教徒の男子にとって特別な意味を持つ聖杖ダンダである事が分かって来た。

曰く、インド人にとって、特に農村に住む清く正しいヒンドゥの男にとって、棒(杖)とは特別な意味を持つ存在だという。ガムチャやターバンなどの布か、トピーと呼ばれる帽子を頭にかぶり、クルタ・シャツを着てドーティを腰に巻き、チャッパルを足に履いて、そして手には棒を携える。これが由緒正しいインドの男たるべき正装らしい。彼は傍らの棒を誇らしげに掲げながら、「これは、ダンダなんだ。」と言った。

チャクラの国のエクササイズ:ガンディ翁と聖なるダンダを参照。

さらに、この敬虔なヒンドゥの男子が手にする聖杖ダンダの背後には、様々な心象が横たわっている事が分かってきた。

一方で、ダンダは神につながる行者の属性としても重要になっていった。ヒンドゥの修行者と言えば、オレンジやサフラン色のローブをまとったサドゥが有名だ。彼らが世俗の生活を捨て、グルジー(老師)の元で出家する時に与えられるのもまた、一本のダンダと、水を入れる金属製のポットだった。ヒンディ語では『ダンダをつかみ持つ』という意味の『ダンダ・グラハン・カルナー』という言葉が『出家』を意味するという。常にダンダを携えて遊行するサドゥの姿は、聖なるインド世界を象徴する原風景となった。

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ダンダを持つ出家のサドゥ

チャクラの国のエクササイズ: ガンディ翁と聖なるダンダより

だがその時は、このダンダが持つ本当の意味が理解できてはいなかった。その意味を発見する決定的なヒントになったのが、正にこのシヴァ・リンガムと重なり合う新幹線0型車両の輪軸、との出会いだったのだ。

シヴァ・リンガムは二つのパーツによって成り立っている。ひとつは男性最高神シヴァを、その男根で象徴したリンガと呼ばれる短い柱状のもので、もうひとつがシヴァの配偶神である女神シャクティを、ヨーニと呼ばれる女陰で象徴する円盤状の部分だ(実際はゴームカという排水溝がつくので印象は少し変わる)。 一般にシヴァ・リンガムは石を刻んで作られ、先に立てられたリンガに下から貫かれる形で、ヨーニが上にはめ込まれる。

そして、このリンガとヨーニが合体したシヴァ・リンガムが祀られる寺院の神室は、シャクティ女神の子宮を表し、寺院自体が、騎乗位で夫シヴァにまたがり交合するシャクティの身体を表している。

何故、騎乗位なのか? それはほとんど動かずに受動的にいるシヴァに対して、能動的に躍動するシャクティのダイナミズムを象徴している。そしてその背後には、ヒンドゥ・サーンキャ的な二元論が潜在していた。

サーンキャ哲学、それはヴェーダ六派哲学のひとつで、紀元前に実在した聖仙カピラを師祖とし、西暦200年頃に著された『サーンキャ・カーリカー』を聖典とする。ヨーガやアーユルヴェーダなどとも密接に関わり、現代にいたるヒンドゥ的人間観、世界観に最も重要な基盤を与えている思想だ。

それによれば、純粋精神であるプルシャはそれ自体静的であり、輪廻する物質的な現象界とは無縁だ。プルシャに対置する根本原質プラクリティこそが物質的現象界の展開力であり、プルシャの観照によって両者が結び付く事で世界は展開する。そしてプラクリティから展開した自我意識(日常的な心)が、純粋意識のプルシャへと目覚める事によって、人は解脱するという。

プルシャは同時にアートマン(真我)であり、私たちの世俗的な、それゆえ多くの執着や苦悩にまみれている心が、本来の純粋精神であるアートマンへと回帰することで、輪廻の束縛から解放され真の救済を得るのだ。

もちろんこの前提になるのが、車軸と車輪のアナロジーであるのは言うまでもない。ラタ戦車の車台に固定され、それ自体は動かない車軸はプルシャ(男性形)であり、そこに嵌められてダイナミックに転回(展開)・躍動する車輪はプラクリティ(女性形)を表している。だからこそ、現象世界は『輪廻』するのだ。

そしてこのプルシャとプラクリティの関係性を、そのまま発展させたのが、シヴァ・リンガムになる。だからこそ、シヴァは静的であり、シャクティはダイナミックに躍動するのだ。

シヴァ・リンガム。それはゴームカ(牛の口)という排水溝をつけた円盤状のヨーニ(女陰を表す)の上に、短い円柱状のリンガ(男根を表す)が屹立したもので、男性原理であるシヴァと女性原理である神妃パールヴァーティ(シャクティ)が合一している姿を象徴し、あまねくインド全土でシヴァ寺院のご神体として崇められているものだ。

だが、これまで聖なる車輪とはイコール、スポーク式車輪だと思い込んでいた私にとって、スポークのデザインを持たずしかもゴームカの存在によって印象を変えられたヨーニの姿は、完全に盲点となっていた。

ナタラージャの造形だけではなく、ど真ん中とも言えるシヴァ・リンガムそのものが車輪の現れだったのか?私の頭は一瞬の衝撃と混乱から立ち直りながら急速に回転し始めていた。

私は今まで、車輪と車軸を分けて考える視点を、実は持ち合わせていなかった。平面的な造形デザインとしてそれを見た場合、大柄で見栄えのする車輪に比べ中央の車軸はほとんど目立たないからだ。

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中央に法輪を掲げたインド国旗

例えば上のインド国旗に描かれた法輪を見た場合でも、はたして中心にあるドットが車軸なのか、それとも車輪の中心にあって車軸を通すハブなのか、はっきりしない。

またインドの田舎で今でも現役で活躍している昔ながらの牛車などを見ても、車軸は荷台や車輪に隠れてほとんどその姿を見る事が出来ない。

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車軸の存在感は極めて希薄だ

そんな訳で私にとって車軸の存在は完全な盲点になっていた。だがそんな目立たない車軸のイメージが立体的なリンガと重ね合わさった瞬間、それはとてつもない存在感を放ち始めたのだった。

チャクラ思想の核心:車輪の中心にあって、それを転回せしめる車軸 より

そしてこの『車軸の発見』が、ガンディ翁の持つダンダについての、核心に迫る発見をもたらす事になる。

車輪の中心にあってそれを回転せしめるもの。この時の私にとって、シヴァ・リンガムが車輪の造形かも知れないという発見以上に、『車軸』そのものの発見の方がより大きな意味を持っていた。

考えてみれば、私はすでにチャクラ・デザインについて第三章でこう語っている。

『中心から放射状に展開するデザインは、根源である神(原初には太陽)から世界のすべてが展開する摂理を表していた。それが瞑想時には放射状のデザインを逆にたどって、日常に拡散する人間の心を中心である神へと集中させていく』と。

この時点では車軸がそこにあるなどとは露ほども気づいていなかったが、その存在に気づいてみれば、車輪の表象において、その中心にある車軸こそが神を表すのはごく自然な話だった。

そしてさらなる衝撃は続く。

シンプルな丸棒である車軸、という言葉に微妙な違和感を覚えて何回か復誦していた私は、ハタと気付いたのだ。この車軸を、車台から外して手に持てば、それはすなわち、

『聖杖ダンダ』に他ならないではないか!

車軸である一本の丸棒は、同時にダンダでもある。これがとどめの一撃だった。これこそが、チャクラ思想の真の『核心』ではないのか。

チャクラの国のエクササイズ: 車輪の中心にあって、それを転回せしめる車軸 より

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聖杖ダンダを右手に、聖チャクラ(車輪)を左手に持つヴィシュヌ神。ダンダは世界の支柱(車軸)であるヴィシュヌ自身を表している(ヴィシュヌ派においては彼こそがブラフマンである)

実は、聖なる唯一絶対者=至高神を車軸と見立て、現象世界を車輪と見立てる思想は、シッダールタが生まれる遥か以前からインド世界に普遍的に浸透していた。もちろんその背後には、アーリア人が駆使したラタ戦車の車輪がある。

インド・アーリア人によって編纂されたリグ・ヴェーダには、以下のような世界観の表明が確認できる。

アーリヤ人は、知識程度が高まると共に、宇宙はどのようにして創造されたか、という問題に思いを馳せるにいたった。 

宇宙創造に関する当時の見解は、きわめて大まかに分けるならば、だいたい二種に区分することができる。ひとつは宇宙創造を出生になぞらえるもの、他は建造に比較するものである。 

前者の例としては神々のあいだに親子関係を認め、能生所生の関係を構成していると考え、また天地自然が種々なる神々から生み出された事を説いている。創造は自分の〈生む〉はたらきとしてしばしば言及されていて、根源としての質量からの生産と発展とに言及している。 

後者の例としては、神々が天・空・地を測量してその広さを増し、天地を支柱によって強固安定させたという事が、しばしば称賛されている。 

後者は宇宙創造の動力因を質量から切り離しているのに対し、前者はその二つを同一の原理に帰している。 

(以上、中村元選集:「ヴェーダの思想」P397~398より抜粋引用)

『宇宙の形に関しても明確な描写は存しない。ただ一回、これを重ね合わせた二個の鉢に譬え、また車軸によって車輪を支えるようにインドラは天地を引き離した(RV.Ⅹ,89,4)ともいわれている点から見ると、地表を円形と考えていたらしい。天地は併称されることが多く、「二個の半分」と考えられているが、そのあいだの距離についてはなにも記されていない。(同P451)』

ここには極めて重要な事実が含まれている。 

インドラというのは、当時インド・アーリア人にとっては最高神格に近い存在で、リグ・ヴェーダの讃歌の内およそ四分の一が彼に捧げられたものだった。 

そのインドラが「あたかも車軸の様に、天地を二つの車輪の様に引き離し支えた」、というのは一体どういう事だろうか。 

一般にインド・アーリア人の祖先は中央アジアから南ロシアにかけての大平原地帯に発祥し、その文化思想を育んだと言う。大平原であるからこそラタ車の車輪が移動や戦争において著しい優位性を持っていた訳だ(逆に言うと急峻な山岳地帯では車は発達しない)。 

このような大平原地帯では、この世界は第一感どのように把握されうるだろうか。目地の届く限り遮るもののない大平原の真ん中に立って世界を360度俯瞰したならば、それは湾曲する地平線を外縁とする円輪として把握されたのではないだろうか。 

そしてその円盤状の大地の上に広がる天(この場合は太陽や月、星が運行する場であり、同時に神々が住む)もまた、同じように円盤状(もしくはドーム状)に把握されたのだろう。

やがてこの上下二つの円盤状の大地と天は、彼らにとって最も身近な車輪という存在と重ね合された。 


North Celestial Pole Star Rotation 天の星辰は北極星を中心に車輪の様に回転する

しかし天はなぜ大地から分かたれて落ちてこないのだろうか。そんな思いが彼らの脳裏をかすめた時、車輪とのアナロジーも重なり合って『二つの車輪を分かち支えるものとして偉大なる車軸がなければならない』という発想が生まれたと考えられる。 

一般にインド・アーリア人にとって最も重要だったラタ戦車は私たちに身近な四輪車ではなく、一本の車軸によって左右二つに分かたれた二輪車になっている。 

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本ブログではおなじみのエジプトの古代戦車。インド・アーリア人のラタ戦車にもっとも近い原像。 

このラタ車の輪軸の構造がそのまま直立されて、天地上下の二輪になった。これが『二個の半分』という事なのだろう。そして、何か神的な車軸である超越者によって、この上下二輪である天と地が分かたれつながれ、そして支えられた。これがラタ戦車の民である彼らの、素朴な直観だったと考えられる。 

当然車軸を立てれば、それはもはや柱と呼ぶべきだろう。しかもそれは、この広大なる天と地を分かち支える柱だから、これも人知を超えた巨大な柱になる。 

この神的な大支柱については、すぐ次のページにある『天地讃歌』に以下の様に記述されている。 

『活動的な神々のうちでももっとも活動的なこの神は、万物に幸を恵む天地両界を生みなした。その彼はよき賢慮によって、不朽の支柱をもって両界を測り分かったのであるが、彼こそ広くたたえられた。(同選集P452、RV.Ⅰ、160、4)』 

ここで中村博士は、「この神」を太陽神だと考えているようだ。原語を見ると「不朽の支柱」は『スカンバSkambha』になっている。車軸なる、世界の柱なる神は、その時々の文脈で様々な神に比定されたのだろう。

インド思想の根幹に位置する、最も古層のリグ・ヴェーダにおいて、輪軸のコスモロジーが発見できたことは、本ブログにおける論述の妥当性を評価するうえで極めて重要な意味を持っている。 

リグ・ヴェーダは全十巻1028讃歌によって成り立ち、その文章量は膨大なものになる。私の手元には辻直四郎訳の岩波文庫版とセイクレッド・テキストの英訳ウエブ版しかないのだが、その英語版で確かめた所、「車軸が車輪を分かち支えるように、インドラが天地を分かち支えた」という、その「車軸と車輪」の原語はサンスクリット原文に確認できたので、ここに天地世界と輪軸を重ね見る思想が『実在』したことは、もはや間違いないだろう。 

yo akṣeṇeva cakriyā śacībhirviṣvak tastambhapṛthivīmuta dyām

Who to his car on both its sides securely hath fixed the earth and heaven as with an axle.

Rig Veda Index より引用

 akṣeとaxleが車軸であり、 cakriyā が車輪(多分複数)だが、英語版ではwheelという訳語は使わずcar on both its sides になっている。 

そして、車軸と車輪という言葉こそ使っていないが、神と人が分かたれ住まう『天地』とは、リグ・ヴェーダ全体に普遍するメインテーマであり、神々が『天地を分かち支える』という表現は讃歌の多くに共有されている。 

前後の文脈も踏まえたうえで、それらの根底にはおそらく全て、この車軸なる神によって天地の両輪が分かたれ支えられたという思想が、遍在していたと考えて間違いないと私は判断している。 

ヴァルナの歌、RV,Ⅶ、86,1, 辻直四郎訳より、

『この(神)の偉大によりて生類は賢明なり。彼は広大なる天地を分け隔てたり。彼は蒼穹を遥かに推しかかげ~』

この蒼穹とはあおぞらとルビが振ってあり天蓋だと考えれば、あたかも巨大な傘をその柄をもって(立てて)かかげるイメージではないだろうか。 

このように天地両界が車の両輪に譬えられ、超越者がその車軸なる柱として位置づけられた事は、その後のアタルヴァ・ヴェーダの中にも明らかに表れている。 

『とくに汎神論的な思想を表明したものとしてスカンバ(skambha)讃歌(AV, Ⅹ,7,8)は注目される。従前に世界原理として説かれた諸原理は実はこのスカンバの別名にほかならないとして、諸原理をこのなかに包括しようとしている。スカンバとは宇宙の大支柱である。

ひとつの讃歌(AV,Ⅹ,7)によると、スカンバはブラフマンと同一視されているようである。すなわち、天、空界、太陽、月、火、風、方角、大地は最高ブラフマンの身体なのである。

「過去と未来、ありとあらゆるものを支配し、天空を一人所有するところのブラフマンに敬礼する」

ここでは最高のブラフマンなるものが考えられているが、それはまたすべてを支配するのであるから、一種の人格的原理とも考えられている。』

中村元選集P476以降から引用(一部省略)。 

「至高なるブラフマン、その足元は地を、その腹は空を、その頭は天を支え~、このスカンバは広き六方の世界を生み出し、宇宙の全てに浸透する。」

「偉大なる神的顕現(スカンバ)は万有の中央にありて、~ありとあらゆる神々は、その中に依止す、あたかも枝梢が幹を取り巻きて相寄るがごとく」(アタルヴァ・ヴェーダ:辻直四郎訳)

このアタルヴァ・ヴェーダのスカンバは、明らかに先のリグ・ヴェーダ『天地讃歌』におけるスカンバをそのまま受けたものだろう。これはインド思想が多神教的な神々の世界から唯一至高者へと収斂されていくプロセスを表しており、日本語ではしばしば『万有の支柱』と訳される。 

それは最も優れた支柱であり、それは最高の支柱である。この支柱を知るとき、人はブラフマンの世界において栄光を享受する。

カタ・ウパニシャッド 第二章の17(岩本裕:原典訳ウパニシャッドより)

ここで注目すべきは、世界の中心原理である唯一なるブラフマンが、偉大なる柱であると同時に『人格的(人間的)』なものである、という点だ。 

実はこのような「天地を支える万有の支柱としての絶対者ブラフマン」あるいは「ブラフマンの身体としての天地」というイメージは、現代に至るジャイナ教の思想の中に引き継がれて保存されている。

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ジャイナ教の世界観「コスミック・マン(Loka Purusha)」より。

明らかにこれは「人(神)柱」である

そこには大宇宙の根本原理であるブラフマンを万有の支柱(車軸)スカンバに見立て、現象する大宇宙(この世界)を車輪(ブラフマ・チャクラ)に見立てる思想が存在する。

少し後になって現れるシュヴェタシュヴァタラ・ウパニシャッドの中には、より鮮明な形で車軸であるブラフマンと車輪である現象世界、すなわち真実在たるブラフマンと幻影虚妄としてのプラクリティの関係性が言及され、優れた瞑想によってリシ(修行者)は真実在であるブラフマンとひとつになれる事が説かれている。

Chapter III

4 He, the omniscient Rudra, the creator of the gods and the of their powers, the support of the universe, He who, in the beginning, gave birth to Hiranyagarbha−may He endow us with clear intellect!

彼は全知なるルドラ、神々の創造者、その力を与える者、万有の支柱。彼は始原においてヒラニヤガルバを産みなした者。願わくば彼が我らに明晰な智の力を与えんことを!

 

9 The whole universe is filled by the Purusha, to whom there is nothing superior, from whom there is nothing different, than whom there is nothing either smaller or greater; who stands alone, motionless as a tree, established in His own glory.

全宇宙はプルシャ(ブラフマン)によって満たされる。彼を超える者はなく、彼と異なるものも、彼よりも大きなものも小さなものも存在せず。彼はひとり立ち、大樹の幹の如く不動であり、自身の栄光によって確立する。

 

Chapter VI

1 Some learned men speak of the inherent nature of things and some speak of time, as the cause of the universe. They all, indeed, are deluded. It is the greatness of the self−luminous Lord that causes the Wheel of Brahman to revolve.

学びを深めたある者たちは、事象に固有の性質や時間が世界の原因だと言うかも知れない。しかしそれらはもちろん幻想に過ぎない。自ずから光輝なる偉大な主(至高者=ブラフマン)こそが、正にブラフマンの車輪(大宇宙・世界)が回転する原因に他ならない。

Svetasvatara Upanishad by Swami Nikhilananda より抜粋引用(日本語訳筆者)。

このように見てくると、ガンディ翁が若かりし頃からその手に握っていたダンダと言う聖棒は、世界の車軸であり万有の支柱である至高者(彼の場合はヴィシュヌ)を象徴し、シヴァ派の場合はそれがシヴァ・リンガムと言う造形になって現れたのだ、と理解する事が出来るだろう。

そして同時に、このような外的世界(マクロ・コスモス)に対する心象が、内的身体世界(ミクロ・コスモス)と重ねあわされていた事を忘れてはならない。

この場合、人体における背骨が車軸なるダンダであり、頭蓋骨が天の車輪を、骨盤が大地の車輪を表すことになる。

『世界は身体であり、身体は世界である』

これはあらゆるインド教に通底する世界観なので覚えておくべきだろう。

アタルヴァ・ヴェーダとシュヴェタシュヴァタラ・ウパニシャッド、そしてサーンキャ哲学の時代考証については、ブッダ在世の以前であるか以後であるか様々な見解に分かれているが、少なくともこの輪軸世界観の基本的な枠組みに関しては、すでにブッダ在世の当時には十分に普及しており、シッダールタ自身もこの様な背景心象の中に生まれ、生き、そして死んでいったのは間違いないと思われる。

「不動なる車軸(世界の支柱)をプルシャ=アートマンブラフマンと重ね合わせ、躍動する車輪を輪廻する現象世界プラクリティ=人間的(身体的)生存 =『心』と重ね合わせる基本的な思考の枠組み」

「更に、その様な車輪と車軸の基本構造が、人間の身体の内部にも存在すると考える、マクロ・コスモスとミクロコスモスが照応する世界観」

このマインド・セットが仏道修行だけではなく汎インド教的な思想と『行法』の背後に通底するひとつの重要な柱だった。これが本ブログの論考を進める上でのキー・コンセプトに他ならない。

(本記事は、脳と心とブッダの悟り: 車軸としてのブラフマン および リグ・ヴェーダに見る、輪軸世界観の起源 - 脳と心とブッダの悟り などを加筆修正したものです)