仏道修行のゼロポイント

ゴータマ・ブッダの原像とヒンドゥ・ヨーガ

スカとドゥッカの原風景

スカとドゥッカの原風景

私はこれまで様々な事例を挙げて、古代インドにおいていかにチャクラ(車輪)と言うものが重要な意味を持っていたかについて語ってきた。

そのチャクラ思想の起源は、インド・アーリア人の祖である、スポーク式車輪を世界で最初に開発した人々の思想・文化にまで遡り、その痕跡はアルカイムなどシンタシュタ文化の遺跡にも明確に残っていた。 

f:id:Parashraama:20160916171400j:plain

紀元前1600年頃~アルカイムのチャクラ・シティ再現図。中心車軸は祭場か

今回紹介するのは、そんなチャクラ(車輪)の民であるインド・アーリア人の面目躍如とも言える事実であり、同時に、車輪と言うものが古代インドの思想においていかに決定的な意味を持っていたかを証明するものと言えるだろう。

仏教について興味があり、特に原始仏教あるいはテーラワーダ仏教やそのパーリ経典について少しでも勉強したことのある人なら、常識として知っているだろう重要な言葉がある。

それはスカ(Sukha)とドゥッカ(Dukkha)というパーリ語の単語だ。これはサンスクリット語だと若干綴りや発音が違ってくるが、ここでは煩雑になるので双方共にスカとドゥッカで統一したい。

ドゥッカは苦を意味する。それは生老病死苦の苦であり、四聖諦の苦でもあり、四苦八苦の苦であり、輪廻する生存の苦でもある。それはあらゆる意味で仏教の根底にあるキー・コンセプトであり、ブッダの教えとは、正にいかにしてこのドゥッカから解放されるか、という事に尽きるだろう。

スカはドゥッカの反対語で幸福や安楽を意味する。スッタニパータのメッタ・スッタ(慈経)にある、「一切の生きとし生けるものよ、幸福であれ、安泰であれ、安楽であれ」などの幸福、安楽がそれであるし、「ものごとを知って実践しつつ真理を了解した人は安楽を得る」の安楽がそれである。

同じスッタニパータには、
「他の人々が『安楽(スカ)』であると称するものを、諸々の聖者は『苦悩(ドゥッカ)』であると言う。他の人々が『苦悩』であると称するものを、諸々の聖者は『安楽』であると知る。」(以上中村元訳)
という表現もある。

このスカと言う言葉は、後の大乗的文脈においては極楽(スカ・ヴァーティ)を意味するようになる。

そして実は、このスカとドゥッカと言う言葉は、語源的に見るとラタ車の車輪と密接に関わっていた。

モニエル・ウィリアムス(Monier-Williams,1819–1899)のサンスクリット語辞典によれば、スカの本来の語感は「良い軸穴を持つ(車輪)」に起源する。構造的には、Suが良い、完全な、を意味し、Khaが穴、あるいは空いたスペースを意味する。

f:id:Parashraama:20160929180032j:plain

モニエル・ウィリアムスのサンスクリット語辞典 Sukha:Having a good axle-hole

この事実にパーリ語辞典などの内容を合わせて解説すると、

「良く完全に作られた軸穴を持った車輪と言う原義が、そのような車輪のスムースかつ円満な回転を含意し、更にそのようなスムースに回転する車輪を付けたラタ車の乗り心地の良さ、その安楽さ、心地よさを意味するようになり、更にそれが安楽や幸福、そして満足を意味する一般名詞へと転じていった」

という事の様だ。

ドゥッカの場合はこの反対語で、Duhは悪しく、不完全な、という意味を持つ。

これもまた、悪しく不完全に作られた軸穴を持った車輪、と言う原義から派生して、その様な車輪のガタガタとした不具合、不完全な回転、更にその不完全な車輪を付けたラタ車の不快な、心地の悪い、苦痛に満ちた不満足な乗り心地を意味するようになり、それが転じて、苦や苦痛、そして不満足からくる苦悩を表す一般名詞へと転じていったと考えられる。

このモニエル・ウィリアムスというインド生まれのイギリス人は、オックスフォード大学の教授でサンスクリット学の泰斗であり、彼の辞書は現在に至るまでもっとも普及していると言う。おそらくて現行のほとんど全ての辞書は彼の知見の影響を大きく受けていると考えられる。現代最先端のサンスクリット学がどのような認識を持つのかは分からないが、そのソースとしての信頼性は極めて高いと言えるだろう。

以前にも書いた事だが、ラタ車が履いたスポーク式車輪と言うものは、リムとスポークとハブというパーツをそれぞれ別々に加工して、それらを精緻に組み合わせて作り上げる。

f:id:Parashraama:20160907181004j:plain

現在進行形で使われている進化した木製車輪。これは貨物の牛車用。ハブ枠と軸穴、そしてタイヤには鉄が使用されている。車軸も鉄

f:id:Parashraama:20160929180714j:plain

仕上げのペイントを施す職人。6分割されたリムに2本ずつ計12本のスポークが配されている

そこにおいて最も重要なのは、外縁リム(タイヤ)の真円性と軸穴の中心性だ。それを実現するためには数学的物理学的な知性と、精巧な加工組み立てを可能にする高度な技術が求められるだろう。

もうひとつ重要なのが、軸穴と車軸が組み合わされる、その適合状態だ。まず両者の形がどちらも真円に近く、しっくりと合わなければいけない。しかしぴったりと隙間なくフィットしすぎたら摩擦が強すぎるし、逆に隙間がありすぎたら振動の原因になる(この隙間にはグリースが塗られる)。

これらのバランスが最高レベルで達成される絶妙な調整具合というものが、職人技として追及された事だろう。

(古代における車輪のパーツがどこまで木でどこまで金属だったか、今のところ残念ながらデータがない)

そのような優れた職人によって、良く完全に組み立てられた車輪の乗り心地の良さがスカであり、劣った職人によって作られた、あるいは経年劣化や事故によって悪しく不完全になった車輪の、その乗り心地の悪さがドゥッカの原風景だったのだ。

この新たな知見によって、私たちは二つの事実を明確に認識する事ができる。

ひとつは、私がこれまでくどいほど繰り返してきた、

「古代インド人の日常的な心象風景の中で、如何にラタ車とその車輪というものが重要な存在であったか」

という点が、かなりの程度裏付けられた事だ。

もうひとつは、スカとドゥッカ、中でもドゥッカという、仏教的な文脈の中で最も重要な意味を持つ概念が、正にこの回転する車輪という事物と、密接に関わっていたと言う事実だ。

スカとドゥッカという概念は、ラタ車と深く深く関わりを持ったアーリア人の生活の中から、なかんずくその車輪の回転の中から、生まれ出たのだった。

もちろん、この様なニュアンスを、ゴータマ・シッダールタはおそらく一般常識として知っていたのだろう。彼がドゥッカと言うとき、その背後には、悪しく不完全に作られた車輪のガタガタとした不快な回転、というイメージが明確に存在していた可能性が極めて高い。

そしてこれは仏教だけにはとどまらない。この『ドゥッカ=苦』という概念とそこからの解放というパラダイムは、すべてのインド思想において普遍的に共有されているからだ。それは何よりも、苦である輪廻からの解脱、という言葉によって表されるだろう。

あらゆるインド思想は、正に回転する車輪の中から生みだされた。そう言ったら、言い過ぎだろうか。

この、苦である輪廻からの解脱、その発端である『苦(ドゥッカ)』の認識が、車輪という存在と密接に関わり合うと言う事実は、これまで本ブログで展開してきた様々な輪軸のアナロジー仮説に対しても、強力な支援材料となる。

「ドゥッカ=悪しく不完全に作られた車輪」

という認識が、仏教をはじめとしたインド思想を理解するうえで、そしてそこにおける輪軸のアナロジーを理解する上で、如何に有効なツールになるか、これから追々と明らかになっていくはずだ。 

ブッダの時代と私たちの現在

仏教だけではなく、あらゆるインド教に普遍的な『苦なる輪廻からの解脱』というパラダイム。このパラダイムにおいて、そもそものスタート地点である、生存は苦であると言う『ドゥッカ(苦)』の自覚。

このインド思想において最も重要なドゥッカという概念、その語感の根幹には車輪という事物が深く関わっていた。

同時にこの苦なる『輪廻』という概念もまた、車輪という事物と深く関わっている事は、その語意によく現れているだろう。

輪廻の原語であるサンサーラとは、語義的には途切れる事のない流れを意味する様だが、すでにそこには循環というニュアンスが否応もなく含まれている。

それが一方から他方への直線的な流れならば、いつかは終わるだろう。しかしそれが終わりと始まりが連接しているループであるならば、それは無限循環を繰り返す。あたかも終わりなき車輪の回転の様に。

輪廻思想のごく初期段階において、輪廻のループと車輪の回転はサンサーラ・チャクラとして重ね合されていたのだろう。そこには無限に回転し続ける苦なる輪廻の車輪という共通認識があった。

先の考察も重ね合わせて言えば、

「ドゥッカ=悪しく不完全に作られた車輪」が永遠に回転し続ける事こそが、逃れる事の出来ない『存在苦』である。

という事になる。正に永劫苦の輪廻だ。

そこから生まれたのが、前回も紹介したチベット仏教に伝わる‘BHAVA CHAKRA’すなわち、生存の車輪=六道輪廻図だ。

f:id:Parashraama:20160925174253j:plain

チベット仏教に伝わる六道輪廻図

そこには悪魔に抱えられた巨大な車輪がスポークによって6分割され、上の半分に天界、人間界、阿修羅界が、下の半分に畜生界、餓鬼界、地獄界が描かれている。

ここに露わになる思想とは、正に現象界という輪廻の車輪が回転する事によって苦がもたらされると言う事であり、この輪廻の車輪とは、そもそもの初めからこのように『不完全に悪しく作られている』という冷徹なまでの認識に他ならない。

しかし、インド思想の原風景であるリグ・ヴェーダにおいて、そもそも回転する車輪とは、侵略するアーリア人に対して富をもたらすスカ(喜び、幸福)の車輪であったはずだ。それが何故、ドゥッカ(苦)である輪廻の車輪という、対照的なネガティヴィティの象徴にまで落ちてしまったのだろうか。

そしてもうひとつ、前回も指摘したように、この六道輪廻図を生み出した仏教思想のそもそもの原風景において、彼らは聖なる法の車輪=ダルマ・チャクラというシンボリズムを生み出している。

何故同じ仏教という文脈の中で、同じ車輪という事物が聖と俗、楽(解脱)と苦(迷い)という対立する両極を同時に表しうるのだろうか。

キリスト教において、神=キリストの救済や天国を象徴する十字架が、同時に悪魔の俗悪性や地獄を象徴するなどという事がありうるだろうか。イスラム教において、神の救済や天国を象徴するコーランが、同時に悪魔や地獄を象徴するなどという事がありうるだろうか。

仏教における車輪が、聖と俗を、楽と苦を、同時に象徴しうるというこの事実は、一体何を意味するのだろうか。

私は、このネガティヴィティを象徴する苦の車輪というイメージの創造において、アーリア人に征服されたインド先住民の思想が大きく関わっていたと考えている。

物事というのは常に相対的に考えなければならない。一枚のコインには表があると同時に裏もある。インド・アーリア人がカイバル峠を越えて亜大陸に侵入し、ダーサの民を殺戮し、征服しその富を略奪し、勝利する自らの姿をインドラ神に仮託して称賛していた正にその時、侵略され殺戮され征服され略奪されたダーサの原住民は何を思っていた事だろう。

インド・アーリア人にとって武威と神威を象徴するスカ(幸福)の車輪だったその同じ車輪は、ダーサの先住民にとっては正に恐怖と絶望と悲しみと苦悩を象徴するドゥッカの車輪ではなかっただろうか。

以前私は、アーリア人の侵入以降のインドの歴史を、西欧人による大航海時代以降の世界史と重ね合わせて見るという視点を提示した。

コロンブスによって発見された新大陸アメリカは、その後スペイン王国に巨万の富をもたらした。インカやマヤの財宝はことごとくヨーロッパ大陸に持ち去られ、新規開拓された金銀山からは、更なる富が収奪され、ヨーロッパ世界を富み肥やしていった。正にスペイン無敵艦隊、黄金時代の到来だった。

しかし、そこにおいてスペイン人にインディオと名付けられた先住民達は、同じ時同じ場を共有しながら、対極的な別世界を経験していた。それは侵略され殺戮され略奪され奴隷化され、差別され収奪され続ける暗黒時代の始まりだったのだ。

同じ事が、紀元前1500年以降のインド史においても当てはまるだろう。ダーサという名に象徴される先住民にとって、アーリア人の定住と拡散は、正に恐怖の暗黒時代の始まりだったのだ。アーリア人が誇らしげに駆り立てるラタ戦車の車輪は、先住民にとってはドゥッカ(苦悩)の車輪以外何ものでもなかっただろう。

やがて勝者アーリア人は、自らの欲望を最大限に実現するためにヴァルナの氏姓カースト制度を確立し、先住民たちは最下層のシュードラとして隷従を強いられるようになった。

シュードラの眼には、支配者であるバラモンが祀る神々はどのように映っただろうか。支配者である王族が享受する豪奢な生活はどのように映っただろうか。

一般にアーリア人のインド侵入と一言で片づけられているが、その背後にはおびただしい血と汗と涙と、凄まじいまでの社会変動が伴っていた。勝者と敗者という対置を基軸とした経験の両極性というものが、その後のインド世界に長く尾を引いた事だろう。

そこで常に脚光を浴び続けたのは、勝者の視点だった。それはアメリカという国の歴史が常に勝者である西欧移民の視点から語られ、アメリカン・ドリームという言葉で象徴されるのと同じ原理なのだ。

白人たちの夢を乗せた新世界アメリカ。その背後に黒人奴隷と先住民インディアンたちのおびただしい血と汗と涙が流された事実に目を向ける者は少ない。

f:id:Parashraama:20160929182334j:plain 

首枷をはめられ市場へと売りに出される黒人奴隷

kunta.nomaki.jp

しかしコロンブスによる新大陸アメリカの発見から500年が過ぎた今、世界情勢はどうなっているだろうか。インカやマヤを攻め滅ぼして無敵艦隊を誇ったスペインは、今やユーロのお荷物と言われるまでに没落した。

アメリカへと移民を輩出し、奴隷売買を基軸とした三角貿易によって七つの海の覇者に成り上がったイギリスもまた、ほとんど全ての植民地を失い、英国病とまで言われるほどに落ちぶれ、陽の沈まない帝国と称賛されたかつての栄光を思い起こさせるものは、大英博物館くらいだろう。

最近ではユーロ離脱やスコットランドの分離独立騒動など、欧州の問題児ぶりを十全に発揮してくれている。

そしてアメリカもまた、かつてのWASPの帝国も今は昔、黒人奴隷は解放され、その後は公民権を得て、今や大統領は黒人とのハーフになった。ビジネス、科学、国家官僚など諸分野において、非ワスプが要職を占める割合は急増し、インターレーシャル・マリッジと呼ばれる異人種婚が急増しているとも言う。

そんな中、貧困に追いやられたWASPの中間層が、雪崩を打って過去の栄光を取り戻そうと足掻いているのが、現在進行形の大統領選挙におけるトランプ氏の大躍進や、繰り返される白人警官による黒人の射殺事件に他ならない。

反対に、奴隷の子孫であるアメリカ黒人の文化は、今やヒップホップなどの形で世界中の若者文化を席巻している。あの強靭な生命力に裏付けられたクールさは、『格好がいい』という事の代名詞にすらなって、世界中で憧憬され模倣されているのだ。

f:id:Parashraama:20160929183200p:plain 

Flexin2アルバム・カバーより。今や時代はBlack is GREAT ! yo, yo, man !

一方で、かつて白人によって駆逐されたアメリカ先住民の文化思想は、反戦意識や地球環境問題の顕在化によって新たに持続可能な共生の思想としてクローズアップされ始めている。

同じように、大英帝国によって徹底的に収奪されたインドはマハトマ・ガンディという思想界の巨星を生み出し、その生きざまは反アパルトヘイトマンデラ師や公民権運動のキング牧師に多大なる影響を与え、世界の人権意識を大いに高めた。

国際関係に目を転ずれば、世界の警察・ユニラテラル主義のアメリカによって先導されたグローバリズムは翳りを見せ始め、今や次期超大国候補は、かつて西欧によって発見され収奪された国々、すなわちインドや中国やブラジルなどが主流を占めるようになった。

同じような社会変動が、多かれ少なかれ古代インドにおいても起こったのではないかと私は考えている。つまり侵略した勝者であったアーリア人の衰退と、混血や先住民文化の急速な台頭だ。

ブッダの時代、アーリアの純潔を標榜するデリー周辺のバラモン文化圏は衰退の兆しを見せ、先住民や混血文化を中心にしたガンジス川中下流域の都市文化圏は著しい興隆を見せ始めていた。

そこにおいてアーリア・バラモン主導のヴェーダ祭祀は批判の矢面にさらされ、残酷な動物供儀を伴った形骸化した祈祷から人心は離れ、新たにサマナと呼ばれる求道的真理の探究者たちが人々の熱い期待と支持を集めていた。

アーリア人が無邪気に神に祈り貪った現世利益は、その宗教における至上性を、現世を超えた魂の完全なる救済、すなわち解脱へと奪われていった。

その背後には、この世界で誰かがスカ(幸福、富、栄光)を貪れば、その裏では必ず誰かがドゥッカ(苦悩、貧困、絶望)を強いられる、という先住民の魂からの叫びがなかっただろうか。

アーリア人がインドに侵入したのが紀元前1500年頃と考えて、ブッダの時代はそのおよそ1000年後にあたる。変化のスピードを考慮してこの1000年を近現代世界史の500年と重ね合わせたなら、ブッダの時代とはまさしく私たちにとっての『現在』であり、私たちの現在とは正にブッダの時代に相当しないだろうか。

この様な視点を作業仮説として採用する事によって、ブッダの生きた時代の息吹というものが、ありありとリアルに再構成されるのではないかと私は思う。それは同時に、私たちの現在が、今後どのような歴史展開を見せるだろうかという『先見』においても、重要な示唆を与えてくれるだろう。

(もちろん全てがまったく同じなどという事ではない。しかし人の心や社会がどのように移ろいゆくのかという原理の普遍において、二つの時代と歴史を重ね合わせるメリットは少なからずある)

それが、私がこの様なブログを書くに至った、ひとつの本質的な動機となっている。

やがて西暦紀元前後を境にアーリア・ヴェーダの最高神インドラはその威光を失い、先住民に由来するシヴァ・ルドラやクリシュナ・ヴィシュヌがブッダと並ぶ『至高者』として表舞台に顕在化していく。

その時、シヴァやヴィシュヌは、かつてインドラが『車軸の様に天地両界を分かち支えた』という原イメージを完全に簒奪した『万有の支柱スカンバ』として、これもアーリア・ヴェーダウパニシャッド)に由来する『絶対者ブラフマン』という概念をも併せ持った至高神へと昇り詰めるのだった。

実はこのような先住民系による支配者アーリア人に対するカウンター運動、歴史的に見てその口火を切った者こそが、ゴータマ・ブッダに他ならないと私は考えている。

彼がアーリア系であったのか、あるいは先住民系であったのかは論議の分かれるところだが、雲南省からアッサム、そしてネパールにかけての山岳丘陵部から南下してきた、水田稲作農耕を営むモンゴロイド系の先住民だと考えるのが、様々なデータから見て一番妥当だろう(あるいは先住モンゴロイドとアーリア人の混血)。

彼自身がアーリア系であるか先住民系であるかはともかく、彼の思想が紛れもなく反バラモン・親先住民の側に立っていた事だけは間違いない。

それはヴェーダを奉ずるアーリア人のバラモン教、その祭式万能主義に対する澎湃たるアンチテーゼとして台頭したサマナ・ムーブメントにおいて彼が出家し成道したという史実をはじめ、パーリ経典などの文言によっても十分に裏付けられるものだ。

アーリア・ヴェーダの文化に圧倒的に支配されている中で、その精髄ともいえるバラモン教祭祀に対して徹底的にNOを突き付けたブッダの立ち位置。

この特殊古代インド的な輻輳した社会状況を理解することによって、ブッダの言葉の『真意』が浮かび上がってくる。そのように私は感じている。

今回前半で紹介した、「スカとドゥッカという言葉が、車輪やその『軸穴』と深い関わりを持っている」という事実は、より深いレベルで仏教における『輪廻観』や更には『瞑想実践』とも直接的につながりを持っている。

次回以降はその輪軸世界観と「『輪軸身体観』が交わる地平」について、突っ込んで考えていきたいと思う。

(本投稿は 脳と心とブッダの悟り: スカとドゥッカの原風景 と 脳と心とブッダの悟り: ブッダの時代と私たちの現在 を統合・修正の上移転したものです)