仏道修行のゼロポイント

ゴータマ・ブッダの原像とヒンドゥ・ヨーガ

ブッダ存在を象徴するシンボリズムとその背景思想

ブッダの死後、数百年が過ぎる間に、社会現象としての仏教ムーブメントは、出家による瞑想修行実践から在家による信仰実践へと少しずつその比重を移していった事が知られている。

その中心となったのがストゥーパ信仰だ。

このストゥーパは、ブッダの遺体が荼毘に付された後の舎利(遺骨・遺灰)を埋葬した上に小さな土饅頭を築いたのがその起源だと言われている。

当然ながら、その様な由来を持つストゥーパ信仰はブッダ在世当時には存在し得なかった、仏教における全く新しい信仰実践形態だった。

般涅槃に入ったブッダの神格化が進むと同時に、彼の舎利を祀った土饅頭は信者たちの信仰・崇仰の対象になり、少しずつ拡張増広され、その威容を拡大し形式を完成させていった。

そしてアショカ王の紀元前3世紀ごろから紀元後にかけて、盛んに造営されたストゥーパ建築の周辺に、様々な仏教美術が漸次花開いていった事が、サンチーやバルフート、アマラヴァティなどに現存する紀元前後の遺跡、遺物から確認できる。

このような初期仏教美術ストゥーパ信仰と不即不離の様式として発展していったもので、遺跡として現在確認できる場所だけではなくインド全土に多くのストゥーパが建造され、その周囲が石造彫刻美術で荘厳されたのだろう。

西暦一世紀以前の段階では、それら仏教美術の中に仏像は未だ存在していない。悟りを開いた偉大なるブッダを人の形で表す事に恐れとためらいを覚えていたのか、様々なシンボルによってブッダの存在を間接的に暗示し、そのシンボルを拝んでいたという。

(何故ブッダの存在を人の姿形で表す肖像が避けられたのかと言えば、イデオロギー的にはその様な身体性こそが五蘊の『色受想行識』そのものであり、それこそがまさしくブッダがそこから解脱した呪縛そのものであったから、般涅槃によって肉体性から終に解放され真の意味での解脱を完成した「ブッダの悟りの偉大さを冒涜するもの」として、敬虔かつ実直な仏教徒からは当然に忌避されたのだろう)

ここではブッダそのものとして賛仰された主な聖なるシンボルである菩提樹、法輪(ダルマ・チャクラ)、日よけの傘蓋(チャトラ=聖アンブレラ)、更に最も思想性の高いストゥーパそのもの、そしてブッダと言うよりもその教えあるいは仏法全体を象徴する蓮華について、それらの背後に通底するもうひとつの『意味』と共に考えていきたい。

その樹下で覚りを開いた所の菩提樹、車輪の回転に譬えられた正法の布教、その教えの偉大さによって人々に賛仰され聖性の象徴として掲げられたチャトラ(傘蓋)、老体をおした布教の旅のさ中に病に倒れ、最後の最後まで法を説き、遂には完全な解脱である般涅槃に達したブッダが埋葬されたストゥーパ

悟り、布教と聖性、布教の終わりと涅槃の完成、というライフ・ヒストリーはブッダの偉大さの証しそのものであり、正にブッダ存在の象徴として掲げられるにふさわしいものだっただろう。

しかし、菩提樹にしても車輪にしても、チャトラにしてもストゥーパにしても、それ自体は身体と同じ色であり物質に過ぎないから、本来はこれらのシンボルはあくまでブッダ存在を間接的に暗示するものであったと考えた方が妥当かも知れない。

目で見ることの出来る菩提樹の姿かたちを崇める時、当然その下で悟りを開いた(死後は不可視の)ブッダの実在を信者たちは心の目で『観ていた』訳だし、それは法輪についても傘蓋についてもストゥーパについても同様だろう。

ここでは話の流れからまず法輪を取り上げよう。法輪と言うと一般には車輪の回転面を正面から見た、下のような図柄が一般的だ。後世のように様式化されたデザインではなく、極めて写実的な『車輪』そのものに近い形をしている。

特にインド本土の場合、この様な聖なるシンボルとしての車輪は、常に明確な車軸の描写を伴っている事にも注意が必要だ。

そしてこの車輪と車軸という機能分化した構造とその表象こそが、およそあらゆるインド思想の根本的な基盤をなしている、と私は考えている。

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サンチーの法輪信仰(中央)

古代においても現代においても、実用的な木製スポーク式車輪の構成はおよそ6本から12本(多くても16本)程度のスポークが一般的なので、上に見られる様な余りにも数が多過ぎるスポーク数は、回転する車輪の『残像』表現である可能性が高い。

その事はバルフート遺跡で出土した下の彫刻を見ると良く分かるだろう。

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バルフート仏跡の欄楯に描かれた法輪信仰図(コルカタ、インド博物館蔵)

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上の法輪を拡大したもの

二枚目の拡大版を見ると良く分かるが、中心車軸部分の花柄と比べ、リム(車輪)部分の花柄が不自然に半分になり重複している。これは本来は中心の花柄と同じデザインが施されている車輪外周部分が、高速で回転している事を表す『残像表現』だと考えると分かり易い。

だとすると当然、本来の車輪にしては多すぎるそのスポークもまた、高速回転がもたらす残像によって、『多く見えている』と考えるのが自然だ。

これは大変興味深い事で、もしこの仮説が正しいならば、当時の仏教徒は礼拝用に車輪のレプリカ(と言うか車輪そのもの)をわざわざ作って祀り、それを回転させるという行為(ある種の祭祀)を般涅槃後のブッダに供養していた事になる。

サンチーにしてもバルフートにしてもこの時代のストゥーパ欄楯などに荘厳される彫刻の多くが、当時の宗教生活の実際上の様々なシーンを写実的に活写したものが多い。

もちろん中には神話的なシーンや幻獣を描いたものもあるのだが、王侯らしき信者が普通に回転している法輪モデルを礼拝している姿は、実際にそれが行われている情景を写し取ったと考えても差し支えはないだろう。

車輪を回す礼拝行と聞くと、仏教について多少とも知識のある人はチベット仏教マニ車を思い出すかもしれない。彼らはマニ車と言う車輪と言うには少々異形の筒型デバイスをクルクルと回す事を、功徳のある行として実践しているからだ。

ひょっとするとこのバルフートやサンチーに見られる、リアルな法輪のモデルを実際に回してブッダを礼拝する実践行こそが、マニ車のひとつの起源なのかも知れない。

それはさておき、真横から見た平面図では失念されがちだが、法の車輪にしろ実用的な馬車や牛車の車輪にしても、それが車輪である以上は、当然一定以上の長さを持つ車軸とセットでなければ動きようがない。そこで実際に現在に至るまで古代のものを保存していると思われる伝統的な木製スポーク式車輪を見てみよう(Google検索‟Ratha Yatra Puri"より)。

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プーリー・ジャガンナート寺院のラタ・ヤットラ祭りで使われる山車の車輪

これはラタ・ヤットラというヒンドゥ教の山車祭りに使われる実際に機能する車輪なのだが、この様な実用的な車輪そのものから、法輪の思想もその表象も生まれたと考えられる。

以前にも書いたが、この車軸とそれによって中心を貫かれ支えられる車輪、という構造において、最も重要なのは「車軸は車台に固定されて動かずに、それによってハブ穴を貫かれた車輪だけが華々しく回転する」という点にある。 

ここでは一般的な正面図からは中々分からない、仏教における法の車輪のリアルな姿を、本稿の論旨に沿って分かりやすくアレンジしてみよう。

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意図的に向きを変えて見た車輪と車軸

私はある時この「輪軸の向きを90度回転して見る」という発想の転換を得たのだが、その瞬間、思い出したのがやはりブッダを象徴するチャトラ(傘蓋)との相似性だった。

(シヴァ・リンガムとの相似性については以前に書いた)

では実際のチャトラ(聖アンブレラ)を次に見てみよう。下の写真は南インドで現在も神像にかざされる神器として使われている伝統的なヒンドゥ祭祀用のものだ。

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原始仏教の時代のものに近いと思われる、傘が平らなチャトラ

このチャトラ、張物をしているのでわかりにくいが、我々が日常使う雨傘と同様、木や竹などの芯材を放射状に組み、その中心が柄軸によって支えられている。

紀元前後の時代、ストゥーパ文化の中で描かれたチャトラの様式を見ると、かさがドーム型ではなくこの平らなタイプが圧倒的に多い。

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サンチー・ストゥーパの欄楯に見られる女神像と掲げられたチャトラ

上の写真にはラクシュミ女神の原型に掲げられたものと下に描かれたもの計三つのチャトラが見られるが、全てかさ部が突出したドームではなく平らな形をしている。

既に見た木製車輪の輪軸を直立させた姿とこのチャトラの姿を比べてみると、とてもよく似ている事が分かるだろう。それはプレーンな棒状の支える部分(柄・軸)と、放射状に形成され大地を転がったり陽を遮ったり実際に機能する円輪の部分だ。

古代インドの木製車輪は、構造的には当時一般に使われていた木あるいは竹製チャトラとまったく重なり合うし、輪軸のセットで実際に回転して働くのは車輪であり、チャトラにおいて実際に雨風を防ぎ日差しを遮るのはかさの部分である、という意味では機能的にも重なり合う。

両者において、円輪状に展開するかさ部や車輪が表の主役であり、軸柄は目立たないがそれを『陰で支える』という重要な機能を果たしている。

次に、菩提樹を見てみよう。

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ベンガル菩提樹の大木。太い幹の上に枝葉の樹冠が広がる(Google検索より)

菩提樹に限らず大樹の形と言うものは一般的に太い幹が主柱として支え、その上に枝葉の樹冠が中心から放射状に、全体としては円輪形に展開する姿をしている。その基本構造は輪軸やチャトラ(傘蓋)と同一のものだと言って良いだろう。

それは構造だけではない。真っ直ぐに伸びしっかりと支える不動の柱としての幹と、枝葉が広がり繁り、芽吹きや開花などの変化に彩られ、ある時は鳥や動物の住処になり、あるいは雨を凌ぐ傘となる樹冠という、機能分担においても車輪や傘蓋と重なり合うのだ。

ではブッダ・シンボルの最たるものとしてインド全土に建立されたストゥーパについてはどうだろうか。そのドーム状の形態は深めの雨傘の余分な柄を取り去ってかさ部を地面に伏せた様に見えないだろうか。

実際にインドでは、先に紹介したかさ部が平たい物だけではなく、高いドーム状のチャトラもヒンドゥ祭祀のアイテムとして使われている。構造的に車輪や樹形と重なるのは同様だ。

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我々が使う雨傘に近しいドーム型チャトラ。車輪のスポーク様に放射状に広がる骨も見える

イヤイヤ、外形だけの類似に過ぎないだろう、そもそも柄軸はスト―パのどこにあるのか?という指摘は最もだが、そもそもストゥーパの円輪ドーム構造は円輪である以上「中心性」と言うものを基盤に造られており(コンパスで円を描く事を思い出そう)、その象徴であるかのようにその頂上部中心には柄軸に支えられたチャトラが掲げられている。

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サンチー第一ストゥーパ頂部中心には三重のチャトラが掲げられている

その姿は、巨大なドーム・ストゥーパ自体が持つチャトラとの『相似性』を暗示している様に見えないだろうか?

重なり合うのはチャトラだけではない。南北インドでそれぞれ発掘された複数の古代ストゥーパの内部において、放射状の基礎構造が確認されている。その姿は、まさしく内なる車輪のスポークそのものではないだろうか。

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北インドのSangholで発掘されたクシャナ朝時代のストゥーパ 基壇(参照 Seeing the Kushans in India

f:id:Parashraama:20191018170552j:plain南インドのナガルジュナコンダ仏跡に展示されたストゥーパ・モデル

更に、北インドで発掘されたいくつかのスト―パの中には、その内部中心の土中に木質が腐って消失する事によって生まれた円筒状の空洞を持つものがあり、実際にネパールに現存するストゥーパの多くがその内部中心にある種の『心柱』を持っている事が確認できる。

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ネパールのストゥーパに一般的な内部構造

円輪を基本デザインとしたストゥーパの中心に垂直な柱が据えられている構図は、立体的に透視俯瞰すればそれはチャトラ(傘蓋)と柄軸であり、真上から平面的に透視すればそれは車輪と車軸そのものではないだろうか。

同様に、古代インド起源のストゥーパ文化が伝播移入したチベットのチョルテン仏塔においても、あるいは日本の五重の塔においても、その内部中心には軸柱(心柱)が存在している。

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チベット仏塔チョルテンの内部構造と「生命の樹」と名付けられた中心軸柱(Wikipediaより)

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五重塔の内部構造。中心の心柱が頂部の九輪(相輪)に至るまで全てを貫いている(同)

五重塔の心柱については、東京スカイツリーの耐震構造の文字通り柱として設計された心柱構造の発想の源として、ご存じの方も多いかと思う。

こうして見ていくと、その内部構造は不明だがサンチー・ストゥーパの頂部に据えられた傘蓋の支柱もまた、理念的にはその内部をも貫き基壇にまで達しているのではないか、とも考えられるだろう。

そして更に仮説を進めればその心柱は、南北インドで発見されている車輪状のストゥーパ基壇を暗黙の前提とし、その中心に『車軸』を暗喩する形で据えられていたのではないかとも推測する事が充分に可能だ。

ここで私が注目したのが、上のネパール仏塔の内部構造において、その中心軸柱をアクシス・ムンディ、つまり『世界の中心軸』と解説している点だった。

(このアクシスaxisという語は、車軸を意味する英語のアクスルaxleやインド語のアクシャakshaと起源を同じくするものなので、世界の中心車軸と読む事もできる)

インド思想という文脈において『世界の中心軸』と言われて私が第一に思い浮かべるのは、アタルヴァ・ヴェーダ以降しばしば至高存在ブラフマンとして讃えられている『万有の支柱・スカンバ』だ。

『とくに汎神論的な思想を表明したものとしてスカンバ(skambha)讃歌(AV, Ⅹ,7,8)は注目される。従前に世界原理として説かれた諸原理は実はこのスカンバの別名にほかならないとして、諸原理をこのなかに包括しようとしている。スカンバとは宇宙の大支柱である。
ひとつの讃歌(AV,Ⅹ,7)によると、スカンバはブラフマンと同一視されているようである。すなわち、天、空界、太陽、月、火、風、方角、大地は最高ブラフマンの身体なのである。
「過去と未来、ありとあらゆるものを支配し、天空を一人所有するところのブラフマンに敬礼する」
ここでは最高のブラフマンなるものが考えられているが、それはまたすべてを支配するのであるから、一種の人格的原理とも考えられている。』

中村元選集決定版第8巻「ヴェーダの思想」p476以降から引用(一部省略)

私はこれまでも本ブログ上で絶対者ブラフマン、あるいはブラフマー神(梵天)とブッダとの相関性やその同一視、という観点から様々に論じてきたが、以上の様々な状況を重ね合わせると、ストゥーパの内部中心に屹立する軸柱はブッダを世界万有の支柱たるブラフマンと同一視した上で『ご本尊』として据えられたものではないかと考えたくなる。

一方、法の車輪と共にブッダを象徴するものとして重要な菩提樹だが、同じアタルヴァ・ヴェーダには以下の記述がある。

偉大なる神的顕現(スカンバ=ブラフマン)は、万有の中央にありて、熱力(創造の原動力)を発し、水波(大初の原水)の背に乗れり(万有の展開)。ありとあらゆる神々は、その中に依止す。あたかも枝梢がを取りまきて相寄るごとくに。

アタルヴァ・ヴェーダ、スカンバ賛歌、辻直四郎訳

この文脈では明らかに、宇宙的な大樹のブラフマン=スカンバに見立てられている。そして幹に依る枝梢のようにブラフマン存在に依拠しているのは、神々だけではなく、おそらく宇宙(=現象世界)そのものなのだろう。

Chapter III

4 He, the omniscient Rudra, the creator of the gods and the of their powers, the support of the universe, He who, in the beginning, gave birth to Hiranyagarbha−may He endow us with clear intellect!

彼は全知なるルドラ、神々の創造者、その力を与える者、万有の支柱。彼は始原においてヒラニヤガルバを産みなした者。願わくば彼が我らに明晰な智の力を与えんことを!

9 The whole universe is filled by the Purusha, to whom there is nothing superior, from whom there is nothing different, than whom there is nothing either smaller or greater; who stands alone, motionless as a tree, established in His own glory.

全宇宙はプルシャ(ブラフマン)によって満たされる。彼を超える者はなく、彼と異なるものも、彼よりも大きなものも小さなものも存在せず。彼はひとり立ち、大樹の幹の如く不動であり、自身の栄光によって聳え立つ。

Chapter VI

1 Some learned men speak of the inherent nature of things and some speak of time, as the cause of the universe. They all, indeed, are deluded. It is the greatness of the self−luminous Lord that causes the Wheel of Brahman to revolve.

学びを深めたある者たちは、事象に固有の性質や時間が世界の原因だと言うかも知れない。しかしそれらはもちろん幻想に過ぎない。自ずから光輝なる偉大な主(至高者=ブラフマン)こそが、正にブラフマンの車輪(大宇宙・現象世界)が回転する原因に他ならない。

Svetasvatara Upanishad by Swami Nikhilananda より抜粋引用(日本語訳筆者) 

宇宙大樹(の幹)がブラフマンであるなら、ブッダの象徴として掲げられた菩提樹の中でも、その幹こそがブッダそのものとしての核心なのだとも考えられる。

(別記事で詳述する予定だが、この『不動』という概念はブッダの瞑想法において重要な意味を持っている)

その様に類推していくと、アショカ王によって仏跡を中心にインド全土に建てられた石柱(スタンバ=スカンバの同意)こそが、ブラフマン・スカンバを模した「ブッダそのもの=ご本尊」だったのかも知れない。

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あたかもそれがご本尊のみ仏であるかのように石柱を右繞礼拝する仏教徒たち

上の写真に見られるスタンバを右繞する信者の姿だが、不動の支柱=不動のブラフマン(般涅槃したブッダ)、右繞=現象世界の内で転変輪廻する人々、として車軸と車輪をリアルに模倣していると考える事もできる。

話をストゥーパに戻すと、実はインドで発掘されたストゥーパやネパールに現存するストゥーパ、更には日本の多重仏塔の中には、その基部中心の土中にブッダの遺骨(レリック=舎利)が奉安されているケースが少なからず存在する。

その直上に心柱が立てられているケースも多く、それはある意味ブッダの遺骨(ブッダ自身)から柱が生えている形になる。まるで、ストゥーパ内部中心に立つ心柱こそが真にブッダ自身を象徴する『ご本尊』である、かの様に。

京都にある東寺に伝わる開創秘話はその強力な傍証となるだろう。この五重塔真言宗の宗祖空海が自ら陣頭指揮を執り建立したと言われているのだが、空海自身の言葉として『心柱をもってご本尊の大日如来とする』という内容が残されているのだ。

大日如来と言う『み仏』を元祖ブッダの拡張的二次創作だとすれば、古代インドに実在しやがて般涅槃を得たブッダ存在こそが本来心柱と同一視されていた歴史の、その『継承』である、というのは理解し易い。

このような核心的思想は空海が勝手に作り出したオリジナルではあり得ない。それは中国の密教に伝わる伝統を忠実に模倣したものであり、その中国の密教はインド密教に遡って伝承されたものであり、さらにそのインド密教は、ストゥーパ信仰盛んなりし頃、紀元前後のインド仏教のシンボリズムを忠実に継承したものだったのだろう。

京都東寺に見られる様な、仏塔内部の心柱をご本尊の大日如来(み仏)と同一視する思想。それは空海独創のものなどではなく、千年にわたって地下水脈の様に伏流し続けていった、古代インドの輪軸思想の果てに、極東遠来の地日本において結晶化したものなのだ。

大日如来とはそもそも古代からいわゆるバラモン・ヒンドゥ教のメインストリームで掲げられてきた絶対者ブラフマン概念が、実在の覚者ブッダを経てタントラ化したものなので、ブラフマンブッダ大日如来ブラフマン(再)→・・・・という三つ巴の連関が明らかとなる。

そしてもし仮に古代インドの仏塔ストゥーパの内部中心に据えられた軸柱が万有の支柱ブラフマンになぞらえたブッダ存在そのものだとしたら、ストゥーパそのものが本来表していた深い意味も自ずと推測可能になる。

ブラフマンたるスカンバが万有世界の中心に聳える神的柱であると同時に、そのブラフマンの身体が世界そのものだった両義性(宇宙樹になぞらえれば、ブラフマンは幹であると同時に総体としての樹全体=世界そのもの)を考えれば、ブッダ存在たる心柱を内包し円輪ドームとして展開するストゥーパは、神的ブッダの身体であると同時にブッダ、あるいは仏法によって守護されたこの『万有世界』そのものだったのかも知れない。

その場合、世界そのものたるストゥーパの内部中心に聳える心柱は、同時に世界の中心に聳える神話的聖山須弥山(メール山)を含意していた可能性が高い。その事はスリランカに現存する古代ストゥーパであるダーガバ内部中心に、メール山と呼ばれる方形多層の小石塔が奉安されている事実とも符合する。

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ダーガバ仏塔内部中心に据えられたメール山を模した七層の石塔

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メール山頂部に置かれた小ストゥーパ仏舎利ケース(Relic Casket)でもある

ダーガバ・ストゥーパの中心にメール山モデルとしての多層石塔が置かれその頂部に仏舎利が祀られているという事は、般涅槃したブッダ存在と世界の中心であるメール山との明らかな「重ね合わせ」である、と考えられる。

そしてもちろん、メール山とはこの現象世界を車輪と見立てた時の車軸に相当する。

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ジャイナ教のメール山モデル、アジメール、ラジャスタン州

般涅槃後のブッダ存在を象徴する菩提樹、法輪、チャトラ(傘蓋)、ストゥーパという様々なシンボルたちを、『車輪と車軸』の構造・機能を鍵概念としてその「重ね合わせ」あるいは『同置』について考えて来た。

そこで最後に、蓮華についても若干触れておこう。蓮の華(花)は泥の中より生まれつつもその泥の不浄に染まらないと言う観察的事実から、仏道修行がこだわる所の『清浄性』の象徴として、仏教シンボリズムには欠かせないものとなっている。

それはブッダ本人と言うよりも、その教えとしての『仏法』並びにそれによって顕現する『涅槃の境地』や『浄土(仏国土)』を象徴するシンボルという趣が強いかも知れない。

一方、仏教においてあるいは全インド教において特別な聖性シンボルである蓮華もまた、輪軸や菩提樹、傘蓋やストゥーパと構造的に酷似している事実がある。

第一には、もちろんそれは蓮の花のヴィジュアルだ。

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蓮華の構造は輪軸やチャトラ(聖なる傘)にも重なり合う

水中から真っ直ぐに伸びる花茎は車軸であり、その中心性をそのまま引き継いだ花托の周囲には、車輪のスポークのように雄しべと花弁が放射状に展開し、全体としての蓮華は円輪の形をなす。

実はこの構造はそのまま葉にも当てはまる。

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蓮の葉の円輪放射デザインは車輪そのものだ

同じように真っ直ぐに伸びる葉茎は車軸でありほぼ円輪状に展開する葉にはあたかもそれが車輪であるかのように放射状に展開する葉脈すら存在する。 

その姿はむしろ花よりも車輪に似ているとも言えるだろう。

更に驚く事に、蓮の根であるレンコンやそこから空中へと伸びる茎柄さえも、それを輪切り(!)にするとあたかも車輪である様なデザインが顕現する。

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レンコンのデザインは歯の無いギア(歯車)の様だ

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蓮の茎の断面は驚くほど精緻で美しいチャクラ・マンダラ・デザインを表す(123RFより引用)

このように見て来ると、花も葉も根も茎も全てひっくるめた『蓮華』存在とは、正に車輪と同一視されるにふさわしい存在だったと言えるだろう。

ヨーガ・チャクラの思想においては、チャクラすなわち『車輪』の名で呼ばれる体内のエネルギー・センターが蓮華の姿で描かれる事実がある。

その最高位である頭頂のサハスラーラ・チャクラの名は、本来は千の(Sahasra)スポーク(Ara)、つまり『千本のスポークの車輪』を意味するものでありながら、そのヴィジュアルは千枚の花弁の蓮華で表されている。

これなども、蓮華は車輪であり車輪は蓮華である、という同一視、あるいは『同置』の思想が、古代インドに確固として存在した事の現れだろう。

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車輪を意味する『チャクラ』は蓮華の姿で描かれる

ちなみに先に参照した蓮の茎の断面に見られる多重円輪デザインは、ストゥーパ欄楯や後のヒンドゥー寺院に多用される蓮華輪デザインを彷彿させる。

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アマラヴァティ出土の蓮華輪レプリカ

どちらにしても、蓮華という植物の総体が、思想的にも宗教デザイン的にも汎インド教に計り知れない影響を与えた事は間違いない。そして、その聖性シンボルが「車輪と同一視され融合する事によって初めて完成された」という事実も、銘記すべきだろう。

さて、法の車輪、菩提樹、傘蓋(聖チャトラ)、そしてストゥーパから蓮華に至るまで、ブッダ自身や仏教そのものを表象するシンボルについて、その構造形態的あるいは機能的な側面から色々と考えてみたが、読者の方はどう受け止めただろうか。 

このインド思想における『輪軸』を中心としたシンボリズムの重要性については既にYahooブログでも多く論じ本ブログでも何本か投稿してきたが、Yahooブログの来月の閉鎖を機会に、移転方々本ブログでもこれから継続して論じていきたい。

§ § §

本稿では車輪と車軸をアナロジーの中核として、チャトラ、菩提樹ストゥーパ、蓮華をそれに重ね合わせる古代インドのシンボリズムとそこに一貫する様々な心象について考えて来た。

そこで最後に、これは少々トンデモな発想と思われるかも知れないが、上に見て来た構造的かつ機能的な輪軸との相似性を人間の『脳と脳幹』にも重ね合わせてみたい。

まずは分かり易く、脳中枢神経系と菩提樹をその構造デザインにおいて重ねてみよう。両者の基本構造は紛れもなく相似してはいないだろうか。

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大樹の構造と脳の構造は一見して酷似している

並べて見ると両者がとても似た構造をしている事が分かる。それは、シンプルに支える幹が文字通り脳幹(更には脊髄)であり、枝葉梢が展開する樹冠が様々な機能の根拠となる大脳部分だ。

これを車輪と車軸に重ねてみれば大脳は車輪であり脳幹・脊髄は車軸に、蓮華に重ねれば大脳は花であり脳幹・脊髄は花茎の軸になる。

これをこじつけだと思うだろうか?

しかし実は、ヒンドゥ・ヨーガの伝統の中に確かにこの様な『重ね合わせ』があった事実は、かなりの程度証明可能だ。

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Bihar School of Yogaより

ここでは明らかに蓮華存在と人間の脳中枢構造が重ね合わされている(しかも瞑想実践という文脈において!)。そして本稿で既に見てきたように蓮華存在と車輪が重ね合わされて(同置されて)いたのなら、必然的に脳中枢構造輪軸構造もまた重ね合わされていたのではないか、という事が容易に想像され得るだろう。

この点は先に紹介した様に、千の花弁の蓮華として描かれるサハスラーラ・チャクラが本来は「千のスポークの車輪」を意味し、その蓮華が図象学的には正に大脳の位置(頭頂部)に重ねて描かれる、という事実からも傍証付けられる。

これに関しては、機会をみて改めてまた深堀りしていきたいと思う。

車輪、傘、菩提樹ストゥーパ、蓮華、そして脳。

私の見た所では、古代インド人はその豊かなイメージ力を駆使して、これら一見全くかかわりのない事物を、ただただ形のアナロジーによって重ね合わせ、そこに機能的な相関関係までも見出していた。

更にそこから、様々な思想や『実践』さえをも紡ぎ出し創造していった可能性が高い。

そして本ブログにおいて最も重要なのは、シッダールタをはじめ彼を慕う仏弟子たちもまた、これらアナロジー世界を自明の背景心象とし、その中で生き、考えて、行動していたと前提する事によって、これまでの仏教学とは全く次元の異なった新たな地平が切り開かれ得る、という点にある。

だからこそ、『仏道修行のゼロポイント』をタイトルとする本ブログが、このような考察・探求をする価値があるのだと。

 

本投稿はYahooブログ記事「古代インド・形象のアナロジー(2012/7/15)」他を加筆・修正の上移転したものです】

 

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