読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

仏道修行のゼロポイント

ゴータマ・ブッダの原像とヒンドゥ・ヨーガ

アショーカ王の回心と『内なる祭祀』

マウリヤ朝第三代のアショカ王については、仏教に関心のある方の多くがご存じだろう。今回はこれまで折に触れて言及してきた『内なる祭祀』問題について、アショカ王のリアルな『肉声』を手掛かりに考えていきたい。 

紀元前268年、マウリヤ帝国第三代として即位したアショーカ王は、祖父チャンドラグプタ、父ビンドゥサーラの帝国建設の遺業を引き継ぎ、最後の抵抗勢力・カリンガ国に侵攻する。

戦いは凄惨なものとなった。その暴虐な性格によって自国民からさえも恐れられていたアショーカ王の攻撃は苛烈を極め、一方、マウリア朝より遥かに長い歴史を持つ大国カリンガは、当時世界最強とも謳われたアショカ軍に対して、徹底抗戦で応じたからだ。

目を覆うような殲滅戦の末、アショーカ軍はついにカリンガを征服した。伝承によれば犠牲者は民間人を含めて数十万に達したという。

勝利に酔いしれるはずのアショーカ王は、しかし死屍累々たる戦場に立って深く後悔し懺悔する事になる。それは余りにも無益な殺戮であり、大きな悲嘆であり、取り返しのつかない惨禍であった。

やがて彼は、ひとりの僧侶との出会いによって、劇的に仏教徒へと改宗したのだった。

彼は国の政策を武力による覇権から法と徳による統治へと180度転換した。そして仏教に基づいたダルマ(法)の理念を普及するため、ブッダ所縁の地に仏舎利塔ストゥーパ)を建立し、広大な帝国の要所に詔勅を刻み、法の車輪をシンボライズした石柱(スタンバ)を建てていった。 

彼はインド全土に道路を整備し、産業を振興し、薬草を植え、治療院を建て、無意味な殺生を禁止し、人間関係におけるモラル(ダルマ)の確立を促した。現代に伝わる彼の治績の数々は、ある意味現代社会が理想とする世界を、二千数百年も前に先取りしたものだったとも言えるかも知れない。

その根本にはブッダの教えがあった。アショカ王バラモン教を含むすべての宗教を等しく保護しつつも、カースト差別や動物の供儀に対してはこれを完全に否定している。そして、何よりも銘記されるべきは、彼によって仏教がインドの地域宗教から世界宗教へと雄飛した事だろう。

彼は、帝国内部はもとよりスリランカや東南アジア、現在のアフガニスタンや遠くギリシャ世界に至るまで仏教使節団を送り、ブッダの教えを伝えている。事実、タイのナコーン・パトムと言う町の名はパーリ語で『最初の町』を意味し、アショーカ王の使節によって東南アジアで最初の仏塔がここに建てられたと伝えられている。

チャクラの国のエクササイズ より

以上がアジアの仏教徒に一般的に知られているアショーカ王のイメージだ。ただし、これは多分にアショーカ王仏教徒にとって都合がいいように脚色しているきらいがあり、例えば、彼が仏教徒になったのはカリンガ戦の前だというのが、現在ではほぼ定説になっているようだ。 

アショーカ王仏教に対する何よりの貢献は、彼がインド国外の様々な地域に仏教使節団を派遣して、ブッダの教えを広く普及した、という点にある。 

その結果、仏教はアジア全域の普遍的宗教として広く信仰・実践されるようになった。それは、同時代に生まれたジャイナ教がついにはインドのローカル宗教に終わり現在に至るのとは極めて対照的であり、正に、アショーカ王仏教世界宗教へと飛躍する嚆矢となったのだ。 

さて、ここで本ブログ上問題になるのは、彼、アショーカ王にとって、仏教に対する信仰・実践とはどのようなものであったのか、という点だ。彼は世俗の王だったので、その信仰形態とは当然在家のそれを意味している。

幸いな事に、彼が設置した石柱や石碑の上に、いわゆるアショーカ王碑文と言うものが刻まれており、限られた形ではあるが、私たちは彼の思想を2000年の時を超えて知ることができる。

これは、ある意味紀元前三世紀という古代インドに生きたいち仏教徒であるアショカ王の『肉声の記録』と言っていい。日本の仏教徒にはあまり知られてはいない様だが、その資料的価値には絶大なものがある。 

彼はどのような『宗教的文脈』に則って仏教を信仰し、上記のような様々な事績を為したのか。アショーカ王ブッダの死後およそ100~200年後に、ブッダの活躍したほぼ同地域において生きた実在の人物だ。したがって彼はブッダ在世の頃に最も近接した在家的仏教信仰の在り方についての、最も信頼できる最古の証言者だと言えるだろう。 

先にも触れた様に、南アジアにおける最初の仏教布教は、正にこのアショーカ王によって行われ、文献によって確認できる最古の記録として、彼の息子マヒンダ王子によるスリランカへの仏教伝播が、広く認められている。 

アショーカ王にとって、仏教とは一体どのような意味を持っていたのだろう。彼が『何に焦点を置いて』仏教使節団を各地に派遣したか、というその『目的』は一体何だったのだろうか。

アショーカ王碑文を通読してみて一見して分かる事は何だろうか。それは、そこには世俗的な生活倫理・社会道徳についての教え悟ししか書かれておらず、いわゆる仏教くさい『出家修行』については、実はほとんど全く語られていない、という事なのだ。 

彼がこれらの法勅文言によって世人に知らしめたかったのは、あくまでも一切有情の福祉の向上とそのための道徳倫理の確立であって、直接的に『ブッダの修行法』については一切言及していない。 

それどころかブッダ本人についての言及すら、そこにはほとんどない。

一方で、彼個人が熱心な仏教徒であり、ブッダガヤやルンビニなどメジャーな仏跡を巡礼し、ブッダの事績を記念して石柱を立て、あるいはストゥーパを建てていった事もまた間違いのない事実だ。 

彼はどのような心象に基づいて、これらの行為をなしたのだろうか。 

カギは彼が自らを自称して『神々に愛された温容ある王(天愛喜見王、Devanampriya Priyadarsin)』と名乗ったことにあると私は考えている。彼はまず第一に、『ブッダの弟子』というよりも『神々に愛でられるべき者』として自らをイメージしていた事がうかがわれるからだ。 

古代インドに生きた仏教徒であるアショカ王が、神々、つまりDevaについて言及する場合、その真意はひとつ。それは天界に住まう神々であり、同時にその天界とはいわゆる輪廻転生思想において人間界や畜生・地獄界などと並び称される天界であるという事になる。 

となれば、彼が自らを『神々に愛される』と自称するその心象とは一体何かが明らかになるはずだ。それは、何よりも自身の「死後の天界への転生」を意識した称号であったと考えられる。 

この辺りに、『在家の仏教徒、という存在の屈折し錯綜した心象が如実に表れている。彼はブッダの教えを信奉しつつ、真に乞い焦がれていたのはブッダではなく天界の神々であったのだ。

ここで思い出すべき事は、彼がそもそも熱心な仏教徒へと回心したという、そのきっかけとなったカリンガの戦いだ。彼自身の証言によれば、その戦死者は10数万人にのぼり、戦乱に巻き込まれて家族を失い、家を失い、社会的な基盤を失った、いわゆる被災者・難民の群れはその数倍にのぼったという。 

すでにカリンガ戦の以前から一応仏教徒であった彼にとって、この事実は何を意味したのだろう。仏教において、何よりも殺生は極悪の大罪だ。その被害者10数万人と言うまぎれもない事実は、冷静になって考えてみれば、地獄も必定、の極悪業に他ならない(あのアングリマーラでさえ、“たかが” 千人に過ぎない!)。 

戦争を仕掛けている時には止むにやまれぬ覇権への衝動に駆られて盲目になっていたのが、いざインド世界を征服して『大地の主』に成りあがってしまった時、彼はハタと気づいてしまった。 

『この地上において、人として可能な限り最大限の栄華を私は実現してしまった。未だかつて聞いたためしのない全インド世界の帝王としての地位に私は登りつめた。現世においてこれ以上の栄達はもはや考えられない。 

しかし、どのような偉大な帝王も、いずれ死ななければならない。そして死後にはその生前の業に従ってそれに見合った来世へと転生するだろう。その時、10数万の命を殺戮し、その数倍に及ぶ人々に塗炭の苦しみを与えた私は何処に転生するのだろうか? 

それは地獄以外にはありえないのではないか?!』 

地獄必定。これが、私がプロファイルしたアショーカ王の心象世界だ。この心象は、輪廻と言う信仰を余り持たない私たちの、想像を絶した恐怖だった事だろう。

現代において、このアショーカ王によるカリンガ征服は、史上初のインド世界統一という偉業である、と認識されている。おそらく、このような自覚は彼自身にもあったはずだ。 

そして、このカリンガの戦役が、その偉業に反比例するように、史上最悪の殺戮戦であった事をも、アショーカ王は生々しいまでに自覚していた。 

今もかなりな部分そうだが、当時はインドと言うのはひとつの『世界』だった。その『世界』史上初めて『天下を統一』した彼は、同時に、皮肉なことに『世界史上最悪の殺戮者』になってしまったのだ。 

史上最悪の悪業を重ねた自分ならば、おそらくは死後に赴く地獄もまた史上最悪の地獄になるに違いない。 

すでに犯してしまった悪行の数々を、そのマイナス点を回復し、地獄必定から天界必定へと大逆転することは可能なのか。その為にはどうしたらいいのか?

苦悩する彼は、最も懇意にしていた仏教僧にでも相談したのだろう。 

おそらく長老の答えは以下の様なものだった。

「インド(閻浮提)世界の主となったアショーカ王の、その偉大なる力のあたう限り最大限の善業を新たに積んで悪業を帳消しにし、なおかつ天界に再生するためのプラス点をも積み重ねていかなければならない」 

何故『天界』に、なのだろうか? それはすでに今生において人間としての栄華を完全に極めてしまった彼にとっては、人間界以下に再生する事は、イコール『落ちぶれる』事を意味したからだ。 

同じ人間界に、今より低い身分に生まれ変わる事。それは誇り高い彼にとっては、ある意味地獄に再生すること以上に耐えがたい事だったのかも知れない。 

彼の成功哲学に従えば、今生における帝王としての人生は究極のゴールではない。それはあくまでも人間界における頂点に過ぎないからだ。 

真の成功とは、死後に天界(彼の場合はおそらくその『最高処』)に生まれる事。それ以外にはなかったのだろう。だからこそ、彼は自らを『天愛喜見王』と称した。彼の関心事はあくまでも在家信者として来世に生天する事にあった(出家して輪廻から解脱する事は、私的関心の外にあったと私は判断している)。 

そう考えると、彼の法勅と呼ばれる碑文に、生活倫理道徳しか書かれていない事がよく理解できるだろう。 

カリンガ戦において数十万の人々を不幸のどん底にたたき落とした。その悪業を回復するためには、それ以上の人々に最大限の幸福を与えなければならない。そのための治安維持と互恵互愛の教えなのだ。 

カリンガ戦において、実に多くの家族が生き別れ死に別れ絶望の涙に暮れた。戦後の社会にはある種の修羅・畜生・地獄界が現成した事だろう。もちろんそれを生みだしたのは彼自身なのだ。 

そこにおいて現出した地獄図絵の、ま逆の理想世界を何としても実現しなければ、自らの生天は絶対にあり得ない。この追いつめられた心境がリアルにシミュレートできるだろうか。 

現代のテーラワーダにおいて、幸せな来世を得るために最も高い功徳のある善業とは何だろう。 

それは、まずは僧侶に食事や物を供養する事。そしてお寺に物的・金銭的な寄進をする事。ストゥーパや寺院そのものを建立する事。仏跡の巡礼。さらに自らが出家する事。あるいは自分の子供を出家させる事。あらゆる機会を得て、ブッダの教えを広め礼賛する事。 

そしてそれ以前の大前提として、一切衆生に慈悲の気持ちを持って接する事。 

これらの価値観をアショカ王の事績と照合した時、そのほとんどが重なり合う事実が、彼の心象を鮮明に表している。 

ルンビニなどへの巡礼奉賛。ストゥーパや記念石柱の建立。実子マヒンダの出家とそのスリランカへの派遣をはじめ、各国への布教。一切衆生の福利厚生のための社会整備。ダルマの増進による大衆の幸福度向上。 

これらアショカ王の特筆すべき事績の全てが、自らの生天のための積善の功徳、という視点から見ると、すっきりと整理されて把握され得る。 

だからこその『天愛喜見王』と言う自称だった。これだけ善業を積み重ねれば、いかなカリンガの悪業といえども完全に払拭され、お釣りで生天が可能になるだろう、という、アショーカ王の自信と願望が相半ばした心象が見事に表れている。 

これは私の『超訳』だが、その真意は、『神々に愛されて(祝福され)天界に迎えられ相まみえる(べき)王』と言う事だったのではないだろうか。

実はこの様なアショーカ王の心象世界こそが、これまで繰り返し言及してきた『内なる祭祀』という文脈と深く関っている。

これはまた後段で改めて詳述したいが、彼アショカ王がその支配下にある世界において実践した『善行為・善政(善業)』が、神々に対する『供犠・供物』となって捧げられ、それを神々が喜び嘉納し、故に彼アショーカは神々から愛されて、死後に彼らが住まう天界に『迎え入れられる』、と言う図式なのだ。

それまでのバラモン教の祭祀では、神々を喜ばせ祭主の願望を満たすためには動物の犠牲が供物として捧げられていたのだが、ここではその『供物』が『善なる心性とそれに基づいた善行為』にとって代られている。

つまり、アショーカ王にとって、一切衆生の幸福を推進する『善行為・善政・法』がそのまま直接的に『神々を喜ばす内なる祭祀』となった訳だ。 

そのような『内なる祭祀』を、もちろんアショーカ王は敬虔なる仏教徒として実践していた訳だから、当然ながら、彼にとってブッダの教えもしくは『仏法』とは、『天界に再生するための内なる祭祀』だった事になる。

さて、このようにプロファイルしていくと、ひとつ明らかな事がある。アショーカ王仏教にかける思いとは典型的な在家のそれであり、自分の支配下にある俗世間・社会の幸福の増進を中心に、様々な功徳を積むことによってひたすら天界に転生する事を願っていただけ(欲界の車輪の内部における幸福)で、解脱を目指す出家修行の実際については、ある意味関心がなかったのではないか、という事だ。 

これはタイやミャンマー仏教について少しでも勉強すると分かるのだが、いわゆるテーラワーダの世界では在家と出家と言うのは全くの別世界に住んでいる。そこには明確に価値の断絶、というものが見受けられる。 

アショーカ王仏教を周辺各国に伝道する、と発心した時に、何を焦点にしたのか。それはあくまでも在家信者の立場に立って、ブッダに帰依し礼賛する同じような在家信者を増やす、という点に注がれたのではないか、と推測される。 

すでに当時、在家出家を問わず信者にとってブッダというものは神格化された擬神として信仰・崇拝されていた形跡がある。これは前回までの『ブッダと最高天ブラフマーの同一視』及びブッダの死後急速に進んだ『偶像ブッダ・キャラによる偶像ブラフマー・キャラに対する下剋上』の結果だろう。

全く異なった文化風土に仏教を布教する時に、この神格化された『超越的な唯一者』としてのブッダと言うのは敷居が非常に低い訳だ(実際に日本への仏教の布教も、このような唯一至高者としての仏陀信仰に基づいており、だからこそ『神仏習合』が可能になる)。 

一方で、出家の修行生活というものは、基本的に輪廻からの解脱を目指している。この方向性が共感を得るためには、何よりも輪廻転生という世界観と共に、世界を絶対的な『苦』と見、そのループからの解脱、という価値観念が共有されなければならない。

(同時に瞑想実践行というややこしいノウハウも伝承されなければ、全く意味がない) 

これはある意味きわめて特殊インド的な思想なので、あらゆる世界に布教可能な普遍思想には、一朝一夕にはなり難い要素が多分にある。 

在家のブッダ信仰と善業・悪業による天界・地獄への転生と言う思想は、おそらく世界中に見られる普遍思想に通じるだろう。 

天界の神々の更に上に君臨する絶対者(解脱者にして『正法』の覚知者)としての超越者ブッダに対する信仰を広める。これが、おそらくは同じ信仰を持っていたであろうアショーカ王の、布教師派遣の主目的だったと思われるのだ。

ここでひとつの疑問は、何故唯一至高者ブッダを信仰するアショーカ王が『神々に愛されて(喜ばれ、祝福されて)天界に迎えられ相まみえる(べき)王』と自称したのか、と言う点だ。

ブッダを至高存在として崇拝する『仏教徒』ならば、神々の代わりに『ブッダに愛されて』と言うべきではないのだろうか?

この点は『ブッダ存在』と言うものの根本的な性格を考えれば良く分かるだろう。前回も指摘した様に彼はこの『世界』という輪廻の車輪から『解脱』してしまった『圏外者』に他ならない。

アショーカ王の時代にはすでに彼ブッダは、死=般涅槃によってその『圏外性』が完成されてしまっていた(このブッダの死後に生じた『世界圏外性の完成』こそが、ある意味、仏教思想史上積年の悩みの種になる)

恐らく徹底的な世俗人だったアショーカ王は、逆立ちしても「解脱したい」などという請願とは無縁な人間だったのだ。

故に彼が望んだのは解脱したブッダに愛される事ではなく(解脱した『圏外者』がどうやって愛するのだ!?)、あくまでも『世界圏内』の高みに住まう神々を喜ばせ、愛され、そして死後その天界(欲界の頂点)に迎え入れられ、永遠に近い幸福に浸り続けたい、という事だったのだ。

彼にとってブッダは、その様な『神々を善によって喜ばせて生天する』という『法』の『覚知者』に過ぎず、「自分自身がそのようになりたいモデル」では決してなかった。 

以上の文脈を敷衍すると、スリランカに派遣されたマヒンダ長老、彼はアショーカ王の実子であると同時に出家僧侶だった訳だが、彼はおそらく、絶対王である父アショーカの『後生を良くするため』に命じられて『出家させられた』。 

息子の出家の功徳は、父であるアショーカ王に回向され積善されるからだ。 

では息子を仏教サンガに出家させ、更に仏教を広く布教する事が、何故「神々を喜ばせる事になる」のか? 前回までの流れを踏まえると、それは仏教サンガの比丘と言うものが『真のバラモン』としての『至上の(内なる)祭祀実行者』だったからに他ならない(後述)

出家した実子が遥かスリランカにまで遠征して仏教を伝道する。これ以上の『善業』はなく功徳はないだろう。だからこそ王子であるマヒンダが敢えて危険を冒して行くのだ。逆にいえば、実の子がそれをしなければ、アショーカ王の来世にはあまり意味はない事になる。 

ここにはアショーカ王が実践したような『生天する為の在家的な内なる祭祀としての善行』と、ブッダおよび出家比丘が実践した『解脱する為の内なる祭祀としての瞑想行』という対置がある。もちろん後者こそが、『内なる祭祀』の内でも至上のものだ(この点も後述)

私のポリシーとして、本ブログでは『あらゆるファンタジーをはぎ取る』と言う方針を堅持している。まずはブッダを神格化(妄信)しない。インド思想それ自体をも神格化しない。そしてアショカ王の様なある種の『偉人』をも神話化しない、という事だ。 

その為、いわゆる熱心な篤信の仏教徒の方がこのブログを読んだ場合、ある種の不快感を感じる事があるかも知れない。

対象の心の奥深くに分け入りながら、それを『客観』してプロファイリングする。これは私が大学で専攻した社会学、あるいは『文化人類学』的な視点や手法にも通じるもので、私はいわば「宇宙人ジョーンズ博士?」の視点に立って、2500年前から現代に至る『仏教』と呼ばれる人間の心的・社会的『生態』を俯瞰的に『観照・読解』する事を旨としている。

『信仰心』を前提にした探求は、どんなに客観性を標榜してもそれは『神学』に過ぎない。私が第一に興味があるのは仏教を『科学』する事であり、神学の上塗りをするつもりは毛頭ない。それはこの2500年間うんざりするほど繰り返されてきた『ものがたり』に過ぎないからだ。

(最近流行り?の『アップデート系』も所詮は『ものがたり』の『上書き』に過ぎない) 

では以下にアショーカ王碑文の原文を参照しながら、上の読み筋について、実際に逐次検討していきたいと思う。 

原文は、手元にあった

『日本山妙法寺刊・阿育王刻文 第4版 平成16年11月8日発行』PDF

より引用させていただく。上のリンクはPDF文書になっているので参照して欲しい。 

この小冊子は奥付にもあるように、インドで活躍する日蓮宗系の日本山妙法寺が、その宗祖藤井日達師の生誕100年を祝って発行したもので、アショーカ王の磨崖法勅のあるオリッサ州のダウリに、日本山がストゥーパを建立した法縁に基づいている。 

実際の日本語訳は、インド学の権威で中村元博士の師匠にもあたる宇井伯寿博士によるものなので、信頼性も高いと思われる。 

先にも指摘した通り、この法勅文は紀元前3世紀に生きたアショーカ王の生の肉声とも呼べるもので、インド学・仏教学的研究においてはきわめて高い資料的価値を有している。 

宇井先生の訳文が冊子に掲載された経緯(P31)を踏まえた上で、広く社会全体からアクセス可能な状態にする事が、公共の利益に資すると考え、ここにネット上に公開する次第だ。 

もし著作権者の方からクレーム等が寄せられた場合は、検討の上速やかに削除するのでご連絡ください。 

それでは前置きが長くなったが、以下に原文を見ていきたい。実際の冊子は奇数ページに英訳、偶数ページに日本語訳が併記されているので、ここではページ数は全て偶数になる。 

P6, 第一章

B,王の領土にあっては、いかなる生物と言えども、屠殺し犠牲に供してはならない。

C,また宴会をも催してはならない。 

ここで「B:屠殺・犠牲に供して」と言う時、訳文がその原意を忠実に反映していると仮定すると、その文章表現から、日常の食事における肉食よりもむしろバラモン祭官によって執り行われていたヴェーダの動物供儀祭を直接的に禁止していると読むのが妥当だろう。

またB段がC段にかかっているとすると、特に王宮における宴席のために、いわば奢侈な飽食のためにも動物を犠牲にしてはならない、という事が強調されている。 

この後段で、「現在王宮においてはただ3体の動物のみが宴会において屠殺されているのみだが、これもやがて完全に中止されるべき」だと述べている事から、アショーカ王の、動物屠殺・犠牲禁止への強い思いが感じられる。

この点は、前回までに紹介した動物供犠を中心とするバラモン祭式に対するブッダの激烈な批判精神を彷彿させるものがあり、恐らくその直接的な薫陶の結果だろう。 

そう考えると、ここにアショーカ王は、殺戮祭祀(あるいは一般的な殺生)に対するブッダの熱烈な批判とアヒンサー(不殺生)思想を、「国家政策として」宣布し施行した事になる。

P6, 第二章

A,天愛喜見王の領土内のあらゆる所に~(諸周辺国の)至る所、王によって二種の病院が建てられた。すなわち、人間に対する療院と、動物に対する療院である。 

その他、「薬草や食用植物などがない土地にはこれを植えさせた事、動物と人間のために井戸を掘り木を植えさせた事」などが語られ、全体に、医療を中心とした一切生類の福利厚生事業について、記録してある。 

その根底にあるのは、仏教に見られる『抜苦与楽』のすなわち『慈悲の功徳』の『政策的な実施』ではないかと思われる。 

P8, 第三章

D,父母、友人、知己、親族に従順であるのは善である。婆羅門、沙門に対する布施は善である。 

この章では、王国の各種監督官吏に対して法の教勅巡回が指示されているが、近親者に対する従順と並べて、婆羅門と沙門に対する布施が普及されるべき法として特記されている事に注目したい。 

ここでアショカ王が言う『善』とはイコール『法(ダルマ)』だと考えられるので、特に婆羅門と沙門に対する布施が、重要な法の徳目として普及されるべきだと考えられている事が分かる。

そしてもちろん、ここで言う『法』とは、ブッダによって説かれた『内なる正しい祭祀』の『法』を意味している(後述)。 

これは、現代テーラワーダ国において、比丘やサンガへの布施が称賛・推奨されている事に対応し、特に後で登場する『生天』の思想との関連を考えるべきだろう。 

P8, 第四章

A,過去何百年もの間、動物を殺し、生ある物を傷つけ、親族に非礼をなし、沙門、婆羅門に非礼をなすことが増長した。

B,しかし、今や天愛喜見王の法の実践の結果、鼓の音は、法の響きとなり、民衆に天の乗物、象、多くの花火、その他の天上の姿を示した。

C,また、天愛喜見王の法の教導によって、過去何百年もの間存在しなかった、動物を殺さず、生あるものを傷つけない事、親族に対する礼節、婆羅門、沙門に対する礼節、父母に対する従順、年長者に対する従順を守ることが増長した。 

過去何百年という時、どの地域の誰の施政下で起こった事であるかは不明だが、とにかく、アショーカ以前には乱れていた『ダルマ』が、彼の教導によって確実に回復していった事を誇らかに主張している。

ここで「動物を殺し、生ある物を傷つけ、親族に非礼をなし、沙門、婆羅門に非礼をなすことが増長した」という言葉は、前回詳述した

しかし、バラモン祭官たちが欲望に駆られ悪しき祭祀である殺戮の動物供犠を開始し推進した結果、悪神であるナムチ・マーラ・パーピマント達がその『悪しき力(Pāpmāの威力)』を増長させ、世界は不幸と混乱に陥る羽目となった。

悪魔 vs 梵天:「不死の門は開かれた!」 - 仏道修行のゼロポイント より

という流れと完全に重なり合っている、と私は見る。 

『~その他の天上の姿を示した』と言うのは、この文面を見る限りでは、ある種の国家的なイベントによって、様々な『天上の光景』が劇の様な形で大衆に示され、かつては進軍太鼓だったものがイベントにおける法鼓のBGMへと変わった、という事だろうか「インド史 2 」中村元選集 決定版 第六巻 参照)

だとすると、当時、彼らの社会では、天界がどのようになっているのかという、実際の風景が、かなり詳細にイメージされていたのだろう(ここでいう天界とは、あくまでも複数の神々が住まう『欲界』としての天界か)。 

ここでは、アショーカ王の治世下に如何に法の実践が進捗したか、そしてこれからも進められるかが誇らかに宣言されている。 

P10, 第四章

F,それだけでなく、天愛喜見王の諸皇子、諸皇孫、そして曾孫も、壊劫に至るまで、この法の実践を進め、自らも法と戒を守り、法を教勅するであろう。

J,この法勅は、次の目的のために、すなわち、わが子孫が、法の実践に専心し、怠慢にならないようにするために書かれた。 

ここで、ある意味驚くべきアショーカ王の本心が語られている。繰り返すが、これは実に驚くべき証言なのだ。 

これは後段でもたびたび出てくるのだが、この法勅が石と言う不朽な素材の上に深く刻まれたのは、まず第一に、彼の子孫たちが、この法の実践を怠けずに継続するよう命令するために、行われた、というのだ。 

『曾孫も、壊劫に至るまで~』と書かれている事から、これらの指示はアショカ王の死後にも、あるいは死後にこそ、かかっているのだと考えられ、それが『永遠に』続く事を念じている。 

ここで問題になってくるのが、いわゆる『回向』の思想だ。

前半部で私は、アショーカ王の『堕地獄の恐怖』を推定し、それを回避するために実子のマヒンダを出家させスリランカまで派遣するという善業が、父であるアショカ王に回向されその生天に寄与する事を指摘した。 

けれどこれは逆もまた真なりで、アショーカ王が如何に努力して法を普及し善を積んで天上界に生天しても、もしも彼の死後、その息子や子孫が悪業を積み重ねたなら、どうなるか、という事なのだ。 

それが『悪業の回向』となって、天にいるアショーカ王を地獄に引きずり下ろす可能性は考えられないだろうか。 

一般に、天界での寿命は人間の時間に換算すると十万百万単位から億年クラスまで、どちらにしても人間的な感覚ではほぼ『永遠』に近い。 

その永遠の極楽生活をせっかく積善によって獲得し享受しようと目論んでも、子孫の悪業によって速攻で引きずりおろされてはたまったものではない。 

仮にアショカ王の死後10年で、その子孫が悪徳に走ったとしよう。地上の10年は、おそらく天界の一日にも満たない『刹那』かも知れない。とにかくかの地の主観的な時間では文字通り『あっ』という間に、哀れ偉大なるアショーカ王は地上か、はたまた餓鬼畜生地獄界へ落とされてしまう事になる。 

おそらく、当時の輪廻思想には、そのようなメカニズムがすでに表明され広く社会に普及していた、あるいはどのような理由でか、アショーカ王の信仰として確立していた。 

だからこそ、彼はまず第一に、彼の子孫が悪業に流れないように命令したのだろう。いかなアショーカ大王と言えども、死後に現世の人間の行動まで管理する力はない。それゆえに、長くその姿をとどめる岩盤の上に、法勅を刻んだのだ。 

彼の「壊劫に至るまで」という言葉、つまり「世界の終わりに至るまで」この法が保たれるように、という誓願の背後には、子孫とその世界全体の幸福を願う、という点はもちろんなのだが、むしろアショーカ王自身の『天界生活の永遠』を願う本心、と言うものを視野に入れるべきだと個人的には思う。

このような仮説が正しいのなら、いわゆるアショーカ石柱についても、その建立動機について全く新しい視点が得られるかも知れない。 

しかし、自分の死後に、自身の堕地獄を阻止するために、その子孫の行動を律するべく法勅を刻む!このメンタリティは中々に理解しにくいものがある。

だが、アショーカ王の完全主義者としての性格、そして絶対王としての誇り、更に何よりも輪廻転生思想に基づいた堕地獄への恐怖、を想定すると、彼の心象のリアリティが深く理解できると私は判断している。 

アショーカ王の人生哲学、それは究極の『You happy, Me happy !』だったと言えるかも知れない。 

何を言っているか分かるだろうか? この言葉を聞いて思わず笑い出してしまった人はインド通だ。これは、現代に至る典型的なインド人の世界観と言っても良いだろう。

続く第五章には、法の実践など徳ある行為をなす事が、いかに難しいか、そして、その難しい行為を、自分がいかに多く為したかを誇り、その上で、

P10, 第五章

E,従って、朕の皇子、皇孫、そして壊劫に至る迄の子孫で、朕に倣って、この義務に従う者は善事をなす也。
F,この義務の一部でも怠る者は、悪事をなす者である。
G,実に、悪事は為し易し。 

と、ここでも自分の子孫』に対して、厳しく戒めている。 

その後は、法大官と呼ばれる官職の設置について触れ、一切衆生の為に法を確立し、法に専心する彼らの心得について説いている。 

そして最後に、 

P12,

O,この法勅は、かかる目的のために、すなわち、これによって久住せしめ、そして、朕の諸の子孫が、朕に倣ってかくの如く、行ぜんが為に刻せられた。 

と記し、ここでもやはり、この法勅文が何よりも彼の子孫』への命令である事が強調されている。

私の読み筋が正しければ、上の「久住せしめ」という文言は、地上の楽園に大衆が久住する、と同時に、やはり最高天の極楽生活にアショーカ王自身が久住したい、という願望を表しているのだろう。

もちろん彼の論理に従って善政を布き続けた彼の子孫もまた、彼の後を追って天界の極楽生活を享受するだろう事がここには含意されているのだが。 

第六章は、アショーカ王自身の政務について語り、いついかなる時でも、民衆に関する政務の必要があった時は、上奏官は直ちにこれを報告し、彼もまた政務の裁可を下すであろうことが述べられている。 

彼の態度は、世界に対して基本的に極めて『献身的』だ。

彼は自らの政務の至らなさ、不十分さを常に感じており、 

P14, 第六章

I,朕は、万人の福利の増進が義務であると考えるからである。
K,実に万人の福利の増進以上に重要な義務はないからである。 

と、万人=一切衆生の幸せの増進こそが、自分の義務である事を強調し、 

L,従って、朕がいかなる努力をなすとも、これは朕が、すべての生ある者に負う債務を返還し、生ある者に現世において安楽を得させ、来世において、天に達せしめようとするためである。

その義務とは、自分が生ある者に負う債務であり、それを返し、生ある者に現世の安楽と来世の生天を与える事が自分の願いである、と語っていく。 

ここで初めて、具体的に来世の生天について、まずは一切衆生にそれを与えたいという形で述べられている。もちろん、その核心にあるのは、私の分析では『自分』に他ならないのだが。 

最後に、 

M,この法勅は、以上の目的のため、即ちこれを恒久に保ち、朕の皇子、皇孫が、万人の福利のために、等しく努力せしめんが為に、刻された。 

と記し、その実現が如何に最上の努力なしには達成困難であるかを戒めている。ここでも、問題の焦点は自分の子孫、にある訳だ。 

第七章では、全ての宗教宗派の等しい繁栄を望み、その理由として、 

P14, 第七章

B,彼等はすべて、克己と心の清浄を願うからである。
E,たとえ、広大なる布施をなすとも、人若し、克己と心の清浄を保たなければ、全くの賎人である。

と戒めている。 

という事は、彼自身は克己と心の清浄を保っている、と自負していた、あるいは少なくともそれを理想としていた事がうかがわれる。 

心の清浄と言うと、ウパニシャッド的なブラフマン思想における『清浄』や、ブッダゴーサのヴィシュディ・マッガなどを私は連想するが、アショーカ王がここで言う所の『清浄』が、果たしてブッダの瞑想法によって達成されるような『清浄』なのか、あるいは一般論としての心の美しさなのかは、分からない。 

この「すべての宗教宗派が願っている克己と心の清浄」が仏道修行やその他の実践によって体現されるような解脱や涅槃を理想とするイメージである可能性もまた否定はできないが。

第八章では、自分以前の諸王が、狩猟(つまり殺生)を含むいわゆる遊興の旅行にうつつを抜かしていた事を指摘し、 

第八章

C,しかし、天愛喜見王、即位十年にして、三菩提に行った。
D,これより、法巡礼が起こった。
E,この際、沙門、婆羅門を訪問し、布施を行い、又、各地方の民衆を引見し、法の教勅をなして、これに適せる法の試問をなす事が行われる。
F,以来、これが天愛喜見王の治世の、後期における、享楽となる。

と記している。 

Bの三菩提とはSambodhiで、中村元博士によれば、これはブッダガヤの菩提樹を巡礼した事を意味するという。つまり、ここで明確に、仏教徒としてのアショーカ王アイデンティティが、彼自身の口から証言された訳だ。 

彼の仏教徒としての自覚とその思想とは、一体どのようなものだったのだろうか? 

ここまでを見ると、沙門、婆羅門などの聖者を崇め、その教えに従って、わがままな欲望に自堕落に耽溺するのではなく、そのような欲望を制し、特に不殺生を重んじて、他者のため、世界の為に身を粉にして働く事を、彼自身が理想の王と考えていた事が推測できる。

その背後にある詳細な心象は、第九章以降に次第に明らかになっていく。 

第九章では、人々は様々な折に様々な祈願の儀式を行うが、それらは多くが迷信であり益のないものである事が指摘される。 

P16, 第九章

B,人々は、病気の際、娶りと嫁入りの際、子女の誕生の際、又、旅行の出発に際して、様々な祈願を行う。男子もかかる際、又、他のこの種の場合にも多くの儀式を行う。
C,しかし、婦女子は、特にこのような際、多くの迷信と無意味な儀式を行う。
D,儀式は確かに、行うべきではあるが、
E,しかし、このような儀式には、ほとんど実り少ない
F,これに反して、すなわち法の実践は、多くの実りをもたらす。 

と、指摘している。ここで言う『儀式』とはブッダが批判して已まなかった動物供犠を伴うバラモン祭式や、あるいはアタルヴァ・ヴェーダ等の卑俗な占いや呪式を意味するのだろう。

この辺りは、初期パーリ経典におけるブッダの合理主義を彷彿とさせる。この章を見るとアショーカ王もまた、徹底した合理主義者であり、同時に徹底した功利主義者であった事がよく分かるだろう。

しかし女性の迷信深さと言うのは、現代女性の占い好きにも通じて、万古不変の普遍的ネイチャーなのだなー、と私はつくづく感じ入った(笑) 

現代インドでも、プージャに熱心なのは男性より遥かに女性の方が多いと言われる。儀式好き、祈願好きな女どもに舌打ちしているアショーカ王の姿が目に見えるようだ。

ここで注目すべきは、アショカ王『実り』の有る無し、もしくはその多寡、と言う基準において、『儀式』と法の実践を対置している事だろう。

この儀式をバラモン祭官によって執り行われる『祭式・祭祀・供犠祭』と読むと、その代替となる真に『実り(功徳)』のある『内なる祭祀(祭式)』としての『法の実践』という心象が浮かび上がって来る。

この事は、中村元選集における別訳を参照すると、実はひと際明瞭に把握される。

同文、第九章

人々は病気の際、娶りまた嫁ぐ際、子女の誕生の際、または旅行の門出において種々の祈願を行う。

こういう場合に男も種々の祈願をなし、こういう場合に女もまた多くの種々の些細で無意味な祈願を行う。

こういう祈願は実にこれを行わなければならないものであるが、しかしただ少しの果報をもたらすに過ぎない。

これに反してかの「法の祈願(Dhamma-mangala)」というものはすべて大きな果報をもたらす。

この中には次の事、すなわち奴僕および雇人に対する正しい取り扱い、師に対する尊崇、生類に対する節制、シャモン・バラモンに対する施与を含む。

これら並びにそのたのこのような種類のことを「法の祈願」と称するのである。

「インド史 2 」中村元選集 決定版 第六巻 P631より

宇井訳と中村訳を対照すると、前者で『法の実践』とされていたものが、後者では『法の祈願』なっており、『実り』と訳されたものが『果報』になっている。

再び宇井訳の続きに戻ろう。

G,~奴隷および従僕に対する正しい取り扱い。年長者に対する敬意、動物に対する慈悲、沙門、婆羅門に対する布施(を含む)善行を、法の実践(中村訳では『祈願』、以下同)と呼ぶ。
F,(故に全ての人が)言うべきである。「これは善である。この実践祈願は、その目的が達成されるまで、なされねばならない。」と。

(また布施は善であると言われてきたが、)

J,しかし、法の布施、又、法恩程の、布施も報恩も存在しない。
K,故に、朋友、親族、及び同僚は、互いにそれぞれの機会に、「これは為すべきである。これは善である。この実践祈願によって、天に達する事が可能となる。」と教戒し合うべきである。 

と語る。この『祈願』という実践が、生天という『果報』を目的としている以上、それは宗教的な『祈願』であり、すなわち『代替の祭祀』であるという事は見やすいだろう。

続けて最後に、アショーカ王は次の様な信仰告白に至る。 

L,なぜならば、このこと、すなわち、天に達する以上のものに、価するものはないからである。

私はこの文章を最初に読んだ時には、ある種の衝撃を禁じえなかった。ここには明確に、人間にとって最高の幸せとは、死後に天界に転生する事である」、と、アショーカ王の肉声として断言されているからだ。

これは、間違いなく、最初期の時代からやや遅れて成立したと言われるパーリ経典に多出する天界や地獄界などへの輪廻転生説に対応するものだろう。 

法の布施が最大の善業であり功徳であり、それが生天をもたらすからこそ、彼はこれほど熱心に法の実践という『祈願』を促していたと考えるとつじつまが合う。

最初にE、Fで言及していた『実り』とは、正に死後の天界への再生という『果報(中村訳)だったのだ。先の文脈に従えば、理想の法王を自ら体現・実践する事それ自体が、すなわち神々を喜ばせる為の供物であり『内なる祭祀』であった、と言う事であり、その祭祀の果報として期待されるものこそが、至上価値としての『生天』に他ならない。

自身がダルマ・ラージャ(法の王)に徹する事によって、その生天は揺るぎないものになる。何故なら、史上最高の王による史上最高の法施・法恩は、史上最大の功徳となって、史上最高の生天位を保証するだろうからだ。 

他者の幸せを語りつつ、その本心は『自己の生天』にある、というこの視点を失ってはならない。もちろん、その背後には、以下に見るように、かのカリンガ戦数十万人虐殺の悪行がある事は言うまでもない。

また上の断言を見る限り、彼にとって『輪廻からの解脱』は、その人生哲学の中では何ほどの価値も持ち得ていなかったことになる。 

P20, 第13章 シャーバーズガリー 

A:天愛喜見王、即位8年にして、カリンガ国を征服した。その地より、捕虜として移送されたもの15万、殺されたもの10万、又、その幾倍もの人々が死亡した。 

B:それより以来、今は、カリンガ国はすでに征服され、天愛は熱心に法の遵奉、法に対する愛慕、及び法の教導を行う。 

C:これすなわち、カリンガ国を征服したことに対する、天愛の呵責の念である。なぜならば、独立国が武力で征服された場合、殺戮、死亡、又、人々の強制移送があり、これを天愛はすべて苦痛と感じ、又、悲痛と思う故である。 

D:しかし、天愛はこれよりも、一層悲痛であると感じる事は、そこに住する婆羅門、沙門、又は他の宗派の者、或いは、在家者で、その中に年長者、父母に対する従順、朋友、同僚、親族、従僕、家来に対する正しい取り扱い、堅固な誠信で自己を確立した者もあるが、その際、彼らが、災害、殺戮を蒙り、或いは愛する者との離別の苦しみに会った事である。 

E:或いはまた、その人々自身は安全が保たれたとしても、彼らの愛情を抱く朋友、知己、同僚、親族が師別の不幸に陥ることにより、これらが又、彼らの苦悩となる。 

F:このようにこれらの不幸は、万人が蒙るものであるが、又、天愛の酷く悲痛と感じるところでもある。そこには、ヨーナ人(ギリシャ人)の間を除いて、婆羅門、沙門なる階層の存在せぬ国はなく、いずれの国に於いてもいずれかの宗派に対する信仰の存在せぬ所はない。 

G:それゆえ、カリンガ国で為された、負傷、殺害、移送された数の、百分の一、千分の一に対しても、今や天愛は、これを悲痛と感じる。 

H:それのみならず、たとえ余人が、朕に害意を抱くとも、許せ得るものならば、天愛はこれを許すべきと考える。 

I:そして又、天愛の支配下に入った、林住種族をも、朕の生活様式と、思想へと導こうと努める。 

J:又、彼らが、自らの罪を怖け、刑死されぬ様に、たとえ天愛の悔恨になろうとも、天愛の有する権力において、彼らに告知される。 

K:実に天愛は、一切の生ある物に危害のない様、克己あり、公平にして、柔和なるを願うものである。 

L:そして、ダルマーヴィジャヤ・法による勝利なるものを、天愛は考究する。朕の領土内のみならず、600由旬に至るまでの、全ての諸隣邦民族においてもである。(以下、西はギリシャ諸国から、南はチョーラ・パンディヤなど南インド諸国を挙げ) 

M:(その他、領土内の諸民族名を挙げ)いたる所、人々は、天愛の法の法勅に従順しつつある。 

O:この様に、至る所で得られた勝利は、至る所で慈愛の感情を生みだしている。慈愛は、法による勝利により得られる。その愛は、今は僅かなものであれ、天愛は、それが後世において、大果報を生むと思う。 

P:この法勅は、次の目的の為に書かれた。即ち、朕の諸皇子、諸皇孫が、新たな征服をなすべきと、考えぬ様に、また、もし勝利が自然に得られようとも、寛容と刑罰の軽微さを持つ様、そして、法による征服のみを、真の勝利也と考えるようにである。

この法による勝利は、現世と、来世に渡ってなされる。そして又、他の全ての目的を捨て、法に対する悦楽を、すべての人々の喜悦とせよ。それもまた、現世と来世に渡ってなされる。

以上、長々とほぼ全文を引用したが、この13章には非常に重要な証言がいくつも含まれている。 

第一には、カリンガ戦の惨禍についてのアショーカ王の深く激しい悔恨がまざまざと描写されている事だ。 

今までの流れを見ると、アショーカ王は死後の生天を何よりも重要な人間の幸福と位置付けていた。それはその対極として、死後の堕地獄を何よりも恐れる、と言う思想とセットとなっていると考える必要がある。 

パーリ語経典を見ると、すでにこの時代前後には、五道輪廻からやがては六道輪廻に至る輪廻転生の世界観が、明瞭に示されている。 

つまり、法勅に書かれた死後の生天思想の裏返しとして、たとえそこに書かれていなくとも、堕地獄の恐怖が彼の心の中にはリアルに存在していたと読み込むべきなのだ。 

この堕地獄への恐怖については、カリンガ戦役によって死者数十万を数えた事を彼が深く悔悟している事実の裏に当然想定されるが、それを更に鮮明に表しているのが、婆羅門・沙門に関する彼の言及だ。 

バラモン・ヒンドゥ教と仏教という本来は対立する二つの宗教には、二つの共通項が存在する。 

それはそれぞれの聖者、バラモン教ならばバラモン司祭、仏教であればサンガの比丘を信仰し供養する事によって、死後の善趣(良い再生の境涯)が約束されている、と言う点。

そしてその裏返しとして、これらの聖者に危害を加えたり、或いは最悪殺したりする事を最大の悪業と位置付け、究極の堕地獄を保証している点だ。 

D節を注意深く読み説けば、そこには、この聖者、すなわち、『ダルマ』を教導する者に危害を加えた事を、何よりも深く悔悟し、更にこれら聖者による教え(ダルマ)に従って生きる善き信仰者に危害を加えた点を、悔悟している。 

ここで、焦点になるのが、ダルマ、と言う言葉だ。これは本来『(何かを)支える』と言う意味から派生し、人倫の法律、正義(善)、義務、真理の法、などを指し示す、とても幅広い意味をもった言葉だという。 

アショーカ王の法勅を読んでいくと、これら幅広い意味合いを全て含んだ人間にとって至上価値としての『ダルマ』を推進する事こそが、来世の善趣を約束する功徳である事が分かる。 

このダルマ、極めて抽象度の高いものに見えるが、当事者にとっては決してそうではなかった。私の見た所、そのような人間にとって至上価値をもったダルマを実践し体現する事、それ自体が『祭祀の法』という概念と表裏一体の関係にあった。

そのような『祭祀の法』を司る聖職者に対して危害を加える事は最大の悪業であり、一般人民を殺戮する事よりも遥かに重大な堕地獄の定めをもたらしたはずだ。 何故なら、彼らは儀式(祭式)や瞑想と言う異なった方途によって、それぞれ天の神々と繋がっているからだ。

この聖者殺害(危害)による堕地獄の恐怖は、直接触れられてはいないが、このD節の『天愛はこれよりも、一層悲痛であると感じる事は~』という出だし部分に、鮮明に表れていると考えられる。 

もちろん、被害者にとって悲痛である、と同時に、何よりも加害者であるアショカ本人にとって悲痛(堕地獄をもたらす痛恨の失点)であった、と言う視点を失うべきではないだろう。

概観すると、アショーカ王の心象風景とは、五道六道の輪廻転生世界観を大前提として、その中で犯してしまった人民殺戮の大悪業、そして何よりも、ダルマを推進する沙門・婆羅門に対する危害・殺害という極悪業に対する懺悔・悔悟を一大動機として、自らの堕地獄を生天へと大逆転を図るために、徹底的に『ダルマの祈願』という『祭祀』に徹するという決意ではなかったかと推測できる。 

それは、挙国一致して『善』と『法』という『内なる祭祀』を推進する事に拠って神々を喜ばせ、(あくまでも自分を筆頭に)全国民挙げて天界へと転生しよう、という壮大なキャンペーンだった。

大地の主となってしまったアショーカ王にとって、その支配下・影響下にある全ての人民は、わが子も同然だった。インド世界における『最高責任者』はアショーカ王なのだから。

当然、彼ら人民が善業をなせば、それは責任者であり父であるアショーカ王に回向される。逆に彼らが悪業にふければ、それは悪徳の回向になりかねない。 

全ての人民が、一致団結して『ダルマ』を推進する事によって、自身を始め全ての人民が生天の果報に恵まれ幸せになれる。けれど自分の幸せを前面に出したら差しさわりがあるから、『お前たちの為に』を前面に出して語りかけたという訳だ。 

正にインド的な究極の『You Happy, Me Happy !』の世界ではないだろうか? 

こう書いたからと言って、私がアショーカ王を貶している、と捉えて欲しくはない。ある意味彼は、現代の諸政治家・権力者よりも遥かに高い理念を掲げた有能な支配者だったからだ。 

けれども、その背後にある彼の『利己』と言う動機を失念し、いたずらに彼を絶対視し理想化する事もまた避けなければならないだろう。 

マウリア朝の初代チャンドラ・グプタが、マガダ地方の周辺から兵を起こし、当時の支配者ナンダ朝を倒して一気にインド世界の覇者になり得たのは、その宰相であるカウティリアの力によるものが大きかったと言われている。 

このカウテイリアは著書『アルタ・シャストラ(実理論)』で知られ、インドのマキャベリと言う異名を得ている様に、徹底した功利主義者だったらしい。 

おそらくアショーカ王は、このマウリア朝の伝統である徹底した功利主義の忠実な徒であった。彼の諸事業の多くが、祖父チャンドラグプタの路線を継承・発展させたものである事がそれを証明している。 

その功利主義が、輪廻転生的な心象と価値観の中で仏教の薫陶を受け、十全に発揮されたのが、そのダルマ・ヴィジャヤ(法の勝利)の方針であったと考えれば、全ての辻褄が合う気がするのだが、いかがだろうか。

f:id:Parashraama:20170226151944j:plain

仏教にはアショカ王が信奉していたような『輪廻転生・生天教』としての側面と、出家比丘が邁進するべき『輪廻からの解脱教』という二つの全く相容れない両極端な側面が存在する。

このどちらもが無理なく並立・共存していなければ、在家信者による供養で成り立つ出家比丘の修行生活と言う『システム』は成り立ちえなかっただろう。

その事とも関連して問題になるのが、何故、人々の請願を神々に届け成就させる為の祭祀を執り行うバラモン司祭たちと、瞑想修行に専念して解脱を目指している出家比丘(沙門)たちが、アショカ王によって同列に扱われているのか、という点だ。

両者はまったく違う文脈に属し、違う事柄を実践しているのではないのだろうか?

そもそも第一に、何故自らの心の安らぎ(涅槃・解脱)に到達し、あるいはそれを目指しているだけの、ある意味『利己的』な出家比丘が『他者から供養されるにふさわしい者(アラハン)』として、在家者たちに受け入れられたのだろうか?

在家者にとって、出家比丘に供養する『意味』とその『効果』とは、一体、何に根拠を置いていたと言うのだろうか?

この疑問点を解読する為にカギとなる概念、それがこれまでも繰り返し言及してきた『内なる祭祀(祭式)』だ。そしてこの『内なる祭祀』と言うイデアと、ブッダが自らの実践を『真のバラモンの道』と称揚した事実との間には深い相関がある。

輪廻転生世界観の中で神々とつながり、現世や来世の運命を支配する『システム』の中心にいてそのプロセスを仲介するのは、ブッダ以前にはバラモン祭官なる『外的儀式という祭祀実行者』だった。

分かり易く言うと、彼らバラモン祭官は、祭主の請願を成就する為にアウトソーシングされた祭祀代行者』であった、と言えるだろう。

しかし、ウパニシャッド的求道者達の中から、その様なバラモンの祭祀が持つ効力と言うものが、主として唯一至高の絶対者ブラフマン概念と重ねあわされた『輪廻からの解脱』という価値観において、批判的に検証され始めた。

そして絶対者ブラフマンと言う『至高の一者』につながり、その世界に迎え入れられ合一し、もって『苦なる世界』から『解脱』する為の『内なる代替祭祀』として、苦行やオウムの単一念誦など様々なオルタナティブな実践行が模索されていった。

そのような流れの中で、インダスの昔より存在したインド先住民伝統の『坐の瞑想(アーサナ)』がそのオルタナティブの有力な一角として台頭し、苦行やオームの念誦とも融合しつつ、『ウパーサナの坐法』として実践され始める。

このブラフマン神と言う唯一至高者を対象とした内なる祭祀としてのウパーサナ坐法=『坐の瞑想法』は、やがてアーラーラ・カーラーマやウッダカ・ラーマプッタなどに象徴される様な先達たちによって洗練され進化していったが、未だ決定打と呼べるものでは無かった。

そこに登場したのが、ゴータマ・ブッダだった。彼は当時世上に溢れていた様々な『ブラフマンの解脱境に至る為の行法』をことごとく実践した上で、その欠点や不足を明らめ補い、『真にブラフマンの解脱境に至る坐の瞑想という内なる祭祀』を完成させ自らそこに至った

彼に率いられた比丘サンガとは、バラモン祭官の執り行う外的な祭祀という『貪欲に囚われた旧態の悪法』にとって代わる『ブラフマンの解脱境に至る為の坐の瞑想という内なる祭祀実行者』であり、もちろんブッダの視点から見れば自身の実践こそが『真正・最上の祭祀』に他ならず、だからこそ彼は『真のバラモン』を自称し、既存バラモンの『悪法』を駆逐する為に、『開教』へと立ち上がったのだ。

彼は発心した求道者・出家者に対しては自らが実践・体現した 『ブラフマンの解脱境に至る為の坐の瞑想という内なる祭祀』を指導し、一方で在俗信者たちには出家者に供養しその行道をサポートする事の功徳を説くと同時に、彼らに『祭祀の内製化』を迫った。

つまり既存のバラモン祭官にこれまで『アウトソーシング』されていた祭祀実践を、自らの責任と『生き様』において『内製化』し、主体的に『善き人として生きる事』が在家にとって神々を喜ばせる真実の祭祀であり、生天と言う果報をもたらす事を説いたのだ。

このような『個々人の中に内製化された主体的な祭祀』こそが、アショカ王の邁進した『善と法の実践・祈願』に他ならない。彼が実践した『世界を幸福にする為の善なる行為』は、(見返りとしての生天を期待しつつ)、その全てが神々を喜ばせる『供物』として捧げられたのだ。

(これは遥か後世のヴィヴェーカーナンダが説いたカルマ・ヨーガの原像とも言える)

その背後には、「動物を残酷に殺戮し犠牲にしその肉を貪り食うような野蛮なバラモン祭式によって、神々が喜び、人々の願いを聞き入れるなどと言う事が、どのような理によってあり得るのだろうか?」というブッダの批判と、それに共鳴する時代の機運が確かにあった。

アショカ碑文の第九章には、ギルナールやカールシーで発見された異文がある。その中には次のようなとても印象深い一節が存在する。

ギルナール碑文(第九章異文)

「これは善である。この目的を達成するまで、この祈願の儀式が実行されなければならない」

「施与は善である。しかし、法の施与または法の恩恵のような優れた施与や恩恵は存在しない。ゆえに朋友、または親友、または親族、または同僚によってそれぞれの機会ごとに〔次のように〕教え諭されなければならない。

『これは実行されなければならない。これはである。これによって天に到達する事ができる』と。

実に天に到達することよりも以上に、為すべき事があるだろうか?

「インド史 2 」中村元選集 決定版 第六巻 P632より

上の『祈願の儀式の原語は確認できておらず、またそれが具体的にどこにかかっているかは明瞭ではないが、ここで『善』あるいは『法』と呼ばれている事の実践と普及それ自体こそが『生天という目的(実り・果報)を叶えるための祈願の儀式』であると捉えれば、それはまさしく『内製化された祭祀(祭式)』そのものではなかっただろうか。

 

善と法の実践・祈願=祈願の儀式=内製化された祭祀(祭式)

 

この生天を目的とした在俗信者による

『個々人の中に【内製化】された主体的な祭祀としての《善の実践・祈願》』

と、

解脱を目的とした出家比丘による

『真正・最上の【内なる】祭祀としての《瞑想実践行》』

という仏教の両輪がどのような構造の中に位置づけられているかは、長部経典第五経:クータダンタ・スッタにおいてつまびらかに明示されている。

次回はその主要部分を引用しながら、ブッダの真意について更に迫っていきたい。

 

本投稿は先行するYahooブログ「脳と心とブッダの覚り」のアショカ王の回心アショカ王の回心2アショカ王法勅を読むアショカ王法勅を読む2『輪廻転生教』としての仏教、という視点 を大幅に加筆修正の上統合したものです

 

(記事内容については、投稿後一週間くらいはその細部を地味に加筆・修正する可能性があります)

 

§ § §

本論考は、インド学・仏教学の専門教育は受けていない、いちブッダ・フォロワーの知的探求であり、すべてが現在進行形の過程であり暫定的な仮説に過ぎません。もし明らかな事実関係の誤認などがあれば、ご指摘いただけると嬉しいですし、またそれ以外でも真摯で建設的なコメントは賛否を問わず歓迎します

また、各著作物の引用については法的に許される常識的な範囲内で行っているつもりですが、もし著作権者並びに関係者の方より苦情や改善の要望があれば、真摯に受け止め適切に対応させていただきます

§ § §

 

今回引用させていただいた書籍

クリックでAmazon詳細ページへ 

 


にほんブログ村