ゴータマ・ブッダ
ここまで私は、パーリ経典における数少ない実践的な瞑想ガイダンスの中で、最も重要なフレーズとして、 parimukhaṃ satiṃ upaṭṭhapetvā(Maha Satipatthana Sutta)顔の周りに思念(サティ)をとどめて(春秋社:原始仏典Ⅱ)fixes his awareness in the area…
ブッダの瞑想法、その導入部に当たるアナパナ・サティにおける気づきのポイントが、動物の調教における『急所・焦点』である鼻先、額、耳、口、と重なり合っていて、それらが、パーリ経典の中では『顔の周りに思念を留める』というひとことで表現されていた…
マウリヤ朝第三代のアショカ王については、仏教に関心のある方の多くがご存じだろう。今回はこれまで折に触れて言及してきた『内なる祭祀』問題について、アショカ王のリアルな『肉声』を手掛かりに考えていきたい。 紀元前268年、マウリヤ帝国第三代として…
前回の投稿では、その最後に「スッタニパータ :第二 小なる章・7バラモンにふさわしい事」の全文を引用し、また「長部・三明経」や「ブリハッドアーラニヤカ・ウパニシャッド」の当該部位をそれに重ね合わせ、その特徴的な心象世界について分け入っていっ…
ここしばらくウパニシャッド的な絶対者ブラフマンとゴータマ・ブッダの関係性と言うものについて、色々と考えて来た。 古ウパニシャッド文献とパーリ経典を同時並行的に対照しながら読み進めていると、もちろんこの両者には差異があるのだが、それよりもむし…
前四回にわたってウパニシャッド的な絶対者ブラフマンとゴータマ・ブッダとの関係性について、諸原典を引きつつ様々な角度から検討してきた。 それについて新たに判明した事実関係について補足しておきたい。前回私はいくつかのテーマについて考察しているが…
前回の投稿では、絶対者Brahmanと梵天神Brahmāとの関係性に一応の決着をつけた後に、『真のバラモン(ブラーフマナ)』という表現あるいは概念について、ウパニシャッドとパーリ仏典の両面から迫ってみた。 そこでは『輪廻からの解脱』を巡って対照的な、大…
前二回にわたって『ブラフマンとゴータマ・ブッダ』というテーマで記事を書いてきた。がその中でひとつの焦点になっていたのが、 「『Brahman』と『Brahmā』と『Brahma』が表記上明分化されていない、という事に関しての疑問」 であり、 「ウパニシャッド的…
原始仏典のスッタにおいて、覚りに至ったブッダの事を『ブラフマン Brahman』という語を伴う呼称によって称賛し、ブッダの説いた修行道をブラフマンへ至る、ブラフマンになる道、と称するケースが随所に見られる。 このような、『ブラフマン』概念とブッダと…
スワヤンブナートの仏塔ストゥーパ。ネパール、カトマンドゥ 前回の記事ではブッダの時代の思想史的・修道史的な前段階として古ウパニシャッドに焦点を当て、その核心部分とも考えられる『ウパーサナ』について検証し、その『実践』がゴータマ・ブッダの成道…