仏道修行のゼロポイント

ゴータマ・ブッダの原像とヒンドゥ・ヨーガ

『真のバラモン』とゴータマ・ブッダ【前編】

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前二回にわたって『ブラフマンとゴータマ・ブッダ』というテーマで記事を書いてきた。がその中でひとつの焦点になっていたのが、

「『Brahman』と『Brahmā』と『Brahma』が表記上明分化されていない、という事に関しての疑問」

であり、

ウパニシャッド的な『絶対者ブラフマン』と原始仏典的な『ブラフマー梵天)』との関係性」

というものであった。

この点に関して、非常に分かり易い解説があったので、下に引用したい。ただ、文章は分かり易いのだが、だからと言って依然としてその実態がはっきりした訳ではない。

ブラフマン(梵)とは中性名詞で、 

(~のちには男性名詞のブラフマンが成立し、ヒンドゥ教の主神となった。一般に記されるブラフマーは男性名詞ブラフマンの単数主格の語形が固定したものである~)

元来はヴェーダ賛歌・祭詞・呪詞内在する神秘力ヴェーダの知識に由来する神秘的威力を意味した。

祭式(祭祀)万能の信仰の展開に伴い、「神を動かして願望を達成する原動力」とされ、ついには「宇宙の根本的創造力」と見られた。

バラモンサンスクリット語ブラーフマナ)とはこの神秘的な威力を具えた者の意であり、祭式の神秘性を解き明かす文献をブラーフマナというのも前述の解釈に基づく。

従って、そのような神秘的威力こそ万有を創造する者であり、創造者として被造物を支配する者とされ、被造物に遍満する本体とされ、その結果、万有そのものと同一視される根本原理とされるに至ったのである。

 【原典訳】ウパニシャッド、岩本裕 編訳、ちくま学芸文庫 P363~ より

これは順番がややこしいので、少し整理してみよう。

このブラフマンという概念のそもそもの原像は、『祭祀(祭式)』と密接な関わりのあるものであった。

元々インド・アーリア人の生活の中心には、人知を超えた超越的な天界の神々に対して祭祀を行い、現世における様々な利益(ご利益)や死後の安穏を願うと言う習俗がインド亜大陸侵入以前の時代から存在した。

その様な祭祀において、神々を讃え勧請する為の賛歌の集成こそがリグ・ヴェーダに他ならない。この祭祀は基本的に火の中に供犠を捧げ、賛歌と共に神に祈る、という形態をとっていた。

ここに三つの特徴が鮮明になる。ヴェーダの祭祀(祭式)とは、第一には火の祭祀であり、第二にはその火に犠牲を捧げる祭祀(供犠祭)であり、第三にはそれらのプロセスにおいて神々に捧げられる賛歌詠唱の祭祀である。

ここで私が『祭祀(祭式)』と書いている事の原語は『Yajña』であり、これ自体『供犠』というニュアンスを強く持っている。神々を喜ばせて人間の欲望(請願)に答えてくれるように、人間にとって大切な、そして神が喜びそうなものを犠牲にし、供養する。

यज्ञः yajñḥ ヤジュニャ
यज्ञः [यज्-भावे न] 1 A sacrifice, sacrificial rite; any offering or oblation;

犠牲、供犠の祭式、奉納、供養、寄進。

यज्ञेन यज्ञमयजन्त देवाः; तस्माद्यज्ञात् सर्वहुतः &c.; यज्ञाद् भवति पर्जन्यो यज्ञः कर्मसमुद्भवः

Prin. V. S. Apte's The practical Sanskrit-English Dictionary より

この段階で供犠として火の中に捧げられるのは、ソーマ酒や精製バター(ギー)などが中心であり、大きな祀り(それだけ大きな願望)の時は大切な財産である家畜動物も犠牲に供せられたが、後世の(ブッダが批判している様な)大規模かつ大量の動物を犠牲にするスタイルは未だ顕在化していなかったと考えられる。

インドに侵入したアーリア・ヴェーダの民は、やがて現地に定着し先住民との様々な相互作用の中で経済的・社会的に安定すると、祭式のみを専門に担う祭官がひとつの階級として分離独立を果たす。これがいわゆるバラモン祭官の階級である。

彼らは祭式の儀軌についての煩瑣な知識を独占し、その『知識の力』によって神々を動かし得る根拠となした。

一般的な形式としてのヴェーダの祭式の方法は、時に応じて恩恵を乞うべき神に向かって聖なる火に捧げものをし、煙となって天にのぼる供物をその神格が嘉納して、その祭式を行った人々に恩恵を垂れてくれる事を祈願する、というものであったと考えられる。

ヴェーダは《知識》の意味である、と述べた。知識は言葉で表され、言葉を知る者はその言葉の対象を支配できる、というのが古代人の言葉に対する基本的な考え方である。

言葉を知る司祭階級であるバラモンは、言葉によって神々をも動かす事ができる絶大な力を持つに至るのである。

その様な言葉は呪力を持つものであり、ひとつのアクセントの誤りも許されず厳密かつ正確に伝えられなければならなかった。 

ヴェーダからウパニシャッドへ:針貝邦生著 (Century Books―人と思想) P24~より 

そして社会の発展と経済成長に伴って祭式も大規模化していき、その祭式を司る祭官たちの権能もますます増長していった。

これはある意味、戦後の日本が経済発展と共にその官僚機構を肥大化させ続け、本来は公の僕たる官僚が今や国家を支配し動かしているのと同じ原理かも知れない。

バラモン祭官とは、天上の神と地上の人そして社会を『つなぐ』事(Devaプロバイダー)に特化した祭式専門官僚であり、想定される天の神々の威力を背景に、いわば人間社会の『経綸』を左右する力を持つものとして君臨しはじめる。

それまでは人間の祭祀はあくまでも上なる神に下から乞い願う、という形であったが、やがて祭式の肥大化と祭官の権能の増大に伴ってその立場は逆転し、祭官の執り行う祭式の力こそが神々を支配し世界の運行さえをも司る、と豪語されるようになった。

祭式万能を標榜するバラモン教の誕生だ。戦士階級クシャトリヤの台頭と彼らの覇権の結果として生まれた都市の経済発展を背景に、祭式に対して莫大な財貨の提供・供養が求められ、その規模は増大の一途をたどった。

そこでは社会の安定の有無から人々の健康、経済的繁栄と衰退、月日の巡りや降雨や日照りなどの天候に至るまで、この世界の命運は全てバラモン祭官による祭式の力によって支配されている、と考えられた。

彼らは祭式の万能を強調し、繁雑にして煩瑣きわまりない祭式哲学を展開したからである。バラモンは自分たちが独占する祭式を最高最勝の神秘とし、宇宙の展開も祭式の力により、また神も祭式の力によってその威力と不死性を得るとした。

バラモンは本来宗教者として神に仕える身でありながら、その本分を忘れ、神を操縦し、願望の成就を強要する態度をさえ示した事が知られる。

 ~中略~

こうして祭式は神を動かして初期の目的を達成させる原動力であり、人間の幸福と利益の源泉とされたが、それだけに祭式の執行に際しての微細な瑕瑾でも、破滅の原因になるとされた。

従って、自分の願望を達成しようとして、バラモンに委託して祭式を自分の為に執行させる祭主は、もしバラモンが悪意をもって祭式を故意に間違えたり、あるいは密かに呪ったりする事を極度に恐れたのであって、祭主の一身はバラモンの掌中に完全に握られているという結果となった。

神さえ自由にすると言う祭式に対して、祭式の神秘について全く無知な祭主が抵抗しえなかったのも、当然と言わなければならない。

祭主は自ら神であると嘯くバラモンに、数多くの牛や夥しい財宝を贈って、そのご機嫌を取り結ばざるを得なかったのである。 

【原典訳】ウパニシャッド、岩本裕 編訳、ちくま学芸文庫 P357~ より

これら神々を動かし、天地の運行さえをも支配する『祭式が持つ言葉(賛歌・祭詞の知識)の呪の威力』、それが『ブラフマン』の原義であり、祭式と賛歌に関する『知識』によってそれらブラフマンの威力を行使する事から、これら祭官は『ブラーフマナ』、すなわち『ブラフマンの力を具える(知る)者』と呼ばれた。

この『ブラーフマナ』こそがバラモン(婆羅門)の原語であり、本来『バラモン』とは『ブラフマン』を行使・運用する職掌であり、それ故の命名であった。

この事実が漢訳・音写の『婆羅門』やその現代化である『バラモン』という語からはほとんど見失われてしまっており、それが第一の問題点ではないかと私は感じている。

このような祭式と祭官の在り方については、歴史的に様々な疑義が呈されてきたのもまた事実だ。すでにリグ・ヴェーダには神の実在やその威力についての疑問の声さえ収録されている。

当然、上のような増長した祭式万能のバラモン教に対しては、その威勢の陰で様々なアンチテーゼが表明されるようになった。

恐らくそれら祭式万能を標榜しバブリーなセレブ生活に耽溺する、貪欲で自己中心的なバラモン祭官に対する批判的な世論があったのだろう。

その様な批判は、第一にバラモン階級自身の中からも生まれた可能性が高い。

すでにリグ・ヴェーダの後期において、哲学的な思索へと向かい始めた古代インド人は、乱立する多神教世界観に飽き足らず、世界の『唯一の』最高原理を『人格神』として求め始めていた。

インド亜大陸への侵略の前後には最高神格として崇められていた軍神インドラは、社会の安定と共にその勢威を失い、帰一思想、すなわち唯一最高神『Eka(一者)』にその地位を譲り渡していく。

初期においてその『Eka』は、それまでの多神の中より選ばれた特定の一神をそのつど便宜的に当てはめるものだったが、やがてその中から、ヴィシュヴァカルマン、ブリハスパティ、プラジャーパティなどいくつかの『一者/一神』が顕在化していき、そのひとつに『ブラフマナス・パティ』があった。

これは一般に『祈祷の主』と訳されているようだが、おそらく前述の『祭式における賛歌・祭詞の言葉が持つ呪の力』の根源でありその『主宰者』を意味していたのだろう。

ここに祭式万能教において増長するバラモン祭官に対して、ひとつの決定的な『反証』が突き付けられる事の端緒がある。

つまり、彼らバラモン祭官が世界の運行すら支配すると豪語した『ブラフマン』すなわち『祭詞と賛歌における言葉の呪の力』。しかし、この呪の力を力として威力たらしめる為には、その背後に何らかの超越的な『何者か』がいなければならないのではないか?という疑問だ。

何故なら、どのように祭式の威力を豪語するバラモン祭官も、所詮は『死すべき人間』に過ぎないからだ。その様な有限で死すべき人間であるバラモン祭官が、本然的な『自力能』として世界の運行までをも司るような力を持っている筈がないではないか、と。

そもそもリグ・ヴェーダの時代から、神々への賛歌は代々リシすなわち聖者(詩聖)たちが『天啓(神意)』によって獲得してきた、と言われていた。

つまり神々への賛歌とは、人間をして神々を賛仰させ祀らせるために神々から下賜され贈与されたものだったはずなのだ。

当然、神々から下賜された賛歌が持つ言葉の呪の威力もまた、神々から与えられた、と考えるべきではないのか?

祭式万能を誇るバラモン祭官たちは、ひとつの矛盾に直面する事になった。彼らが行使する天地の運行すら支配するはずの『言葉の呪の力であるブラフマン』とは、一体どこから来たのか、それは彼ら祭官よりも上なのか下なのか、という命題だ。

このような矛盾を解決するひとつの合理的な仮説として、言葉の呪の力であるブラフマンを一種の超越神格として抽出し、それをバラモン祭官の上に置く思想が生まれたのではないか、と私は考えている。

その起源はリグ・ヴェーダの後期には顕在化していた、先のブラフマナス・パティに求められるかもしれない(この点に関しては後段でより詳述したい)。

つまり、往古の多神教的神々の上に、祭祀によってそれを支配するバラモン祭官を置いたバラモン教に対して、そのバラモン祭官の上に、彼らの言葉の呪の威力を『統括し付与する一者』として絶対者ブラフマンを置く、という上下秩序だ。

祭式万能のバラモン教が、かつては人間を意のままに支配していた神々に対する『下剋上』であるとしたら、この絶対者ブラフマンの登場とは、増長するバラモン祭官に対する『再下剋上』であり、一者に収斂された神威の『復権』に他ならない。

そのような再下剋上は、おそらく台頭する戦士階級クシャトリヤや、インド亜大陸先住民の基層文化などとの相互作用の中で徐々に形成されていったと思われるが、バラモン階級自身の内部からも、率先してそれを推進する機運が生まれたというのは歴史の皮肉だろう。

これはある意味、徳川独裁幕府の末期において、その権力中枢の一翼を担う水戸徳川家の中から、徳川の私的覇権に対する疑義とそれに対する『正当化』の必要が、尊王思想として澎湃と生まれてきた流れと軌を一にするものなのかも知れない。

つまり、祭式を支配するが故に社会の最高位である事を担保されたバラモン階級者たちは、自らの権威、その正統性の根源・根拠を徹底的に追求していった果てに、自らの上に立つ絶対原理としての至高者ブラフマンを想定せずにはいられなかったのだ。

先にも言及したが、何故なら彼らは所詮、『死すべき人間』に過ぎないからだ。貪欲にまみれ、儚くも不浄な、一生類に過ぎないからだ(これはどのような時代・地域においても、何人も否定できない!)。

もちろん、このような自己省察自己批判と絶対者ブラフマンへの傾斜は、北インド全域におけるバラモン階級のマジョリティをいきなり席巻していった訳ではなかっただろう。

それは恐らく、正統を誇示するバラモン教の牙城であったガンジス川上流部からは遠く離れた、彼らから見たら辺境に位置するガンジス川中下流域において、やがて支配的なムーブメントとして台頭し始めた。

それがいわゆるウパニシャッド的な求道と思索の流れであり、それと軌を同じくした『沙門(サマナ)』達の求道であった。このウパニシャッド的な探求とサマナ的な求道実践が密接に関係する事は、両者の舞台となった主な土地が、マガダやコーサラ(カーシー)など多く重なっている事からも容易に想定される。

そしてこのようなガンジス川の中下流域の地方とは、同時にクシャトリヤの王権が台頭する都市文明圏でもあった。そこでは、伝統、すなわち増長する祭祀万能主義のバラモン教に対して、公然と批判できる自由で広闊な『エートス』が満ち溢れていたのだろう。

その様な社会背景の中、シッダールタ王子は出家していち沙門となった。

ここまでの流れを踏まえた上で、冒頭の問題に戻ろう。

ブラフマン(梵)とは中性名詞で、のちには男性名詞のブラフマンが成立し、ヒンドゥ教の主神となった。一般に記されるブラフマーは男性名詞ブラフマンの単数主格の語形が固定したものである」

これは依然としてアマチュアである私には取っつきにくい説明だが、中性名詞であるブラフマンとその後の男性名詞であるブラフマンとは共に表記上は本来違いの無いBrahmanであり、後者の男性名詞が単数主格に語形変化したものがBrahmāであり梵天神としての固定された固有名詞になった、という事でいいのだろうか。

更にややこしい事に、上記はサンスクリットについてであって、これをパーリ語に当てはめてみた場合どうなるのか私には断定できないが・・・

結局、前回までの流れを見ると、

brahmanになった=brahmabhūta」
brahmanに達した人=brahmapatti:brahmalokūpapatti」
brahmanと同じ者= brahmasama」

brahmanの乗り物=brahmayānam」

brahmanへの修行=brahmacariya」

brahmanの車輪=brahmacakka」

というパーリ経典に多出する表現における『brahma****』は、そもそも中性名詞と男性名詞を共に表すbrahmanから語尾のnが脱落した形の複合語であって、絶対者ブラフマンを表すのか、あるいは男性神格のブラフマー梵天神)を表すのか、基本的には『不明瞭である』と言うのが、正解なのかも知れない。

しかし、これまでの考察を踏まえてインド思想・宗教史を概観してみれば、梵天神ブラフマーへの信仰というものが、言葉の呪の力を意味する所から発展し絶対者へと収斂されたブラフマン(中性)と全く無縁に存在していたとはやはり考えにくい。

また、絶対者ブラフマンをメインテーマとしていると言われるウパニシャッド文献の中にも、明らかに天界に住まう神格としてのブラフマーを指すと思われる記述がまま見受けられる。

例えば輪廻転生とそこからの解脱の原像を活写する最古層のウパニシャッドであるカウシータキ・ウパニシャッドの第一章などでは、輪廻を避け得られる(つまり輪廻からの解脱)隠処として、死者が赴く最高天を『ブラフマンの世界』とし、そこでのブラフマンは死者と問答をするという形で、明らかに『人格神』の形態を採っている。

彼(死者)はこの神道と名付けられる道を通り、まずアグニ(火神)の世界に到る。ついでヴァーユ(風神)の世界、ヴァルナ(水神)の世界、アーディトヤ(太陽)の世界、インドラの世界、プラジャー・パティ(創造主)の世界、ブラフマンの世界に到る。

実に、このブラフマンの世界には、アーラ湖があり、イェシュティハ瞬間があり、ヴィジャラー(不老)河があり、イルヤ樹があり、サーラジヤ広場があり、アバラージタ(不落)大邸宅があり、インドラとプラジャー・パティとはその門衛である。

【原典訳】ウパニシャッド、岩本裕 編訳、ちくま学芸文庫 P10~ より(以下同)

最初のアグニから始まってブラフマンに至る神々の序列は、そのまま歴史的に見た時の中心神格の移り変わりを表している様で興味深い。最終的にこの時点ではインドラの上にプラジャー・パティ、更にこの二者を門衛として従えて、その上の最高処にブラフマンが君臨している。

このブラフマンの世界に到達した死者(の魂)は、華美な天界の様々な様相を通過して、ついにヴィジャラー河に到達すると「もはや老いる事はない」者となる。

そして、華鬘と香油膏と白粉と衣裳と果物を手にした500人のアプサラスによって、彼はブラフマン(男性神)の装飾品で飾られ、ブラフマン(宇宙の最高原理)を知る者となるという。

彼は善業を離れ、悪業を離れ、ブラフマン(宇宙の最高原理)を知る者となり、ブラフマンに向かって進む

最終的にブラフマンと出会った死者はとの対話の中で、

「私はそれぞれの存在のアートマンである。汝も存在のアートマンである。〔従って〕汝である者、すなわちわたしはそれである」

ブラフマンに向かって語る。そして、

ブラフマンが彼(死者)に「余は一体何者か?」と問うと、彼(死者)は「サトヤム(真実)である」と答える。

ここに出てくる諸概念、すなわち「私はそれである」や「サトヤム(サティヤ=真実)などはその後の絶対者ブラフマン思想においても中核的に位置づけられるキーワードであり、ここでの人格神的なブラフマンと哲学的な絶対者ブラフマンが完全に接続している事は明らかだろう。

また、同様にこの流れを受けたチャーンドーギャでは、以下の様に天界に住まう人格神としてのブラフマンという概念を明確に保っている。

チャーンドーギャ・ウパニシャッド第8章5-3

森への隠棲(Aranyayana)と呼ばれるものは、梵行に他ならない。実にAraとNyaとは、この世界から第三の天にあるブラフマン(人格神としてのブラフマン)の世界にある二つの大海である。

アイランマディーヤ池、ソーマ=サヴァナというアシュバッタ樹、アパラージターというブラフマン都城、黄金造りの主君(主宰者としてのブラフマン)の宮殿も、そこにある。

それ故にこそ、ブラフマンの世界にあるアラとヌヤの二つの大海を、梵行によって見出す人々にのみ、このブラフマンの世界があり、これらの人々は一切の世界において行動の自由を得る。

【原典訳】ウパニシャッド、岩本裕 編訳、ちくま学芸文庫 P175~ より

前後の流れを見ると、ここでも最高の天上界(第三天)が想定され、その中でいわゆる(哲学的な)絶対者ブラフマン梵天神が特段の区別もなく連続的に言及されている。

(繰り返しになるが、この最高天ブラフマンはインドラをその門衛に配して明らかに過去のインドラの栄光に対する下剋上の上に成り立っているし、第三天という位置づけも過去の神々が住む天界の更に上にあるという意味だろう。つまり、最高天ブラフマン神とその他の神々は、截然として次元を異にしている)

こうなって来ると、前回までに指摘したように、唯一至高なるブラフマンという概念のそもそもの起点とは、このような天界に住まう人格神ではないのか、という可能性も否定できない。

この唯一至高神であるブラフマン梵天神)の、ある種エッセンスのような概念が『絶対者ブラフマン』である、という様に(逆に絶対者ブラフマンの『現象化』が梵天神? あるいは、絶対者ブラフマンの真実を開示する『媒体』が梵天神?)。

このあたりは専門家の方の明晰な説明を期待したい所だが、とりあえず本ブログでは、パーリ経典に登場する梵天並びにBrahma表記は、絶対者ブラフマンやその亜形態である人格的な『ブラフマン神』を前提とした上で成り立つものだとして先に進めたいと思う。

ここまでは前二回投稿の補遺的な前振りであって、漸くここから本題に入る。今回のメインテーマ、それは同じくパーリ経典に頻出する『真のバラモン』という概念についてだ。

これは他の経典にもあるのだが、ダンマパダの第26章にその名もずばり『バラモン』というタイトルでまとめられているので、以下にその主だった所を参照してみよう。

384 バラモンが二つの事柄(止と観)について彼岸に達した完全になった)ならば、彼はよく知る人であるので、彼の束縛は全て消え失せるであろう。

386 静かに思い、塵垢なく、落ち着いて、為すべき事を成し遂げ、煩悩を去り、最高の目的を達した人、 ― 彼を我は〈バラモン〉と呼ぶ。

391 身にも、言葉にも、心にも、悪い事を為さず、三つの所について慎んでいる人、― 彼を我は〈バラモン〉と呼ぶ。

393 螺髪を結っているからバラモンなのではない。氏姓によってバラモンなのでもない。生まれによってバラモンなのでもない。真実と理法をまもる人は、安楽である。彼こそ(真の)バラモンなのである。

394 愚者よ。螺髪を結うて何になるのだ。かもしかの皮をまとって何になるのだ。汝は内に密林(汚れ)を蔵して、外側だけを飾る。

395 糞掃衣をまとい、痩せて、血管があらわれ、ひとり林の中にあって瞑想する人、― 彼を我は〈バラモン〉と呼ぶ。

397 すべての束縛を断ち切り、恐れる事なく、執着を超越して、とらわれる事のない人、― 彼を我は〈バラモン〉と呼ぶ。

398 紐と革帯と綱とを、手綱ともども断ち切り、門を閉ざす閂を滅ぼして、目覚めた人、― 彼を我は〈バラモン〉と呼ぶ。

400 怒ることなく、慎みあり、戒律を奉じ、欲を増すことなく、身をととのえ、最後の身体に達した人、― 彼を我は〈バラモン〉と呼ぶ。

401 蓮葉の上の露のように、錐の先の芥子のように、諸の欲情に汚されない人、― 彼を我は〈バラモン〉と呼ぶ。

402 すでにこの世において自分の苦しみの滅びた事を知り、重荷をおろし、とらわれの無い人、― 彼を我は〈バラモン〉と呼ぶ。

403 明かな智慧が深くて、聡明で、種々の道に通達し、最高の目的を達した人、― 彼を我は〈バラモン〉と呼ぶ。

404 在家者・出家者のいずれとも交わらず、住家なくて遍歴し欲の少ない人、― 彼を我は〈バラモン〉と呼ぶ。

405 強くあるいは弱い生きものに対して暴力を加えることなく、殺さずまた殺させることのない人、― 彼を我は〈バラモン〉と呼ぶ。

406 敵意ある者どもの間にあって敵意なく、暴力を用いる者どもの間にあって心穏やかに、執着する者どもの間にあって執着しない人、― 彼を我は〈バラモン〉と呼ぶ。

407 芥子粒が錐の先端から落ちたように、愛著と憎悪と高ぶりと隠し立てとが脱落した人、― 彼を我は〈バラモン〉と呼ぶ。

408 粗野ならず、事柄をはっきりと伝える真実の言葉を発し、言葉によって何人の感情をも害する事のない人、― 彼を我は〈バラモン〉と呼ぶ。

409 この世において、長かろうと短かろうと、微細であろうとも粗大であろうとも、浄かろうとも不浄であろうとも、全て与えられていない物を取らない人、― 彼を我は〈バラモン〉と呼ぶ。

410 現世を望まず、来世をも望まず、欲求がなくて、とらわれのない人、― 彼を我は〈バラモン〉と呼ぶ。

411 こだわりある事なく、覚り終わって、疑惑なく、不死の底に達した人、― 彼を我は〈バラモン〉と呼ぶ。

412 この世の禍福のいずれにも執着する事なく、憂いなく、汚れなく、清らかな人、― 彼を我は〈バラモン〉と呼ぶ。

413 曇りのない月のように、清く、澄み、濁りがなく、歓楽の生活の尽きた人、― 彼を我は〈バラモン〉と呼ぶ。

414 この障害・険道・輪廻・迷妄を渡り終わって彼岸に達し、瞑想し、興奮することなく、疑惑なく、執着する事がなくて、心安らかな人、― 彼を我は〈バラモン〉と呼ぶ。

415 この世の愛執を断ち切り、出家して遍歴し、愛執の生存の尽きた人、― 彼を我は〈バラモン〉と呼ぶ。

417 人間の絆を捨て、天界の絆を越え、全ての絆を離れた人、― 彼を我は〈バラモン〉と呼ぶ。

418 〈快楽〉と〈不快〉とを捨て、清らかに涼しく、とらわれる事なく、全世界に打ち勝った英雄、― 彼を我は〈バラモン〉と呼ぶ。

419 生きとし生ける者の死生を全て知り、執着なく、よく行きし人、覚った人、― 彼を我は〈バラモン〉と呼ぶ。

420 神々も天の伎楽天ガンダルヴァ〉たちも、人間もその行方を知り得ない人、煩悩の汚れを滅ぼし尽くした真人、― 彼を我は〈バラモン〉と呼ぶ。

421 前にも、後にも、中間にも、一物をも所有せず、無一物で、何ものをも執着して取り押さえる事のない人、― 彼を我は〈バラモン〉と呼ぶ。

422 牡牛のように雄々しく、気高く、英雄・大仙人・勝利者・欲望の無い人・沐浴者・覚った人〈ブッダ〉、― 彼を我は〈バラモン〉と呼ぶ。

423 前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を滅ぼし尽くすに至って、直観智を完成した聖者、完成すべきことを全て完成した人、― 彼を我は〈バラモン〉と呼ぶ。

ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫) 中村元訳 P64~より

その他の部分も踏まえた上でその真意を読み取れば、世の中には生まれや氏姓や外見の装い、さらには『祭官である事』によってバラモンと称している者共がいるが、それらは本当のバラモンではなく、仏道修行に励む出家比丘こそが真のバラモンであり、そこにおいて覚りに至る事こそが真のバラモンのゴールである、という事になろうかと思う。

この『真のバラモン』というのは恐らく意訳であって、直接これを意味する単語がある訳ではなさそうだが、文脈を読み取れば明らかに似非バラモンと真のバラモンとの対置の上で、出家比丘・サマナやその『道の達成者』であるブッダ自身を『真のバラモン』だと称揚しているのは間違いない。

ブッダ=(真の)バラモン

出家比丘およびそれに類するサマナ=(真の)バラモン

ここで問題になるのは、これら『(真の)バラモン』という言葉をもって、一体彼らが何を言わんとしていたのか、という事だろう。

これについて中村元博士などは、

バラモン:brāhmana,   ヴェーダの宗教における司祭者の事で、バラモンはインドにおいては最高のカーストであると考えられていた。

原始仏教は表面的にはインド伝統のこの観念を継承したが、その意義内容を改めて、〈真のバラモン〉は祭祀を行う人ではなくて、徳を身に具現した人の事であると主張した。この章に説かれる「バラモン」とは煩悩を去り罪悪をなさぬ人である。

最初期のジャイナ教聖典でもこの理想の修行者をバラモンと呼んでいる。

(同上、解説より引用)

として、バラモン教優勢な中で(しかたなく)、人口に膾炙した『バラモン』という社会的最上者を意味する語をもって、ブッダや比丘たちの優越性を『自称』した、と考えているようだ。

しかし、私の読み筋はいささか異なっている。第一に、そもそもカーストという差別システムに対して反対していたブッダが、何故にその頂点に君臨しているバラモン階級を自らの超越性あるいは正統性の『代名詞』として借用しなければならないのか、という疑問だ。

では何故、ブッダは自らを『真のバラモン』と自称したのか? そこで先に言及した、ブラフマン概念との関わりが焦点として浮かび上がって来る。

バラモンという音写語を使い慣れていると忘れがちだが、その原語がブラーフマナbrāhmanaであり、その原意は『ブラフマンを具える者』『ブラフマンを知る者』であった事を忘れてはならない。

そして、このブラフマンという語、その本来の意は『1祭式と賛歌における言葉の呪の力』であり、その後、そのような超常的な『威力』の根源的統括主宰者として『2絶対者ブラフマン』概念が台頭した。

ここには二つの意味のブラフマンがあり、よって二つの意味のブラーフマナブラフマンを知る者)が想定される。

つまり、ブッダの時代前後は、未だ『1祭式と賛歌における言葉の呪の力』のみを知りもっぱら祭式に専念して生業を立てている保守的なブラーフマナバラモン祭官)と、1の背後にその根源的統括主宰者としての『2絶対者ブラフマン』を想定し、もっぱらこの2を追い求め、あるいはそれを知ったと称していた求道的(ウパニシャッド的)ブラーフマナ(真のバラモン)の二種類が対立的に存在したのだ。

その証拠に、この『真のバラモン』という概念は、すでにブッダ以前のウパニシャッドにおいて先行する形で現れている。

ブリハドアーラニヤカ・ウパニシャッド第三章第五節

「ヤージュニャヴァルキャよ、万物に内在するものとは如何なるものか」

「飢渇、憂い、愚痴、老齢、死を超越するものである。実にこのようなアートマンを知るとき、婆羅門たちは息子を得たいと言う願望と財産を得たいという願望、そして世間に対する願望を捨てて、食物を乞うて歩き修行するのである。

何故ならば、息子を得たいと言う願望は財産を得たいと言う願望に他ならず、これら二つの願望は実に同じであるからである。

従って婆羅門は学識を捨てて、愚かさに満足すべきである。彼はさらに学識と愚かさとを捨てて、かくて聖者となり、聖者の立場と非聖者の立場を捨てて、かくて婆羅門となるのである」

「この婆羅門は何によって婆羅門であるのか

「婆羅門を婆羅門たらしめているもの(ブラフマン)によって、そうなのである。それ以外のものは苦悩に委ねられているのだ」

【原典訳】ウパニシャッド、岩本裕 編訳、ちくま学芸文庫 P218~より

ここでは、飢渇、憂い、愚痴、老齢、死を超越する、万物に内在するアートマンブラフマン(の存在)を知って、バラモンは学識などを捨てて乞食の遊行者になり聖者となり、最終的に聖者や非聖者などという二項対立すら捨てて、「かくて婆羅門になる」という文脈が明らかである。

そしてダメを押すような形で、婆羅門を婆羅門たらしめるものはブラフマン(を知る事)であり、それを知って初めて、(真の)婆羅門たりえる、という流れをくみ取る事ができる。

この辺りは仏典におけるの最前の『真のバラモン』概念と、非常に近接している気がしてならない。つまり、ブッダが提示した涅槃なり覚りなり解脱なりをそのまま『絶対者ブラフマンの世界』に当て込んでいけば、両者の依って立つパラダイムはほとんど変わらなくなる。

ブリハドアーラニヤカ・ウパニシャッド第三章第八節10

この不滅のもの(ブラフマン)を知ることなく、ガールギーよ、この世において供物を捧げ、祭祀を行い、苦行して数千年に及ぶとしても、その功徳は正に滅びるであろう。

この不滅のものを知ることなく、ガールギーよ、この世を去る者は、憐れむべき人である。しかし、この不滅のものを知って、ガールギーよ、この世を去る者は、真のバラモン(Sa Brāhmana)である。

同書P231より

前後の文脈も踏まえると、ここではこれまでの既存の祭式万能を主張するバラモン祭官がいくら祭式をしたり苦行をしたりしても、不滅の(絶対者)ブラフマンを知らなければ意味はなく、それを知らずして死すものは(永遠に苦の輪廻を繰り返す)哀れな存在であり(そのような者は真のバラモンの名に値せず)、しかし、もし人が不滅の(絶対者)ブラフマンを知ってから死ねば、彼は(輪廻から解脱し)真のバラモンの名に値する者となる、という流れが確認できる。

つまり、ここでは先に登場した『1祭式と賛歌における言葉の呪の力』のみを知り、不滅の『2絶対者ブラフマン』を知らずに形式的な祭式に専念する既成バラモンの価値を、『輪廻からの解脱という文脈』の中で完全に否定し、不滅の『2絶対者ブラフマン』を知る求道者こそ、『真のバラモン』であり、輪廻からの解脱者である、と断言している事になる。

ここに三つのブラーフマナバラモンブラフマンを知る者)概念が存在する。

ひとつは、ヴェーダの言葉の知識(その威力=ブラフマン)を具えて、硬直化し肥大化した祭式のみにもっぱら専念する『1祭式官僚ビジネス・ブラーフマナ(含むバラモン階級者全般)。

ひとつは、その様な哀れなバラモンに対する批判的な思弁と探求の中で想定された『不滅の(絶対者)ブラフマン』を知る(あるいはそれに到達する為の修行の道にある)ウパニシャッド的な『2真のブラーフマナ

そして最後のひとつが、パーリ経典に表された様な、ゴータマ・ブッダによって提示され体現された『3真のブラーフマナ

1のブラーフマナ祭官は、共に『解脱』を目的とする2と3の立場から見れば『偽物』という事になる。

ここまでそれぞれの経典を読み比べて来た私としては、この2と3の『真のブラーフマナ』が、極めて近接しあるいは接続している気がしてならないのだが、いかがだろうか?

更にウパニシャッドとパーリ経典の類似性を見て行こう。

ブリハドアーラニヤカ・ウパニシャッド第四章第四節

従って、このような詩頌があります。

「それ故にこそ、執着のある人は、業と共に、 彼の性向と意とがしがみつく処に赴く。この世において彼がいかなることを作しても、その業の極限に達した時、彼は再び、新たに業を積むため、かの世界よりこの世界に帰り来る」

以上は、欲望を持つ者に関する事であります。ところで、欲望を持たない者、欲望なく、欲望を離れ、また欲望を満足させ、アートマンのみを欲する者の場合には、彼の諸機能は出て行かないのであります。

彼はブラフマンそのものであり、ブラフマンと合一します。

同書、P273より

ここではまず、欲望を持ち執着のある者は(それに基づいて行為する事が業となり)その業に従い心に従った世界に死後転生するが、しかし、業が尽きればまたこの世界に帰って来る(つまり輪廻を繰り返す)とある。

そして対照的に、欲望を持たず、そこから離れてアートマンのみを欲する者は、ブラフマンと合一し、ブラフマンそのものになる(輪廻から解脱する)、という流れがうかがえるだろう。

上に続いて

従って、このような詩頌があります。

「彼の心に依る欲望が、全て除き去られる時、死すべき人間は不死となり、この世においてブラフマンに達す、と」

あたかも蛇の脱殻が生命なく脱ぎ捨てられて、蟻塚の上に横たわっているように、まさしくこの肉身は横たわっています。

そして、この肉身のない不死の生気はまさしくブラフマンであり、まさしく光輝であります。大王よ。

同上

ここでは流れが若干変わって、欲望がすべて除き去られた時、死すべき人は不死になり、「この世においてブラフマンに達する」、つまり、ここまで引用してきた文脈が全て『死後』のブラフマンとの合一だったのに比べ、明確にこの世つまり『現世』におけるブラフマンとの合一に言及している。

そしてその様子を、「あたかも蛇の脱殻が脱ぎ捨てられた様に」という非常に印象的な譬えによって表されているのだが、ここで思い出す事はないだろうか。

第一 蛇の章

10 走っても速すぎる事なく、また遅れる事もなく、「一切のものは虚妄である」と知って貪りを(11愛欲を、12憎悪を、13迷妄を)離れた修行者は、この世とかの世を共に捨てる。あたかも蛇が古い皮を脱皮して捨てる様なものである。

15 この世に帰り来る縁となる煩悩から生ずるものをいささかも持たない修行者は、この世とかの世を共に捨てる。あたかも蛇が古い皮を脱皮して捨てる様なものである。

16 人を生存に縛り付ける原因となる愛執から生ずるものをいささかも持たない修行者は、この世とかの世を共に捨てる。あたかも蛇が古い皮を脱皮して捨てる様なものである。

17 五つの蓋いを捨て、悩みなく、疑惑を超え、苦しみの無い修行者は、この世とかの世を共に捨てる。あたかも蛇が古い皮を脱皮して捨てる様なものである。

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫) 中村元訳 P12~より 

上のウパニシャッドでは、蛇の脱殻である身体とそこから抜け出る生気=ブラフマンという対置があるが、仏典ではこのブラフマンとの言及はないものの、それ以外の構成は、驚くほど良く似ている。

(ならば、蛇の章において「古い皮を捨てて脱皮する」というその『主体』とは一体何か、という事が問題になる。何故なら『古い皮』はそれを脱皮して新生する『無垢(清浄)な身体』を対にして初めて存在し得るからだ。この点は改めて後述)

続けて、「この世とかの世を共に捨てる」という表現は現世と来世を共に捨てる、つまり輪廻からの解脱を意味し、その為の要件として「この世に帰り来る縁となる煩悩」「生存に縛り付ける原因となる愛執から生ずるもの」を全て捨てる、という流れは、

「執着のある人は、業と共に、 彼の性向と意とがしがみつく処に赴く。この世において彼がいかなることを作しても、その業の極限に達した時、彼は再び、新たに業を積むため、かの世界よりこの世界に帰り来る」

というウパニシャッドの言葉の、全くの反語になっており、更に、

「彼の心に依る欲望が、全て除き去られる時、死すべき人間は不死となり、この世においてブラフマンに達す

というウパニシャッドの言葉は、そのまま先に引用したダンマパダの、

「411 こだわりある事なく、覚り終わって、疑惑なく、不死の底達した人、― 彼を我は〈(真の)ブラーフマナ〉と呼ぶ

と明らかに重なり合う。ブラーフマナを漢訳に由来する『バラモン』と訳しては見失いがちだが、『ブラフマンに達した者』と『真のブラーフマナ』とはウパニシャッド仏教という垣根を忘れて俯瞰すれば、これまで見てきたように『ブラフマン』に関して全く同じことを言っており、両者がそれぞれの言葉でイメージする性質も相当以上に類似している。

私は先に、『ブラーフマナブラフマンを知る者』については異なった三種があるとし、以下の対照を示した。

1.ヴェーダの言葉の知識(その威力=ブラフマン)を具えて、硬直化し肥大化した祭式のみにもっぱら専念する『祭式官僚ビジネス・ブラーフマナ

2.その様な哀れなバラモンに対する批判的な思弁と探求の中で求められた『不滅の(絶対者)ブラフマン』を知る(あるいは知る為の修行の道にある)ウパニシャッド的な『真のブラーフマナ

3.パーリ経典に表された様な、ゴータマ・ブッダによって提示され体現された『真のブラーフマナ

ここまでの流れを概観すると、この1のブラーフマナと、2、3のブラーフマナの決定的な違いとは、やはり「その方法論あるいは『実践』によって、輪廻からの解脱を得られるかどうか?」という点にあるように思える。

つまり、『祭式官僚ビジネス・ブラーフマナ』による実践、つまり形骸化し肥大化した祭式によって得られるものはあくまでも『輪廻世界内部の利益・幸福』であって、ひとたび輪廻からの解脱、という価値観と意欲が生じた時、彼らは全く『無能』と断じられた、という事だ。

ここで注意すべきは、本来の原初的な解脱観においては、ブラフマンの世界=解脱、だったという事だ。これはカウシータキ・ウパニシャッドやそれに続くチャーンドーギャからの引用を思い出せば分かるだろう。

つまり、何らかの方法で「ブラフマンの心を動かし、その世界への扉を開いてもらえた」者のみが、ブラフマンの解脱境へと至る事が出来る。

そして、ここはややこしい所だが、私が本投稿の前半で少々強引に説明した様に、ブラフマンという絶対者は、そもそもの起源に遡れば、バラモン祭官の言葉が持つ呪の威力を『統括し付与する一者』であり、当然ながら、力関係においてはバラモン祭官よりも上位だったということだ

これはある意味、単純なヒエラルキーの問題として見れば分かり易い。

つまり、ブラーフマナ祭官の祭式が効力を発揮するのは、力関係においてすでに下剋上を成し遂げ見下ろしている下位の神々(インドラ・アグニなど伝統的な)であるのに対して、それらブラーフマナ祭官の言葉が持つ呪の力の発生源である絶対者ブラフマンは当然ながら祭官どもよりも上位に当たるので、祭官の呪の力(命じる威力)が及ばない(部長は課長に命じる事が出来るけれど、社長に命じる事は出来ない!)

当然ながら、彼らがいくら従前の形骸化した祭式にどんなに努めても、ブラフマンはその不死の扉を開かない。彼らには、不死なるブラフマンにアクセスする権能や方途がない。

実はこのヒエラルキーを象徴的に表している描写が、先に引用したカウシータキ・ウパニシャッド第一章の続きに鮮明に述べられている。

ブラフマンの世界に入った死者はヴィジャラー河を越えて不老になり、善悪の業を振り落とし、更にさらにブラフマンに向かって進んでいく。

彼はその様に昼夜を眼下に見、その様に善悪二つの業と一切の相対を見下ろす。彼は善業を離れ悪業を離れ、ブラフマンを知る者となって、ブラフマンに向かって進む。

カウシータキ・ウパニシャッド第一章の5

彼はイルヤ樹に至る。ブラフマンの芳香が彼に入る。彼はサーラジヤ広場に至る。ブラフマンの滋味が彼に入る。彼はアパラージタ大邸宅に至る。彼にブラフマンの光明が入る。

彼は門衛のインドラとプラジャー・パティの所に至ると、両者は彼から逃げ去る。彼はヴィブ宮殿に至る。ブラフマンの栄誉が彼に入る。

彼はヴィチャクシャナー王座に至る。

ブリハットとラタンタラの両サーマン(旋律)がその前脚であり、シャイタとナウダサの両サーマンがその後脚である。ヴァイルーパとヴァイラージャの両サーマンが縦の枠木であり、シャークヴァラとライヴァタの両サーマンが横の枠木である。

この王座は理知であり、人は理知によってそれを識別するからである。

彼はアミタウジャス臥榻(寝椅子、寝台)に至る。それは生気である。過去と未来とがその前脚であり、吉祥と栄養とがその後脚である。

ブリハットとラタンタラの両サーマンが肘のあたる部分であり、バドラとヤジュニャーヤジュニーヤの両サーマンが寝椅子の頭の部分である。歌詞旋律とが前に突き出した部分であり、祭詞は横に突き出した部分である。ソーマ草の茎がその褥である。ウドギータ(サーマヴェーダの吟唱)が掛け布団である。吉祥がその枕である。

それにブラフマンは坐っている

このように知る者はまず寝椅子の足を伝うてその上に登る。

ブラフマンが「汝は誰か」と言う。

(死者)は次のように答えるべきである。

【原典訳】ウパニシャッド、岩本裕 編訳、ちくま学芸文庫 P11~ より

ブラフマンの世界を進む死者は、イルヤ樹を過ぎサーラジヤ広場を通り、ついにブラフマンが住むアパラージタ大邸宅に入る。門衛のインドラとプラジャー・パティは彼を恐れ逃散する。

これはブラフマンの探求者である死者は、インドラやプラジャーパティよりもすでに『格上』である事を意味する。

更に進んで彼はヴィプ宮殿に入る。そこにあるヴィチャクシャナー王座は、

「ブリハットとラタンタラの両サーマン(旋律)がその前脚であり、シャイタとナウダサの両サーマンがその後脚である。ヴァイルーパとヴァイラージャの両サーマンが縦の枠木であり、シャークヴァラとライヴァタの両サーマンが横の枠木である」

という様に、バラモン祭官が祭式において行使する種々の賛歌(サーマン)を材料とする椅子として、その上にブラフマン(もしくは死者自身)が坐る。それはつまり、祭式の上にブラフマン神が君臨しそれを主宰する事を明示している(祈祷・祭式の主)。

更にアミタウジャス(無量力)寝椅子に死者が至ると、それは

「ブリハットとラタンタラの両サーマンが肘のあたる部分であり、バドラとヤジュニャーヤジュニーヤの両サーマンが寝椅子の頭の部分である。歌詞旋律とが前に突き出した部分であり、祭詞は横に突き出した部分である。ソーマ草の茎がその褥である。ウドギータ(サーマヴェーダの吟唱)が掛け布団である。吉祥がその枕である」

という祭式の重要な各要素、中でも歌詞や祭詞とその旋律、ウドギータなど『祭式の言葉が持つ呪の力』としての『ブラフマンにおいて、最も重要なものたちが列挙され、その様な『バラモン祭官の祭式そのもの』と言える寝椅子の上にブラフマン神は正に坐っている

この様子は、分かり易く言えば、バラモン祭官の祭式に対して最高天のブラフマン神が『マウンティング』しているものであり、それらは皆ブラフマン神の『下働き』に過ぎず、ブラフマン神こそが、祭官どもの掲げる威力である言葉の呪の力の起源であり、その全てを統括する最高主権者である事を、高らかに宣するものと言って良いだろう。

そして、その様なブラフマン神(=絶対者ブラフマン)を知る者こそが、『真のブラーフマナ』であり、輪廻からの解脱を果たし、不死を獲得するのだ。

以上の解読をもって、現時点の読み筋において私は、ゴータマ・ブッダもまた、このような『真のブラーフマナ』に至る道を説いたのであり、『それ=ブラフマン』を知り、それに到達し、それを体現している者だった(少なくとも彼の言葉を聞く者たちにはそう受け止められていた)、と判断している。

(と言うか、この線で読み進めて行ったら、一体どのような景色が見えて来るだろう、という気持ちでいる、というのが正確で、これが絶対に正しい、という信念があるという訳でもない。ただこれは面白い読み筋だ、という事なのだ)

だからこそ、前二回で検討した様に、ブッダ自身が『Brahma****』という常套句によって称賛され、彼の説いた修行道が『ブラフマンへの乗り物(brahmayānam)』と呼ばれ得たのでは、ないのだろうか?

長くなったので続きは次回、後編にて。

 

§ § §

本論考は、インド学・仏教学の専門教育は受けていない、いちブッダ・フォロワーの知的探求であり、すべてが現在進行形の過程であり暫定的な仮説に過ぎません。もし明らかな事実関係の誤認などがあれば、ご指摘いただけると嬉しいですし、またそれ以外でも真摯で建設的なコメントは賛否を問わず歓迎します

また、各著作物の引用については法的に許される常識的な範囲内で行っているつもりですが、もし著作権者並びに関係者の方より苦情や改善の要望があれば、真摯に受け止め適切に対応させていただきます

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『ブラフマン』とゴータマ・ブッダ【後編】

原始仏典のスッタにおいて、覚りに至ったブッダの事を『ブラフマン Brahman』という語を伴う呼称によって称賛し、ブッダの説いた修行道をブラフマンへ至る、ブラフマンになる道、と称するケースが随所に見られる。

このような、ブラフマン』概念とブッダとの関係性、とは一体どのようなものだったのか、という視点で考えていく、今回はその後編となる。

上の前回投稿では、西昭嘉氏の論文『原始仏教聖典におけるattanとbrahman』からおもにパーリ経典からの引用部分を参照し、私の原始仏教観を踏まえた上でその内容を吟味してきた。

そこにおいて明らかにされた原始仏典におけるブラフマンブラフマー)概念の重要性については、私は全く西氏に同意するものであったが、ブラフマン概念が意味する所とその背景については、納得できかねる、という印象だった。

この部分、言葉の表現は非常に難しいが、

原始仏教では人々に対してattanやbrahmanについての形而上学的考察に基づいた説明を全く行わなかったが、それは第一にそのような形而上学の氾濫と混迷に対するアンチテーゼこそが、ブッダの本意だったからであろう。

それでもなお、至高者ブラフマンの名声は世上に高く、時にbrahmanとbrahmāを使い分け(あるいは両者の区別なく) ただ『一者なる最高の存在』として崇めた上でブッダをそれと同一視しており、ブッダ本人も、あえてその様な『見なし』を否定はせず、その慣用に従って自称する事も多々あった」

とでも考えるのが、現状一番妥当なのではないかと私は思う。

これは前回も書いたように、ウパニシャッド的な絶対者ブラフマン梵天ブラフマーとがいかような関係性にあり、それに対してブッダの説法を聞いた人々がどのような信仰を持っていたのか、という事が第一に分からなければ、確定した事は誰にも言えないのかも知れない。

それでは以下に続けて、本論文の後半部を参照しつつ、再び私個人の検証や見解と対照しながら、子細に見ていきたいと思う。

3 . 散文におけるbrahmabhūtaとattan


このように原始仏教聖典韻文におけるbrahmanは,最高の存在として見なされ, 悟った者と同一視されていた。しかし散文においてはbrahmā梵天界より降臨し,釈尊の面前に現れ, 教えを乞うている。

それによりbrahmāの地位は下がり 釈尊の権威が強まったが, brahman が最高の存在を意味する言葉として用いられなくなったわけではない。

 

「実に聖なる八支道の同義語をbrahmanの乗物 (brahmayāna)とも,法の乗物(dhammayāna)とも無上の戦場の勝利者〔とも言われる〕。(SN . V , P5)


如来はこの力を具えて, 牛王たることを自称し,集団において、 獅子吼し, brahmanの輪(brahmacakka) を回す。(AN .III,P9)」

 

また, 散文になるとattanとbrahmanとを同一の存在として説かれるようになった。

 

「このように知り, このように見る彼には, 欲望の煩悩からも心は解脱し, 生存の煩悩からも心は解脱し, 無知の煩悩からも心は解脱し, 解脱した時には, 解脱したという知恵が生じる。生まれることは尽きた。梵行は完成された。なすべきことはなし終えた。もはや, このような〔迷いの〕生存状態に戻ることはない, と知る。

修行僧たちよ。これが自分(attan)を苦しめず, 自分(attan)を苦しめる実践に耽らず, 他人を苦しめず, 他人を苦しめる実践に耽らない人であり, 彼は自分(attan) を苦しめず, 他人を苦しめず, 現世において無欲で, 涅槃に達し, 清涼で,安楽を経験し, brahmanとなったattanによって住する(brahmabhūtena attāna viharati ),と〔言われる〕。(MN .1,pp348 − 349)」(筆者注:ネット上の他の情報ではattanā

 

このbrahmanとなったattanによって住する」については,散文の中に繰り返し説かれている定型句(16)であり,悟った者を意味しており, 悟りに達するとattanがbrahmanになることを明確に説いている。

韻文においてはattanとbrahmabhūtaが共に説かれる語旬は存在しなかったが, 散文になると,atmanとbrahmanとが同一の存在であると説くウパニシャッド的表現をもって, 仏教の悟りの境地が語られるようになったのである。

 

『原始仏教聖典におけるattanとbrahman』西昭嘉 著より

最初に断っておきたい事がある。前回も含めて、西氏が本論文内で論じている『専門的』な個々の訳語選択ついては、これまでの私が蓄積した記憶から違和感がない限り、氏がそれぞれ割り当てている訳語は、よほど引っかかった語以外は、ほぼそのまま『信頼』して、読み進んでいる。

また氏が提示している原典ソースは、ここで取り扱う範囲について可能な限りチェックしているがすべてではない。特にアングッタラ・ニカーヤは私の手元に日本語訳がないので、これも氏の言及を『信頼』した上で話を進めていきたい。

まずここで最初に西氏が指摘しているのは、ブラフマンブラフマー、以下同)という最高存在のステータスが、時代が下がるに連れて低下していく、という傾向だ。

これは実はインド教全般に見られる現象で、先行する最高神格が常に後発の新しい神格によってその地位を脅かされ、奪われ、没落していく、という流れは、例えばリグ・ヴェーダで中心神格だったインドラが、プラーナや叙事詩の時代には後発のシヴァ・ルドラやヴィシュヌによって下剋上を食らい没落していく歴史などによく表れている。

ブラフマー神についても、仏典だけではなくヒンドゥ教の古典にもその没落はかなり露骨な形で描かれており、仏典においてブッダの威光が梵天のそれを著しく凌駕していくプロセスとは、正にインド教、あるいは『古代インド人』のお家芸的なメンタリティだと判断できるだろう。

(その流れは、現代に至ってヴィシュヌ(化身としてのラーマ&クリシュナ)とシヴァ・ルドラの二神並立と、「名誉」創造神のブラフマーを加えた『トリムルティ』として漸く安定したかにも見えるが、この先何が起こるかは誰にも分からない)

しかし総体としてブラフマンの地位は低下していくにも拘らず、一方でその権威性を引き継ぐ表現も仏典の中に生き続けていると西氏は言う。

私がおや、と思ったのは、ここで引用された二つの言葉だった。

「実に聖なる八支道の同義語をbrahmanの乗物 (brahmayāna)とも,法の乗物(dhammayāna)とも無上の戦場の勝利者〔とも言われる〕」

これはサンユッタ・ニカーヤからの引用で、ソースの記載法が私の持っているそれとは異なっており、原典を確認するのにてこずったが、それらしきものを中村元選集に発見できたので以下に参照しよう。

アーナンダ尊者が托鉢の為にサーヴァッティ市に入って行くと、ジャーヌソーニ・バラモン白一色の馬車に乗って町を出ていくのを見かけます。その姿は、

 

実につないだ馬も白く、飾りも白く、車も白く、従者も白く、手綱も白く、鞭も白く、傘蓋も白く、王冠も白く、衣装も白く、履物も白く、実に、白い払子で扇がれていました。

人々はこれを見て、言いました。「ああ、神様のようだ。神様の乗り物のようだ」と。

 

そして托鉢から帰るとアーナンダはブッダの元を訪れてこの話をし、

 

「尊いお方様。この教説(ダルマ)と規律(律)において『神様の乗り物』を指摘する事ができるでしょうか」

 

と問いかけます。それに対してブッダは、

 

「正しい見方(正見)、正しい考え(正思)、正しい言葉(正語)、正しい行動(正業)、正しい生活(正命)、正しい努力(正精進)、正しい気づかい(正念)、正しい精神統一(正定)が順次繰り返し修行されると、欲望の抑制が完成し、悪意の抑制が完成し、迷妄の抑制が完成する。

アーナンダよ、この説明によって、次の事が知られるべきである。この八つの正しい道は、神様の乗り物、真理の乗り物、無上の勝利と同義である」

 

と答えました。

 

原始仏典Ⅱ 第5巻 相応部経典  第1篇 道に関する集成. 1 - 4. P07~ 繰り返し部分を含め相当部分を省略、抜粋)

続けて、この中で重要な部分を、パーリ原文で見てみよう。

‘‘brahmaṃ vata, bho, yānaṃ! Brahmayānapaṃ vata, bho’’ti!!

「ああ、神様のようだ。神様の乗り物のようだ」

 

Sakkā nu kho, bhante, imasmiṃ dhammavinaye brahmayānaṃ paññāpetu’’nti?

「尊いお方様。この教説規律(仏法と律)において神様の乗り物を指摘する事ができるでしょうか」

 

‘‘Iminā kho etaṃ, ānanda, pariyāyena veditabbaṃ yathā imassevetaṃ ariyassa aṭṭhaṅgikassa maggassa adhivacanaṃ – ‘brahmayānaṃ’ itipi, ‘dhammayānaṃ’ itipi, ‘anuttaro saṅgāmavijayo’ itipī’’ti.

「アーナンダよ、この説明によって、次の事が知られるべきである。この八つの正しい道は、神様の乗り物真理の乗り物、無上の勝利と同義である」と。

 

パーリ原文は、http://www.tipitaka.org/  Vipassana Research Instituteより。以下同

大体合っていると思うのだが、気になる方は各自チェックして欲しい。

まず、ジャーヌソーニ・バラモンという、恐らくかなり社会的(経済的)なステータスの高いバラモンが純白のいで立ちで純白の馬車に乗っている姿を見、それに対して、Brahma(日本語訳は通俗的に『神様』!)と讃嘆し、Brahmayānaṃ(神様の乗り物)と称賛する。

これは判断が難しいのだが、ジャーヌソーニが単に経済的にハイクラスというだけではなく宗教的な意味で聖者に列する様な人物だったのかは、この文面だけからは判断がつかない。

とにかくその見目麗しさ素晴らしさ(特にくどいほどに繰り返される白さ)をBrahmaのようだ、Brahmayānaṃのようだ、と称えているのは間違いないので、そういう言い回しが世間一般にあったという事なのだろうか。

しかしそこに宗教的な意味合いがなく、単に俗的な慣用表現でしかないのならば、続く「この八つの正しい道は、brahmaの乗り物、dhammaの乗り物、無上の勝利と同義である」というブッダの答えは出ては来なかったようにも思える。

パーリ経典を読み解いていくというのは本当に難しいもので、例えばこのサンユッタ・ニカーヤはその文章の体裁からも、古層の韻文スッタと比べて、ブッダの死後一定の時間が経ってから創られた比較的新しいものである事が推測できる(私はそう推測する)。

それでもなお、当然ブッダがまだ生きている時代のエピソードの記憶がここでも反映されている筈だと考えたいのだが、その確証はない。

また、この部分が、インドで成立したのかあるいはスリランカ以降で成立したのかも私には判断はつかない。実際に、ヴィナヤの中には明らかにスリランカに固有の風俗を絡めたエピソードが、ブッダの時代の事、として記載されていたりするからだ。

それでも、たとえスリランカで新造された文言だったとしても、それが何がしかインド由来の伝統的な『根拠』に拠っていない、とは断言できない。

まぁ、このブログを書いていてつくづく思うのは「これは素人が独学で手出しできるような代物ではないな」と言うのが正直な所なのだが・・・

しかし無謀を承知でやっているので、愚痴をこぼしても仕様がない。ここで個人的に引っかかった点を上げれば、まず前述したように、ジャーヌソーニがBrahmaのようだと称えられる時に、その繰り返し強調されているのが『真っ白さ』である、という事の理由だ。

これには特別な『意味』が含まれている、と私は直観的に判断した。

何故なら、ブッダの瞑想修行について、その三昧(あるいはジャーナ)の深みにおいて経験される主観的な状況が、パーリ経典の主に散文部分ではしばしば『純白・清浄』のイメージを伴って語られているからだ。

そこで手持ちのデータを検索していくと、沙門果経に丁度適当な該当する内容を確認できたので以下に引用しよう。

この経はラージャガハでのマガダ王アジャータサットゥとブッダの対話問答を収めたもので、当時メジャーだった六師外道の教説についての説明を前半に、ブッダの修行道に関しては、戒、定、慧の段階的道行きとその果報についての詳細を後半においている。

以下は『定』すなわち瞑想行についての詳細、その第三禅定から第四禅定へと説明が移る場面から始める。

さらにまた、大王よ、修行僧は、〔第三の禅定の〕安楽をも断ち、苦をも断つことにより、また以前に〔第一禅・第二禅において〕喜悦と憂悩とが消滅している事から、苦も無く楽もなく、超越より生じた注意力がもっとも清浄になっている第四の禅定に達してそこにおります。

彼は、この身体をば清浄で純白な心をもって満たして坐り、彼の体全身、どこも清浄で純白な心に触れないところはありません。

 

それはたとえば、大王よ、人が白い布で頭まで〔全身を〕包んで坐るならば、彼の体全身はどこも、白い布に触れないところがないでしょう。

それとまったく同じように、大王よ、修行僧は、この身体をば、清浄で純白な心をもって満たして坐るのであり、彼の体全身はどこも、清浄で純白な心に触れないところはありません。

これもまた、大王よ、前に述べた目に見える修行僧の諸果報よりもさらに優れ、さらに素晴らしい、目に見える修行僧の果報であります。 

原始仏典〈第1巻〉長部経典1 春秋社刊、沙門果経 P94~より引用 

これ以前の段階で第一禅定から第三禅定までの内容詳細が語られているのだが、第四禅定という『最も清浄な』境地に達してから初めて『純白な心』という形用が登場し、 

「この身体をば清浄な心をもって満たして坐り

  so imameva kāyaṃ parisuddhena cetasā pariyodātena pharitvā nisinno hoti, 

「人が白い布で頭まで〔全身を〕包んで坐るならば」

  puriso odātena vatthena sasīsaṃ pārupitvā nisinno assa 

としてその白い心で満たされて坐った瞑想状態が、白い布で全身を包まれて坐った状態に譬えて記されている。

(このあたりは瞑想階梯の詳細として、実践的にもとても面白い部分なのだが、今回の本題からは外れていくので、また後日)

この第四禅定の真っ白な布に全身覆われた神秘的で純白かつ清浄なイメージは、先に出てきたジャーヌソーニ・バラモンの神々しいまでに白一色で覆われたイメージと重なり合わないだろうか?

さらに沙門果経の続きを見てみよう。そこではこの『清浄で純白な心』こそが解脱への必須要件である事がまざまざと表されている。

このように、心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、〔心に〕付随する煩悩をも離れ、柔軟になり、行動に適応し、不動なものとなると、彼(修行僧)は、〔次のような〕理解洞察に対して心を傾け、〔心を〕向けます。

(・・・その結果、)

無我の理解洞察(Vipassanāñāṇaṃ)

彼は「実に、私のこの身体は、形を有し、四大元素からなり、母と父から生まれ、飯と粥の集積であり、無上であって、たえず衰え、消耗し、分解し、破壊する性質のものである。しかも私のこの意識はここ(身体)に依存し、ここに付属している」と、このように洞察します。

(・・・さらに進んで、)

~心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、〔心に〕付随する煩悩をも離れ、柔軟になり、行動に適応し、不動なものとなると~

意から成なる智(Manomayiddhiñāṇaṃ):意成身の覚知

様々な超能力(Iddhividhañāṇaṃ)

天耳の智(Dibbasotañāṇaṃ)

他心を知る智(Cetopariyañāṇaṃ)

過去の生存を想起する智(Pubbenivāsānussatiñāṇaṃ)

天眼の智(Dibbacakkhuñāṇaṃ)

(などの超越的な智と力を獲得・経験し、最終的に、)

煩悩を滅する智(Āsavakkhayañāṇaṃ)

~心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、〔心に〕付随する煩悩をも離れ、柔軟になり、行動に適応し、不動なものとなると~

彼は、

「これが苦しみである」

「これが苦しみの原因である」

「これが苦しみの滅人である」

「これが苦しみの滅尽にいたる道である」

とあるがままに洞察します。

このように知り、このように観察する彼にとって、欲望の煩悩からも、生存の煩悩からも、無知の煩悩からも、心は解放されます。

解放された時には、解放されたという認識が生まれます。

そして、輪廻の再生はなくなった。梵行は完成された。なすべきことはなされた。もはや再び、この迷いの世界に生まれてくる事は無い」と洞察します。

これもまた、大王よ、前に述べた目に見える修行僧の諸果報よりもさらに優れ、さらに素晴らしい、目に見える修行僧の果報であります。

原始仏典〈第1巻〉長部経典1 春秋社刊、沙門果経 P96~より抜粋引用

ここで注意して欲しいのは、

 「~心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、〔心に〕付随する煩悩をも離れ、柔軟になり、行動に適応し、不動なものとなると~」

という説明は、引用では煩雑なので省略したが、無我の理解洞察から煩悩を滅する智に至る八段階の智や超常的な能力についての説明の前振りとして繰り返し繰り返し語られているという事実だ。

つまり瞑想行が深まって第四禅定に至り、そこで初めて「心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、〔心に〕付随する煩悩をも離れ、柔軟になり、行動に適応し、不動なもの」となって初めて、煩悩を滅する智をゴールとする上の八段階の『領域』に入れる事を意味している。

これも改めて後日詳述したいのだが、私がここで着目したのが、清浄で純白な心となって、最初に経験されるものが無我の理解洞察であり、その原題がVipassanā-ñāṇaṃである事だった。

もちろんこの言葉の前半はヴィパッサナーであり、後半はニャーナ、つまり智慧だ。

という事は、少なくともここでの文脈では、瞑想が第四禅定に入り、この『清浄で純白』な安定した心になって初めて、ヴィパッサナーすなわち『観』が成立し、智慧が体得され得るという事を意味している。

実はこの『白い布を全身に被ったような純白な心』と同様な表現は、沙門果経以外にも数多くの散文経典によって共有されている定型表現であって、若干の順序や構成に違いがあっても、ブッダの瞑想法が一定のレベルに達した事を意味する、ある種の『徴表(しるし)』として位置付けられている。

そしてそのような『しるし』を体得して初めて(そのようなState of Mindに入って初めて)、最終ゴールに至る様々な非日常的な『智慧』が獲得できるという流れだ。

そこで再び件のジャーヌソーニの話に戻ってみよう。

「ジャーヌソーニ・バラモン白一色の馬車に乗って~ 実につないだ馬も白く、飾りも白く、車も白く、従者も白く、手綱も白く、鞭も白く、傘蓋も白く、王冠も白く、衣装も白く、履物も白く、実に、白い払子で扇がれていました」

これまでの流れを前提にこの文章を読んでみるとどうだろう。そこには実に12回も連続して『白』が連呼されている。そして頭の天辺からつま先まで白一色バラモンと馬車が、ブラフマンのようだブラフマンの乗り物』のようだ、と讃嘆され、それを受ける形の後段で八正道もまたブラフマンの乗り物と称揚される。
しかも上の最後に出てくる「払子で扇がれていた」という情景は、『清涼』さをもたらすものであり、やはり瞑想行が深まった特定の境地における『清涼』のイメージとそのまま重なり合うものだ。

467 諸々の欲望を捨て、欲にうち勝って歩み、生死のはてを知り、平安に帰し、清涼なること湖水のような完き人(如来)は、献菓を受けるに値する。

542 あなたの懊悩は、すべて破られ断たれています。あなたは清涼で、身を制し、堅固で、誠実に処する方です。

1073 「あまねく見る人よ。もしも彼がそこから退き去らないで多年そこにとどまるならば、彼はそこで解脱して、清涼となるのでしょうか? またそのような人の識別作用は(後まで)存在するのでしょうか?」 

ブッダのことば-スッタニパータ (岩波文庫) 中村元訳より 

『清涼』という言葉は、これも一定の境地に入った瞑想行者の心象を表す典型的なイメージで、韻文、散文を問わず多くのスッタで共有されており、『清涼なること湖水のような』というのもまた定型表現になっている。

この様に見てくると、これはもはや、単にたまたまアーナンダがその様な光景を実際に目撃して、たまたま思いついてブッダに質問した、というよりも、瞑想修行の分岐点である『全き白に覆いつくされた清浄(清涼)な境地』を前提に、全てがあらかじめ意図的に設計されたシナリオ(物語)として、このスッタを読むべきではないのか?

その上、全てのプロセスが成就し、最終的に四聖諦を悟った修行者は、あらゆる煩悩から解き放たれ、輪廻から解脱し、梵行が完成した事を自覚するという。

つまり、仏道修行の成就完成が、ブラフマチャリヤの完成と位置付けられている。この表現もまた、多くのスッタに共通する定型表現だ。

さらに、無我の理解洞察から煩悩を滅する智に至る八段階の間には、ある意味現代人にとっては荒唐無稽な実に様々な内容の超常体験が設定されているのだが、

様々な超能力(Iddhividhañāṇaṃ)の内容には「梵天に肉体を持ったまま到達」があり、天耳の智(Dibbasotañāṇaṃ)と天眼の智(Dibbacakkhuñāṇaṃ)のDibbaDeva,つまり梵天を最上首とする天界の神の能力を意味する事からも、

これら八段階の超常能と天界・ブラフマンとの重なりは決して見過ごせない。

煩雑になるのでこれ以上細部の追求はここでは控えるが、その他にも様々な点から考慮して、少なくともこれら経典を編纂した者が、ブラフマン(あるいはブラフマーというものを最終ゴールとして強烈に意識した上で仏道瞑想修行というものを捉えていたのは間違いないのではないか、と私は感じている。

Brahmayānaの例示の次に西氏が引用したのが、Brahma-cakkaだった。これは正確にはブラフマンの車輪』と訳すべきだと思うが、そうなると、当然連想されるものがあって、それはDhamma-cakka、つまり法の車輪である。

興味深いのは、このブラフマンの車輪について、

如来はこの力を具えて, 牛王たることを自称し,集団において、 獅子吼し, brahmanの輪回す。(AN .III,P9)
tathāgato āsabhaṃ ṭhānaṃ paṭijānāti, parisāsu sīhanādaṃ nadati, brahmacakkaṃ pavattetī’’ti.

(パーリ文は何とかそれらしいものを見つけたが自信なし) 

として、明確に如来、すなわちブッダ自身が回転した、という流れになっている。

となると、同じ様にブッダが転じ回したところの『法の車輪』と『ブラフマンの車輪』との関係性が問題になって来るだろう。この両者は果たしてイコールなのだろうか?

そこで思い出されるのは、先に詳細に検討した『ブラフマンの乗り物』が『法(ダンマ)の乗り物』と並置され同一視されていた事実だ。

「この八つの正しい道は、ブラフマンの乗り物ダンマの乗り物、無上の勝利と同義である」

だとすれば、上の『法(ダンマ)の車輪』と『ブラフマンの車輪』の関係性もまた、完全にイコールで結ばれると考えるのが自然ではないだろうか。

つまり、ブッダサールナートで初めて転じたと言われる『法の車輪』は、同時にブラフマンの車輪』でもあったという事だ(短絡が過ぎるだろうか?)。

では一体、この『ブラフマンの車輪』が意味する事は何なのか?

実はブラフマンの車輪はサンスクリットのBrahma-Chakraとしてシュヴェタシュヴァタラ・ウパニシャッドなどにも出てくるもので、決して仏教の独占物ではない。

そこでは、この現象世界全体(サーンキャ的なプラクリティとほぼ同義だがブラフマンとの二元ではない一元)を意味し、特に『時間』という側面を焦点に、絶対者ブラフマンの威力よって世界が『展開・転回する』、と位置付けられているようだ。

しかし、パーリ経典における用法は、前回の内容、すなわち、

『悟りを開いた者をbrahmanになった」 「brahman に達した人」「brahman と同じ者」と呼び、仏の教えをbrahmanの輪」 「attanに関する,真実無上のbrahmanの乗物」と称している』

という西氏の指摘を含め、これまでの本稿の流れを考慮すると、ここでのブラフマンの車輪とは『ブラフマンの ‟境地”』へと修行者を乗せて行く(馬車の)車輪、であると考えるのが、妥当かと私は考えている。

それを裏付けるように、実は先のサンユッタ・ニカーヤにおけるジャーヌソーニの馬車の話は、最後に以下のような大変興味深いブッダの譬え話で完結している。

信仰と智慧のある人には、物事は、常に積み荷と結びついている。
恥は轅であり、意は結びつける縄であり、気を付ける事(サティ)は護衛を兼ねる御者である。
車両は慣行的規範(戒)を装備品とし、瞑想(禅定)を車軸とし、努力を車輪とする。

平静な心構え(捨)が積み荷の安定具であり、無欲が幌である。
悪意を持たない事、生き物を殺さない事、離れて住む事(遠離)は武器である。忍耐は鎧であり、楯である。車は〔積み荷としての〕財宝を目指して進む。
これは自身の内に生じる。神様の乗り物、無上のものである。
賢者たちは〔それによって〕世間から運び出され、必ず勝利を勝ち取る。

原始仏典Ⅱ 第5巻 相応部経典  第1篇 道に関する集成. 1 - 4. P09 より引用)

そのパーリ原文と対照の上、訳語を適当に変更すると以下のようになる。

‘‘Yassa saddhā ca paññā ca, dhammā yuttā sadā dhuraṃ;

信仰智慧のある人には、物事は、常に積み荷結びついている。


Hirī īsā mano yottaṃ, sati ārakkhasārathi.

は轅であり、は結びつける縄であり、サティは護衛を兼ねる御者である。


Ratho sīlaparikkhāro, jhānakkho cakkavīriyo;

馬車を装備品とし、禅定を車軸とし、努力車輪とする。


Upekkhā dhurasamādhi, anicchā parivāraṇaṃ.

平静な心構えが積み荷の安定具であり、無欲が幌である。

Abyāpādo avihiṃsā, viveko yassa āvudhaṃ;

悪意を持たない事、不殺生厭離して住む事は武器である。


Titikkhā cammasannāho [vammasannāho (sī.)], yogakkhemāya vattati.

忍耐は鎧であり、楯である。車は〔積み荷としての〕財宝を目指して進む。


Etadattani sambhūtaṃ, brahmayānaṃ anuttaraṃ;

これは自身の内に生じる。ブラフマンの乗り物無上のものである。


Niyyanti dhīrā lokamhā, aññadatthu jayaṃ jaya’’nti. 

賢者たちは〔それによって〕世間から運び出され、必ず勝利を勝ち取る。

ここでは、明らかに(と私には思える)同スッタにおいて先行する真っ白なジャーヌソーニの馬車を踏まえた上で、仏道瞑想修行における必須諸要素を馬車(原語はRatha)の各種パーツやその操縦に重ね合わせて、それを無上なるブラフマンの乗り物と称している。

煩雑を避ける為に、ここでは余り突っ込んで追求しないが、ラタ馬車に関する専門用語と瞑想修行の専門用語の対称具合がすこぶる興味深い。

サティと御者、禅定と車軸。努力を車輪としているのが実にセンスが良い(笑)。このvīriyoは『努力』というよりも英語のエナジーのニュアンスが適当とも思われるが、ここでは立ち入らない。

積み荷の安定具samādhiという語である事も気になるし、yogakkhemā財宝とされているのは、確かリグ・ヴェーダに見られるかなり古い用法で、これも非常に興味をそそられる。

どちらにしても、『真っ白いジャーヌソーニのラタ馬車』を導入部としたサンユッタ・ニカーヤ所蔵の本経は、その伏線が最後のこの『ラタ馬車と仏道瞑想行の譬え』によって見事に回収されている訳で、これは明らかに人工的に設計されたひとつの『寓話』であると判断できるだろう。

その意味で、冒頭に出てくるジャーヌソーニの白一色のラタ馬車がBrahmanのようだ!Brahmanの乗り物の様だ!」と讃嘆される部分を『神様のようだ、神様の乗り物のようだ』と通俗的に訳した中村元選集はスッタ編纂者の意図を見失っている。

何故なら、「世間から運び出された賢者たちが勝利を勝ち取る」という仏道修行のゴールとは、先に沙門果経に見たようにイコールでBrahmacariya(梵行)の完成であって、当然このBrahmaとジャーヌソーニに対する称賛のBrahmaは『かけてある』と見るべきだからだ。

このブラフマンの解脱境を目指す修行道をラタ馬車の乗車・運行に譬える表現は、パーリ経典に他にもいくつかのバリエーションがあるのだが、実は仏教だけではなくカタ・ウパニシャッドなど特にヨーガと関わりの深いヒンドゥ教主流派の古典にも登場する。

カタ・ウパニシャッド 第三章 2~13

2祭祀をなす人々の橋であり、永遠で最高のブラフマンであり、恐怖の無い世界に渡ろうとする人々の岸であるナチケータ祭火を、われわれは知りたい。
アートマンは車に乗る者であり、肉身は実に車であると知れ。理性(ブッディ)は御者であり、そして意思(マナス)はまさに手綱であると知れ。

4諸々の感官を人々は馬と呼び、感官の対境を馬に関して馬場と呼ぶ。アートマンと感官と意思の結合を「享受者(経験的自我)」と、賢者は呼ぶ。

5分別なく、常に意志の手綱を締めない者にとって、彼の諸々の感官の制御しがたい事は、あたかも御者の悪馬を御しがたいのに似ている。

6しかし、分別を持ち、常に意思の手綱を締めている人にとって、彼の諸々の感官の制御される事は、あたかも御者が良馬を御するに似ている。

7分別なく、無思慮で、常に不浄である者は、かの場処(解脱境)に達することなく、しかも輪廻に赴く。

8しかし、分別を持ち、思慮あって、常に清浄である者は、かの場処に達し、そこから再び生まれることはない。

9分別のある御者を持ち、心を手綱とする人は、行路の目的地に達する。それはヴィシュヌの最高の住居である。

10 諸々の感官の上に感官の対象があり、これらの対象の上に意思は位する。石の上に理性があり、理性の上に偉大なるアートマンがある。

11 偉大なるものの上に未開展のものがあり、プルシャは未開展のものよりさらに上にある。プルシャの上には何もなく、それは頂点であり、最高の拠り所である。

12  かのアートマンはこの世に存在する一切のものの中に隠れひそみ、姿を現すことはない。しかし明敏な観察者たちによって、鋭く明敏な理性により、観察される。
13 理智ある人は語と意思とを制御せよ。それを智識として自我の中に保て。智識を偉大なる自我の中において制御せよ。それを平静なる心情として自我の中に保持せよ。
14 立ち上がれ、目覚めよ、恩典を得て、覚れ。剃刀の鋭い刃は渡ることが困難である。詩人たちはそれを行路の難所という。
15なく、触感もなく、姿もなく、変化する事もなく、また永遠になく、それはまた匂いもない。始めも終わりもなく、偉大なるものより上にあって、動かないもの、それを観想して、死の神の口より解放される。

16 死の神の宣旨した、永遠に変わる事のない、ナチケータスの故事を、語り且つ聴いて、賢明な人はブラフマンの世界において栄光を享受する。

【原典訳】ウパニシャッド、岩本裕 編訳、ちくま学芸文庫 P298~ より

 このパーリ経典の於けるラタ馬車の譬えと、カタ・ウパニシャッドにおけるそれとの類似性と差異性というものは非常に興味深く、また回を改めて詳述したいが、基本的な『修行道をラタ馬車の運行』に譬えそのゴールをブラフマンに設定する、というコンセプトが合致している事は、一見して了解され得るだろう。

両者におけるプルシャ、アートマン、そしてブラフマンというそれぞれの語の用法はさておき、このカタ・ウパニシャッド全体が、『感官とその防御』というものをひとつの焦点として『不死』なるブラフマンを目指している事実から見て、仏教との相関は間違いない(と私は判断する)。 

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スワヤンブーナートの降魔仏像。カトマンドゥ、ネパール

 

ところで、そもそもブッダの転法輪は、

わたしの覚ったこの真理は深遠で、見がたく、難解であり、しずまり、絶妙であり、思考の域を超え、微妙であり、賢者のみよく知るところである。ところが世の人々は執着のこだわりを楽しみ、執着のこだわりに耽り、執着のこだわりを嬉しがっている。

さて、執着のこだわりを楽しみ、執着のこだわりに耽り、執着のこだわりを嬉しがっている人々には、すなわち縁起という道理は見がたい。

またすべての形成作用のしずまる事、全ての執着を捨て去る事、妄執の消滅、貪欲を離れる事、止滅、やすらぎ(ニッバーナ)というこの道理もまた見がたい。

だからわたしが理法を説いたとしても、もしも他の人がわたしの言う事を理解してくれなければ、わたしには疲労が残るだけだ。わたしには憂慮が残るだけだ。

苦労してわたしが覚り得た事を、今説く必要があろうか。貪りと憎しみにとりつかれた人々が、この真理を覚る事は容易ではない。これは世の流れに逆らい、微妙であり、深遠で見がたく、微細であるから、欲を貪り闇黒に覆われた人々には見る事ができないのだ。 

ブッダ悪魔との対話―サンユッタ・ニカーヤ2 (岩波文庫) 中村元訳 P83 梵天に関する集成より

というように、ブッダガヤの成道直後、自分の覚った真理が余りに世人には理解しがたいと考えて説法する意欲を失くしかけていた時に、

ああ、この世は滅びる。ああ、この世は消滅する。実に修行を完成した人・尊敬さるべき人・正しく覚った人の心が、何もしたくないという気持ちに傾いて、説法しようとは思われないのだ!

尊い方!尊師は教え(真理=ダンマ)をお説きください。幸ある人は教えをお説きください。この世には生まれつき汚れの少ない人々がおります。かれらは教えを聞かなければ退歩しますが、聞けば真理を覚る者となりましょう。

ブッダ悪魔との対話-サンユッタ・ニカーヤ2 (岩波文庫) 中村元訳 P84 梵天に関する集成より

梵天が現れて上の様に翻意を促し、ブッダはそれに同意し衆生を憐れんで説法する決意を固め、サールナートでの初転法輪へとつながっていった、という経緯が知られている。

つまり伝承上、ブッダがそもそも法の車輪を転じる、というスタート地点において、ブラフマン(この場合は梵天)は密に関係(干渉)していた事になる。

何故、ブッダが法を説かないと『世界が破滅する!』、と梵天は恐れたのか、このあたりは考察のしがいのあるテーマであり、私の中でも現在進行形で読み進めつつある。

どちらにしても『法の車輪』ブラフマンの車輪』そして『法の乗り物』ブラフマンの乗り物』が、共に『ラタ馬車』のイメージを踏まえた上で、仏教サンガの内部である時期それぞれ『同一視』されていた事は、十分な蓋然性と共に想定可能である。という事で、今は先に進もう。

最後に西氏が引用したのは、

  現世において無欲で, 涅槃に達し 清涼で,安楽を経験し, brahmanとなったattanによって住する(brahmabhūtena attāna viharati )」

という表現だった。これは先ほどチラっと出た、

仏の教えを『attanに関する,真実無上のbrahmanの乗物』と称している」

という前回引用部分とも重なって来るだろう。

ブッダの瞑想行道を実践する事に拠って、アッタン(アートマン)がブラフマンになる? これは読みようによってはトンデモない言質ではあるが、本記事のここまでの論述を振り返ってみれば、さほど不自然な言い回しではない気もする。

問題は言葉の定義であり、当時、仏教サンガの『中の人』たちが、いったいこれらブラフマーブラフマン)、アッタン(アートマン)という言葉によって、何をイメージしていたのか、という事に尽きるだろう。

私の中では今、様々な読み筋が交錯しているが、今回は取りあえずこのテーマの初回導入部として、結論は先送りのまま、西氏の最後の結語を見てみよう。 

4 . 結 語


以上のように, 原始仏教聖典には数多くのウパニシャッド的表現をもって説かれる語句が存在する。韻文においてbrahmanは最高の存在として説かれている。また世問一般においてbrahmanとbrahmāの両者を区別なく同一視していたと思われる。
「brahma に達した人」「brahma になった者」は明らかに「悟った者」を意味しており,brahman(車)輪」「brahmanの道」「brahmanの乗物」などの語句は悟りに導く仏の教えを意味している。故に原始仏教聖典に説かれるbrahmanに関する語句を軽視すべきではない

多くの学者は原始仏教の独自性を見い出したいがために, 聖典の教えをバラモン教ウパニシャッドから切り離して考察しようという傾向が強く, たとえ, 聖典の中にウパニシャッド的な表現を以て説かれる語句が存在したとしても, すぐに比喩的表現を用いた教えであると考え, それを釈尊が説いた真理であるとは認めなかった。

しかし, 釈尊バラモンたることを自称し, 真のバラモンたる行為を説いていたのであり, そのような教えを聞いていた出家者在家者においても, 仏教バラモン教ウパニシャッドが求める境地に区別がなく・brahmanという語句を最高の存在としてみなしていたはずである。

また散文においては,「bramanとなったattanによって住する」という定型句が説いているように,悟りに達するとattanという存在がbrahmanとなることを明確に認めている。

このような原始仏教聖典に説かれるウパニシャッド的表現について, 中村氏は

「最初期の仏教バラモン教の優勢な雰囲気のなかではこのような説きかたをしなければならなかった。しかし仏教がひろがりさかんになるにつれてこのような配慮は無用になった。だから聖典の散文においては〈ブラフマンへの乗物〉というような語は現れなくなった」(17 )

と主張しているが,むしろ散文になるとattan とbrahman の関係が定型句になるほど繰り返し説かれるようになったと考えるべきであり, 我々は原始仏教の悟りの境地がウパニシャッドの悟りの境地と類似していることを認めざるを得ない。

けれども原始仏教が説く悟りへの道は実践道であり, Brhadāranyaka Upanishad において,Yājnavalkya がUshasta−cākrāyanaたちに対するatmanの説明(18)のように,形而上学的考察に基づいて悟りを求めるものではないのであるから,たとえ原始仏教の悟りの境地とウパニシャッドの悟りの境地が同一であったとしても, 悟りに到る道を区別して理解すべきであろう。

『原始仏教聖典におけるattanとbrahman』西昭嘉 著より

本投稿の冒頭にも書いたように、ここで西氏の言う、

brahmanとbrahmāの両者を区別なく同一視していた」

という判断は、「ウパニシャッド的な絶対者ブラフマン」との接続を前提として初めて成り立つのではないか、と私は考えている。

原始仏教聖典に説かれるbrahmanに関する語句を軽視すべきではない

という結論。これは本ブログのここまでの論旨を理解された方にも、全く同意できるのではないだろうか。

釈尊バラモンたることを自称し, 真のバラモンたる行為を説いていた」

これまでこの点は余り突っ込んで来なかったが、私自身もパーリ経典における『真のバラモンという概念は、釈尊ブッダの原像において極めて重要な意味を持っていると考える者だ。

この概念もまた、古ウパニシャッドに先行する表現が存在する事から、両者の親近性について考察しつつ、次回以降どこかでメイン・テーマとして取り上げたいと考えている。

「我々は原始仏教の悟りの境地がウパニシャッドの悟りの境地と類似していることを認めざるを得ない」

 私は、この西氏の結論を支持するに全くやぶさかではない。もちろんそれは現時点で『学』として考えた場合、『語句の表現上』という事実から拙速に飛躍せずに、十分な検証を通じて真実へと肉薄すべき事柄であるのは言うまでもないが。

そうした意味で、西氏が最後に提示した、

原始仏教が説く悟りへの道は実践道であり、ウパニシャッドの哲人たちが説明したような形而上学的考察』を通じて悟りを求めるものではないのだから、たとえ原始仏教の悟りの境地とウパニシャッドの悟りの境地が同一であったとしても、 悟りに到る道を区別して理解すべきであろう」

という結語には、今後の進むべき方向性を指し示すものとして、大きな説得力がある、と私は感じている。

この両者の差異性については、先に引用したカタ・ウパニシャッドのラタ馬車の譬えの第16節を見れば、明らかに読み取ることができる。

「16 死の神の宣旨した、永遠に変わる事のない、ナチケータスの故事を(つまりブラフマンの真理へ至る道についての知識を)語り且つ聴いて、賢明な人はブラフマンの世界において栄光を享受する

ここでは真理の言葉を『語り且つ聴く』だけで、ブラフマンの世界に至れる、というニュアンスがはっきりと印象付けられている。

それに対して、西氏が言うようにブッダは徹底的に実践に徹して、虚妄な形而上学を語る事を拒否している。この鮮やかな対比にこそ、我々は注目すべきだろう。

恐らく、カタ・ウパニシャッドのこのような表現は、それ以前のチャーンドーギャやブリハドアーラニヤカなどの流れを未だ引きずりつつ、仏教インスパイヤされた結果のただ中にあり、それはつまり、ウパニシャッド『哲学』がヒンドゥ・ヨーガという原始仏教とは全くパラレルな実践行道へと進化していく『過程』に他ならない。

もちろんその進化の過程で、常に仏教というものが意識され、そこからインスパイヤされ、あるいは反発し合い、という相互作用があったのだと、私はこれまでの研究の結果として推測している。

(一方で、パーリ経典にはブッダの説法を聴いただけで、サーリプッタなど賢明な者だけではなくバラモン苦行者や在家信者までも悟りを開いたかのような表現が頻出する、という事実がある。

話を聴いただけで覚ってしまえるのなら、誰も苦労して坐禅瞑想などしない訳で、これは「真理の説法を聴いただけで覚れる」事を標榜するウパニシャッド・ヒンドゥの勢力に対する対抗意識から生まれた表現であり、あるいは、在家の『軽いムード』の信者たちに向けた『お話』、もしくは ‟何を実践すべきか?” を覚った、と考えるべきだろう)

この酷似している様な全く違うような、ゴータマ・ブッダの道とウパニシャッド・ヒンドゥ・ヨーガの道。両者の関係性を解明するための『最初の鍵』となるのが、すでに以前から言及している『内なる祭祀(Yajna)』というコンセプトだ。

 

§ § §

本論考は、インド学・仏教学の専門教育は受けていない、いちブッダ・フォロワーの知的探求であり、すべてが現在進行形の過程であり暫定的な仮説に過ぎません。もし明らかな事実関係の誤認などがあれば、ご指摘いただけると嬉しいですし、またそれ以外でも真摯で建設的なコメントは賛否を問わず歓迎します

また、各著作物の引用については法的に許される常識的な範囲内で行っているつもりですが、もし著作権者並びに関係者の方より苦情や改善などの要望があれば、当該文章の削除も含め対応させていただきます

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『ブラフマン』とゴータマ・ブッダ【前編】

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スワヤンブナートの仏塔ストゥーパ。ネパール、カトマンドゥ

前回の記事ではブッダの時代の思想史的・修道史的な前段階として古ウパニシャッドに焦点を当て、その核心部分とも考えられる『ウパーサナ』について検証し、その『実践』がゴータマ・ブッダの成道へと直結している可能性について考察した。

何故私がブッダと古ウパニシャッド的な探求が直結していると考えるのか。そこには様々な要素が輻輳しているのだが、ここで端的に、かつ象徴的に一言で言うならば、それは両者において『ブラフマン』というキーワードが共有されている、という事に尽きるだろう。

仏教的な不動の真理としてパーリ語の『アニッチャー【無常】・アナッター【非我(無我)】・ドゥッカー【苦】』の三相が知られている。中でもアナッター(anattā)はサンスクリットのanātmanに相当し、『アートマンではない』と捉える事ができる。

これは経典においては多くの場合、現象世界における様々な事象を捉えて『これはアートマンではない』という形で言及され、さらにそのような『アートマンではない世界の諸相』に執着してはいけない、と説かれる。

この『理(ことわり)』へのこだわりは、スッタニパータなど古層の韻文経典から散文経典に至るまで通底しており、仏教におけるひとつの核心的な教説となっている。

何故ブッダはそこまで『これはアートマンではない』という事実を強調したのか。その背後には当然、ウパニシャッド的な梵我一如の真理におけるブラフマンとイコールであるところの『アートマン(永遠不滅な魂、常一主宰としての真我、普遍我)』の存在が第一に予想され得るだろう。

(この点に関しては、ウパニシャッド的なアートマン仏教的なアッタン、アナッターとの接続を否定的に捉える見方もあるようだ。現時点で私は完全に両者は密な接続関係にある、という立場に立つが、このテーマはまた稿を改めてじっくり考察したい)

そしてそのような『これはアートマンにあらず』というブッダの教説をもって、仏教とはウパニシャッド的な梵我一如の思想からは完全に隔絶したものである、という認識が少なからず一般に流布している。

(その後の大乗仏教の発展に伴って『仏性論』というものが台頭し、話が少々ややこしくなって来るのだがここでは触れない)

しかし、ある時ふと私は気が付いた。確かにパーリ経典の散文部分では、アナッターとして、我々が経験しうる世界(一切世界=sabbeloka)は、『心的諸相』を含めて(そもそもすべての経験は心的諸相である!)、全てが変化し続けている『無常』であり、それゆえ『苦』であり、歓喜に満ちた永遠不滅のアートマンなどは一切確認できず、それゆえ一切世界の諸事象はことごとく『非我(アナッター)』である、と喝破している。

(ここで注意すべきは、仏典が無常と苦と非我を主張したのは、あくまでも我々が経験できる日常的な『一切世界』であり、この『世界』の彼岸(Pāram)あるいは彼方の『別世界』(Paraloka)がどうなっているのかについては無記を貫いている)

けれどもその真我アートマンと対になりそれこそが正に大宇宙の中心原理であり絶対者であるところの『ブラフマン』については、何一つ否定してはいないのではないか。例えば『ア・ブラフマン』などという表現や意義が、仏典上に存在するのだろうか?

それどころか、これまで私が読んだパーリ経典の少なからぬ個所では、輪廻から解脱し覚りを開いたブッダの事をブラフマン(もしくは梵天ブラフマー)に譬えて称賛する文言が決して無視できない頻度で見て取れるではないか。

この間の消息は一体どうなっているのだろう。そう思ってネット上を検索してみた所、余りにもこの主題にど真ん中で合致する論文を発見した。

原始仏教聖典におけるattanとbrahma

本論文の著者である西昭嘉氏については、ネット上でざっと調べてもその所属や経歴がいまいち不明だったのだが、正に私がやりたいと思っていた文献的な検証を先んじて行っており、大変勉強になるものだ。

本論文は2003年前後に書かれたようだ。それが現在、インド学・仏教学の最先端においてどのように評価されているのかは未詳だが、その内容の充実を考慮し、またネット上に無料で公開されている事も踏まえた上で、以下にパーリ原典からの要点を中心に引用させていただき、子細に検討してみたい。

実はこの論文は二本で一セットになっている物の内の後編であって、前編である『原始仏教における無我説の再考』 に続く内容になっている。この前編において著者の西氏は原始仏教聖典に見られるattanとanattanについて、これも非常に興味深い論述を展開しており、本来であればまずこちらを先に紹介すべきではあるのだが、現在の私の論考の焦点を優先して、ここではまずブラフマンについての後編を参照する。

仏教、あるいはゴータマ・ブッダという『個体』が登場したのは、ヴェーダの昔から現代にいたる長きにわたるインド教の歴史の流れのただ中である、という事実は何人も否定しえない。

その場合、誰しも思うだろう疑問があって、それはインド教のいわゆる『主流派』であるバラモン・ヒンドゥ教における『解脱』『ニルバーナ』『覚り』と、仏教のそれとが、一体どのように違うのか、あるいは同じか多少なりとも重なる部分があるのか、という事だろう。

仏教的な『解脱』とヴェーダバラモン・ヒンドゥ教的な『解脱(それはつまるところウパニシャッド的なあるいはヴェーダンタ的な梵我一如)』、このふたつは一体、どのような関係にあるのか、あるいは全く関係がないのか?

これは最近とみに私が抱えてきた問題意識でもあるのだが、西氏は(おそらくはパーリ聖典の精査の結果をもって)最初に「両者の悟りの境地が異なるものであるとは明言できない」と指摘している。

(一方、前編の論文『原始仏教における無我説の再考』 において西氏はウパニシャッド的なアートマン仏教におけるアッタンを ‟区別して考えるべき”、と述べているので、矛盾が感じられるが)

その理由として氏は、原始仏教聖典の中に多くのウパニシャッド的な語の用法が見られる事を引き合いに出し、その実例としてブラフマンという語の用例について列挙している。

仏の教えを

ブラフマン=brahmacakka(★筆者注:これは正確にはブラフマン車輪

attanに関する,真実無上のbrahmanの乗物=etad attiniyam bhūta brahmayānam anuttaram」

と称し,

悟りを開いた者を

brahmanになった=brahmabhūta」

brahmanに達した人= brahmapatti:brahmalokūpapatti」

brahmanと同じ者= brahmasama」と呼んでいる。

 

 「心臓は光輝の場所である。 よくattanを整えた人 (purisa) が光輝である」(hadayam jotithānam attā sudanto purisassa joti;SN. 1, p169G)とは, Brihad Araniyaka Upanishad におけるātmanの説明に類似している(Brhad. Up IV, 3, 6;Brhad. Up IV, 3, 7.)

 

「清浄行(brahmacariya)」はインドー般において勧められている行為(Chand. Up IV 4, 1. 10, 1;Chand. Up VI, 1, 1.)である。

『原始仏教聖典におけるattan とbrahman』西昭嘉 著より

これについては、私自身も以前から気付いており、その真意について模索してきた。覚りを開いたブッダの事をブラフマンになり、それに達し、それと同じになった者』とし、その教えをブラフマンの車輪、ブラフマンの無上の乗り物』と呼びうるその背景心象とは如何なるものなのか。

この点に関しては、これまでに宇井伯寿、中村元、両泰斗をはじめリス・デイヴィスなど錚々たる研究者が様々な角度から言及している事を踏まえた上で、西氏は日本社会に特有の「ブッダの教えをウパニシャッドヴェーダンタの梵我一如思想とは全く異なったものであると ‟思いたい”」、日本人固有の知的バイアスについて指摘している。

多くの方がご存じのように、日本の近代仏教学の流れは先行する西欧のインド学・仏教学を後追いする形で明治~大正期に勃興した。パーリ語サンスクリット語の豊富な原典ソースを言語学的に詳細に分析する事によって生まれた「西洋的」な学の体系がまず先行し、そこから大いに学びつつそれを批判的に再検討する、という視点を日本の学徒は常に意識していた。

そこにおいて、いい意味でも悪い意味でも重要な役割を果たしたのが、いわゆる各宗派・宗門の『教学』の存在だった。

日本は欧米と違って伝統的に大乗仏教を奉じてきた。それは基本的に中国を経由した『漢訳仏教』であり、密教を含む膨大な知の集積としてそれぞれの宗門によって研究され護持されてきた。

明治期に欧米よりもたらされた近代仏教学の奔流が、彼らをして驚愕せしめた事は想像に難くない。中国という回り道をせずに、インド語からダイレクトにもたらされた、おそらくはより釈尊の直説に近いだろう経典群が、情報として実在する事が分かったからだ。

長年の国内における宗門間の対立を前提に、その後の廃仏毀釈などによる仏教の衰退に対する危機感の中、欧米からもたらされたサンスクリット及びパーリ語直伝の『新(真)仏教』が、如何に自らの宗門の教学と折り合い得るのか、あるいは得ないのか?その様な動機付けの中で多くの留学生が西欧に送られた。

もちろん、そこに「釈尊の真実の教法を明らかにしたい」という真摯な気持ちの研究者は少なからず存在した。けれども日本仏教学というものが、そもそも始まりから今に至るまで、一部『宗門利害』によるバイアスの下にあった事実は否定できないだろう。

その様な中、伝統的な漢訳仏教を引きずった原典翻訳に反旗を翻し、平明な日常語でパーリ経典を次々と翻訳していったのが中村元博士の流れなのだが、しかし今度は、余りにも通俗に堕してしまうという弊害をもたらしてしまった。

これら先学の思索・研究を跡付けながら、しかしそれらを超えていく新たな仏教学・インド学がこれからは求められていくべきであり、西氏のような発想と視点は私にとって大いに新鮮であった。

パーリ語にしろサンスクリット語にしろ、原単語の一つひとつが持っている個別的な背景心象に焦点を当てその真意をブッダの時代にまで遡って彼らの視点に立って」究明するという姿勢。これこそが今求められているのだと強く思う。

例えば西氏も上で引き合いに出しているbrahmacariyaという言葉。その本来の語義は一般的に以下の様に理解することができる。

The word brahmacharya stems from two Sanskrit roots:

ブラフマチャリヤという言葉は以下の二つの語に分けることができる。

1.Brahma (ब्रह्म, shortened from Brahman), connotes "the one self-existent Spirit, the Absolute Reality, Universal Self, Personal God, or the sacred  knowledge".

ブラフマブラフマンの短縮形)。自生者としての絶対者ブラフマン、究極の真実在、普遍我(アートマン)、梵天神、聖なる知識(ヴェーダ、ヴィディヤ)。

2.charya (चर्य), which means "occupation with, engaging, proceeding,  behaviour, conduct, to follow, going after". This is often translated as activity, mode of behaviour, a "virtuous" way of life.

チャリヤ。~に従事する、深く関る、~向かって進む。振る舞い、行為。~に従う、~の後を追って行く。フォローする。 

The word brahmacharya thus literally means a lifestyle adopted to seek and understand Brahman – the Ultimate Reality. As Gonda explains, it means "devoting oneself to Brahman".

ブラフマチャリヤという言葉は、語義的にはブラフマンという究極の真実在(大宇宙の絶対者)を希求し理解するために特化された生活様式である。ゴンダが説明する様に、それは『自分をブラフマンに捧げる』事を意味する。

In ancient and medieval era Indian texts, the term brahmacharya is a concept with a more complex meaning indicating an overall lifestyle conducive to the pursuit of sacred knowledge and spiritual liberation.

Brahmacharya is a means, not an end. It usually includes cleanliness, ahimsa, simple living, studies, meditation, and voluntary restraints on certain foods, intoxicants, and behaviors (including sexual behavior).[

古代や中世におけるブラフマチャリヤの意味はより複雑で多様な意味を持っており、それは聖なる知識の獲得や解脱のために遂行される総体としての生活実践である。

ブラフマチャリヤは、方途のプロセスであって決してゴールではない。それは一般に清浄、不殺生、簡素で清貧な生活、聖なる知識の学習、瞑想、自発的な食、嗜好品、性的・非性的行為の禁戒の保持などを含む。

Brahmacharya - Wikipedia より。拙訳筆者

上の説明では、ブラフマチャリヤという言葉は明確に『ブラフマン』を意識しており、絶対者であるところのブラフマンの後を追いかけ、ブラフマンの方向に向かって進み行くという行為を本来的には主張している。

にもかかわらず、これをただ単に我々の日常感覚で『清浄行』などと安易に訳してしまえば、それらの背景心象を一気に喪失してしまう愚に陥るだろう。

ブラフマチャリヤを単なる性的禁欲、と訳す事も一般に行われている。実際に私が以前取材したインドの伝統レスリング・クシュティの世界では、グルと呼ばれる師範の下に入門した若き弟子(男子)たちは、ブラフマチャリヤの名のもとに厳しい性的禁欲を課せられている。

けれど本来的な原像としては、ブラフマンを希求する宗教的求道において、性的禁欲が必要だと考えられたからこそ、ブラフマチャリヤという語において性的禁欲が行われたという長き歴史があり、クシュティの道場ではそれを象徴的に受け継いでいるに過ぎない。

それらをの背景心象を捨象して、ブッダの時代を含む古代・中世のブラフマチャリヤ実践を単なる性的禁欲だと印象付ける様な愚も、やはり犯すべきではないだろう。

もちろん、仏教を含めたインド教の長い歴史の中で、様々な文脈の中で使われたこの言葉は、状況によって端的に『清浄行』を意味する事もあれば、『性的禁欲』を意味する事もあっただろう。

けれど、その背後には常に『Brahman』あるいは『至高存在』が暗黙の了解として常に意識されていた。

つまり、ブラフマチャリヤと言う言葉とそれが意味する行動様式を取り入れたあらゆる求道システムが創立されたその『原点』において、それら求道のゴールについて、字義通り本来的には常にブラフマンの至高存在が想定されていた、と考えるべきなのだ。

これは以前、本ブログに先行する『脳と心とブッダの悟り』でも少し触れた事だが、ゴータマ・ブッダの原像を正確に把握する為には、彼のライフステージを成道以前以後に分けて、両者の何が違うのか、という視点で見る必要がある。

ゴータマ・ブッダが悟りを開く前、未だいち修行者・沙門シッダールタであった頃、彼は何を求めて修行に勤しんでいたのか。

あるいはそもそも王城に住まいあらゆる欲望が満たされた生活を送っていた(と傍からは思われる)シッダールタ王子が、一体何に行き詰まり、何を求め、そして何を『指標』にしてあえて茨の出家の道、すなわちブラフマチャリヤへと踏み出したのか。

それはブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッドの中に明確に書かれている、と私は考えている。

この偉大で不生のアートマンは、実に諸機能の中において識別からなるものであります。一切の支配者であり、一切の君主であり、一切の統率者であるそれは、心臓中の空処、そこに横たわっています。

彼は善業によって大とはならず、また悪業によって小となる事はありません。彼は一切の君主であり、この世に存在する者の統率者であり、彼はこの世に存在する者の守護者であります。

 

バラモンヴェーダの学習により、祭祀により、布施により、苦行により、また断食により、それを識知したいと欲します。

これさえ知れば、彼は聖者(原語はMuni)となります。

この世界アートマンを指す)を希求しながら、遊行者は遊行するのであります。

古昔の人々はこのことを識知して、

「このアートマンすなわちこの世界がわれらのものであるのに、子孫を持って、なんの役にたとう」

と、子孫を望みませんでした。彼らは息子を得ようとする熱望、財宝を得たいという願望、そして世間に対する欲求から離脱して、食物を乞う生活を送るのであります。

Brihad. Up. 4, 4, 22. 【原典訳】ウパニシャッド、岩本裕 編訳、ちくま学芸文庫 P277~より

ここにはウパニシャッド的な求道者の世界観が、鮮烈に明示されている。

それは、アートマン(前後の脈絡からそれは=ブラフマン)を一切世界の主宰者であり、世界 ‟そのもの” と観て、普通では見えない ‟それ” を『世界』の深奥に見出していく試みである。 

そしてそのような求道的な挑戦の具体的な実践法とは、バラモンによって行われるヴェーダの学習や祭祀、そして布施、さらに苦行や断食であり、遊行者と呼ばれる人々はその世界(アートマン)を希求しながら、遊行するのだという。

おそらくここで『バラモン』と呼ばれている者たちは、いわゆる祭儀万能のバラモン教的な職業司祭官を意味するものではなく、ウパニシャッド的な求道者としてのバラモン、すなわち『ブラフマン(=アートマン)を希求する求道者』に、強く傾斜した呼称なのだろう。

そして興味深いことに、最後に登場した食物を乞う生活の原語はBhiksha-charyamであり、この用法こそが仏教における比丘の原像になるものだ。

ここでは仏教的な比丘の原像となる乞食生活者がイコール、ウパニシャッド的な求道的バラモンあるいは遊行者である事が明示されており、その求道のゴールに到達したとして称揚される『聖者』の原語はMuniであり、正に釈迦牟尼ブッダという『生き様』の原風景を活写していると言えるだろう。

更に注目すべき事は、ここに登場する『一切』の原語はSarvaであり、『この世』や『世界』の原語はLokaである事だ。そう、それがバラモンであれ乞食遊行者であれアートマンを求める求道者たちは、この一切世界の ‟中に” (あるいは奥に、背後に)ある『それ』を知るべきだと説かれているのだ。

(以上のサンスクリット原語とその英訳はThe Principal Upanishad:P278より)

一方でこのSarvaはパーリ語にすればSabbeであり、LokaはそのままLokaである。つまり、ブッダが悟りを開いた後の教説において徹底的に強調した「一切世界は無常であり非我である」という言説は、上に紹介したウパニシャッド的常住遍在アートマン観の『反語』であると考える事もできる。

あるいは、ウパニシャッドにおいて究極のアートマンブラフマンは、最終的には常に「Neti, nety, ātmā. これではない、これではない、(としか言いようのない)アートマンなどと表現される事から、アナッタン=非我、つまり(一切事象は)アートマンに非ず、というブッダの言葉は、一面において、このウパニシャッド的な金言を『踏襲・体現している』とも考えられる。

どちらにしても、シッダールタ王子が出家して比丘サマナになり最終的に聖者ブッダになったというその『全枠組み=パラダイム』こそが、(BhikushとMuniという語の用法からも明らかなように)ウパニシャッド的求道者という文脈に全く乗っかっていた、と見る事が可能だろう。

それを裏付けるかのように、ブッダ菩提樹下に禅定し悟りを開く直前までの6年間邁進したのは、正に上のアートマン希求者が実践すべき事の後半部分である、『苦行』と『断食』であった。

上のウパニシャッドの言葉はヤージュニャヴァルキヤがヴィデーハ国のジャナカ王に語ったものだが、シッダールタ王子が王城を捨てて沙門になり乞食遊行の生活を送ったという事は、正にこのヤージュニャヴァルキヤに代表されるウパニシャッド的求道者(遊行者)の正統の後継者と言えるかも知れない。

しかし彼、すなわち沙門シッダールタは、先人の教えに従って様々な行法において徹底的に実践しても、ついに覚りすなわち予想される『アートマン』に到達したという自覚は得られなかった。

一般に苦行に邁進する前の沙門シッダールタがアーラーラ・カーラーマなど瞑想行の師匠について瞑想を習ったと言われている。この点に関しては稿を改めて詳述したいが、これら既に世上に流布している瞑想行と苦行の実践を経ても、彼は究極の真実在たるアートマンブラフマンには到達できなかったのだ。

いよいよ追い詰められた彼の内部で、これまでの経験の蓄積が発酵し、熟成し、そこで想到し、閃いたものこそが、これまでの経験の延長線上にありながら、それを超越した、全く新たな『瞑想行法』だった。これが現時点で私の考えている、菩提樹下の成道に至る大変大雑把なシナリオになる。

(全ての引用部分を含め、ここまでの本投稿内容には『瞑想』という概念はほとんど登場してこなかったが、ブラフマンの追求と『瞑想』という営為との関係性は、また改めて後述)

菩提樹下に結跏趺坐し禅定した時点では、彼は依然としてアートマンブラフマンを希求していた。ただ既に語られているアートマンブラフマンの、その性質の一部について、ある種の『疑義』を持っていた可能性がある。

(これはある意味当然のことで、世上で言われている様な修行法をあれこれ徹底的に実践してみてもいつまでも納得できるゴールに辿り着けないとしたら、「いったい彼らの言っている事は真実なのだろうか?」と疑問に思わない方がおかしい)

その疑義を深く見つめ、追求していった果てに、彼は『ブラフマン(と称される解脱の理想状態)に到達し得る瞑想法』、その実践的な『方法論』に思い至った。

そして全く新しいその瞑想法の実践によって、その瞑想実践が深まっていくプロセスの真っただ中で、彼は一切世界の ‟中に” 『永遠不滅のアートマン』と言えるものは存在しない事を‟識知した”(これは見方によっては ‟Neti, nety, ātmā”をリアルに体得した?)

そしてそのような ‟知っていく” プロセスの中で、最終的に彼は世上で言う所のアートマンブラフマンと同等、あるいは ‟それ以上” と思える地平に到達した(と初めて ‟実感” できた)。

それが、彼の言う『ニッバーナ』であり、『彼岸』であった。

この彼岸という言葉。原語はPāramだが、すでにウパニシャッドに用法が存在する。彼はこの言葉を援用して、見事に『一切世界=此岸』とそれとは隔絶された『ニッバーナ=彼岸』の二項対置によって、一切世界と解脱の境地(ブラフマンの境地)の関係性を活写したのだ。

あるいは、少なくとも ‟ 世間一般大衆はそのように『理解した』”

つまりここにはウパニシャッド全般が抱えている矛盾が露呈している。一方でアートマンブラフマンは『この世界一切そのものである』と言いながら、一方では『見る事も掴むこともできない、これではない、これではない、としか言いようがない』と言っている。

一体、この我々が住む、我々を含めた、この『一切世界』とはアートマンブラフマンそのものなのか、それとも『あらず、あらず』なのか?

我々が経験しているこの『一切世界』の中に、アートマンブラフマンはあるのかないのか?そして、『見る事も掴むこともできない、これではない、これではない、としか言いようがない』アートマンブラフマンを、一体どうやって『識知』できるのか?

この絶対矛盾と混迷に対して、ブッダはひとつの回答を明示した。

それは世上で言われている様なアートマンブラフマン思想の混迷や矛盾点を、明確に『裁断』するものだと、多くの道を求める聴聞者たちに受け止められたのだ。

以上は、現時点での私の個人的な仮説だが、ここまでの流れを前提に、先の西氏の論文の続きを下に引用して見ていきたい。

2 .韻文に説かれるbrahman


本来brahmanという語は, 最高原理【Brahman】 を意味し, 男性名詞で用いられると人格神である【brahmā】 を意味する。原始仏教聖典の中には多くのbrahmanに関する語句が存在するが, それを最高原理のbrahmanと人格神のbrahmāとに, すぐに区別することは出来ない。そのため両者が原始仏教においてどのような位置付けにあるのかを, まず把握する必要がある。
Suttanipata(Sn.) には, 次のような釈尊と信者の対話が残されている。 

聖者よ,お尋ねしますが,私は今, brahmanをまのあたりに見たのです。真にあなたは我らにとってbrahmanに等しい(brahmasama)方だからです。

光輝ある方よ。どうしたならば, 梵天界(brahmaloka) に生まれるのでしょうか。(Sn,508G )

これに対して釈尊は「施しの求めに応じる人が, このように正しく祀りを行なうならば梵天界に生まれる」と答えている。ここで信者が考えるbrahmanとはbrahmāであると思われ,brahmā もしくは梵天界に住む者を釈尊と同一視している。 

三つのヴェーダを具え, 心安らかに, 再び世に生まれることのない人は,諸々の識者にとっては, brahman やsakkaである。(Sn. 656G )

上記のbrahmanはbrahmāであるが,「再び世に生まれることのない人」即ち,悟った者を意味している。

しかしこの詩句はバラモンに対する教えであるため, brahmanを比喩的表現にて説いたとも解釈できるが, 少なくとも原始仏教時代の世間一般においてbrahmanが悟った者と同一視した存在として見なされていたことが伺える。

さらに他の聖典においてはbrahman に達するため(brahmapattiya) に行なうのが修行である(15)と説かれており, その悟りへ赴く道をbrahman の道(brahmapatha)であると説いている。 

人間たるものである正覚者は, attanを制し, 心を統一し,brahmanの道において行動しながら, 心の安らぎにおいて楽しんでいる。(Therag.689)

真実と法と自制と清浄行(brahmachariya),これは中〔道〕に依るものであり,brahmanに達するもの (brahmapatti)である。

バラモンよ。善にして真直ぐな人々を敬え。私はその人を法に従っている人であると説く。(SN. 1, p169G ) 

上記の詩句においてbrahmanは, 最高原理brahmanと人格神brahmāの両者に理解できるが, 寧ろ, 両者の意味が区別なく混合されて使用されているように思われる。さらに「brahman に達した人」のことを「brahman となった者」(brahmabhūta) と呼んでいる。

私はbrahmanとなった者であり, 無比であり, 悪魔の軍勢を打破し,あらゆる敵を降伏させて, なにものをも恐れることはない。(Sn. 561G ;Therag. 831)

また Itivuttakaにお い て は 「brahmanとなった者 」 を 「悟った者」(aññatar)「如来」(tathagata) 「仏陀」(buddha) と同一視しているが, 「悟った者」が示しているように「brahmaとなった者」は必ずしも釈尊のみを示す語句ではなかったようである。

貪りと憎しみと無知とを離れたならば,その者を, 修養したattanによって悟った者,brahmanとなった者,如来仏陀, 怨みと恐れを越えた者を, すべてを捨てた者という。(ltiv. p57G) 

以上のように, 原始仏教聖典の韻文においてbrahmanという語は最高の存在, 最高の境地, すなわち悟った者と同一視していた。

 

『原始仏教聖典におけるattanとbrahman』西昭嘉 著より

この辺りの論述を見ると、私はある種の混乱とじれったさを感じずにはいられない。

原始仏教聖典の中には多くのbrahmanに関する語句が存在するが, それを最高原理のbrahmanと人格神のbrahmāとに, すぐに区別することは出来ない」

まず第一に、何故、この明らかに意味の違うだろう二つの語が、明確に区別できないのだろうか?

私はパーリ・サンスクリット語の専門教育を受けた者ではないのでいささか自信がないのだが、本来ブラフマンBrahmanブラフマーbrahmāは明確に違う概念であり、その表記も別個のはずだ。

それが経典上の構文(あるいは複合語?)の中に記述された時には語尾変化して、何故か同じブラフマBrahmaになってしまい、もはや元の語義がどちらか区別の仕様がない、という事情があるのだろうか。

あるいはそもそもパーリ語にはBrahmanという語自体がない?そのためBrahmaの語をもって、Brahmanかbrahmāかをそれぞれの文脈に応じて、その都度解釈を迫られている?

(この辺りは全く混乱状態なので、どなたか専門知識のある方がいれば、是非ご教示願いたい)

この問題は、そもそも絶対者ブラフマン梵天ブラフマーが一体どのような関係にあり、どのような経緯でこれら二つが両立する事になったのか、を知らなければ、本当には理解できないのかも知れない。

元々絶対者ブラフマン概念の『発明』は、リグ・ヴェーダ的な人格神群が居並ぶ多神教世界観に飽き足らなくなった古代インドの思索者たちが、氾濫する多神をひとつの求心原理へと収斂していく過程で、まずはプラジャーパティなどの一者(Eka)がいくつかの変遷を経て想定され、やがてそれら一者達(変な言葉だが)の持つ諸属性がブラフマンという唯一の名において統合されたものだと言う。

しかし、このような極めて抽象度の高いブラフマン思想についてはついに一般庶民の共感を得られずに、このブラフマンが人格神化する事で梵天ブラフマーが生まれたというのだから話がややこしい。

あるいは、最初に生まれた『一者(Eka)ブラフマンの概念そのものが本来人格的なものであり、それが中性原理のブラフマンと男性神格のブラフマーに分化した?(あ~誰か正確な事を教えてくれ!)

どちらにしても、上の西氏の記述を見る限り、パーリ経典の古層には至る所にブラフマン(orブラフマー)という語が見られ、それがダイレクトに悟りを開いたブッダと同一視されている事が実に良く分かる。

このブラフマンブラフマー両者の関係性、そしてブッダブラフマンブラフマー)と呼ばれたその背景思想が詳細に明らかになれば、ブッダとその周囲の人々の心象がよりリアルに把握され得ると私は考えるのだが、一般にはこのような視点や関心は存在しないのだろうか。

論文が持つ圧倒的な情報量に目を見張りつつ頷きつつ、そんな事をつらつら考えながら終盤まで読んでいった私は、しかし西氏の最後の言葉に直面した時には当惑を禁じえなかった。

しかし, 原始仏教では人々に対してattanやbrahmanについての形而上学的考察に基づいた説明を全く行わなかったのであるから, 究極至高としてのbrahmanという観念が世問一般に存在していたとは考えにくい

むしろbrahmanとbrahmāは区別なく, 両者をただ最高の存在として見なしていたと考えるべきであろう。

『原始仏教聖典におけるattanとbrahman』西昭嘉 著より

 これは一体、どういう事だろうか?

私の知る限りでは、ウパニシャッドの特にヤージュニャヴァルキヤの思想に関してはブッダと同時代に生まれたジャイナ教の古層の経典にも記録されており、ジャイナ教仏教、その他のいわゆる外道を含めて、当時広く出家サマナの修行者たちによって共有されていた、と見るのが自然だ。

前回記事で書いたように、従来の考えではウパニシャッドの思想とは秘説であり秘伝でありごく狭い師弟サークルの中で内々に秘密にして語り伝えられて来た、と考えられていたが、その様な定説はすでに崩壊している。

これはおそらく、ウパニシャッドシャンカラ・アチャリヤによって『ヴェーダンタ』として確立されて以降の『伝統』が、前面に出てきた結果としての誤解だったのだろう。

特にブッダ以前の古ウパニシャッドの思想が、全て世上から隔離され秘匿されていたものではない事は、ウパニシャッド自体の記述からも推測できる。

ウパニシャッドにはしばしば、王やバラモンが様々な聖賢を集めて真理について論争し優れて説得的な勝者を選出する、という謂わばスピリチュアル弁論大会、の様な集会が開かれた事が言及されている。

ウパニシャッドの思索と探求は、極めて精神的(宗教的)なある種スリリングな『知的エンターテイメント』として社会の上流知識人層によって『消費』されるコンテンツであった、という側面について見逃がすべきではない。

少なくともブッダの時代の前後には、このような求道的な思索者・実践者が、北インド全体で様々な思想的広がりを持って活動し、その周囲には一定の信者(パトロン)がいた事が、ウパニシャッドだけではなく原始仏教経典の62見などからも容易に想定できるはずだ。

パーリ経典の中でも古層と言われるスッタニパータなどには、ブッダの名声を聞きつけたバラモン求道者たちが遠路はるばるその教えを聴きにブッダを訪ねて、丁々発止の問答を繰り広げる光景が豊かな臨場感と共に記録されている。

中村元博士の言うように、当時の北インドは、同時代のギリシャや中国と同じように、人類史上まれにみる『思想家の時代』だったのだ。その背後には都市文明の勃興によって台頭する経済的に豊かな知識人層の存在と、全北インドを網羅するような物資と情報の流通革命があった。

財貨を運んで全土を旅する商人、異国に赴き戦う戦士、そして遊行する求道者たち。その背後にいる豊かで知的好奇心に溢れた多くの都市住民たち。彼らによって『聖なる智慧』とそれを保つ聖者の名が、情報として全土に運ばれ共有され吟味されていった。

そしてその『聖なる智慧』を自ら『知る』ために、聖者が招聘され、あるいは自ら聖者の元を訪ねて、その智慧の開示を乞うと言う営為が至る所で行われていた。

それら、従来の『バラモン祭儀教』に飽き足らないウパニシャッド的あるいはサマナ的な『求道』とその成果としての『聖なる智慧』、その中心に位置づけられる代表的なものこそが、アートマンブラフマン思想であった。

(もちろんこのアートマンブラフマン思想とは縁もゆかりもない独自の思想というものもある程度存在していたはずだが、最終的にマジョリティの関心は呼ばなかった)

つまり、全土に広がる一群の求道者サークル及びその周囲にいて彼らを物心両面で支える知識人層の間では、究極至高としてのブラフマンは、暗黙の、つまりわざわざ言及する必要もないほどに、一般常識として知られていた、と考えるべきなのだ。

これも先に触れたように、そうでなければ、何故ブッダの教説があれほどまでに非我Anattāや無常を強調した意味が分からない。

何故ブッダやサンガの生きざまが、ウパニシャッド的求道者と個々の用語レベルから生活実態に至るまで、あのように合致するのかも説明がつかない。

『一切世界』についての非我と無常が、ウパニシャッド的なアートマンブラフマン思想の『混迷』を裁断する、ゴータマ・ブッダの独創的かつ明示的な『解答』だったからこそ、彼の教説は『革命的』な形で受け入れられたのではなかったのか?

だからこそウパニシャッド的とサマナ的を縦断する形で、彼ら求道者の生きざまが普遍的にBrahma-charyaと呼ばれたのではないのか?

だからこそ、覚りを得たゴータマ・ブッダが『ブラフマンになった』と称賛され、彼の指し示す修行道が『ブラフマンへの道』と呼ばれたのではないのか?

それ故、私は西氏の判断には、現時点では同意しかねるのだが、いかがなものだろうか(この論文はあくまでも2003年時点の氏の見解であり、その後の変化については把握できていないが)。

この辺りは、先に言及した絶対者ブラフマンブラフマー神との関係性が完全に判明すれば、答えが出るのかも知れない。

果たして、ウパニシャッド的な『究極至高の(絶対者)ブラフマンというイデアと全く切り離されたブラフマンブラフマーの区別なき最高存在』などというものが、存在し得るのだろうか。

更にそのような概念は、一体 ‟どのように”確立され得たと言うのだろうか。

彼の視点の鋭さに大いに啓発された私としては、若干の疑問が残るところだ。

(西氏は相当に原典を読み込んでいる気配が濃厚なので、私としても些か自信はないのだが・・・)

しかし一部同意しかねる部分があるものの、西氏の経典分析の探求は更にさらに面白い展開を見せてくれる。このまま書き連ねたいのは山々だが、一回の投稿としてはいささか長くなってしまったので、次回に回す事にしよう。

zeropointbuddha.hatenablog.com

(今回引用されているパーリ韻文経典には、極めて重要な情報が載っている。それはブッダ『祭祀』との関わりなのだが、これも次回以降に改めて詳述したい)

 

§ § §

本論考は、インド学・仏教学の専門教育は受けていない、いちブッダ・フォロワーの知的探求であり、すべてが現在進行形の過程であり暫定的な仮説に過ぎません。もし明らかな事実関係の誤認などがあれば、ご指摘いただけると嬉しいですし、またそれ以外でも、真摯で建設的なコメントは賛否を問わず歓迎します

また、各著作物の引用については法的に許される常識的な範囲内で行っているつもりですが、もし著作権者並びに関係者の方から苦情や改善などの要望があれば、当該文章の削除も含め対応させていただきます

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ウパニシャッドと『ウパース&ウパーサナ』、そして菩提樹下の禅定

ゴータマ・ブッダの心象風景をリアルに知るためには、彼に前後するウパニシャッド(及びヴェーダ、プラーナ、アーラニヤカ)についての大きな流れを知った上で、更に時代的にはブッダより後に発展したヒンドゥ・ヨーガについても学ぶ必要がある。

以前から基本的にそうなのだが、最近は特に上の様に痛感する事はなはだしく、主にヨーガの古典とウパニシャッドに関する書物を現在読み耽っている。

今回は中でもひとつの焦点であり、『ブッダの瞑想法』の起源とその方法論、及びそこに至るまでの沙門シッダールタの心象プロセスに深く関るだろう『ウパニシャッド』の語義ついて、最も基本的な部分を押さえておきたい。

ウパニシャッド』という言葉の起源とその意味するところについては、私がこれまで読んできた専門書や一般教養書、さらにはネットなどの情報を総合すると以下の内容がその代表的なものであった。

ウパニシャッドという名称の意味であるが、専門家の間において一致している訳ではない。一般に認められているところでは、ウパニシャッドUpanishadという語はサンスクリットの語根Upa-ni-shad「近くに坐る」に由来し、「師匠の近くに弟子が坐る」意から導かれると考えられている。

すなわち、師匠と弟子が膝を交えて、師匠から弟子に親しく伝授されるべき「秘密の教義」、すなわち我が国の芸道で用いられている「秘伝」の意となり、そこからこのような「秘密の教義」を載せた神聖な文献の名前となり、さらにこの種の文献の総称となったと理解されている。

事実、ウパニシャッド文献には、門弟あるいは息子が師匠あるいは父から親しく教えを聴く場合が数多く見られるのであって、従ってウパニシャッドは「神秘の教説」であるから、それは師資相承であり父子相伝でなければならないと説かれる。

【原典訳】ウパニシャッド、岩本裕 編訳、ちくま学芸文庫 解説より引用

しかしネットの一部に、このような解釈についてのいくつかの疑義を見出して、色々と調べてみた。以下はその中の代表的なものだ。

ウパニシャッド仏教の土台である。まず、その意味から始めよう。ウパニシャッドという語は、ウパ(upa)“近くに”、ニ(ni)“下に”、シャッド(shad)“座る”から構成され、通常「近座」と訳される。

従来の解釈では、弟子が師の下の近くに座って、師から秘密の教説を聞くこととされてきた。しかし、文献を詳細に調べた所そのような用例はなかったそうである。

そこで、近年では、“念想”を意味するウパース(upās)との関連が重視されるようになった。この解釈に立てば、ウパニシャッドとは念想(upa)を目的とした(ni)坐法(shad)によって得られた瞑想内容の集成であるということになる。

念想を目的として坐るとは坐禅に他ならない。坐禅の目的は“無―無―”と言って、頭を空っぽにすることではない。坐禅の本来の目的はウパース(念想・瞑想)にある。仏教の本来の姿を学ぶ上からもこの事はしっかりと頭に入れて置きたい。

仏教入門 - 仏家妙法十句より引用

これに類似した指摘が以前からネット上にある事には気づいていたのだが、明確な学術的なソースが分からずに手つかずのままであった。上のサイトは非常に真摯に仏教というものに向き合っており、その内容すべてが私の思索と重なる訳ではないのだが、大いに参考にさせていただいた。

次に引用するのは、私がいつも脳と心とブッダの悟り - Yahoo!ブログでお世話になっているAvarokiteiさんのサイトで偶然発見し購入した針谷氏の著書からで、私はこのような理解がすでに『定説』として確立していたとは全く知らずにいた。

ウパニシャッド(Upanishad)はウパ+ニ+シャッドと語形は分解され、Upaは《近くに》、niはほぼ《下に》、shadは本来《座る》を意味する✔shadという動詞であり、語全体としては《近座》を意味しうるので、深い秘密の教説を師から弟子が聴くために師の下に《近くに座る》の意味、転じて《秘説》そのもの、さらにその秘説を収録した文献群を指すようになった、というのが通俗的なウパニシャッドの語義解説である。

しかしドイツのオルデンベルクさらにポーランドのシャイエルの研究によりその解釈は訂正された。ウパニシャッドという語がそのような意味で用いられている用例はウパニシャッド文献の中には存在せず、ある事象を至高存在者と同置するウパニシャッド特有のウパーサナーという観法によって得られた思惟の内容を表現する簡潔な定句がウパニシャッドという語の意味であるとここでは言っておこう。

ヴェーダからウパニシャッドへ  針貝邦生著、清水書院 P159より引用

針谷氏の指摘は、先の仏家妙法十句さんの主旨に近いもので、私が知らなかっただけで、すでにこれが21世紀のスタンダードなのかもしれない。

Avarokiteiさんのサイトやブログは、これまでも色々とお世話になっており、今回もとても読み応えがあったのだが、そこでもう一人彼が紹介している湯田豊氏の解説について以下に引用しよう。

ウパニシャッドの語義

ウパニシャッドという言葉を確かめるために企てられたのは、ウパニシャッドupanisadの語源解釈である。学界に流布している学説によれば、師匠から教えを受けるために、弟子が師匠の近くにupa下にni座るsadことがウパニシャッドの語義である。

そして師匠から弟子に伝えられる秘密の教えとは何かと言えば、大宇宙の原理としてのブラフマン=小宇宙の原理としてのアートマンであるという思想であるといわれる。ブラフマンは梵であり、アートマンは我である。ブラフマンアートマン説を、人は "梵我一如" 説と呼ぶ。しかし、初期のウパニシャッドには "梵我一如" という表現は存在しない。

初期の主要ウパニシャッドに関する限り、弟子が師匠の足もとに坐って教えを授けられることを例証する箇所は全く存在しない。少なくとも、わたくしはそういう箇所を見い出すことができない。しかし、師匠の足もとに坐ることがウパニシャッドである、という解釈は可能である。

しかるに、多くの人はそのような解釈を一つの仮説と見なす代わりに、万人によって承認されるべき真理であると信じて疑わない。ウパニシャッドが師匠の近くに、下に坐るというのは一つの解釈にすぎない。それは、一つの視点からのアプローチにすぎない。

わたくし自身は、そのようなアプローチをしない。それゆえに、そのようなアプローチに基づく解釈をわたくしは拒まざるを得ない。文献学的証拠を示すことなく、師匠の近くに、下に坐ることを正しいと思い込む発想を、わたくしは受け入れない。

ウパニシャッドが、近くに下に坐るということを、わたくしは一つの比喩として解釈する。東アジア文明、例えば、中国あるいは日本において最も高く評価されるのは人と人との関係である。しかし南アジア文明、例えばインド文明において決定的なのは事物と人間自身の関係である。

それゆえに、ウパニシャッドによって示唆されるのは、師匠の足もとに弟子が坐ることではなく、人間が事物の近くに、下に人間自身が坐ることである。人間が師匠の近くに、下に坐るのではなく、事物の近くに、下に人間自身が坐ることを示すのは、ウパース(ウパーアースupa-as)という言葉である。

ウパーサナウパニシャッドという公式が認められれば、ウパニシャッドの基本的な意味は何かあるものに近づく、何かあるものを得ようと努力する、あるいは、何かあるものを熱心に求めることに他ならない。

ある事物を他のものと同一視しようというのがウパニシャッドであり、本来的自己としてのアートマンを "熱心に求める知的認識行為" が初期のウパニシャッドにおける重要なテーマの一つである。

初期の主要なウパニシャッドには、”ウパース"という語は少なからず見い出され、われわれは、ウパニシャッド=ウパーサナ説をテクストに基づいて証明できるはずである。

湯田豊著「ウパニシャッド―翻訳および解説―」(大東出版社 2000年2月刊)の解説(あとがき)からの引用  仏教の思想的土壌 ヴェーダ Avarokiteiさんより

この湯田豊氏の著書は二万円を超える大著で、私自身は直接には読んでおらず孫引きで申し訳ないのだが、その指摘はここまでの引用とも重なり、色々な点で極めて重要な意味を持っている。

そこに共通するキーワードが、ウパース(ウパーアースupa-as)ウパーサナーである事は誰の目にも明らかだろう。一般に日本語ではウパースは【念想】と、ウパーサナーは【同置】訳されているようだが、訳者や文脈によって訳語の選択はかなり異なっている。

そもそもこのウパースとウパーサナという言葉はどのような文脈の中で使われていたのか、次に定番の中村元先生からの指摘を引用したい。

一般に西洋では自然の多様性に対する驚きから哲学的思索が現れ出たと言われているが、インドでは、祭式が宇宙全体(Sarvam)とどういう関係にあるかを知ろうとする司祭僧たちの希望から現れ出た。

そうして宇宙生成論は、祭式学と関連あるものとして成立したのである。

インド人は全ての事を宗教的見地から眺める傾向がある。すでにウパニシャッドにおいても、たとえば宇宙間の諸事象を祭祀に供せられる犠牲獣の身体のいちいちの部分に対応させて説明している。

『実に曙紅は犠牲に供せられるべき馬の頭である。太陽はその眼である。風はその息である。遍く行き渡る火はその開いた口である。歳は犠牲に供せられるべき馬の体である。天はその背である。空はその腹である。地はその下腹部である・・・』ブリハッドアーラニヤカ・ウパニシャッド 1-1-1

このような思想内容がブラーフマナ(祭儀書)やアーラニヤカ(森林書)のうちに多分に展開されているのである。このように祭祀の個々の部分と、宇宙の構成要素を均等視しているのは、心の中でそのように思いなせ、念想せよ、と教えているのである。

そこでウパニシャッドでは、念想という事が非常な意味を持ってくる。また、

『雨に関しては五種の旋律(Sāman)を念想(Upāsita)すべし。

低唱は雨風である。試詠は雲の生ずることである。

詠唱は雨の降る事である。攘穢は雷光雷鳴することである。

合誦は雨の止むことである。』チャーンドーギャ・ウパニシャッド 2-3-1

と言って、五種の旋律のいちいちを雨の経過に配して念想崇拝せよ、と説いている。

そのほか祭祀にことよせた説明は、ウパニシャッドの全般にわたって認められるので、いちいち列挙しがたいほどである。

決定版中村元選集 第9巻 ウパニシャッドの思想 P35~36より引用

これはまた回を改めて詳述したいのだが、ウパニシャッドの前段階であるバラモンヴェーダの宗教においては、『祭祀(祭儀)』というものが絶対的な力を持っていた。

そこにおいて司祭たちが追求したのが、大まかに言って、大なる自然事象と小なる人間によって行われる祭祀のそれぞれの要素を、ある種の類似や因果関係、もしくは『直観』によって重ね合わせ『同置』し、その意味関係を念想しつつ祭式を進行する、という事だった。

しかしやがて、外形的な儀式の形式至上主義の不毛性に飽き足らなくなってきた内省的な求道者たちの関心は、祭儀から少しずつ離れて行き、人間存在と大宇宙の相関関係を模索し始める。

ウパニシャッドの哲人たちは、バラモンの行う祭儀をただそのまま承認していたのではない。旧来の祭儀に対して一定の距離をおいて考えていた。

その態度のひとつのあらわれとして、祭儀を宇宙や人間存在と連絡づけて考え、その意義を知って念想しながら祭儀を行うならば、いっそう大きな効果があると考えていた。

総じて古代人の間では、知識は、呪術的な力を持った一種の流動体と考えられていた。そこで知識ある人はその力を借りて、欲するがままに宇宙の事象の進行に力を及ぼすことができると考えていた。

だから知識とは効力を及ぼす潜勢力であり、対象を知っているばかりではなくて、対象を支配し所有する事ができるのである。

この知識を明知(Vidya)と称する。それは真実を透徹して知る叡智である。それは学殖ではなくて、心を統一して真理を体得する瞑想である。また、あるものを心の中でじっと思い続けて奉じている事を、念想する(Upāste)という。それを名詞化すると『念想』(Upāsana)となる。

決定版中村元選集 第9巻 ウパニシャッドの思想 P36~37より引用

中村先生はここで、意図してか否かは定かではないが「真実を透徹して知る叡智としてのVidya明知」を「学殖ではなく心を統一して真理を体得する瞑想である」と記述した直後に、それを受ける様な形で、ウパースとウパーサナつまり「念想」について言及している。

私の仮説では、そのような明知・ヴィディヤに到達するための方法論こそが、ウパースやウパーサナの進化(深化)形に他ならず、中村先生もまた、断定できないまでもそれを予想していたからこそ、ヴィディヤとウパース・ウパーサナを同じ文脈の中で続けて言及したのではないかと思う。

実際に、このような念想と同置の方法論は、やがてオームの念誦をブラフマンと同一視する思想、さらには個人の本質アートマンを大宇宙の根本原理ブラフマンと同一視する思想へと大きく発展・進化していく。

この神聖な音〈オーム〉は〈唯一者〉に到達しようとする形而上学的傾向においては絶対者のシンボルとして重要な意義を獲得した。

あらゆる語は聖音〈オーム〉に包摂され、聖音〈オーム〉は全世界に他ならないと考えられた。またこの神聖なシラブル(音節)は全ヴェーダの精髄であると見なされた。

シラブルを意味するAksharaという語はまた「不壊」という意味があるので、この神聖なシラブルは不壊者、不死者、恐れ無き者、とされた。

それは絶対者ブラフマンであり、人はそれを知った時に、それとなるのである。

神々と言えども、不死になるためには、それの内に帰入する。

そして、ついにヴェーダンタ学派では、聖音〈オーム〉の念想は、絶対者の念想の事であると解せられるようになった。

決定版中村元選集 第9巻 ウパニシャッドの思想 P40~41より引用

このように見てくると、日本語では念想や同置と訳されるウパースやウパーサナが、極めて精神性の高い求道的な『瞑想』に近い心的営為へと深化していった事はほぼ間違いない。だが果たしてそれは、『ウパニシャッド』という語とどこまで有機的に接続したものだったのだろうか。 

そこで、ヴェーダの祭式からブラフマンの探求に至るインド思想史の流れの中で、極めて重要な意味を持ち続けてきただろうこのウパースとウパーサナという言葉について、ネット上のサンスクリット辞書で様々に調べてみた。

最初のウパースについては、以下のようになる。

upās

( upa-- 1 as-) P. (Potential 1. plural -syāma-) to be near to or together with (accusative) . ~の近くに、~と共にいる

 ( upa-- 2 as-) P. upasyati-, to throw off, throw or cast down upon, throw under : A1. -asyate-, to throw (anything) under one's self. 下に投げ出す、自己の下?に~を放擲する

( upa-ās-) A1. upāste-, to sit by the side of, sit near at hand (in order to honour or wait upon) etc.  ; to wait upon, approach respectfully, serve, honour, revere, respect, acknowledge, do homage, worship, be devoted or attached to etc. そばに座る(何か、誰かに敬意を表しつつ近づき座り待つ、献身する)

to esteem or regard or consider as, 尊重する、顧慮する、~と見なすtake for ; to pay attention to, ~に注意を払う。 be intent upon or engaged in, perform, converse or have intercourse 性交、肉体関係、交際、霊的交通、霊交。with etc. ; to sit near,近くに座る be in waiting for, 待つ remain in expectation,期待しつつ留まる expect, wait for ; to sit, occupy a place, abide in, reside 住まう; to be present at, partake of (exempli gratia, 'for example' a sacrifice) ; to approach, go towards, draw near 近づき、向かい、接近する。(exempli gratia, 'for example' an enemy's town) , arrive at, obtain ; to enter into any state, ある状態に入る。undergo, suffer ; to remain or continue in any action or situation etc.状況や行為状態に継続的に留まる ; to employ, use, make subservient.

upās:Sanskrit Dictionary より

उपास्(ウパース)

2 Ā. 1 To sit near to (with acc.), sit at the side of (as a mark of submission and respect服従や尊敬の証として傍に近づき(低く)座る; wait upon, serve, worship; ओमित्येतदक्षरमुद्गीथमुपासीCh. Up.1.1.1 &c. मां ध्यायन्त उपासते Bg.12.6; 9.14,15. उद्यानपालसामान्यमृतवस्तमुपासते Ku.2.36; अम्बा- मुपास्व सदयाम् Aśvad.13; Śi.16.47; Ms.3.189.

-2 To use, occupy, abide in, reside; ऐन्द्रं स्थानमुपासीना ब्रह्मभूता हि ते सदा Rām.1.35.1. Ms.5.93. -3 To pass (as time); उपास्य रात्रिशेषं तु Rām. -4 To approach, go to or towards; उपासाञ्चक्रिरे द्रष्टुं देवगन्धर्वकिन्नराः Bk.5. 17; परलोकमुपास्महे 7.89. -5 To invest or blockade (as an enemy's town). -6 To be intent upon, be engaged in, take part in, (perform as a sacred rite); उपास्य पश्चिमां सन्ध्याम् K.176,179; तेप्युपासन्तु मे मखम् Mb.; Ms.2. 222,3.14,7.223, 11.42. -7 To undergo, suffer; अलं ते पाण्डुपुत्राणां भक्त्या क्लेशमुपासितुम् Mb.; Ms.11.184. -

8 To remain or continue in any state or action; 状態や行為に継続的に留まるoft. with a pres. p.; अनन्येनैव योगेन मां ध्यायन्त उपासते Bg.12.6. -9 To expect, wait for; दिष्टमुपासीनः Mb. -1 To attach oneself to, practise; उपासते द्विजाः सत्यम् Y.3.192. -11 To resort to, employ, apply, use; लक्षणोपास्यते यस्य कृते S. D.2; बस्तिरुपास्यमानः Suśr. -12 To respect, recognize, acknowledge. -13 To practise archery. 弓矢の射的

उपास्(ウパース):Prin. V. S. Apte's The practical Sanskrit-English Dictionary より

こうやって見てみると、おおよそのイメージは湯田氏の言う「何かあるものに近づく、何かある(超越的な)ものや力を得ようと努力する、あるいは、何かあるものを熱心に求めること」に間違いないが、加えて、近くに「座る」というニュアンスがすでに存在し、『日常的な自分』よりも価値の高い尊敬すべき何ものかに恭しく近づき座って待ち、投げ出し、献身し、接触し、交わり、その状態・営為に一定時間留まる、というイメージが想定できる。

その敬うべき何かこそが、究極的には湯田氏の言う「本来的自己としてのアートマンを "熱心に求める知的認識行為" 」のアートマンだと考えると、これは全体の感触としては『念想』であると同時に、中村先生が暗示?する様に『瞑想』であると言っても不自然ではない。

特にその意味の中に明確に『座る・坐る』という語義がある以上、その瞑想(念想)は『坐の瞑想』ではないのか、というイメージが自ずと湧き上がって来る。

さらにこのウパースUpāsは、Upaāsに分けることができる。最初のUpaはウパニシャッドの従来の解釈でもすでに出ている。

upa: ウパ

towards, near to (opposed to apa-,away) , by the side of, with, together with, under, down (exempli gratia, 'for example' upa-gam-,to go near, undergo; upa-gamana-,approaching.

~に向かって、近づく、~のそばに、共に、一緒に、下に、元に、近づいて行く、接近する。

direction towards, nearness, contiguity in space, time, number, degree, resemblance, and relationship, but with the idea of subordination and inferiority (exempli gratia, 'for example' upa-kaniṣṭhikā-,the finger next to the little finger; upa-purāṇam-,a secondary or subordinate purāṇa-; upa-daśa-,nearly ten)

その方向に向かって、近づく事。空間的、時間的、数値的、頻度的、類似的、関係的に、接近、接触する事(ただし、「劣位・下位」から「優位・上位」に向かって)。

sometimes forming with the nouns to which it is prefixed compound adverbs (exempli gratia, 'for example' upa-mūlam-,at the root; upa-pūrva-rātram-,towards the beginning of night; upa-kūpe-,near a well) which lose their adverbial terminations if they are again compounded with nouns (exempli gratia, 'for example' upakūpa-jalāśaya-,a reservoir in the neighbourhood of a well).

prefixed to proper names upa- may express in classical literature"a younger brother" (exempli gratia, 'for example' upendra-,"the younger brother of indra-"), and in Buddhist literature"a son."(As a separable adverb upa-rarely expresses) thereto, further, moreover (exempli gratia, 'for example' tatropa brahma yo veda-,who further knows the brahman-) (As a separable preposition) near to, towards, in the direction of, under, below (with accusative exempli gratia, 'for example' upa āśāḥ-,towards the regions) .

近くに、その方向に、下に。

near to, at, on, upon.

近くに、上に(乗って)。

upa : Sanskrit Dictionary より 

उप(ウパ)

ind. 1 As a prefix to verbs and nouns it expresses towards, near to, by the side of, with, under, down (opp. अप). According to G. M. the following are its senses :-- उप सामीप्यसामर्थ्यव्याप्त्याचार्यकृतिमृतिदोषदानक्रियावीप्सा- रम्भाध्ययनबुजनेषु :-- (1) nearness, contiguity 接触उपविशति, उपगच्छति goes near; (2) power, ability उपकरोति; (3) pervasion 浸透उपकीर्ण; (4) advice, instructing as by a teachar उपदिशति, उपदेश; (5) death, extinction, उपरत; (6) defect, fault उपघात; (7) giving उपनयति, उपहरति; (8) action, effort उप त्वानेष्ये; (9) beginning, commencement उपक्रमते, उपक्रम; (1) study उपाध्यायः; (11) reverence, worship उपस्थानम्, उपचरति पितरं पुत्रः.

-2 As unconnected with verbs and prefixed to nouns, it expresses direction towards, nearness, resemblance, relationship, contiguity in space, number, time, degree &c., but generally involving the idea of subordination or inferiority; 劣ったもの、下位のものから上に向かって

upa:Prin. V. S. Apte's The practical Sanskrit-English Dictionary より

上の内容を見てみると、明らかに下手(下座)から上手(上座)にと、これは日本的な表現でもあるが、とにかく下から上を仰ぎ見ながらそばに近づく、という大まかなイメージが理解できるだろう。

次にāsを見てみる。

ās

to sit, sit down, rest, lie. 座る、下に座る。etc. ; to be present ; to exist ; to inhabit, dwell in ; to make one's abode in etc. ; to sit quietly, 静かに座る。abide, remain, continue etc. ; to cease, have an end etc. ; to solemnize, celebrate ; to do anything without interruption ; to continue doing anything ; to continue in any situation ; to last 継続して途切れる事なく何かを行う; (it is used in the sense of"continuing" , with a participle, adjective (cf. mfn.),or substantive exempli gratia, 'for example' etat sāma gāyann āste-,"he continues singing this verse";with an indeclinable participle in tvā-, ya-,or am- exempli gratia, 'for example' upa-rudhya arim āsīta-,"he should continue blockading the foe";with an adverb exempli gratia, 'for example'tūṣṇīm āste-,"he continues quiet"; sukham āsva-,"continue well";with an inst. case exempli gratia, 'for example' sukhenāste-,"he continues well"

ās:Sanskrit Dictionary より

आस् ās

आस् I. 2 Ā. (आस्ते, आसांचक्रे, आसिष्ट; आसितुम्, आसित) 1 To sit 座る, lie, rest; Bg.2.45; एतदासनमास्यताम् V.5; आस्यता- मिति चोक्तः सन्नासीताभिमुखं गुरोः Ms.2.193. -2 To live, dwell; तावद्वर्षाण्यासते देवलोके Mb.; यत्रास्मै रोचते तत्रायमास्ताम् K.196; कुरूनास्ते Sk.; यत्रामृतास आसते Rv.9.15.2; Bk.4.6,8.79.
3 To sit quietly 静かに坐る, take no hostile measures, remain idle; आसीनं त्वामुत्थापयति द्वयम् Śi.2.57. -4 To be, exist. -5 To be contained in; जगन्ति यस्यां सविकाशमासत Śi.1.23. -6 To abide, remain, continue or be in any state, be doing anything, last; oft. used with present participles to denote a continuous or uninterrupted action 継続的な、中断される事のない行為;

आस् ās: Prin. V. S. Apte's The practical Sanskrit-English Dictionary より

このआस् āsにこそ、『座る・坐る』という語義が乗っている事が良く分かる。そこには「継続的な妨げられる事のない静かな」というニュアンスが明確に示されており、ただ座る姿勢をとるだけに留まらない、より『意識的・精神的』な意義が見出せるだろう。それは私の眼には、すでに『瞑想』と重なり合って見える。

次にupāsana:ウパーサナ(同置)を見てみよう。

upāsana

n. the act of throwing off (arrows), exercise in archery 矢を放つ、弓術の実践.

f(ā-)n. the act of sitting or being near or at hand 座る、近くにいる.

f(ā-)n. serving, waiting upon, service, attendance, respect 仕える、待つ、侍る。etc. 

f(ā-)n. homage, adoration, worship 帰依、礼拝、崇拝。(with rāmānuja-s, consisting of five parts, viz. abhigamana- or approach, upādāna- or preparation of offering, ijyā- or oblation, svādhyāya- or recitation, and yoga- or devotion) etc. 

n. a seat .

n. the being intent on or engaged in.

n. domestic fire.

upāsana:Sanskrit Dictionary より

upāsanam:उपासनम्

उपासनम् ना 1 Service, serving, attendance, waiting upon 仕える、侍る、待つ; शीलं खलोपासनात् (विनश्यति); उपासनामेत्य पितुः स्म सृज्यते N.1.34; Pt.1.169; Ms.3.17; Bg.13.7; Y.3.156; Bh.2.42. -2 Engaging in, being intent on, performing 従事する、営む、没頭する、演ずる; संगीत˚ Mk.6; सन्ध्या˚ Ms.2.69. -3 Worship, respect, adoration. -4 Practice of archery 弓術の実践. -5 Regarding as, reflecting upon. -6 Religious meditation ~と見なす、熟考する、瞑想する. न कर्मसांख्ययोगोपासनादिभिः Mukti Up.1.1. -7 The sacred fire. वानप्रस्थो ब्रह्मचारी साग्निः सोपासनो व्रजेत्. Y.3.45. -8 Injuring, hurting; (fr. अस् 2). -Comp. -उपासना- खण्डः, N. of the first section of the Gaṇeśa Purāṇa.

upāsanam : Prin. V. S. Apte's The practical Sanskrit-English Dictionary より

ここでは、座る・坐るという原イメージと合わせて、より宗教実践的なニュアンスが顕在化してくる。それは信仰的な態度と共に、Regarding as, reflecting upon. -6 Religious meditation という説明を見れば分かるように、明確に『瞑想』に接近している(これらの英語は一般に瞑想を表す語の中でも代表的なDhyānaの訳語に該当する)。このRegarding asが日本語訳の同置と重なるものだろう。

このMeditationという説明と共に私が気になったのが、the act of throwing off (arrows), exercise in archery.と4 Practice of archeryだ。これはupāsの説明で出てきた13 To practise archery.(弓術の射的)に重なるものだ。

実はインド教の世界では伝統的に、この弓術の実践において的を射止めるという営為が、広く『アートマンブラフマンに至る』為の【瞑想実践】あるいは【サマーディ】の暗喩として用いられてきた、という事実がある。

ウパースやウパーサナの語義の中にその様な『弓術における射的』のイメージが存在する事は、この両語が瞑想実践と深く関るものとして伝統的に認識されていたひとつの証左ではないか私は考えている。

さらにこのウパーサナは、語義的にUpaāsanaに分けることが可能だ。下にこのāsanaを見てみよう。

āsana

n. (but āsan/a- ) sitting, sitting down.

n. sitting in peculiar posture according to the custom of devotees, (five or, in other places, even eighty-four postures are enumerated;See padmāsana-, bhadrāsana-, vajrāsana-, vīrāsana-, svastikāsana-:the manner of sitting forming part of the eightfold observances of ascetics)篤信者によって行われる特定の坐法ポーズ。5つあるいは84あるとも言われる。パドマーサナ、バドラーサナ、ヴァジラーサナ、ヴィラーサナ、などアシュタンガ(ヨーガ)を参照。

n. halting, stopping, encamping.

n. abiding, dwelling etc. .

n. seat, place, stool etc. .

n. the withers of an elephant, the part where the driver sits.象使いが座る象の背中の部分。

n. maintaining a post against an enemy.

āsana:Sanskrit Dictionary より

आसनम् āsanam

आसनम् [आस्-ल्युट्] 1 Sitting down. -2 A seat, place, stool; Bg.11.42; स वासवेनासनसन्निकृष्टम् Ku.3.2; -3 A particular posture or mode of sitting; 特定のポーズあるいは様式の坐法。cf. पद्म˚, वीर˚, भद्र˚, वज्र˚ パドマーサナ、ヴィーラーサナ、バドラーサナ、ヴァジュラーサナ。&c. cf. अनायासेन येन स्यादजस्रं ब्रह्मचिन्तनम् । आसनं तद् विजानीयाद् योगिनां सुखदायकम् ॥ -4 Sitting down or halting, stopping, encamping. -5 Abiding, dwelling; Ms.2.246; 6.59. -6 Any peculiar mode of sexual enjoyment (84 such āsanas are usually mentioned). -7 Maintaining a post against an enemy (opp. यानम्), -8 The front part of an elephant's body, withers. -9 Throwing (fr. अस् to throw). -11 Place where the elephant-rider sits,

आसनम् āsanam:Prin. V. S. Apte's The practical Sanskrit-English Dictionary より

私もこの時になって漸く気づいたのだが、ウパーサナ(同置)に含まれるāsanaはヨーガの坐法を意味するアーサナそのものであり、ウパースのアーサナ、あるいはウパのアーサナ、という複合語としてウパーサナを把握する事も可能なのだ。

そこでこれまで分析的に把握してきたそれぞれの語義をまとめて、ウパーサナについての全体像を概観すると、およそ以下のイメージが浮かび上がってくる。

尊敬や服従の念を持ちながら下から上を仰ぎ見る態度で、超越的な何ものかに近づき、接触し、感得する為に、非日常的な意識と集中を持って特定の坐法をとり静かに坐る(静止した『坐=アーサナ』の形の中で、それら超越者を念想する)

このように読み取る事も十分に可能だと私は思うのだが、いかがだろうか。

そしてそのような『坐の瞑想』を深める中で直観された真理こそが『アートマン』であり、更には『アートマンブラフマン』であり、その様にして獲得された真理の知識を『近座』の中で師匠から弟子へと言語化して伝えた『言葉の集成』こそがウパニシャッドであった、と考える事もできる。

つまり、定式化されたウパニシャッドという言葉には、アートマンorブラフマン等の超越者の下に坐る(瞑想してそれを感得する)という意味と、師匠の下に弟子が座って教えを受ける、という二つながらの意味が同時に含意されている、という事だ。

もちろん、今回引用した辞書に載っている語義と言うものは、現在入手可能な、という意味での一覧であって、その全てがブッダ以前の古ウパニシャッドの時代から存在したとは断言できない。つまりこれらの語義の内のいくつかは、ブッダ以降の後世において確立した可能性も否定できないだろう。

しかし、インド教全般に言える事だが、特に宗教的な文脈においては古式の伝統が変わらずに踏襲される傾向が強く、後世に付加された語義も、元々のニュアンスを忠実に踏まえた上で発展的に『加上』される、という視点を失うべきではない。

つまり、元々ウパニシャッドにおけるウパースやウパーサナという概念が、『坐の瞑想』という実践的なニュアンスを濃厚に持っていたからこそ、そこから分離された『アーサナ』と言う単語が、瞑想の坐法を意味するようになった、と言うように。

以上は、単なるアマチュアの安楽椅子探偵が紡ぎ出した思索に過ぎず、専門家の充分な検証を待たなければならない。しかしウパニシャッドにおいてウパースやウパーサナという営為が極めて重要かつ象徴的な意味を持っていた事は何人も否定し得ないだろう。

この両語が全インド教における『瞑想実践史』という視程の中で再検証され再定義された時、ゴータマ・ブッダがそれらの中でどのようなポジションを締めていたのかが明らかになる。そう私は考えている。

端的に言えば、それは、

沙門ゴータマ・シッダールタブッダガヤの菩提樹下に結跏趺坐した、その行為こそが、すなわち【ウパーサナ】そのものであった可能性が高い

と言う事だ。

アタルヴァ・ヴェーダにはこうある。

偉大なる神的顕現(大宇宙の支柱スカンバ=ブラフマン)は、万有の中央にありて、熱力を発し水波の背に乗れり。

ありとあらゆる神々は、その中に依止す、あたかも枝梢が幹を取り巻きて相寄るごとくに。

世界文学大系〈第4〉インド集 アタルヴァ・ヴェーダ:スカンバ賛歌10-7-38 辻直四郎訳より

霊的な大樹の幹(みき)をブラフマンと見立てた時、四方八方に展開する枝葉・梢・樹冠は神々を含む現象世界となる。つまり霊大樹はその存在が全体として、ブラフマンという偉大なる支柱(スカンバ)とそれに支えられてそこから展開する現象世界を体現・象徴するものなのだ。

この場合、大樹の幹は大宇宙の車軸(つまりは大支柱スカンバ)としてのブラフマンでもあり、展開する枝梢・樹冠は『ブラフマ・チャクラ』としての車輪だと見ることもできるだろう。

古代インド・形象のアナロジー:脳と心とブッダの悟り 参照

どちらにしても、ブッダガヤの菩提樹下に結跏趺坐した時、彼、沙門シッダールタはいたずらに意味なく、あるいは単に日陰の涼を得る為にそこに坐った訳ではなかった、と言う事だ。

彼は菩提樹という霊大樹に対した時、明確にそれを『ブラフマン=真理』の象徴と深く認識・自覚した上で、その根元足元に下から仰ぐ形で近づき、触れて、坐って、静止して(正に【ウパ アース・アーサナ】!)、結跏禅定に入った。

つまり、第一に菩提樹ブラフマンが『念想・同置』され、さらにその世界霊大樹としての菩提樹と結跏趺坐する沙門シッダールタが、両者あたかも同化するかの様に『念想・同置』された。

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Pinterest より。ブッダガヤの菩提樹下で悟りを開いたブッダ

その様に考えた時に初めて、ウパニシャッド的な求道・探求の全き延長線上に沙門シッダールタを定位する事が可能になる。

それは同時に、ヴェーダバラモン教からウパニシャッド、そしてゴータマ・ブッダを経てヒンドゥ・ヨーガという、全インド教的な『ビッグ・ヒストリー』が、整合性ある一続きの流れの中に把握される事を意味するだろう。

(ここでひとつ注意しなければならないのは、悟りを開く『以前』のいち沙門シッダールタはウパニシャッド的な真理 =ブラフマンアートマンを求めて菩提樹下に坐ったのだが、しかし彼が最終的に到達した『答え』とは、微妙にしかし明確に、そのような文脈を『超越』していた、という点だ)

そこにおいて極めて重要な意味を持つのが、直接的に前回投稿内容と関連してくる『内なる祭祀』あるいは『内部化された火の祭祀』というコンセプトだ。

『内なる祭祀』について知る為には、まず、ヴェーダの祭式を成り立たせていた背景心象・世界観というものが、一体どのようなものであったのかを正確に理解する必要があるだろう。

次回、そもそもアーリア・ヴェーダの民にとって『祭祀』というものがどのような意味を持っていたのか、という地点から詳細に紐解いていきたい。

 

 今回引用させていただいた書籍

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身体の中の須弥山「輪軸」世界

大宇宙世界の中心車軸を万有の支柱スカンバとしてブラフマンに見立て、転変輪廻する現象界を車軸の周りで回転する車輪に見立てる。

「不動なる車軸(世界の支柱)をプルシャ=アートマンブラフマンと重ね合わせ、躍動する車輪を輪廻する現象世界プラクリティ=人間的(身体的)生存 =『心』と重ね合わせる基本的な思考の枠組み」

世界の車軸(支柱)としての『ブラフマン=至高神』 - 仏道修行のゼロポイント

実は仏教的な文脈の中にも、この様な輪軸の思想と造形は脈々と受け継がれている。
それが、須弥山(メール山)の世界観だ。

倶舎論によれば、大宇宙であるところの虚空にぽっかりと気体でできた風輪が、その大きさは文字通り宇宙大の広がりを持って浮かんでいる。その上に太陽の直径の六倍ほど、800万Kmを超える直径を持つ液体の水輪が浮かび、その上に同じ直径で固体の金輪が浮かんでいる。金輪の上は塩水の海によって満たされ、その周囲を囲むように鉄囲山が取り巻いている。

広大な海の中心には須弥山が聳え、その周りは七金山によって環状に囲まれている。その周囲にはやや離れて四つの島大陸があり、南側にある閻浮提(えんぶだい)が人間(古代インド人)の住む世界だ。

島の底は海中で金輪の表層とつながって、その金輪の地下深くに地獄界がある。須弥山には帝釈天(インドラ)や梵天ブラフマー)を始めとした神々が住み、その頂上周りを太陽(日天)と月(月天)が周回しているという。

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須弥山 三千大千世界の宇宙より

上の図版はネット上で見つけた大まかな概念図に過ぎないが、その基本的な輪郭が以前に紹介したシヴァ・リンガムや新幹線の輪軸と驚くほど似ている事が分かるだろう。

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新幹線の車軸と車輪を直立させたもの

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プーリー・ジャガンナートのラタ・ジャットラ、木製スポーク式車輪

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円輪の中心に車軸(リンガ)が屹立する

zeropointbuddha.hatenablog.com

上の記事で紹介したように、リンガとはサーンキャ的なプルシャ=アートマンであり、究極的には宇宙万有の支柱と称えられたブラフマンに行きつく。その周囲に展開するヨーニはプラクリティ(現象世界=人間的日常世界)を含意している。

須弥山の場合も、四つの島を浮かべた金輪の海(人間の生活圏)とその中心にある須弥山(神々、究極的にはブラフマー神の住処)という構造が完全に重なり合っている以上、これは単なる形態の類似だけではなく、その思想的な起源をも同一にする、と考えるべきだろう。

このような須弥山(メール山)世界観、仏教の姉妹宗教とも言えるジャイナ教の寺院にも酷似する具象化された『モデル』として実在するので、下に紹介しよう。

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ジャイナ教のメール山(スメール)モデル。輪軸のイデアと形象を踏襲しているのは明らかだろう

ヴィジュアル的に見れば第一感、このメール山(須弥山)の世界観がシヴァ・リンガムと同じように、スカンバやブラフマ・チャクラなど、ヴェーダウパニシャッドに見られる輪軸世界観の延長線上にある事が容易に想定可能だろう。

繰り返して言うがそれはつまり、神(仏や神々)が住まう車軸としての須弥山(あるいは神【至高者】そのものとしての万有の支柱ブラフマン=プルシャ=アートマン)とその周りに展開する車輪としての現象世界(プラクリティ=日常的な人間世界)、という構図だ。

詳細はチャクラの国のエクササイズ: 世界の中心にあって、それを展開せしめるスメールを参照

そして実は、ここが面白いところなのだが、インド思想には、人間を取り巻く外部環境世界を大宇宙マクロ・コスモスとし、人間の身体を小宇宙ミクロ・コスモスとして両者を重ね合わせ、アナロジーで『同置』すると言う思考の枠組みが存在する。

これは個我の本質であるアートマンが実はブラフマンと同一である、というウパニシャッドの思想とも深い関わりを持っている。

それが、ヨーガ・チャクラの身体観だ。

ヨーガの思想では、私たちの身体に重なるようにして目に見えない霊的微細身が存在するという。そこにはプラーナが流れる大小のナディ(脈管)が想定され、背骨と重なる中心的な脈管であるスシュムナー管に貫かれる形で、会陰部から頭頂部にかけて7つの霊的センター『チャクラ』が存在している。

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ヨーガ・チャクラ図。チャクラはその名前通り、本質的に体内の『車輪』だ

そして、このスシュムナー管の周りをらせん状にイダーとピンガラー管が取り巻いており、このイダーは月の回路を、ピンガラーは太陽の回路を意味し、中央のスシュムナー管はメール山に擬せられて『メール・ダンダ』と呼ばれている。これは体内に須弥山世界の構図がそのまま再現されている事を意味する。

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以上、books.google.co.jpより

In Sanskrit, the spine is meru danda; the mountain called Meru was the legendary axis of the earth.

サンスクリット語では脊柱をメール・ダンダという。メールと呼ばれる山は伝説的な地球の中心軸である。

The Axis Of Asana: Exploring the Spine • Yoga Basics

須弥山=メール山(万有の支柱=ブラフマン)がマクロ・コスモスの車軸であるならば、身体の中心にあってそれを支える背骨(重なり合うスシュムナー管)もまたミクロ・コスモスの車軸に他ならない。

世間に流布しているヨーガ・チャクラ図を見ると、各チャクラの円盤面が正面を向いて描かれる事がほとんどだ。そのため私たちはつい錯覚してしまうのだが、実は本来のチャクラは背骨(スシュムナー管)を車軸に見立てた時に車輪となるように、身体が直立した時に地面に対して水平になる形で存在している(それはリンガに対するヨーニの関係と同じだ)。

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スシュムナー管に貫かれたアナハタ・チャクラ。チャクラ(車輪)はその中心をスシュムナー管(車軸)に貫かれている。”Kundalini Yoga” by Swami Sivananda Radha より

その ‟構造的な” 関係性は、「スシュムナー管=リンガ=車軸」であり、「チャクラ=ヨーニ=車輪」になる。

ヴィジュアル的に見て、盤面を正面に向けた方が美しく分かり易いために、ヨーガ・チャクラは便宜的にこのように描かれるだけなのだ。これは上のアナハタ・チャクラ図を良く見れば、ひと目で確認できる事実だろう。

詳細は、チャクラ思想の核心8・身体の中心にあって、それを転回せしめるダンダ を参照

ヨーガ・チャクラはタントラ・シャクティの思想に根ざし、シヴァ・リンガムの造形・思想とも関わりが深いが、これらは時系列的に見ればすべてゴータマ・ブッダの時代から遥か後世に顕在化したものだ。

しかし、基本的な身体観である『身体の中には車軸と車輪が存在し、それはブラフマン輪軸世界観のミニチュア版である』という原型思想は、すでにシッダールタの時代には確立しており、それは医学・解剖学的な裏付けを元にした上で、シッダールタ自身も一般的な常識としてわきまえていた、そう私は考えている。

何故、そう言えるのか?

第一に、ブッダの時代にすでにメール山(須弥山)を中心とした世界観が確立していたことは、古層のパーリ経典の各所に直接「帝釈天(インドラ)や梵天ブラフマー)等神々の住まうメール山」という記述が存在する事からも明らかだろう。

そして、そもそも「世界は身体であり身体は世界である」という世界観が、ブッダの生まれるはるか以前、リグ・ヴェーダの時代にすでに存在し(黄金の胎児ヒラニヤガルバ、原巨人プルシャ)、連綿と受け継がれていた事から、ブッダの時代にこの両者が一体化した『小世界としての身体の中心にあるメール山』という身体観が存在したと見るのはごく自然な流れだからだ。

これを本ブログの趣旨に沿って、現在可能な限りの範囲で言語化すると、以下のようになる。

「解剖学的な知見を前提に、背骨を身中の支柱=須弥山(スカンバ=メール・ダンダ)に見立てた上で、骨盤(および下肢)を大地の車輪に、頭蓋骨(頭頂部)を天上界の車輪に重ねる輪軸身体観」

「身体各所を水平に『輪切り』にした時に現れる解剖学的構造において、肉身を車輪と見、その中心に当たる背骨(含む脊髄)を車軸と見る身体観と、更に並行して、輪切りにした肉身の中心近傍に存在する『空処』を、車軸の通る『軸穴』と見立てる身体観」

(この点に関しては非常にニュアンスが複雑微妙なので、今後より詳細を詰める予定) 

これが、本ブログの論考、その骨格を支える二つ目の前提仮説になる。

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Human Skeleton Spineより。背骨は車軸であり、頭蓋と骨盤の天地両界を分かち支える(身体万有の支柱)

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Chariots wheel getting ready for Puri Rath Yatra - Galleryより

輪軸を垂直に立てると『マクロ・コスモス=大宇宙・世界』になり『ミクロ・コスモス=身体』になる 

もちろんこの身体観は、これまでの投稿で触れた「静的な車軸と動的な車輪」というラタ戦車の原風景から、「静的なプルシャ=アートマンと、動的なプラクリティ=輪廻する現象世界」という原サーンキャ的な思想、さらに世界の中心に須弥山が聳え立ち、その山頂にブラフマー梵天)が住まうと言う世界観、そして前回投稿した『車輪の軸穴の良し悪しが《スカとドゥッカ》の原像となっている事実』などと、その思想基盤を共有する対応関係にある。

次回以降、この特殊インド的な輪軸思想を核心に据えた『身体=世界』という心象風景について、ヒンドゥー・ヨーガのクンダリーニ思想とその実践を手掛かりに、考察を深めていきたい。

そこで重要になって来る概念が『内なる火の祭祀』に他ならない。

(本投稿は脳と心とブッダの悟り: 身体の中の須弥山世界 を大幅に加筆・修正の上移転したものです)

 

 

 

 

スカとドゥッカの原風景

スカとドゥッカの原風景

私はこれまで様々な事例を挙げて、古代インドにおいていかにチャクラ(車輪)と言うものが重要な意味を持っていたかについて語ってきた。

そのチャクラ思想の起源は、インド・アーリア人の祖である、スポーク式車輪を世界で最初に開発した人々の思想・文化にまで遡り、その痕跡はアルカイムなどシンタシュタ文化の遺跡にも明確に残っていた。 

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紀元前1600年頃~アルカイムのチャクラ・シティ再現図。中心車軸は祭場か

今回紹介するのは、そんなチャクラ(車輪)の民であるインド・アーリア人の面目躍如とも言える事実であり、同時に、車輪と言うものが古代インドの思想においていかに決定的な意味を持っていたかを証明するものと言えるだろう。

仏教について興味があり、特に原始仏教あるいはテーラワーダ仏教やそのパーリ経典について少しでも勉強したことのある人なら、常識として知っているだろう重要な言葉がある。

それはスカ(Sukha)とドゥッカ(Dukkha)というパーリ語の単語だ。これはサンスクリット語だと若干綴りや発音が違ってくるが、ここでは煩雑になるので双方共にスカとドゥッカで統一したい。

ドゥッカは苦を意味する。それは生老病死苦の苦であり、四聖諦の苦でもあり、四苦八苦の苦であり、輪廻する生存の苦でもある。それはあらゆる意味で仏教の根底にあるキー・コンセプトであり、ブッダの教えとは、正にいかにしてこのドゥッカから解放されるか、という事に尽きるだろう。

スカはドゥッカの反対語で幸福や安楽を意味する。スッタニパータのメッタ・スッタ(慈経)にある、「一切の生きとし生けるものよ、幸福であれ、安泰であれ、安楽であれ」などの幸福、安楽がそれであるし、「ものごとを知って実践しつつ真理を了解した人は安楽を得る」の安楽がそれである。

同じスッタニパータには、
「他の人々が『安楽(スカ)』であると称するものを、諸々の聖者は『苦悩(ドゥッカ)』であると言う。他の人々が『苦悩』であると称するものを、諸々の聖者は『安楽』であると知る。」(以上中村元訳)
という表現もある。

このスカと言う言葉は、後の大乗的文脈においては極楽(スカ・ヴァーティ)を意味するようになる。

そして実は、このスカとドゥッカと言う言葉は、語源的に見るとラタ車の車輪と密接に関わっていた。

モニエル・ウィリアムス(Monier-Williams,1819–1899)のサンスクリット語辞典によれば、スカの本来の語感は「良い軸穴を持つ(車輪)」に起源する。構造的には、Suが良い、完全な、を意味し、Khaが穴、あるいは空いたスペースを意味する。

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モニエル・ウィリアムスのサンスクリット語辞典 Sukha:Having a good axle-hole

この事実にパーリ語辞典などの内容を合わせて解説すると、

「良く完全に作られた軸穴を持った車輪と言う原義が、そのような車輪のスムースかつ円満な回転を含意し、更にそのようなスムースに回転する車輪を付けたラタ車の乗り心地の良さ、その安楽さ、心地よさを意味するようになり、更にそれが安楽や幸福、そして満足を意味する一般名詞へと転じていった」

という事の様だ。

ドゥッカの場合はこの反対語で、Duhは悪しく、不完全な、という意味を持つ。

これもまた、悪しく不完全に作られた軸穴を持った車輪、と言う原義から派生して、その様な車輪のガタガタとした不具合、不完全な回転、更にその不完全な車輪を付けたラタ車の不快な、心地の悪い、苦痛に満ちた不満足な乗り心地を意味するようになり、それが転じて、苦や苦痛、そして不満足からくる苦悩を表す一般名詞へと転じていったと考えられる。

このモニエル・ウィリアムスというインド生まれのイギリス人は、オックスフォード大学の教授でサンスクリット学の泰斗であり、彼の辞書は現在に至るまでもっとも普及していると言う。おそらくて現行のほとんど全ての辞書は彼の知見の影響を大きく受けていると考えられる。現代最先端のサンスクリット学がどのような認識を持つのかは分からないが、そのソースとしての信頼性は極めて高いと言えるだろう。

以前にも書いた事だが、ラタ車が履いたスポーク式車輪と言うものは、リムとスポークとハブというパーツをそれぞれ別々に加工して、それらを精緻に組み合わせて作り上げる。

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現在進行形で使われている進化した木製車輪。これは貨物の牛車用。ハブ枠と軸穴、そしてタイヤには鉄が使用されている。車軸も鉄

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仕上げのペイントを施す職人。6分割されたリムに2本ずつ計12本のスポークが配されている

そこにおいて最も重要なのは、外縁リム(タイヤ)の真円性と軸穴の中心性だ。それを実現するためには数学的物理学的な知性と、精巧な加工組み立てを可能にする高度な技術が求められるだろう。

もうひとつ重要なのが、軸穴と車軸が組み合わされる、その適合状態だ。まず両者の形がどちらも真円に近く、しっくりと合わなければいけない。しかしぴったりと隙間なくフィットしすぎたら摩擦が強すぎるし、逆に隙間がありすぎたら振動の原因になる(この隙間にはグリースが塗られる)。

これらのバランスが最高レベルで達成される絶妙な調整具合というものが、職人技として追及された事だろう。

(古代における車輪のパーツがどこまで木でどこまで金属だったか、今のところ残念ながらデータがない)

そのような優れた職人によって、良く完全に組み立てられた車輪の乗り心地の良さがスカであり、劣った職人によって作られた、あるいは経年劣化や事故によって悪しく不完全になった車輪の、その乗り心地の悪さがドゥッカの原風景だったのだ。

この新たな知見によって、私たちは二つの事実を明確に認識する事ができる。

ひとつは、私がこれまでくどいほど繰り返してきた、

「古代インド人の日常的な心象風景の中で、如何にラタ車とその車輪というものが重要な存在であったか」

という点が、かなりの程度裏付けられた事だ。

もうひとつは、スカとドゥッカ、中でもドゥッカという、仏教的な文脈の中で最も重要な意味を持つ概念が、正にこの回転する車輪という事物と、密接に関わっていたと言う事実だ。

スカとドゥッカという概念は、ラタ車と深く深く関わりを持ったアーリア人の生活の中から、なかんずくその車輪の回転の中から、生まれ出たのだった。

もちろん、この様なニュアンスを、ゴータマ・シッダールタはおそらく一般常識として知っていたのだろう。彼がドゥッカと言うとき、その背後には、悪しく不完全に作られた車輪のガタガタとした不快な回転、というイメージが明確に存在していた可能性が極めて高い。

そしてこれは仏教だけにはとどまらない。この『ドゥッカ=苦』という概念とそこからの解放というパラダイムは、すべてのインド思想において普遍的に共有されているからだ。それは何よりも、苦である輪廻からの解脱、という言葉によって表されるだろう。

あらゆるインド思想は、正に回転する車輪の中から生みだされた。そう言ったら、言い過ぎだろうか。

この、苦である輪廻からの解脱、その発端である『苦(ドゥッカ)』の認識が、車輪という存在と密接に関わり合うと言う事実は、これまで本ブログで展開してきた様々な輪軸のアナロジー仮説に対しても、強力な支援材料となる。

「ドゥッカ=悪しく不完全に作られた車輪」

という認識が、仏教をはじめとしたインド思想を理解するうえで、そしてそこにおける輪軸のアナロジーを理解する上で、如何に有効なツールになるか、これから追々と明らかになっていくはずだ。 

ブッダの時代と私たちの現在

仏教だけではなく、あらゆるインド教に普遍的な『苦なる輪廻からの解脱』というパラダイム。このパラダイムにおいて、そもそものスタート地点である、生存は苦であると言う『ドゥッカ(苦)』の自覚。

このインド思想において最も重要なドゥッカという概念、その語感の根幹には車輪という事物が深く関わっていた。

同時にこの苦なる『輪廻』という概念もまた、車輪という事物と深く関わっている事は、その語意によく現れているだろう。

輪廻の原語であるサンサーラとは、語義的には途切れる事のない流れを意味する様だが、すでにそこには循環というニュアンスが否応もなく含まれている。

それが一方から他方への直線的な流れならば、いつかは終わるだろう。しかしそれが終わりと始まりが連接しているループであるならば、それは無限循環を繰り返す。あたかも終わりなき車輪の回転の様に。

輪廻思想のごく初期段階において、輪廻のループと車輪の回転はサンサーラ・チャクラとして重ね合されていたのだろう。そこには無限に回転し続ける苦なる輪廻の車輪という共通認識があった。

先の考察も重ね合わせて言えば、

「ドゥッカ=悪しく不完全に作られた車輪」が永遠に回転し続ける事こそが、逃れる事の出来ない『存在苦』である。

という事になる。正に永劫苦の輪廻だ。

そこから生まれたのが、前回も紹介したチベット仏教に伝わる‘BHAVA CHAKRA’すなわち、生存の車輪=六道輪廻図だ。

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チベット仏教に伝わる六道輪廻図

そこには悪魔に抱えられた巨大な車輪がスポークによって6分割され、上の半分に天界、人間界、阿修羅界が、下の半分に畜生界、餓鬼界、地獄界が描かれている。

ここに露わになる思想とは、正に現象界という輪廻の車輪が回転する事によって苦がもたらされると言う事であり、この輪廻の車輪とは、そもそもの初めからこのように『不完全に悪しく作られている』という冷徹なまでの認識に他ならない。

しかし、インド思想の原風景であるリグ・ヴェーダにおいて、そもそも回転する車輪とは、侵略するアーリア人に対して富をもたらすスカ(喜び、幸福)の車輪であったはずだ。それが何故、ドゥッカ(苦)である輪廻の車輪という、対照的なネガティヴィティの象徴にまで落ちてしまったのだろうか。

そしてもうひとつ、前回も指摘したように、この六道輪廻図を生み出した仏教思想のそもそもの原風景において、彼らは聖なる法の車輪=ダルマ・チャクラというシンボリズムを生み出している。

何故同じ仏教という文脈の中で、同じ車輪という事物が聖と俗、楽(解脱)と苦(迷い)という対立する両極を同時に表しうるのだろうか。

キリスト教において、神=キリストの救済や天国を象徴する十字架が、同時に悪魔の俗悪性や地獄を象徴するなどという事がありうるだろうか。イスラム教において、神の救済や天国を象徴するコーランが、同時に悪魔や地獄を象徴するなどという事がありうるだろうか。

仏教における車輪が、聖と俗を、楽と苦を、同時に象徴しうるというこの事実は、一体何を意味するのだろうか。

私は、このネガティヴィティを象徴する苦の車輪というイメージの創造において、アーリア人に征服されたインド先住民の思想が大きく関わっていたと考えている。

物事というのは常に相対的に考えなければならない。一枚のコインには表があると同時に裏もある。インド・アーリア人がカイバル峠を越えて亜大陸に侵入し、ダーサの民を殺戮し、征服しその富を略奪し、勝利する自らの姿をインドラ神に仮託して称賛していた正にその時、侵略され殺戮され征服され略奪されたダーサの原住民は何を思っていた事だろう。

インド・アーリア人にとって武威と神威を象徴するスカ(幸福)の車輪だったその同じ車輪は、ダーサの先住民にとっては正に恐怖と絶望と悲しみと苦悩を象徴するドゥッカの車輪ではなかっただろうか。

以前私は、アーリア人の侵入以降のインドの歴史を、西欧人による大航海時代以降の世界史と重ね合わせて見るという視点を提示した。

コロンブスによって発見された新大陸アメリカは、その後スペイン王国に巨万の富をもたらした。インカやマヤの財宝はことごとくヨーロッパ大陸に持ち去られ、新規開拓された金銀山からは、更なる富が収奪され、ヨーロッパ世界を富み肥やしていった。正にスペイン無敵艦隊、黄金時代の到来だった。

しかし、そこにおいてスペイン人にインディオと名付けられた先住民達は、同じ時同じ場を共有しながら、対極的な別世界を経験していた。それは侵略され殺戮され略奪され奴隷化され、差別され収奪され続ける暗黒時代の始まりだったのだ。

同じ事が、紀元前1500年以降のインド史においても当てはまるだろう。ダーサという名に象徴される先住民にとって、アーリア人の定住と拡散は、正に恐怖の暗黒時代の始まりだったのだ。アーリア人が誇らしげに駆り立てるラタ戦車の車輪は、先住民にとってはドゥッカ(苦悩)の車輪以外何ものでもなかっただろう。

やがて勝者アーリア人は、自らの欲望を最大限に実現するためにヴァルナの氏姓カースト制度を確立し、先住民たちは最下層のシュードラとして隷従を強いられるようになった。

シュードラの眼には、支配者であるバラモンが祀る神々はどのように映っただろうか。支配者である王族が享受する豪奢な生活はどのように映っただろうか。

一般にアーリア人のインド侵入と一言で片づけられているが、その背後にはおびただしい血と汗と涙と、凄まじいまでの社会変動が伴っていた。勝者と敗者という対置を基軸とした経験の両極性というものが、その後のインド世界に長く尾を引いた事だろう。

そこで常に脚光を浴び続けたのは、勝者の視点だった。それはアメリカという国の歴史が常に勝者である西欧移民の視点から語られ、アメリカン・ドリームという言葉で象徴されるのと同じ原理なのだ。

白人たちの夢を乗せた新世界アメリカ。その背後に黒人奴隷と先住民インディアンたちのおびただしい血と汗と涙が流された事実に目を向ける者は少ない。

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首枷をはめられ市場へと売りに出される黒人奴隷

kunta.nomaki.jp

しかしコロンブスによる新大陸アメリカの発見から500年が過ぎた今、世界情勢はどうなっているだろうか。インカやマヤを攻め滅ぼして無敵艦隊を誇ったスペインは、今やユーロのお荷物と言われるまでに没落した。

アメリカへと移民を輩出し、奴隷売買を基軸とした三角貿易によって七つの海の覇者に成り上がったイギリスもまた、ほとんど全ての植民地を失い、英国病とまで言われるほどに落ちぶれ、陽の沈まない帝国と称賛されたかつての栄光を思い起こさせるものは、大英博物館くらいだろう。

最近ではユーロ離脱やスコットランドの分離独立騒動など、欧州の問題児ぶりを十全に発揮してくれている。

そしてアメリカもまた、かつてのWASPの帝国も今は昔、黒人奴隷は解放され、その後は公民権を得て、今や大統領は黒人とのハーフになった。ビジネス、科学、国家官僚など諸分野において、非ワスプが要職を占める割合は急増し、インターレーシャル・マリッジと呼ばれる異人種婚が急増しているとも言う。

そんな中、貧困に追いやられたWASPの中間層が、雪崩を打って過去の栄光を取り戻そうと足掻いているのが、現在進行形の大統領選挙におけるトランプ氏の大躍進や、繰り返される白人警官による黒人の射殺事件に他ならない。

反対に、奴隷の子孫であるアメリカ黒人の文化は、今やヒップホップなどの形で世界中の若者文化を席巻している。あの強靭な生命力に裏付けられたクールさは、『格好がいい』という事の代名詞にすらなって、世界中で憧憬され模倣されているのだ。

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Flexin2アルバム・カバーより。今や時代はBlack is GREAT ! yo, yo, man !

一方で、かつて白人によって駆逐されたアメリカ先住民の文化思想は、反戦意識や地球環境問題の顕在化によって新たに持続可能な共生の思想としてクローズアップされ始めている。

同じように、大英帝国によって徹底的に収奪されたインドはマハトマ・ガンディという思想界の巨星を生み出し、その生きざまは反アパルトヘイトマンデラ師や公民権運動のキング牧師に多大なる影響を与え、世界の人権意識を大いに高めた。

国際関係に目を転ずれば、世界の警察・ユニラテラル主義のアメリカによって先導されたグローバリズムは翳りを見せ始め、今や次期超大国候補は、かつて西欧によって発見され収奪された国々、すなわちインドや中国やブラジルなどが主流を占めるようになった。

同じような社会変動が、多かれ少なかれ古代インドにおいても起こったのではないかと私は考えている。つまり侵略した勝者であったアーリア人の衰退と、混血や先住民文化の急速な台頭だ。

ブッダの時代、アーリアの純潔を標榜するデリー周辺のバラモン文化圏は衰退の兆しを見せ、先住民や混血文化を中心にしたガンジス川中下流域の都市文化圏は著しい興隆を見せ始めていた。

そこにおいてアーリア・バラモン主導のヴェーダ祭祀は批判の矢面にさらされ、残酷な動物供儀を伴った形骸化した祈祷から人心は離れ、新たにサマナと呼ばれる求道的真理の探究者たちが人々の熱い期待と支持を集めていた。

アーリア人が無邪気に神に祈り貪った現世利益は、その宗教における至上性を、現世を超えた魂の完全なる救済、すなわち解脱へと奪われていった。

その背後には、この世界で誰かがスカ(幸福、富、栄光)を貪れば、その裏では必ず誰かがドゥッカ(苦悩、貧困、絶望)を強いられる、という先住民の魂からの叫びがなかっただろうか。

アーリア人がインドに侵入したのが紀元前1500年頃と考えて、ブッダの時代はそのおよそ1000年後にあたる。変化のスピードを考慮してこの1000年を近現代世界史の500年と重ね合わせたなら、ブッダの時代とはまさしく私たちにとっての『現在』であり、私たちの現在とは正にブッダの時代に相当しないだろうか。

この様な視点を作業仮説として採用する事によって、ブッダの生きた時代の息吹というものが、ありありとリアルに再構成されるのではないかと私は思う。それは同時に、私たちの現在が、今後どのような歴史展開を見せるだろうかという『先見』においても、重要な示唆を与えてくれるだろう。

(もちろん全てがまったく同じなどという事ではない。しかし人の心や社会がどのように移ろいゆくのかという原理の普遍において、二つの時代と歴史を重ね合わせるメリットは少なからずある)

それが、私がこの様なブログを書くに至った、ひとつの本質的な動機となっている。

やがて西暦紀元前後を境にアーリア・ヴェーダの最高神インドラはその威光を失い、先住民に由来するシヴァ・ルドラやクリシュナ・ヴィシュヌがブッダと並ぶ『至高者』として表舞台に顕在化していく。

その時、シヴァやヴィシュヌは、かつてインドラが『車軸の様に天地両界を分かち支えた』という原イメージを完全に簒奪した『万有の支柱スカンバ』として、これもアーリア・ヴェーダウパニシャッド)に由来する『絶対者ブラフマン』という概念をも併せ持った至高神へと昇り詰めるのだった。

実はこのような先住民系による支配者アーリア人に対するカウンター運動、歴史的に見てその口火を切った者こそが、ゴータマ・ブッダに他ならないと私は考えている。

彼がアーリア系であったのか、あるいは先住民系であったのかは論議の分かれるところだが、雲南省からアッサム、そしてネパールにかけての山岳丘陵部から南下してきた、水田稲作農耕を営むモンゴロイド系の先住民だと考えるのが、様々なデータから見て一番妥当だろう(あるいは先住モンゴロイドとアーリア人の混血)。

彼自身がアーリア系であるか先住民系であるかはともかく、彼の思想が紛れもなく反バラモン・親先住民の側に立っていた事だけは間違いない。

それはヴェーダを奉ずるアーリア人のバラモン教、その祭式万能主義に対する澎湃たるアンチテーゼとして台頭したサマナ・ムーブメントにおいて彼が出家し成道したという史実をはじめ、パーリ経典などの文言によっても十分に裏付けられるものだ。

アーリア・ヴェーダの文化に圧倒的に支配されている中で、その精髄ともいえるバラモン教祭祀に対して徹底的にNOを突き付けたブッダの立ち位置。

この特殊古代インド的な輻輳した社会状況を理解することによって、ブッダの言葉の『真意』が浮かび上がってくる。そのように私は感じている。

今回前半で紹介した、「スカとドゥッカという言葉が、車輪やその『軸穴』と深い関わりを持っている」という事実は、より深いレベルで仏教における『輪廻観』や更には『瞑想実践』とも直接的につながりを持っている。

次回以降はその輪軸世界観と「『輪軸身体観』が交わる地平」について、突っ込んで考えていきたいと思う。

(本投稿は 脳と心とブッダの悟り: スカとドゥッカの原風景 と 脳と心とブッダの悟り: ブッダの時代と私たちの現在 を統合・修正の上移転したものです)

 

 

 

 

勝者と敗者が対峙した時:相反する『車輪の原心象』

前回はインド・アーリア人の原風景、シンタシュタ文化のチャクラ・シティについて紹介した。彼らにとって、車輪やラタ車(戦車、馬車、牛車)がどれだけ重要であったかがイメージできたと思う。

インド・アーリア人にとってのラタ車とは、海洋民族にとっての船であり、定住移動を繰り返す歴史の中で、ある意味彼らの人生そのものがラタ車の上で演じられたと言えるほど、その存在は生活に密着した欠かせないものだった。

そんなチャクラ(車輪)思想を携えて、アーリア人はインド亜大陸に侵入し、正にその車輪を履いたラタ戦車の優位性に依って先住民に圧勝した。彼らの中で、ラタ車と車輪の持つ重要性はさらに一層高まった事だろう。

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ペルシャに伝わったラタ戦車。ChessRex より。古代エジプトと同じ六本スポークだ

リグ・ヴェーダには、カイバル峠を越えてインダス川流域に侵入したアーリア人が先住民と戦い、勝利し、その富を略奪していった過程が、これでもかと描写されている。その主役とも言えるのが、黄金のラタ戦車に乗り、全軍を指揮し、先住民ダスユ(ダーサ)を殺戮するインドラ神だ。

「神の力にものみな揺らぎ、ダーサのやから(アーリア人の敵、先住民)影ひそむ。異部族びとの蓄えを奪いて取りぬ、勝ち誇る、賭けの巧みをさながらに。その神の名はインドラ天」

「罪に汚れし諸人は、いつしか彼のの的。奢れる者は彼の敵。アリアン族に仇をなす、ダスユ(先住民、悪魔)もあわれ彼の犠牲。その神の名はインドラ天」

辻直四郎訳:リグ・ヴェーダ賛歌より

リグ・ヴェーダを通読して思うのは、これは典型的な部族神の神話だな、という事だ。私は先の投稿『宗教とは何か? 』で、 

「歴史的に見て、宗教が世界平和や人類みな兄弟などとその『普遍』を標榜するようになったのは、ここ最近ほんの100年ほどの出来事に過ぎない。

宗教本来の姿とは、その信仰を共有する特定の集団、つまり氏族・部族・民族、階級、組織が持つ排他と利己という目的意識を強化し、その欲望を推進するために常に原動力として機能するものだった。」

宗教とは何か? - 仏道修行のゼロポイント

と書いた。その正に排他と利己の衝動を擬神化した者こそがインドラなのだろう。結局のところ、アーリア人がインドラ神を崇めるという事は、侵略し、征服し、略奪する『自分』を崇めていたに過ぎない。 


Nova: Building Pharaoh's Chariotより。40:40あたりから

エジプトの古代戦車も基本は六本スポーク

紀元前1500年に起きたアーリア人によるインド侵攻。そこでは、物質文明、特に武力において抜きんでていた白人種によって、武力において劣った有色人種が征服され、支配されていくという構図があった。 

その結果生まれたのがヴァルナ、すなわち肌の色を基準とした支配・被支配の構造、カースト・システムだ。

おそらく、彼らアーリア人がインダス河流域で最初にコンタクトした先住民は、比較的文化程度(軍事力)の低い人々だったのだろう。それはリグ・ヴェーダの中で先住民ダスユ(ダーサ)が「肌が黒く鼻が低い」と表現されている事や、しばしば蛇族、あるいは蛇形の悪魔ヴリトラと重ね合されている事からも想像できる。そのイメージは、物質文明において優れていると言うよりも森や生態系と共生する印象が強い。

一方のアーリア人と言えば、7000㎞にも及ぶ長途の旅の間、無人の野を駆けて来た訳ではなかった。新しい土地には必ず先住民が居り、多くの場合は戦いが起こった事だろう。つまり彼らは500年にわたって様々な民族と戦い続けた歴戦の猛者だったのだ。

アーリア人と先住民の武力の格差は、武器の上でも経験の上でも歴然としていた。アーリア人は、この亜大陸最初の一歩において、未だかつてない大勝利をおさめた事だろう。

では、逆に征服された先住民の立場に立った時、この出会いはどんなものだっただろうか。間違いなく、彼らはラタ戦車なる物を初めて見た。当時インド亜大陸内部では、牛に牽かせる荷車はあったが、馬に牽かれたスポーク式車輪の高速機動戦車など青天の霹靂だったに違いない。

アーリア人の戦術とは上の画像・動画に見られるように、この高速機動戦車を駆って車上から弓矢を速射しながら波状攻撃をかけるという極めて斬新かつ画期的なもので、先住民にとっては戦国時代の日本における種子島(火縄銃)の登場以上の驚愕と混乱をもたらした事が想像できる。

この不幸な出会いは、例えてみれば、大航海時代の到来と共に中南米に押し寄せたスペイン・ポルトガル人たちが、その圧倒的な武力の優位を元に、先住民インディオを殺戮し征服し、黄金などの富を略奪していったプロセスと似ているのかも知れない。

1532年、豚飼いとして知られたフランシスコ・ピサロはわずか200名足らずの部下と共にインカ帝国を滅ぼしてしまう。銃を持ち馬に騎乗するこのスペイン人たちを見て、インカ人たちは彼らを自らの伝承にある雷帝神、あるいは「白い神」、と誤認したようだ。

当時のインカ軍は総勢80000人以上とも言われる。80000人対200人。この様な圧倒的な戦力差も、装備的心理的な優位によって簡単に覆されたのだ。

恐らく、これと同じような事が、アーリア人とダスユの先住民の間でも起こった。

ここで思い出して欲しいのが、インダスのチャクラ文字だ。あたかも6本スポークの車輪の様なシンボルが、インダス文明においてはある種宗教的な特別な意味を持っていたと考えられている。

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インダスのチャクラ文字(左端)。そのデザインは六本スポークの車輪そのものだ

ダスユの原住民が直接的にインダスの末裔であったか、またこのチャクラ文字を継承していたかどうかは分からない。けれど、インダス・シールに刻まれた瞑想者の姿が獣類の王パシュパティとしてのシヴァの原型であると考えられている事、ダスユの先住民がリンガの信仰を持っていたらしいこと、またアショカ王の時代においても、インダスのものと同じ寸法比率のレンガが用いられていたことなどから考えると、インダスの文化諸要素は確実にインド先住民に継承されていた事がうかがい知れる。

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最もベーシックな聖吉祥文様はインダスの印章文字とラタ車の車輪のハイブリットか

私的にここでよりドラマチックな仮説を採用すれば、ダスユにとっても、チャクラ文字は神を象徴する形であり、その同じ形の車輪を駆ってやってきたアーリア人は、彼らの眼には文字通り『鬼神』に映ったのではないか、という事なのだ。

そして、ダスユの民は完敗した。あたかも200人に満たないピサロ率いるゴロツキ集団によってインカ帝国が滅ぼされたように。そしてダスユの心の奥深くに、アーリア人に対する根源的な恐怖と畏怖の気持ちが徹底的に植えつけられた。その武威の象徴である車輪の形と共に。

鬼神の車輪を乗りこなすアーリア人には絶対に敵わない。これがヴァルナのシステムを根底で支えるダスユ達の深層心理だったのだ。

この心理は、第二次大戦終末期に2発の原爆を投下され甚大な被害をこうむった日本人のそれと重ね合わせるとよく理解できるかもしれない。あまりにも圧倒的な武力・破壊力に直面し、なすすべもなく敗れた者は、強烈にその敗北を心に刻み込む。このアメリカには絶対に敵わないと。

そして戦後の日本は、ひたすらにアメリカに追従し、その文化を模倣し、少しでもアメリカに近づくことをその国家目標として掲げてきた。アメリカは戦後の日本人にとって『神』となったのだ。

侵略者アーリア人に対して決して「ノーと言えない」ダスユ達の『信仰心』こそが、カースト制度をその根底で支える深層心理だったと考えても、そう的外れではないだろう。

何故私が、仏教とは一見関係のない古代インド史について延々と語るのか、疑問に思う向きもあるかも知れない。けれど、この絶対勝者アーリア人対絶対敗者先住民という構図こそが、その両者の間に生まれた心理的な化学反応こそが、インド思想の深みと、その現代における普遍性の根拠になっていると考える私にとって、この点をないがしろにすることは決して出来ない。

歴史は常に勝者によって記述されるという。アーリア人のインド侵入と言う歴史的事実は、常に勝者アーリア人が残した文献のみに依存して考察されてきた。そこから始まる全てのインド学的営為においてもまた、敗者である先住民のリアリティは完全に黙殺され続けてきたという現実がある。

しかし、この敗者による勝者に対するアンチテーゼこそが、仏教をはじめとした『反バラモン』思想を生み出す原動力だったと考えた時、インド思想に対して全く新しい光が投げかけられるだろう。 

侵略者アーリア人が無邪気なまでに称賛した武神の車輪。そして征服された先住民が見た『鬼神』が転ずる恐怖と破壊の車輪。立場を変えた対照的な二つの『車輪観』。

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信者たちに合掌礼拝されるバールフートの法の車輪(ダルマ・チャクラ)

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輪廻の車輪。相反する車輪が織りなすインド思想のダイナミズム

例えば、上の画像に見られる、ブッダによって転じられた聖法の車輪、そしてその真逆とも言える、仏教教理において根源的な意味を持つ輪廻する苦悩の車輪について考えてみよう。

およそ宗教と言われる精神・文化現象は、聖と俗、救済と苦悩と言う二項対立を前提としている。そしてその聖性を表すための、特徴的なシンボルというものが存在する。 

キリスト教の場合は、もちろん十字架がそれにあたるだろう。それは神の子であり世の救い主であるキリストが、人々を原罪から救うために自らの身を捧げた象徴として、世界中のキリスト教徒によって仰がれている。 

ならば神と対峙する悪魔の象徴は何だろうか。蛇とか蝙蝠とか髑髏がそれにあたるのだろうか。どちらにしても、ふつう聖なるシンボルと俗悪なるシンボルはまったく異質なもので、両者が重なり合う事はほとんどないだろう。 

しかし仏教の場合は他の宗教と違って、上に見られるように聖と俗、その二つの対立した価値概念をひとつの『同じ車輪というシンボル』によって表すという事が平然と行われている。 

仏教では、悟りを開いたゴータマ・ブッダサールナートではじめて説法し弟子を得た史実を『法の車輪を転じた』と表現した。そして聖なるシンボルの筆頭として法輪を掲げている。 

一方で、同じ車輪という存在を、煩悩・輪廻の車輪として、俗なる生における『苦』の循環を表すシンボルとしても採用している。

信者たちに仰がれる聖法の車輪と、悪魔に囚われた世俗生活という輪廻・苦悩の車輪。

何故、悟りの知恵によって把握された聖なる法が車輪で表されると同時に、煩悩に支配された苦しみの輪廻が ‟同じ車輪で表される” などという事が、可能なのだろうか?

このような車輪のシンボリズムが持つ明確に背反する正負・聖俗の両義性。ここにこそ、正に車輪というタームを基軸として、躍動するインド思想のダイナミズムが展開し転回していったという歴然たる史実が隠されている、と私は見る。

(本投稿は脳と心とブッダの悟り: 勝者と敗者が対峙する時法の車輪と煩悩の車輪〜その1- 脳と心とブッダの悟りなどを統合し、修正の上移転したものです)