仏道修行のゼロポイント

ゴータマ・ブッダの原像とヒンドゥ・ヨーガ

ウパニシャッドと『ウパース&ウパーサナ』、そして菩提樹下の禅定

ゴータマ・ブッダの心象風景をリアルに知るためには、彼に前後するウパニシャッド(及びヴェーダ、プラーナ、アーラニヤカ)についての大きな流れを知った上で、更に時代的にはブッダより後に発展したヒンドゥ・ヨーガについても学ぶ必要がある。

以前から基本的にそうなのだが、最近は特に上の様に痛感する事はなはだしく、主にヨーガの古典とウパニシャッドに関する書物を現在読み耽っている。

今回は中でもひとつの焦点であり、『ブッダの瞑想法』の起源とその方法論、及びそこに至るまでの沙門シッダールタの心象プロセスに深く関るだろう『ウパニシャッド』の語義ついて、最も基本的な部分を押さえておきたい。

ウパニシャッド』という言葉の起源とその意味するところについては、私がこれまで読んできた専門書や一般教養書、さらにはネットなどの情報を総合すると以下の内容がその代表的なものであった。

ウパニシャッドという名称の意味であるが、専門家の間において一致している訳ではない。一般に認められているところでは、ウパニシャッドUpanishadという語はサンスクリットの語根Upa-ni-shad「近くに坐る」に由来し、「師匠の近くに弟子が坐る」意から導かれると考えられている。

すなわち、師匠と弟子が膝を交えて、師匠から弟子に親しく伝授されるべき「秘密の教義」、すなわち我が国の芸道で用いられている「秘伝」の意となり、そこからこのような「秘密の教義」を載せた神聖な文献の名前となり、さらにこの種の文献の総称となったと理解されている。

事実、ウパニシャッド文献には、門弟あるいは息子が師匠あるいは父から親しく教えを聴く場合が数多く見られるのであって、従ってウパニシャッドは「神秘の教説」であるから、それは師資相承であり父子相伝でなければならないと説かれる。

【原典訳】ウパニシャッド、岩本裕 編訳、ちくま学芸文庫 解説より引用

しかしネットの一部に、このような解釈についてのいくつかの疑義を見出して、色々と調べてみた。以下はその中の代表的なものだ。

ウパニシャッドは仏教の土台である。まず、その意味から始めよう。ウパニシャッドという語は、ウパ(upa)“近くに”、ニ(ni)“下に”、シャッド(shad)“座る”から構成され、通常「近座」と訳される。

従来の解釈では、弟子が師の下の近くに座って、師から秘密の教説を聞くこととされてきた。しかし、文献を詳細に調べた所そのような用例はなかったそうである。

そこで、近年では、“念想”を意味するウパース(upās)との関連が重視されるようになった。この解釈に立てば、ウパニシャッドとは念想(upa)を目的とした(ni)坐法(shad)によって得られた瞑想内容の集成であるということになる。

念想を目的として坐るとは坐禅に他ならない。坐禅の目的は“無―無―”と言って、頭を空っぽにすることではない。坐禅の本来の目的はウパース(念想・瞑想)にある。仏教の本来の姿を学ぶ上からもこの事はしっかりと頭に入れて置きたい。

仏教入門 - 仏家妙法十句より引用

これに類似した指摘が以前からネット上にある事には気づいていたのだが、明確な学術的なソースが分からずに手つかずのままであった。上のサイトは非常に真摯に仏教というものに向き合っており、その内容すべてが私の思索と重なる訳ではないのだが、大いに参考にさせていただいた。

次に引用するのは、私がいつも脳と心とブッダの悟り - Yahoo!ブログでお世話になっているAvarokiteiさんのサイトで偶然発見し購入した針谷氏の著書からで、私はこのような理解がすでに『定説』として確立していたとは全く知らずにいた。

ウパニシャッド(Upanishad)はウパ+ニ+シャッドと語形は分解され、Upaは《近くに》、niはほぼ《下に》、shadは本来《座る》を意味する✔shadという動詞であり、語全体としては《近座》を意味しうるので、深い秘密の教説を師から弟子が聴くために師の下に《近くに座る》の意味、転じて《秘説》そのもの、さらにその秘説を収録した文献群を指すようになった、というのが通俗的ウパニシャッドの語義解説である。

しかしドイツのオルデンベルクさらにポーランドのシャイエルの研究によりその解釈は訂正された。ウパニシャッドという語がそのような意味で用いられている用例はウパニシャッド文献の中には存在せず、ある事象を至高存在者と同置するウパニシャッド特有のウパーサナーという観法によって得られた思惟の内容を表現する簡潔な定句がウパニシャッドという語の意味であるとここでは言っておこう。

ヴェーダからウパニシャッドへ  針貝邦生著、清水書院 P159より引用

針谷氏の指摘は、先の仏家妙法十句さんの主旨に近いもので、私が知らなかっただけで、すでにこれが21世紀のスタンダードなのかもしれない。

Avarokiteiさんのサイトやブログは、これまでも色々とお世話になっており、今回もとても読み応えがあったのだが、そこでもう一人彼が紹介している湯田豊氏の解説について以下に引用しよう。

ウパニシャッドの語義

ウパニシャッドという言葉を確かめるために企てられたのは、ウパニシャッドupanisadの語源解釈である。学界に流布している学説によれば、師匠から教えを受けるために、弟子が師匠の近くにupa下にni座るsadことがウパニシャッドの語義である。

そして師匠から弟子に伝えられる秘密の教えとは何かと言えば、大宇宙の原理としてのブラフマン=小宇宙の原理としてのアートマンであるという思想であるといわれる。ブラフマンは梵であり、アートマンは我である。ブラフマンアートマン説を、人は "梵我一如" 説と呼ぶ。しかし、初期のウパニシャッドには "梵我一如" という表現は存在しない。

初期の主要ウパニシャッドに関する限り、弟子が師匠の足もとに坐って教えを授けられることを例証する箇所は全く存在しない。少なくとも、わたくしはそういう箇所を見い出すことができない。しかし、師匠の足もとに坐ることがウパニシャッドである、という解釈は可能である。

しかるに、多くの人はそのような解釈を一つの仮説と見なす代わりに、万人によって承認されるべき真理であると信じて疑わない。ウパニシャッドが師匠の近くに、下に坐るというのは一つの解釈にすぎない。それは、一つの視点からのアプローチにすぎない。

わたくし自身は、そのようなアプローチをしない。それゆえに、そのようなアプローチに基づく解釈をわたくしは拒まざるを得ない。文献学的証拠を示すことなく、師匠の近くに、下に坐ることを正しいと思い込む発想を、わたくしは受け入れない。

ウパニシャッドが、近くに下に坐るということを、わたくしは一つの比喩として解釈する。東アジア文明、例えば、中国あるいは日本において最も高く評価されるのは人と人との関係である。しかし南アジア文明、例えばインド文明において決定的なのは事物と人間自身の関係である。

それゆえに、ウパニシャッドによって示唆されるのは、師匠の足もとに弟子が坐ることではなく、人間が事物の近くに、下に人間自身が坐ることである。人間が師匠の近くに、下に坐るのではなく、事物の近くに、下に人間自身が坐ることを示すのは、ウパース(ウパーアースupa-as)という言葉である。

ウパーサナウパニシャッドという公式が認められれば、ウパニシャッドの基本的な意味は何かあるものに近づく、何かあるものを得ようと努力する、あるいは、何かあるものを熱心に求めることに他ならない。

ある事物を他のものと同一視しようというのがウパニシャッドであり、本来的自己としてのアートマンを "熱心に求める知的認識行為" が初期のウパニシャッドにおける重要なテーマの一つである。

初期の主要なウパニシャッドには、”ウパース"という語は少なからず見い出され、われわれは、ウパニシャッド=ウパーサナ説をテクストに基づいて証明できるはずである。

湯田豊著「ウパニシャッド―翻訳および解説―」(大東出版社 2000年2月刊)の解説(あとがき)からの引用  仏教の思想的土壌 ヴェーダ Avarokiteiさんより

この湯田豊氏の著書は二万円を超える大著で、私自身は直接には読んでおらず孫引きで申し訳ないのだが、その指摘はここまでの引用とも重なり、色々な点で極めて重要な意味を持っている。

そこに共通するキーワードが、ウパース(ウパーアースupa-as)ウパーサナーである事は誰の目にも明らかだろう。一般に日本語ではウパースは【念想】と、ウパーサナーは【同置】訳されているようだが、訳者や文脈によって訳語の選択はかなり異なっている。

そもそもこのウパースとウパーサナという言葉はどのような文脈の中で使われていたのか、次に定番の中村元先生からの指摘を引用したい。

一般に西洋では自然の多様性に対する驚きから哲学的思索が現れ出たと言われているが、インドでは、祭式が宇宙全体(Sarvam)とどういう関係にあるかを知ろうとする司祭僧たちの希望から現れ出た。

そうして宇宙生成論は、祭式学と関連あるものとして成立したのである。

インド人は全ての事を宗教的見地から眺める傾向がある。すでにウパニシャッドにおいても、たとえば宇宙間の諸事象を祭祀に供せられる犠牲獣の身体のいちいちの部分に対応させて説明している。

『実に曙紅は犠牲に供せられるべき馬の頭である。太陽はその眼である。風はその息である。遍く行き渡る火はその開いた口である。歳は犠牲に供せられるべき馬の体である。天はその背である。空はその腹である。地はその下腹部である・・・』ブリハッドアーラニヤカ・ウパニシャッド 1-1-1

このような思想内容がブラーフマナ(祭儀書)やアーラニヤカ(森林書)のうちに多分に展開されているのである。このように祭祀の個々の部分と、宇宙の構成要素を均等視しているのは、心の中でそのように思いなせ、念想せよ、と教えているのである。

そこでウパニシャッドでは、念想という事が非常な意味を持ってくる。また、

『雨に関しては五種の旋律(Sāman)を念想(Upāsita)すべし。

低唱は雨風である。試詠は雲の生ずることである。

詠唱は雨の降る事である。攘穢は雷光雷鳴することである。

合誦は雨の止むことである。』チャーンドーギャ・ウパニシャッド 2-3-1

と言って、五種の旋律のいちいちを雨の経過に配して念想崇拝せよ、と説いている。

そのほか祭祀にことよせた説明は、ウパニシャッドの全般にわたって認められるので、いちいち列挙しがたいほどである。

決定版中村元選集 第9巻 ウパニシャッドの思想 P35~36より引用

これはまた回を改めて詳述したいのだが、ウパニシャッドの前段階であるバラモンヴェーダの宗教においては、『祭祀(祭儀)』というものが絶対的な力を持っていた。

そこにおいて司祭たちが追求したのが、大まかに言って、大なる自然事象と小なる人間によって行われる祭祀のそれぞれの要素を、ある種の類似や因果関係、もしくは『直観』によって重ね合わせ『同置』し、その意味関係を念想しつつ祭式を進行する、という事だった。

しかしやがて、外形的な儀式の形式至上主義の不毛性に飽き足らなくなってきた内省的な求道者たちの関心は、祭儀から少しずつ離れて行き、人間存在と大宇宙の相関関係を模索し始める。

ウパニシャッドの哲人たちは、バラモンの行う祭儀をただそのまま承認していたのではない。旧来の祭儀に対して一定の距離をおいて考えていた。

その態度のひとつのあらわれとして、祭儀を宇宙や人間存在と連絡づけて考え、その意義を知って念想しながら祭儀を行うならば、いっそう大きな効果があると考えていた。

総じて古代人の間では、知識は、呪術的な力を持った一種の流動体と考えられていた。そこで知識ある人はその力を借りて、欲するがままに宇宙の事象の進行に力を及ぼすことができると考えていた。

だから知識とは効力を及ぼす潜勢力であり、対象を知っているばかりではなくて、対象を支配し所有する事ができるのである。

この知識を明知(Vidya)と称する。それは真実を透徹して知る叡智である。それは学殖ではなくて、心を統一して真理を体得する瞑想である。また、あるものを心の中でじっと思い続けて奉じている事を、念想する(Upāste)という。それを名詞化すると『念想』(Upāsana)となる。

決定版中村元選集 第9巻 ウパニシャッドの思想 P36~37より引用

中村先生はここで、意図してか否かは定かではないが「真実を透徹して知る叡智としてのVidya明知」を「学殖ではなく心を統一して真理を体得する瞑想である」と記述した直後に、それを受ける様な形で、ウパースとウパーサナつまり「念想」について言及している。

私の仮説では、そのような明知・ヴィディヤに到達するための方法論こそが、ウパースやウパーサナの進化(深化)形に他ならず、中村先生もまた、断定できないまでもそれを予想していたからこそ、ヴィディヤとウパース・ウパーサナを同じ文脈の中で続けて言及したのではないかと思う。

実際に、このような念想と同置の方法論は、やがてオームの念誦をブラフマンと同一視する思想、さらには個人の本質アートマンを大宇宙の根本原理ブラフマンと同一視する思想へと大きく発展・進化していく。

この神聖な音〈オーム〉は〈唯一者〉に到達しようとする形而上学的傾向においては絶対者のシンボルとして重要な意義を獲得した。

あらゆる語は聖音〈オーム〉に包摂され、聖音〈オーム〉は全世界に他ならないと考えられた。またこの神聖なシラブル(音節)は全ヴェーダの精髄であると見なされた。

シラブルを意味するAksharaという語はまた「不壊」という意味があるので、この神聖なシラブルは不壊者、不死者、恐れ無き者、とされた。

それは絶対者ブラフマンであり、人はそれを知った時に、それとなるのである。

神々と言えども、不死になるためには、それの内に帰入する。

そして、ついにヴェーダンタ学派では、聖音〈オーム〉の念想は、絶対者の念想の事であると解せられるようになった。

決定版中村元選集 第9巻 ウパニシャッドの思想 P40~41より引用

このように見てくると、日本語では念想や同置と訳されるウパースやウパーサナが、極めて精神性の高い求道的な『瞑想』に近い心的営為へと深化していった事はほぼ間違いない。だが果たしてそれは、『ウパニシャッド』という語とどこまで有機的に接続したものだったのだろうか。 

そこで、ヴェーダの祭式からブラフマンの探求に至るインド思想史の流れの中で、極めて重要な意味を持ち続けてきただろうこのウパースとウパーサナという言葉について、ネット上のサンスクリット辞書で様々に調べてみた。

最初のウパースについては、以下のようになる。

upās

( upa-- 1 as-) P. (Potential 1. plural -syāma-) to be near to or together with (accusative) . ~の近くに、~と共にいる

 ( upa-- 2 as-) P. upasyati-, to throw off, throw or cast down upon, throw under : A1. -asyate-, to throw (anything) under one's self. 下に投げ出す、自己の下?に~を放擲する

( upa-ās-) A1. upāste-, to sit by the side of, sit near at hand (in order to honour or wait upon) etc.  ; to wait upon, approach respectfully, serve, honour, revere, respect, acknowledge, do homage, worship, be devoted or attached to etc. そばに座る(何か、誰かに敬意を表しつつ近づき座り待つ、献身する)

to esteem or regard or consider as, 尊重する、顧慮する、~と見なすtake for ; to pay attention to, ~に注意を払う。 be intent upon or engaged in, perform, converse or have intercourse 性交、肉体関係、交際、霊的交通、霊交。with etc. ; to sit near,近くに座る be in waiting for, 待つ remain in expectation,期待しつつ留まる expect, wait for ; to sit, occupy a place, abide in, reside 住まう; to be present at, partake of (exempli gratia, 'for example' a sacrifice) ; to approach, go towards, draw near 近づき、向かい、接近する。(exempli gratia, 'for example' an enemy's town) , arrive at, obtain ; to enter into any state, ある状態に入る。undergo, suffer ; to remain or continue in any action or situation etc.状況や行為状態に継続的に留まる ; to employ, use, make subservient.

upās:Sanskrit Dictionary より

उपास्(ウパース)

2 Ā. 1 To sit near to (with acc.), sit at the side of (as a mark of submission and respect服従や尊敬の証として傍に近づき(低く)座る; wait upon, serve, worship; ओमित्येतदक्षरमुद्गीथमुपासीCh. Up.1.1.1 &c. मां ध्यायन्त उपासते Bg.12.6; 9.14,15. उद्यानपालसामान्यमृतवस्तमुपासते Ku.2.36; अम्बा- मुपास्व सदयाम् Aśvad.13; Śi.16.47; Ms.3.189.

-2 To use, occupy, abide in, reside; ऐन्द्रं स्थानमुपासीना ब्रह्मभूता हि ते सदा Rām.1.35.1. Ms.5.93. -3 To pass (as time); उपास्य रात्रिशेषं तु Rām. -4 To approach, go to or towards; उपासाञ्चक्रिरे द्रष्टुं देवगन्धर्वकिन्नराः Bk.5. 17; परलोकमुपास्महे 7.89. -5 To invest or blockade (as an enemy's town). -6 To be intent upon, be engaged in, take part in, (perform as a sacred rite); उपास्य पश्चिमां सन्ध्याम् K.176,179; तेप्युपासन्तु मे मखम् Mb.; Ms.2. 222,3.14,7.223, 11.42. -7 To undergo, suffer; अलं ते पाण्डुपुत्राणां भक्त्या क्लेशमुपासितुम् Mb.; Ms.11.184. -

8 To remain or continue in any state or action; 状態や行為に継続的に留まるoft. with a pres. p.; अनन्येनैव योगेन मां ध्यायन्त उपासते Bg.12.6. -9 To expect, wait for; दिष्टमुपासीनः Mb. -1 To attach oneself to, practise; उपासते द्विजाः सत्यम् Y.3.192. -11 To resort to, employ, apply, use; लक्षणोपास्यते यस्य कृते S. D.2; बस्तिरुपास्यमानः Suśr. -12 To respect, recognize, acknowledge. -13 To practise archery. 弓矢の射的

उपास्(ウパース):Prin. V. S. Apte's The practical Sanskrit-English Dictionary より

こうやって見てみると、おおよそのイメージは湯田氏の言う「何かあるものに近づく、何かある(超越的な)ものや力を得ようと努力する、あるいは、何かあるものを熱心に求めること」に間違いないが、加えて、近くに「座る」というニュアンスがすでに存在し、『日常的な自分』よりも価値の高い尊敬すべき何ものかに恭しく近づき座って待ち、投げ出し、献身し、接触し、交わり、その状態・営為に一定時間留まる、というイメージが想定できる。

その敬うべき何かこそが、究極的には湯田氏の言う「本来的自己としてのアートマンを "熱心に求める知的認識行為" 」のアートマンだと考えると、これは全体の感触としては『念想』であると同時に、中村先生が暗示?する様に『瞑想』であると言っても不自然ではない。

特にその意味の中に明確に『座る・坐る』という語義がある以上、その瞑想(念想)は『坐の瞑想』ではないのか、というイメージが自ずと湧き上がって来る。

さらにこのウパースUpāsは、Upaāsに分けることができる。最初のUpaはウパニシャッドの従来の解釈でもすでに出ている。

upa: ウパ

towards, near to (opposed to apa-,away) , by the side of, with, together with, under, down (exempli gratia, 'for example' upa-gam-,to go near, undergo; upa-gamana-,approaching.

~に向かって、近づく、~のそばに、共に、一緒に、下に、元に、近づいて行く、接近する。

direction towards, nearness, contiguity in space, time, number, degree, resemblance, and relationship, but with the idea of subordination and inferiority (exempli gratia, 'for example' upa-kaniṣṭhikā-,the finger next to the little finger; upa-purāṇam-,a secondary or subordinate purāṇa-; upa-daśa-,nearly ten)

その方向に向かって、近づく事。空間的、時間的、数値的、頻度的、類似的、関係的に、接近、接触する事(ただし、「劣位・下位」から「優位・上位」に向かって)。

sometimes forming with the nouns to which it is prefixed compound adverbs (exempli gratia, 'for example' upa-mūlam-,at the root; upa-pūrva-rātram-,towards the beginning of night; upa-kūpe-,near a well) which lose their adverbial terminations if they are again compounded with nouns (exempli gratia, 'for example' upakūpa-jalāśaya-,a reservoir in the neighbourhood of a well).

prefixed to proper names upa- may express in classical literature"a younger brother" (exempli gratia, 'for example' upendra-,"the younger brother of indra-"), and in Buddhist literature"a son."(As a separable adverb upa-rarely expresses) thereto, further, moreover (exempli gratia, 'for example' tatropa brahma yo veda-,who further knows the brahman-) (As a separable preposition) near to, towards, in the direction of, under, below (with accusative exempli gratia, 'for example' upa āśāḥ-,towards the regions) .

近くに、その方向に、下に。

near to, at, on, upon.

近くに、上に(乗って)。

upa : Sanskrit Dictionary より 

उप(ウパ)

ind. 1 As a prefix to verbs and nouns it expresses towards, near to, by the side of, with, under, down (opp. अप). According to G. M. the following are its senses :-- उप सामीप्यसामर्थ्यव्याप्त्याचार्यकृतिमृतिदोषदानक्रियावीप्सा- रम्भाध्ययनबुजनेषु :-- (1) nearness, contiguity 接触उपविशति, उपगच्छति goes near; (2) power, ability उपकरोति; (3) pervasion 浸透उपकीर्ण; (4) advice, instructing as by a teachar उपदिशति, उपदेश; (5) death, extinction, उपरत; (6) defect, fault उपघात; (7) giving उपनयति, उपहरति; (8) action, effort उप त्वानेष्ये; (9) beginning, commencement उपक्रमते, उपक्रम; (1) study उपाध्यायः; (11) reverence, worship उपस्थानम्, उपचरति पितरं पुत्रः.

-2 As unconnected with verbs and prefixed to nouns, it expresses direction towards, nearness, resemblance, relationship, contiguity in space, number, time, degree &c., but generally involving the idea of subordination or inferiority; 劣ったもの、下位のものから上に向かって

upa:Prin. V. S. Apte's The practical Sanskrit-English Dictionary より

上の内容を見てみると、明らかに下手(下座)から上手(上座)にと、これは日本的な表現でもあるが、とにかく下から上を仰ぎ見ながらそばに近づく、という大まかなイメージが理解できるだろう。

次にāsを見てみる。

ās

to sit, sit down, rest, lie. 座る、下に座る。etc. ; to be present ; to exist ; to inhabit, dwell in ; to make one's abode in etc. ; to sit quietly, 静かに座る。abide, remain, continue etc. ; to cease, have an end etc. ; to solemnize, celebrate ; to do anything without interruption ; to continue doing anything ; to continue in any situation ; to last 継続して途切れる事なく何かを行う; (it is used in the sense of"continuing" , with a participle, adjective (cf. mfn.),or substantive exempli gratia, 'for example' etat sāma gāyann āste-,"he continues singing this verse";with an indeclinable participle in tvā-, ya-,or am- exempli gratia, 'for example' upa-rudhya arim āsīta-,"he should continue blockading the foe";with an adverb exempli gratia, 'for example'tūṣṇīm āste-,"he continues quiet"; sukham āsva-,"continue well";with an inst. case exempli gratia, 'for example' sukhenāste-,"he continues well"

ās:Sanskrit Dictionary より

आस् ās

आस् I. 2 Ā. (आस्ते, आसांचक्रे, आसिष्ट; आसितुम्, आसित) 1 To sit 座る, lie, rest; Bg.2.45; एतदासनमास्यताम् V.5; आस्यता- मिति चोक्तः सन्नासीताभिमुखं गुरोः Ms.2.193. -2 To live, dwell; तावद्वर्षाण्यासते देवलोके Mb.; यत्रास्मै रोचते तत्रायमास्ताम् K.196; कुरूनास्ते Sk.; यत्रामृतास आसते Rv.9.15.2; Bk.4.6,8.79.
3 To sit quietly 静かに坐る, take no hostile measures, remain idle; आसीनं त्वामुत्थापयति द्वयम् Śi.2.57. -4 To be, exist. -5 To be contained in; जगन्ति यस्यां सविकाशमासत Śi.1.23. -6 To abide, remain, continue or be in any state, be doing anything, last; oft. used with present participles to denote a continuous or uninterrupted action 継続的な、中断される事のない行為;

आस् ās: Prin. V. S. Apte's The practical Sanskrit-English Dictionary より

このआस् āsにこそ、『座る・坐る』という語義が乗っている事が良く分かる。そこには「継続的な妨げられる事のない静かな」というニュアンスが明確に示されており、ただ座る姿勢をとるだけに留まらない、より『意識的・精神的』な意義が見出せるだろう。それは私の眼には、すでに『瞑想』と重なり合って見える。

次にupāsana:ウパーサナ(同置)を見てみよう。

upāsana

n. the act of throwing off (arrows), exercise in archery 矢を放つ、弓術の実践.

f(ā-)n. the act of sitting or being near or at hand 座る、近くにいる.

f(ā-)n. serving, waiting upon, service, attendance, respect 仕える、待つ、侍る。etc. 

f(ā-)n. homage, adoration, worship 帰依、礼拝、崇拝。(with rāmānuja-s, consisting of five parts, viz. abhigamana- or approach, upādāna- or preparation of offering, ijyā- or oblation, svādhyāya- or recitation, and yoga- or devotion) etc. 

n. a seat .

n. the being intent on or engaged in.

n. domestic fire.

upāsana:Sanskrit Dictionary より

upāsanam:उपासनम्

उपासनम् ना 1 Service, serving, attendance, waiting upon 仕える、侍る、待つ; शीलं खलोपासनात् (विनश्यति); उपासनामेत्य पितुः स्म सृज्यते N.1.34; Pt.1.169; Ms.3.17; Bg.13.7; Y.3.156; Bh.2.42. -2 Engaging in, being intent on, performing 従事する、営む、没頭する、演ずる; संगीत˚ Mk.6; सन्ध्या˚ Ms.2.69. -3 Worship, respect, adoration. -4 Practice of archery 弓術の実践. -5 Regarding as, reflecting upon. -6 Religious meditation ~と見なす、熟考する、瞑想する. न कर्मसांख्ययोगोपासनादिभिः Mukti Up.1.1. -7 The sacred fire. वानप्रस्थो ब्रह्मचारी साग्निः सोपासनो व्रजेत्. Y.3.45. -8 Injuring, hurting; (fr. अस् 2). -Comp. -उपासना- खण्डः, N. of the first section of the Gaṇeśa Purāṇa.

upāsanam : Prin. V. S. Apte's The practical Sanskrit-English Dictionary より

ここでは、座る・坐るという原イメージと合わせて、より宗教実践的なニュアンスが顕在化してくる。それは信仰的な態度と共に、Regarding as, reflecting upon. -6 Religious meditation という説明を見れば分かるように、明確に『瞑想』に接近している(これらの英語は一般に瞑想を表す語の中でも代表的なDhyānaの訳語に該当する)。このRegarding asが日本語訳の同置と重なるものだろう。

このMeditationという説明と共に私が気になったのが、the act of throwing off (arrows), exercise in archery.と4 Practice of archeryだ。これはupāsの説明で出てきた13 To practise archery.(弓術の射的)に重なるものだ。

実はインド教の世界では伝統的に、この弓術の実践において的を射止めるという営為が、広く『アートマンブラフマンに至る』為の【瞑想実践】あるいは【サマーディ】の暗喩として用いられてきた、という事実がある。

ウパースやウパーサナの語義の中にその様な『弓術における射的』のイメージが存在する事は、この両語が瞑想実践と深く関るものとして伝統的に認識されていたひとつの証左ではないか私は考えている。

さらにこのウパーサナは、語義的にUpaāsanaに分けることが可能だ。下にこのāsanaを見てみよう。

āsana

n. (but āsan/a- ) sitting, sitting down.

n. sitting in peculiar posture according to the custom of devotees, (five or, in other places, even eighty-four postures are enumerated;See padmāsana-, bhadrāsana-, vajrāsana-, vīrāsana-, svastikāsana-:the manner of sitting forming part of the eightfold observances of ascetics)篤信者によって行われる特定の坐法ポーズ。5つあるいは84あるとも言われる。パドマーサナ、バドラーサナ、ヴァジラーサナ、ヴィラーサナ、などアシュタンガ(ヨーガ)を参照。

n. halting, stopping, encamping.

n. abiding, dwelling etc. .

n. seat, place, stool etc. .

n. the withers of an elephant, the part where the driver sits.象使いが座る象の背中の部分。

n. maintaining a post against an enemy.

āsana:Sanskrit Dictionary より

आसनम् āsanam

आसनम् [आस्-ल्युट्] 1 Sitting down. -2 A seat, place, stool; Bg.11.42; स वासवेनासनसन्निकृष्टम् Ku.3.2; -3 A particular posture or mode of sitting; 特定のポーズあるいは様式の坐法。cf. पद्म˚, वीर˚, भद्र˚, वज्र˚ パドマーサナ、ヴィーラーサナ、バドラーサナ、ヴァジュラーサナ。&c. cf. अनायासेन येन स्यादजस्रं ब्रह्मचिन्तनम् । आसनं तद् विजानीयाद् योगिनां सुखदायकम् ॥ -4 Sitting down or halting, stopping, encamping. -5 Abiding, dwelling; Ms.2.246; 6.59. -6 Any peculiar mode of sexual enjoyment (84 such āsanas are usually mentioned). -7 Maintaining a post against an enemy (opp. यानम्), -8 The front part of an elephant's body, withers. -9 Throwing (fr. अस् to throw). -11 Place where the elephant-rider sits,

आसनम् āsanam:Prin. V. S. Apte's The practical Sanskrit-English Dictionary より

私もこの時になって漸く気づいたのだが、ウパーサナ(同置)に含まれるāsanaはヨーガの坐法を意味するアーサナそのものであり、ウパースのアーサナ、あるいはウパのアーサナ、という複合語としてウパーサナを把握する事も可能なのだ。

そこでこれまで分析的に把握してきたそれぞれの語義をまとめて、ウパーサナについての全体像を概観すると、およそ以下のイメージが浮かび上がってくる。

尊敬や服従の念を持ちながら下から上を仰ぎ見る態度で、超越的な何ものかに近づき、接触し、感得する為に、非日常的な意識と集中を持って特定の坐法をとり静かに坐る(静止した『坐=アーサナ』の形の中で、それら超越者を念想する)

このように読み取る事も十分に可能だと私は思うのだが、いかがだろうか。

そしてそのような『坐の瞑想』を深める中で直観された真理こそが『アートマン』であり、更には『アートマンブラフマン』であり、その様にして獲得された真理の知識を『近座』の中で師匠から弟子へと言語化して伝えた『言葉の集成』こそがウパニシャッドであった、と考える事もできる。

つまり、定式化されたウパニシャッドという言葉には、アートマンorブラフマン等の超越者の下に坐る(瞑想してそれを感得する)という意味と、師匠の下に弟子が座って教えを受ける、という二つながらの意味が同時に含意されている、という事だ。

もちろん、今回引用した辞書に載っている語義と言うものは、現在入手可能な、という意味での一覧であって、その全てがブッダ以前の古ウパニシャッドの時代から存在したとは断言できない。つまりこれらの語義の内のいくつかは、ブッダ以降の後世において確立した可能性も否定できないだろう。

しかし、インド教全般に言える事だが、特に宗教的な文脈においては古式の伝統が変わらずに踏襲される傾向が強く、後世に付加された語義も、元々のニュアンスを忠実に踏まえた上で発展的に『加上』される、という視点を失うべきではない。

つまり、元々ウパニシャッドにおけるウパースやウパーサナという概念が、『坐の瞑想』という実践的なニュアンスを濃厚に持っていたからこそ、そこから分離された『アーサナ』と言う単語が、瞑想の坐法を意味するようになった、と言うように。

以上は、単なるアマチュア安楽椅子探偵が紡ぎ出した思索に過ぎず、専門家の充分な検証を待たなければならない。しかしウパニシャッドにおいてウパースやウパーサナという営為が極めて重要かつ象徴的な意味を持っていた事は何人も否定し得ないだろう。

この両語が全インド教における『瞑想実践史』という視程の中で再検証され再定義された時、ゴータマ・ブッダがそれらの中でどのようなポジションを締めていたのかが明らかになる。そう私は考えている。

端的に言えば、それは、

沙門ゴータマ・シッダールタブッダガヤの菩提樹下に結跏趺坐した、その行為こそが、すなわち【ウパーサナ】そのものであった可能性が高い

と言う事だ。

アタルヴァ・ヴェーダにはこうある。

偉大なる神的顕現(大宇宙の支柱スカンバ=ブラフマン)は、万有の中央にありて、熱力を発し水波の背に乗れり。

ありとあらゆる神々は、その中に依止す、あたかも枝梢が幹を取り巻きて相寄るごとくに。

世界文学大系〈第4〉インド集 アタルヴァ・ヴェーダ:スカンバ賛歌10-7-38 辻直四郎訳より

霊的な大樹の幹(みき)をブラフマンと見立てた時、四方八方に展開する枝葉・梢・樹冠は神々を含む現象世界となる。つまり霊大樹はその存在が全体として、ブラフマンという偉大なる支柱(スカンバ)とそれに支えられてそこから展開する現象世界を体現・象徴するものなのだ。

この場合、大樹の幹は大宇宙の車軸(つまりは大支柱スカンバ)としてのブラフマンでもあり、展開する枝梢・樹冠は『ブラフマ・チャクラ』としての車輪だと見ることもできるだろう。

古代インド・形象のアナロジー:脳と心とブッダの悟り 参照

どちらにしても、ブッダガヤの菩提樹下に結跏趺坐した時、彼、沙門シッダールタはいたずらに意味なく、あるいは単に日陰の涼を得る為にそこに坐った訳ではなかった、と言う事だ。

彼は菩提樹という霊大樹に対した時、明確にそれを『ブラフマン=真理』の象徴と深く認識・自覚した上で、その根元足元に下から仰ぐ形で近づき、触れて、坐って、静止して(正に【ウパ アース・アーサナ】!)、結跏禅定に入った。

つまり、第一に菩提樹ブラフマンが『念想・同置』され、さらにその世界霊大樹としての菩提樹と結跏趺坐する沙門シッダールタが、両者あたかも同化するかの様に『念想・同置』された。

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Pinterest より。ブッダガヤの菩提樹下で悟りを開いたブッダ

その様に考えた時に初めて、ウパニシャッド的な求道・探求の全き延長線上に沙門シッダールタを定位する事が可能になる。

それは同時に、ヴェーダバラモン教からウパニシャッド、そしてゴータマ・ブッダを経てヒンドゥ・ヨーガという、全インド教的な『ビッグ・ヒストリー』が、整合性ある一続きの流れの中に把握される事を意味するだろう。

(ここでひとつ注意しなければならないのは、悟りを開く『以前』のいち沙門シッダールタはウパニシャッド的な真理 =ブラフマンアートマンを求めて菩提樹下に坐ったのだが、しかし彼が最終的に到達した『答え』とは、微妙にしかし明確に、そのような文脈を『超越』していた、という点だ)

そこにおいて極めて重要な意味を持つのが、直接的に前回投稿内容と関連してくる『内なる祭祀』あるいは『内部化された火の祭祀』というコンセプトだ。

『内なる祭祀』について知る為には、まず、ヴェーダの祭式を成り立たせていた背景心象・世界観というものが、一体どのようなものであったのかを正確に理解する必要があるだろう。

次回、そもそもアーリア・ヴェーダの民にとって『祭祀』というものがどのような意味を持っていたのか、という地点から詳細に紐解いていきたい。

 

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身体の中の須弥山「輪軸」世界

大宇宙世界の中心車軸を万有の支柱スカンバとしてブラフマンに見立て、転変輪廻する現象界を車軸の周りで回転する車輪に見立てる。

「不動なる車軸(世界の支柱)をプルシャ=アートマンブラフマンと重ね合わせ、躍動する車輪を輪廻する現象世界プラクリティ=人間的(身体的)生存 =『心』と重ね合わせる基本的な思考の枠組み」

世界の車軸(支柱)としての『ブラフマン=至高神』 - 仏道修行のゼロポイント

実は仏教的な文脈の中にも、この様な輪軸の思想と造形は脈々と受け継がれている。
それが、須弥山(メール山)の世界観だ。

倶舎論によれば、大宇宙であるところの虚空にぽっかりと気体でできた風輪が、その大きさは文字通り宇宙大の広がりを持って浮かんでいる。その上に太陽の直径の六倍ほど、800万Kmを超える直径を持つ液体の水輪が浮かび、その上に同じ直径で固体の金輪が浮かんでいる。金輪の上は塩水の海によって満たされ、その周囲を囲むように鉄囲山が取り巻いている。

広大な海の中心には須弥山が聳え、その周りは七金山によって環状に囲まれている。その周囲にはやや離れて四つの島大陸があり、南側にある閻浮提(えんぶだい)が人間(古代インド人)の住む世界だ。

島の底は海中で金輪の表層とつながって、その金輪の地下深くに地獄界がある。須弥山には帝釈天(インドラ)や梵天ブラフマー)を始めとした神々が住み、その頂上周りを太陽(日天)と月(月天)が周回しているという。

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須弥山 三千大千世界の宇宙より

上の図版はネット上で見つけた大まかな概念図に過ぎないが、その基本的な輪郭が以前に紹介したシヴァ・リンガムや新幹線の輪軸と驚くほど似ている事が分かるだろう。

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新幹線の車軸と車輪を直立させたもの

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プーリー・ジャガンナートのラタ・ジャットラ、木製スポーク式車輪

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円輪の中心に車軸(リンガ)が屹立する

上の記事で紹介したように、リンガとはサーンキャ的なプルシャ=アートマンであり、究極的には宇宙万有の支柱と称えられたブラフマンに行きつく。その周囲に展開するヨーニはプラクリティ(現象世界=人間的日常世界)を含意している。

須弥山の場合も、四つの島を浮かべた金輪の海(人間の生活圏)とその中心にある須弥山(神々、究極的にはブラフマー神の住処)という構造が完全に重なり合っている以上、これは単なる形態の類似だけではなく、その思想的な起源をも同一にする、と考えるべきだろう。

このような須弥山(メール山)世界観、仏教の姉妹宗教とも言えるジャイナ教の寺院にも酷似する具象化された『モデル』として実在するので、下に紹介しよう。

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ジャイナ教のメール山(スメール)モデル。輪軸のイデアと形象を踏襲しているのは明らかだろう

ヴィジュアル的に見れば第一感、このメール山(須弥山)の世界観がシヴァ・リンガムと同じように、スカンバやブラフマ・チャクラなど、ヴェーダウパニシャッドに見られる輪軸世界観の延長線上にある事が容易に想定可能だろう。

繰り返して言うがそれはつまり、神(仏や神々)が住まう車軸としての須弥山(あるいは神【至高者】そのものとしての万有の支柱ブラフマン=プルシャ=アートマン)とその周りに展開する車輪としての現象世界(プラクリティ=日常的な人間世界)、という構図だ。

詳細は世界の中心にあって、それを展開せしめる須弥山|note

を参照

そして実は、ここが面白いところなのだが、インド思想には、人間を取り巻く外部環境世界を大宇宙マクロ・コスモスとし、人間の身体を小宇宙ミクロ・コスモスとして両者を重ね合わせ、アナロジーで『同置』すると言う思考の枠組みが存在する。

これは個我の本質であるアートマンが実はブラフマンと同一である、というウパニシャッドの思想とも深い関わりを持っている。

それが、ヨーガ・チャクラの身体観だ。

ヨーガの思想では、私たちの身体に重なるようにして目に見えない霊的微細身が存在するという。そこにはプラーナが流れる大小のナディ(脈管)が想定され、背骨と重なる中心的な脈管であるスシュムナー管に貫かれる形で、会陰部から頭頂部にかけて7つの霊的センター『チャクラ』が存在している。

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ヨーガ・チャクラ図。チャクラはその名前通り、本質的に体内の『車輪』だ

そして、このスシュムナー管の周りをらせん状にイダーとピンガラー管が取り巻いており、このイダーは月の回路を、ピンガラーは太陽の回路を意味し、中央のスシュムナー管はメール山に擬せられて『メール・ダンダ』と呼ばれている。これは体内に須弥山世界の構図がそのまま再現されている事を意味する。

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以上、books.google.co.jpより

In Sanskrit, the spine is meru danda; the mountain called Meru was the legendary axis of the earth.

サンスクリット語では脊柱をメール・ダンダという。メールと呼ばれる山は伝説的な地球の中心軸である。

The Axis Of Asana: Exploring the Spine • Yoga Basics

須弥山=メール山(万有の支柱=ブラフマン)がマクロ・コスモスの車軸であるならば、身体の中心にあってそれを支える背骨(重なり合うスシュムナー管)もまたミクロ・コスモスの車軸に他ならない。

世間に流布しているヨーガ・チャクラ図を見ると、各チャクラの円盤面が正面を向いて描かれる事がほとんどだ。そのため私たちはつい錯覚してしまうのだが、実は本来のチャクラは背骨(スシュムナー管)を車軸に見立てた時に車輪となるように、身体が直立した時に地面に対して水平になる形で存在している(それはリンガに対するヨーニの関係と同じだ)。

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スシュムナー管に貫かれたアナハタ・チャクラ。チャクラ(車輪)はその中心をスシュムナー管(車軸)に貫かれている。”Kundalini Yoga” by Swami Sivananda Radha より

その ‟構造的な” 関係性は、「スシュムナー管=リンガ=車軸」であり、「チャクラ=ヨーニ=車輪」になる。

ヴィジュアル的に見て、盤面を正面に向けた方が美しく分かり易いために、ヨーガ・チャクラは便宜的にこのように描かれるだけなのだ。これは上のアナハタ・チャクラ図を良く見れば、ひと目で確認できる事実だろう。

詳細は、チャクラ思想の核心8・身体の中心にあって、それを転回せしめるダンダ を参照

ヨーガ・チャクラはタントラ・シャクティの思想に根ざし、シヴァ・リンガムの造形・思想とも関わりが深いが、これらは時系列的に見ればすべてゴータマ・ブッダの時代から遥か後世に顕在化したものだ。

しかし、基本的な身体観である『身体の中には車軸と車輪が存在し、それはブラフマン輪軸世界観のミニチュア版である』という原型思想は、すでにシッダールタの時代には確立しており、それは医学・解剖学的な裏付けを元にした上で、シッダールタ自身も一般的な常識としてわきまえていた、そう私は考えている。

何故、そう言えるのか?

第一に、ブッダの時代にすでにメール山(須弥山)を中心とした世界観が確立していたことは、古層のパーリ経典の各所に直接「帝釈天(インドラ)や梵天ブラフマー)等神々の住まうメール山」という記述が存在する事からも明らかだろう。

そして、そもそも「世界は身体であり身体は世界である」という世界観が、ブッダの生まれるはるか以前、リグ・ヴェーダの時代にすでに存在し(黄金の胎児ヒラニヤガルバ、原巨人プルシャ)、連綿と受け継がれていた事から、ブッダの時代にこの両者が一体化した『小世界としての身体の中心にあるメール山』という身体観が存在したと見るのはごく自然な流れだからだ。

これを本ブログの趣旨に沿って、現在可能な限りの範囲で言語化すると、以下のようになる。

「解剖学的な知見を前提に、背骨を身中の支柱=須弥山(スカンバ=メール・ダンダ)に見立てた上で、骨盤(および下肢)を大地の車輪に、頭蓋骨(頭頂部)を天上界の車輪に重ねる輪軸身体観」

「身体各所を水平に『輪切り』にした時に現れる解剖学的構造において、肉身を車輪と見、その中心に当たる背骨(含む脊髄)を車軸と見る身体観と、更に並行して、輪切りにした肉身の中心近傍に存在する『空処』を、車軸の通る『軸穴』と見立てる身体観」

(この点に関しては非常にニュアンスが複雑微妙なので、今後より詳細を詰める予定) 

これが、本ブログの論考、その骨格を支える二つ目の前提仮説になる。

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Human Skeleton Spineより。背骨は車軸であり、頭蓋と骨盤の天地両界を分かち支える(身体万有の支柱)

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Chariots wheel getting ready for Puri Rath Yatra - Galleryより

輪軸を垂直に立てると『マクロ・コスモス=大宇宙・世界』になり『ミクロ・コスモス=身体』になる 

もちろんこの身体観は、これまでの投稿で触れた「静的な車軸と動的な車輪」というラタ戦車の原風景から、「静的なプルシャ=アートマンと、動的なプラクリティ=輪廻する現象世界」という原サーンキャ的な思想、さらに世界の中心に須弥山が聳え立ち、その山頂にブラフマー梵天)が住まうと言う世界観、そして前回投稿した『車輪の軸穴の良し悪しが《スカとドゥッカ》の原像となっている事実』などと、その思想基盤を共有する対応関係にある。

次回以降、この特殊インド的な輪軸思想を核心に据えた『身体=世界』という心象風景について、ヒンドゥー・ヨーガのクンダリーニ思想とその実践を手掛かりに、考察を深めていきたい。

そこで重要になって来る概念が『内なる火の祭祀』に他ならない。

(本投稿は脳と心とブッダの悟り: 身体の中の須弥山世界 を大幅に加筆・修正の上移転したものです)

 

 

 

 

スカとドゥッカの原風景

スカとドゥッカの原風景

私はこれまで様々な事例を挙げて、古代インドにおいていかにチャクラ(車輪)と言うものが重要な意味を持っていたかについて語ってきた。

そのチャクラ思想の起源は、インド・アーリア人の祖である、スポーク式車輪を世界で最初に開発した人々の思想・文化にまで遡り、その痕跡はアルカイムなどシンタシュタ文化の遺跡にも明確に残っていた。 

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紀元前1600年頃~アルカイムのチャクラ・シティ再現図。中心車軸は祭場か

今回紹介するのは、そんなチャクラ(車輪)の民であるインド・アーリア人の面目躍如とも言える事実であり、同時に、車輪と言うものが古代インドの思想においていかに決定的な意味を持っていたかを証明するものと言えるだろう。

仏教について興味があり、特に原始仏教あるいはテーラワーダ仏教やそのパーリ経典について少しでも勉強したことのある人なら、常識として知っているだろう重要な言葉がある。

それはスカ(Sukha)とドゥッカ(Dukkha)というパーリ語の単語だ。これはサンスクリット語だと若干綴りや発音が違ってくるが、ここでは煩雑になるので双方共にスカとドゥッカで統一したい。

ドゥッカは苦を意味する。それは生老病死苦の苦であり、四聖諦の苦でもあり、四苦八苦の苦であり、輪廻する生存の苦でもある。それはあらゆる意味で仏教の根底にあるキー・コンセプトであり、ブッダの教えとは、正にいかにしてこのドゥッカから解放されるか、という事に尽きるだろう。

スカはドゥッカの反対語で幸福や安楽を意味する。スッタニパータのメッタ・スッタ(慈経)にある、「一切の生きとし生けるものよ、幸福であれ、安泰であれ、安楽であれ」などの幸福、安楽がそれであるし、「ものごとを知って実践しつつ真理を了解した人は安楽を得る」の安楽がそれである。

同じスッタニパータには、
「他の人々が『安楽(スカ)』であると称するものを、諸々の聖者は『苦悩(ドゥッカ)』であると言う。他の人々が『苦悩』であると称するものを、諸々の聖者は『安楽』であると知る。」(以上中村元訳)
という表現もある。

このスカと言う言葉は、後の大乗的文脈においては極楽(スカ・ヴァーティ)を意味するようになる。

そして実は、このスカとドゥッカと言う言葉は、語源的に見るとラタ車の車輪と密接に関わっていた。

モニエル・ウィリアムス(Monier-Williams,1819–1899)のサンスクリット語辞典によれば、スカの本来の語感は「良い軸穴を持つ(車輪)」に起源する。構造的には、Suが良い、完全な、を意味し、Khaが穴、あるいは空いたスペースを意味する。

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モニエル・ウィリアムスのサンスクリット語辞典 Sukha:Having a good axle-hole

この事実にパーリ語辞典などの内容を合わせて解説すると、

「良く完全に作られた軸穴を持った車輪と言う原義が、そのような車輪のスムースかつ円満な回転を含意し、更にそのようなスムースに回転する車輪を付けたラタ車の乗り心地の良さ、その安楽さ、心地よさを意味するようになり、更にそれが安楽や幸福、そして満足を意味する一般名詞へと転じていった」

という事の様だ。

ドゥッカの場合はこの反対語で、Duhは悪しく、不完全な、という意味を持つ。

これもまた、悪しく不完全に作られた軸穴を持った車輪、と言う原義から派生して、その様な車輪のガタガタとした不具合、不完全な回転、更にその不完全な車輪を付けたラタ車の不快な、心地の悪い、苦痛に満ちた不満足な乗り心地を意味するようになり、それが転じて、苦や苦痛、そして不満足からくる苦悩を表す一般名詞へと転じていったと考えられる。

このモニエル・ウィリアムスというインド生まれのイギリス人は、オックスフォード大学の教授でサンスクリット学の泰斗であり、彼の辞書は現在に至るまでもっとも普及していると言う。おそらくて現行のほとんど全ての辞書は彼の知見の影響を大きく受けていると考えられる。現代最先端のサンスクリット学がどのような認識を持つのかは分からないが、そのソースとしての信頼性は極めて高いと言えるだろう。

以前にも書いた事だが、ラタ車が履いたスポーク式車輪と言うものは、リムとスポークとハブというパーツをそれぞれ別々に加工して、それらを精緻に組み合わせて作り上げる。

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現在進行形で使われている進化した木製車輪。これは貨物の牛車用。ハブ枠と軸穴、そしてタイヤには鉄が使用されている。車軸も鉄

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仕上げのペイントを施す職人。6分割されたリムに2本ずつ計12本のスポークが配されている

そこにおいて最も重要なのは、外縁リム(タイヤ)の真円性と軸穴の中心性だ。それを実現するためには数学的物理学的な知性と、精巧な加工組み立てを可能にする高度な技術が求められるだろう。

もうひとつ重要なのが、軸穴と車軸が組み合わされる、その適合状態だ。まず両者の形がどちらも真円に近く、しっくりと合わなければいけない。しかしぴったりと隙間なくフィットしすぎたら摩擦が強すぎるし、逆に隙間がありすぎたら振動の原因になる(この隙間にはグリースが塗られる)。

これらのバランスが最高レベルで達成される絶妙な調整具合というものが、職人技として追及された事だろう。

(古代における車輪のパーツがどこまで木でどこまで金属だったか、今のところ残念ながらデータがない)

そのような優れた職人によって、良く完全に組み立てられた車輪の乗り心地の良さがスカであり、劣った職人によって作られた、あるいは経年劣化や事故によって悪しく不完全になった車輪の、その乗り心地の悪さがドゥッカの原風景だったのだ。

この新たな知見によって、私たちは二つの事実を明確に認識する事ができる。

ひとつは、私がこれまでくどいほど繰り返してきた、

「古代インド人の日常的な心象風景の中で、如何にラタ車とその車輪というものが重要な存在であったか」

という点が、かなりの程度裏付けられた事だ。

もうひとつは、スカとドゥッカ、中でもドゥッカという、仏教的な文脈の中で最も重要な意味を持つ概念が、正にこの回転する車輪という事物と、密接に関わっていたと言う事実だ。

スカとドゥッカという概念は、ラタ車と深く深く関わりを持ったアーリア人の生活の中から、なかんずくその車輪の回転の中から、生まれ出たのだった。

もちろん、この様なニュアンスを、ゴータマ・シッダールタはおそらく一般常識として知っていたのだろう。彼がドゥッカと言うとき、その背後には、悪しく不完全に作られた車輪のガタガタとした不快な回転、というイメージが明確に存在していた可能性が極めて高い。

そしてこれは仏教だけにはとどまらない。この『ドゥッカ=苦』という概念とそこからの解放というパラダイムは、すべてのインド思想において普遍的に共有されているからだ。それは何よりも、苦である輪廻からの解脱、という言葉によって表されるだろう。

あらゆるインド思想は、正に回転する車輪の中から生みだされた。そう言ったら、言い過ぎだろうか。

この、苦である輪廻からの解脱、その発端である『苦(ドゥッカ)』の認識が、車輪という存在と密接に関わり合うと言う事実は、これまで本ブログで展開してきた様々な輪軸のアナロジー仮説に対しても、強力な支援材料となる。

「ドゥッカ=悪しく不完全に作られた車輪」

という認識が、仏教をはじめとしたインド思想を理解するうえで、そしてそこにおける輪軸のアナロジーを理解する上で、如何に有効なツールになるか、これから追々と明らかになっていくはずだ。 

 

ブッダの時代と私たちの現在

仏教だけではなく、あらゆるインド教に普遍的な『苦なる輪廻からの解脱』というパラダイム。このパラダイムにおいて、そもそものスタート地点である、生存は苦であると言う『ドゥッカ(苦)』の自覚。

このインド思想において最も重要なドゥッカという概念、その語感の根幹には車輪という事物が深く関わっていた。

同時にこの苦なる『輪廻』という概念もまた、車輪という事物と深く関わっている事は、その語意によく現れているだろう。

輪廻の原語であるサンサーラとは、語義的には途切れる事のない流れを意味する様だが、すでにそこには循環というニュアンスが否応もなく含まれている。

それが一方から他方への直線的な流れならば、いつかは終わるだろう。しかしそれが終わりと始まりが連接しているループであるならば、それは無限循環を繰り返す。あたかも終わりなき車輪の回転の様に。

輪廻思想のごく初期段階において、輪廻のループと車輪の回転はサンサーラ・チャクラとして重ね合されていたのだろう。そこには無限に回転し続ける苦なる輪廻の車輪という共通認識があった。

先の考察も重ね合わせて言えば、

「ドゥッカ=悪しく不完全に作られた車輪」が永遠に回転し続ける事こそが、逃れる事の出来ない『存在苦』である。

という事になる。正に永劫苦の輪廻だ。

そこから生まれたのが、前回も紹介したチベット仏教に伝わる‘BHAVA CHAKRA’すなわち、生存の車輪=六道輪廻図だ。

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チベット仏教に伝わる六道輪廻図

そこには悪魔に抱えられた巨大な車輪がスポークによって6分割され、上の半分に天界、人間界、阿修羅界が、下の半分に畜生界、餓鬼界、地獄界が描かれている。

ここに露わになる思想とは、正に現象界という輪廻の車輪が回転する事によって苦がもたらされると言う事であり、この輪廻の車輪とは、そもそもの初めからこのように『不完全に悪しく作られている』という冷徹なまでの認識に他ならない。

しかし、インド思想の原風景であるリグ・ヴェーダにおいて、そもそも回転する車輪とは、侵略するアーリア人に対して富をもたらすスカ(喜び、幸福)の車輪であったはずだ。それが何故、ドゥッカ(苦)である輪廻の車輪という、対照的なネガティヴィティの象徴にまで落ちてしまったのだろうか。

そしてもうひとつ、前回も指摘したように、この六道輪廻図を生み出した仏教思想のそもそもの原風景において、彼らは聖なる法の車輪=ダルマ・チャクラというシンボリズムを生み出している。

何故同じ仏教という文脈の中で、同じ車輪という事物が聖と俗、楽(解脱)と苦(迷い)という対立する両極を同時に表しうるのだろうか。

キリスト教において、神=キリストの救済や天国を象徴する十字架が、同時に悪魔の俗悪性や地獄を象徴するなどという事がありうるだろうか。イスラム教において、神の救済や天国を象徴するコーランが、同時に悪魔や地獄を象徴するなどという事がありうるだろうか。

仏教における車輪が、聖と俗を、楽と苦を、同時に象徴しうるというこの事実は、一体何を意味するのだろうか。

私は、このネガティヴィティを象徴する苦の車輪というイメージの創造において、アーリア人に征服されたインド先住民の思想が大きく関わっていたと考えている。

物事というのは常に相対的に考えなければならない。一枚のコインには表があると同時に裏もある。インド・アーリア人カイバル峠を越えて亜大陸に侵入し、ダーサの民を殺戮し、征服しその富を略奪し、勝利する自らの姿をインドラ神に仮託して称賛していた正にその時、侵略され殺戮され征服され略奪されたダーサの原住民は何を思っていた事だろう。

インド・アーリア人にとって武威と神威を象徴するスカ(幸福)の車輪だったその同じ車輪は、ダーサの先住民にとっては正に恐怖と絶望と悲しみと苦悩を象徴するドゥッカの車輪ではなかっただろうか。

以前私は、アーリア人の侵入以降のインドの歴史を、西欧人による大航海時代以降の世界史と重ね合わせて見るという視点を提示した。

コロンブスによって発見された新大陸アメリカは、その後スペイン王国に巨万の富をもたらした。インカやマヤの財宝はことごとくヨーロッパ大陸に持ち去られ、新規開拓された金銀山からは、更なる富が収奪され、ヨーロッパ世界を富み肥やしていった。正にスペイン無敵艦隊、黄金時代の到来だった。

しかし、そこにおいてスペイン人にインディオと名付けられた先住民達は、同じ時同じ場を共有しながら、対極的な別世界を経験していた。それは侵略され殺戮され略奪され奴隷化され、差別され収奪され続ける暗黒時代の始まりだったのだ。

同じ事が、紀元前1500年以降のインド史においても当てはまるだろう。ダーサという名に象徴される先住民にとって、アーリア人の定住と拡散は、正に恐怖の暗黒時代の始まりだったのだ。アーリア人が誇らしげに駆り立てるラタ戦車の車輪は、先住民にとってはドゥッカ(苦悩)の車輪以外何ものでもなかっただろう。

やがて勝者アーリア人は、自らの欲望を最大限に実現するためにヴァルナの氏姓カースト制度を確立し、先住民たちは最下層のシュードラとして隷従を強いられるようになった。

シュードラの眼には、支配者であるバラモンが祀る神々はどのように映っただろうか。支配者である王族が享受する豪奢な生活はどのように映っただろうか。

一般にアーリア人のインド侵入と一言で片づけられているが、その背後にはおびただしい血と汗と涙と、凄まじいまでの社会変動が伴っていた。勝者と敗者という対置を基軸とした経験の両極性というものが、その後のインド世界に長く尾を引いた事だろう。

そこで常に脚光を浴び続けたのは、勝者の視点だった。それはアメリカという国の歴史が常に勝者である西欧移民の視点から語られ、アメリカン・ドリームという言葉で象徴されるのと同じ原理なのだ。

白人たちの夢を乗せた新世界アメリカ。その背後に黒人奴隷と先住民インディアンたちのおびただしい血と汗と涙が流された事実に目を向ける者は少ない。

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首枷をはめられ市場へと売りに出される黒人奴隷

kunta.nomaki.jp

しかしコロンブスによる新大陸アメリカの発見から500年が過ぎた今、世界情勢はどうなっているだろうか。インカやマヤを攻め滅ぼして無敵艦隊を誇ったスペインは、今やユーロのお荷物と言われるまでに没落した。

アメリカへと移民を輩出し、奴隷売買を基軸とした三角貿易によって七つの海の覇者に成り上がったイギリスもまた、ほとんど全ての植民地を失い、英国病とまで言われるほどに落ちぶれ、陽の沈まない帝国と称賛されたかつての栄光を思い起こさせるものは、大英博物館くらいだろう。

最近ではユーロ離脱やスコットランドの分離独立騒動など、欧州の問題児ぶりを十全に発揮してくれている。

そしてアメリカもまた、かつてのWASPの帝国も今は昔、黒人奴隷は解放され、その後は公民権を得て、今や大統領は黒人とのハーフになった。ビジネス、科学、国家官僚など諸分野において、非ワスプが要職を占める割合は急増し、インターレーシャル・マリッジと呼ばれる異人種婚が急増しているとも言う。

そんな中、貧困に追いやられたWASPの中間層が、雪崩を打って過去の栄光を取り戻そうと足掻いているのが、現在進行形の大統領選挙におけるトランプ氏の大躍進や、繰り返される白人警官による黒人の射殺事件に他ならない。

反対に、奴隷の子孫であるアメリカ黒人の文化は、今やヒップホップなどの形で世界中の若者文化を席巻している。あの強靭な生命力に裏付けられたクールさは、『格好がいい』という事の代名詞にすらなって、世界中で憧憬され模倣されているのだ。

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Flexin2アルバム・カバーより。今や時代はBlack is GREAT ! yo, yo, man !

一方で、かつて白人によって駆逐されたアメリカ先住民の文化思想は、反戦意識や地球環境問題の顕在化によって新たに持続可能な共生の思想としてクローズアップされ始めている。

同じように、大英帝国によって徹底的に収奪されたインドはマハトマ・ガンディという思想界の巨星を生み出し、その生きざまは反アパルトヘイトマンデラ師や公民権運動のキング牧師に多大なる影響を与え、世界の人権意識を大いに高めた。

国際関係に目を転ずれば、世界の警察・ユニラテラル主義のアメリカによって先導されたグローバリズムは翳りを見せ始め、今や次期超大国候補は、かつて西欧によって発見され収奪された国々、すなわちインドや中国やブラジルなどが主流を占めるようになった。

同じような社会変動が、多かれ少なかれ古代インドにおいても起こったのではないかと私は考えている。つまり侵略した勝者であったアーリア人の衰退と、混血や先住民文化の急速な台頭だ。

ブッダの時代、アーリアの純潔を標榜するデリー周辺のバラモン文化圏は衰退の兆しを見せ、先住民や混血文化を中心にしたガンジス川下流域の都市文化圏は著しい興隆を見せ始めていた。

そこにおいてアーリア・バラモン主導のヴェーダ祭祀は批判の矢面にさらされ、残酷な動物供儀を伴った形骸化した祈祷から人心は離れ、新たにサマナと呼ばれる求道的真理の探究者たちが人々の熱い期待と支持を集めていた。

アーリア人が無邪気に神に祈り貪った現世利益は、その宗教における至上性を、現世を超えた魂の完全なる救済、すなわち解脱へと奪われていった。

その背後には、この世界で誰かがスカ(幸福、富、栄光)を貪れば、その裏では必ず誰かがドゥッカ(苦悩、貧困、絶望)を強いられる、という先住民の魂からの叫びがなかっただろうか。

アーリア人がインドに侵入したのが紀元前1500年頃と考えて、ブッダの時代はそのおよそ1000年後にあたる。変化のスピードを考慮してこの1000年を近現代世界史の500年と重ね合わせたなら、ブッダの時代とはまさしく私たちにとっての『現在』であり、私たちの現在とは正にブッダの時代に相当しないだろうか。

この様な視点を作業仮説として採用する事によって、ブッダの生きた時代の息吹というものが、ありありとリアルに再構成されるのではないかと私は思う。それは同時に、私たちの現在が、今後どのような歴史展開を見せるだろうかという『先見』においても、重要な示唆を与えてくれるだろう。

(もちろん全てがまったく同じなどという事ではない。しかし人の心や社会がどのように移ろいゆくのかという原理の普遍において、二つの時代と歴史を重ね合わせるメリットは少なからずある)

それが、私がこの様なブログを書くに至った、ひとつの本質的な動機となっている。

やがて西暦紀元前後を境にアーリア・ヴェーダ最高神インドラはその威光を失い、先住民に由来するシヴァ・ルドラやクリシュナ・ヴィシュヌがブッダと並ぶ『至高者』として表舞台に顕在化していく。

その時、シヴァやヴィシュヌは、かつてインドラが『車軸の様に天地両界を分かち支えた』という原イメージを完全に簒奪した『万有の支柱スカンバ』として、これもアーリア・ヴェーダウパニシャッド)に由来する『絶対者ブラフマン』という概念をも併せ持った至高神へと昇り詰めるのだった。

実はこのような先住民系による支配者アーリア人に対するカウンター運動、歴史的に見てその口火を切った者こそが、ゴータマ・ブッダに他ならないと私は考えている。

彼がアーリア系であったのか、あるいは先住民系であったのかは論議の分かれるところだが、雲南省からアッサム、そしてネパールにかけての山岳丘陵部から南下してきた、水田稲作農耕を営むモンゴロイド系の先住民だと考えるのが、様々なデータから見て一番妥当だろう(あるいは先住モンゴロイドアーリア人の混血)。

彼自身がアーリア系であるか先住民系であるかはともかく、彼の思想が紛れもなく反バラモン・親先住民の側に立っていた事だけは間違いない。

それはヴェーダを奉ずるアーリア人バラモン教、その祭式万能主義に対する澎湃たるアンチテーゼとして台頭したサマナ・ムーブメントにおいて彼が出家し成道したという史実をはじめ、パーリ経典などの文言によっても十分に裏付けられるものだ。

アーリア・ヴェーダの文化に圧倒的に支配されている中で、その精髄ともいえるバラモン教祭祀に対して徹底的にNOを突き付けたブッダの立ち位置。

この特殊古代インド的な輻輳した社会状況を理解することによって、ブッダの言葉の『真意』が浮かび上がってくる。そのように私は感じている。

今回前半で紹介した、「スカとドゥッカという言葉が、車輪やその『軸穴』と深い関わりを持っている」という事実は、より深いレベルで仏教における『輪廻観』や更には『瞑想実践』とも直接的につながりを持っている。

次回以降はその輪軸世界観と「『輪軸身体観』が交わる地平」について、突っ込んで考えていきたいと思う。

(本投稿は 脳と心とブッダの悟り: スカとドゥッカの原風景 と 脳と心とブッダの悟り: ブッダの時代と私たちの現在 を統合・修正の上移転したものです)