仏道修行のゼロポイント

ゴータマ・ブッダの原像とヒンドゥ・ヨーガ

チャクラ思想の2大源流とその展開

インドにおけるチャクラ思想の真実を求めて旅を続けた私は、やがて2つの源流にたどり着いた。ひとつは紀元前1500年に北西インドに侵入した、侵略者インド・アーリア人の文化的伝統であり、もうひとつは紀元前2200年ごろその最盛期を迎えた、インダス文明の伝統だった。

アーリア人とは、紀元前2500年ごろ東ヨーロッパ、現在のウクライナ周辺に勃興した民族集団だ。大平原に遊牧を主とした生計を営んでいた彼らは、やがて紀元前2000年ごろ、木製スポーク式車輪を世界で初めて開発した。

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スポーク式車輪を創造したと言われるAndronovoのSintashta-Petrovka Proto-Indo-Iranian文化(ピンク色)

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木製スポーク式車輪を履いたラタ戦車(チャリオット)の時系列的広がり

Chariot - Wikipedia, the free encyclopediaより

木製スポーク式車輪の開発、と言われても現代人はあまりピンとこないかも知れない。

それ以前に普及していたのは、木の板を張り合わせて作った鈍重な車輪だった。これはバーベルのウエイトに当たる鉄の円盤を思い浮かべてもらえばいい。木の板を何枚も張り合わせてあの形を作り上げた様な車輪しかそれまではなかったのだ。

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現在でも南インドで祭りの山車に使われている非スポーク式張り合わせ車輪。ウドゥピ、カルナータカ州

この合板製車輪、基本的に弾性に乏しくシヨック・アブソーバーとしての働きが欠けている。また頑丈にするためにはどうしても一定以上の厚みを必要とし、必然的に直径に比べて重すぎる欠点があった。

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現在でも中・北インドで現役で使われている木製スポーク式車輪。6か所に入れられた切込みによってたわみが生じ、クッションの役割を果たす

それに対してスポーク式は、それらの欠点を解消した高機能かつ革新的なハイテクノロジーだった。そのハイテク車輪を履かせたラタ戦車を馬に引かせ、その圧倒的な機動力の優位によって、彼らは西ヨーロッパ、地中海世界中央アジアへと進出していった。

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二頭の馬に引かれた戦車に乗る古代エジプトのラムセス2世。出典元サイト

車輪システムはより洗練されているが、ラタ戦車の原像を良くとどめている。

中央アジアを東進したアーリア人は、やがて現在のイランにその一派が定着し、さらに東の果てまで進み、カイバル峠を越えてインド亜大陸に侵入した。このインドまでたどり着いた集団を、便宜的にインド・アーリア人と呼ぶ。彼らはヴェーダの祭式を重んじる、極めて宗教的な部族集団であった。

ラタ戦車の圧倒的な武威によって西ユーラシアを席巻した彼らにとって、その威力の中心であるスポーク式車輪は、偉大なる転輪武王の象徴であると同時に、神々の神威をも象徴するシンボルとなった。

この点に関してはチャクラの国のエクササイズ・チャクラ意識の源流1以下を参照して欲しい。

リグ・ヴェーダに収められた1028の賛歌の内、インドラに捧げられたものは実にその4分の1を占めている。彼は馬に牽かれたラタ戦車を駆り、先住民の肌の黒いダーサ(ダスユ)を征服し、その富をアーリア人に分け与える軍神として、また、ヴァジュラ(金剛杵)によって蛇の悪魔を殺し、閉じ込められた川の水を開放する雷神として讃えられている。

『ダーサ(黒色)の原住民を屈服せしめ、消滅せしめたる彼、勝ち誇る賭博者のごとく、勝利を博して、賭物たる部外者の豊かな財産を収得したる彼、彼は、人々よ、インドラなり。』(辻直四郎訳)

リグ・ヴェーダが成立したBC1500年前後、それはちょうどアーリア人インダス川の流域に侵入した時期と重なっている。軍神としてのインドラは、侵略するアーリア人の自己賞賛を投影したものと言えるだろう。また、蛇殺しと閉ざされた水の開放は、大規模な農耕を知らなかった遊牧民アーリア人が、灌漑農業を行う先住民の町を破壊し、水源である豊かな森を切り開いて定住していったプロセスとの関連が考えられる。

このアーリア人の侵略の原動力になったのが、高性能のラタ戦車だったのだ。実はインダス文明の末裔であり、農耕民である先住民は、ある意味、遊牧のアーリア人より遥かに高い文化レベルを誇っていた。けれどこと武力においては彼我の関係が逆転する。アーリア人は戦争の達人だったのだ。

高い機動力を持つラタ戦車とそこから速射される弓矢、という見たこともない斬新な戦術に、先住民はほとんど抵抗のすべもなくアーリア人に征服されてしまう。やがて彼らは、被支配者としてヴァルナのシステムの最底辺に、隷属階級シュードラとして位置づけられていった。

以上、チャクラの国のエクササイズ:進撃する軍神インドラとラタ戦車より

ナットドワラやプーリーではクリシュナとして祀られ、世界の維持を司るというヴィシュヌ神。それは色が黒く、四本の手にそれぞれ棍棒(ガダー、もしくはダンダ)とほら貝(シャンク)と車輪(スダルシャン・チャクラ)と蓮華(パドマ)を持ち、ガルーダという神的鷹に乗り、ヴァイクンタという天上の国にラクシュミ女神を伴侶として住まうという。そして、悪が栄え世の秩序が乱れた時にアヴァターラ(化身)の姿をとって降臨するや、スダルシャン・チャクラを投じて悪を滅ぼすのだ。

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左手にチャクラ(車輪)を持ちヨーガ・ナラヤナの瞑想ポーズをとるヴィシュヌ神

以上、インド思想の核心『チャクラ意識』とは何か?より

ここで重要なのは、ラタ戦車に使われていた車輪のスポーク本数が、(おそらくは)6本であった事だろう。6本スポークの車輪は、正にアーリア人の神威を象徴するシンボルだったのだ。

それはチャクラ思想のもうひとつの源流、紀元前2500年頃から栄えはじめ、紀元前1700頃に忽然と滅びた、インダス文明の聖なるシンボルと”偶然にも”符合するものだった。

インド・アーリア人亜大陸に侵入する遥か以前から繁栄していたインダス文明は、メソポタミアなど地中海世界周辺の文明圏とも交易を通じて深く結びついていた。しかし、遺跡からは巨大な軍事力を想起させるようなものが発見されておらず、その文化の実態については未だ謎に包まれている。

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発掘された瞑想するヨーギの印章。シヴァ神パシュパティナートの原像か

しかし、インダス・シールと呼ばれる石製の印章に刻まれた様々なデザインによって、彼らが瞑想実践を中心に据えた極めて宗教的な人々であった事が推定されている。その彼らの神性を表すシンボルが、これは『神』の悪戯としか思えないのだが、6本スポーク車輪を思わせる、図形だったのだ。これは分かりやすく言うと、6Pチーズのデザインを単純に線描した形になる。

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印章に刻まれたチャクラ・シンボル。NHKスペシャルインダス文明」より

このチャクラ文字は、近年発掘が進むドーラヴィーラの遺跡においても、神殿と思しき施設のゲートに掲げられた世界最古とも言われる看板に、複数個刻まれていた事によって一躍注目を浴びた。

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ドーラヴィーラのサインボード。Dholavira - Wikipedia, the free encyclopediaより

このチャクラ・シンボルはインダス文明崩壊後も瞑想ヨーガと共にインドの先住民に連綿と継承され、紀元前1500年のアーリア人侵入に伴ってもたらされたラタ戦車の車輪と重なり合って、ここにインド神聖チャクラ思想の基盤が確立した。そのように私は考えている。

この間の詳細についてはチャクラの国のエクササイズ:インダスの印章と「チャクラ文字」を参照。

各地のインダス文明遺跡からは凍石で作られた印章が多数発掘された。これは商人が積荷などの封印として蜜蝋や粘土に押していたと考えられている。押印は呪術的な意味を持ち、その印面には瞑想するヨーギ(行者)の姿やいくつかの動物が彫られている。

それらと並んで様々な象形文字も刻まれていたが、その中に、6本スポークの車輪と見まがうデザインがあったのだ。このシンボルは、近年発掘が進んでいるグジャラート州のドラヴィーラ遺跡においても大量に発見され、他のデザインとは本質的に異なった聖なる印である可能性が高いという。

その一見車輪に見えるデザインは、しかし車輪であるはずはなかった。何故なら、それが作られた紀元前2000年代には、まだこの地域にスポーク式車輪は現れていないからだ。発見された遺物によって、彼らが板を張り合わせた円盤状の車輪を使っていた事が分かっている。しかもまだ馬は普及しておらず、車を引いたのは牛であり、その用途も荷車が中心だった。

博物館で立ちすくみながら、私はしばらく、その形を見つめ続けた。それは何故か、私の心の琴線に触れる物だったのだ。

~中略~

そう、これは瞑想の深みにおいてヨーギに訪れる、チャクラ・ヴィジョンの刻印に違いない。私はそう直感した。考古学者によると、インダスの都市遺跡には特権階級による専制支配の痕跡が見当たらず、武器も貧弱なものしか発見されていないという。強大な権力を持つ王のような求心力が不在な中、どのようにしてこれだけの文明が維持されたのかが大きな謎だったのだ。

恐らく、当時インダス文明において、宗教的行者(ヨーギ)の存在が特別な力を持っていたのではないだろうか。そして日本の邪馬台国のように、霊的な素質を持った少数の神官の霊力によって社会が統治されていたとしたら・・・

その後の印章文字の研究によって、インダス文明を担ったのはドラヴィダ人だというのが最も有力な仮説となっている。恐らく、彼らは優れて宗教的な資質に恵まれていたのだろう。それは現在のタミル世界にも色濃く残っている。そしてインダス文明が気候変動などで衰退に向かったまさにその時に、武力の権化であるアーリア人が、ラタ戦車の車輪を駆って怒涛のように攻め込んで来たのだ。

その時、その地軸を揺るがすような轟音をたてて疾駆する戦車を目の当たりにした時、先住民は何を思っただろうか。その車輪が、まさに神的ヴィジョンと同じ形をしていたとしたら・・・

ひょっとして彼らは、ラタ戦車に乗るアーリア人を『神』だと思ったのではないか。奔馬に引かれ、轟音を上げて大地を疾駆する高速機動戦車とそのスポーク式車輪。初めてそれを目の当たりにする彼らにとって、その動きは、その働きは、正に神速そのものと映ったのではないのか。

それはちょうど、馬に騎乗したスペイン人侵略者を見て、神だと錯覚したインカの人々と、同じではなかったろうか。

チャクラの国のエクササイズ:インダスの印章と「チャクラ文字」より

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現在でもインド全土で愛用されている最もシンプルな六葉の聖吉祥文様。その形はインダスのチャクラ・シンボルと重なり合う

私はインド各地を取材して歩いて多くの寺院や遺跡、町や村々を訪ね歩いて気付いたのだが、インド亜大陸において遍く共有されている最も基本的な吉祥文様に、上の写真に見られるようなシンプルな六葉の円輪デザインがある。

これこそがインド・アーリア人が携えてきた武威の象徴としての車輪と、インダス文明期に由来する先住民のチャクラ文字が融合した所に生まれた『聖チャクラ』の原像だと私は考えている。

その後インド世界の宗教思想はこの聖チャクラの原像を起点にして、正に万華鏡的な展開を見せていく。そこで重要になるのが、車軸と車輪だ。

ラタ戦車の車輪を構成するパーツは大きく二つに分ける事ができる。車台に固定された不動の車軸と、その車軸にはまる事によってスムースな回転を得て躍動する車輪だ。

実はこの車軸と車輪というセットこそが、常に合い携えてインド思想の基盤をなしてきた。これがこれまでの研究の結果、私が辿り着いた中心仮説だ。

そして勿論、正にこの輪軸の思想こそが、ブッダの悟りとそれをもたらした瞑想法の『発見プロセス』とも密接に関わっていた。これが本ブログの論述を支える、最も重要な仮説のひとつとなる。

この様なチャクラ思想の原像は、ゴータマ・シッダールタ在世当時も、様々なヴェーダを始め日常生活の隅々にまで、知識階級や修行者たちの間では背景心象としてすでに浸透していた。シッダールタは正に聖チャクラ思想のただ中に生まれ、育ち、修行し、悟りを開いたのだ。

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南インドのアマラヴァティの仏教遺跡で発掘された蓮華の車輪

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オリッサ州のコナーラク太陽寺院のシンボリックな巨大車輪

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ヨーガ・チャクラ図。六芒星は六葉チャクラの亜形

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民家の玄関先に描かれた南インドの吉祥文様コーラム。その中心には六葉チャクラの基本デザインがある

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ミルナードゥ州、パッラヴァ朝期の天井蓮華輪

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チベット仏教に伝わる『バーヴァ・チャクラ(輪廻する生の車輪)』。スポークの数は六本

上の画像に関しての詳細は、

チャクラの国のエクササイズ:クリシュナの台頭とインドラの失権

チャクラの国のエクササイズ:聖別する蓮華輪とヨーガ・チャクラ 

などを参照。

インド宗教思想において、何故ここまで普遍的に車輪のデザインが重視され適用されているのか。そこにこそ、何故、ブッダの布教のプロセスが「法の車輪を転ずる」と表現されたのか? と言う疑問に対する答えが隠されている。

この車輪(チャクラ)のシンボリズムの背後にある心象風景を『原点』にまで遡って理解して初めて、沙門ゴータマ・シッダールタの思想的な立脚点が見えてくる事だろう。

本来のインド思想自体が煩瑣を極めたもので、それに関して新たな仮説を分かり易く簡潔に論述すると言うのは、相当以上に荷が重い仕事なのだが、次回は、このインド輪軸思想の核心と、沙門シッダールタとの結びつきについて、詳述していきたい。 

(この投稿はブロガー版「脳と心とブッダの悟り」記事を加筆修正したものです)

 

 

 

 

 

転法輪の謎~それは何故、『車輪』だったのか?

仏教の四大聖地と言えば、シッダールタ誕生の地であるルンビニ、成道正覚の地ブッダガヤ、初転法輪の地サールナート、そして死の床に就いたクシナーガラが上げられる。

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www.imgrum.net/より。菩提樹の下で禅定し正覚を得たブッダ

これはサールナートで説法する姿なのだろう、最初の5人の弟子と鹿も描かれている 

中でも重要なのが、菩提樹下で覚りを開いたブッダガヤと、最初に法を説いたサールナートだろう。紀元後に仏像表現が生まれるまで、ブッダそのものを表すものとして掲げられた菩提樹と法輪は、正にブッダガヤとサールナートの重要性を象徴している。 

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サールナートで出土したアショカ石柱のライオンヘッド

これはレプリカだが、基壇には美しい法輪が見える 

ここで注目したいのはサールナートだ。正覚後のブッダが、かつて一緒に苦行をしていた五人の修行者に向けて、初めてその悟りの内容を説いた事績を、『法の車輪を転じた』、と表現している事にわたしは引っかかったのだ。

何故それは、法の『車輪』でなければならなかったのか。こんな事を考える人がどれだけいるか分からないが、私はあるきっかけから、はからずもその疑問に取りつかれるようになった。

例えば、古い仏典には「煩悩の激流をいかだで渡る」などという表現が多く現れる。ならば、別に車輪でなくとも、『法の筏を漕ぎ出した』という表現でも良かったのではないだろうか。

何故、それは『車輪』でなければ、ならなかったのか?

話は1995年に遡る。この年の2月初旬、初めてインドを訪ねた私は、そこで7大仏跡を巡り、ヨーガを学び、上座部系のヴィパッサナー・メディテーションを経験した。その後足かけ3年間にも及ぶことになる、インド放浪の始まりだった。

その流れで、帰国後の1998年からは合気道の修行を始めた。それは、動的な『禅』という視点から、自分の中に潜在する「瞑想力」と向き合う事が目的だった。

その後2004年、和歌山県林業に携わり、ごく普通の生活を送っていた私は、ある時、テレビでインド武術について放送すると知り、深い関心を抱いた。

都合20ヶ月以上もインド世界に滞在しながら、当時の私はインドに伝統武術があるなどとは考えた事もなかった。インドでは、すべての身体文化がヨーガや瞑想と深く結びついている。ならばインドの伝統武術とは、一体どのようなものなのか。

そのテレビ番組で、私は初めて、ケララ州の伝統武術カラリパヤットに出会った。それは同時に、棒術の回転技というエクササイズとの出会いでもあった。

画面の中で繰り広げられるインド棒術の回転技。それはとても不思議なものだった。背丈ほどの棒の真ん中をつかんで、片手でひたすら回していく。回しながらその回転を止めることなく、右手から左手、左手から右手へと持ち替えていき、とにかく身体の周り、あらゆる方向でひたすら回していく。 


Wadi Veeshal : Kerala style stick spin

カラリパヤットの回転技ワディ・ヴィーシャル 

肌の黒い男達が見せるその回転技の軌跡はとても美しく、あたかも巨大な車輪が身体の周りを回転しながら翔け巡っている様に見えた。

『これは、転法輪の棒術に違いない』

それは全く根拠のない、しかし確信に満ちた直観だった。

チャクラの国のエクササイズ・プロローグ参照) 

2005年9月、仕事も辞め身辺を整理した私は、再びインドの地に立った。その目的は2つあった。実際にインド武術を経験し、身体運動と瞑想がどのように有機的にリンクしているか知る事と、もうひとつは棒術の回転技が本当に『転法輪の技』なのか確認することだった。

ケララ州に向かいカラリパヤットの道場に入門した私は、そこでインド武術の奥深さに魅了された。同時に棒術の回転技にも惚れ込んで、その後現在に至るサンガム印度武術研究所の活動へと続いていくのだが、本ブログでは割愛する。

カラリ道場の朝は早い。乾期の12月ではまだ漆黒の闇に包まれた早朝の5時前には、気の早い子供達がやってくる。少し遅れて、グルッカルが現れて道場の鍵を開ける。

ケララ地方独特の古い木製の扉が、ギギーっと重たい音を立てて押し開かれると、グルッカルは階段を降り、右足から道場の床へと一歩、足を踏み入れていった。

チャクラの国のエクササイズ・第一章 インド武術を求めて参照)

私はその後ケララ州から離れ、インド全土の様々な伝統武術を取材して巡るうちに、インド世界には車輪、すなわち『チャクラ』の表象があふれている事に気が付いた。

車輪(チャクラ)というシンボルを、その聖性の象徴として掲げているのは、仏教だけではなかったのだ。 

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オリッサ州コナーラク 太陽(スーリヤ)寺院の巨大な車輪 

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南インド・ヴェンカテシュワラ寺院の広報誌より

車輪の御神体を沐浴させるチャクラ・スナーナム

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坐禅をするヴィシュヌ神、ヨーガ・ナラヤーナ

左上の手に破邪の神器スダルシャン・チャクラを持つ

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ヴィシュヌ神のスダルシャン・チャクラを表す、チャッカル・リングを回すシーク教

なぜ、様々な宗教において、派閥横断的に聖性のシンボルとして『車輪』が共有されているのだろうか? 何故それは、『車輪』でなければならないのだろう?

やがて私の関心領域は完全に武術からは離れ、いつしかインド思想において車輪(チャクラ)が持つ『意味』について、深く考え、探求する方向へと向かって行った。

そもそも何故、ブッダの布教の歩みが車輪の回転に譬えられたのだろう。それは何故、『車輪』でなければならなかったのだろうか。

ヴィシュヌ神が悪を滅ぼす究極兵器も、何故、同じように車輪でなければならないのか。

太陽神スリヤは、何故ラタ戦車に乗って天空を翔け、巨大な車輪によってその神威が象徴されるのだろうか。

そして何故、プーリーのジャガンナート神はラタ戦車に乗って行幸し、その車輪には魂を救済する力があるのか。

インドの宗教思想の中で、車輪(チャクラ)あるいはラタ戦車というものが、何か重要な意味を持っているのは明らかだった。

そう思ってプーリー市内を歩くと、驚いた事に町には車輪チャクラのデザインが溢れていた。民家のベランダの手すり、ブロック塀のデザイン、寺院の壁に描かれたペインティングなど、無数の車輪がそこかしこにあしらわれている。

宗教思想だけではなく、人々の日常意識の隅々にまでも、チャクラの形は浸透していた。ひょっとすると、この様なチャクラ意識とでも言うべき感性が、インドにおいて棒術の回転技を発達させた理由なのかも知れない。

それにしても何故、他でもない『車輪』なのか。謎はその一点に収斂されていった。

チャクラの国のエクササイズ・第2、第3のチャクラ参照) 

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ベッドシーツやサリーなどにも多用されるチャクラ・デザイン 

その結果、実に興味深い事実が明らかになったのだった。

(この投稿はブロガー版「脳と心とブッダの悟り」記事を加筆修正したものです)

 

 

 

 

アナパナ・サティ~呼吸意識の本質

脊髄と延髄が持つというその非情動性について、ここではまずブッダの瞑想法であるアナパナ・サティ(呼吸への気づき)との関連性から、呼吸中枢である延髄(+橋)の性質について考えてみよう。

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「神の存在」という幻想(1) - 気の向くままに より、大脳辺縁系

大脳や小脳を樹冠にたとえれば、脳幹は文字通り樹の幹になる

延髄から見て、情動の門である大脳辺縁系の向こう側の世界は、排他と利己という情動、すなわち『マーラ』に支配された『サンカーラ』の論理によって統べられていた。

その強大な力は、人類において格段に発達した前頭葉的な理性と利他の性質によっても、未だ十二分にコントロールし得ない獣性に他ならない。

その獣性は、私たちが動物として生存し子孫を残すために必要な、食料と配偶者という2つの資源が、基本的に他者と争って相互に敵対排除するプロセスを経て勝ち取られなければならないものだった事から生まれた。生物学ではこれを、環境中に限られた食と性を巡る熾烈な資源獲得競争と端的に表現する。 

その根底にあるのは食と性を巡る競争原理だ。植物のようにエネルギーの自給システムである葉緑体を持たない動物は、自らの意思で環境世界を探索・行動し食料を確保しなければならない(ゆえに『動』物になった)。また有性生殖を始めた多細胞動物たちは、常により優れた配偶者を獲得するために様々な策を凝らし、戦う事を余儀なくされている。

宗教とは何か? - 仏道修行のゼロポイント 

もちろん生き続けようと欲すれば、身の安全を確保しあらゆる危険を避け、時には戦う必要がある、という大前提も忘れてはならない。

わが身を守る為には毒蛇を避け安全なねぐらを確保しなければならない。おまんま食うためには一生懸命他人に先んじて稼がねばならず、きれいな嫁さんをゲットするためにはライバルを蹴落として勝たなければならない。

私たちはそのような営みを、実に億年単位の長きにわたって繰り返し、現在に至っているのだ。考えてみれば、その『前生』の業、はなはだ深し、である。

しかし翻って、呼吸中枢によって獲得されるべき空気(酸素)はどのような性質を持っているだろうか。それは他者と争って勝ち取らなければ獲得できない希少な資源だろうか。

呼吸気を獲得するために、私たちは現在に至る億年単位の歴史の中で、いまだかつて一度でも他者と争った事があるだろうか? 

最下層の貧民であれあるいは奴隷であれ、明日の呼吸に不安を覚え、人生に絶望する、と言うような経験に苛まれた事があるだろうか?

空気を呼吸するためにもがき苦しみ、額に汗して努力したことがあるだろうか。どの空気は毒があり、どの空気は栄養があるなどと選択を迫られる事があっただろうか。

あるいは、一息吸うごとに快楽に溺れ、一息吐くごとに苦痛にあえぐなどという事があり得ただろうか。

答えは明確にNOだ。空気、それは環境中に常に万遍なく存在し、すべての他者と分かち合い共有されるべき資源だからだ。通常私たちは、そのような事実に気付く事すらなく、呼吸を享受し続けている。

確かに水に溺れる、病的な呼吸困難に陥る、あるいは誰かに首を絞められるなど非日常的な特異な状況下では、酸素を得るために私たちはもがき渇望する。しかしそれはあくまでも非常な事態に過ぎない。

しかしそのような非常時においてさえ、そこには性と食に見られる様な、『排他的』利己性、そして煩悩する『私(わたくし)』は微塵も存在しない事に気づくだろう。

私たちは日常において、すでに獲得した呼吸に我を忘れて陶酔し、次の瞬間にはそれを失うかもしれないと恐れる事はない。それは疑問の余地のない自明として、アプリオリに十全に何の努力もせずに、自ずから与えられているからだ。

常態としてただ呼吸と共にそこにあるのは、浜辺に寄せては返す波の様な無心である。

呼吸意識の基盤には一抹の不安もないという意味での『絶対安心』が存在する。あらゆる対立意識を離れた『非排他性』がある。

呼吸意識。それは数十億年という気の遠くなるような生命進化の歴史の中で、一度としてブレることなく一貫して排他的利己性に基づいた情動、すなわち『マーラ』とは無縁でありつづけた。同時にそれは、快と苦の両極性を離れた中道意識に他ならない。それはまさに『仏性』そのものだと言えないだろうか。

そこにこそ正に、ブッダが苦行を捨ててアナパナ・サティの瞑想に決定(けつじょう)した論理的必然性がある。そう私は考えている。

アナパナ・サティの瞑想実践を深めていくにつれて、おそらく私たちの日常意識は、マーラの支配下にある大脳世界のあらゆるマトリックスを失ってこの仏性に限りなく近づいていく。それはヒンドゥ・サーンキャ哲学において、プルシャたるアートマンが『気息』に譬えられた事と見事に重なり合う。

その気息に止住し、そこから世界を観照した時、彼は一体何を見るのだろうか。そして気息へと深く下降していくプロセスにおいて、あるいはそこから帰還するプロセスにおいて、彼は一体、何を目撃するのだろうか。

私の読み筋では、その時彼は、意識の基板であるOS上に走る自我を構成する様々なアプリケーションが、逐次停止していく様を如実に観察する。

つまり、彼自身が解体され止滅していく『過程』をまざまざと‟観る”。

そのプロセスこそが、魂のリカバリであるブッダの瞑想法の核心において働く『作用機序』に他ならない。

もちろんこの瞑想において私たちの心が『リカバリ』されたとしても、それが完了した時に全ての記憶やソフトウエアが消去されているわけではない。私たちは基本的に今までと同じマトリックス世界に立ち返らなければならない。

それはいわばマトリックスの領域、すなわちサンカーラがプログラムとしてインストールされた領域からそれがインストールされていない領域への一時的下降離脱のプロセスだからだ。

けれども、もしこのプロセスがシッダールタの到達した領域にまで至った時、あるいはそこまでいかなくても、明らかに有意なボーダーラインを超えた時、私たちの日常意識に劇的な変容が立ち現れる事は十分に考えられる。

それは『全人格的変容』という言葉が真に相応しい、心の‟どんでん返し”になるだろう。

何故なら、その時彼はマトリックスの夢から完全に目醒め、その虚構性についてまざまざと『直観』するからだ。そのプロセスをヴィパッサナーと言う。

ここに提出した『インストール型宗教とアンインストール型宗教』という思考の枠組みは、あくまでも暫定的な作業仮説に過ぎない。しかし、この方法論を採用する事によって、ブッダの教えを脳科学生態学・進化生物学など現代科学の最先端の言葉に翻訳する作業が、限りなく高い整合性を持って可能になる、そう私は感じている。

このブログにおいて提示される思索は、苦悩にあえぐ人々がブッダの瞑想法によってその苦しみから解放されていくリアルな『薬理的作用機序』を、万人に理解可能な合理的な形で明らかにする事を目指している。

もちろんこの試みは、あくまでもマトリックス世界の内部で知的に行われるものに過ぎない。どんなに論理的にブッダの悟りに近づいても、それがイコール悟りそのものの体験では絶対にない事を、忘れてはならないだろう。実際の悟りとは、正に大脳的マトリックスからの離脱なくしては到達不可能なのだから(2000年以上続く、行と学の二律背反!)。

次回からは、私の主観的な直感に導かれた上の仮説を、パーリ経典やヴェーダウパニシャッドなど様々な文献データを紐解きながら、その個々の事例を細部にわたって客観的に検証していこうと思う。

その作業を進める上でひとつの重要なキー・コンセプトがある。それがインド世界に数千年にわたって通奏低音の様に伏流する『チャクラ(輪軸)のシンボリズム』だ。

ブッダの説法・布教のプロセスが何故『法の車輪を転ずる』という言葉で表されたのか。何故それは、『車輪(チャクラ)』でなければならなかったのか?

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タイ中部で出土したドヴァラヴァティ文化の『法の車輪(ダンマ・チャッカ)』

 

何故それは、『車輪(チャクラ)』でなければならなかったのか?

あらゆるインド学・仏教学の基盤には、この設問とその答えとが置かれなければならない。何故なら古代インド的な心象世界の正に核心・中心に位置づけられるものこそが、この車輪(チャクラ)思想に他ならないからだ。

(本投稿はブロガー版『脳と心とブッダの悟り』記事を加筆修正したものです)